【完結】PERSONA3 Re;venger   作:清良 要

96 / 504
第九十六話 捜索に向けて

11月12日(日)

朝――国際空港ロビー

 

 その日、朝早くから空港にはチドリをはじめとした、湊に関わる事情を知っている者たちが集まっていた。

 彼女たちが空港へやってきた理由は、湊及びアイギス捜索のために海外へ渡ってくれる者たちの見送りのためである。

 捜索する場所や発見する可能性がある場所は、基本的に賞金首の湊を狙う者が大勢いる戦場だ。

 危険な戦場に大勢でいっても隊全体の動きが鈍くなるため、実力や経験等を考慮して、今回派遣されるメンバーは情報屋の五代、元傭兵の渡瀬、幼少期の湊と互角の体術使いである紅花の三人となっている。

 桔梗組最強の渡瀬が一時的に抜ける事で有事の際の防衛力はかなり落ちる。その間に久遠の安寧に攻められては一大事だからと、チドリは一時的に栗原の家で暮らすことが決定しているが、本人も今の自分が湊の弱点にしかなり得ない事を理解しているようで、これといった文句もなくすんなりと意見が通った。

 また、普段は美術館館長の秘書と実家の中華料理店で働いている紅花が、滞在期間の不明な仕事にゆくこともあって、真っ当なレートならば一千万以上の報酬が必要になるのだが、紅花本人だけでなく、その家族や館長の車谷も手伝ってきてやれと快く送り出した事もあり、紅花への報酬は掛かった経費+百万という格安に納まっている。

 桜は自分の貯金などから正当な報酬以上の額を出そうともしたのだが、紅花は馬鹿な弟子を助けるのに憧れていたと明るく笑って申し出を断った。

 これら全て、湊が今まで築いてきた絆の賜物だと思えば、それを捨ててまで成し遂げようとする少年の決意の固さに、桜は胸を締め付けられる様な感覚を覚えた。

 

「……皆さんもどうかお気を付けて。無理だけはしないで無事に帰ってきてください」

「あははー、それはちょと約束できないな。湊がいるの戦場だからね。攻撃してこない名切りの鬼なんて誰も怖がらないよ。その分、無茶する馬鹿も多いから、話しするにも命懸けかもな」

 

 ここ数週間の内に湊に関する噂はほぼ真実のように語られ広まっていた。

 曰く、仮面舞踏会の小狼は真正の名切りの鬼である。如何なる攻撃を受けようとも敵を殺すまで止まらず、狙われた者は確実に命を奪われる。

 しかし、鬼は敵と定めた者以外を攻撃することはない。心を読む事で久遠の安寧の者かそうでないかを見分け、違うと解れば例え命を狙いに来た者であろうと見逃してくれる。

 俄かには信じ難い話しだが、久遠の安寧の構成員が既に数千人殺されているというのに、命を狙いに来た賞金稼ぎの仕事屋たちは、流れ弾等で怪我をした事を除けば、ほとんど無傷で全員が帰還していることもあり、かなり高い確率でこの話しは真実であると考えられている。

 

「確かに、街中でロケット弾を発射するような者もいるみたいですしね。湊さんがそれらを捌いていることもあって目立った被害もなく済んでいますが、流石に国聯も見過ごせなくなっているようで、近いうちに騒ぎの中心である湊さんを排除しようとしているみたいです」

「まぁ、騒いでる馬鹿らを黙らせるよりも、騒ぐネタになってる坊主を仕留めた方が収拾すんのも楽だわな」

「国聯の動きはそうですが、僕の情報屋仲間たちは、被害を最小に留めてくれるからありがたいと彼を称賛している者が多いですよ」

 

 以前は動くかもしれないと噂程度に言われていた国聯も、湊が抵抗しないからと増長を続ける仕事屋たちの行為が目に余るため、市民の安全のためにも早急に対象を排除して事態を鎮圧すべきという流れが生まれ始めていた。

 久遠の安寧を狙う湊を仕事屋たちが追いまわし、さらに国聯軍が排除に乗り出してくるとなれば、今後、どのように情勢が変化するのか予想もつかない。

 

