【完結】PERSONA3 Re;venger   作:清良 要

66 / 504
第六十六話 ラナフとの別れ

――???

 

 深い深い闇の中。上も下も分からぬそんな場所に、鬼を象った土面を頭につけた茜色の髪の女が一人座っていた。

 瑠璃色の瞳の下から頬にかけて逆三角形をした紫の紋様が描かれており、表情こそ大人びているものの、年の頃は二十歳になるかどうかといったところだろう。

 そして、肌にピッタリとした袖のない黒い民族衣装の上から、彼岸花の柄が描かれた光沢のある白い着物を羽織っているが、その女には肩より先の右腕がない。

 けれど、それを気にした様子もなく、女が黙って座っていると、女の目の前に淡い光と水色の欠片が集まり一人の少女が現れた。

 湊と同じ色の長い髪を持った少女、節制“座敷童子”だ。

 

「……お前か、よく来たな」

 

 女は座敷童子の顔を見ると、柔らかい笑みを浮かべて相手を歓迎する。

 座敷童子も相手を知っているようで、女の手が届くほどの距離まで近づくと、その場にペタンと腰を下ろし座った。

 

「八雲は強くなっているな。本当に、とても強くなった」

「……まだ、目覚めない……八雲は私たちを……知らない……」

 

 普段、座敷童子は湊を現在の名前である“湊”と呼んでいるはずだが、いまの彼女は彼の本名である“八雲”と呼んでいる。

 彼女が何を思って呼び分けているのかは分からない。

 しかし、どこか落ち込んだ様子で話す座敷童子の頭に手を置き、女が優しく撫でながら笑いかけた。

 

「他の者が教えぬようにしているんだろう。だが、周囲の意思に関わらず、奴は我々を受け入れるしかない」

 

 座敷童子が言っている“目覚め”とは、湊に眠っている名切りの血のことだろう。

 常人を遥かに超えた力を有する湊も、いまのそれが限界値という訳ではない。

 鬼と龍、二つの一族の間に生まれた湊は、『龍の一族を守らなければならない』という、血の盟約からも解放された存在だ。

 長きに亘って鬼を縛り続けてきた鎖が解かれた以上、真に名切りの力に目覚めた湊を力以外で止める事は出来ない。

 本人は血の盟約とは別に、自分の意思で魂の契約を四つ結んでいるが、それらはむしろ湊に力を与えるためのものだ。

 だからこそ、この場にいる二人は湊が己で身に付けた力に、名切りの力を加わる時を心待ちにしていた。

 だが、二人がそのように話しているとき、誰もいないはずの闇の中から少年の声が響く。

 

「こんな深い場所にいたんだ。探すのに時間がかかってしまったよ。それにしても、随分と面白そうな話をしているね。よかったら、僕も仲間に入れてよ」

 

 闇の中から現れた少年は、女よりも明るい水色の瞳で二人を見つめながら、楽しそうな笑みを浮かべている。

 囚人服のような物を着た少年、ファルロスが現れることが出来るのは、湊が寝ている間に意識を表出させることを除けば、今はまだ心の世界の中だけだ。

 2009年に近付くにつれ、傷付き失った力が回復していき、そうすればごく僅かな間だけ外に出る事が出来るようになるだろう。

 しかし、今はまだその時ではないため、ファルロスが現れた以上、ここは湊の心の中だということが判明した。

 

「……貴方は……呼んで、ない」

 

 急に現れたファルロスに対し、二人で話していた座敷童子は感情の乏しい表情を歪めて、不快感を露わにしながら口を開く。

 女は座ったままだが、座敷童子は立ち上がってナイフ投げのように右手を胸のところで構えていることから、ファルロスが変な動きを見せれば、即座に攻撃するつもりのだろう。

 けれど、座敷童子が構えているのを見ながら、ファルロスも負けじと答えた。

 

「そうだね。でも、僕は友達として彼を守る。ペルソナのフリをして彼の元にやってきた君を、同じ心の住人である僕なら倒す事が出来るから」

 

 子どもらしい笑みを崩さず、しかし、声色は真剣なそれで返したファルロスの背後に力が集まる。

 闇の中に在って尚、さらに暗い闇色の靄が水色の欠片と共に収束し、ファルロスの本来の姿であるシャドウ“デス”としてその場に顕現した。

 力の大半を失っていながらも、他のシャドウやペルソナとは次元を異とする圧倒的な力。

 タナトスやアベルに次ぐ力を持った座敷童子も、流石に数多の心の集合体であるデスが相手では不利だと悟ったのか、構えを崩さぬまま表情を強張らせた。

 

「さぁ、大人しくするんだ。彼は自分を騙している君のことも大切に思ってくれている。だけど、僕は彼の優しさを利用している君たちを許す事は出来ない。だから、ここで消えて貰う」

