【完結】PERSONA3 Re;venger   作:清良 要

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第九十五話 さらなる動き

――ヨーロッパ・オノス地方

 

「アパテー! ガルダイン!」

 

 ソフィアの背後に現れた銀色のキトンを纏う女神は、呼び出されるなり手に持った水晶に魔力を集中させ、召喚者の見つめる先に暴風を巻き起こす。

 アパテーの放った暴風は、美しく手入れの行き届いた庭の植え込みで作業をしていた庭師を襲い、庭師は風に弄ばれ空高く舞うと、手足をあらぬ方向に曲げて落下し、地面に大きな血の染みを作り出した。

 何の罪もない庭師を殺めた少女は、しかし、それでもまだ気が昂っているようで、アンティークドールのように美しい顔を激情に歪めながら、次なる獲物はいないかと庭中に視線を送っている。

 彼女がこれほど怒っているのは、先ほどパソコン越しに行った湊との会話が原因だ。

 裏界の姫君や神子と呼ばれ、例え親であっても刃向う者などただ一人していなかった。

 守護天使という絶対的な力を手に入れてからはさらに敬い尊ばれるようになり、名うての殺し屋であろうと地面に額を擦りつけて命乞いをしてきたものだ。

 だというのに、自分が目に掛けてやった少年は、あろうことか自身を『豚』と呼び、侮辱の限りを尽くしてきたかと思えば、生まれてきた事を後悔させてやるとのたまってきた。

 己という神に愛されたこの世の王がいなければ、きっと相手が自分と同じ椅子に座っていたはずなので、突然自分よりも上の存在が現れたことに動揺し、今まで通りの態度を取ってしまっても無理はないとソフィアは考える。

 しかし、それを許すのは二度までだ。三度目からは反省のために躾けてやる必要がある。

 そして、三度を超えてもまだ言うのであれば、主従の立場を分からせ、絶対の忠誠を誓うまでとことん調教しなければならない。

 

「ヘルマン! お父様に連絡しなさい。カナードが言っていた情報をお父様や組織の人間にも伝えるのよ」

 

 “千里眼”の力により、周囲に憂さ晴らしの攻撃対象がいないと分かったソフィアは従者を呼びつける。

 相手をたかが狼一匹と考え、今まで好きにさせていたのが悪かった。これからは、自分が悪かったと泣きながら地に伏し謝るまで追い詰めるつもりだ。

 そのためにまず、カナードが死の直前に言いかけていた情報を組織の者に伝える事にする。

 やってきた従者が傍に控えると、ソフィアは紅玉の瞳に静かな怒りを宿し言葉を発した。

 

「――――仮面舞踏会の小狼は、他者の記憶または心を読む力を有しています。効果範囲やどれだけの情報を得られるのかは不明。また、それに対する対抗策も不明です。ですが、あのカナードの本名を暴いたのであれば、対象を個人に集中しさえすればかなり深い記憶まで読めるものと推測されます」 

「それはまさか、ソフィア様に宿るアパテー様のような守護天使の加護でしょうか?」

 

 従者のヘルマンはソフィアの千里眼がアパテーが宿った事で目覚めた力だと知っている。

 詳しい原理等は不明ではあるものの、遠く離れた地の光景を見る事が出来るとソフィア自身が話していたこともあり、守護天使の加護を得た者はただ守護天使に守られるだけでなく、何かしらの不思議な力を得る物なのかもしれないと思っていた。

 だからこそ、湊が読心能力を有している可能性があると聞いたとき、ヘルマンの頭には湊も同じように守護天使を身に宿しているのではないかという不安が湧いた。

 

「……可能性は捨てきれないわね。わたくし達以外に神々の黄昏へ入ることの出来る者がいれば、その者を調査に向かわせ探る事も出来たのでしょうが、いないものを言っても時間の無駄でしかないわ。だから、とりあえず、そちらは保留にして読心能力についてだけお父様たちに知らせて頂戴」

 

 腕を組み顎に手を当てながら考え込むソフィアは、湊の読心能力が何に由来するものなのかは追々調査する事に決め、先に構成員たちへ注意喚起のために相手の所持する凶悪な力の情報を本部へ伝達する事を選ぶ。

 仮に同じように守護天使を宿しているのなら戦いは避けられない。他の誰であっても自身に宿る守護天使を傷付けることは敵わなかったのだ。

 ならば当然、相手側の守護天使にも不思議な加護が働き、通常兵器による攻撃を通す事はないだろう。

 自らが動くことを面倒だと嫌うソフィアだったが、躾けのなっていないペットを調教して従順にするのは飼い主の義務だ。

 そう考えることにして、本当に湊が自分と同じように守護天使を宿していたとしても力で捻じ伏せることに決め、ヘルマンに連絡させるだけでなく、自分もそろそろ本国の方へ戻る準備をしようと屋敷へ戻ってゆくのだった。

