【完結】PERSONA3 Re;venger   作:清良 要

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第八十九話 仲間たちの会合

深夜――ヨーロッパ・地方都市

 

 とある高層ビルの屋上にいる湊と戦車“アタランテ”。秋の訪れを感じさせる冷えた風が、二人の身体へと吹き付け服や髪をはためかせる。

 しかし、少年はそれを一切気にした様子もなく、以前は半分も引くことの出来なかった紅緋色の短弓を限界まで引き絞って構えていた。

 

《風は見えているな。生憎の向かい風だが獲物にこちらの匂いが届かないのは好都合。ビル風は酷く荒れる事もあるが、感知能力で数キロ先の風の動きを知っておけば、そこから予想する事も可能だ》

 

 いま湊が弓を構える先には何もない。ただ道路と歩道があり、深夜という事で人がまばらにだが歩いている事を除けば、ターゲットとなりそうな物は何もないのだ。

 けれど、二人は風を読みながら狙いを調整し、そのときが来るのを待っていた。

 狙撃ならば対物ライフルによって二キロヒットも可能な腕前を持つ者が、原始的とも言える弓矢を駆使した暗殺を企てている。

 敵と定めた者を殺すときには、機械の如き冷徹さで確実性を優先する普段を知っている者であれば、これはどんな趣向の戯れだと正気を疑い問い質すだろう。

 だが、いまの湊は一切の遊びもなく、氷のような冷たさを宿した蒼い瞳で、直線距離にしておよそ六百メートル先の高級ホテルから出てきたターゲットを捉えていた。

 同じく風に混じる強烈な香水の匂いによって、対象がホテルから出てきたのを感知していたアタランテも風の流れを嗅ぎ分け指示を出す。

 

《もう少し上だ。其処で待て…………よし、放て》

 

 アタランテの指示通り、湊は狙いを付けた矢を放った。

 瞬間最高速度で秒速一五二メートルを叩き出す矢は、夜の暗闇の中、鋭い一条の光となって目標へと近付いてゆく。

 風に流され、弾丸では考えられないような曲線を描きビルを迂回する。

 そんな物が近付いてきているとは知らず、ホテルから出てきた上等なスーツに身を包んだ長身の初老男性は、会食相手なのだろう下品な成金趣味丸出しの中年と共にエントランス前に停められた車に向かっていた。

 車まで残り五メートル、四メートル、三メートル……と、男が進めたのはそこまでだった。

 風を切る、ヒュッ、という高い音が聞こえたかと思えば、次の瞬間には頭部を矢が貫通し、視界は赤く染まって男は意識を手放した。

 硬い頭蓋骨を貫き脳にも深刻なダメージを与えたのだ、これで生きていられる筈もなく、頭に矢が刺さったまま倒れた男を見て、会食相手だけでなく付き人らしき者やホテルのボーイたちも慌てふためている。

 その様子を確認して弓を下ろした少年に、風に乗って届いた血の臭いで成功を察した女が声をかける。

 

《見事。如何に技術が進歩しようと、現存する弓に同じだけの有効射程を持つ物はないだろう。鉄砲と違い弓は放った矢以外に痕跡を残しづらい。故に、どのような捜査機関も射撃点を割り出せず、そなたの仕業だと思おうが決定的な確証を得るには至らぬ》

 

 現代の弓でもただ遠くに飛ばす事だけを考えれば、その飛距離は五百メートルに届くこともある。

 しかし、それはただ遠くへ飛ばすために中空に向けて射ち放つという方法であり、湊のように狙った敵を射殺す事は出来ない。

 高低差を利用して遠矢に適した状況を作ってはいるが、それでも風を利用し、矢の軌道を上下左右に変化させながら完全な死角となった場所を狙撃する離れ業を、まさかこんな離れた場所からしているとは誰も思うまい。

