【完結】PERSONA3 Re;venger   作:清良 要

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第七十一話 シャドウの力

6月14日(水)

午後――古美術“眞宵堂”

 

 湊とチドリのバイト先である骨董品屋、『古美術“眞宵堂”』。

 そこの女主人、栗原シャルマは表に準備中の札を出して、店の奥で掛かってきた電話の相手をしていた。

 

《ペルソナを呼び出さずに、適性による防御を展開するなんてあり得るのか?》

 

 栗原と話している電話の相手は、湊と共にカニスの街に滞在中のイリスだ。

 彼女はつい先日、あの満月に起こった湊の変化について専門家の意見を聞きたくなり、湊を買い出しに行かせてから宿の電話を使って秘密裏にかけてきていた。

 本人に何が起こったのかを尋ねても、湊は何でもないと言うばかりで話そうとしない。

 しかし、今まで銃弾を喰らって何度も死んでは蘇生を繰り返していたので、急にペルソナを呼び出した状態と同じように弾丸を防げるようになった以上、それはあの日に初めて出来るようになったことは間違いない。

 けれど、話しを聞いた栗原は、影時間外でペルソナを呼び出しても、チェーンソーのチェーンを千切れさせるほどの防御を展開出来るとは思えなかった。

 そのため、判断材料が不足していることもあり、もう少し相手に説明を求めることにした。

 

「話しが分からないから、少し質問させてもらうよ。まず、湊は本当にペルソナを呼び出していなかったのかい? あいつは腕や尻尾みたいにペルソナの部分展開が出来る。その状態でも適性による能力は僅かに付加されるから、湊の適性の高さを考えれば銃弾も防げるかもしれないんだが」

《いや、全く展開してなかった。というより、アイツが仕事でペルソナを呼び出すこと自体があり得ない。不利な状況に追い込まれて自分が殺されても、チドリの前じゃ相手を殺さないヤツだぞ? そんなヤツがアタシのためにルールを捻じ曲げるはずがないって》

 

 電話の向こうから苦笑したような調子の声が聞こえ、栗原もそれもそうかと納得してしまう。

 湊が索敵などの補助を除いてペルソナを使用しないのは、自分がどんなに不利な状況にあってもアイギスやチドリを助けられるよう鍛えるためだ。

 ワイルドの力によって複数のペルソナを使える湊は、戦闘に置いてほぼ万能と言っていい。

 けれど、その力にばかり頼って、いざというときに力が使えなければ全てを失うことになる。

 戦闘力としてのペルソナを封じた状態で仕事をこなし、もしものときには自分だけでも守れるようにしているのだ。

 その湊が仕事でペルソナを使うとすれば、アイギスとチドリ、または彼女らの大切な人の身に危険が迫っているときだけ。それ以外で使うなど、湊にとっては自分の力では二人を守りきれないと認めるに等しい行為だろう。

 故に、本人が彼女らの命を諦めるとは思えないので、相手がペルソナ使いや適性持ちでもない限り、湊がペルソナで戦う事は絶対にない。

 それを理解している電話の二人は、湊がペルソナを使ったという可能性を完全に除外して話しを続けた。

 

「ナギリの力の可能性はないかい? 鬼っていうくらいだし」

《名切りの鬼はそういう意味じゃない。そも、手足が千切れても、ハラワタが飛び出しても戦い続けたって話しだ。ってことは、怪我は普通に負うんだろ》

 

 言われてみれば、そんな話しもあったなと栗原は黙ってしばし考え込む。

 彼女がエルゴ研在籍中に研究していたのはシャドウがメインで、ペルソナについては存在する可能性に行きつき、対シャドウ兵装らにペルソナが目覚めるのを確認する前に研究所を去ってしまった。

 だが、そんな中途半端な状態で研究を放り出したものの、湊とチドリを匿う前に飛騨から研究データを受け取り、被害者らへの贖罪のために個人レベルという制限付きで研究を再開した。

 現在確認されている最高のペルソナ使いである湊と、三枚の黄昏の羽根が結合した“ペタル・デュ・クール”を内蔵することで後天的にペルソナが安定したチドリ。その二人に手伝って貰いはしたが、個人レベルの研究で未だ桐条が手にしていない技術を確立出来たのは、ひとえに彼女が優秀だったためだろう。

