【完結】PERSONA3 Re;venger   作:清良 要

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第八十八話 報せ

夜――九頭龍家

 

 休日の夕食時、巌戸台や九頭龍・百鬼両家の実家から遠く離れた地方都市にある自宅で、九頭龍七歌は母親の手伝いをしながら、キッチンにエプロン姿で立ち鍋の中身をかき混ぜていた。

 

「フヒヒッ、イモリの尻尾、蝙蝠の羽、さらに熊の爪を混ぜればぁ……カレーの出来上がりだぁ!!」

 

 怪しげな言葉を呟き、最後に元気よく満面の笑みでカレーの完成を告げる七歌。

 テーブルで新聞を読んで待っている父・恭介(きょうすけ)は、七歌の言葉を聞いて戸惑い気味に乾いた笑いを漏らしている。

 だが、傍でサラダを作っていた母・和奏(わかな)は、娘の後頭部をぺしりと叩いて、溜め息を吐きつつ呆れた様子で諌めた。

 

「はぁ……そんな材料は使ってないでしょう? どうして普通に料理が出来ないの?」

「へへっ、普通ってのは自分の個性を殺すってことだぜマザー。私は自分らしく生きるため、この黒魔術式調理法(マジカル・クッキング)をやめる気はないのさ」

「……はぁ、動きと独り言以外はちゃんと出来てるのに、一体誰の影響でこうなったんだか」

 

 気取った口調と仕草で話す七歌を、母親は心底不思議だとばかりに見つめながらサラダを大皿に盛り付けてゆく。

 母親の言う通り、七歌は変な事を言いながら魔女が薬を作るような動きをしつつも、実際は慣れた手捌きでちゃちゃっと料理を作っている。

 味も見た目も申し分なく、極稀に独創的な盛り付け方をすることを除けば、料理の腕前はかなりの物なのだ。

 けれど、家で料理を手伝うときでも、学校の家庭科の授業で調理実習をするときでも、七歌は一切ブレずに黒魔術式調理法を展開している。

 文武両道に加え、ルックスもトップクラス。性格もやや男前な部分はあるが基本的に誰にでも分け隔てなく元気に接することもあって、学校では大勢から慕われている。

 だというのに、ルックス等で有名ながらも交友関係が狭いゆかりと違って、七歌は告白される事があまりない。

 その原因は、先の調理法と周囲の想像の斜め上や下を行く行動や言動のせいだ。

 見た目はとてもいい。胸のボリュームは少々残念だが、絶壁という訳ではなく、引き締まった美しい足も含めてアスリート体型だと評価出来る。

 しかし、一般人では七歌の奇怪な行動についていけず。どうにか受け入れて交際に持っていこうと校内一のイケメンが七歌を放課後遊びに誘うと、翌日には首からロザリオと紐で繋げたニンニクをぶら下げ虚ろな瞳で登校してきたこともあったくらいだ。

 選挙で上級生らを破り、一年生の頃から生徒会長を務めていることもあって、教師たちからの信用は厚い。

 だが、もう少し落ち着いたり、周囲を驚かすような行動を控える事は出来ないかと、保護者を含めた三者面談ではよく言われていた。

 幼い頃からほぼ変わらず育っているので、これ自体が七歌の素の性格であると両親や親しい者らは思っている。

 とはいえ、このまま大人になり社会に出て問題を起こされては困るので、一緒に料理をテーブルに運びながら、母は娘に質問した。

 

「貴女はいつになったら歳相応の落ち着きを身に付けるんですか? 来年には受験もあるし、高校になってからも今のままだと謹慎処分を受けたりするかもしれないのよ?」

「んー、まぁ、そのときはそのときってことで。ってか、私の人格の核を作ったのって八雲くんなんだよね。山で迷子になった私を背負ったまま崖から飛び降りたり、車に轢かれそうになった私を抱えてボンネットの上に飛び乗ってやり過ごしたり。ああ、こりゃ正攻法じゃ敵わないなと子どもながらに思った訳でして」

