夜――トラゴス・廃ビル
湊に伝えた約束の日。どういう訳かまだ電気の通っている廃ビルに、独り瓦礫を椅子にして仙道弥勒は待っていた。
電気が通っていると言っても、全ての電灯が綺麗に残っている訳ではない。
しかし、ガラスの割れた窓から月明かりが入っていることもあり、残っている電灯と合わせれば部屋中を眺めるだけの十分な光量は確保出来ていた。
「……来たか」
そうして、時計の針が二つとも頂点を指す頃、全身を焦がすような圧倒的な敵意を放ちながら部屋へ近付いて来る者がいた。
初めて会ったときや、殺し損ねて名切りの亡霊を呼び覚ましたときですら、空間が歪んでいると錯覚させるほどの重圧を放ってはいなかった。
脅す事が目的でなければ、気配など相手に行動を読ませるだけなので発する必要はない。
動の氣を纏う仙道ですら、戦いでどれだけ高揚しようと気配は自然と内に抑えている。
中学生という若さであっても、既に達人の域に達している湊がそれを知らないはずはないので、仙道はこれを挨拶だと理解し、長大な槍と鞄を傍に置いて哂って立ち上がりながら相手を迎えた。
「フハハハハッ! 名切りよ、よくぞ戻ってきた!」
全身をフード付きの黒いレインコートのような外套で覆い。さらに袖から見えている手には、指の出る黒い革製のシューティンググローブを付けている湊。
編み上げブーツが茶色であることを除けば、ほとんど黒一色にしか見えず、暗闇でなければむしろ目立つだろうと仙道は内心で苦笑する。
部屋に到着したことで相手は気を抑えたようだが、それでもフードから僅かに覗いている蒼眼に宿る光には一切の曇りもない。
挨拶代わりの気は脅しではなく。明確な殺意を持ってここまでやってきたのだろう。
気を抑えていても、以前、ホテルの地下駐車場で戦ったときよりも遥かに強くなった事を感じる。
十四歳という若さで、よくぞここまで育ったと仙道は極上の死合いを前に心が躍った。
「前回は詳しく名乗っておらんかったな。わしは仙道弥勒。イリス・ダランベールを死へと追いやった『久遠の安寧』の一員だ。もっとも、先の件に関してはわしも雇い主に聞かされるまで知らなかったがな」
ソフィアがイリスを邪魔だと思っていることは知っていたが、まさか、あんな大規模な作戦を使ってまで殺すとは思っていなかった。
故に、相手にとっては仲間の時点で一緒だろうが、イリス殺しに自分は関わっていない事だけは伝えておいた。
すると、仙道のいる場所からまだ少々距離のある部屋の入り口で、湊がフードを脱ぎながら答えてくる。
「……飛騨製人型特別戦略兵装二式“有里湊”」
「ふむ、名切りとしての名は何と言う?」
相手が名切りだという事は既に分かっている。名前も以前の戦いに介入していたベルベットルームの住人らが呼んでいた事で把握済みだ。
けれど、今度の闘いでは結果に関わらず確実にどちらかが死ぬ。
伝説だと言われていた本物の鬼がようやく現れたのだ。今後、これ以上の相手と死合う事など二度と出来ないだろう。
故に、仙道は自分と闘う鬼の存在を魂に刻み込むため、相手から直接本来の名前を聞きたかった。
「……第百五十三代名切り。そして、特級五爪守護龍憑きの百鬼八雲だ」
「守護龍憑き……貴様、九頭龍との混血か?」
湊が名切りの末裔だったことは知っていたようだが、流石に名切りではない親の血筋までは詳しく知らなかったようで、仙道は少々驚き気味に聞き返す。
二人が口にした“守護龍憑き”とは、九頭龍の血筋に伝わる等級制度の称号のことだ。
その昔、爪の数が多い龍ほど力を持つと言われていた事があり。九頭龍もそれに倣って、最上位が特級五爪、最下位が四級一爪といった具合に爪の数毎に異なる等級を作ったのである。
どの等級になるかはその人物の持つ力で分類され、『無能の四級、操気の三級、霊視の二級、魔眼の一級』といったように、位が上がるごとに使える力が増えてゆく。
ただし、特級だけは始祖以外に目覚めた者がおらず。その固有の能力も分かっていない。
もっとも、等級制度が存在することは隠していないが、九頭龍はこの分類の詳細について始祖より継いだ異能持ちの血を守るために口外していないので、どちらにせよ仙道が湊の力を知る事はないのだが。