 もっとも、新たな技術を得たところで影時間関係については解明できていることの方が少ない。

 2009年に事態が動くと聞かされても、栗原がこの数年の間に出した研究成果は、無の武器とペルソナの融合くらいで、色々とイレギュラーなペルソナ使いの生体など専門外であった。

 

「うーん……ペルソナ使いの身体自体が変化するなんて聞いた事もないしねぇ。一応、鵜飼さんの知り合いの医者に検査してもらって、二人の身体に変化がないかは診ていたんだ。そんときは湊は色々と変な結果も出たが、別に肉体を構成する成分に変化はなかったよ」

《じゃあ、ペルソナや影時間に適合し過ぎて、普段から召喚状態と同じようになってる訳じゃないのか?》

「湊の身体には触れてみたかい? 普通に指が肌に沈んだりしたなら、召喚状態にはなってないよ。影時間外に召喚状態になれば、適性を持ってない人間が触れば少し抵抗を感じるはずだから」

 

 影時間外にペルソナを召喚すれば、影時間には及ばぬものの適性による付与効果は得られる。

 その状態で適性も持たない者が召喚者に触れると、何かの膜が張られているような抵抗を覚え、例え相手が赤ん坊であっても若干の固さを感じるのだ。

 イリスが湊によくスキンシップを取っていることを聞いていた栗原は、相手が湊に触れていない訳がないと思い。そのときの感触について尋ねると、イリスは思い出しているのか少し間を置いて答えた。

 

《んー、別に普通だったな。筋肉の固さはあるけど、顔とかは張りと弾力のあるモチ肌だ。素直に羨ましいってか妬ましいことに》

「……まぁ、女でもあるらしいからね。そこはしょうがないとしようじゃないか。けど、柔らかかったなら、常時召喚状態の線は消えた。湊は本当にペルソナを使っていないってことだ」

 

 肉体が変化して常時召喚状態なら、月の満ち欠けで強弱は付くだろうが、そもそもオンオフが効く筈もないので、イリスがモチ肌の柔らかさを堪能したのであれば可能性はないと断言出来た。

 もしもの可能性も考慮していたが、イリスの言葉で可能性が潰えたことに栗原も内心で安堵する。

 精神に異常を抱えている湊を癒せるのは人の温もりだけだ。普通なら時間もそれに一役買うところだが、時間の経過は湊の怒りと憎しみをより濃くさせるだけなので、ここでは何の役にも立たない。

 そのため、肉体的な接触という最も温もりを感じ易いことが出来るのなら、まだ湊を自分たちと同じ人間側に繋ぎ止めておけるだろうと安心していたのだった。

 だが、そんな風に考えていた栗原の耳に気になる言葉が入ってくる。

 

《専門家じゃないアタシには、もう訳が分からないな。だって服にも穴が開いてないんだぞ?》

「……服にも穴が開いてない?」

《ああ。瞳の色も一時的に鈍い金色に変わってたし、ペルソナ以外に考えられなかったんだが、違うとなるとやっぱり名切り関係なのかねぇ》

 

 お手上げだとばかりに気の抜けたイリスの声が聞こえてくるが、それとは対照的に受話器を握る栗原の手には力が籠もっていた。

 服にも穴が開いていない。確かにそれは、ペルソナを呼び出したときのように、身体全体が適性の付与効果で守られている状態に間違いない。

 そして、その後に続いた瞳の色が“鈍い金色”に変わっていたというのが真実なら、栗原にはたった一つだけ思い当たる節があった。

 だが、その予想が外れて欲しいと願う栗原は、静かに再度確認を取る。

 

「……イリスさん、あんたは確かに湊の瞳が別の金色になってるのを見たんだね?」

《ん? ああ、普段がキラキラした光沢のある輝く金色なら、あのときは濁ったっていうかくすんだ暗い金色だったな。けど、何か心当たりがあるのか?》

 

 相手も栗原の声の様子で深刻な話だと感づいたらしい。

 出来る事なら見間違いであって欲しかったが、イリスがそんな状況の湊の様子に関して見間違うはずもないので、栗原は深く息を吐いて答えた。

 

「はぁ……あいつに何が起きたのか、だったね。他に報告事例がないからこれはあくまで私の推測に過ぎない。けど、ほぼ正解だと思って貰っていい」

《ああ、話してくれ》

 

 先に相手にも聞く準備をして貰うために栗原は間を置く。

 これは誰が悪いわけでもなく、湊の適性があまりに高過ぎたことで起きてしまった事故だ。

 