 

 

――巌戸台港区・喫茶店“フェルメール”

 

 桔梗組本部に集まり、桜から湊に残された時間が少ないことを聞いた五代。

 彼は旧友であったイリスの死を知った日から、湊を迎えにいかなければならない事態を想定し、様々な準備を進めていた。

 もっとも、今の湊を連れ帰ることが出来るのはチドリかアイギスのみだという話しを聞き、チドリを戦場に連れてゆく事が出来ないことから、現在では自分がアイギスと接触して情報を伝えようと方針を改めている。

 

(……懸賞金がかけられたことで、世界中が小狼君を狙うようになってしまった。噂では彼を狙う仕事屋たちが町への被害を考えずに攻撃を加えることから、争いを呼ぶ元凶として国家聯合も彼を仕留めるために動くのではないかと言われている。まったく、十四歳の子どもにする事とは思えないね)

 

 店の二階にある事務所でパソコンを操作しながら、現在の湊を取り巻く状況について考え思わず苦笑してしまう。

 裏の世界でも名うての者たちはまだ様子見で情報収集に徹しているようだが、懸賞金目当ての仕事屋だろうと久遠の安寧の者以外は殺さないでいることが分かれば、彼らもすぐに参戦してくることだろう。

 現在の湊が殺すのは、久遠の安寧の構成員と過激派ゲリラ等テロリストのみだ。

 以前の湊であれば、自分の命を狙ってくる者は殺していたはずなので、どうして他の者を殺さなくなったのかが分からない。

 相手は命を狙ってきているのだから、排除できる者は早々に排除してしまった方が逃走を続けるにしても何倍も楽になるはずなのだ。

 

(マダム・リリィの話しでは彼はもう裏の仕事はしないと言っていたとか。だとすれば、今の小狼君は復讐のためという自分の意志で動いている事になるから、復讐には他人を巻き込まないってとこか。優しい彼の考えそうなことだね)

 

 復讐という冷静とは言い難い行動を取っているにも拘らず、その行動の端々に湊本来の優しい性格が見え隠れしている。

 本来なら苦笑にしろ笑っていられる状況ではないが、現在の自分に取れる行動が非常に限られていることもあって、五代は落ち着いた様子で考察を続け、一息吐くために置いていたコーヒーに手を伸ばす。

 お茶の時間にはミルクと砂糖を入れた物の方が好みではある。けれど、こうやって仕事や考え事をしているときには、頭が冴えていた方が良いという考えからブラックで飲む様にしていた。

 顔を顰めたくなるような濃い苦みが舌の上に広がり、それが引き金となって五代の頭の中で今後どう動くべきかがシミュレートされてゆく。ブラックのコーヒーを飲むという行動は、一種の自己暗示のような物でしかないが、仕事屋はそれぞれ何かしら験担ぎやジンクスを気にする傾向にある。

 イリスや湊は、師であるイリスが「勝つためなら技術も道具も使い捨てるぐらいで丁度良い」という思考の持ち主だったために気にしていないが、情報屋のロゼッタは雨の日に来た依頼を受けないなどの経験則からの決まりを作っているので、狙撃手として海外で仕事を行っていた経験もある五代も当然同じように自分なりのこだわりを持っていた。

 

「ふぅ……さて、どうしたものか」

 

 現在、五代は海外に行ったときどうやってアイギスと接触するかについて考えている。

 相手が中国から湊のいるヨーロッパ及び中東地域に向かっているのは判明しているが、どのようなルートを通っているのかも分からず、信用出来る友人に目撃情報を聞こうにも、あまり大勢に情報が広まって桐条グループに気付かれても面倒だ。

 だからこそ、結局は自分でポイントを絞って、話しを聞いて貰えないにしろ先に湊に接触した方が早いのではないかと考えたそんなとき、近くに置いていた固定電話に海外からである事を示す番号が表示された。

 ディスプレイに番号が表示された一拍後、面白みのないデフォルトのコール音が鳴り響く。これはどこの国の番号だったかと考えつつも、友人の知り合いなどが何か珍しい情報を教えに連絡をくれる事もあるので、今回もそういった者からの連絡かと考えつつ受話器も持ち上げ耳に当てた。

 

「はい、もしもし」

《どうもはじめまして。そちらは情報屋の五代さんで良いかしら?》

「ええ、五代は僕ですが」

 