「フフッ、鬼と龍、二つの一族を統べる者が現れるとはな。実に愉快だ」
例え当主の死で空座になろうと、過去の名切りに認められるほどの力を持つ者しか正式な当主になれない百鬼とは違い。九頭龍の当主はその代で最も位の高い者が就くことになっている。
遠く離れた地に居ようと、新たに龍が目覚めれば血の共鳴で感じ取ることが出来るため、日本では今頃誰が血に目覚めたのか大騒ぎになっている事だろう。
そんな事情を知らない仙道は、足元に置いていた鞄を手に持つと、死合う前にそれをそのまま放り投げて湊に渡す。
「中身は、久遠の安寧の幹部の名簿とわしの全財産が入っておる。殺してばかりで使っていなかったからな。勝てば全てお主にやろう」
「本部の場所は書いてないのか?」
「ん? ああ、わしも所詮は雇われよ。いくつかのビルや工場の場所は知っておるが、本部は極一部の者しか伝えられておらんのだ。イリス・ダランベール殺しの計画者であるソフィアがよく過ごしている屋敷の場所は分かるが、そこもまた数ある拠点の一つでしかない」
受け取った鞄を開けて中身に軽く目を通した湊の問いに、仙道は自分も組織にとってただの傭兵でしかないと苦笑気味に答える。
本来の雇い主はソフィアの父親だが、どちらにせよ幹部の名と情報がある程度書かれた名簿を渡している時点で、仙道の行動は全て裏切り行為だ。
いま受け取ったそれらが無くとも自力で探し出し、湊は“選定”として己の望む世界に相応しくない相手を排除するだろう。
けれど、仙道はイリス殺しの黒幕らの情報を与える条件で湊を呼び出した。
よって、ソフィアらにとって裏切りでしかない行動も、全ては依頼に対する正当な報酬なのだ。
「報酬に不満はあるかもしれんが、わしが用意出来るのはそこまでだ。後はそうさな、仕留めたわしの首を地下協会に持っていくと良い。これでも約七六〇万ドルの懸賞金が掛けられておるからな。先ほど渡した鞄の二三〇〇万ドルの小切手と合わせれば、食うには困らんだろうて」
懸賞金と小切手を合わせれば、少なめに計算しても三十億円ほどにはなる。
世界中の国々が加盟している通称“
しかし、それでも一攫千金を夢見て仙道に挑みに往く者はほとんどいない。
遠距離からの狙撃や毒ガスによる搦め手で挑んだ者も過去に居たが、武神と恐れられているこの男は、それらを悉く掻い潜り十年以上に亘って敵を屠ってきた。
そんな者と正面から戦おうと考える命知らずなど、自分の腕に余程の自信がある莫迦か、もしくは幸運頼みの無謀者しかあり得ない。
もっとも、再び瞳に力を宿して甦ったこの相手はそのどちらでもないと、仙道は張り詰めてゆくその場の空気で敵の力量を感じ取りながら、地に置いていた槍を手に取り嬉しそうに哂った。
「わしはお主のような者との死合いを待ち望み生きてきた。師より継いだこの槍を使わせる者はいないのかと、壊すばかりの日々に渇きを覚えていたのだ」
過去を懐かしむような瞳で仙道が持つのは、全長三メートル近い、ハルバードとグレイブを合わせたような穂先をした中華槍。
柄が黒に近い濁った紫色をしており、穂先の形状から大斧刀にも分類されそうだが、仙道が師より受け継いだ中国武術に適した歴とした剛槍である。
「ようやく全力を持って挑む事の出来る者が現れたことが何よりも嬉しい。もっとも、ただの一撃で決してしまうのは残念だがな」
「……お互い、人間を辞めているんだ。それはしょうがない」
「ああ、分かっておる。しかし、簡単には割り切れぬものよ」
湊は仙道から受け取った鞄を外套の中へと収納して、代わりに今まで見せたことのない大太刀を取り出した。
ベルトに差さず左手に持たれた大太刀の全長は約一三〇センチ、太刀鍔、柄糸と鞘は共に黒。
長尺の武器を持つ仙道に対抗して、少しでも間合いを稼げる武器を選択したのかと推測する。
けれど、達人級の実力を持つ者がそんな小細工を弄するはずがないとして、気を引き締めながら仙道は手に持つ槍を握り直す。
二人は湊が言うように人間の限界を超え過ぎた。故に、勝負が決まるとすれば一撃。もっと言えば文字通り一瞬で終わってしまうだろう。
「改めて名乗ろう。仙道弥勒、剛槍“
「百鬼八雲、人斬り包丁“