「あいつはね。桐条が研究で使っていた調整個体のシャドウと同じように自分の周囲に影時間を展開したんだ。けど、シャドウが影時間を展開出来るのは、ヤツらが影時間の住人だからさ。ペルソナも同じで、向こうの存在だからそれが出来るに過ぎない」

 

 湊があの満月の夜にしたこと、それは調整個体のシャドウと同じ、自分の周囲に影時間を展開するというものだった。

 影時間のペルソナ使いたちは、その適性値によって付与効果の質に違いはあるものの、身体能力を含めたパラメータが飛躍的に上昇する。

 さらに、シャドウに一般人の攻撃が通じないように、影時間の適性を持たない者の攻撃は通じなくなるため、そんな力を得ることが出来れば、湊の仕事内容を考えれば非常に使える能力で良いこと尽くめである。

 けれど、根本的な問題として、日常の存在である人間に影時間を展開出来るはずがない、というのが研究者の見解であった。

 

「ペルソナやシャドウが影時間に似た性質の空間を展開できるのは、こっちの世界で形を保ち存在するためだ。なら逆に、人があっちの世界で自分たち側の性質の空間を展開すればどうなる?」

《自分たちの姿形を保てるようになるから……それが象徴化しないってことか?》

 

 そう。人間は日常の存在なので展開出来るのは日常の性質を持った空間だけ。

 それが影時間に象徴化しないという事であり、ペルソナ使いらが付与効果を得られるのは、ペルソナを通じてあちらの世界の性質を僅かに取り込んでいるからだ。

 シャドウを調整し、影時間に似た性質の空間を自分の周囲に展開出来るようにする、というのは人間で言えば人工的に適性を得るのと同じだと考えれば良い。

 適性持ちもペルソナ使いも自分の意思で象徴化していない訳ではないので、調整個体のシャドウが影時間を展開するのも同じようにコントロールしている訳ではない。

 だが、両者に共通する『自分たちの世界を展開する』という性質は変わっていなかった。

 イリスと会話しながら、自分の中でも考えを纏めていた栗原は、改めて整理した情報を相手に理解出来るよう言葉を選んで話す。

 

「ああ、そうさ。人間は日常の存在だからね。影時間で象徴化しないってのがそれに当たるんだ。だけど、湊は人間でありながら影時間を展開した。これが湊に宿ってるデスの力なら構わないが、湊本人の力だと事態は深刻だよ」

《アイツの性質が向こう寄りになってるってことか?》

「ま、結論から言えばね」

 

 影時間を展開していたとき、湊の瞳は鈍い金色になっていたというではないか。

 湊の瞳は力の管理者と違いシャドウの力の表れだ。

 シャドウらの母たる存在、ニュクスの身体である月の表面が薄く剥がれ地球に落着した物。それが黄昏の羽根であり、湊は結合した黄昏の羽根“エールクロイツ”を心臓を包む様に内蔵することで現在の瞳の色に変化した。

 そのシャドウに近付いたことを表す瞳が、さらに次の段階に進んだというのなら、湊は間違いなくシャドウたち影時間の存在寄りになっている。

 イリスの話しでは元に戻ったらしいので、とりあえずは安心だが、今後さらに進行する可能性を考慮すれば、何も対策を考えない訳にはいかない。

 手元のメモ用紙にペンを走らせながら、栗原はイリスに何点か注意事項を告げた。

 

「イリスさん、湊が戻ってきたら今から言うことを確認しておいとくれ」

《……よし、いいぞ。言ってくれ》

 

 向こうもメモの用意を済ませたのか、イリスはハッキリと答えた。

 相手に準備が出来たのなら、栗原もなるべく確認は早い方が良いと思っているので、簡潔に伝えてゆく。

 

「まず、本当にそれが影時間の展開だったのかを聞いて欲しい。黙秘するなら少し可哀想だが、桜さんやチドリにも話すと言えば答えるだろう」

《……嫌な役だな。まぁ、アイツのためだししょうがないか。それで、次は?》

「影時間の展開をコントロール出来るかどうか。はっきり言えば、私としてはこっちの方が重要だと思ってる。なんせ、私らも調整されたシャドウも展開をコントロール出来ないからね。出来るのなら、湊は自分で人間とシャドウの間を行き来してることになるんだよ」

 

