【完結】PERSONA3 Re;venger   作:清良 要

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第九十話 悩み相談室

9月30日(土)

放課後――巌戸台商店街

 

 本日の授業が終わり、今日は幼馴染の部活もないことから、共に真っ直ぐ帰ろうとしていた荒垣。そこへ一緒に居た真田が、帰りにどこかへ寄って行かないかと良い笑顔を浮かべ声をかけた。

 

「シンジ、帰りに何か食っていかないか? 海牛で牛丼なんてどうだ?」

「月曜にも行ったばっかだろうが、美紀のやつもお前の食生活を心配してたぞ」

「ぐっ……そ、そうか」

 

 何か食べないかと言っておきながら、本人はかなり牛丼を食べたかったらしく、とても悔しそうな表情で肩を落とし下駄箱へと進む。

 近しい者たちからシスコンと認識されている真田は、美紀の名前を出されてしまうと、相手の言い分を否定して完全に我を通す事が出来ない。

 隣を歩く荒垣も長い付き合いによってその事を分かっており、敢えて名前を出して相手をコントロールすることがあった。

 コントロールされている本人は未だに気付いてないようだが、妹の美紀は無茶な事をよくする兄を諌めてもらうため、自分の名前を使う事を荒垣に許可している。

 それらは昔からの付き合いによる信頼関係の賜物だが、下駄箱について上履きから靴へ履き替えながら、食べに行くこと自体は賛成だった荒垣が別の店を提案する。

 

「たまには、“わかつ”で定食でもいいだろ」

「ふむ。なら、スタミナ焼肉定食だな!」

「……そりゃ、行ってから決めればいい。季節物のメニューだってあんだからよ」

 

 紅ショウガやタマネギくらいしか野菜の入っていない牛丼から離す事が出来たと思えば、またガッツリとした牛肉を選ぶ幼馴染に、荒垣は頭を抱えたい衝動にかられた。

 けれど、スタミナ焼肉定食には付け合わせのサラダに味噌汁や漬け物もついている。カロリーは摂取し過ぎだが、バランスはある程度考えられているだろう。

 健康を考えられたメニューの多い店だけに、普段の牛丼よりも数倍健康に良さそうだと考える事にして校舎を出ようとしていたとき、先に出ていた真田が荒垣の後ろに視線を送って急に手を挙げた。

 

「よう、お前たち。今日は部活だと思っていたが、もう帰るのか?」

 

 声につられて荒垣も振り返ってみれば、そこには佐久間を除いた美紀たち美術工芸部のメンバーが揃っていた。

 先ほど真田が言っていた通り、土曜日は部の活動日のはずなので、一人二人が用事で休むならともかくテスト期間以外で休みなのは珍しい。

 チドリは普段から表情が読み辛いが、他のメンバーの顔を見てみればどこか元気がないようにも見える。

 少々気になった荒垣は、真田が何か言う前にメンバーに尋ねる事にした。

 

「お前ら何かあったのか?」

「ええ……まぁ、ちょっと。その事もあって佐久間先生が部活に出られないので今日は休みなんです」

「そりゃ、俺たちに話せることか?」

「えっと、一応、そうですね。兄さんとシンジさんにも話して大丈夫だとは思います」

 

 どこか話しづらそうにしている美紀が、答える前にチドリに視線を送って許可を貰っていた。

 そこから湊に関わることかと推測するが、海外にいる相手に何かあったと聞いても自分たちに何かできるとは思えない。

 話す事で楽になる場合もあるが、それは自分や周囲の物事に対する悩みや愚痴がほとんどで、深刻な心配ごとに対してとなると楽になる可能性は低い。

 内容が湊についてという時点で、真田の反応も決して良い物にはならないだろう。

 悩みがあれば相談に乗っても良いと思っていた荒垣も、そこまで考えて今度改めて時間を作って聞くべきか答えかけたとき、部活メンバーの後ろから新たな人物が現れた。

 

「君たち、入り口に固まっていると通行の妨げになるぞ」

「あ、すみません」

 

 綺麗な微笑を浮かべて女子らを注意したのは、男子二人と同じ巌戸台分寮に住んでいる最後のメンバー、桐条美鶴。

 注意された女子らは謝罪してすぐ横に避けたが、そこで男子二人の姿を発見した美鶴は、偶然だなとばかりに先ほどの真田と同じく手を挙げて挨拶をしてくる。

 