「人聞きの悪い事を言うな。私たちが八雲を利用するはずがないだろう」

「そう言われて素直に信じると思っているのかい?」

 

 デスを呼び出したというのに、全く焦りもせず座ったままの女が、どこか呆れたように話しかけてきた。

 ペルソナである座敷童子がデスを脅威に感じているというに、女が座ったまま余裕を崩さないことにファルロスは違和感を覚える。

 だが、仮に相手が座敷童子と同じようにペルソナであったとしても、召喚に力を消費しないで済む心の世界ならば、ファルロスも負けるつもりはない。

 二対一という状況は不利だが、それなら先に実力の劣る者を狙っていけばいいだけだ。いつでも攻撃を仕掛けられるようデスに大剣を握り直させ、ファルロスは相手の出方を窺った。

 すると、またしても女が余裕を崩さぬまま、凛とした響きのよく通る声で、今度は反対にファルロスに質問をぶつけてくる。

 

「逆に問おう。お前は我が子を利用しようと思うか?」

「我が、子?」

「ああ、数千年の間ずっと待っていた。ようやく巡り合えたのだ。何よりも愛しく、掛け替えのない我らの愛子(まなご)に」

「そんな……それじゃあ……君たちはまさかっ」

 

 女の言葉にファロスは動揺し、呼び出していたデスの顕現を解いてしまう。

 ペルソナである筈の座敷童子が自我を持っていたことを、ファルロスもずっと不思議に思っていた。

 己やジャック・ザ・リッパーのように、他者の心とも言える存在が湊に宿ったことで生まれた存在ならば、自我を所持していることにも納得できる。

 けれど、座敷童子はイゴールの元で可能性の芽から手に入れたペルソナたちを融合し、そうして生まれてきた湊の心の欠片だ。

 そこに他者の心が入り込む要素などなく。また、入り込んだところで、シャドウの王をその身に宿せるほどの器を持った人間の自我に塗り潰されて終わりだ。

 いくら二人が血に宿る過去の名切りだとしても、目覚めてもいない湊のペルソナとして外に出られるはずがない。

 現に女の方はまだ湊の心の深部で、このように何も出来ずに留まっているのだから。

 その考えに至り、ファルロスは僅かに冷静さを取り戻して、座敷童子が過去の名切りである可能性を否定する。

 

「いや、そんな筈はない。座敷童子、君はペルソナ合体で生まれた力の欠片だ。まだ目覚めていない湊君から、過去の名切りが生まれ出ることはできない」

「……八雲は戦った……戦えば……名切りは目覚める」

「戦えば目覚める?」

 

 自分たちも先ほどまで、湊は名切りを知らないから目覚めていないと言っていた。

 だというのに、戦えば目覚めるとはどういうことなのか。座敷童子が静かに発した言葉の意味を理解しきれず、ファルロスは怪訝な顔つきで相手を見つめる。

 すると、座敷童子に代わって、座ったままの女がファルロスの疑問に答えてきた。

 

「不思議に思わなかったのか? お前との戦いで八雲が力の使い方を知っていたことを、親を失って直ぐの幼子が、相手の死角を的確に突き、力を往なす術を知っていた事を」

「まさか、あの戦いの時点で彼は名切りの力を使っていたというのかい?」

「……私が教えた……オルフェウスを通じて……戦い方を……八雲はすぐにそれを覚えた」

「オルフェウスを通じて? では、君はオルフェウスからプチフロストになり、プチフロストから今の姿になったと?」

 

 ファルロスの問いに座敷童子はゆっくり頷いて返す。

 俄かには信じられない。だが、座敷童子はオルフェウスを素材に使ったプチフロストを、さらに素材に使って起こった合体事故で生まれたペルソナだ。

 彼女自身が湊の中にいる状態でも、パスのような物がペルソナ越しに通っていたのなら、その知識を無意識に吸収させながら、戦いに身を置く湊の覚醒に合わせて表に出てこられるようになったに違いない。

 

「自分の心を完全に制御する事は出来ないとはいえ、プチフロストのように完全自律行動を取るペルソナなどいない。座敷童子は私よりも八雲に近いからな。目覚めが浅くとも力を貸せるのだ」

「……こう見えて……幕末生まれ……だから、洋服」

「……生前の姿が元になっていたのか。にしても、若過ぎないかい?」

「十三歳で……出産……死んだのは……もっと後……フフッ」

 