 

 七歌たち一家も湊ら一家も、途中から実家を離れて暮らしていたが、本当に小さい頃は共に実家で暮らし子ども同士はよく遊んでいた。

 他の赤ん坊よりも成長の速かった湊に比べ、他所の子どもより身体が丈夫でありながら、しかし、成長速度は変わらない七歌を湊はよく助けてやっていた。

 互いに一族の事は知らないが、身体能力の優れる湊の真似をしようしている間に、七歌は何度も危険な目に遭い。

 その度、湊は大人が駆けつけるよりも速く七歌を抱き上げ跳躍し、迫っていた車のボンネットをさらに足場にして屋根に移動して助かったことや。階段の手すりに乗り上げて下を見ようとしたまま落下しかけ、一緒に飛び降りた湊が空中で七歌を確保し、猫の如く無事に着地して助かった事などが何度もあった。

 どんな高さからでも着地して無事に済むのは、湊が幼少期から自然に身に付けていた身体技能と肉体性能の合わせ技だ。

 助けられる側という最も近い場所でそれらを目にしていた七歌にすれば、何をしてでも勝ちたいと思いながらも、どれだけ真面目に頑張っても勝つ事は出来ないと理解出来てしまう。

 だからこそ、七歌は正攻法を諦め、普通とは違う事をしていれば何かしら勝てるのではと思い、奇怪な行動を取る様になったらしい。

 そんな娘の話しを聞いた両親は複雑そうな顔をしているが、装ったカレーとサラダの取り皿をテーブルに並べ全員が席に着くと、七歌はスプーンを持ったまま手を合わせる。

 

「いっただきまーす!」

 

 快活に食事の挨拶をすれば、持っていたスプーンでカレーを掬い口へ運ぶ。

 材料を切るのも、ルーを作るのも自分でやったのだから味は分かっている。

 それでも、娘の食べる姿に笑っている両親に見られながら、今日も上手に出来たぜと満足気な表情で七歌は食事を続けていた。

 そう、遠く離れた異国の地で目覚めた新たな龍の誕生を感じ取るまでは。

 

『――――――――ッ!?』

 

 脳内を一条の閃光が走ったかのような独特な感覚、七歌はこれを体験するのは初めてだったが、弟と娘が血に目覚めたときに既に体験していた恭介は、食べる手を止め驚愕に目を見開いていた。

 娘と夫が突然動きを止めたことで、何が起こったのか状況が掴めない和奏が声をかける。

 

「二人ともどうしたの?」

 

 手を止めてジッとしている二人の表情は真剣そのもの。ただし、七歌の方は考え込んでいる様子なのに対し、恭介は何かに驚き怯えどこか顔色が悪く見える。

 心配になった和奏がもう一度声をかけようとしたとき、父よりも早く七歌が口を開いた。

 

「……八雲くんが目覚めた。特級五爪守護龍憑きか、なるほどね。流石はハイブリッド(特別製)

「八雲君が目覚めた? 一体何の話し?」

 

 二人と違って和奏は龍の生まれではない。名家の出身であり、嫁いできた際に龍と鬼の一族の話しも聞いているが、龍の階級制度などはあまり詳しくない。

 湊の生存についても信じているのは七歌くらいなもので、そちらについては和奏だけでなく九頭龍家の誰も信じていなかった。

 だが、九頭龍家の感応現象は個人までは特定できないものの、同じ一族の者が目覚めた事を感じ取る事が出来、隠し子がいなければ条件を満たす者が湊しかいないのだ。

 その事から、逆説的に百鬼八雲の生存と覚醒が判明したと聞いても、それを知覚出来ない彼女は勿論理解出来ないだろう。

 けれど、歴史上一人として存在しなかった最上級の龍に目覚めた者が現れたことで、七歌は現九頭龍家の当主として不敵に笑い答える。

 

「九頭龍家の家督が私から八雲くんに動いたんだよ。私は叔父さんと同じ一級四爪だからね。特級五爪が新たに現れたなら、一族の仕来たりに従って長は現行最上位の者が務めるって訳」