「ん? なんだ、真田と荒垣じゃないか。君たちもいま帰りか?」

「ああ。時間を潰し夕食も済ませて帰ろうかシンジと話していたら、今のお前みたいに美紀たちと出会ってな。しかし、何か悩みがあるらしく、今から食事がてら悩み相談といったところだ。丁度良い、桐条も先輩女子の立場で答えてやれ」

「って、おい!?」

 

 その場でずっこけそうになるほど驚き、荒垣は思わず自分の幼馴染を殴り飛ばしたくなった。

 まず、何故、既に一緒に食事をしながら悩み相談することになっているのかという疑問が一つ。

 さらに、普段からどこかデリカシーが欠けている男だとは思っていたが、ここで全く無関係な人物以上に微妙な立場にいる美鶴を何故誘ったのかを強く問い質したい衝動に荒垣は駆られた。

 真田自身も美鶴が湊のストーカーと噂されていたことは知っていたはずだ。相談者の中にその家族の少女がいる時点で、美鶴は相談者に相応しくないだろう。

 案の定、女子たちの表情は見る見る微妙な物に変わり、良識人の風花ですら真田を少し可哀想な人という目で見ている。

 これで美鶴が相談に乗ると答えてくれば、相手が善意で言っていることに加え、全く親しくない上級生という事もあってはっきり意見を言いづらい以上、彼女たちも断りづらくなってしまうだろう。

 どうか答えを間違えないでくれと心の中で祈りつつ、荒垣は女子らと共に美鶴の返答を待った。

 

「今日は特に用事がないから構わないが、それは私が聞いても大丈夫なのか?」

「えっとぉ、その……」

「別にいいわよ。桐条グループならどうせそのうち気付くだろうし」

 

 ここで荒垣は再度驚くことになる。なんと、答え辛そうにしていた美紀に代わり、隣に立っていたチドリが同席を許可したのだ。

 彼女が桐条グループと口にしたとき、美鶴がどこか表情を強張らせていたことが気になるが、最難関がクリアされたのなら相談を受ける側であった荒垣が口を出す事ではない。

 美鶴の列席が決定するなり真田の先導で移動を始め、風花が家でご飯が用意されているからと途中で別れたりもしたが、一同はそのまま「定食“わかつ”」へと向かうのだった。

 

――定食“わかつ”

 

 商店街に店を構える定食屋の“わかつ”は、この商店街で荒垣がはがくれの次に利用する店だ。

 置いているメニューは栄養バランスが考えられており、健康を気にするサラリーマンや、体重やカロリーを気にする女性にも人気の隠れた名店である。

 チドリと美鶴は来た事がなかったのか、少し不思議そうに店内を見渡していたが、隣り合う四人掛けの席二つに学年毎に分かれて案内を受け。とりあえず、食べる物を全員注文してから話す事となった。

 二年と三年でテーブルは分かれているが、壁側から順にソファーにはゆかり・美紀・美鶴が座り。椅子には同じく壁側からチドリ・真田・荒垣の順で席に着いた。

 店員がやってきて両テーブルにお茶とおしぼりを配り、既に決定していた注文を聞いて去ってゆく。

 これで話す準備は完了だ。一体何の話しか気になっていた三年生組が視線を向けたところで、美紀ではなくチドリが口を開いてきた。

 

「悩みって訳じゃないけど、海外にいる湊が行方不明になったの。行方不明になってから一度だけ手紙が来たから生存は確認出来てるけどね」

「行方不明? 彼はキャラバン隊に同行して慈善活動に勤しんでいたのでは?」

「その同行相手が事故に巻き込まれて死んだの。共通の知り合いに情報を集めて貰ったから確実な情報よ」

 

 美鶴の問いに対して返って来た予想外の内容に上級生たちは言葉を失う。

 ただ連絡がつかないのではなく、湊の旅の安全を保証する人物が事故に巻き込まれ死んでしまった。

 もし自分の立場で同じ場面に遭ったらと考えた男子二人は、英語を話せない事もあって現地でまともに助けを求める事も出来ない確信がある。最初は笑って妹の悩みを大丈夫だと言ってやるつもりだった真田も、これには軽々しく大丈夫だと言える自信がなかった。

 

「あいつを最後に確認出来た場所は分かっているのか?」

「手紙はフランスからきたわ。ただ、そこは同行者の故郷だから、亡骸を弔いにいっただけみたい。それから一週間くらい経ってるし。どこで何をしてるかも分からない」

 