 故に、名切り一の弓使いであったアタランテは、自らと並ぶ腕前を持つ湊を誇らしげに見つめる。

 純粋な腕力で今の湊を上回る名切りは存在しない。それを踏まえれば、有効射程ではむしろ湊の方が勝っているくらいだ。

 実子に弓の才がなかったことで、ついぞ教える事が出来なかった彼女は、時を経て子どもの鍛錬に付き合える事が嬉しかった。

 風に揺れる月明かりと同じ色の髪をかき上げながら、女性ながら凛々しさも感じる西洋人風の顔に喜色を浮かべ、アタランテは湊と共に屋上の出口へと向かって歩き出す。

 一方、それとは対照的に感情の消えた表情をしている少年は、光や発砲音を出さないことで敵に居場所がばれづらく、さらに曲射という妙技で障害物を避けながら敵を屠る術を得たことを感慨深く思っていた。

 

(名切りの血のおかげで理論を完全に把握して修練出来るからか、完全に未知な分野の技術も習得が異様に速いな)

 

 過去の名切りらの知識を引き出すのは簡単だ。この知識が欲しいと願えば自然と頭に浮かぶのだから。

 それを閲覧して自分の知識として一度落とし、自分の身体で実際にやってみる事で最適化を図る。

 その際、肉体のスペックが不足しているという事は基本的にない。

 戦闘を知らなかった菖蒲は、筋力などの関係でろくに技術の習得も出来なかったようだが、本格的な実戦で身体を鍛えている湊にすれば、むしろ過去の名切りの大半よりもよっぽど修羅場を潜っていた。

 加えて、赫夜比売の探知やアナライズを使えば、どういった動き方をすれば良いのかが自然と分かってくる。

 先ほどの射撃にしても、本来は長い経験の中で覚えてゆく風の流れを、能力の目で視覚情報のように完璧に捉えていたのだ。

 技術と知識を完璧に把握し、時に最高の師から学び、また実践するときには優秀過ぎる補助機能を持っている。これで無能でいろという方が難しいくらいだろう。

 

《八雲、教えて欲しい事があれば何でも尋ねよ。遠慮はいらない》

「……今は特にない。また弓を使うときに教えてくれ」

《そうか。そなたは筋が良い。名切り一の弓の名手になれる日も近いだろう。もっとも、私も簡単にその座を渡すつもりはない。心して鍛錬に励め》

 

 湊の態度は素っ気ないが、また教えて欲しいと言われたことでアタランテの口元が喜びに歪む。

 そして、凛とした表情の笑みで激励すると、そのまま消えて湊の中へ戻って行った。

 呼び出していたペルソナが消え、独りになった湊は何を考えているのか読み取れない冷たい表情で屋上を後にすると、すぐに次のターゲットの元へ向かうためバイクに跨り街を去ってゆくのだった。

 

 

9月28日(木)

午後――桔梗組・本部

 

 学校も終わり、チドリが帰ってきた頃、桔梗組本部にはチドリを含めた大人たちが集まっていた。

 湊を除いた家の者たち、情報屋の五代、仲介屋のロゼッタ、元エルゴ研の栗原の計七名。

 組員らとの会合にもよく使っている大きな部屋で机を囲み、一同は重苦しい雰囲気の中で話していた。

 

「以上が、組合員向けの発表と現場の目撃者から話を聞いてくれた友人が知らせてくれた情報です」

 

 先日の地下協会パンテル支部での湊の行動。それを人伝に聞いた五代が全員に向かって伝えた。

 この場にいる者は全員が湊の叫びを聞いた。だからこそ、無事に生きていてくれた事は嬉しいと素直に感じている。

 けれど、五代は傍に置いていた鞄から海外の新聞記事のコピーを取り出し、全員に見えるよう机の上に置いてから、さらに言葉を続けた。

 

「そして、これが小狼君が行ったと思われる事件です。翌日に二人、さらに翌日にも一人殺しています。殺された被害者はEP社の幹部となっていますが、きっと久遠の安寧の幹部でもあったのでしょう」

 

 英語で書かれた新聞記事だが、見出しには大きくEP社の名前が書かれているため、被害者の写真も載っていることから考えれば、湊が宣言通りに構成員を殺して回っているとしか思えない。

 裏界最大規模にして表の世界にも大きな影響力を持っている組織が相手だ。

 先日の敵対宣言からすぐこんなにも堂々と殺して回っては、全て自分の犯行だと認めているようなものである。

 五代の話しを聞いて、今までの湊からは考えられないような、全力で敵を煽る一連の行動を不可解に思った栗原が口を開く。

 