「八雲君は事故で亡くなったでしょう。一体何の話しをしているの?」

「だーかーらぁ、その前提が崩れたの。私が言っていた通り、覚醒を感じ取ったことで八雲くんの生存も確定したんだって。これでお爺ちゃんとお父さんも信じざるを得ないよね?」

 

 七歌の祖父と父は揃って二級三爪守護龍憑きだ。両者よりも高位で家督を継ぐはずだった雅が、家督の継承権を破棄することを条件に百鬼へ婿養子にいったため、今までは祖父が引き続き当主を務めていた。

 だが、名切りと違って目覚める時期に個人差のある九頭龍では、今年になって七歌がようやく力に目覚め、父たちを超える一級四爪と判明したことで当主となっている。

 実家の仕事は学業があるため隠居している祖父にほとんど任せているが、今頃は七歌たちと同じように新たな龍の目覚めを感知し、条件を満たす者が湊しかいないとして生存判明に驚愕しているに違いない。

 

「いやぁ、これで私も家のしがらみから解放されるね。八雲くん、いつ来るのかなぁ。あ、実家の建物とか売っちゃうのかな? そこらへんは残しておいて欲しいんだけど」

「……これは何かの間違いだ。そんな訳がないんだ。八雲君は確かに死んだはずだろうっ!?」

 

 くすくすと愉快気な笑みを浮かべている七歌に対し、ようやく話せる状態になった恭介が声を荒げて、今感じ取った龍の目覚めは間違いだと否定する。

 自分たちの知る少年は両親と共に事故で死んだ。娘が生存していると言っていたが、確かに葬儀を行った。生きているはずはないんだと。

 そんな動揺している父の姿を見ながら、新たな龍の目覚めを感じ取ったならば、それに間違いはないと聞いていた七歌は静かに口を開く。

 

「八雲くんの生存は確実って言ってたでしょ。そして、改めて証明された。信じたくない気持ちは分からなくもないけど、一族の仕来たりにおいて当主は八雲くんに兼任してもらいます。それまでは私が当主代行を続けるけどね」

「っ!? 鬼が龍を従えるなどっ」

「じゃあ、お父さんは八雲くんに勝てるの? 八雲くんは鬼であり龍。盟約からも外れた現人神(アラヒトガミ)だよ? 力もろくに使えない二級三爪じゃ立って対峙することすら無理でしょ」

 

 霊視までしか受け継いでいない半端な龍が、どうやって名切りの最高傑作に勝てると言うのか。

 龍を守っていた盟約は既に消えてしまったのだ。もう鬼を従えることなど出来ず。反対に最高位の龍となった湊に他の龍たちが従うことになる。

 赤褐色から深紅の瞳となった娘に冷たく事実を告げられ、恭介はそれ以上、湊が新たな当主になる事に何も言えなかった。

 そうして、会話が終了すると、食事を続けていた七歌が「ごちそうさま」と言って立ち上がる。

 食事の手を止めていた両親が立ち上がった娘に視線を向けると、食べ終えた食器をシンクに運んで戻ってきた七歌が笑顔で言葉を残してゆく。

 

「英恵おばさまに八雲くんの生存が確定したって電話してくるね。それじゃ!」

 

 外部の人間にまで鬼籍に入った者の生存を告げて良いのかは分からない。けれど、龍と鬼の両家と親交のあった彼女ならまだマシだろう。

 両親はそんな風に考えながら、携帯を片手に上機嫌で去っていく娘を、ただ黙って見送るしか出来なかった。

 

 

午前――シャテーニュ村・教会

 

 イリスたち家族の眠るシャテーニュ村の教会墓地で、シックなスーツに身を包んだナタリアと私兵らは、かつての仲間に花を手向けていた。

 今でも村の人間たちや教会の者が手入れをしてくれているのだろう。特に掃除する必要もなく、彼女が好きだった色の花を置いて静かに目を閉じる。

 