 手紙の消印からいつまで滞在していたかは知る事が出来る。けれど、それ以降の足取りは基本的に不明で、五代に色々と調べて貰っているが、EP社の幹部が殺されたというニュースを全て湊の犯行だとするにしても、集まった情報から推測するにはそれぞれの場所に距離があり過ぎた。

 栗原がイリスから聞いた湊の異能の一つに、「影時間の展開」という物も確認されている。理論は不明だが、内蔵している黄昏の羽根にあり得ない量の力を込める事で可能という話しだ。

 自身には出来ない力の使い方だが、チドリは湊がその力で身体能力を強化して移動を続けているのではないかと読んでいた。

 時流操作を知らないからこその考えだが、当たらずとも遠からずな読みであり。影時間の展開すら知らない者には出す事の出来ない推測である。

 なので、チドリは叫びを聞いた人間に湊が行方不明であることは伝えたが、事件との関連性などは話していない。

 詳しい話しを聞かれれば、どうして一般人がそんな場所を訪れていたのかという、裏の仕事についての話しにも発展してしまいかねないからだ。

 家がヤクザだということはばれても構わない。湊の本名や桐条との繋がりがばれることは遠慮したいが、それでも七年前に起こった爆発事故の犠牲者以上の人数を既に殺めている事を知られ、湊が他の人間から得体の知れない化け物のように見られるのは嫌だった。

 だからこそ、チドリは店員が注文の品を持ってきたことで、自分側からの話しを一度止めて他の者が質問なり意見なりを出してくるのを待つ。話すのは訊かれた事で回答可能なもののみにするつもりなのだ。

 

「なるほど……学校の経営に携わる者として、留学中の生徒の情報を把握していなくてすまなかった。だが、彼が仮に個人で行動しているとして、銀行などからお金を引き出した記録で移動の痕跡くらいは追えるんじゃないか?」

 

 想像していた以上の難しい問題に、美鶴は教師や学生だけでは確かに解決できそうにもないと思いながら、真剣な表情で謝罪と個人的な意見を一つ述べる。

 湊が留学する前にグループの者に行わせていた調査では、度々、尾行をまかれることや見失うことはあったものの、記録として残る物からならば、そこに居たという証拠として追跡の助けにはなるはずだ。

 そもそも、どうして手紙を送っておきながら、電話やメール等で連絡を取ろうとしないのかが不思議だが、連絡を取ることの出来ない事情があるのかもしれない。

 急に深く追求しても失礼になると思った美鶴はそちらの質問は控えておき。チドリの言葉を待っていると、焼き魚を食べていたチドリが口を拭いてから答えてきた。

 

「私は違うけど湊は自分のカードを持ってるし、現金(キャッシュ)も百万以上持ち歩いてる。私たちが把握してない個人の口座も持ってるし。銀行自体が湊の味方についてるから、正直、そっちから追跡することは実質不可能ね」

「銀行自体が味方? 個人情報だから教えて貰えないということか? 警察に相談……は、家庭の事情的にしづらいかも知れないが、相談すれば警察経由で教えて貰う事は可能なはずだぞ」

 

 二人の実家がヤクザであることはちょっとした秘密だ。周囲の者にも話していないようなので、美鶴は隠しておくべきと判断し、途中で言葉を濁しながら教えて貰う事は可能だと伝える。

 しかし、それはチドリも勿論知っていたので、個人情報だから教えても貰えない以上の問題が邪魔をしていることを説明した。

 

「湊がメインに使ってたのが海外のラウルス銀行なの。そこの会長と湊は個人的に繋がってて、湊が私たちのことを相手側に話して無かったから、口座があることを知ってるって伝えても存じませんの一点張りだったのよ」

「ラウルス銀行の会長……アドルフ・ベレスフォード氏か。ベレスフォード財閥のトップなら、私も一度だけ社交界でお会いしたことはあるが、有里はどこであの貿易王と知り合う機会があった?」

「……人攫いにあった娘を偶然助けて、その関係で相手側から変に信頼されてるらしいわ」

 

 湊は元々日本の銀行を大人しく使っていたが、以前に人攫いから娘を助けた縁で親の美術品コレクター改め貿易商と出会い。彼のグループが経営している銀行に口座を作って貰っていた。