 湊はタナトスでペルソナとシャドウの間の行き来を成功させている。

 無論、本来ならそれも出来ないことなのだが、そんな事が可能な湊ならば、さらに踏み込んで自身の性質変化も可能な気がしていた。

 そして、影時間の展開をコントロール出来る。つまり、自分の性質変化が可能という話しになれば、栗原はすぐに湊を日本に戻し、精密な検査を受けさせた上で幽閉すべきだと思った。

 

「もし、湊がコントロール出来ると答えたら、こっちに検査に戻るように伝えて欲しい。湊は既に桐条の測定限界ギリギリの数値に達しているんだ。私もそれと同等の測定器を所持してるが、測定限界ってのは人間が超えちゃいけないラインでもある。仮にそれを超えたら、そいつがどうなるか分からないんだよ」

《け、けど、小狼はデスってヤツを内包してるんだろ? その分が上乗せされて実数値は平均だって可能性も……》

「関係ないね。ただでさえ高い数値なのに、あいつは半年で跳ね上がったこともある。ホテルの駐車場を崩落させたペルソナの件も有耶無耶になっているし。能力が暴走する危険性を考えれば、副作用は強くても制御剤を投与して施設に隔離しといた方が安全だ」

 

 勿論、栗原とて本心からそんな事をしたい訳じゃない。

 飛騨の遺した研究データが真実ならば、制御剤を投与することで湊はさらに寿命を縮めることになる。

 最初期の時点で二十歳前後と言われていたので、今存在する制御剤を使えば二、三年は短くなると見ていい。

 事態が動くのは2009年、副作用でさらに寿命の減った湊が活動できる状態かは、実に微妙なところだろう。

 しかし、核兵器に匹敵する危険を孕んだ存在が、完全にシャドウ側になってしまうくらいなら、世界のためにも湊の人としての機能を全て奪った方がマシだと栗原は判断したのだった。

 

「イリスさんや桜さんには悪いけど、私は湊個人の幸せよりも世界を取る。あいつもチドリのために世界を存続させようと戦ってるんだ。説明すれば、そこら辺は受け入れてくれるだろう」

《……アイツの幸せを奪う話しだって聞いて、アタシがそれを素直に伝えると思ってんのか?》

「思ってるよ。湊の今後を左右する重要な話だからね」

《クソッたれっ。元々、アンタらが蒔いた種だろうが! 目の前で両親が死んだばっかの子どもに戦いを強要して、アイツに全部押し付けておいて、まだ背負わせようってのかッ!?》

 

 淡々と残酷なことを口にした栗原に対し、イリスが声を荒げて激昂するのはもっともだ。

 現在、世界が表面的にでも平和を存続していられるのは、あの七年前のポートアイランド・インパクトで、岳羽詠一朗・七式アイギス・百鬼八雲の三名が必死に立ち回ったからである。

 自分の身を呈して実験中断を実行し世界に猶予を作った岳羽、大破寸前の状態でデスを封印してみせたアイギス、そのアイギスの戦闘をサポートしてデスを封じる器となった八雲。

 この内、誰かが一人でも欠けていれば世界は滅亡していたに違いない。

 桐条鴻悦の実験の果てに起こる事態を理解した者ならば、地面に頭を擦りつけて感謝しても良いくらいだ。

 だというのに、今もまだシャドウ討伐によって無気力症の拡大を防いでいる湊を、栗原は危険だから鎖に繋いで檻にいれると言ったのである。

 イリスとて、湊の力が暴走した場合の危険性を理解していない訳ではないが、流石に影時間を作る原因の一端を担った者が、被害者であり恩人でもある相手に対して、そんな事を口にするのは許せなかった。

 声に怒気を孕んだまま、イリスは責める口調でさらに続ける。

 

《アイツの持ってる力が危険だってのはアタシも分かってるさ。けどな、子ども一人に押し付けてまで、自分が助かろうとは思わない。そうしなけりゃ滅ぶってんなら、そんな世界は滅べばいいんだ》

「……ま、それはね。あの年の世界人口は約六十億人。けど、湊が救ったのは人間だけじゃなく、地球上に存在する全ての生命体だ。歴史上の英雄と比較しても規模が違い過ぎる。まさに救世主様だ。私もそんな相手を幽閉したくはない」

 