身の内に氣を留めながらも、己が人生において最強の敵を屠ろうと殺意をぶつけ合い、両者は武器を構えたままじりじりと徐々に距離を詰めてゆく。
武に魅せられ、友であった者に怪我を負わせ好敵手を失ってからというもの、覚えた渇きを誤魔化す様、ただひたすらに強者を求め壊し続けて生きてきた。
そんな仙道にとって、ようやく一つの答えが出る。
楽しい時間は過ぎるのが速いとはいうが、一秒が何十倍にも感じられるほどの、極限の集中力の世界に入りながら、仙道は勝つために攻めるべき弱所を探す。
一般で言うところの隙などお互いに存在しない。武器を完璧に扱える者にとって、それらは手足の延長であり、当然、自分が長尺の武器を持った状態で間合いの内側に入られようと全て対処できる。
元々体躯に恵まれた仙道が三メートル近い武器を持てば、有効な間合いは十メートルを超える。
それに対し、未だ成長途中で、長いとはいえ大太刀を選択した湊の間合いは七メートルと推測する。
両者は二十メートルほどしか離れていなかったため、少し近付けばすぐにお互いの間合いが重なり合った。
直後、仙道は全身の筋肉のリミッターを外し、常人ならばぶれて見えると錯覚するほどの速度で間合いを詰める。
これまでも敵は全て正面から打ち砕いてきた。ならば、己にとって最強の一撃は全身全霊の力を籠めた突きだ。
「ハァァァァァァ――――――ッ!!」
気合一閃、廃ビルの床が砕けるほどの震脚で地面を鳴らし。回転を加えた弾丸のように鋭い突きが、湊を穿つため放たれる。
突きを放った瞬間、相手はまだ刀を鞘から抜いてすらいなかった。
通常の槍よりも幅の広い穂先は、咄嗟の回避では避けきる事など敵わない。
真っ直ぐ伸びる槍が湊の黒い外套に触れ、仙道は殺ったと確信したため、自分の槍が“そのまま”外套へと吸い込まれている事実に気付けなかった。
そして、相手に悟られぬ内に右手で槍に触れていた湊は、逆手に持って刀を抜くと、瞳を蒼く光らせ仙道の首を刎ね飛ばしたのだった。
***
時流操作も使わず、常人を超えた動体視力と反応速度で槍に触れた湊は、相手の武器に力を通す事で外套へ収納できるように細工した。
全力で放った突きが相手の装備に触れれば、当然、相手は決まったと思うだろう。
防刃・防弾だろうと衝撃までは殺せない。だからこそ、仮に湊の服が同じ防刃仕様だったとしても、痛みで怯んだところへ追撃を打ち込むことで勝利を完全な物に出来る。
槍を構えた仙道はそんな風に考えていた。
《ただ一つ抱いた願い諸共武人の誇りを踏み躙るとは、お主も中々の悪党ぶりよな》
真剣に武人として死合いを望んでいた相手にとって、そのような小細工によって敗れたなど、化けて出てやりたいほど無念だろう。
真っ向勝負を受けて立つと見せておきながら、表情一つ変えずに相手を騙しきった少年を見て、着崩し胸元が大きく開いた十二単を纏った黒髪の女がからからとおかしそうに笑って話す。
けれど、一歩間違えれば穂先に当たって腕が飛んでいたかもしれない状況で、相手に気付かれることなく得物に触れ、完璧に作戦を成し遂げたのだから、湊も手を抜いていた訳ではない。
「勝手に相手が勘違いしたんだろ」
イリス殺しの原因となった者を殺したことで、新たに“剛毅”のカードを手にした少年は、勝手に出てきた運命“
伝承の鈴鹿御前は鬼女や盗賊、また天女と描かれることもある武と神通力の才に溢れた美女だ。
ほぼ同時期に手に入れた、生まれてすぐ親に捨てられたという神話のエピソードを持つ戦車“アタランテ”よりも、モデルが鬼である分、見た目も含めて過去の名切りとしては相応しいと言える。
もっとも、この鈴鹿御前は別名として知られる立烏帽子だけでなく、三振りの宝剣や鎧すら身に付けていない訳だが、湊は特に気にした様子もなく手に入れたペルソナを呼び出した。
「こい、
湊がカードを握りつぶすと、水色の欠片が渦巻き、光の中から牛ほどの大きさがある白い狼が現れた。
仕事をやめると決めた以上、今後、仮面舞踏会の小狼と名乗る機会はぐっと減る。
だというのに、その名を表すような“狼”のペルソナを手に入れるとはどういった偶然か。
ペルソナを手に入れたときの自身の状況、そしてそのペルソナたちの司るアルカナの意味も含め、湊はしっかりと考えているのだろうか。