 貿易商のくせに銀行まで持っているのかと当時の湊も不思議に思ったが、グループが経営しているのは貿易会社のアルブス商会とラウルス銀行のみらしいので、元々金があって貿易会社を設立したのか、逆に貿易で成功し金を持った事で金融業にも手を出すようになったのだと推測された。

 そして、会長が用意したラウルス銀行の口座は日本よりも利息が高く、他所の銀行でもラウルス銀行が日本よりも割高の手数料を負担して現金を引き出す事が出来るお得なサービスが付いている。

 セキュリティ等も上客扱いが故に、チドリたち家族が情報を知りたいと言っても教えることはないため、裏の仕事で稼いだ金を入れておくには非常に安心且つ便利であった。

 美鶴も名前を聞けばすぐ思い出せる程度に相手を知っており、相手が自分を覚えているかはともかく同じ社交界に出席したことで面識もあったため、世界的に有名な貿易王と呼ばれる男と湊に個人的に付き合いがあると聞いて、素直に驚きを隠せなかった。

 

「……君や有里の普段がとても気になるんだが、訊かない方が良いんだろうな」

「あんな変態と一緒にしないで。私は実家と巌戸台周辺でしか生活していないけど、湊は一人で色んなところに出掛けてるから、こっちの知らない交友関係が山ほどあるのよ」

「ふむ、ならば、欠席が多い理由に病欠以外が多数含まれていると思っても良いのか?」

 

 湊は二週間に一度は欠席しており、その時々で期間は変わるものの一日から三日というのが基本だった。

 彼の欠席にがっかりしている者は多いが、学校側に身体が強くないという医者の診断書も提出しているため、虚弱体質も皇子を飾る一種のステータスのように最近では思われている。

 だが、家族である少女から放浪癖があると語られた事で、もしやサボっているのではないかと美鶴は推測した。

 

「病院にはよく検査しに行ってるし、テストでしっかり結果を残している事を理解した上で、さらに貴女が勝手に想像した架空の欠席理由を咎めるならご自由に」

「……それは中々に難しそうだな。まぁ、彼は私の話しを聞いてくれるとは思っていないが、本当に身体が弱いのなら高等部からは課題の提出で出席日数を加算することを伝えておいてくれ」

 

 将来的に組織経営を行う予行演習として、中等部に入ってからは学校の経営に多少関わっているものの、さぼっている程度で湊を罰する権限を美鶴はそもそも持ち合わせていない。

 それでもチドリに欠席理由を尋ねたのは、単純にさぼりは良くないという上級生や生徒会長の立場から諌めようと思ったからだ。

 しかし、チドリの言った通り、さぼっているというのは根拠のない推測に過ぎず、湊は美鶴と同じようにテストで満点以外は取った事がないので、真面目に勉学に励んでいると思っている教師の方が多いのは確かだ。

 疑いを持たれるような事を頻繁に行なっている湊たちも悪いが、よく知らずに疑った自分も悪かったと美鶴は素直に反省し、以前の経営会議で議題に挙がった「やむを得ない事情により欠席の多い生徒の特例措置」にて決定したことを教えておいた。

 私立なので中等部でも退学等はあり得るが、義務教育で進級に出席日数が響かない中等部と違い。高等部に入ってからは必要な出席日数を満たしていなければ留年する。

 今の湊の出席のペースから計算すると、成績は足りていても出席日数で二、三科目は落としてしまいそうなのだ。

 しかし、テストでは全国模試でも満点を取り続け、桐条グループの娘という最初から大きな看板を背負っている美鶴と違い、一応、湊は一般家庭の子どもという扱いなので、成績が優秀であれば経営者の娘よりも広告塔として宣伝しやすい。

 学校もそれをよく理解しているため、湊を他所に取られるくらいであれば、いっそ特別扱いしてでも残ってもらおうと画策していた。

 美鶴の発言から、そのような裏の意図を読み取りつつ、それでも湊にとって有利に働くことであれば拒む理由のないチドリは、おひたしを口に運びながら頷いた。

 そして、そこでずっと話していた二人の会話が一区切りついたと判断したのか、スタミナ定食の肉を頬張っていた真田は、鞄から取り出したプロテインを水に入れて混ぜながら、以前から抱いていた疑問を当人と当事者の家族の少女に軽いノリで尋ねてきた。

 