 ニュクスの到来は地球上の全生命体の死を意味する。それを防いだとなれば、まさに世界を救ったと言える存在だ。

 かつての想い人が可愛がっていただけでなく、死んだ同僚からもよろしく頼むと託された子どもを、栗原だってデスの器としてだけ生かし続けるようなことはしたくない。

 そう考えていることが相手にも伝わったのか、冷静さを取り戻したイリスが尋ねかけてきた。

 

《なら、もっとマシな方法はないのか?》

「あるよ。ようは、桐条の弾き出した“100000sp”っていう測定限界が大して重要じゃないって分かればいいんだ。上限はもっと上で、十万どころか百万だって達し得るってんなら、安心してもっと強くなれって言える」

《そんなのどうやって調べるんだよ?》

「そりゃ、専門家に聞くんだよ。イリスさんも会っただろ。あの青い服を着た三人組に」

 

 栗原の言葉が想像の斜め上をいっていたのか、電話の向こうで息をのむ音が聞こえた。

 それには相手を試す意味も込めて勿体ぶっていた栗原も、少しばかり楽しくなって笑みを漏らす。

 そう、栗原は最初から湊を幽閉するのは最終手段だと考えていたのだ。その前に試すことや調べることがいくつもある。

 中でも、桐条の研究者たちが設定した測定限界の数値が、本当に人として超えてはならないラインなのかという情報は、湊の成長速度を踏まえれば直ぐに知っておかなければならなかった。

 故に、栗原は自分たちでは分からないのなら、それを知っている者に教えて貰おうと、極めて簡単な解決法を提示したのだった。

 

「湊ならあの三人といつでもコンタクトが取れる筈だ。だから、湊にさっきメモした内容を尋ねたら、そのままあの三人と連絡を取って、適性の上限について訊く様に言って欲しい」

《分かった。んじゃ、そろそろ帰ってくる頃だから、また答えが分かったら連絡するよ》

「ああ、それじゃあね」

 

 電話が切れると栗原は張っていた力が抜けたように、深く息を吐きながら椅子の背もたれに体重を預けた。

 栗原の読みでは、上限は十万よりも遥かに上だと思っている。けれど、それが人が超えて良いラインかどうかは判断しかねていた。

 湊は結合した黄昏の羽根を内蔵しているので、通常よりも上限はあがっているだろう。チドリもほとんど実戦を経験せずに、そこそこ強くなってきているため、成長速度にもブーストが掛かっているはずだ。

 ならば、湊が桐条の算出した測定上限を超えるのはしょうがない。

 仮に危険だと判断されれば、それはそのときに考えれば良いので、無駄に心配する必要はないと、栗原は湊たちからの連絡を待つことにしたのだった。

 

 

――ベルベットルーム

 

 湊が初めて訪れた日より今なお上昇を続ける青い部屋、ベルベットルーム。

 買い物を終えて宿に戻った湊は、イリスからあの満月の日に起きた事の詳細を尋ねられ、チドリと桜へ伝えない事を条件に質問に答えた。

 栗原が考え、イリスによって伝えられた質問の内容は大きく分けて二つ。

 一つ目は、あれは本当に自分の周囲に影時間と同質の空間を展開したのか。

 その質問に対する湊の答えは、イエス。

 力の元となった要因が黄昏の羽根だったため、栗原の予想とは異なっていたが、湊は胸に内蔵したエールクロイツに自分の力を注ぐことで、同調性を高めてシャドウの力を得ていた。

 黄昏の羽根はシャドウの母たる存在、ニュクスの身体の一部。ならば、パスが繋がっている状態であれば、湊でなくとも部分的に力を得ることは可能であった。

 そして、二つ目の質問、影時間の展開を自分の意思でコントロールする事が出来るか。

 そちらの質問に対する湊の答えは、またしてもイエスだった。

 影時間の展開は、一度エールクロイツに自分の精神エネルギーを注ぎ、エールクロイツの機能を呼び起こす必要がある。

 さらに、そこからエールクロイツを基点として、どこまでの範囲に影時間を展開するかを設定し。展開と維持にペルソナ召喚よりも遥かに大量のエネルギーを消費し続けなければならない。

 湊は探知型の能力を持ったカグヤを所持していたため、能力の応用で細かい範囲設定が可能でエネルギー消費を最小限に抑えられたが、それがなければ展開範囲を指定出来ず、街一つを呑みこむような巨大な影時間のドームを生成していたかもしれないと話した。

