【完結】PERSONA3 Re;venger   作:清良 要

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第六十九話 ナギリの一族

夜――宿屋・真夏の夜の夢

 

 湊とイリスがこの国に滞在するようになって三週間ほどが過ぎた。

 数日は観光がてら、カニスの街の武器屋にギルドの支部や情報屋も回って、簡単な仕事を受けつつ欧州では低い仮面舞踏会の知名度を上げることに専念した。

 元々、世界から関心の強い日本での仕事の実績もあり、仕事の速さと信頼性を数日の仕事で見せつければ、コネがなければ実力が全ての裏の仕事において湊らが依頼に困る事はない。

 そうして、今日も新たに舞い込んできた依頼の紙を、イリスは風呂に入りながら眺めていた。

 

「百年前に失われた首飾りの回収ねぇ。寂れた洋館が取り壊される前にって、中々な愉快なトレジャーハントになりそうだ」

 

 書かれていた依頼の内容に、自分たちよりも専門としている人間がいるだろうにと、イリスは言葉とは裏腹に鼻で笑って、依頼書のコピーを開けっぱなしになっていた扉からバスルームの外に投げ捨てた。

 報酬はそれなりに良かったので、依頼に不満はない。

 何より、湊に人を殺させないで済むのなら、本来、こういった仕事をさせることに反対していた身としては、むしろありがたいと言えた。

 だが、今も人の胸を枕にして顔の半分を乳白色のお湯に浸からせている少年が、どこかつまらなそうにしていたことには、依頼を受けると言った身としては苦笑するしかなかった。

 

「ほら、機嫌直せって。たまには、こういう遺失物の回収依頼もこなした方が良いんだよ。報酬も良いし、何が不満なんだ?」

 

 お互いにバスタオルも巻いていない完全に裸の状態で、ブクブクと息を吐いて泡を作っている湊をイリスは後ろから抱きしめ顔を覗きこむ。

 この宿のバスタブはかなり大きく。大人が二人で入ってもまだ余裕があるサイズであった。

 ならば、普段、髪や身体は綺麗に洗うが、リンスやコンディショナーを付けて髪の手入れしようとしない湊と、そういった世話をしていたイリスが一緒に風呂に入ろうとするのは何もおかしくない。

 この宿に泊まった初日に一緒に入るぞと誘われ、湊も特に拒否しなかった。それ以来、二人は基本的に毎日一緒に入浴していた。

 

「……ギルド経由の依頼は好きじゃない」

 

 普段通りの無表情だが、長い付き合いの者が見ればすぐに分かる拗ねた態度で、湊はポツリと呟く。

 成長した湊の身体は既に逞しい男性のものである。けれど、湊の身長が一六七センチ程度なのに対し、イリスは一七一センチと女性にしては長身だ。

 故に、一緒にお湯に浸かるという前提の下、イリスが足を伸ばして入浴するには、背の高いイリスが湊を後ろから抱える方が、安定して入れるとイリス本人の意見で現在のようなスタイルとなっている。

 話すために浮上した湊は、現在、後ろから抱きしめられイリスの胸を後頭部で潰すような形になっているが、これはイリス本人が抱きしめているせいなので、お互いに全く気にせず会話は続く。

 

「確かに、仲介料(マージン)を取られるのは気に食わないが、それはロゼッタやジャンに頼んだときも一緒だろ? 依頼人から直接来ない限り、それはしょうがないさ」

「……そっちじゃない。俺がギルドを嫌っているのは、あいつら自体が争いを広げるテロリストだからだ」

「それは前にも聞いたよ。ま、気持ちは分かるが同族嫌悪にしかならないぞ。アタシらがいて救われるやつもいれば、反対に不幸になるやつもいる。むしろ、比率で言えば不幸になる奴の方が多いくらいだ」

 

 水面に広がって浮かんでいる湊の髪を優しく指で梳く。

 本当はタオルで包んで頭に巻いておくべきだが、そんな物をすれば湊が自分に体重を預けたとき、頭ではなくタオルが素肌に付くことになる。

 せっかく、湊が無自覚に甘えてくる貴重なスキンシップで、そんな無粋な真似はしたくなかったために、イリスは湊の髪に気を遣いながら話しを続けた。

 