「そういえば、桐条はあいつを追いかけ回していたんだったな。お前があいつにご執心の理由も気になるが、なんであいつはこいつに対して無反応を貫いているんだ?」

「に、兄さん、そういう個人の事情に深く踏み込んじゃ駄目ですよ。会長や有里君にも失礼じゃないですか」

「しかし、理由があるから桐条はストーカーにまでなっていたんだろう? まぁ、有里がこいつのそういった強過ぎる執着心を見抜いて最初から避けていたなら納得するが、他に理由があるなら知っておいた方がいいじゃないか」

 

 本人に悪気はない。というより、単純に気になるから訊いているだけなのだろう。

 けれど、あまりにも言葉を選ばない真田に、実妹と幼馴染の少年は頭を抱え、再びストーカーと呼ばれた美鶴の額には青筋が浮かび、チドリは我関せずと食事を続けていた。

 よって、第三者の立場で話しを聞いていたゆかりは、自分が一番冷静に話しの軌道修正を図れるだろうと、少々強引にでも流れを変えるべく会話に参加する事を選んだ。

 

「……真田先輩って基本的にデリカシーないですよね。なんでファンの子たちは内面の残念さに気付かないんだろ」

「おい待て、岳羽。俺のどこが残念なんだ」

「女性に対してストーカーとか言っちゃうところですよ。桐条先輩は学内でしか追いかけ回してなかったんですし。ストーカーまではいってないと思います」

 

 納得がいかないと憤慨する真田へはっきり言い切るゆかりだが、同じテーブルにいた美紀とチドリが彼女に向けた視線にはどこか呆れの色が混じっている。

 それも当然で、フォローしようとしていたはずなのに、逆に何度も“ストーカー”という単語を使う事で美鶴に精神的ダメージを与えていたのだから、一瞬でもナイスフォローと期待しかけた人間にすれば呆れるしかない。

 案の定、三年生のテーブルでは先ほどまで額に青筋を浮かべていた美鶴が、今度は顔色を青くして僅かに動揺している。

 

「い、いや、待ってくれ。理由は話せないが、私が彼に付き纏っていた事は認めよう。だが、君たち下級生まで私をその……彼のストーカーのように認識しているのか?」

「べ、別に、そんな事は……」

「真田妹、気を遣わなくていい。正直に言ってくれ」

「あの、美紀で良いです。それで、そうですね。しつこいめのストーカーだと、思っている人もいます」

 

 すぐ傍にいる美紀ににじり寄り、肩に手を置いてジッと視線を合わせて問い質す美鶴。

 顔付きが美人系ということもあって、湊やチドリに荒垣ほどではないが、美鶴も大概目付きはきつい方だ。

 そんな相手に逃げられないよう肩を掴まれ、真正面から真剣な表情で見つめられれば普通の生徒は怯えてしまうだろう。

 しかし、美紀は上の三人に加え、冷淡な素の佐久間を見ていたこともあって、なんとか言葉に詰まりながらも最後まで言い切ることが出来た。

 もっとも、それが質問者にとって良い結果であるかは別の話であり、下級生にまでストーカーだと認識されていることに、美鶴はショックを隠せなかった。

 湊が留学から帰ってくる来年には、美鶴は高等部に上がっているので接触することはまずないが、それでも七割以上の生徒がそのままエスカレーター式に進学してくるため、再来年にはストーカー事件を知っている者が再び揃う事になる。

 それなりの地位を持つ家柄に生まれ、周囲からは名家の御令嬢と思われている自身が、そんな犯罪者予備群としてカウントされ家名に泥を塗ってしまったことで、美鶴は両親や先祖に申し訳ない気持ちでいっぱいだった。

 美紀の肩に手を置いたまま俯き、暗い雰囲気で影を纏った美鶴は弱々しいトーンでぽつりと尋ねる。

 

「……有里は、被害者として同情的な扱いを受けていたか?」

「それは特になかったと思います。会長さんの耳にも届いていると思いますが、彼は一部の生徒から皇子と呼ばれていますから、桐条グループの御令嬢であっても歯牙にもかけないとして、その孤高さたるや正に真の王族であると」

「美紀、お前まさか有里を……俺は絶対に許さんぞっ」

「ち、違います! そう言っていた友達がいるだけで、有里君はただの友達ですよっ」

 