 そんな規模の影時間を発生させていれば、いくら莫大な量のエネルギーを所持している湊でも十五分も維持出来ずに力が枯渇する。

 疲弊した状態でも、湊ならば殺し屋の兄弟を片付けることは出来ただろうが、腕と足を負傷していたイリスが戦闘後に倒れた湊を介抱出来る訳もなかったので、今回全てが丸く収まったのは実に幸運だったと言えるだろう。

 そうして、湊の身に起こった変化について、とりあえずの説明は終えると、その後、イリスからベルベットルームの住人らに、適性値の上限や危険度について聞いてこいと湊は追い出されてしまった。

 ちゃんと詳しく聞いてくるまで帰ってくるな。という、何とも子どものお遣いのような話しだが、湊本人も適性値については少し気になっていたので、良い機会だとベルベットルームを訪れイゴールの向かいの席に腰を下ろした。

 血走りギョロリとした瞳で見つめてくる部屋の主と視線を合わせ、従者ら三人の視線が集まっていることも感じつつ湊は口を開く。

 

「……適性の上限について教えて欲しい。桐条の算出した“100000sp”というのは、人間の所持できる限界量なのか?」

「フッフッフ、そのような事実はございませんな。十万だろうと、百万だろうと、それはご自身の心の泉より湧き出た心の雫にございます。その方々がどのようなお考えで“限界”などと称したのかは分かりかねますが、“ワイルド”は無限の可能性を示すもの。お客人には到底当てはまりますまい」

 

 自分の心の成長によって伸びる力に限界はない。ワイルドに目覚めているのなら、尚の事だとイゴールは告げた。

 それを聞いた湊は少し安心したように短く息を吐き。強張って鋭くなっていた目付きも、普段の無気力なやる気の感じられない物に戻った。

 イゴールは客のそんな様子が面白いのか、独特な笑い声を上げながら話しを続けてくる。

 

「ホホッ、確かにお客様には先ほど言った上限は当てはまりません。が、他の方の上限としては、中々に良い読みをお持ちかと」

「……ワイルドだから上限が違うのか?」

「いえ。適性値というのは、心の成長、心の変化、そして“命”または“死”を理解することで伸びるものなのです」

 

 上限など誰にも存在しないという、直前の言葉を撤回するような発言に、湊が眉を顰めて尋ね返すとイゴールは適性値についての説明を始めた。

 すると、話しが長くなると思ったのか、テオドアが湊の前に紅茶のカップを置いてきたので、湊は短く礼を言いつつ、イゴールの話しを静聴する。

 

「成長は経験を積めばどなたでもします。変化は何か切っ掛けがあれば起こるでしょう。ですが、命と死を理解するのはどうにも難しい。人の生き死にと関わる者でも、自分自身のそれらを理解するのは至難の業です」

「十万の壁を超えるには、自分の命か死を理解しないといけないのか?」

「完全に理解する必要はございません。しかし、触れなければ超えられないのもまた事実。“愚者”から“刑死者”は生者のアルカナにございますからな。容易ではありますまい」

 

 生きている人間が死を理解することは出来ない。何故なら、誰も死を経験した事がないから。

 そして、近付くことは出来ても超えることは出来ない。超えてしまえば、それはもう人間ではないだろう。

 故に、ワイルド能力者を除くペルソナ使いとシャドウらは、死を表す“死神”の直前、生者を表す“愚者”から“刑死者”までのアルカナにしか目覚めないのだ。

 もっとも、湊は既にワイルドに目覚めた上に、死を理解も経験もしている。

 そんな状態なら、イゴールのいう条件はとっくにクリアーしていることになるため、存分に適性を高めてゆく事が出来るだろう。

 知りたかった適性値に関する事実が分かれば、もうここで訊くことはない。用事を終えた湊が帰るために席を立とうとしたとき、今まで黙っていたエリザベスが口を開いてきた。

 

「八雲様が望むのであれば、適性値を計測するアプリケーションをEデヴァイスに追加いたしましょうか?」

「……あるのか?」

「はい。対象をアナライズする際に起動していただければ、対象のアナライズ情報と共に適性値が表示されます。ただし、表示されるのはアナライズ時点での適性値ですので、それまでに消費していてもMAXならば幾らかという数値しか出ませんのでご注意を」

 