 電話の主は女性で、どことなく日本語の発音に不慣れな様子があることから外国人だと思われる。

 五代とて仕事屋と情報屋として過ごしてきた年数を合わせれば、二十年近く裏の世界で生きている事もあり、英語やフランス語など主要な国の言語は習得している。

 なので、相手に慣れている言語で結構だと言いかけたとき、電話の女は自らの素性を報せてきた。

 

《私は民間軍事会社“蠍の心臓”の社長を務めているナターリア・イリーニチナ・メドヴェージェヴァよ。イリスの古巣、ボウヤの海外生活最初の拠点といえば分かり易いかしら?》

 

 蠍の心臓という組織については、イリス自身から自分の古巣だと聞いていたため、すぐに思い出す事が出来た。

 さらに、湊をボウヤと呼んでいることから相手は湊をよく知っており、彼を取り巻く状況とこの連絡のタイミングを考えれば、きっとイリスの死か湊に関わることで連絡してきたのだと推測できた。

 日本に居るためどうしても海外の情報の入手が遅くなってしまう事から、もしや、湊に何かあったのではないかと不安を抱きつつ、とりあえず話しの内容を聞くため相槌を打って返す。

 

「ええ、話しは聞いていますが」

《それは良かった。実は、イリスからボウヤの保護者との仲介役に使えと連絡先を教えられていてね。少し話したい事と訊きたい事があったから電話させてもらったの。盗聴等の心配はないと思って話していいかしら?》

「あ、ちょっと待ってください」

 

 電話に取り付けてある回線への割り込みを感知する装置を作動させ、通信の傍受があったときにはすぐに分かるように設定する。

 基本的にないとは思うが、仮に何者かが五代をマークしていたとすれば、現状から考えるにそれはほぼ高確率で久遠の安寧の手の者になる。

 そして、ここまで監視が回ってきたのなら、チドリたちに辿り着くのは時間の問題であることから、保護者たちは有事の際にチドリを英恵の暮らす桐条別邸に匿うことに決めていた。

 久遠の安寧の人間は知らないだろうが、湊が死ねばこの惑星に生きる全ての命が終わってしまうのだ。その少年の最大のウィークポイントは何があっても守らなければならない。

 故に、五代は割り込みの反応があればすぐに桜に知らせられるよう携帯を傍に置き、それからナタリアに話しても構わないと告げる。

 

「……どうぞ」

《ありがとう。さて、先ず何から話しましょうか。とりあえず、つい先日、ボウヤを拘束して話しをしたわ》

「拘束? いま、小狼君は貴女方といるんですか?」

《いいえ。よく分からない能力で拘束に使ったグレイプニルを引き千切られてしまってね。部隊は壊滅状態に追い込まれたわ。ただ、私たちを殺すつもりはなかったようで、力を解除したときには隊員は全員生きていたけど》

 

 グレイプニルは特殊な製法で鍛えられた合金製の網だ。それを引き千切る事の出来る能力などペルソナを除いてあり得ない。

 まさか、湊が一般人を相手に能力を使うようになったとは知らず、五代はただ驚くことしか出来なかった。

 けれど、隊員が全員無事だという話しを聞いて疑問が浮かぶ。殺す気がなかったのは構わない。復讐に他人を巻き込まないようにしている事を考えれば、そちらの行動の方が彼らしいと思える。

 ならば、どうして拘束を逃れた後も力を行使して相手を壊滅まで追い込んだのか。ペルソナを使う時点で相手の考えや精神状態が分からず、答えの出なかった五代は今は素直に話しを聞いておく事にした。

 

《まぁ、あの力が何かってことも訊きたいのだけど。話したい事というのは、そのときのボウヤの様子よ。あの子は復讐のためだけに動いている訳じゃないわ。視野は狭くなっていそうだけど、頭はかなり冷静なままね。自分の行動の結果を理解して動いているみたい》

「復讐だけじゃない? では、小狼君は何のために動いていると?」

《……どうやら女のためみたいね。“人間じゃない彼女”と聞いて心当たりはあるかしら? その子の存在を世界に認めさせ平和に暮らせる場所を作るんだそうよ》

 

 湊の目的をナタリアの口から聞いた五代は、思わず机に肘をついて頭を抱えてしまう。

 これならばただ復讐に走っている方がマシだった。湊は目的があればそれのために何を犠牲にしても突き進む性格だ。大切な少女たちが悲しむと分かっていても、それが相手のためなら無視して目的を果たす。