(……結局、ボウヤとは行き違いになってしまったわね)

 

 イリスからの連絡を受け取ったナタリアたちは、数日分の出掛ける準備を整えると、翌日、蠍の心臓本部のあるラナフからパンテルのカニスへと向かった。

 マダム・リリィとはナタリアも顔なじみであり、イリスの訃報を聞き、最期の望みである湊を日本へ返すため迎えに来た事を告げると、既にシャテーニュ村へ向かったと言われた。

 カニスの街へ着いたのが遅かったため、その日は『真夏の夜の夢』に一泊し、翌朝、すぐにフランスのシャテーニュ村へ向かおうとするも、強風によって飛行機が遅れてしまい。

 フランスに到着したのが遅い時間だったため、パリの方で一泊してから、朝になってから車を飛ばしてようやく着いたのだ。

 到着した一同は、あまり広くない村の中を探しながら教会に向かうも湊を発見出来ず、教会で司祭にこんな少年は来なかったか訪ねてみれば、なんと昨日の昼前に村を去ったと告げられた。

 仮に昨日の飛行機が遅れていなければ、かなり際どいがギリギリで行き違いにならずに済んだかもしれない。

 その事を思うと、なんとも儘ならないものだと友人の墓前でなければ溜め息を吐きたい気分だった。

 

「ぐすっ……イリスさんが、どうしてぇ……」

「……こんな事って……あんまりです」

 

 花を手向けながら泣いているレベッカとバーバラ。

 他の男性陣はやりきれない暗い表情で俯いているが、ナタリアにとっては大切な者の死に素直に泣ける彼女たちが羨ましく思えた。

 ナタリアも男性陣も悲しくない訳ではない。永遠の別れに対する悲しさや寂しさ、殺した者への怒りだって当然ある。

 だが、何度も仲間たちの死を目にしてきたことで、大人たちは味方の死に慣れてしまっていた。

 昔は、目の前で泣いている二人のように人前でとはいかずとも、仲間の死に打たれ隠れて涙を流していたものだ。

 数日はろくに食事も摂れず、どこか集中を欠いていたせいで訓練中に怒られもした。

 しかし、悲しい事に人は何度も経験するうちに感情の処理法を覚えて、いつしか仲間の死にすら慣れてゆく。

 今回はこいつだったが、明日は自分かも知れない。いや、自分が腑抜けていれば、他の者たちが殺されるかもしれない。

 そんな風に死に慣れていきながら、悲しみに暮れている余裕もなく、いつしかこの世は不条理なものだと受け入れるようにすらなってしまう。

 だからこそ、大人たちには素直に泣くことの出来る者がどこか眩しく見えた。

 

「レベッカ、バーバラ、そろそろ行くわよ」

『……はい』

 

 ナタリアの言葉に反応し、目を充血させハンカチを持ったまま立ち上がる二人。

 墓地から村へと戻る際、チャドとラースが一応付き添ってはいるが、この平和で長閑な村で襲撃される恐れなどないので、泣いている者同士でいさせても良いだろうと考えながら、ナタリアは湊とどうやって合流するか思案していた。

 湊との連絡は未だにつかない。電話もメールも届かず、司祭らに行き先を聞いていないか尋ねても何も聞いていないと言っていた。

 カニスの街でマダム・リリィから、湊はもう依頼を受けず仕事を辞めるつもりだと聞いたが、イリスが殺された事を知れば湊は十中八九復讐に走るだろう。

 仕事は辞め依頼は受けない。だが、裏の世界から身を引くわけではない。

 リリィに語った言葉の真の意味がそうだと考えれば、相手は今も何か行動を起こす準備をしていると思われる。

 壁の向こうまで見通すような、千里眼に似た力を持った者に潜伏されれば、近付いただけで逃げられる可能性があるため、ナタリアはいっそ何か大きな動きを見せて探す手間が省けないかと考えた。