 何が楽しいのか、座敷童子は少し勝ち誇った顔で笑って小さくピースをしている。

 名切りの血で知識や経験を引き継げるのは、血によって継承する関係から、名切りが父親なら子どもを作ったときまで、母親なら出産でへその緒を切るまでの物となる。

 となれば、血に宿る存在であって死んだ本人という訳ではないことから、座敷童子が出産年齢の姿をしているのもおかしくはない。

 けれど、幕末から明治にかけての人間にしても、かなり早い段階で妊娠・出産していることになるが、無事に出産してその後も数年は生きていたようなので、ファルロスは何も聞かないことにしておいた。

 座敷童子について少し深く知ると、ファルロスはそう言えば女の名前を聞いていなかったことを思い出す。

 別に知らなくとも、“君”と呼んでいれば問題はないのだが、一人だけ知らないのもおかしいだろう。

 そうして、ファルロスは座っている女の方へ身体を向けると、女に名前を尋ねた。

 

「そういえば、君の名前を聞いても良いかな?」

「名前? そうだな、本名もあるが今はペルソナのようなものだ。私のことは“茨木童子(イバラキドウジ)”、そう呼ぶがいい」

 

 頭に鬼の土面を付けた茜髪の女、太陽“茨木童子”は自らの名を告げると不敵に笑った。

 

 

5月21日(日)

朝――ラナフ・コベ国際空港

 

 湊とイリスがこの国に来て約二ヶ月。日本とは違う、治安も気候も過酷な環境下での生活にもほぼ順応する事が出来た。

 海外へと来たのは、依頼を通じて自身の技量を高めることが目的であったため、最低限の下地作りを終えた湊は、そろそろ依頼を受けて回ろうと考えていた。

 同行しているイリスもそのつもりで、最初から二ヶ月もあれば湊が海外の環境に慣れると思って、ナタリアには二ヶ月の間だけ滞在すると伝えており。期限がきた二人は、ナタリアと彼女の私兵たちに見送られ、別の国へと旅立つため空港へとやってきた。

 

「ねぇ、もう少しいなさいよ。依頼ならうちに居ても受けられるじゃない」

「……この国の依頼なんて政府から頼まれるローラー作戦だけだろ。そもそも、仮面舞踏会への依頼料を知ってるか? ラナフの平均年収数十年分だぞ。それでコンスタントに依頼なんてくるはずない」

 

 湊のチームである仮面舞踏会は、日本の巌戸台近辺での活動を主としていたため、海外での認知度はまだそれほど高くはない。

 だがそれでも、日本と仕事のパイプを持っている富裕層の人間には知る者も多く。殺し・運搬・調査など、幅広い分野で活躍していたこともあって、その技術と信用に見合うだけの依頼料を貰っている。

 ここ最近では三百万以下の依頼などほとんど受けておらず、一月で五千万近く稼ぐ事だってざらだった。

 貧富の差の激しいここラナフで、そんな大口の客が多数取れるとは思えないので、仕事がただの反政府ゲリラ組織の殲滅くらいしかないとなると、湊が早期に別の国へ移ろうと考えるのも無理はない。

 けれど、最近になって距離が縮まり、仲が良くなっていたレベッカは、親しい相手との別れが寂しいのか、湊の右手を両手で掴みながら説得を続けてくる。

 

「なら、値下げしたらいいじゃない。お金に困ってる訳じゃないでしょ? ボランティアだと思えばいいわ」

「……ボランティアに命懸けてられるか」

「大丈夫よ。あんた、死んでも生き返るし。ホームで心臓を吹っ飛ばして実演してたじゃない」

 

 No problem、なんの問題もない。

 レベッカは気にした様子もなく、軽いノリでそう言って笑う。

 心臓を吹き飛ばした実演とは、あのハルーフで強盗に襲われた日の夜のことだ。

 銃で身体中を撃たれたというのに、立ち上がって血だらけになった服を脱ぐと、湊の身体には一切の傷がついていなかった。

 けれど、銃弾が身体を貫通するのを目撃し、実際に血も出ていたというのに、そんな事はありえないとレベッカは心底心配して宿舎に戻っても湊に付き纏った。

 レベッカから強盗に襲われたと報告を受けたイリスやナタリアも、戻ってきて湊が食堂で普段以上の量を食べているのを見て唖然としていたが、結局、宿舎内にあるメディカルルームで検査を受けて問題なしと診断されるまでそれは続いた。

 だが、問題なしと結果が出たら出たで、では、あのときの出血は何だったのだという話しになり。イリスは口を噤んでいたが、面倒になった湊が誰もいないガレージに私兵らを呼んで、デザートイーグルで心臓を吹き飛ばしてみせた。

 一同はそれを見て混乱し、医者を呼んで来いと騒ぎにもなったが、十分もしないうちに湊は口から大量の血を吐いて蘇生した。

 その後、自分は頭部を吹き飛ばされない限りは死なないと説明し、先に説明してから実演しろと全員に怒られたのは、極一部の大人以外に怒られたことのない湊にとっては貴重な体験である。