 それだけに、復讐という明確なゴールが決まっている方が、無事に終わりさえすれば帰って来てくれたはずなので、待っている者にとってありがたかった。

 しかし、目的がアイギスの居場所を作るために彼女の存在を認めさせるとなれば、力によって他者を支配することにも繋がりかねない。

 そこに明確な終わりなどなく。どうすれば居場所を作ることが出来たと判断するのかも不明だ。

 五代は疲れた表情で一度深く息を吐くと、心を落ち着けて心当たりはあるかというナタリアの問いに答える。

 

「……七式アイギスという人型ロボットです。その子が、彼を救うための鍵で、我々も名切りの情報を彼女に届ける方法を探っています」

《人型ロボットって……それに、救うための鍵? 名切りの情報を渡すってどういう事?》

「我々も小狼君のお母さんの知り合いの方から教えて頂いたのですが、小狼君は名切りの中でも特別な地位にあるそうなんです。過去の名切りたちが目指した“完全なるモノ”。そこに至ることの出来る唯一の個体だと」

 

 数千年にも及ぶ歳月を経てようやく誕生した鬼と龍の混血児。先祖が鍛え極めてきた知識と技術の全てを与えられた愛子。それが二つの一族を統べる資格を持った少年“百鬼八雲”だ。

 誰一人として成し遂げることの出来なかった名切りの悲願も、本来は一つであった鬼と龍が再び合わさることで叶えることが出来るようになった。

 血に宿り、シャドウの王すら喰らうほどの業を生み出してまで叶えたかった名切りの願いとは、人から神へと至る“完全なるモノ”を生み出すことであった。

 

《よく分からないけれど、その“完全なるモノ”とは一体何なの?》

「詳しくはその方も聞いていなかったそうですが、どうやら小狼君を別の何かに作り変える事で生まれる存在だそうです」

 

 完全なるモノは湊という人格のフォーマット化が終了してようやく目覚める。

 五代や桜が気にしているタイムリミットは、そのフォーマット化の完了のことであり。全てが完了するまでにアイギスをぶつけて正気に戻さなければ、皆の知る湊はこの世から消えてなくなってしまうという。

 

《では、あの力はその副産物という訳?》

「あ、いえ、それはまた別の力です。あれは名切り以外にも使える子どもがいますから。ただ、彼が裏の世界で生きるようになった原因でもありますので、あの力に関しては詮索しないでいただけるとありがたいです」

 

 相手がペルソナをその予兆だと考えたようなので訂正を加え、さらに踏み込んでくれば厄介なことになる事を暗に伝えつつ、五代はコーヒーで喉を潤させてどこまで話すべきかを考える。

 ペルソナの事を含めて、湊がどのような人生を歩んできたかを伝えた方が相手も理解し易いのは確実だ。しかし、楽さにかまけて彼を裏切るようなことを出来るはずもなく、五代は話せる事をかいつまんで話し始める。

 

「彼は元々、先ほど言ったアイギスさんとある少女のために戦っています。二人が平和で温かな世界で生きていける事が彼の望みなんです。ですが、彼は今の自分では守る事も出来ないからと鍛えるために海外に行ったんです」

《随分と格好良い色男っぷりね。その裏で女が泣いている事にも気付いているでしょうに》

「ははっ、そうですね。少女は小狼君が裏の仕事をすることにも反対していましたが、自分たちを守るために人を殺させたこともあって何も言えなかったみたいです」

 

 正確に言えばチドリだけでなく、一緒に脱走する被験体たちを守るために人を殺したのだ。

 単独やチドリを伴って逃げるくらいなら湊は簡単に行う事が出来た。他のペルソナ使いと異なり自由に召喚し飛ぶ事が出来るのだから、影時間でろくに使用できる機材もほとんどないエルゴ研から脱走するなど朝飯前だったに違いない。

 けれど、あのままエルゴ研にいても緩やかに死んでいく未来しかなかった被験体たちを、心優しい少年は見殺しにすることなど出来なかった。

 

《……最初は望んで殺した訳じゃないのね。でも、自分で選んだからこそ罪が重くのしかかる》

「はい。僕やイリスが出会ったときは、昼間だっていうのにまるで夜中の山を歩いているのかと思うくらい周囲を警戒していましたから」

《よく潰れなかったわね。でも、そういう事ね。イリスはそれを見たから余計に放っておけなかったんでしょう》

 

 自分が助けようとしたせいで多くの被験体たちが死んでしまった。被験体たちを守るためとはいえ、待つ人もいた研究員や警備の者たちを大勢殺し続けた。

 小学生の幼い少年にその罪は重くのしかかり、ただチドリを周囲から守ろうとする以上に精神的に追い詰められていたに違いない。

 ほぼ同じ年頃の息子を亡くしていたイリスにとって、湊のそんな姿はとても痛々しく映り、どうにかしてやらずにはいられなかったようだ。

 彼女の優しいところを知っているナタリアは、当時の彼女の様子が容易に想像出来た事もあって、受話器の向こうで納得したようにくすくすと笑っている。

 