「でも、やっぱり自分が人として狂ってることを自覚しながらでも、食い扶持を稼ぐ以外の理由も持ってアタシらはこの仕事を続けて行く。首飾りの持ち主は死んでるし、今回は誰も不幸にならない仕事だ。それでもアンタは、ギルドが嫌いだって理由で仕事を断るか?」

 

 湊が本当に嫌だというのなら、違約金もまだ発生しないため、イリスはこの仕事を断っても良いと思っている。

 最初から今回の旅は湊のためのものだ。色々とキツイ事もたまにあるが、イリスはそれ以上のものを湊と共に過ごすことで貰っている。

 だからこそ、訊き方は随分と汚いが、湊本人の意思に最後は任せようと答えを待った。

 すると、しばらく黙っていた湊が、さらにイリスに体重を預けるようにしながら、小さな声でポツリと言った。

 

「……卑怯な言い方だ」

「フフッ、大人は子どもほど真っ直ぐではいられないからねぇ。卑怯なことも色々と思い付くんだよ。ま、そんなことしなくても、小狼なら依頼を受けると思ったけどな」

 

 誰も傷付かず、ただ自分たちが苦労するだけで依頼人が喜んでくれる。

 それを自分の感情を抑えて選べる湊は、やはり心の優しい少年だと、イリスは嬉しそうに笑って頭を撫でてやった。

 その後、風呂からあがって、身体を拭いて髪を乾かすと、二人は仕事の準備と移動経路を調べてから、枕の並んだベッドでイリスが湊を抱きしめるように一緒に休んだのだった。

 

 

――???

 

 暗い闇ばかりが広がる湊の心の深部。

 そこで女はファルロスに名を尋ねられると、自身をとりあえず“茨木童子”と呼ぶように言った。

 相手の素性が分かれば、湊に危害を加える気がない事も納得出来たため、ファルロスは警戒を解き、未だ自分の中に残る疑念を解消するため二人に問いかける。

 

「君たちが湊君を守ろうとしているのは分かった。でも、全ての名切りがそうだとは言い切れないんじゃないかな? 現に、彼は満月で意識を乗っ取られていた」

「あれは防衛機構だ。子を守る親の意思と思ってくれていい。むざむざ死なせたくないからな、身体を借りて我々が戦った方が良いと思ったのだ。もっとも、八雲は素体として優秀過ぎて、凡人の我々では十全に身体を使いこなせなんだ。加えて、八雲はまだ僅かに意識を繋いでいた。我々と八雲、二つの意思の混在があの獣という訳だ」

 

 茨木童子は湊が優秀だと話すとき、瞳に慈愛の色を籠めて笑っていた。

 座敷童子も同じように誇らしげにしていることから、二人は自分たちの子孫を大切に想い、本当に愛しているのだろう。

 しかし、茨木童子の説明でファルロスも一応の納得は出来た。確かに、デスの力によって蘇生された湊があのまま戦っても、仙道に勝てたかどうかは怪しい。

 魔眼の力を使おうにも、線を切れるほど接近すれば、それは仙道にとって最も得意な距離なために、湊も自分が殺されるリスクを負わなければならない。

 本人は、リスクを負わずに勝つなどと甘い事を言うつもりはないだろうが。それでも、ペルソナや周囲に影響の出る高火力な兵器を使う気がなかった以上、湊に代わって名切りの亡霊たちが戦った方が結果的に良かったと言えた。

 

「……成程ね。それじゃあ、君たちは彼を守るという意思で統一されていると思っていいかな?」

「概ねな。だが、守るというのは手段の一つだ。私たちは八雲の願いを叶えることを目的としている。よって、八雲が死を望むなら、それを止めるつもりはない」

「そんなっ、死なせたくないんじゃなかったのか!」

 