「彼が久遠の安寧の幹部を狙って色んな場所に出没しますから、戦闘行為に巻き込まれないよう活動を自粛している者が多い事もあって、ヨーロッパを中心に犯罪率は低下傾向にあります。ですが、治安が良くなっても、小狼君の情報を求める仕事屋たちがよく来ますから、情報屋たちは適当な事を言っているだけでお金が手に入り夢のようだと笑っていました」

「……そいつらに湊の口座へ仲介料を振り込むように言っておいて。誰のおかげでおまんま食べられてると思ってるんだか」

「あ、あはは。まぁ、一応伝えてみるよ。多分、彼が来たら匿って食事くらいは奢るような連中だから」

 

 しかし、国聯が動くとすれば大規模な軍隊でくるはずなので、今回の遠征隊の三人は自分たちだけで動くのならば巻き込まれないよう逃げるのは可能だと踏んでいた。

 故に、そちらの動きは情報屋のネットワークで耳に入るようにしておき、湊を金儲けに利用されていると不機嫌になっているチドリへ五代は苦笑で返す。

 情報屋とは他人の情報を売って金を得るような商売なので、情報を売られた者の知り合いにしてみれば、彼らを死肉に集るハイエナのように思うのも無理はない。

 元は暗殺も請け負っていた凄腕の狙撃手であった五代も、現在は彼らと同じハイエナとして生きている。

 それだけに、チドリからは軽蔑の色が混じった視線を向けられるかと思えば、少女は腕に下げていた大きめのハンドバッグから、背中にほぼ密着するように身に付けるタイプのショルダーバッグを取り出してきた。

 

「……これ、アイギスってやつに会ったら渡しておいて。多分、使うような状況になるから」

 

 そういって、取り出したショルダーバッグを五代に渡してくるチドリ。

 受け取ってバッグの生地越しに中身の形状を探ってみるが、何やら筒状の固い物が入っていることくらいしか分からない。

 少女がもう一人の少女に渡してと言ったため開けたりはしないが、物によって受付カウンターで預けることも出来ない可能性があるので、五代は先に中身について尋ねておく事にする。

 

「これは?」

「一回限りの秘密兵器。詳しい事が聞きたいなら私の方へ電話してくれれば本人に直接伝える」

「爆弾みたいな危険物じゃないよね?」

「ええ、それは安心して良いわ。まぁ、何もしなければ防具みたいなもんだから、持ち物検査も普通にパス出来ると思うし」

 

 秘密兵器というからには湊に対して有効な物なのだろう。中身については本人に伝えると言っているが、五代らが先に湊と遭遇して心を読まれてしまい、せっかく用意した秘密兵器の存在がばれることを彼女は危惧しているのかもしれない。

 ならば、作戦の成功率を少しでも上げるため、五代は彼女の言葉を信じて詳しくは聞かないで置くことに決める。

 

「わかった。直接渡せるかは分からないけど、イリスの知り合いの人たちも捜索してくれているし。彼らの協力を得れば渡せると思う」

「もし渡せなくても、アイギスと連絡が取れる状況になったら知らせて。相手の知らない今の湊の情報を伝えるから」

 

 顔の作りの問題だが、普段はやる気のない表情をしているように見えるチドリが、珍しく瞳にも力を籠めてジッと五代を見つめる。

 五代やナタリアたちの働きによって、湊救出の成功率が大きく変わってくるのだ。湊本人のために助けに行く事が出来ない少女にしてみれば、己の無力を悔やむからこそ、少しでも可能性を上げようと何かせずにはいられないのだろう。

 しかし、湊の無事を祈る少女のそんな純粋な思いも、少女らの過去について殆ど聞いておらず、かつ裏の世界で色々な人間を見てきた紅花にすれば、特に心が打たれるということもないようで、一人の少年のために動いている少女二人の関係へ興味を抱き話しかけてきた。

 

「あははー、前妻と現妻の修羅場みたいで楽しそうな。出来れば私も傍で話し聞かせて欲しいよ」

「……絶対にイヤ。ていうか、どっちが前でどっちが現よ」

 

 向いている方向が同じであれば手を組めそうだが、その中心に男がいることもあって、紅花はチドリとアイギスが友人になる可能性は低いと見ている。

 これは、ここにいる他の大人たちも同様に考えているので、まだ話したこともないアイギスの性格によっては、絶対に湊に見せる事が出来ないような展開もあり得た。

 実際、軽口で「前妻、現妻」という言葉を使っただけだというのに、チドリは鋭い視線で睨みながら紅花がどう答えるかをジッと待っている。

 問われた本人が顎に手をあて考えている間、出発前に少女を怒らせないでくれと他の者が心の中で祈っていると、少ししてようやく相手は口を開いた。

 