 美鶴と妹の会話を聞いていた真田は、美紀が湊を皇子と呼んだところで眉を顰め、さらに続いた賛美を聞いたところで爆発した。

 自分よりも強い男しか美紀の恋人として認めない。普段からそう言い切っているだけに、一度敗北している真田は条件を満たしている湊を他の誰よりも警戒している。

 恋愛方面に興味のない真田から見ても、この場に揃っている女性陣は見目麗しく、全員が非常にハイレベルだと断言できる。

 その中でも妹の美紀は個人的評価で頭一つ分抜き出ており、湊や他の男子が惚れてしまっても無理はないと思っていた。

 もっとも、告白や交際を認めるつもりはまったくないため、美紀自身が真田の出した条件をクリアした男子に興味を持っていようと、真田は断固として反対する構えを見せた訳だが、本人の口からそれを否定する言葉を得られたため、真田は安堵の息を吐いて額を拭った。

 

「はぁ、まったく、驚かせおって。岳羽、自分の男くらいしっかり管理しろ。俺の妹に近付かせるな」

「は、はぁっ!? なんで彼が私の物になってるんですか!?」

 

 かなり身勝手な理由の籠った突然の流れ弾に驚くゆかり。それも当然で、どうして湊と自分が付き合っていると真田が思っているのか、皆目見当もつかないのだ。

 周囲の者も真田の言っている意味がよく分からないらしく、問い返したゆかりに相手がなんと答えるのか待っていると、本人は聞き返されたことにやや不思議そうな顔をして軽く答えてきた。

 

「夏祭りにキスしてただろうが。付き合ってもない男にする事じゃないだろ?」

「キスじゃねぇっつの! したのは投げキッスですから! しかもあれ、有里君がキスしろって言ったからしただけで、別にそういうのじゃありません!」

 

 湊はそんな事は言っていない。情報が欲しければ対価を払えと言って、キスで良いと答えただけである。

 しかし、ゆかりの中では湊がキスしろと言ってきた思い出として認識されているらしく、顔と耳を真っ赤に染めて立ち上がった彼女は、誤った真田の言葉に激しく反論した。

 

「岳羽さんだったか? ここは店の中だ。真田の方も悪かったようだが、君ももう少し静かにな」

 

 とここで、話しを聞いていた美鶴が大きな声で騒いでいた者らを静かに窘める。

 まだ夕食前の早い時間なので店内に客の姿はほとんどないが、大声で騒ぐのはあまりよろしくない。

 言われたゆかりもそれで少し落ち着いたのか、「あ、すみません」と言いながら席に座った。

 そんな下級生の素直な態度を見つめつつ、話しを聞いているときから何か考える素振りを見せていた美鶴が改めて口を開いてきた。

 

「ふむ、私は吉野と彼が付き合うとばかり思っていたんだが、随分と複雑な人間関係を構築しているようだな。この分だと先ほど別れた山岸も彼と何かしらの……」

「……去年の夏休みに湊と二人で朝から晩までデートしたことがあるけど」

「そ、そうか。成績上位陣ばかりだから信用していたんだが、彼を中心に随分と風紀が乱れ切っているな。君たちはまだ中学生だ。結婚出来る年齢でもないし、早まった行為に及んだりしてはいけないぞ。何かあったときに泣くのは圧倒的に女性だからな」

 

 見た目は校則違反の装飾品を付けている事もあって不良だが、成績と素行は大変優秀だとして湊を模範生として学校側は扱っている。

 けれど、実際に近しい場所で話しを聞いてみれば、何やら怪しい空気を感じ取ったことで、美鶴はせめてここにいる女子らに、自分を大切にするよう言い聞かせておくことにした。

 仮に湊から身体などを求められても突っぱねる。自分たちはまだ全ての責任を負えるほど大人ではないとして、しっかりコントロールしなければ泣くのは自分だからと。

 もっとも、言われた本人たちにすれば、そのような複雑で爛れた人間関係など存在しないので、頭の上にクエスチョンマークを浮かべて呆けている。

 さらに、女子の中でも最も湊に近しいパーソナリティを有した赤髪の少女は、家族を他の思春期男子レベルの自制心しか持ち合わせていないと思われたことが癪だったようで、心底呆れた顔をしながら小さく言い返した。

 

「……ストーカーに言われてもね。説得力の欠片もあったもんじゃないわ」

「そ、それは置いておけ。第一、君は私が彼と接触を図ろうとしていた理由を知っているだろうが」

「“将来有望そうな男子を若い頃から自分好みに仕立てるため”だったかしら? 金持ちは性的嗜好まで倒錯的で理解に苦しむわね」

「ね、捏造だ! お前たち、吉野の言葉に騙されるなっ。私はそんな事は一言も言っていない!」

 