 レベッカはその時の事を引き合いに出し、死んでも大丈夫なら、ボランティアに命を懸けるのも問題ないはずと言った。

 だが、それを傍で聞いていたイリスは、怒った様子のまま殆ど手加減のない威力で、レベッカの頭を後ろからはたく。

 

「馬鹿、死んでも生き返れるのと、死んでも大丈夫はイコールじゃないぞ。小狼は普通に痛覚もってんだ。キツイに決まってるだろ」

「いったぁっ。イリスさん、最近何か私に容赦ないんだけど、私なんかした?」

「周囲が甘やかしてるから、アタシが厳しく見えるんだろ。普通だ、普通」

「……絶対違う。なんか、攻撃に私怨が籠もってるもん」

 

 叩く角度、手首のスナップ、相手の死角を突くことで身構えさせないなど、イリスは一瞬のうちにそれらを成し遂げ攻撃を加えていた。

 子どもを叱るには過ぎた威力の攻撃は、じんわりと痛みが残るおまけも付いている。

 イリスがこのような攻撃をしてくるようになったのは、レベッカが湊の世話を焼くようになってからだ。

 トレーニング後にシャワーを浴びた湊の髪を乾かしたり、邪魔にならないよう髪を結んでやったり、食事のトレーを持って来てやったり、時には頭を洗ってやると言って大浴場に連れて行ったこともあった。

 髪の毛に関わる世話が多いのは、普段の湊があまりに髪の手入れを適当にしているためであり、これは桔梗組では桜が担当し、仕事で外泊するときにはイリスがやっていた。

 手入れを受けているときの湊は、ただぼーっとしており隙だらけに見えて、普段とのギャップから母性がくすぐられると女性たちには評判だ。

 そんな癒しも得られる、湊との数少ないコミュニケーションの機会を新参の小娘が奪った。これは怒るのも当然である。

 そもそも、レベッカはずっと湊にきつく当たっていた筈だ。

 だというのに、自分が興味を持った途端に世話を焼くなど、湊を傍で見てきた者として認める訳にはいかなかった。

 

「小狼、こういう女には気を付けろよ。自分が飽きたら簡単に男を捨てるようなタイプだからな。付き合うなら桜やアタシみたいに芯のしっかりした、それでいて子どもにも優しい女にするんだぞ。あぁ、バーバラみたいに物の価値を見抜けないやつもやめとけ。馬鹿はそれだけで駄目だ」

「ちょ、ちょっと、私はちゃんと一人に尽くすタイプなんですけど!」

「私だって別に好きで騙されてる訳じゃないです! ちゃんと教えてくれる人がパートナーなら、家庭は円満になりますよ!」

 

 湊の人を見る目を養わせようと、イリスが駄目な女についてレクチャーを始めたと思えば、急に飛び火してきたため、バーバラもレベッカと一緒になって抗議する。

 急に湊の世話を焼く様になったレベッカと違い。バーバラは元々温和で優しい性格であることもあって、子ども好きのチャドと一緒に湊に気を配っていた。

 暇な時間に、湊がエルゴ研で飛騨に貰った医学書を読んでいた姿を見てからは、軍医で現在も研修や学会にも顔を出しているため、細かい専門的な知識や現在の最先端医療について教え。トラップの仕掛け方を教えたチャドや、ヘリや飛行機の操縦を教えたヤンと同じくらい湊のスキルアップに貢献した人物でもある。

 けれど、今のイリスはマイナス面しか見るつもりがないのか、心底馬鹿にした目を向けて、二人の抗議を鼻で笑い、言葉を返した。

 

「聞いたか小狼。これが駄目女の典型だ。現時点でこんなに駄目なのに、自分にまだ期待値があると思ってるんだ。可哀想にな。いや、本当に同情するぞオマエら。そんな物はまったくないからな」

「あ、あるから! ていうか、むしろこのメンバー内なら一番良いお嫁さんになるのは私だから!」

 

 視線に力を込めて反論するも、レベッカのその言葉に明確な根拠はない。

 家事スキルはいずれ必要になるだろうからと、母国アメリカで祖父母と暮らしている母親や他の隊員に習ってそれなりのレベルでは身に付けている。

 けれど、この部隊にいる女性は、ナタリアやイリスも含めて全員が普通に料理を作る事が出来る。

 裁縫も難しいものでなければ可能で、部屋が腐海のようになっているという事もないため、この私兵部隊の女性たちは、美術工芸部のメンバーより圧倒的に女子力が高かった。

 平均年齢が違うから当然という見方も出来るが、部活メンバーの一部はそれだけではカバーしきれない能力の差があるので、仮に同年代であったとしても総合的に見れば部隊の女性陣の勝ちだろう。