「……湊はやっぱり復讐のために動いているのかい? その、イリスさんが殺されたって話しだが」

「そう考えるのが妥当でしょうね。イリスが死んだと言う話しは、二人が滞在していた宿の方に聞いたんです。そして、今回の敵対宣言ですから、彼にとって敵はイリスの仇だと思われます」

 

 栗原の言葉を肯定し、静かに頷きながら五代は答える。

 湊は誰かを守るとき以外、基本的に自分から攻撃を仕掛ける事はなかった。

 今度の行動も根っこは同じだと思われるので、湊から仕掛けているように見えても、実際に湊を戦いに駆り立てた者が他にいるはず。

 そして、かなり信用出来る筋からイリスの訃報を聞いたことで二つの点が繋がり、湊はただ戦争を仕掛けたのではなく、相手に売られた喧嘩を買って復讐を果たそうとしていると推測された。

 

「……この前、湊からこれが届いた」

 

 と、そこで唐突に桜の隣に座っていたチドリがあるものを机の上に出した。

 他の者たちの視線が集まるそこには、フランスから送られてきたらしいシンプルなデザインをした小さな封筒があった。

 開けてみない事には中身が分からないので、五代が視線で開けてもよいか尋ねるとチドリは僅かに頷く。

 持ち主の許可を得て封筒を手に取り、空いていた封筒の口から五代がそっと中身を取り出すと、それは封筒と同じくらいシンプルな一枚の便箋だった。

 五代の両脇に座っていたロゼッタと栗原も横から覗きこみ、便箋に書かれている文字を読みあげる。

 

「……“ごめん”って、これ小狼くんの字よね? え、これだけ? 他には何もなかったの?」

「その手紙と一緒に、これと同じ湊が付けてたピアスが入ってた」

 

 そう言ってチドリは自分の右耳に付けているピアスを他の者に見せる。

 シルバーの台座にはめ込まれた青い石はタンザナイト。高貴や空想という石言葉を持つ宝石だ。

 このピアスは二人が入学祝いに買ったものだが、普段は青い石が光りや見る角度によっては赤色になることもあるという事で、()(自分)が共にある事を表しているとチドリが選んだ物である。

 湊経由でベルベットルームの住人に強化加工して貰ったが、チドリは二人の絆だと大切にしながら、頻繁に磨いて手入れもしていた。

 そして、それは少年の方も同じで、大切な絆の証しを奪おうとするのなら相応の対応をすると口にしていた。

 だというのに、湊は大切にしていたピアスをたった一言“ごめん”とだけ書いた手紙と共に送ってきた。これが意味するのは、彼が自らの意思で絆を放棄したということであった。

 大切な子どもが今在る絆を捨て、孤独に身を堕としてまで、復讐という哀しい事に手を染めようとしていると知った桜は、顔を俯かせ暗い表情のままぽつりと溢す。

 

「……桐条さんから、みーくんが血に目覚めたと連絡があったんです。九頭龍家は名切りとは異なる異能を持っていて、既に目覚めている者たちは新たな龍の目覚めを感知出来るんだそうです。そして、みーくんは龍の最高位に目覚めたと」

「桐条って、桐条グループが連絡してきたの?」

 

 桜が桐条から聞いたと口にしたことで、チドリが驚いた様子で聞き返す。

 すると、桜は首を横に振って安心してと弱々しい笑みを浮かべて答えた。

 

「いいえ。桐条さんっていうのは総帥の妻である桐条英恵さんのことで、彼女はみーくんのお母さんのお友達だったらしいの。それで、死んだと思っていたみーくんと偶然再会して、総帥や娘さんにも話さない事を条件に会っていたんだって」

「坊主の知り合いだってのは分かったが、なんで、その桐条の人間がこのタイミングで連絡を寄越したんだ?」

「桐条さんも叫びを聞いたらしいです。そして、みーくんの危機を感じて、助けるために力を貸して欲しいと言われたの。みーくんを助けるには名切りの事をちゃんと理解しておかなければならないから」

 