 あまりに突然の事態に動揺し、反論の言葉を詰まらせる美鶴。

 必死にチドリの言葉を否定するも、直前にどもってしまったせいで他の者の目には逆にチドリの言葉が真実であるように映ってしまう。

 真田からは呆れた目で見られ、ゆかりは軽蔑の色を混じらせた冷たい瞳、美紀と荒垣は同情的な視線をそれぞれ送ってくる。

 そんな目で見られた美鶴は、さらに激しく否定しようとするが、その前にチドリの口から追撃の言葉が発せられた。

 

「ああ、私のことも欲しいって言ってたものね」

「なっ……吉野、私はお前を倒すべき敵と認識したぞ。中等部においてアンコントローラブル(制御不能)な四人の内の一人だからな。初めから警戒しておくべきだった」

「四人って、私と湊以外に誰がいるの?」

「佐久間先生と櫛名田先生だ。まぁ、君らは基本的に一固まりで動いているから、学校としても注意を割かずに済んで楽なんだがな」

 

 話題が逸れた事で美鶴も僅かに冷静さを取り戻し、肩をすくめて溜め息を一つ零す。

 要注意人物として四人は名前を挙げられることもあるが、湊とチドリは教師二人よりも扱い自体は難しくない。

 湊は頻繁に休むことがあるにしても、成績も優秀で学外で人助けを行って感謝の電話がくることもあるのだ。

 学内では静かに絵を描いたりしているチドリも含め、自分から誰かを害することや騒ぎを起こすことはないので、要注意ではあるものの他の生徒よりも信頼度は高い。

 けれど、教師二人はノンアルコールとはいえ学内で酒盛りすることもあれば、特定の男子生徒に抱きついたりするなど、非常に教育上よろしくない行動を多く取っている。

 様々な問題行動に対し先輩教師から注意を受ける事もあるが、仕事自体はしっかりこなしており、むしろ、残業がいらないくらい効率的に進めている事で、学校としても助かっている事もあって大きな声で注意することは憚られた。

 

「……まぁ、有里が留学していることもあって、彼女たちも最近では静かな物だが。その静かさも有里の消息不明が原因なら健全とは言い難い。私も桐条グループの方に連絡して、海外にいるグループの者に目撃証言などを探させてみよう」

「御令嬢だからってそんなこと出来るの?」

「出来なくとも動かしてみせるさ。留学生の消息すら掴んでいないとなれば、外聞も悪いだろうからな。自分たちの面子のためにしろ、捜索の人員はきっと用意されるはずだ。何か分かれば連絡しよう」

 

 総帥の娘だろうと簡単にグループの人間を使う事は出来ない。それは本人だけでなく、チドリらも考えていたようだが、美鶴は使えないなら動くよう仕向ければ良いと笑った。

 名を変えた湊の正体を知らぬにしろ。ポートアイランドインパクトを含め、色々と因縁のある湊に対し、何も思うところがないという事は流石にないだろうが、それでも今の美鶴の笑顔には純粋な心配からくる善意しか感じられない。

 嫌っている相手を無視するだけで、湊が八つ当たりに暴力を振るうなどしない理由が、いまようやくチドリにも理解出来た。

 世間一般の子どもたちとは全く異なる世界で生きてきたからか、物事の捉え方などの視野は随分と狭そうだが、間違いなく人としては好感を持てる部類に入るだろう。

 だからこそ、湊はそれを美鶴本人の責任ではないとして、あくまで桐条の人間だからと距離を取っているのだった。

 

「……そう。じゃあ、期待しないで待っておく」

 

 湊と美鶴の関係を改めて理解したチドリは、相手の申し出を素直に受け取った。

 既に桐条は動いているが、それを知らないはずの人間が、行方不明者を探してくれるといわれて断るのもおかしい。

 そんな裏のある返事だったが、美鶴自身が嬉しそうに頷いたことで、頼んだチドリも、湊の安否を気にしている部活メンバーも、店に来る前よりもどこか緊張の薄れた表情になっていた。

 真田の発案によって突然決まった悩み相談だったが、訊く側と聞く側の双方に意味のある時間として無事に終え、最後は穏やかな空気でその日は解散したのだった。

 

 

 


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