《なるほどね。ボウヤがこの業界にいる理由はわかったわ。では、今度はどうしてその人型ロボットに名切りの情報を渡す必要があるのか教えて貰えるかしら》

「彼を連れ戻してもらうためです。小狼君は孤独に身を堕として久遠の安寧を討とうとしています。今まで持っていた絆を捨て、敢えて独りになる事を選んだんです」

 

 少年は大切にしていたお揃いのピアスを、ただ「ごめん」とだけ書かれた手紙と共に送ってきた。 

 どうして絆を捨てたのかは分からない。重荷だったのか、それとも巻き込まないためなのか、真相を知るのは本人のみだ。

 

《自分で選んだのならしょうがないと思うけど?》

「名切りの血には過去の名切りが宿っています。彼らは小狼君を完全なるモノにするために、彼の精神に干渉して変革してゆくように仕向けるそうです。質の悪い怨霊に取り憑かれていると言えば分かり易いでしょうか」

 

 裏の世界で生きているのなら、子どもだなんて言い訳は通用しない。選択の責任は全て自分自身に返ってくる。

 故に、本人がそれを選んだのなら誰も文句は言えないとナタリアが言えば、五代は本人だけで選んだ訳ではない可能性があることを指摘した。

 湊の母親の菖蒲は血に目覚めて先祖の声を聞く程度しか出来なかったが、それでも彼女らの目的と湊に何をしようとしているかは理解していた。

 力をほとんど目覚めさせることが出来なかった分、菖蒲は名切りとしての意思が希薄で、自分に何かあったときに子どもを守る保険として英恵にも湊の事を話していたのだ。

 それが実際に活かされる事態になるとは英恵も思っていなかったようだが、それでも少年を助けるために動いている者たちが本気であると理解した相手は、電話の向こうでは何やら考え込むような息遣いをさせ、溜め息まじりに厄介事に巻き込まれている少年に同情を寄せてくる。

 

《現状はボウヤの意志のみで起こっている訳ではないと……難儀な物を背負って生まれたものね。人型ロボットやら久遠の安寧やら変な物にも好かれるみたいだし》

「まぁ、それだけの魅力を持った子ですから。それで、僕たちが彼女に名切りの情報を渡す理由は、彼女に名切りも含めて彼を受け入れて貰うためです。自分の欠点まで受け入れてもらえたら、男はコロッと落ちますから」

 

 軽口を叩いて理由を告げる五代だが、アイギスに知っておいてもらう意味としては間違っていない。

 名切りを知らない状態で受け入れるといっても、知れば離れていくという疑心暗鬼に掛かるかもしれない。

 だが、最初から知っていて、それでも受け入れると言われれば、こんな自分でも受け入れてくれるのかと心のガードが僅かに弱まるはずなのだ。

 しかし、五代が言った“男”という言葉が気になったナタリアは、先ほどの五代に合わせるように軽口のノリで問い返してくる。

 

《ボウヤは女でもあるみたいだけど、女を落とす方法は考えているのかしら?》

「女を落とす訳ではないですが、もう一人の少女が言うには、小狼君はその……マザコンらしいので、自分を受け入れてくれる女性には弱いと」

《マザ……コン? フフフ、アハハ、アハハハハッ!》

 

 軽口を交えながらも真面目な話をしていたつもりだっただけに、ナタリアは予想外の単語が聞こえてきて大声で笑い出す。

 あれだけ抜き身の刀のような鋭さを見せていた少年が、味方ですら寒気を覚えるほどの力を戦場で見せた鬼が、まさか母親を求めているとは確かに思うまい。

 実際にその単語を口にした五代も、電話の前で苦笑を浮かべて待っていると、笑いを堪えながらも声を震わせ相手が同調してくる。

 

《確かに確かに、そうね、あの子はそんな感じね。まわりが構っているから気付き辛いけど、善意で寄ってくる女性には大抵されるがままでいたわ。あれは子どもがお母さんの膝に座って大人しくしているのと同じだったってことね》

 