 そんな大人の女性陣からすれば、レベッカが一番良い嫁になるのは自分だと言ったところで、男も知らずたかだか二十年しか生きていない小娘が何を言っているんだ、と鼻で笑われてもしょうがなかった。

 

「随分と可愛い事言うわね、レベッカ。でも、何気に総合ポイントが高いのはボウヤなのよね。料理は上手かったし、他の家事も出来る。自分のことは適当でも仕事や細かい気配りは出来るもの。愛想はないけど、子どもに優しいなら、尽くす妻の理想形といってもいいわ」

「……男じゃん」

「何割かは女よ。というか、嫁として能力の高さの話しでしょ?」

 

 そんな話ではなかった気がするが、自分たちのボスが相手では下手に反論しない方が良いとレベッカは経験で知っている。

 故に、煙草の煙を吐きながら並んでいる自分と湊を見ているナタリアから視線を外すと、そろそろ搭乗手続きが始まる時間なので、レベッカは湊の方に振り返り頬に手を添えた。

 

「あんた、色々と難しく考えるみたいだから気を付けなさいよ。こんな仕事してたら、胸糞悪いことだって沢山あるしさ。誰も強制なんかしてないんだし、きつかったら日本に帰るなり、私らのとこに来るなりしなさい」

「候補として考えておく」

「……そこは、はっきりと『わかった』って言いなさいよね」

 

 相手の答えが不満だったのか、レベッカはムスッとした表情で湊の頬に添えていた手で、頬肉を摘み横に引っ張った。

 普段は無愛想な湊も気を抜いているときには可愛いものだ。男とは思えないほど滑らかな手触りと柔らかな感触に、ただ黙って受け身になっているのも組み合わさって、自分でやっていながら思わず表情が緩んでしまう。

 以前の関係ならば、こんな事をしようものなら、湊はレベッカの腕を捻って地面に倒していただろう。

 それが少しの間に随分と気を許されたものだと感慨深く思いながら、レベッカは頬を引っ張るのを止めると、手を両頬に添えたまま真っ直ぐ視線を合わせた。

 

「ま、あんたらしいけどさ。んじゃ、これ幸運のおまじない」

『あ……』

 

 他の者が反応する間もなくレベッカは湊の顔を引き寄せると、僅かに背伸びをしてそのまま唇を重ねた。

 十五秒経っても唇を離さず、湊もマナーとして瞳を閉じてはいるものの無反応を貫いているので、レベッカから離れない限り終わる事はない。

 

「あぁぁぁぁぁっ!? オマエ、ふざけんなよ! レベッカ、マジでぶち殺すぞ!」

「全面戦争だっ!! 人様ン家の娘をたぶらかした小僧は、娘の父親が殺して良いって聖書にも書いてあるからなっ!!」

「……若いわねぇ」

 

 そして、イリスとラースがお互いの子どもが異性とキスしている事に大声を上げ、ナタリアが楽しげに口元を歪めたところで、ようやくレベッカは湊から離れた。

 しかし、ただ唇を重ねていただけではなかったようで、濡れて光っている唇を舌で一度舐めてから、頬を染めたレベッカはどこか満足気に笑った。

 

「フフッ、光栄に思いなさいよ。このレベッカさんのキスなんて、誰も受けたことないし。うちの男どもが聞いたら、血涙流して羨むような名誉なんだからね」

「……そうか」

 

 本当に嬉しそうにニコニコと笑っているレベッカとは対照的に、湊は普段通りの低いテンションでマフラーを使って口を拭った。

 周囲の者にすれば、いつも大切そうに巻いているマフラーで拭って良いのかという疑問もあるが、捧げたファーストキスを一切の淀みなく、まったく躊躇わずに拭われたレベッカがあまりに不憫に思えたため、普段は馬鹿にされているパトリックですら空気を読んで黙っていた。

 だが、当然そんな事をされた本人は、相手の度し難い行動に目を見開き驚いて、直ぐに肩を震わし怒りを表す。

 

「あーっ!? なんで拭うのよ! 私のファーストキスって言ったでしょうが!」

「……押し売りだろ。それにファーストキスで舌を入れてくる女なんているか」

「素直に受け入れていたくせにっ」

「受け入れと諦観は別だと……まぁ、どうでもいい。とりあえず、お前と同じ行動をしたやつが既に数人いる。正直、人数が増える度に反応するのが面倒になった」

 

 嘆息しながら答える湊の言う通り、キスの押し売りはレベッカが初めてという訳ではない。

 初めては母親が相手で、二人目は美鶴の母親である桐条英恵。この二人は湊自身が幼かったこともあり、相手が喜んでくれるからというスキンシップとして極稀にしていたくらいだ。