大口真神をカードに戻してから落ちている仙道の首を拾いに行った湊へ、茨木童子や湊に似たどこか冷たい雰囲気のある鈴鹿御前が話しかける。
《復讐は愉しいか? あの女の死を招いた憎い仇を屠れたことで、何かしら得る物はあったのだろう?》
新たに手に入れた大口真神は、湊自身の心の欠片から生まれたペルソナだ。当然、その覚醒には湊の精神的な変化や成長が関係している。
傍目には感情は消えているように映ろうとその事実は揺らがないとして、鈴鹿御前はわざと煽る様に問いかけた。
「……誰だって降りかかる火の粉は払うさ」
《ああ、そうだ。けれども、お主は此度の変化に名切りを巻き込まなかった。自分だけの感情として我らを拒んだのであろう?》
名切りのペルソナの覚醒条件は、湊にとって必要な力を持った者が力を貸すために呼び出されるシステムだ。
優先度は必要な力を持っているかどうかだが、湊に近い年代や、強い力を持っている事によって呼び出され易いという場合もある。
今現在いるメンバーでいえば、必要な力を持っていて呼び出された者は
赫夜比売は茨木童子と同じく強い力を持った存在としての条件も満たしているが、逆に始祖らと同じ条件で現れ、鬼の伝承を持つ存在を名乗っている鈴鹿御前の能力の高さは、他の名切りとは一線を画すということでもある。
それだけに、湊の行動に肯定的な意見を述べる他の名切りと違い。元は当主を務めていた鈴鹿御前は自分の見たまま、感じたままの意見を素直に話す。
《ふふっ、心の中で蛇が蠢いておるな。そんなにも図星を突かれた事が悔しいのか?》
湊の心と繋がっている彼女には、宿主本人では辿りつけぬ最深部に居る蛇神の様子が分かるらしく。くつくつと愉しげな笑みを零して再び問いかける。
拾った首を胴体と共に袋に入れて外套に収納していた少年は、そんな相手の問いに対し、欠片も関心を持っていない感情の消えた瞳で見返して答える。
「……俺の指標の一つに、大切な者たちの敵であるかどうかというものがある。だからこそ、俺はイリスの敵である久遠の安寧とテロリストを赦しはしない」
《確かに、あの女を不幸な目に遭わせたのは哀れな殉教者共よ。しかし、女の復讐は本人の手で疾うに済んでおるのだぞ?》
お前のやっていることはただの復讐だ。復讐とは、どれだけ他人のためだと理由を作ったところで自分のために行うものであり、イリス本人の復讐が終わっていることもあって、尚の事誰も他人のためであるなどと信じたりはしない。
妖艶な雰囲気を纏いながら言外にその事を告げ、湊の行動は本人の求める“優しい温かな世界”などには繋がらないと彼女は否定する。
本来味方であるはずの存在の言葉を受けた少年は、女の前まで進むと頬に手を添え、相手の金色の瞳と自分の蒼い瞳とを合わせながら口を開く。
「……イリスが仕事をしていたのは、他人が自分と同じ目に遭って欲しくないと思っていたからだ。死んだところでその想いが無かった事になる訳じゃない」
《だから選定と称して殺すのか? それでは、お主が屠る者らとなんら変わらぬな。畜生にも家族はおる》
「俺は自分が善人であるとも、その行動が正義であるとも考えた事はないさ。ただ“間違ってはいない”という身勝手で独善的な考えで動く。だから、俺が殺した相手の家族には、そいつは殺されるだけの罪を犯したんだと受け入れてもらう」
以前の湊ならば第三者を巻き込まないよう、たとえ加害者の家族であっても極力被害を出さないようにしていただろう。
事故で死んだ風に偽装する事や、どこかへ失踪したように置き手紙を偽造したりなど、本来必要のない手間を敢えて取っていた。
けれど、今の湊はその家族の事は考慮しないと口にした。相手は殺されて当然の人間だったと知らせると。
何があって湊がこうなったのかは分かる。鈴鹿御前も顕現していなかっただけで、あの闇ばかりの空間で湊と茨木童子のやり取りを眺めていた。
その事で随分と面白そうな奴だと興味を持っていたのに、蓋を開けてみれば人間と変わらない、ただ憎しみに任せて復讐に走るだけのつまらない子どもといった印象。