 湊が桐条側の人間と繋がっていたことは驚きだが、同じ叫びを聞いたのなら、それが湊に信頼されている証拠になる。

 普段、湊は自分の事はあまり話さないので、こういった事で驚かされるのはいつもの事だが、彼の過去を知り、さらに桐条側の情報を持つ者が味方につくのなら心強い。

 そうして、英恵から聞いた事を桜が話すのを待っていると、会話に若干ついて行けていないチドリが全員に向かって尋ねた。

 

「そのさっきから言ってるナギリってなんなの? 湊の事?」

「ああ、小猫ちゃんは話しをしたときにいなかったね。まぁ、簡単にいうと小狼君の生まれた家の事なんだ。名を切る者って意味で名切り、それの当て字で百の鬼と書く百鬼(ナギリ)が小狼君の本当の姓だ。名前の八雲にも意味はあるらしいけど、そっちは分からないんだけどね」

 

 以前、エリザベスたちベルベットルームの人間がやってきたとき、湊の容体が命に別条はないと聞かされ、チドリは学校へ行くように言われ家にいなかった。

 そして、少年の役割と命の価値等について知らされていない事もあって、先ほどの様子から察するに、チドリは相手の素性を本人から一切聞かされていないのだろう。

 自分側の情報をほとんど明かしていないにもかかわらず、行動や態度のみでこれだけ信用される人間も珍しい。

 そんな風に心の中で考えつつ五代が訳を話せば、反対にチドリの視線は鋭くなってさらに質問をぶつけてくる。

 

「……どうして八雲の名前のこと知ってるの?」

「わたし達はエリザベスさんたちに話しを聞いていたの。そのとき、貴女が彼と結んでいる契約書で本名を見たのよ」

 

 今度の質問には五代の隣に座っていたロゼッタが答える。

 けれど、話す度に聞き覚えのない単語が混じっているため、チドリは不思議そうに聞き返した。

 

「契約書?」

「“最期までチドリを守り続ける”って契約だよ。聞き覚えはないかい?」

「……ずっと前にした約束」

 

 それは消失してしまったコミュニティよりも強固に二人を繋ぎ止めている絆の鎖だ。

 コミュニティは完全に消えたせいで感知の役には立たない。だが、残っている契約のおかげで、離れていてもチドリは湊が生きている事だけは把握出来ている。

 

「ちーちゃんたちの契約は、エリザベスさん達が記録しておいてくれているの。みーくんは全部で四つの契約を結んでいて、それのおかげでみーくんは彼女たちの客人でいられるらしいわ」

「なんでそんなに契約が多いの?」

「それだけの数が必要だったんだろ。湊はペルソナ使いの中でもイレギュラーだからね。契約を複数結ぶことで、必要なだけのサポートを受けられているんだろうさ」

 

 栗原の推測は概ね当たっている。ベルベットルームの住人らと結んだ第二・第四の契約は、湊を正式に客人として認めさせる物と、担当を追加するために必要な物であった。

 どこにでも扉を開く機能を追加したのも、それがサポートする上で必要だとイゴール達が認めたためであり、担当者が一人だけならば本来認められる物ではない。

 それを、複数名と魂の契約を結べるだけの力を持った湊だからこそ、契約でパスを通す事により特例として二人目の担当者を付けることに成功した。

 複数名との契約は魂が衰弱して死に至る可能性がある。その点、湊は名切りの業を宿していることで魂の量が常人を遥かに超えているので、魂を引き摺られることもなく正気を保っていられる。

 遠くない未来に現れるとマーガレットの占いに出ていた次の客人も、龍の末裔という事で常人よりは魂が強いようだが、流石に複数名と結ぶだけの強さはないのだ。

 名切りに生まれた事でいらぬ業を背負わされたが、それのおかげで大切な者たちを救う事が出来る。何とも皮肉な事だが、この場にそれを口にする者はいなかった。

 

「んで、桜。その桐条のは坊主を助けるためにどうしろって言ったんだ?」

 

