【完結】PERSONA3 Re;venger   作:清良 要

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第八話 ファルロス

???――???

 

 どこまでも広がる闇のみが存在する空間。

 寝ていた筈の八雲はそこでただ一人浮いている状態で目を覚ました。

 

「……ここは?」

「気がついた?」

「え?」

 

 状況を確認しようと考えたその時、突如背後から幼い少年の声が聞こえてきた。

 そして、振り返るとそこには囚人服のような白と黒のボーダー柄の服を着た、八雲と同じ年頃の水色の瞳を持つ少年が自分と同じように浮いていた。

 見覚えのない場所だが、八雲は何故か少年を知っている気がした。

 そう、薄れてはいるが少年から微かに感じる気配。それはあのムーンライトブリッジで感じた物と酷似していた。

 

「……デスか?」

「んー、やっぱり分かっちゃうよね。初めまして、僕はファルロス。正体は君に封印されたことで自我が芽生えたデスだけどね」

「俺に封印された? デスはアイギスが倒したんじゃ?」

 

 あの日の戦いでは、八雲はデスの放った万能属性の魔法を喰らった事で気を失ってしまった。

 そのため、戦いの結末を飛騨に聞いた事しか知らず。聞いたのも共同戦線を張ったアイギスがなんとか最後にはデスを倒したようだという内容だったので、自我に芽生えたデスを自称する少年との説明に齟齬を感じる。

 通常、チドリ以外の人間は疑うことから始め、基本的に信用しなくなっていた八雲は、こんな突飛な話をされたところで素直に信じたりはしない。

 だが、八雲は相手からデスの気配を感じ、相手もデスだと認めたこともあり。とりあえず、納得することにして話を進めることにした。

 

「俺は……二式かな。まだ正式に名前が決まってないから」

「それが今の君の名前かい?」

「いや、正式名称は飛騨製人型特別戦略兵装二式だよ。けど、最後に人間っぽい固有名詞を足すらしいから、それまでは名前がないんだ。ちなみに飛騨製は開発した物の種類に関係なく順に一式、二式って数字だけ変わっていくんだけど。一式は俺に搭載されてるエールクロイツね」

 

 自分の名前がないことを苦笑して話す八雲にファルロスも「そっか」と笑みで返す。

 八雲の選んだ道は、たった一人の少女の為に自分という存在の全てを賭けるというもの。

 そのために肉体の改造を受けて、元々の自分という存在は消した。

 よって、本名であった八雲という名前を今後は名乗る気はなく、飛騨が新たに付ける作品名を今後は名乗るつもりだった。

 そんな風に名前について笑っていた二人だが、少しするとファルロスは穏やかな笑みを浮かべ口を開いた。

 

「君の以前の名前も僕は知ってる。けど、それは君にとって特別なものみたいだから、僕は君が名乗ってくれたときに、その時の名で呼ばせて貰うよ」

「ああ、そうしてくれると助かる。それでここは? それにどうしてデスが俺の中に?」

「ここは言ってみれば君の中かな。そして、僕はアイギスによって瀕死の君に封印されたからここにいるんだ」

 

 両手を後ろに回して笑っている相手の表情や態度は嘘をついている様には見えない。

 実際、倒された筈のデスがここにいる理由として考えられるのは、ファルロスが言った通り、アイギスが八雲に封印したか、倒される直前にデスが逃げ込んだかくらいである。

 そして、自我が目覚めて会話が可能になった相手が敵意も出さずに言っているという事は、ある程度信じて良いだろう。

 そう考え、八雲も一度頷くと再びファルロスに問いかけた。

 

「瀕死ってのはあの強力な攻撃を受けたのが原因だよね?」

「うん、万能属性のメギドラオンだよ。で、何で封印して助かったかというと、シャドウ自体に時や空間に干渉する力があるんだけど。その中でもデスは特殊で、生物の死を司る力を持ったシャドウだったんだ。だから、彼女はそれに賭けて僕を死にかけていた君に封印した。そして、偶然と言えば偶然だけど、宿った僕は君と一緒に死なないよう肉体に働きかけたってわけ」

「俺が死ねばデスも死ぬの?」

「死ぬって表現は正しくないけど、消滅はするね。だけど、そうすると世界の滅びの訪れが早まる。だから、君は僕を内包している限り絶対に死んじゃいけないんだ」

 