 もっとも、本当にそんな事になればイリスを殺した黒幕にも見つかってしまうので、本心では潜伏を続けて貰い、何か行動を起こす前に連絡を付けたいと思っている。

 

「はぁ……何をするか分からないって点では、ボウヤの右に出る者はいないわね」

「ははっ、確かに姫の行動は読めませんからね。実際、何が出来るのかもイリスしか把握してなかった。いや、イリスですら姫の全力は知らなかったんじゃないかと思いますよ」

「名切りなんて都市伝説を未だに信じている人間の方が少ないもの。地上十数メートルから着地したり、心臓を破壊しても生きているのを目にしていなければ、私も完全に信じる気にはなれなかったわ」

 

 ナタリアの呟きに後ろを歩いていたラースが反応し答える。

 蠍の心臓にいた時点で、たびたび信じられないような強さを見せられていたが、イリスから聞いていた話しが真実ならば、湊はまだ全力を誰にも見せていなかった事になる。

 本人すらも自覚せず力を抑えているのだから、完全体の名切りは随分と恐ろしい存在なのだろう。

 いつ目覚めるとも分からないそんな相手を、いくら故人の遺言とはいえ、無理矢理にでも拘束して日本へ送り届けなければならないのだから嫌になる。

 とはいえ、送り届けるにしても、行方知れずの現状をどうにか打破しなければならないため、目撃情報がないか調べさせていた蠍の心臓本部へ、その後の状況はどうなっているかナタリアは連絡を取ることにした。

 こんな山奥の田舎でも通話可能な衛星電話を取り出したナタリアは、すぐに登録してある番号を選び、相手が出るまで数コール待つ。

 すると、三コール目に差しかかったところで、回線の繋がる音がして向こうで待っていたセルゲイの声が聞こえていた。

 

《こちら、本部》

「私よ、セルゲイ。現在地はフランスのシャテーニュ村。ボウヤとは行き違いになって会えなかったわ。どこへ向かったのかも分からないから、そちらで何か情報を掴んでいたら教えて欲しいの。何か進展はあったかしら?」

《ええ、目撃情報が一つ。というか、いま裏の方ではその話題で持ち切りです》

「話題で持ち切り? どういうこと?」

 

 ナタリアたちはここ数日移動ばかりしていたせいで、表の世界よりも情報の流れが速い裏の話題に疎くなっていた。

 それを隠しても意味がないので、素直にどんな話題か尋ねると、セルゲイはどこか動揺を押し殺しているような様子で答えてくる。

 

《……実は昨夜、地下協会のパンテル支部に小狼が現れたんです。それも、あの仙道弥勒の死体を持って》

「なんですって!?」

 

 あまりに予想外な内容に驚くナタリア。

 その後、セルゲイからさらに詳しく話しを聞くと、他の者にも話しを伝え、一同は対策を練るため蠍の心臓本部へと一度帰還するのだった。

 

――地下協会・パンテル支部

 

 カニスの街より車で北に二時間ほど離れた場所にある街“プロバトン”。そこに地下協会のパンテル支部はあった。

 街の入り口でバイクを降りて外套に仕舞った湊は、大きな寝袋のような物を肩に担いで深夜の街の中を進む。

 後ろをついてくる鈴鹿御前は、バイクに乗る前と同じ胸元を大きく(はだ)けさせた十二単に再び戻っていた。

 二人は静かな街の中を進み、外れの方にある小洒落たBARの扉を開いて中へと入ってゆく。

 一人は大きな荷物を持ちながらフード付きの外套で全身を覆い。もう一人は現代の日本でも珍しい煌びやかな着物姿。そして両者共が妖しい色香を漂わせた麗人となれば、嫌でも人目を引くものだ。

 もっとも、湊の本来の性別は男なので麗人という呼称は正しくないのだが、客の男たちが厭らしい視線を向け声をかけてきても、相手をする価値もない下衆だとして無視して奥の扉へと向かう。

 

「お客様、こちらはVIPルームでございます。申し訳ありませんが、予約のないお客様はご利用いただけません」

「……懸賞金を受け取りに来た」

「畏まりました。ごゆっくりどうぞ」

 