そうして、自分の理屈を世界に押し付け現実を見ていない相手へ、鈴鹿御前は我儘をいう子どもに言い聞かせるよう静かに話す。
《どのような理由があろうと親しき者を殺められれば、それをそう簡単に受け入れる事など出来はせん。罪を犯していた女が殺され、現にお主は復讐に走っておるではないか。己に出来ぬ事を他者に強要するのか?》
「俺は受け入れてもらうと言っただけだ。納得しろとも、敵討ちするなとも言ってない。殺された理由を知ってからどうするかは自由だ」
言って、湊は鈴鹿御前から離れるとビルの出口に向かって歩き出す。
鈴鹿御前も相手の斜め後ろを進んで外に向かうが、湊は途中で脱いでいたフードを被り、防刃・防弾装備において最高の性能を誇る守りを固める。
外套型にするのは以前から強化法の一つとして考えていた。それをマフラーとして使い続けていたのは、単純に元がマフラーだったことで愛着が湧いているからである。
それを戦闘に向けて切り替えた辺りに、湊の思考も以前よりは鬼らしくなったのだなと鈴鹿御前は静かに考えた。
《して、今後は如何様に動くつもりだ?》
「……仙道の首を地下協会の支部に持っていく。相手の狙いが俺なら、そこには久遠の安寧の人間が複数名いるだろう」
《数が多いからこそ出来る網の張り方よな。一人は勧誘、他の者は様子見と情報を上へと流す役目に分かれておるじゃろう》
相手は湊の行き先が不明な間、規模の大きさに物を言わせた人海戦術で工作員を配置してくる。
敵の狙いが自分である事を、湊は戦闘前に仙道の思考を覗いて確認したため間違いはない。
相手が渡してきた幹部の名簿などから範囲を推測し、敵の本部や黒幕の居場所を特定できないかとも考えたが、仙道が知っているのはオノス地方の屋敷を除けば地方の工場等であった事も真実だと判明している。
しかし、仙道は最後まで思考を読まれていると気付いていなかっただろうが、覚醒後に初めて殺した詐欺師は拷問のような事までして記憶を洗ったというのに、今度はすぐに殺してしまったことで湧いた疑問を鈴鹿御前は拭えない。
名切りで読心が使えるのは湊だけ、九頭龍でも始祖であった赫夜比売しかいないため、廃ビルから出たところで、外套から大型バイクであるK1200Sを取り出した湊へ尋ねかけた。
《何故、先ほどの武人には拷問せんなんだか訊いてもよいか?》
「あいつは最初から嘘を言っていない。それが分かっていて拷問するなんて時間の無駄でしかないだろう」
《ふむふむ、敵であろうと信を置くか。やはり、妾にはお主の思考は分からん》
「俺もお前の事が分からないよ。後ろに乗るな。さっさと戻れ」
いつの間にか、十二単から袴姿になってタンデムシートに座った相手へ、湊は無表情のまま自分の中へ戻れと告げる。
別に後ろに人が乗っていたところで運転に支障はない。けれど、ペルソナは出しているだけで力を消費するのだ。
制御できる読心能力持ちの赫夜比売と、そんな力を持った妹と共に過ごしていた茨木童子は、制御出来ない力を持ったことで湊は今後まともな休息を取るのは難しくなると言っていた。
その言い分も当然で、湊の読心対象は高次な精神を持つ全ての生物となっている。
アイギスが犬や猿の言葉を翻訳出来るように、湊も鳥やネズミなど様々な生物の声を拾ってしまうため、拾った声に眠りを妨げられる可能性が高い。
獣たちよりもさらに発達した思考を有した人間たちのいる町など、今の湊にすればオーケストラの大合奏を耳元で聴かされるような苦行を強いられる場所でしか無い。
よって、心身ともに普段よりも回復が見込めない今、移動は基本的に車やバイクなどを利用し、ペルソナとシャドウの力も極力温存してゆく方針を固めた。
それを完全に無視した相手は降りるつもりも戻るつもりもないのか、バイクに跨ってアクセルを吹かしている湊の腰に手を回してしっかりと抱き付く。
《機械仕掛けの騎馬には兼ねてから乗ってみたいと思っておった。しかし、妾の意識を引き上げる者が昨今は居らなんだで、未だその願いは叶っておらぬ。八雲、大命ぞ。しっかり励め》
「現当主は俺だ。亡霊は黙っていろ」
大命とは君主など身分の高い者が下す命令のことだ。
名切りのシステムでは、いくら元当主であっても現当主には敵わず。相手の命令を聞かなければならない。