 直前の発言を覆すような相手の言葉に、ファルロスは大切な友達を死なせたくないという想いから、声を荒げ相手を鋭い視線で睨み反発する。

 ファルロスとて湊の願いは叶えてやりたい。だが、それが死を望むものなら、ファルロスは絶対に叶えることはないし。死ぬというのなら、生物としての在り様すら捻じ曲げてでも生かそうとするだろう。

 死の先には何もない。魂のコミューンたる心の海、集合的無意識に還ることは出来るかもしれないが、それで救われるとは思えない。

 それ故、ファルロスは湊のためなら湊の死すらも許容するという、名切りの在り方を認めることは出来なかった。

 意見の違いから、ファルロスが険しい表情で二人を見つめる。二人が過去の名切りと分かって抑えられていた敵意が再び湧きあがり、周囲にプレッシャーを放っている。

 しかし、今度はそれを正面から受け止めた上で、暗い表情をした座敷童子が口を開いた。

 

「死よりも苦しいことは……たくさんある……八雲は優しいから、自分は殺せても……他人は殺せない。だから……心を壊して……自らの命を絶つの」

「彼は既に人を殺している。目的のためなら、心を殺して鬼にもなれる。だから、苦しさから逃げるために命を絶つなんて絶対にない」

 

 湊は自分よりも他者を優先する。そして、今の湊はチドリやアイギスのために動いているのだから、途中にどれだけ苦しい目に遭っても逃げ出したりはしない。

 自分の友達の心の強さを知っているファルロスは、そう言って相手の言葉を否定すると、冷めた瞳で二人を見た。

 そんなファルロスの反応が余程面白かったのか、嘲笑を浮かべた茨木童子がけらけらと愉快そうに話し出す。

 

「莫迦者め。八雲の抱える殺人衝動を忘れたか? そんな物を抱えていた名切りなど、過去に一人も居りはせん。あれは我らが植え付けた感情よ。あの時、敵を殺せなんだら助かりようがなかったからな。八雲の優しさは目的に邪魔だろうと、踏み越えた折により多くの力と共に与えたのだ」

「そん、な……もしかして、彼が普段から怒りに呑まれ易かったのも?」

 

 彼女らが湊に何をしたのか信じたくはない。

 先ほどまで茨木童子たちは湊を心から想っていた。

 だからこそ、ファルロスは相手に自分の言葉を否定して欲しかったのだが、返って来た言葉は無情だった。

 

「よく分かったな。お前との戦いの時点で、怒りと憎しみが育ち易くなるよう細工した。そして、より大きな感情として、いつでも人を殺せるようにと殺人衝動を与えたまでだ。もっとも、八雲はそれを自ら抑え込んでいるがな。流石は我らの子よ、凄まじい精神力だ」

「目覚めれば……記憶はそのままに……与えた感情だけ消える……八雲は苦しむ、けど……生きる事を選べば……完全なるモノになれる。アイギスとチドリ……二人のため……契約において……死ねない。だから、大丈夫」

 

 言いながら、茨木童子と座敷童子は楽しそうに笑っている。

 だが、二人の言葉を聞き、ファルロスはこれが自分たちの子孫を想う正常な愛ではないと悟った。

 湊が苦しむことを分かっていながら感情を植え付け、自分のしてきた罪の重さに押し潰されようが、契約に置いて死ねないから大丈夫だと安心している。

 完全なるモノが何なのかは分からない。それでも、目の前にいる者たちは、名切りという一族は、自分たちの望みをたった一人の少年に背負わせて叶えようとしているだけだ。

 ファルロスは再び相手を敵と認識しなおし、いつでもデスを呼べるように構えた。

 

「……狂っている。そんな君たちの勝手な願いを彼に押し付けるな!」

「ふふっ、あははははっ! 随分な言われようだ。だがな、私たちは初めからそのために生きてきた。完全なるモノを目指し、その悲願を持ってようやく自由を得られるとな。そして、八雲にもその血は流れている。見ろ、名切りの業の姿を」

 