 自分があの戦いで生き残った理由とデスが封印されている理由は理解した。

 だが、ファルロスの言葉の中に聞き逃せない単語が混じっていたので、八雲は思考に耽り俯かせていた顔を上げ口を開く。

 

「世界の滅びって? 飛騨さんも言ってたけど、君がいたら人類は滅びるの?」

「いや、人類だけじゃない。この地球上に存在する全ての生命が打ち消され死を迎えるんだ。だけど、僕が滅ぼすわけじゃない。僕は宣告者なんだ。大いなる存在“ニュクス”を呼ぶための、滅びの確約さ」

 

 ニュクス。それはギリシア神話の原初の神の一柱であり、夜を神格化した女神だ。

 八雲の持っているタナトスは、そのニュクスの息子であり。それらを知っていた八雲は何か自分にも関係があるのかと考えるが、流石に情報が少な過ぎて何も思いつかなかった。

 

「……ニュクスって何? シャドウの親玉?」

「うーん……まぁ、そういう言い方も出来るかな。ニュクスはこの地球に死というものを齎した存在なんだ。そして、シャドウっていうのは現在封印されているニュクスの精神の一部でね。それが人の精神の一部になったことで『死』という概念が生まれたんだよ」

「封印? 何でそんな神様みたいなのが封印されてるの? ていうか、どこに?」

 

 ファルロスは受けた質問に笑顔で答えるが、答える度に新たな疑問が生まれる。

 その事が間怠っこく感じた八雲は、新たな質問をぶつけつつも相手に始まりから説明してもらおうと思った。

 そんな八雲の考えを理解したのか、笑みを崩して少々考え込むとファルロスは説明し始めた。

 

「……さっきも言った通り、ニュクスは太古の地球に生まれた生物に『死』という物を与えたんだ。ジャイアント・インパクト説は知ってるかい?」

「原始惑星テイアが地球に衝突して月が出来たっていうやつ?」

「そう、衝突した惑星はオルフェウスとも呼ばれているね。で、ニュクスは言ってしまうと、そのテイアやオルフェウスだったものなんだ。地球に衝突した後、身体は月になり、精神は集合的無意識に封印されるようになったんだよ」

「……え?」

 

 真剣な表情で説明するファルロスだが、八雲はその突拍子もない話を信じられず思わず聞き返してしまった。

 ジャイアント・インパクト説は八雲の言った通り、地球の衛星である月がどのようにして出来たかという仮説である。

 太古の地球にテイアやオルフェウスと呼ばれる火星ほどの大きさの惑星が衝突し、その際に散らばった破片が集まって今の月になったという。

 だが、それはあくまで最も有力である仮説であり、どれだけ有力であっても推測の域を出ない。

 そもそも、それらが起こったのは四十億年以上も前の地球でのことであって、その当時の地球には今の様な複雑な思考を持った生物など存在しなかった。

 にも拘わらず、ファルロスは月となったニュクスは生物に死を齎したといったため、八雲は相手の言っている事が理解出来なかった。

 

「ファルロス、その当時の地球には生物なんていない」

「その衝突した惑星がパンスペルミア説の雛型になったとは思えないかな?」

「いや、でも、その数億年の間に地球でどれだけの環境変化が起こったと思ってるんだよ。そもそも、集合的無意識って言っても、当時そんな高度な思考能力を有した生物は……外宇宙にはいたのか?」

「いたかもしれないねぇ」

 

 年不相応な知識を持っていながらも、興味深いものを見つけたように子どもらしい表情で太古の地球における生命の誕生について考え込む八雲。

 それを傍らで見守るファルロスは楽しげに笑みを浮かべながら、フフッと笑い声を洩らす。

 実を言えばファルロスは今日までの間に、何度かこのように八雲と話そうとはしていた。

 しかし、八雲はまだ改造の最終フェイズを行っていたため、その終了の目途が立つまで待っていたのだ。

 自我が芽生えて以降、辛い改造と鍛錬にも耐えてきた八雲をその内側で見てきた。

 封印されているとは言っても別人だ。何のために頑張っているのかは、外での会話を聞いて理解する事や、たまに心が伝わってくることでしか理解できなかった。

 そうして、随分と待ったこともあり、いまこのように面と向かって会話できる事がファルロスには嬉しくて堪らなかった。

 