いまいる名切りが全員で戦えば勝つのは湊だ。人間とペルソナの違いがあっても、シャドウの力とペルソナすら殺せる魔眼を持っている事は大きい。
それを無視して命令してきた相手へ黙れと返した湊は、バイクを発進させ一番近い場所にある地下協会の支部を目指す。
――ベルベットルーム
外の世界で様々な動きがあった頃、ベルベットルームではアイギスの乗るセスナとの通信を終えたエリザベスが、静かに息を吐いて白金の栞をペルソナ全書に挿んでいた。
以前、湊が仙道と戦ったときには、湊の成長とその後の事を考えてイゴールが手助けすることを許可してきた。
けれど、今回はどちらに転んでも湊が成長する事が確定しているため、必要以上に現世に干渉しない事を掟としていることから、イゴールの決定によりベルベットルームの住人は静観を選んでいる。
力の管理者の姉弟らは、自分たちも湊とコミュニティを築いていることから、主の決定に完全に納得した訳ではない。
その妥協点としてイゴールが許可したのが、誰よりも早く湊の危機を察知し目覚めたアイギスへの通信であり、姉弟らも自分たちでは湊を元に戻せないと分かっているのでその提案に従った。
すぐ傍でアイギスと妹の会話を聞いていたマーガレットは、相手が話し終えたことを確認して、自分のペルソナ全書のあるページを見せながら話しかける。
「……終わったわ。あの子、完全に絆を捨てたわね」
真剣な表情で彼女が開いたページは左右どちらも漆黒に染まっていた。
他のどのページも白を基調とした物であるというのに、その見開きのページのみが完全に黒一色になっている。
これは元々そういう色の紙だった訳ではなく、湊の変化に合わせて紙の色も変化したものだ。
そのページに記されていた内容、それは湊が築いていたコミュニティの一覧であった。
「まぁ、実際のところ、心を閉ざしたと考えるべきなのか、絆を本当に捨てたのかは分からないわ。文字通り何も見えなくなってしまったんだもの。それでも、絆を拒んだ時点でコミュニティの力は得られない」
「では、八雲様はこれからお独りで戦われるので?」
「そうなるわね。ただ、デスだけでなく、名切りのペルソナやジャック・ザ・リッパーみたいな自我持ちという例外も存在するから。あの子が孤独と言っていいのかは分からないけど」
テオドアの質問に答えながら、マーガレットは開いていたペルソナ全書をパタンと閉じる。
今まで出会ってきた過去の契約者の中には、絆を紡いだ相手を長く放置してコミュニティを破滅させていた者も少なからずいた。
だが、その場合は契約者がコミュニティを破滅させたのではなく、築いた相手が契約者に愛想を尽かして破滅したという形だった。
最も経験の浅いテオドアですらそのことは知っているため、ベルベットルームの住人らは、契約者が自ら紡いできた絆を捨てるという今回の事態を、とても稀有な事例としてどう対応すべきか悩んでいた。
「今の八雲様の持つペルソナは蛇神を含めて十五体。その内、自我持ちは七体です」
湊のペルソナを管理しているエリザベスが、自分の持つペルソナ全書を開き。手に入れた順に記載されている湊の所持ペルソナを他の者らに見せた。
死神“タナトス”、
審判“アベル”、
節制“
節制“
節制“
節制“
節制“座敷童子”、
隠者“ジャック・ザ・リッパー”、
魔術師“出雲阿国”、
運命“鈴鹿御前”、
永劫“カグヤ”改め、月“赫夜比売”、
太陽“茨木童子”、
戦車“アタランテ”、
剛毅“大口真神”
ペルソナ全書に登録されない蛇神の名は含まれていないが、蛇神を除いても所持ペルソナは十四体と多く。半数が自我持ちとなれば、絆を捨てた後の湊を孤独と言っていいのか判断に困る。
もっと言えば、人間に限定したとしても湊を想っている人間は今も多数おり。殆どの者は湊の身に何が起きているのかも理解していないので、絆を完全に絶つような事態にはなり得ず。客観的に見れば湊は孤独だとは言えない。
しかし、本人が他者との繋がりを拒んだ以上、いくら周囲が湊に尽くそうとしてもその想いが届くことはないだろう。
絆の拒絶は、コミュニティによって外部から付与される心の力も同時に失うことになり、力を求めていた湊にとってはかなりの痛手のはず。