 そして、名前を変えてからは、酒に酔った桜や、その桜に対抗したチドリなど、何人もの女性からキスされていたため、湊にとってこの程度のことは、既に反応する必要もない些末事であった。

 

「俺の周囲はどうして了承もなくキスしてくるんだろうな。普通に犯罪だろうに」

「な、なによ、嫌だったって言うの?」

 

 心底呆れた様子で溜め息を吐きながら溢す湊に、ファーストキスを捧げたばかりのレベッカは嫌われたかもしれないと、内心でビクつきながら尋ねる。

 湊はそんな物は聞くまでもないだろうと思っていたため、憐れみの視線を向けて返してきた。

 

「お前は恋人でもない異性が、断りもなく勝手にキスしてきたら嬉しいのか?」

「そ、それは相手によるけど、普通は嫌でしょうね。でも、女性はそうでも男は嬉しいってよく言うじゃない。ほら、自分でいうのもなんだけど、私も結構美人でしょ? 男なら美人にキスされれば普通に嬉しいはずよ」

「……悪かったな、何割か女で」

『あー、そういう事か』

 

 レベッカは同性からも見ても、十分可愛い部類に入る非常に整ったルックスを持っている。

 恋人のいない湊が、そんなレベッカにキスされてどうして嫌がるのかと思っていた周囲は、ムスッとした湊の呟いた一言で激しく納得した。

 確かに、頬くらいなら同性からキスをされてもスキンシップだと笑えるが、口にされてしまうと拒否反応を示す者もいるだろう。

 それは女性の細胞も持っている湊も例外ではなく、スイッチを切り替えて完全に男の思考にしない限りは、同性からキスされているという思考も働いてしまうようだった。

 しかし、そういった理由ならば、普段からスイッチを切り替えて男として生活すれば良いのではないか、と他の者は思うだろう。

 だが湊の場合は、今のように成長期を向かえて性差が体格にはっきりと出るまで、女よりも男に襲われかける方が多かった。

 女性に襲われてもダメージが軽微で済むよう男でいれば、その分、男に襲われかけたときのダメージと怒りが増加する。

 そんな理由も同時に存在するため、湊は多少の不便があっても、両性の脳構造の利点も使える両性状態のままでいるようにしていたのだった。

 

「……そろそろ時間だな。イリス、遊んでないで移動を始めよう」

 

 随分と話していたことで、搭乗手続きの時間が迫っていた。

 時計を見てそれを確認した湊が、レベッカを殴ろうとしてチャドに後ろから羽交い締めにされていたイリスに声をかける。

 すると、相手も冷静さを取り戻したのか、直前の怒りを消して湊に答えた。

 

「もうそんな時間か。んじゃ、とりあえずお別れだ。ナタリア達も元気でな。レベッカ、次に会ったら半殺しにしてやる」

 

 とても綺麗な異性を魅了するような笑みで、さらっと半殺しにしてやるなどと脅してくる辺り、イリスは本気でレベッカを許していないのだろう。

 だが、それはレベッカの父親であるラースも同様らしく、ニコニコと素晴らしい笑顔で毒を吐きながら湊に別れを告げている。

 

「それじゃあ、姫もまたな。次に会ったらレミントン使って本当に姫にしてやるよ。レベッカもその方が女友達が増えたって喜ぶだろうからな。なーに、礼は気にするな。娘の“友達”のためならお安いご用さ」

 

 それぞれから言われている子どもたちは、レベッカも意外と胆が据わっているか、湊と同じように気にした様子もなく黙って聞いている。

 もっとも、完全に他人事で聞いている湊と違い。レベッカの瞳には、姑に負ける訳にはいかないという強い意志が感じられた。

 現在の彼女のポジションは、時任亜夜と同じ湊の姉に準ずるポジションのようだが、どうやら本当に恋人になってもいいと考えているらしい。

 だが、ルックスと収入の高さから、湊は非常に優良物件だと言えるが、イリス・桜・桐条英恵と三人も姑がいるとは思っていないだろう。

 両親への挨拶で三人を前にしても、現在のようにレベッカが同じ態度でいられるかは興味深いところだが、飛行機に乗る時間が迫っている。

 そうして、この国を立つ二人は、ナタリアと私兵たちに改めて挨拶した。

 

「……それじゃあ」

「色々とありがとな。また機会があれば会おうぜ」

「ええ、イリスもボウヤも元気でね。集団戦のプロが必要なら連絡してきなさい。少し安く請け負ってあげるから」

「ははっ、どうせなら、必要ないに越した事はないけどな。けど、そんときは頼むよ」

 