「さて、話を戻すけど、影人間というのは知っているよね?」

「うん。最近見られるようになった、無気力症とかいうのにかかった人間のことだろ?」

「そうそう。あれは、精神の一部であるシャドウが抜け出てしまったから起こることなんだ。抜け出たシャドウが倒されれば、本人に戻って無気力症も治るけど。抜け出た時間が長いと、精神が変質してしまって完全には治らなくなる」

 

 無気力症。そのような病名をつけられているが、実際は病気などではない。

 シャドウという心の一部が抜け出てしまった事で、精神がまともに働かなくなった抜け殻状態のことを、原因の分からない一般の医者らが仮にと名付けたもので。その無気力症に陥った者は、一部では影人間などと呼ばれている。

 ことの発端となった桐条の研究施設であるエルゴ研にも当然その報告は挙がっており。今もその回復のための研究が行われているが、ファルロスの言った無気力症発症の原因と回復方法などは知られていなかった。

 当然、元から桐条やその研究員を敵視している八雲は、桐条のせいで一般人がそんな目に遭う事に怒りを覚えていたので、今の話を聞けたことを内心喜んでいたが。その一方で完全に回復しなくなる可能性がある事を聞いて焦りを覚えた。

 

「時間が経ち過ぎたら助ける方法はもうないの?」

「うん、残念ながらね。まぁ、経ち過ぎたらって言っても、三ヶ月とか半年ってレベルだから、そこまで早急に対処しなければならない訳じゃない。それに、君はもう選んだんだろ? なら、他の人間まで救おうとするのは贅沢ってものだよ」

 

 確かに八雲はチドリを選んだ。

 自分の全てを賭けて守ると誓い、寿命を削ってまで肉体改造を受け戦う力を得た。

 だが、元々が善人である八雲にとって自衛手段を持たぬ一般人は弱者であり、力を持つ者の立場からすればそれらを非日常から守るのが当然だと思っている。

 なので、例えそれが贅沢だと言われようとも、自分が助けたいと思えば、出来得る限り助けようと心に決めた。

 それを宣言するため八雲は歯を見せるような獰猛な笑みを浮かべ、ファルロスと向き合った。

 

「ファルロス、俺は我儘なんだ。例え贅沢だろうが、やりたいと思えばやるし。人でなしのように言われようが、嫌だと思えばやる気もなければ見殺しにもする。歪だけど釣り合いが取れてるだろ?」

「フフッ、それはなんか違うと思うけど、君らしいよ」

 

 周りの意見に左右されず、自分の意思で全てを決める。そんな我儘な生き方をしようという、八雲の自由さにファルロスも思わず笑ってしまった。

 現代社会においてそんな勝手が許される筈がない。社会である以上、それを形成するのが動物だろうと一定のルールが存在する。

 それを破るというのならば、その社会からは当然弾かれてしまうだろう。

 だが、八雲本人もそんな事は分かっている。重要なのはその考え方と、それを念頭に置いた上での優先順位を自分の中で作ることだ。

 

「彼女のためなら世界は二の次三の次ってことだね。本当に君は人間らしからぬ人間らしさだ。人間社会のルールを破ると決めた上で、そうやって本当に人間らしい行動をする。矛盾を孕んでいるのに、なんて尊い想いなんだろう」

「自我が芽生えたのなら、ファルロスだっていつか理解出来るさ」

「僕にもそんな自分の全てを賭けたいと思える女性が出来るって? うーん……今は良く分からないけど。それはとても素敵な事なんだろうね。だったら、封印が解けたら僕も人間として外に出る事にするよ」

「そんな事が出来るの?」

「勿論。今のこの姿だって自我が芽生えて出来たものだからね。なら、シャドウのときの姿を今の姿に合わせる事も可能さ」

 

 確かに元がシャドウであるはずが、今のファルロスは人間そのものにしか見えない。

 封印が解けるという不吉な言葉も聞こえたが、もし本当に人間の姿で外に出てくるのであれば、八雲も心配しなくて済みそうだと思えた。

 