 話しが一区切りついたところで、話しを本題に戻すため鵜飼が尋ねる。

 英恵と実際に話した内容を知っているのは桜だけだ。一緒に住んでいるチドリたちも、今日まで連絡があったことすら聞いていなかった。

 事が事だけに、桜が話しづらかったことも理解出来る。

 けれど、謝罪の手紙と共に送られてきた絆の証し、名切りの鬼を名乗って敵対宣言、既に実行に移され出した久遠の安寧の構成員殺し、これら現状を見てもう黙っておく事など出来ないはずだ。

 集まっている者らの視線が桜に集中すると、桜も視線をしっかりと受け止め口を開いた。

 

「いま、桐条グループは極一部の組織の人間を使って秘密裏にみーくんの捜索に動いています。桐条さんの推測では、みーくんの生存を知っている桐条総帥が異変に気付いて、善意から保護しようとしていると思われるそうです」

「どうして桐条グループが八雲の異変に気付くの? その八雲の母親の友達だった人しか繋がりはないんでしょ?」

「いいえ。桐条側にもう一人だけ、ちーちゃんと出会うよりも前にみーくんと深い繋がりを持っていた人がいたの」

 

 全員が本名を知っているのなら隠す意味はないとして、チドリは湊を本名で呼びながら、何故桐条が異変に気付く事が出来たのか疑問に思い尋ね返す。

 すると、桜は桐条側にいる湊の味方は英恵だけではないと、チドリが知らないのも無理はないという意味で、二人が出会う以前の知り合いであることを告げた。

 そこまで聞けば“もう一人”が誰なのか予想がついたのか、集まった者の中で唯一桐条グループの内情に深く関わっていた栗原が口を開く。

 

「……七式アイギスかい?」

「はい。ポートアイランドインパクト以降、一度も目覚めなかった彼女が突如目覚めて脱走し、さらに空港で飛行機を奪っていったそうです。その飛行機は中国の山奥で不時着しているのが発見されました。そして、脱走する際、彼女は“あの方の元へ行く”と口にしていたそうです」

「その“あの方”っていうのが小狼君で、彼の素性とそのアイギスさんの繋がりを知っていた総帥は異変にも気付いた。だからこそ、一度は人柱にした少年を今度は妻のためにも助けようと思ったって訳か」

「概ねその通りだと思います。桐条さん自身も“百鬼八雲”の生存を信じているように振舞った事があるそうですから、壊れた妻の姿と良心の呵責に耐えられずの行動だろうと」

 

 実際、桐条だけでなく美鶴にとっても、湊ら一家を襲った事故直後の英恵の姿はトラウマとなっているだろう。

 本当の家族でありながら英恵は心を閉ざし、死んだ親友と息子との思い出の世界に閉じこもる様になった。

 元々、身体が弱く顔色もよくないというのに、心を病んでいたときにはさらに青白く見えたに違いない。

 爆発事故の後処理で多忙に加え、世間や遺族からのバッシング、また影時間への対処も急務となり、そのために希望の種と思われた湊を回収したにしろ。妻が壊れていく姿を見ながら、その治療薬にもなる少年の生存を話せないとなれば、桐条自身もストレスで身体を壊していたはずだ。

 湊から爆発事故の真相や桐条が話していないグループの暗部を聞き、英恵は当時の夫の状態も察しているだろう。

 だが、英恵は敢えてその話題へと踏み込ませないよう、未だに湊に強い執着を持っていると思わせるために以前の誕生日パーティーでは“狂気の仮面”を被ってみせた。

 彼女の狙いは見事に成功し。桐条は名切りの武器が運び込まれた倉庫には一切近付かず、湊ら一家に関わる話題も意識して避けるようになった。

 娘と問題の少年が同じ学校に通っているのだ。さらに少年は名を変えているにしても、高い適性からグループがマークしている事が耳にはいっているはず。

 そんな状態で、少年の生存がいつまでもばれずにいるとは当然思っていないだろう。

 だからこそ、桐条は今回のアイギスの脱走から少年の異変を察知し、全てがばれたときには少年と妻が会えるように手を回す事に決めたのだ。

 夫と息子、両方の事情を正確に把握しているからこそ、今回鋭い読みを見せた英恵の話しを聞いていた桜は、さらに桐条が動かざるを得ない事情が存在することを話す。

 