 茨木童子の言葉で背後に強大な力の顕現を感知し、感じた重圧を警戒しながらファルロスはゆっくり振り返る。

 振り返ったその目に飛び込んできたのは、シャドウの王ですら、禍々しくもどこか神々しさを感じてしまう漆黒の蛇神の胴体。全体を見なくとも、ファルロスはこれが何かを知っていた。

 

「これは、あのときの……」

 

 力の管理者ら三人のペルソナの同時攻撃を受けて尚、顕現途中だというのに相殺してしまった、世界のアルカナを持つ蛇神。

 自分たちを囲むように、大木よりも太い蛇の身体が静かに蠢いている。銀の角の生えた頭部がどこにあるのか分からないが、この暗闇の中で相手がこちらを見つめていることだけは気配で分かった。

 それだけに、ファルロスは下手に動くことが出来ない。実験の中止で欠片たちが散らばり、アイギスらとの戦いで傷付いた、そんな力の大半を失った状態で勝てる相手ではないのだ。

 湊の魔眼のように根源から対象を消滅させることも出来る力を相手が持っている筈がないので、ここでファルロスが敗北しようと時間が経てば回復するだろう。

 しかし、その間、ファルロスは自己修復にエネルギーを消費するため、湊の蘇生にかけられる力はかなり低下する。

 日本にいたときよりも危険な場所にいる以上、怪我に遭う危険度を考えれば、湊のためにもここでやられる訳にはいかなかった。

 そうして、ファルロスは嫌な汗がじんわりと背中を濡らすのを感じていると、茨木童子が再び話しかけてきた。

 

「どうだ? これが八雲に眠る負の感情だ。名切りは先祖の力と共に負の感情も受け継ぐ。飼い慣らしてこその名切りだが、近年の名切りは女が多く戦いから離れていたからな。知らぬ間に膨れ上がり、こんなおぞましい姿になっていたようだ」

「こんな、こんな怪物を一人の人間が受けとめることなんて不可能だ……」

「……この子は強い……あなたよりも……八雲が、シャドウの王を……受け止められたのは必然……だって、八雲は既に力の使い方を知っているから」

 

 シャドウの王を上回る力を持った蛇神。

 その身は、数千年にも亘って受け継がれ続けた、名切りの怒りや悲しみ、憎しみといった負の感情で出来ていた。

 確かに、生まれた時からこんな怪物を心の深部に宿していたのなら、湊がファルロスの器になれたのは必然だと言えよう。

 だが、心の傷は他者の愛と時間の経過が癒してくれるとは言っても、いくら湊が深い愛情と優しさを持っていようと、これほどまでに肥大化した悪意の塊を一人で受けとめるのはおろか、飼い慣らすことも不可能だとファルロスは思った。

 そして、大切な友人にそれを押し付けた、傲慢な過去の名切りに怒りのまま声を荒げて叫ぶ。

 

「これじゃあ、呪いだッ! 数千年の間に、何千何百人という名切りらの深い悲しみと憎悪から生み出された、こんな破壊と殺戮の権化を子に受け継がせるなんて馬鹿げているっ」

「お前も蛇神に喰われるか? いまさらその程度の量が増えたところで変わるまい。いや、むしろ蛇神の憎悪が僅かに薄れるやもしれんな。お前は人の心の集合体なだけで、負の感情という訳ではないのだから」

 

 ファルロスの言葉を受けても、茨木童子は座ったまま余裕のある笑みを崩さない。

 相手は子孫に宿り数千年生きてきた怨霊、片やファルロスは生まれて十年にも満たない幼いシャドウの王だ。

 茨木童子の実力が不明である以上、蛇神の胴体に囲まれているという状況も合わせ、下手な動きを取る事は出来ない。

 蛇神はファルロスから見ても禍々しいと感じてしまうほどの負の感情の集合体だ。

 あれに喰われれば大海に墨を一滴垂らす様に、すぐにファルロスとしての自我は蛇神に呑まれ、憎悪を薄めるどころか力を与える羽目になってしまう。

 湊が名切りの力に目覚めれば、遅かれ早かれ蛇神を抑えねばならないはずなので、その負担を増やすような真似をファルロスが出来る筈がない。

 友のために戦おうにも、それだけの力を持たぬファルロスが己の無力を嘆き膝を折る。

 すると、茨木童子は愉快そうに笑って口を開いた。

 