「……あ、そう言えば。封印が解けるって、解けたらどうなるの? それと、解き方っていうのがあるのかな?」

「解けたら僕が外に出るだけだよ。そして、解き方だけど、君は封印の器として非常に優れていたみたいでね。不完全な僕の力じゃちょっと解けそうにないんだよ。実は、あの事故の日に当時の責任者だった岳羽詠一朗という人物が、実験を途中で中止したために僕の力の欠片として十二のシャドウがここ港区に散ってしまってね。彼らも結構な傷を負っていたし、彼らにとっては一日は影時間の分しか存在しない。だから、傷が癒えるまでの間は活動しないと思う」

「活動が始まったら、君の元に戻ってくるのか?」

「正確には戻ろうとしてくるだね。こればっかりは僕にも止められないけど、倒さないと自分を維持するために人間の精神を食い散らかして無気力症の被害が増えるだろうから、封印を解かないようにするために倒さないってのは止めといた方が良いと思う」

 

 全員という訳ではないが、シャドウから人を守ったりもしようと考えた矢先にこの話だ。流石の八雲も面倒事を避けるために前言を撤回しようかなと表情を歪ませる。

 しつこいようだが、八雲の優先順位は『アイギス=チドリ>自分>エリザベス>その他』、と言った風になっている。

 アイギスとチドリが同率なのは、両者が八雲にとって命の恩人であるためであり。エリザベスの優先順位が他者より高いのは契約者だからという理由で、もし契約が無ければ他の者よりかは上だが、他の者とそこまで応対に差をつけない可能性があった。

 

「……ファルロス、やっぱり俺は自分の手で守れる人だけを守るよ」

「うん。まさか、この僅かな時間で心変わりするとは思ってなかったよ。けど、まぁ、それが良いんじゃないかな。君も彼女も力を持っているからね。非日常を生きている限り、守るのは普通の何倍も大変だから」

 

 それは守ると決めた八雲自身も分かっている事だった。

 自分達は既に非日常に関わっている。さらに、その原因となった桐条とも関わるようになってしまった。

 いつかはここから去るつもりだが、逃げ出したところで影時間と無関係になる訳ではない。

 その事を考え、八雲は一瞬表情を曇らせるが、顔を上げると瞳に強い意思を宿らせ口を開いた。

 

「分かってるよ。でも、出来る事なら彼女には普通の世界で生きてもらいたい。俺も彼女もそう長くは生きれない身体になってるけど、生きているうちはね」

「……僕もそうなるよう、精一杯祈ってるよ」

 

 ファルロスは、まだ短い間だが八雲を見てきて人間として好きになった。

 だが、無茶な改造と、その傷を魔法で無理矢理に回復させてきたことで、八雲の身体はそう長くは生きられない物へとなっていた。

 自我が芽生え、最初に好意を抱いたその相手の死期がそう遠くないうちにやってくることに、ファルロスは悲しそうにどこか泣きそうな笑みを浮かべる。

 だが、今はまだ話をする事が出来る。そう気持ちを切り替えて、表情も普段の人懐っこい笑顔にすると、再び話を続ける事にした。

 

「……さて、話がまた脱線したけど、僕の封印が解けるとニュクスの封印を解けるんだ。といっても、期間が開くけどね。その時になったら僕の方から君に知らせるよ」

「うん。けど、どうしてそれを今話しに来たの?」

 

 それは素朴な疑問だった。

 確かに前もって説明されていれば色々と準備をしておく事が出来る。

 だが、自身の欠片たちの復活のときすら分からない状態で、なぜ今になって話しかけに来たのかが八雲は不思議だった。

 そうして、相手に問いかけ答えを待っていると、質問を受けた相手はおかしそうに笑いながら右手で八雲の胸部に触れた。

 

「うん、本当は不完全体だから記憶なんて戻ってなかったんだけどね。けど、君が僕らの母たるニュクスの一部を宿したことで、それを通じて僕も宣告者としての使命を思い出したんだよ」

「ニュクスの一部って……エールクロイツが?」

「そう。正確には黄昏の羽根っていうのは、月の表面が薄く剥がれ、地上に落着したものなんだ。僕が封印されている状態でそんな物を宿すなんて、もしかしたら封印が解けていたかもしれないよ?」

 