「何より、みーくんと同い年の九頭龍家の娘さんは、影時間への適性があるようで葬儀の時点でみーくんが棺にいない事を不思議に思っていたらしいです。彼女はみーくんの生存を確実視していて、今回の覚醒で九頭龍の本筋の方々は全員感知したので、“百鬼八雲”の生存は確定事項として連絡をしてきたそうです」

「九頭龍から坊主の生存報告を聞いたことで、相手はどう動くか言ってたか?」

「今はまだ動かないと。下手に刺激して総帥が事を急いだ命令を下してしまえば、不用意にみーくんに近付いた人は殺されてしまうだろうって」

「まぁ、小狼くんにすれば保護しにきた味方だって言われても、桐条グループ自体が復讐対象ですもんね。彼と久遠の安寧だけの対立図に戦闘意思のない桐条が混ざるとややこしいですし、被害を防ぐためにも懸命な判断だと思います」

 

 七歌が湊の生存が確定したと連絡したのは英恵のみだ。

 最も湊ら一家と深く関わり、彼らの死を嘆いた人物なのだから、その生存を教えてやるのも不思議ではない。

 そして、今回その選択が湊の救出に動こうとしている者にとっては有り難かった。

 まず、桐条は湊が裏の世界で生きている事は知らない。知っていれば不用意にグループ側の人間を近付けることがどういった結果を生むか理解しているはずなので、これは確定事項だと認識して良い。

 次に、上記の理由から、当然、湊と久遠の安寧の対立についても理解していない。

 久遠の安寧と桐条グループは、表の企業同士では様々な分野で争っているのだから、何も知らないとは言え、目的の少年を横から奪おうとすれば裏で組織同士の過激な対立も起こるだろう。

 少年の保護から、何故関係ないはずの組織に喧嘩を売られるのか分からない桐条は、グループの人間に被害が出ても適切な対応が取れない。

 ならば、湊と久遠の安寧の争いが激化するまでは、何も知らず、ただ捜索に人員を割いているくらいの対応でいて貰った方が桐条にとってもいいはずだ。

 英恵もそのように考え、湊との約束を違え二度と会えなくなっても、時期が来れば夫に話してグループの人間の被害を最小限に抑えるよう手を回して貰うつもりでいる。

 だからこそ、桐条グループの動きには注意するものの、何かあれば英恵が連絡してくる手筈になっているため、桜は自分たちが動く上での注意をまず話す。

 

「現状、攻撃意思を持って接近しても絶対に殺されないのはアイギスさんとちーちゃんのみ。ただし、ちーちゃんの傍にいる私たちも守護対象に含まれるので安全とのことです」

「殺されない事を安全と言い替えるのは危険かと。湊さんが仙道を殺し、さらに久遠の安寧と敵対する意思を見せたのなら、そう遠くない内に相手が何かしらのアクションを起こします。そのとき、湊さんの素性が割れ、我々が人質として狙われる可能性も十分にあり得ます」

 

 桜の言葉に普段以上に表情を引き締めた渡瀬が楽観視し過ぎだと返す。

 助けようとしている味方からのフレンドリーファイアが無いのは有り難いが、湊の敵は裏界最大組織だ。

 当然、抹殺か捕獲か不明にしろ湊を放っておく訳もなく、下手をすれば救出に向かった者が湊を誘き寄せる餌にされるかもしれない。

 それならばまだマシな方で、この桔梗組本部まで乗り込まれる最悪の事態も想定しておかなければならず。チドリを逃がすことが出来なければ、湊は彼女の前で敵を殺せないので実質詰みとなる。

 また敵との激しい戦闘の中で、湊が自分たちに気付いてくれる保証もないので、巻き込まれる可能性を考慮すれば安全とは言い難い。

 

「さらに言わせていただけば、経験上もっとも可能性があるのは高額懸賞金によって仕事屋たちを使った人海戦術の討伐作戦を取ってくる事です。懸賞金は組織としての敗北宣言だと言われていますが、相手が裏界最大組織となれば、獅子が兎を全力で狩りに来ているとしか思われません」