 二ヶ月という短い間だったが、親しく接して様々な事を教えてくれた者らに、湊は年相応な仕草で小さく手を振った。

 大人たちもそれに笑って手を振り返し、ナタリアらと別れた二人は搭乗手続きのためにゲートに向かって、そのまま飛行機に乗り込むとラナフを後にした。

 

 

夕方――パンテル・カニス

 

 飛行機で数時間移動し、パンテルという中東とヨーロッパの境界ほどにある国に到着した二人は、さらに長距離バスに乗ってイリスの知り合いがいるというカニスの街にやってきていた。

 国自体が二つの地域の間にあるという事だったが、その町並みはどこかドイツなどヨーロッパ寄りに思える。

 だが、ドイツのように雨が降って五月でも寒くなるということはないらしく。雨が降った後だというのに、半袖姿で歩いている者がほとんどだった。

 

「……過ごし易い気候だな」

「まぁ、中東に近くても雨がちゃんと降るし。今ぐらいの時期だと、梅雨とまではいかないが、雨の少し多い日本の春の気候だと思えばいい。雨が降った夜は肌寒くなることもあるけど、オマエはマフラー巻いてるから大丈夫だな」

 

 神経毒にすら免疫を持っている湊は、他の者のように風邪など病気になることはない。

 けれど、気候の変化で体調を崩すかもしれないと心配することの多いイリスは、湊が防寒具を身に付けているため、安心したように笑って頭を撫でた。

 それを湊が黙って受けたまま歩き続けると、目的地に到着したのか、イリスが三階建ての建物を指差し口を開いた。

 

「おー、あそこの店だ。ほら、酒場の看板が出てる黒い屋根の建物」

 

 案内に従って近付くと、そこには『真夏の夜の夢』と書かれた店の看板が掲げられた店があった。

 女性に相手をさせる如何わしい店という訳ではなく、近所の者たちが食事と酒を楽しむような、憩いの場を目指した普通の酒場らしい。

 窓から見える店内の様子を窺いつつ、健全な店であることが確認出来ると、湊はイリスに続いて店に入った。

 

***

 

「あら、いらっしゃーい。って、イリスじゃない!」

「っ!?」

 

 扉を潜って騒がしい店の中に入ると、二人を迎えてくれたのは肩の出ているセクシーな黒いドレスを着た“男性”だった。

 身長は約二メートル、ほぼ同身長の仙道よりもさらに逞しいボディビルダーを思わせる体型に、そんなドレスを着てねちっこいオネェ言葉で話す相手は、様々な人間を屠ってきた湊ですら恐怖を覚える化け物にしか見えない。

 会話をする前から警戒心を剥き出しにして、さらに本人が意識するまでもなく発動していた魔眼の蒼い瞳で化け物を見ながら、湊はイリスの背後に隠れた。

 湊がそんな風になっていると知らないイリスは、歩いてきた男性に右手を挙げて親しげに挨拶を返す。

 

「よう、リリィ。七年ぶりか?」

「もうそれぐらいになるかしら? いやぁ、本当に懐かしいわぁ。貴女も随分とオバサンになったわねぇ」

「うるせー、筋肉の化け物。人の事言えるような立場か」

 

 最近ではそれなりに気にしている年齢について言われ、イリスは顔は笑ったままリリィと呼んだ男にボディブローを放った。

 しかし、相手はそれを受けても筋肉の鎧に守られ無事なのか、とても楽しそうな笑みを崩さず、イリスと会話を続けていた。

 

「それで? 今日はうちに泊まっていってくれるのかしら?」

「ああ。というか、しばらくここを拠点にするから、当分は世話になるよ。大人と子どもの二人部屋で一室頼む」

「二人? そういえば、貴女の後ろに一人可愛らしい子が……まぁっ!!」

 

 男は湊の姿を見た途端、大声を上げて自分の胸の前で両手をギュッと握った。

 それがどのような感情からのリアクションなのかは分からない。

 だが、相手がわなわなと身体を震わし、瞳を爛々と輝かせていることから、湊にとってはろくでもないことだろう。

 かなり昔に、女装させた幼い湊に襲いかかってきたロゼッタに似た気配を相手から感じ、湊は咄嗟に反応できるよう、自然とリミッターを一つ解除した。

 そして、仕事中の状態になった湊に、筋肉の化け物が野太い声で話しかけてくる。

 

「やだ、可愛いー!! なーに、この子どこで拾ってきたの? すっごく綺麗な顔してるわぁ。まつ毛も長いし、髪も手入れが行き届いてる。でも、どちらかというと天然の髪質みたいね。肌もとってもきめ細かいし染み一つなくて羨ましいわぁ。本当に男の子とは思えない肌ね。ねぇ、お姉さんと今夜遊ばなーい?」