 最後に悪戯っぽく「ま、そうはならなかったけどね」と続けるファルロスだったが、一方の八雲は信じられない話に固まっていた。

 謎のオーパーツだと思っていたのは敵であるシャドウの母たる存在の身体の一部。

 確かにエールクロイツを移植してからは、さらにペルソナの扱いが上手くなっていたりするのだが、正直な話をすれば親の仇の親から施しを受けたようで屈辱的である。

 全てはチドリを守るためにと言いつつも、八雲も実年齢はまだたったの七歳。簡単に納得できるほど大人になりきれてはいなかった。

 そして、そんな八雲の心情など当然理解できるはずもなく、笑っていたファルロスはさらに続ける。

 

「これで君も半分僕ら側ってことになるのかな? 両眼も金色に変わったしね」

「……フン」

 

 不機嫌そうにした八雲は、ファルロスの言葉を聞くなり瞳の色を変えた。

 それを見て、ファルロスはハッとしながら感心して話す。

 

「あ、そっか。君はそっちの眼も持っていたね。それは流石に生物としての死を理解出来ない僕らシャドウじゃ持てないな」

 

 エールクロイツを移植して目を覚ますと、八雲の瞳は両眼とも明るい金色に変わっていた。

 その事を話したエリザベスとテオドアも似た色をしているが、それよりも濃い色なので、また別モノなのだろうと思われていたのだが、明かされた真実はシャドウの力が現れてしまっていただけというもの。

 しかし、八雲の眼はもう一つ別の色にする事も出来た。

 そう、それはエルゴ研で目覚めたばかりのときや、チドリに怪我を負わせたシャドウを殺すときに僅かに発動していた不思議な力を持つ、蒼い瞳。

 残念そうしているファルロスは、その不思議な輝き方をしている蒼い瞳を見ながら八雲に話しかける。

 

「それはモノの死を視る眼だよ。言ってみれば、そう、『直死の魔眼』ってとこかな。僕との戦いで死にかけて、『死』を司る僕をその身に封印したことで目覚めたんだと思う。基本的に防御不可能な力だけど、その分君自身も否応なく『死』を視続けることになる。だから、あんまり使わない方が良い」

「うん、わかった」

「よし。それじゃあ、そろそろ時間みたいだね。僕もまだあんまり起きてられないから、次はいつ会えるか分からないけど、また話せると嬉しいな」

「ん、その時は勝手に呼んで良いよ。別に肉体に疲労はないだろうから」

「フフッ、ありがとう。それじゃあ、そうさせてもらうよ。またね」

 

 最後にそんな風に挨拶を交わすと、八雲は急激な眠気に襲われ意識を失った。

 

 

7月16日(日)

夜――総合訓練室

 

 ここはエルゴ研にある人工ペルソナ使いたちに体術の訓練をさせる為の部屋。

 体育館ほどの広さのある部屋で、子どもたちは合成樹脂製の武器を持って戦闘訓練を行っていた。

 怪我で三週間ほど入院していたチドリも現在では復帰しており、今も他の研究室に所属する女子とナイフ型の武器で戦っていた。

 

(……どうせ、私はあんまり探索に出ないんだし。こんな疲れる事させないで良いのに)

 

 チドリが相手をしているのは、金色の髪をした同じ歳の頃の少女。無表情のチドリに対し、相手は少々興奮した様子で敵意を剥き出しにしていた。

 

「このーっ!!」

「……フン」

 

 少女の持つ武器はチドリよりも大型でククリ刀と呼ばれる剣の形をしている。

 背丈も近い分、武器のリーチのある少女の方が有利の筈だが、チドリはつまらなそうにしながらも大振りに斬りつけてきた相手を横に跳んでかわし。隙だらけの腹部につま先で、ドゴッ、と蹴りを入れた。

 

「ぐうっ」

 

 チドリの攻撃を受けた少女は、武器を手放しながら地面に崩れる。

 別に本気で蹴った訳ではない。既に訓練が始まって二十分ほど経過しているのだが、その間、攻撃を当てているのはほぼチドリの方だった。

 しかし、どういう訳かやたらと打たれ強かったので、急所を攻撃する事でダウンを狙ったのだ。

 そうして、今度ばかりは打たれ強い少女も立てないのか、腹部を押さえながら地面に座りこんで顔だけを上げてチドリを睨む。

 