「確かに、久遠の安寧が相手ですと包囲網を敷いているとしか思われませんね。となると、小狼君の動き次第だが、僕たちが動けるのは戦いが泥沼化するまでの間になるか」

「いいえ。桐条さんが私たちに求めたのは、みーくん自身を保護することではありません。彼女が本当に求めたのは、現在みーくんの元へ向かっているアイギスさんに名切りの情報を伝えることです」

 

 目的を湊自身の救出だと考えている者たちへ、桜はそれは自分たちの役目ではないと否定し言葉を続ける。

 

「みーくんを止めるにはまず正常化が必要です。ですが、みーくんは決めた事はやり遂げようとしてしまう子ですから、話しを聞いて貰える人物を用意する必要があります」

「……私じゃ駄目なの?」

 

 何故、湊の救出が自分たちの役目ではないのか。それは英恵の情報によると、現在の湊に話しを聞いてもらう事がそもそも出来ないからだという。

 ならば、誰なら話しを聞いて貰えるのかを考えたとき、先ほどの湊にとって大切な二人が当て嵌まると推測したチドリは、自分では駄目なのか尋ねた。

 そんな真っ直ぐと見つめてくるチドリに、尋ねられた桜は少し困ったような笑顔を向けて答える。

 

「名切りの情報を聞けばちーちゃんでも大丈夫よ。でも、貴女を戦場に連れていく事は出来ないの」

「どうして?」

「それを僕たちがしてしまえば、今日までの彼の頑張りが全て無駄になってしまうからだよ。小猫ちゃんが安全な日常の世界で暮らす。そのために彼は戦っているからね」

 

 チドリもアイギスと同じように条件を満たしているため、名切りの情報さえ先に聞いておけば止める役割を果たす事は出来る。

 では、何故そのチドリを大人たちは戦場に連れていけないのか。その理由は、まさに五代が話した通りであった。

 湊はチドリがタルタロスでシャドウと戦う事も本来は嫌がっていた。

 しかし、戦い方を知らなければ自分の身を守る事も出来ない。故に、自分が一緒にいる場合のみ、彼女がタルタロスで鍛錬することを許可していたのだ。

 それを湊の考える平和で温かい日常とは正反対な世界へ連れてゆけば、チドリ本人が気にする気にしないに関係なく、彼が頑張ってきた数年の苦労が全て無駄になる。

 チドリの身の安全のためだけでなく、彼の頑張りを傍で見てきた者たちとっては、夢を語らない少年の唯一と言っていい望みを手伝い守り続けてやりたいという意味合いの方が強かった。

 もっとも、守られてばかりの少女にとっては、相手が自分を守ってくれているからこそ、反対に相手の危機には自分が助けてやりたいと考える。

 

「私だって八雲のために何かしたい」

「なら、ちゃんと学校に通いながら小狼君が無事に帰ってくるよう祈ってあげて。もしも貴女が彼を助けに行っても、多分、ペルソナを出す暇もなく何も出来ないで敵に殺されるわ。そうなったら、もう終わりよ」

「坊主を人間側に繋ぎ止めてる最後の楔がオメェだ。それが取っ払われたら、坊主は完全に鬼になるぜ。本当に坊主を助けたいなら、今回はそのアイギスってののサポートに回るべきだ」

 

 本当に容赦なく敵を滅ぼすのなら、湊は久遠の安寧の研究施設を消失させたように、ただ全力でペルソナのスキルを放つ力押しの戦法をとれば済む話である。

 ただし、それには敵以外の一般市民も巻き込んでしまうリスクがある。理性を保っている湊はそれを分かっているからこそ、地味だと言われようが敵を順に殺して回っていた。

 そして、それはチドリが無事だからこそ出来ていることであり。チドリの身に危険が迫れば、湊は簡単に他者を巻き込まない方針を捨てるとロゼッタ達は読んでいた。

 集まっている大人たちからそんな風に言われた少女は、ムスッとした不機嫌な表情で席を立つと走って部屋を出て行った。

 だが、少しすると一冊のスケッチブックを片手に戻ってきて、とあるページの絵を開いて見せて言い返す。

 