 その言葉を聞いて今度は五代がすんなり納得してしまう。初めて会ったときにあれだけ周囲を警戒しながらも、どうしてイリスに大人しく頭を撫でられていたのか。

 成程、親を早くに亡くしただけでなく、その後も周囲に頼られてばかりだったことで、甘えたい盛りの少年は余計に親の愛に飢えるようになっていたらしい。

 ならば、今回イリスを殺されたことも、湊にすれば再び得た母親を奪われたことになる。怒りも悲しみも憎しみもさぞ深いことだろう。

 そんな風に考え、尚の事、早く少年とアイギスを会わせてやらなければならないと五代が思ったところで、電話の向こうの相手が軽い調子で言葉を投げてくる。

 

《OK、とりあえず話しは理解したわ。ボウヤの力とか、名切りの詳細についても聞きたかったけど、我々はボウヤの追跡と平行して“七式アイギス”とやらの捜索を開始します。その子の写真か何かはあるのかしら? もしあるなら、今から送るアドレスに送信してくれる?》

「え、あの、良いんですか?」

 

 相手は民間軍事会社だ。湊の捜索も救出も何の得にもなりはしないはず。

 それをさらにアイギスの捜索もするとなれば、相手は完全に赤字にしかならないだろう。

 多数の隊員を抱える組織のトップがどうしてそこまでしてくれるのか。疑問に思った五代は思わず尋ねていた。

 すると、ナタリアは先ほどよりもどこか吹っ切れたように、声に優しさと決意の色を込めて答える。

 

《イリスに遺言で頼まれてしまったの。ボウヤを日本へ帰してやってくれって。でも、私は一度失敗した。なら、今度は失敗しない方法を選ぶだけよ》

「……どうもありがとうございます。写真というか彼が描いた写実画ならありますから、持ち主に連絡して画像を送って貰い転送します」

 

 少数精鋭で捜索するしかないと考えていただけに、それなりの規模の組織の助力が得られるのならありがたい。

 相手から姿は見えていないにも関わらず、五代は電話の前で頭を下げて礼を言い。今後のことに向けて話しを進める。

 

「僕たちも何人かで彼と彼女の捜索に向かおうと思っています。その間、日本での連絡係は仲介屋のロゼッタという女性が引き継ぎますので、また彼女の方から連絡してもらえるよう伝えておきます」

《ええ、わかったわ。でも、いま国聯がボウヤの排除を検討しているって噂もあるから、捜索するなら国聯軍と鉢合わせないように気を付けて》

「はい、僕の方にもその話しは回ってきてます。他にも、彼、小狼君は、他人の心が読めるとかって噂話もありますけど」

 

 広範囲の索敵能力をはじめとしたペルソナ能力を有しているのは知っているが、流石に読心能力まで有しているはずはない。

 一応、疑問に思ってチドリや栗原に尋ねてみたが、湊がそんな力を持っているとは聞いた事がなく、また、ペルソナでそんな事が出来るとは思えないとの返事が返って来た。

 それだけに、国聯が動いている可能性はあり得るだろうが、少年の力についての噂はあの蒼い眼で見られて全てを見透かされていると勘違いした者が流したデマだろうと五代は思った。

 だが、五代のそんな考えの籠った言葉に対する返答は、先ほどと打って変わって真剣な色を帯びていた。

 

《……そっちは噂でもないかもしれないわ。どういう訳か、ボウヤは私の過去を知っているようだった。イリスには話していたけど、イリスが他人の古傷をボウヤに話すとは思えない。私の経歴を深く知っているのなんて母国の知り合いくらいなのよ。だから、心というか記憶を読んだ事で知ったとも考えられるわ》

「しかし、記憶を読むなんてどう考えても」

《あり得ない訳ではないでしょう。ボウヤはあれだけ変な力を持っているのよ? いまさら心を読めると聞いたところでそこまで驚かないわ》

 

 それを言われてしまうと五代は何も言い返せない。ペルソナは心の力だ。ならば、他者の心に干渉する術も持っている可能性はゼロではない。

 ここであり得ないと考える事を放棄するのは簡単だが、可能性がわずかにでもあるなら、五代はそれに備えて動いた方が良いと判断し、相手の言葉を素直に聞いておく事にした。

 

「そうですね。なら、彼がそういう能力を持っていると考えて僕たちも動いてみます」

《ええ、お互い無事に済むよう祈っておくわ》

「はい。では、また連絡します」

 

 通話を終えると、五代は自分のパソコンのメールボックスに知らないアドレスからメールが来ている事に気付いた。

 先ほど言っていたメールかと確認して見れば、予想通り件名や本文に彼女であることを証明する内容が書かれている。

 ならばと五代もしっかり届いている事を知らせるために返信し、その後、桜やチドリに事情を話してアイギスの絵を写真で送って貰うなり、すぐにナタリアへ転送した。

 転送した画像を確認したナタリアから、

 