だが、弱体化の可能性から、名切りの血に目覚めた湊の適性値を調べたエリザベスは、現在も上昇を続ける数値に表情を曇らせる。
「……三十六万を超えて尚も上昇中ですか。絆を捨てておきながら、血に目覚めただけでこうまで変わるとは」
「一月ほど前までは十万八千だったというのに大したものね。まぁ、まだこの程度というべきなのかもしれないけど。成長ではなく変革と呼ぶべきレベルだわ」
エリザベスの調べた湊の三十六万という適性値。それは湊の現在の最大値と言う訳ではない。
湊は今もまだ名切りへと変化を続けており、現実世界でたった一時間経つだけでも数値は数千から数万増えている。
身体的・精神的な成長を除けば、死に近付くか触れることで適性は跳ね上がるため、既に死を完全に理解している事に加え、過去の名切りの殺し殺される記憶を見た湊ならば、この上昇速度にも一応の納得は出来た。
しかし、過去の契約者や他のペルソナ使いではあり得ない馬鹿げた上昇速度に、マーガレットが呆れ気味に鼻で笑うと、他の妹弟はどう反応してよいのか困った暗い表情を浮かべる。
「ですが、あれだけの力を一時に使ったというのに、適性値が全く減っていません」
「測り間違いではないの?」
「いいえ、これはエネルギー残量も知ることの出来るタイプで計測した結果です」
エリザベスは、以前、湊に渡した適性値の計測アプリの改良版をテオドアに作らせ、保有適性値と残量まで計測していた。
湊は詐欺師を殺す際にそれなりの力を使っていたので、相応のエネルギー消費があると思われたが、結果は保有量と共に残量も上がり続けるだけ。
最初は回復量が消費量を上回ったのではとも考えたが、それにしても一瞬たりとも消費した形跡がないのはおかしい。
どういう事だと疑問に感じながら考えていると、隣にいたテオドアが口を開いてきた。
「もしやすると、八雲様は適性値以外の何かを使っていらっしゃるのでは? 極稀に消耗した力の代わりに命を使われる方もいるでしょう?」
適性値を使い果たせば一時的に動けなくなり、スキルの発動はおろかペルソナを呼び出す事も出来なくなる。
だが、足りない分を自らの命を使い補う事で、戦った者が過去にはいたと聞いている。
どうやって命を使うのかはテオドアも知らないが、そういった前例があるのなら、湊もまた何かを代償に力を使っている可能性は十分にあった。
「……あの子は自分の生命力を自在に使えるけど、そういう気配は一切なかったわよね?」
「はい。ですので、生命力や命を消費している可能性は排除して宜しいかと」
「だとすると、他に何か使える物はあったかしら?」
「すぐには思い浮かびませんね。というより、こればかりはご本人や共にいる自我持ちのペルソナしか分からないと思います」
考えても適性値と命以外に消費して力に出来るものが何か思い浮かばない。
姉弟らの傍で部屋の主たるイゴールが意味ありげに笑っているが、最凶の姉妹はどうせ雰囲気で笑っているだけだろうと無視して、今は分からないことに頭を使っても無駄だと別の話題に移った。
「……目覚めたペルソナたちのアルカナが気になりますね。運命・月・太陽・戦車・剛毅の順で登録されていますが、永劫から月へと変化した赫夜比売が入っています。これは八雲様の目覚めに含めるべきかどうか」
会話が途切れたところで、エリザベスは自分の持つペルソナ全書のページを眺めながら呟く。
イリスの死を切っ掛けに、湊は次々と新たなペルソナに目覚めている。元からいた永劫“カグヤ”も、以前の姿に戻れるとは言え、今後は月“赫夜比売”として湊と居ることになる。
そして、目覚めた者たちのアルカナを順番に見ていけば、湊の変化を暗に示していて実に興味深いと住人らも思わず考え込む。
切っ掛けとなったのは運命“鈴鹿御前”だ。運命のアルカナが示すのは、正位置なら変化や転換点、逆位置なら別れや不可避の事態が挙げられる。
そのタイミングで鬼のペルソナが目覚めたのも興味深く、これも運命の導きと思ってしまうのも無理はない。
次は真の姿を晒した月“赫夜比売”。月は不安定や悲観的など正位置で負の意味合いを強く持つ。しかし、逆位置であれば過去からの脱却や未来への希望など明るい意味を持つ。