「でも、アイギスって八雲が描いたこの絵の女でしょ? 八雲に会った時点で私たちより年上だし、そんなおばさんに何が出来るのよ」

『っ!?』

 

 チドリが持ってきたスケッチブックは、以前は眞宵堂に置いてあったアイギスの絵が描かれた物であった。

 一同は絵の存在を知らなかった栗原も含め、件のアイギスの姿を知ることが出来る物が存在することに驚きを見せる。

 とはいえ、仮にアイギスが人間で当時高校生くらいの年齢ならば、七年経っても二十代中盤だ。

 体力も若さもまだ十分にあるはずの年齢をおばさんと称するのは、やはり幼い中学生だからなのかと苦笑しつつ、アイギスの詳細を知っている栗原がチドリに真実を告げる。

 

「アイギスはロボットだよ。歳は取らないさ」

「なんでロボットが八雲のために動くのよ」

「あんたらと一緒で胸らへんにパピヨンハートって結合した黄昏の羽根を積んでるんだ。あいつの人格はそこに宿っていて、身体は機械だけど人間と同じように心を持っててペルソナも使える。まぁ、情緒面の発達はいまいちだろうから、その分、今はただ一つの大切な存在のために全力で何かしようとしてるって感じだろうね」

 

 正確に言えばアイギスは首より僅か下辺り、湊は心臓を包む形で、チドリとマリアは心臓内部に黄昏の羽根を宿している。

 チドリとマリアが心臓内部に宿している理由は、飛騨によって手術で羽根を内蔵した湊と違い、二人の羽根は湊がエネルギー状にして吸収させたためである。

 そして、羽根自体が半エネルギー化している湊は心臓を吹き飛ばしても羽根は残り続けるが、他の三人は内蔵部位を破壊されれば、それらと一緒に羽根も出てしまうという違いがあった。

 

「なんで、八雲はロボット何かを信用してるのよ」

「そりゃ、命の恩人だからだよ。湊もシャドウからアイギスを守ったが、敵にやられて死に掛けた湊に力を分けて蘇生させたのはアイギスだ。あんただって湊に助けられて恩を感じてるだろ。二人も一緒さ」

「八雲はそんなの一度も話してくれなかった」

「話す機会がそもそもなかったんだろ。というか、その戦いが原因であいつは桐条に回収されたんだよ。無事だったら親戚かその桐条さんに引き取られてただろうし。あんたと会う事はなかったはずだよ」

 

 アイギスがいなければ湊は生きておらず、またエルゴ研で被験体らと出会う事もなかった。

 湊が桐条に回収されるに至った経緯を理解している者にそれを言われてしまえば、チドリはもう黙るしかなかった。

 不貞腐れたように不機嫌な表情をしている少女に、大人たちは苦笑しながら脱線していた話しを戻す。

 全くの偶然だが、まるで写真と見紛うばかりの湊の絵によって、栗原以外の者らもアイギスの姿を知ることが出来た。

 とても繊細なタッチの優しい絵だ。絵の中で笑っている彼女を通じて、湊がどれだけアイギスを大切に想っているのかが伝わってくる。

 反対に、事故から眠り続けていた彼女が少年の危機を感知して目覚めた事で、アイギスがどれだけ湊の事を想っているのかも想像がついた。

 お互いに想い合っている者同士なら運命が引き寄せるはず。ならば、それまでに必要な事を全て済ませておかなければならない。

 表情を引き締め顔を上げた桜が、皆の視線を集めて静かに口を開く。

 

「これからみーくんの身に起こること。それは完全なるモノへ至るための人間性の消失、もっと単純に言えば“百鬼八雲”という人格のフォーマット(初期化)です」

 

 そのまま続けて語られた一族の宿願たる名切りの業。それに至るために起こる少年の変化は、聞く者たちから現実感を奪い、全員がただ言葉を失うしかなかった。

 湊の敵は久遠の安寧だけではない。戦えば戦うほど、時間が過ぎるだけでも湊は個を失い続け。いずれは一族が求めた得体の知れない存在に成り果てる。

 何を持って名切りがそれを目指したのかは分からない。けれど、一同は既に残された時間が少ないことを理解したのだった。

 

 

 

 


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