《ボウヤのガールフレンドだって隊員に伝えておくわ》

 

 という反応に困る返事が来たが、とりあえずの情報交換は無事に終了した。

 ロゼッタの方にも連絡を入れて、ナタリアと直接連絡を取り合えるようにして貰い。これで日本で済ませておく事はほぼなくなった。

 そうして、出来る限りのことをしておいた五代は、自身も海外へと渡るべく、湊のことで協力してくれるであろう仕事屋へ連絡を取るのであった。

 

 

11月5日(日)

夜――インド・ルディヤーナー

 

 中国成都市から約二七〇〇キロ離れた場所にあるインドのルディヤーナー。

 ほぼ一ヶ月歩き続けたアイギスは、目的地のトルコまで残り半分ほどまで来ていた。

 最初は人目を避けて森や山を歩いていたが、よく考えれば人目を避ける隠密行動で時間を割かれるよりも、素早く町を抜けてしまった方がロスが少ないと気付いた彼女は、メンテナンス器具の入った大きなリュックを背負った迷彩服姿で町の中を歩いていた。

 

(ここも日本の都市部には劣るものの十分都会ですね。八雲さんと回りたい場所がまた一つ増えました)

 

 最近の彼女の日課は、歩きながら町の雰囲気や発展度をリサーチし、どのような特徴があるのかをまとめることであった。

 一般的な観光客の観点とは異なるかもしれないが、まとめられたデータはランキング形式に順位付けされ、湊との合流後に出来れば一緒に見て回れたらと思っている。

 湊が観光に興味がないとなれば別の事を考えるつもりではいるものの、アイギスの中の湊像はとても親切で優しい人なので、仮に興味がなくても自分に付き合ってくれる予感があった。

 

(八雲さんは何がお好きなんでしょうか? 旅行に行って楽しむ代表的な物は、風景・歴史的建造物・食事・買い物といった物が挙げられます。また、旅先での風俗サービスなるものを楽しむ男性もいるというデータもありますが、八雲さんには不要な物のようですのでデータを削除しておくであります)

 

 誰が入れたのかは不明だが、旅行で楽しむ物というデータの中にあった項目を一つ削除するアイギス。

 八雲がそんな物を利用する必要はなく、また、青少年の健全育成の観点からみても不適切であることから、アイギスは削除した項目を『八雲さんには不要な物』というカテゴリを作成し移しておいた。

 このカテゴリにデータを移しておけば、仮に相手が利用してみたいと今後言ってきても、それは貴方には不要であると教えてあげる事が出来る。

 幼い頃から非常に聡明だった少年に、起動してすぐに寝たままになっていた自分が何かを教えてあげるというのは不思議な感覚だが、決して悪い気分ではないのでそんな時が来ればいいなとすら思ってしまう。

 機械である自分にこんな人の心のような、感情に似た物がインストールされているとは知らなかった。

 町の中を歩きながらそんな風に考えていると、電気屋らしき店のショーウィンドウに置かれた街頭テレビが目に入った。

 

(そういえば、八雲さんに関する情報も集める必要があるのでした。生憎、日本語と英語以外の言語ソフトはインストールされていないようですが、辞書データにいくつか代用出来そうな物があるようなので、それを使って情報収集もするであります)

 

 戦闘に関わるようなデータは大量に搭載されているが、基本的に日本での運用くらいしか考えられなかったことで、アイギスは日英の二ヶ国語しか話す事が出来ない。

 しかし、言葉の意味を理解しやすいようにと辞書データも搭載されていたことで、それを利用すれば日英以外の言語もいくらかは理解する事が出来そうであった。

 言葉が理解出来るのなら情報収集は行えるため、早速開始だとアイギスは街頭テレビの前まで進む。

 そこには、ブルガリアのシュヴァルという都市からのライブ映像と思われるテレビ中継の様子が映っていた。

 

《これは映画ではありません! 今まさに、EP社の幹部を狙っていた犯人が大勢の者から狙われ逃げ続けています!》

 

 街が見下ろせる高台から英語で話すリポーターの背後で街が燃えている。何やら怒号のような物が響き、RPG7の弾頭と思われる物が夜の空で炎の尾を引き飛んでいた。

 日本では先ず見ることはなく、本当に映画のようにしか見えない奇跡のライブ中継だ。

 リポーターの話しでは偶然現場の街に居合わせて、急遽世界中を騒がせている犯人の様子を撮る事にしたらしい。

 屋根の上を跳び回り逃げる黒い人影をカメラが大きく映し出す間に、こんな危険な地帯もあるのかと呑気に考えていたアイギスは、フードを被った犯人の姿が僅かに画面に映ったとき硬直した。