 扉の前に立っていた男に用件を伝え通る事を許された二人は、VIPルームに繋がる廊下の途中にある扉から地下へと続く階段を下りてゆく。

 ここは地下協会の支部だが、裏の仕事の受注や斡旋を大っぴらに出来ないために、わざわざVIP区画から地下へ通す様にしているのだ。

 通るために必要なのは用件を入り口で伝えるだけ。場所によって条件は異なるが、大概はそれで済むのだから、セキュリティも何もあったものではない。

 とはいえ、ただ金を受け取るために寄った湊にすれば、余計な手続きなど手間をかける必要が無い方がむしろありがたかった。

 表のBARは少々こじんまりとした広さだが、地下にある支部は宿泊施設もついており、総合的な敷地面積は学校の体育館二つ分よりも広かったりする。

 そこには当然、裏の世界で生きている善人とは呼べない者も多数いるため、周囲の人間の心や記憶を勝手に受信して読み取ってしまう今の湊には辛い場所だ。

 

《見るに堪えん下衆の溜まり場よの。この様な輩を相手に仕事をしていて、お主もよく染まらんものだ》

「……育ちは悪くないんでな」

 

 階段を下りきって集会場のような場所に出ると、話しかけてきた鈴鹿御前に答えながら被っていたフードを脱ぐ湊。

 端のテーブルで酒を飲んでいた男たちは、肩にかかる艶やかな髪と神秘的な蒼い瞳、そして、後ろに続く鈴鹿御前にどこか似た退廃的ながらも見る者を魅了する美貌が露わになった途端、下品に口笛を吹いて色めき立っている。

 レインコートのような黒い外套で体型が隠れ、美人で性別が分かり辛くなっているが故の反応だが、酒盛りに誘ってきた男たちを無視して、湊たちはギルドの協会員の待つ受付へ向かった。

 

「地下協会パンテル支部へようこそ。本日はどういったご用件でしょうか?」

「懸賞金の受け取りを」

「手配書の賞金首でしょうか。始末した証拠となる物はお持ちですか?」

 

 懸賞金と言っても、賞金首の討伐から希少生物の捕獲など様々な仕事がある。

 今回は、湊が大きな袋を担いでいたので予想は出来たが、念のために協会員が確認出来る物があるか尋ねてくると、静かに頷いて湊は袋を床の上に置いた。

 それを見た協会員は傍にいた別の者を呼びつけ、床に置かれた袋の中身を確認しにやってくる。

 死体収容用の袋であるため、同フロアで食事をしている者には不幸な事だが、やってきた若い協会員の男はファスナーの位置を確認するなり、すぐに袋を開けた。

 

「ひぃっ!? せ、仙道弥勒っ!?」

 

 袋を開けた男は、裏界でも有名な赤髪の男の生首が胴体の上に置かれているのを見て、慄きながら後退る。

 カウンターにいた男も、仲間の言葉を聞いて信じられないとばかりカウンターを回って確認しに走ってきた。

 右手には手配書の仙道の写真を持ち、左手には手袋をはめて本人であるかを念入りに確かめる。

 最初に確認しにやってきた協会員が大声で仙道の名を叫んだため、現在、この集会場にいる全ての者たちの視線が湊ら一団に集まっていた。

 目立つ事は嫌いではない鈴鹿御前はともかく、大きなデメリットも抱えている読心持ちの湊にすれば、人々の好奇心という名の雑音が酷く煩わしかった。

 協会員が確かめること十五分。途中で他の協会員が二名やってきて、念入りに本人であると確認した後、湊に遺体の移送許可を取ってから共に去って行った。

 そうして、随分と待たされようやく遺体が本物だと証明されたことで、協会員はカウンターに戻って湊に話しかけてきた。

 

「遺体を仙道弥勒本人だと確認致しました。現在、彼に掛けられていた懸賞金は七六六万ドルとなっております。大金ですので指定口座への振り込みか小切手になりますが、どちらになさいますか?」