ほぼ同時期に目覚めた太陽“茨木童子”。こちらは月とは反対に誕生や成就、兆しなど正の意味を強く持つ。ただし、逆位置では挫折や放棄などの意味を持っている。
そんな始祖らと邂逅し、絆を捨てる事を選んで目覚めた戦車“アタランテ”。戦車は独立や解放、行動力に征服などの意味を持ち。湊が自ら鬼として再び立つと決めた事に起因して目覚めたのだとも思われる。
けれど、アタランテは親に捨てられた逸話を持つペルソナだ。絆を捨てる場面で“捨てられる側”の存在が目覚めた理由が分からず。また逆位置では暴走の意味を持っていることから不安を感じずにはいられない。
そして、イリスの死を招く元凶となった男を殺して手に入れた剛毅“大口真神”。こちらは
逆位置には無謀や力の使い方を誤るなど、他のアルカナに続けて不吉な意味を持っている事に加え。大口真神は人間の性質を見分ける力を有し。善人を守護、悪人を罰するものと信仰されていた歴史がある。これが正位置に働けば良いが、逆位置ならば日本の狼信仰が消えていったように、人々から迫害されることだろう。
「本当に考えるのが嫌になるわね。面倒だからという訳ではなく、単純に得体が知れないからという意味でだけど」
湊がこの部屋を訪れた当初、マーガレットはまだ帰ってきていなかったが、それでもイレギュラーなペルソナ使いであることは聞いている。
それからすぐに出会って、他の妹弟と一緒に戦闘訓練をしてやりながら付き合いを続けてきた訳だが、相手は育む様に言われていた絆を捨てて己が望みのために動き出してしまった。
占いが得意なマーガレットも、可能性の申し子である湊の未来は不確定な事象が絡むため上手く占えない。
故に、こうも自分たちの予想から外れた動きをする少年を想い、マーガレットは頭に手を当てて呆れ気味に溢した。
すると、今まで開いていた本をぱたりと閉じたエリザベスが、普段通りの涼しい表情を作りながら、考え込んでいる姉に尋ねた。
「そう言えば、占いには何も出ていないのですか?」
「あの子は精神が複数あるような物だから、個人の運勢を占う占術では扱いづらいのよ。けどまぁ、大勢については“白の王の目覚め”とだけは出たわね。相手のペルソナ使いが“黒の王”なら丁度良いのではないかしら?」
湊は黒い服を多く纏っているが、ソフィアも黒いドレスを好んで身に纏っている。
よって、力の管理者にすればどちらが黒でも構わないのだが、チェスに例えれば白が先攻となるため、正しくは別組織の者ではあるものの久遠の安寧側であったアロイス・ボーデヴィッヒを殺した湊が先攻、イリスを殺したソフィアが後攻と殺した順番から考える事も出来る。
湊は今回さらに仙道弥勒を殺したので、ソフィアも次の一手を打ってくる事だろう。両者の戦争において白の駒は王しか盤上におらず。反対に黒にはポーンやビショップにナイトが溢れているため、不要な殺戮と戦争の拡大を望まぬ白の王は苦戦を強いられるだろう。
そんな風に湊の今後に悩んでいる力の管理者らの心を知ってか知らずか、ベルベットルームの主は実に愉快そうに口元を歪め、あらゆる可能性を内包する少年の行きつく先について言葉を発する。
「“絆”と“孤独”。それらは正負が異なるだけで、どちらも心の力には違いない。だが、孤独を力へと変えることが出来るのは、ほんの一握りの方だけだ。フフッ、此度のお客人は果たしてどうなることやら」
力に変える事が出来なければそれまで。けれど、力に変える事が出来てしまっても、それはまた別の問題を生む。
主のように今の状況を楽しむことの出来ない従者たちは、それぞれ複雑な表情を浮かべていたのだった。
原作設定の変更点
ペルソナのスキル発動時、物理スキルにはHP、魔法スキルにはSPをそれぞれ消費する点を、作内では適性値(精神力)という共通のエネルギー消費に変更。
本作内の設定
上記のHPも召喚に利用する原作設定を一部流用し、適性値(精神力)の消費以外にそれらに準ずるエネルギーなりを捧げればペルソナの召喚及びスキルが発動可能と設定。例としては、枯渇しても虚脱感や気絶で済む適性値(精神力)に対し、枯渇は即ち死を意味する生命力などが挙げられる。