 

「八雲、さん……」

 

 素早い動きでカメラが追いきれず、フードを深く被っていることで顔もほとんど見えない。

 しかし、僅かに覗く素顔が映った途端、アイギスはその人物がずっと探していた少年であると確信した。

 

「八雲さんっ!?」

 

 画面の中で逃げ回る少年にRPG7の弾頭が直撃する。爆炎に包まれながら吹き飛ぶ少年を目にしたとき、アイギスは目の前のガラスを思わず破壊しそうになる。

 だが、空中で体勢を立て直した少年が着地する様子が映ったことで、呼吸機能はないというのに心から安堵の息を吐き。ガラスに手をついたまま食い入るようにニュースを見続けた。

 

《恐ろしい犯人です! 直撃を奇跡的に回避したのか、吹き飛ばされながらも逃げ続けています。この街に住むEP社幹部が雇ったと思われる護衛の方々が追い詰めていますが、非常に軽い身のこなしで護衛の方々はあと一歩追い詰める事が出来ません》

「何を馬鹿な事を言っているのですか! 大勢で八雲さんを追い詰め傷付けるだなんて、即刻やめさせるであります!」

 

 夜の闇の中、熱で赤く光る大量の弾丸が、少年の纏う黒の外套に浴びせられている。

 少年はそれでも構わず市街地から離れようとしているが、いくら防弾装備だろうと衝撃を完全にゼロに出来る訳ではないので、外套の下で骨折していてもおかしくないとアイギスは睨んでいた。

 それだけに、大切な少年を傷付けられることに我慢しきれず、相手に聞こえないことも忘れ思わず叫んでしまう。

 今すぐあの場所に行きたい。行って少年を守りたい。そんな焦燥感と共に、改めて自分はあの少年の傍にいなければならないという強い想いが湧いてきた。

 少年の様子を注意深く観察しながら、アイギスはどうすれば出来るだけ早く彼の元へ辿り着けるかを考えだす。

 

(乗り物を奪取すれば早く着くことは可能。しかし、手に入れても動かす事の出来ない影時間以外では奪取するのも難しいです。屋久島では台風を利用することで上手くいきましたが、気候の違うこの土地で同じ状況を狙うことは出来ません)

 

 その辺に止められているような車を奪う事は出来ない。気付かれれば自分にも追手が発生し、それを撒いていれば余計な時間をくってしまう。

 人目を避けて進んできたのは、何も桐条の追手を恐れていただけではない。誰にも迷惑を掛けないことで追われるリスクを冒さない事も考えていたのだ。

 だが、偶然にも自分の最も大切に想う少年が襲われている姿を目撃したことで、アイギスもなりふり構っていられる状況ではなくなってしまった。

 

(奪う中で最も追われるリスクが低いのはバイク。しかし、わたしの足の構造上シフトレバーを上げる事が出来ないのでミッション車は除外。スクータータイプのオートマ車ならば力加減を間違えなければアクセル操作だけでいけますね。まったく、わたしを開発した方はどうして人の足と同じ形状に脚部を作ってくれなかったのでしょうか。スクーターでは出せる速度が限られてしまいます)

 

 ビッグスクーターでもなければ、オートマ車のバイクは大きくてもせいぜい125ccのエンジンとなる。

 その排気量では出せても百キロ程度が限界なので、どうしてシフトレバーを上げるだけの引っ掛かりがついた脚部になっていないのだと、アイギスは自身のパーツ開発者に文句を言いたかった。

 心の中ではそんな風に思っていても、アイギスの目はテレビに釘付けであり、少年の一挙一動を見逃さぬよう自分のアイカメラとメモリに焼き付けている。

 しかし、そうやって見ていたその時、

 

「あっ! こら、映すであります! 八雲さんはどうなったか見せてください!」

《おや、中継が切れてしまったようですね。ジャイロ記者、ジャイロ記者! ……駄目なようです。再び通信が回復次第さきほどの続きをお送りしたいと思います》

「そんな……」

 

 なんと見ている途中で機材の故障なのか中継が切れてしまった。

 先ほどの場所がどこなのかは記憶しているが、今から向かったところで会う事は出来ないだろう。

 中継がいつ回復するか分からない以上、ここで待っていてもしょうがない。アイギスは再び歩き始めると、気落ちした様子で移動手段の確保をどうするか考え続けるのだった。

 

 

 




本作内の設定
アイギスにインストールされている言語ソフトを日本語と英語の二言語に設定。また、その他の言語については辞書ツールによって部分的に分かる物もあるという設定にしている。

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