「小切手で良い」

「畏まりました。では、用意させていただきます」

 

 言い終わるなり、男は地下協会の発行印の押された小切手に金額を記入し、湊に正しく記入されているかを確認してきた。

 金額にミスはなく、また用紙自体も本物である事は、心を読める者にとって確認する事など造作もない。

 無事に懸賞金の小切手を受け取り。もう用が無くなった湊はカウンターを後にして鈴鹿御前と共に去ろうとする。

 だがそのとき、ずっと様子を窺っていたらしい白髪混じりの中年男性が近付いてきた。

 

「どうも御機嫌よう。この度はあの“武神・仙道弥勒”を打ち負かしたとのことで、少々驚きました」

「……何の用だ?」

「ああ、失礼。わたくし“久遠の安寧”という組織の者でして、是非とも貴方様を迎え入れたいとお誘いに上がった次第でございます。実はこの勧誘は我らが姫様直々の申し出なのですよ」

 

 にこやかに話す相手の言葉に嘘はない。相手は下っ端も下っ端だが、正式に久遠の安寧に所属している工作員の一人。

 湊の勧誘は書簡やメールでの伝達のようだが、実際にソフィアが各国にいる工作員に指示したようだ。

 その指示の内容は、

 

「……仮面舞踏会の小狼の勧誘。相手の出す金銭的な条件は全て受けいれ、また組織での地位もソフィア・ミカエラ・ヴォルケンシュタインに次ぐ物を約束する。しかし、交渉に失敗した場合は生きたまま拘束し、捕縛に成功したときには上層部への連絡の後、さらなる指示を待て」

「っ!? な、なぜ、貴方がその内容を?」

「随分と舐められたものだな。そんな麻酔銃を打ち込まれたところで、指先一つ鈍らせることは出来ない」

 

 驚愕し腰が引けている男に言い切り、湊は鈴鹿御前が投げてきた金糸の柄をした刀を受け取った次の瞬間には振り抜き首を刎ねていた。

 刎ねた首が胴体を離れて飛んでゆく。まるでスローモーションのようにゆっくりと落下しながら、動きを制御する頭部を失った胴体も血を噴き出して静かに倒れ出す。

 しかし、元は一つだったそれらが地面に触れるよりも早く、湊は唖然としている者らの視界から一瞬で消え、テーブルで酒を飲んでいた者たちの背後に回り込んだかと思えば、その内の一人の心臓へ深々と刀を刺していた。

 最初の男に続いて、二人目が殺されるまでの間は三秒にも満たない。ほとんどの者は湊が視界から消えて次に現れるまで、全く知覚出来ていなかっただろう。

 そもそも、いくらアウトローな事を扱っている場所と言えど、酒に酔った者同士が殴り合いの喧嘩になることはあるが、急に人を切り殺すような異常者が現れる事など稀だ。

 仮にそんな者が現れようと、大概の場合、周囲の者らが一斉に異常者を排除しようと動き出すため、騒ぎは即座に収束をみせる。

 だが、排除しようと動き出す前に異常者が別の行動を取ってしまっては、状況を理解出来ない者たちは浮足立ってしまい。まるで使い物にならなくなっていた。

 

「あ、あいつ久遠の安寧のヤツを殺りやがったっ!?」

「なんで、他のやつまで殺してやがんだよっ。見境無しかあのバケモノっ」

「仙道殺しが他のやつまで殺し出したぞっ、全員銃を取れ!」

 

 先ほどまで酒を飲んでだらしのない顔をしていた者たちですら、一連の行動に慄き、自分たちの理解を超えている存在を排除しようと銃を手にする。

 久遠の安寧の構成員を名乗る者を交渉するまでもなく殺した。

 これはその組織に対する宣戦布告であり、ヨーロッパで活動している仕事屋たちにすれば自殺志願以外の何物でもない。

 そんな事を考えている間に、次は自分が殺されるかもしれない不安から、銃を持った者たちは一斉に銃口を湊に向ける。

 けれど、欠伸の出そうな緩慢な動きを見せる者らを横目に、向けられた本人は再び他者とは異なる時の流れに乗って鈴鹿御前の元に戻り、血を払った刀を彼女に返し口を開いた。

 