「ふふっ、まあ八雲自身の力はこいつではないがな。八雲の性質は矛盾すら内包した陰陽の調和だ。故に、蛇神と調和を取る存在をその身に宿している。あれは強いぞ。なんせ、蛇神と同等の神格を有していたのだからな」

「彼自身の力? 彼はワイルドの能力者だ。そんな彼に個人の力なんて……もしかして、本来のオルフェウスだったのか?」

「阿呆め。あれは戦うアイギスを見て目覚めた、死に抗う力の顕現だ。命を持たぬ機械がデス()に抗うとは随分と皮肉が利いているが、名切りはそもそも死に抗う必要がない。八雲は完全なるモノだから余計にな」

 

 神話のオルフェウスは、死んだ妻エウリュディケを取り戻そうと冥界に向かい。河の渡し守カローンや番犬ケルベロスを始めとした関門を竪琴を奏でることで潜り抜けた男だ。

 もっとも、ハデスから「冥界から抜け出すまでの間、決して後ろを振り返ってはならない」という条件付きで妻を返して貰う事が出来たが、後少しで地上に出るというところでオルフェウスは振り返ってしまい。結局、妻を取り返すことは出来なかったというオチもついている。

 デスと戦っているアイギスを見たことで、湊は妻の死に抗おうとしたオルフェウスを覚醒した。

 見た目がどことなくアイギスに似ていたのも、湊にとって死に抗う存在のイメージが直前に見ていたアイギスだったためだろう。

 だが、それもあくまで“死に抗おうとする意思”という、湊の心の海から掬いあげられた欠片の一つに過ぎない。湊本来のペルソナは別に存在すると茨木童子はいう。

 しかし、それを知るよりも、ファルロスは名切りが死に抗う必要がないという意味を理解しかねたため、その疑問を先に解決しようと尋ねた。

 

「死に抗う必要がない? しかし、彼は僕がいなければ死んでいた。今だってデスのおかげで蘇生されているに過ぎない」

「八雲も……現象としての死は存在する……だけど、私たちのように血に宿り次に伝えられる……もっと言えば……そのまま、記憶を持って子に宿れる……転生が可能という事」

「そ、それじゃあ、本来の子どもはどうなるんだい? 血に宿るというなら、彼が死んで魂ごと転生する訳じゃないだろう?」

「我々が八雲の身体を一時的に奪ったように、八雲の人格が子の肉体を永久に奪うのだ。これだけの魂を持つ者はそういない。真っ白な赤子の人格なんぞ簡単に乗っ取れるだろう。生まれた時点で子を為したときまでの八雲の記憶と意思を持つわけだ。それはもう八雲本人と呼んでも構うまい」

 