「んー、難しいな。出会いを考えればそのアイギスさんが前でチドリが現だけど、いま湊に会いに行てるのアイギスさんですから。チドリを前にしてアイギスさんを現にしておくかな」

「……巌戸台も桔梗組の縄張り圏内だから」

「やぱり、チドリが現だな。お似合いの二人思いますよ。目付きの悪さも脅すときの汚さもそっくりですし。日本のヤクザは限度知らないことを改めて教えてくれる貴重な存在おもてます」

 

 高速の手のひら返し。所々に嫌味が混じり、最後など全く褒めてすらいないが、流石の紅花も大勢のヤクザを敵に回すと商売を続けていられないと思ったらしい。

 湊は若、チドリはお嬢と呼ばれ慕われているので、実際、二人が誰々に何かされたと言えば、組員たちは独自のネットワークを駆使して相手を追い詰める方法を探し始める。

 いくら従業員のほとんどに武術の心得があったとしても、人海戦術で黒い噂などを流されてしまえば戦わずして負けるだろう。

 故に、紅花が大人しく謝罪代わりの言葉を述べれば、チドリは普段通りのやる気のない表情だが、どことなく嬉しそうに見えなくもない雰囲気をその上から纏って話しを終わらせにかかった。

 

「あっそ。まぁ、そんな事はどうでもいいけど」

「催促しておきながら、湊の口癖を真似して流す辺りあざといな。湊はあざとい子は嫌いよ。私の妹が証人ですから信じてよいです」

 

 とてもいい笑顔で紅花が忠告するとチドリは黙る。

 湊は紅花の実家でバイトをしていた訳だが、その容姿や料理の腕前もあって店員らの人気は高い。

 中でも入れ込んでいたのが紅花の妹の鈴音であり、彼女は度々お気に入りのチャイナドレスを着て湊にアピールを行っていた。

 けれど、湊は客としてアポなしに来る日と、バイトで入るのが決まっている日とで彼女の着ている物が異なることに気付いていた。

 二度三度ならば偶然と捉える事も出来るが、流石にほぼ毎回だと鈍い者でも気付く様になる。

 そうして、自分が来る事が確定しているときだけ上物の衣装を着ている事に関して、仕事中に身内の店員に媚を売るなら客商売など辞めてしまえ、と湊ははっきり言い切った。

 基本的に面倒くさがりだが、それでも湊は仕事に対して一定の真摯さは持っている。それだけに、他の者が頑張っているときに不真面目と取れる態度を見せていた事が許せなかったのだろう。

 言われた本人は、顔を真っ赤にして涙を目に溜めながら湊の頬を張って走り去ったが、本人の母親と姉は湊へお前は間違った事は言っていないとフォローし、後に頭が冷えて戻ってきた鈴音も湊に謝罪して和解している。

 そんな事があったため、湊はアピール自体はしても何も言わないが、TPOを弁えた上で正面からしてくる相手の方が好ましいと思っていると紅花は読んでいた。

 

「まぁ、子どもの内に色々と恋愛で失敗学ぶはよい思いますよ。湊は死に場所求めてる嫌な感じするですから、繋ぎ止めるために身体使うも一つの手思いますし」

「フォ、紅花さん! 子どもになんてこと言うんですか!」

「あははー、初潮迎えてる時点で立派な女よ。これ真面目な話で湊は私たちの手を離れていく未来しか見えないです。仮に連れ戻しても桔梗組に戻る思わない方が自然な」

 

 湊は絆の証しだったピアスを手放し謝罪の手紙を送ってきた。それに加えコミュニティも全て壊れたとなれば、無事に帰って来たとしても以前と同じようにはいかないだろう。

 仕事で得た金は十分持っているので、今の湊ならば色々と裏で手続きをして一人暮らしを始めることくらいは出来る。

 

「だからこそ、手放す惜しかったら自分の身体使ってでも繋ぎ止めるべきよ。湊は甘いから何も言わないでしょうが、私は同じ女としてチドリに忠告するです。本気で欲しいなら対価を払うことを厭うなと」