「おま、え、殺すっ」

「負けてるくせに何言ってんのよ。ペルソナが使えない私達じゃ体術で勝負着いたら、それで終わりじゃない」

「くっ……ぺる、そな……」

 

 チドリの言っている事は事実であり、八雲から齎されるペルソナの制御法を飛騨が他の研究室に教えているにも拘わらず、成果は未だに殆ど出ていない。

 影時間になると適性から能力が付与されるためか、幾人かは召喚の成功率が上がっているのだが、現在の時刻は午後七時四十分。

 影時間まではまだまだ時間がある上に、訓練によって疲労している状態ではまともに召喚など出来る筈が無かった。

 

「ペルソナっ、ペルソナっ、ペルソナーッ!!」

 

 しかし、少女は余程チドリを殺したいのか「ペルソナ」と叫び続けている。

 だが、そんな風に叫んでいたことでその様子に気付いたのか、周りで見ていた研究員がアンプルを持ってやってくると、興奮状態の少女にそれを投与し。急にぐったりとした少女を、そのままどこかへと運んでいってしまった。

 訓練の相手がいなくなったチドリは、自分はどうすれば良いのかと心の中で文句を言いつつ、その場に座って指示を待つ事にした。

 

(こんな事しても意味ないのに。ペルソナが使えたっていう八雲も簡単に死んじゃったもの。いなくならないって言ったくせに嘘吐き。ハカセも「いーまは、ちょーっと会えない場所にいるだけですよー」とか適当なこといって。私が気を失ってる間に殺されたんでしょ。気を遣わないで本当のこと言えば良いじゃない)

 

 指示を待っている間に一人考えに耽って憤るチドリ。

 目が覚め、第八研に戻ってきたときには既に八雲の姿はなかった。

 どこにいるのかと聞いても、飛騨はチドリが先ほど言ったようにはぐらかすばかりで、それ以外は何も答えなかった。

 普通に考えれば、自分が気を失った後にシャドウに殺された可能性が高い。

 立ち上がる事すら出来ぬほどに疲弊していたので、まともに逃げられたとは思えないからだ。

 しかし、そうなると、誰が気を失った自分を運んだのかという謎が残る。

 研究員らは基本的に上のフロアには来ないで、装置を使って様子を見るだけだ。なので、稀少な能力を持っているとは言っても、子ども一人のために救助にきたとは考えづらい。

 次に他の被験体らが救助隊として派遣された可能性もあるが、いくら被験体では年少組に入るチドリでも。他の者らも小学校高学年から中学生と年齢に差はない。

 自分達の探索を終えた後で、そんな者たちが体格にあまり差のないチドリを担いで運ぶのは難しいだろう。

 尤も、ペルソナを使えば簡単かもしれないが、ペルソナの制御が出来るようになってきたのは、ここ一ヶ月の間のこと。

 そういった事を考えていくと、どれもこれもが正解だとは思えなかった。

 

(じゃあ、やっぱり八雲がペルソナで私を運んだの? でも、だったら何でどこにもいないの? 生きてるならハカセもハッキリそう言えばいいのに……訳分かんない)

 

 やはり情報が少な過ぎるため、今日も結論は出なかった。

 ここ数ヶ月の間に何度も同じ事を繰り返しており、そのたびにフラストレーションを溜めていたのだが、今日は訓練を見ていた研究員の声によって、それらは思考の端に追いやられた。

 

「訓練はここまで! これより食堂に移動し夕食の時間だ。夕食を食べ終えたら再びここに戻り、指示があるまで休憩しているように。また、今日の影時間には合同でのタルタロス探索を行う。グループによっては他の研究室の者も一緒に組ませるので、そのつもりでいろ! では、解散!」

 

 合同での探索など初めて聞いたチドリは、突然の事に驚く。

 自分の所属する第八研は人数の関係と、室長の飛騨は積極的な調査をしようとしていなかったため探索は除外されてきた。

 しかし、今日になって急に他の研究室の被験体らと一緒に組まされるという。

 

(そんな、名前も知らない人間と組ませるなんて、余計に死亡率高めるだけじゃない……)

 

 そんな風に研究員の連絡に納得できないチドリだったが、研究員の命令には逆らえず。時間になるとタルタロスに向かい、他の研究室のグループへと組み込まれたのだった。

 

 

 


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