 どこか自慢げに笑う座敷童子と不敵に笑う茨木童子。

 その二人とは対照的に、名切りの特異体質が生んだ、生命の理を捻じ曲げる悪魔の業にファルロスは言葉を失っていた。

 二人の話しでは湊を超える名切りはほぼ存在しないらしい。

 それも当たり前だ。湊は鬼と龍の混血児なのだから、母体が名切りの方がより強い子を作れるという条件も踏まえると、湊の実子は湊よりも弱い可能性が高くなる。

 さらに、名切りは勿論の事、九頭龍家も一般人よりも頭脳や身体能力で優れた遺伝子をしているため、同等以上の遺伝子を持った(つが)いとなる者を探すのも難しい。

 そういった条件を押さえて、湊よりも可能性を秘めた子どもを作る相手に相応しい者も一応はいるが、残念な事に相手は最凶の姉妹だ。

 そもそも、力の管理者が人間との間に子どもを作れるかどうかも怪しい。

 身体の構造は殆ど変わらないという話しで、湊も初めてベルベットルームを訪れた際に、エリザベスと入浴したことで見た目に違いがないことを確認している。

 故に、性行為自体は可能だと思われるが、仮に子どもを作ることが出来たとしても、長女と次女のどちらを選んでも明るい未来が想像できない。

 というよりも、三人ともあまりに現実感がないため、湊も含めた本人たちは誰もそういったIFの話しを考えたこともないだろう。

 ならば、湊の力を上回る子どもはほぼ生まれないため、血に宿った湊の人格に生まれてきた赤子は抗う事も出来ずに塗り潰されるに違いない。

 湊が存命中でもそうなるのか。元の湊が死んでから血が目覚めて、徐々に子どもの人格が浸食されてゆくのかは不明だが、どちらにせよ親子にとって幸せな結果にはならないことは明白だった。

 

「……湊君が自分の子どもを殺すようなことを望む筈がない。君たちの願いは叶わないよ」

「そのときは諦めるさ。だが、これで八雲が死に抗う必要がないことは理解出来ただろう」

「今の話しが真実ならね。でも、オルフェウスが彼の力の欠片でしかないなら、彼本来のペルソナはいまどこに?」

 

 名切りの怨念の集合体たる蛇神に匹敵するペルソナ。そんなモノが個人の人格から生まれるとは信じ難い話しである。

 現に心の深部いるファルロスは、蛇神以外にそれに近い力を持った存在を感知できていない。

 蛇神は湊の心の根源にいるはずなので、ここにいなければ湊本来のペルソナは既に湊が使役出来る状態にあることになるだろう。

 しかし、そんなペルソナをファルロスは知らない。現在最強を誇っているタナトスですら蛇神には遠く及ばないのだ。同類の知覚に長けたファルロスなら、そんなモノが存在すればすぐに気付けている。

 そうして、考えても分からなかったファルロスが尋ねると、その問いには座敷童子が答えてくれた。

 

「……今はいない……後悔が枷となって……八雲は力を分けて封じてしまった。今の蛇神は……八雲のネガティブマインド……そして、本来のペルソナは……ポジティブマインドだから……大きな後悔は……それを引き裂くことになってしまった、の」

「じゃあ、彼が今使役しているペルソナは、本来は蛇神と同等の力を持った一体のペルソナだったのかい?」

「いいや、タナトスとアベルだけだ。殺すための力と奪うための力。ポジティブマインドにしては些か物騒だろう? だが、それも合わせてみると興味深い」

 

 四神やカグヤなど、全てのペルソナたちが本来は一体のペルソナだったのかと質問したファルロスに、茨木童子は否定してから新たな問いを出してきた。

 タナトスもアベルも湊の切り札と言っていい『最強/最凶』のペルソナだ。

 その能力の特性からアベルを呼び出すことは殆どないが、固有スキルである『楔の剣』は力の管理者からでもペルソナを奪える恐ろしい効果を持っている。

 敵がワイルド能力所持者なら通常のペルソナ使い相手ほど効果を発揮できないが、それでも奪われる事を警戒した相手には、牽制として能力を制限させることが出来るため、物理戦闘でほぼ負けることのない湊にすれば、十分過ぎる効果を齎していた。

 そんな対ペルソナ戦に置いて必殺のアベルに対し、タナトスは純粋な暴力として必殺の力を有している。

 座敷童子と茨木童子の言っていることが本当で、二体が心の“正の面”であるポジティブマインドから生じた存在だとすれば、確かに負の面寄りの力にしか思えなかった。

 だが、蛇神と調和する存在と言うことは、同じだけの力を持った性質の真反対の存在のはず。顎に手を当て考えるこむファルロスは、茨木童子の言葉をヒントに答えを導き出そうとした。

 

「殺しと奪う……命を奪う。いや、それでは殺す力と同じだ。なら、死を奪うってことなのか?」

「ははっ、頭の回転は悪くないようだな。正解だ。死なない八雲は奪うための死を持たない。ならば、その死とは他人の物だ。他人の死を奪う。つまり、守るための力という訳だな」