 

 故に、帰ってくれば元の生活に戻ると考えている表の住人二人へ、紅花は顔だけ笑顔のまま言葉から遊びを消してはっきりと告げた。

 気付いてはいても考えないようにしていた事実を突き付けられ、少女とその養母は表情を強張らせる。

 だが、二人とてただぬくぬくと温室で育ってきた訳ではない。むしろ、待つ女として生きてきた期間は紅花よりも長いのだ。

 気だるげな表情をしていた少女は、忠告してきた相手の瞳をまっすぐ見つめ、相手の言葉を受け止めた上で言い返す。

 

「……頭の片隅には置いといてあげるわ。結婚適齢期の負け組が偉そうに恋愛を語ってたって」

「おお、随分と人の傷抉ってくる言葉な。まぁ、悩むにしても無事に帰すことが先決ですから、今は私たちがアイギスさんと接触できるよう祈っててください。私も初弟子を殺すはよい気分ではないですしね」

 

 明るく笑う紅花の言葉は本心なのだろう。彼女は以前も風花に親切心で色々と話していたので、裏の仕事もしているといっても根は女子に優しい親切なお姉さんだ。

 それを分かっているからこそチドリも相手の言葉を一応は受け取り、湊を助けるために頑張ってアイギスに会いに行ってくると言えば、しっかりと頷いて応援した。

 そして、話しが一区切りついたところで、搭乗手続きが始まる時間が迫っていたこともあり、時計を確認していた五代が見送りに来ていた者たちへ別れを告げる。

 

「それでは、そろそろ手続きが始まりますから行きます。オーストリアの空港に着けばロゼッタに連絡しますから、以降の連絡もロゼッタを介して行ってください」

 

 彼らが最初の目的地に設定した場所はオーストリア。

 ヨーロッパと中東を行き来しようとトルコを目的地にしているアイギスと同じように、五代たちもヨーロッパの国を巡るとりあえずの拠点として最初にオーストリアを選んだ。

 向こうについてからは五代が情報屋仲間を訪ねたり、紅花が中国人街の知り合いを訪ねたりして湊とアイギスを探す予定でいる。

 

「おう、気ぃ付けてな。渡瀬、しっかり他の二人を手伝ってやれい」

「はい、どうかお任せください」

 

 オーストリアに行くまでは安全だろう。しかし、その後の活動や向かう地域を考えると彼らも命懸けだ。

 チドリから受け取った秘密兵器をボストンバッグに仕舞い。五代はすぐに他の二人と共に荷物を預けて搭乗券を受け取ってくる。

 出国手続きもこの後に控えていることから、五代たちは別れの挨拶も十分済ませた事でそのまま礼をして、チドリらに見送られながらゲートの方へ去っていったのだった。

 

午後――イラン・チャールース

 

 ここはイランのチャールースの街。カスピ海の近くに市場街として栄えたこの場所は、夏の保養地としてよく人々が訪れるとても綺麗な街だ。

 そして、そんな街の市場の近くにある大型トラックの並ぶ広い駐車場に、また一台赤い塗装の大型トラックが入ってくる。

 後ろのコンテナにはトマトやトウモロコシの絵が描かれていることから、野菜を卸しにこの市場までやってきたのだろう。

 何台もトラックが並ぶ駐車場でも慣れた様子で進み続け、空いている場所を見つけると一度で完璧に駐車する。

 トラックが駐車するなり、助手席のドアが開いたと思えば、なんとそこから迷彩服を纏った少女、七式アイギスが軽やかに降りてきた。

 

「なるほど、あの遠くに見えるのがカスピ海ですね。湖なのに海とは不思議であります」

「ハハッ、俺たちの国にとっては湖でいて欲しいんだがな。他所の国は埋蔵資源のために海ということにしたいらしいぜ」

 

 遠くに見える世界最大の塩湖のカスピ海を眺めるアイギスへ、運転席から降りてきた野球帽とサングラスを身に付けた太った中東系男性が笑って話しかけてくる。

 彼のいう埋蔵資源のためというのは、海ならば排他的経済水域を海岸線から測る必要があるが、湖ならばそれを囲う国同士で均等に分割するため、イランの海岸線が少ない事を知っている多国は自国の排他的経済水域を多く取ろうと、カスピ海を湖ではなく海と国際的に定めたがっているという話しだ。