 言いながらエリザベスは湊の隣に移動し、湊が左腕に付けている黒いリストバンドをEデヴァイス状態にして操作を始めた。

 彼女も自分のペルソナ全書からCOMPを取り出し、二つをケーブルで繋いで少しすると、画面には『アプリケーションの追加が完了しました!』とジャックフロストのイラストと共に表示される。

 たったこれだけで、今までのようにアナライズすれば相手の適性値やらが分かるのは非常に便利だ。

 もっとも、表示されるのはアナライズ時点での適性値なので、本来5000spの人間ならば、残量が4000spでも5000spとしか表示されないようだが、湊にとっては最大値が誰と比べ劣っているかという方が重要なので、細かい点はさして気にならなかった。

 そうして、新しい機能を追加して貰った湊は、COMPとケーブルを片付けているエリザベスに礼を言って立ち上がる。

 

「ありがとう。試しに使ってみても良いか?」

「私共に対して、という意味でしたら表示されませんが?」

 

 どう表示されるか見てみたかった湊が尋ねると、エリザベスはペルソナ全書を抱え直して涼しい顔で告げた。

 しかし、自分たちの情報だけ表示されないように設定するなど悪質だ。そんな責めるような視線を向けて、湊はさらに言葉を返す。

 

「情報秘匿か?」

「蟻に象の全貌は分からない、という事でございます。八雲様がお強くなられれば、いずれは表示されるでしょう」

 

 表示されないよう設定している訳ではなく、強さに差があるから計測出来ない。エリザベスはそう言って妖艶な笑みを浮かべる。

 確かに、探査とアナライズは本人の知覚や知識、情報処理能力に大きく依存するため、その本人が相手の強さを測り知れないと思っていれば、機械に情報を送信しても不明だと表示されるだろう。

 湊が強いといっても、それは人間の中での話であり、力の管理者が相手ではまだ訓練で勝てた事は一度もない。

 蛇神を使えば勝てるような事を言われたこともあるが、湊はその蛇神が自分のどこにいるのかも分かっていなかった。

 デスとの戦い後にベルベットルームへ来たときには、湊は自分の中にタナトスが目覚めていることは感じられていた。

 よって、召喚したことがなくとも、目覚めてさえいれば感知出来る筈なので、それが出来ないということは、何かの力が働いて呼び出せないのだろう。

 そんな物を頼りにして、自分は本当は勝てるだけの力を持っているのだと負け惜しみを言うつもりはないため、まだ勝てないのなら最低でも背中が見えるところまで強くなろうと湊は思った。

 

「……戦いが終わるまでには、“そこ”に行くから」

「ええ、そのときをお待ちしております」

 

 恭しく頭を下げ、礼をしてエリザベスが答える。

 そして、他の住人たちにも視線を送ると、湊は自分の通ってきた扉から現実世界へと帰っていった。

 ぱたん、と静かに扉が閉まる音がベルベットルームに響く。

 すると、今まで静かに控えていたテオドアは空になった紅茶のカップを片付けながら、姉たちの方へと向き直り、本人がいたことで尋ねる事の出来なかった話題を口にする。

 

「八雲様が以前召喚された蛇神のペルソナですが、私の目測では召喚に300000spは必要だと思いました。通常、ペルソナは適性レベルに応じて呼び出せるかが決まりますから、八雲様の適性値が108000spしかないというのは、俄かには信じ難いのですが」

 

 湊が今日やってきた際、話題が適性値だったこともあり、丁度良いからとテオドアも湊の適性値を計測していた。

 その結果は、桐条の測定限界を超えた『108000sp』。

 力の管理者から見れば、自分たちの一割にも届かないレベルだが、この短期間でまた一万も増やしたというのは、人間でみれば恐ろしい成長速度だ。

 けれど、それでも蛇神を召喚する適性レベルには遠く及ばない。

 以前、ここに来た最初の日の時点で、湊は適性レベルを超えているタナトスを使役していたが、タナトスの適性レベルは64、適性レベル1が適性値1000spに相当するため、現在の湊ならば完全に使役することが可能だ。

 しかし、今度の蛇神は規模が違う。あの中途半端な頭部の顕現だけで感じた印象が、先ほどテオドアが口にした三十万という数値であり、全身の顕現となると想像も出来ない。

 眉根を寄せてそんな風に尋ねてきた弟の言い分も理解出来るため、質問を受けた者の中からマーガレットが代表して答える。

 