「……振り易い刀だな」

《名をソハヤノツルギと云う。まぁ、史実の物とは異なるが妾の武具は全て一流故な。本来ならば貸し与えることなどせぬが、今後もお主だけは特別に貸してやらんでもないぞ》

「外套にした時点で即時抜刀が可能になった。別に貸して貰う必要はない」

 

 マフラーは首に巻いていたため、一度首に手を持っていく動作が必要だったが、外套にしたことで脇腹だろうが背中だろうがどこからでも手を入れて武器を取り出せるようになった。

 鞘を中に置いてくれば既に抜刀した状態で振り抜ける事もあり、別に武器を貸して貰う必要はないと返す。

 子孫のつれない態度に鈴鹿御前は頬をむくれさせているが、殺す度に消えて別の場所に現れる湊に対し、周囲の者が余計に騒がしくなってきたので、湊は身内の相手をする前に拳銃を取り出し、今度はまた別の人間に向けて撃ち放った。

 愛用のガバメントから放たれた弾丸は、他の者が反応する暇もなく一人の女の眉間を貫通する。

 頭から血を流し倒れてゆく女を見て、僅かに動けるようになった者がまたしても人を殺した湊に向かって恐怖で叫んだ。

 

「こ、殺されるぞっ!! 全員逃げろぉぉぉぉっ!!」

 

 怯えた者たちが一斉に席を立って階段へと向かおうと駆け出す。

 しかし、上には大勢の一般人が客としてやってきているので、突然百人を超える裏の仕事屋たちが上の店に現れれば混乱が起きてしまう。

 混乱が起きれば怪我人が続出し、店自体が摘発されることが懸念されるため、地下協会の者たちは逃げようとする仕事屋たちを止めようとした。

 

「――――動くな」

 

 だが、地下協会の者らが止めようと動き始めたとき、フロア中の人間の耳に静かだがよく通る低い声が届いた。

 まるで耳元で話しかけられたかのような、ゾクリとする悪寒に全員の動きが止まる。

 そして、誰一人動けずに固まっていると、声を出した本人は後ろに女を連れたまま悠々と進み、ある男の前で立ち止まった。

 

「……お前らの上司に伝えろ。殺して殺して殺し続けて、構成員らの屍で築いた山に墓標を建ててやると。当然、自分が殺される覚悟を持って挑んできたんだろう。その覚悟に報いるため久遠の安寧は望み通りに潰してやる。仮面舞踏会の小狼ではなく、名切りの鬼としてな」

《ふふっ、愉しい戦になりそうじゃ。光栄に思えよ、凡骨。この場にいる仲間の内、貴様だけは我らが当主より言伝を授けるため生かされたのだからな》

 

 湊のペルソナになった事で言語能力を逆にフィードバックした鈴鹿御前が、意気揚々と流暢な英語で生かした理由を告げる。

 先ほどまで湊が殺していたのは、全員が全員、久遠の安寧の構成員であった。

 ただし、潜んでいたため周囲の者はそうと気付いていなかったようだが、心と記憶を読まれては流石に隠し通すことなど出来はしない。

 鈴鹿御前に読心能力はないが、湊が現れるまで最も“完全なるモノ”に近かった歴代最強の当主であった彼女もまた、周囲が気付かぬほど僅かな反応の差異を驚異的な洞察力で見抜いていたらしい。

 氷と華、そう例えたくなる対極な表情を浮かべる両者から言伝を預かった男は、腰を抜かしてブンブンと首を縦に振っている。

 それを確認した二人はもうここに用はないとばかりに歩き出し、入り口にいた地下協会の者を手で押し退けて、そのまま静かに去って行った。

 

 

 


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