 

 湊を一目で男と見抜きながら、一気に捲し立てるように喋り、男は最後に湊の肩に触れようと手を伸ばしてくる。

 イリスは男の態度に呆れたように溜め息を吐いているが、本能が警笛を鳴らし続けている湊は、その手に生理的な拒否感を覚え、相手が触れてくる前に拳を突き出し叫んでいた。

 

「――――俺に触れるなっ!!」

「おぐぅっ!?」

 

 一般人が相手ならば、腹筋に力を入れていようと、受けた腹筋ごと内臓を破壊されてもおかしくないほど強烈な左拳が見事に決まった。

 イリスの一撃を受けても笑っていた相手は、流石に仕事モードの湊の攻撃は耐えきれなかったのか、後ろに吹き飛び倒れている。

 突然、二メートル近い巨漢が飛んできたことで、客や従業員は驚いているようだが、湊は敵がまだ死んでいないことから、臨戦態勢を解かずに相手を睨んでいた。

 そんな瞳を蒼くした湊の反応を見て、イリスは心の準備をさせることを忘れていたと、殴られた男に同情しながら額に手を当て口を開く。

 

「あー、リリィ悪い。コイツ、男に襲われかけた経験あって、オマエみたいなの駄目なんだ。小狼も説明しないで悪かったな。怖かっただろ?」

 

 言うなり、イリスは倒れた友人を無視して、湊を安心させるために頭を胸に抱えるように抱きしめた。

 依頼で戦闘があったときや、他者の行動に許せないことがあって気が立っているなど、興奮状態になったときは、イリスは今のように湊を抱きしめて落ち着かせていた。

 今回もそれで落ち着くと思っていたのだが、敵と認識した相手がヨロヨロと立ち上がってきたことで、湊は周囲に敵意を放ちながら男を睨み続けている。

 もっとも、常人なら死んでいる威力で攻撃されても無事に見えるのだから、湊でなくとも普通は警戒すると思うが、イリスは湊が再び攻撃しにいかないよう抑えることに忙しいので、細かいことを気にしていられる状況ではなかった。

 

「よしよし、大丈夫だ。アイツは別にオマエに危害を加えないから。ほら、ゆっくり呼吸して、アタシの心臓の音を聞くんだ。大丈夫、敵はいないぞ」

「いたたたぁ。もう、私じゃなかったら死んでたわよ? 可愛い顔して暴れん坊さんなんだから。でも、怖がらせてしまってごめんなさいね。わたしは、マダム・リリィ。この店のオーナーよ。別の仕事だと情報屋と仲介屋ってところかしら」

 

 立ち上がった相手は、初めは痛みで顔を顰めていたというのに、背筋を伸ばしたところで先ほどと同じ笑みを浮かべていた。

 痩せ我慢ではなく、瞳に慈愛の色まで浮かべていることから、相手は途轍もなく丈夫な体で攻撃に耐えられたらしい。

 攻撃力は分からないが、頑丈さで言えば仙道レベルのオカマに、イリスに抱かれたままの湊は殺気を放った。

 

「まぁ、リリィってのは源氏名で、本名はドミニク・クレマンっていう、元フランス軍人のオッサンだよ。男女問わずアンタみたいな美形の子どもが好きだが、手を出したりはしない。恋愛は大人の男とって決めてるらしいからな。だから、そんなに警戒しなくても大丈夫だ。安心しろ」

 

 そう言われても、湊は瞳を蒼くしたままリリィを睨んでいるため、落ち着くまで挨拶は無理そうだとイリスはリリィに肩を竦めてみせた。

 すると、相手も酒場のオーナーだけあって、人との接し方は弁えているらしく、カウンターから鍵を一つ取ってきて、それをイリスに渡しながら微笑んだ。

 

「うふふっ、少し嫌われちゃったみたいね。挨拶は落ち着いてからで良いわ。部屋は空いてるから、好きに使って。言ってくれれば食事も部屋まで運ばせるから」

「ああ、悪いな。多分、食事は部屋で取ると思うから、そっちもよろしく頼む。ほら、小狼も部屋に行くぞ」

 

 イリスに連れられて移動する湊は、最後までリリィに対する警戒を解かずにいた。

 信用するしないの問題ではなく、脳が対象を理解出来なかったために怖れを感じたらしい。

 日本でも中年男性にしか見えないオカマに出会ったことはあったが、流石に、二メートル級のボディビルダー型は御目にかかったことがなかったので、湊が怖れを感じるのも無理はないとは思う。

 そうして、部屋に入って鍵を閉めた後も、湊は食事と入浴を終えてイリスに寝かしつけられるまで、ずっと警戒を解かずに魔眼のままでいたのだった。

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。