「適性レベル1が適性値1000spに相当すると言っても、召喚にそれだけのエネルギーを消費する訳ではないわ。心の欠片を御するために必要な実力の目安がそうというだけでね。だから、伸び代として見るのであれば、仮にあの蛇神の適性レベルが300を越えていようと、召喚自体は出来てもおかしくないわ」

 

 ペルソナを呼び出す際の適性値の消費量は、何もペルソナの適性レベルに応じた数値という訳ではない。

 適性レベルはあくまで、それだけの力を持っていなければペルソナを制御出来ない、と言われている最低ラインなだけだ。

 その証拠として、ワイルド能力者らのペルソナは、合体で生み出される際にコミュニティの力を得て召喚者以上のレベルになることもあるが、一回の召喚でエネルギーが枯渇するということは起こっていない。

 姉から説明を受けたテオドアも、その点に関しては知っていたため、一応の理解は見せるが、それでも伸び代があると言われたところで納得など出来なかった。

 

「確かに召喚コストの問題はどうとでもなるかもしれません。ですが、八雲様がそれだけの適性値に達すると本当に御思いで? あの方が力に目覚めてから約七年です。肉体も成熟しつつありますし、伸び代もあまり残っていないように私には思えます」

「……逆に訊きますが、貴方は八雲様の眼についてどういう認識を持っているのですか?」

「眼というと……魔眼のことですか? 別に、死を他者より認識出来るくらいのものでしょう。ハゲタカやハイエナなど、野生動物が持っている他者の死に敏感な力の延長だと思っていますが?」

 

 湊の伸び代について語った自分へ、姉のエリザベスが全く異なる質問をぶつけてきたことにテオドアは僅かに驚いて見せる。

 しかし、すぐに平静を取り戻し、確かに変わった能力だが、自然界ならば珍しくもないだろうと薄く笑って返した。

 弟のそんな軽い態度が苛ついたのか、エリザベスはブーツの踵でテオドアの靴の爪先を踏みつける。

 

「うぐっ!?」

 

 そうして、相手が激痛に苦しんでいるのを見ながら呆れたように言葉を続けた。

 

「はぁ……貴方は本当に無知で愚かですね。あの瞳が捉えているのは死と言う概念そのものです。生命の終焉ではないため、生物に限るといった対象を選びません。そして、概念的な死を与えられる訳ですから、当然、切られれば回復や修復も出来なくなるわけです」

「なっ!? 破壊対象を選ばない上に相手は治せないなど、最強の攻撃ではないですか」

「でも、それはちゃんと『死』を理解していないと出来ないの。まぁ、視て“それ”が何か分からないとやりようがないのだから、当然よね。死ぬ直前の瀕死状態にデス()を内包したことで覚醒したんでしょうけど。結論を言えば、あの子は既に死を完全に理解しているのよ」

 

 直死の魔眼において重要なのは、眼ではなく『死』を理解する脳の方だ。

 死を概念として理解出来るから、湊は対象へ存在の死を与えることが出来る。

 もし仮に、湊が一度も瀕死にならず、さらにデスも内包していなければ、死を理解することもなかったので、眼は別の能力を宿していたことだろう。

 改めて湊自身の能力について説明を受けたテオドアは、かなりの驚きと共に、新たに浮かんだ疑問について姉に再度尋ねた。

 

「では、八雲様は死を理解しておられるのに、たったこれだけの適性値しか持っておられないのですか?」

「だから、エリザベスはそれを貴方に教えようとしていたんじゃない。死を完全に理解して十万なんて数値はあり得ないって。少なくとも完全体のデスと同等の適性を持てるだけの素質はあるのよ。まだそれがほとんど目覚めてないだけでね」

 

 あまりの弟の無知さに、マーガレットもエリザベスと同じように呆れた様子で嘆息した。

 確かにコミュニティは築いているものの、テオドアだけ湊の担当ではないので、客人に対する理解は不足していたかもしれない。

 だが流石に、ここまでイレギュラーな存在を、その辺の野生動物より優れた能力を持った人間という認識でいたことが姉たちには信じられなかった。

 次に客人が来れば、その担当となるのは、姉から仰せつかった雑務をこなすだけで暇をしているテオドアだ。

 しかし、このままでは客人のサポートがしっかり出来るか不安なため、これを機に、力の管理者としての心得を弟に教育をしていこうと二人の姉は固く決意したのだった。

 

 

 

 


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