「反対に……蛇神は滅ぼすための力……でも、その力は目覚めてない。だから……ポジティブマインド側のペルソナで……蛇神が目覚めるまでの間……そっちの力を代用しようとしたのも、分離した原因」

 

 本来の力を失ったポジティブマインド側のペルソナで、ネガティブマインド側のペルソナの性質を代用する。

 相反する対極な性質同士でそんなことが可能だとは思えないが、実際に湊はタナトスとアベルという、ポジティブマインドでありながら敵を屠るための負の力を持ったペルソナを操っていた。

 襲ってくる敵を殺せば味方は無事でいられるのだから、曲解すればそれも守る力と言えなくもない。

 詭弁どころか屁理屈ですらない暴論だが、湊の性質は矛盾すら内包した陰陽の調和だと、先ほど茨木童子も言っていた。

 陰陽とは太極から生じた両儀のこと。自然で言えば天と地、火と水。生き物で言えば雄と雌。概念で言えば善と悪。

 そんな風に対となる性質を持ったモノらをさす言葉だが、矛盾を孕み本来一人では持ちえない性質までも、湊は自分一人で確かに持っている。

 肉体や脳は両性別の細胞が混ざり合った準中性。感情においては炎のような激情だけでなく、心を持たぬ機械のような冷たさを感じさせるときもある。

 道教のシンボルとなっている太陰大極図では、陰陽のそれぞれに互いの性質も混じっていて、どちらか片方の性質だけに染まることはないと示しており。

 そういった性質を有していると思って湊の行動や内面を見れば、他の人間よりもよっぽど振れ幅は大きいが、その陰陽を驚くほどバランスよく内在させていることがはっきり窺えた。

 故に、茨木童子の言った事も、全てを信じることはできないが、まったくの嘘ばかりという訳ではないのだろう。

 相手の目的が湊の意思を無視したものであるため、信じることは出来ないと思っているが、それでも湊のために利用する事も出来るだろうとファルロスは顔を上げて口を開く。

 

「……湊君が名切りに目覚めたら、蛇神も一緒に目覚めるのかい?」

「そう単純にはいくまい。コレも心の力だ。他の者と異なる召喚手順を経ているにしても、呼び出すためには相応の感情を寄り代にする必要があるだろう」

「つまり、彼の心が負の感情に染まりでもしなければ、彼の意思を無視した暴走召喚は起きないんだね?」

「まぁ、端的に言えばな。だが、満月には八雲に宿るシャドウの力もざわつき出す。まだ名切りの力に目覚めていないからと言って安心は出来ない。このようになっ」

 

 言い終わるかどうかというタイミングで、女は急に立ち上がると一つしかない腕で座敷童子を抱えて飛び上がった。

 釣られてファルロスも上空に移動すると、先ほどまで自分たちがいた場所を、荒ぶった蛇神の胴体が押し潰している。

 ずっと静かに蠢いていただけの蛇神が、どうして急に暴れ始めたのか。

 何やら理由を知っていそうな茨木童子に、ファルロスは尋ねずにはいられなかった。

 

「どうして蛇神は急に暴れ始めたんだい?」

「こいつは八雲のネガティブマインドだと言っただろう。八雲の感情に反応したのだ。ただ、今回は普段よりも激しいな。表では丁度満月になる頃か。フフッ、どうやら力の目覚めは進んでいるらしい」

 

 闇の中で銀色の瞳を光らせ眼下で暴れ続けている蛇神を、どこか楽しそうに見つめる茨木童子に、ファルロスは不安を感じずにはいられなかった。

 過去には名切りの亡霊に意識を乗っ取られ、この蛇神を頭部だけとはいえ顕現させている。

 今回はまだ一部も顕現させていないので、あのときほど危険な状態ではないのかもしれない。

 しかし、湊のことが心配になったファルロスは、二人の名切りに鋭い視線を一度送ると、緊急時にすぐさま蘇生させられるよう、表層に近い意識領域まで戻ることにしたのだった。

 

 

 


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