 そんな国々の抱える事情を知らなかったアイギスは、感心したように頷いて、こんな綺麗な景色を前にしても人々は様々な事を考えるのだなと思っていた。

 

「わたしは国々の抱える事情は知りませんが、国民の生活のためにはそういった事も考えなければならないのですね」

「まぁ、俺たちみたいな一市民が出っ張ることはないがね。さて、俺が送ってやれるのはここまでだが、この後の事は考えてるかい?」

 

 ここイランのチャールースとインドのルディヤーナーは約二三五〇キロ離れた場所にある。

 アイギスがたった一週間で何故それだけの距離を移動できたかというと、森や山を進むような隠密行動を止めたのなら多少人に見られても一緒だと考え、長距離トラックなどをメインに地道にヒッチハイクを繰り返してきたからだ。

 迷彩服を着た白人美少女という容姿もあって、道端でサムズアップしているアイギスはよく目立つ。

 車やトラックが来る度、サムズアップと共に「ヘイ、タクシー!」という台詞を真顔で吐くのは開発者のインストールした知識の影響かも知れないが、とりあえず、ほとんどの車が止まってくれたことで、アイギスは大切な人のためにトルコを目指していると話して、何人もの気の良い運ちゃんに乗せて貰うことに成功したのであった。

 もっとも、中には善人を装ってアイギスを車に乗せ、しばらくしてからいやらしい事をしようとしてきた者もいたのだが、不穏な動きを察知したアイギスに指先の銃口を無言で突き付けられると、その後は黙って運転を続けてアイギスを限界いっぱいまで運んでくれたため、アイギスの記憶の中では全員が親切な方として認識されている。

 

「今後は情報収集をしながら少し歩いてみようと思っています。最近、EP社の幹部さんが狙われているという話しも聞きますから、海外のそういったニュースも知っておいた方がいいと思いますので」

 

 一週間前のテレビで、アイギスは湊がEP社幹部を殺して回っている犯人だと気付いた。

 具体的にほとんど説明をしていなかったにも拘わらず、親殺しの犯人であった自身へ力を貸してくれた心優しい少年が、どうして人を殺めるようになったのかは分からない。

 一般常識を知らぬアイギスですら人を殺すのはいけない事だと知っており。あの少年が自ら進んで手を汚す道に走ったとは思えないので、辛くもシャドウを倒す事が出来たムーンライトブリッジの一件の後で、彼を歪めてしまう何か起こったのかもしれないと考えた。

 もしも、この推測が正しければ、少年が悪の道へ堕ちることになったのは紛れもなく自分の責任だ。戦いに巻き込まれなければ彼は今も両親と共に普通の生活を送っていたはずなのだから。

 そう考えてアイギスはその事実を強く受け止め、もうこれ以上彼が手を汚さなくて済むよう、人間に危害を加えてはいけないという最高ランクの安全装置を完全に外し、彼の代わりに自分が全ての敵を排除しようとすら考えている。

 少年を想うが故に固められた彼女の決意は、少年の望みとは対極であり、あの日から続いている彼の戦いを無意味にする行為だ。

 しかし、両者は相手がそれぞれ自身のために動いていることなど欠片も知りもしない。知っていればそこでまた一悶着あるのだろうが、相手のためにと突っ走る二人なので議論は平行線を辿る事だろう。

 まだそんな事までは考えていない少女に、トラックの運転手はここ数日のニュースの話題を思い出しつつ、参考になるかは分からないそれを伝える。

 

「EP社の事件か。ここらにはそんな話しはないが、もっとヨーロッパに近い国じゃ大変らしいな。ま、一般人が巻き沿いにならないだけマシだが、あんたも近くに寄るんなら気を付けな。ガソリンを積んだ大型タンクローリーが盗まれる事件とかも起こってるらしいし。あんたが乗ったトラックが狙われる可能性もあるからよ」

「お気遣い感謝します。では、メフディーさんもお仕事がんばってきてください」

「おう。あんたも大切な人とやらに無事会えるといいな。諦めずに頑張ってこいよ」

 

 あっさりとした別れを済ませるなり、運転手は注文書と思われる紙の束を持って賑わう市場の方へと去って行った。

 ずっと後ろ姿を見送っていたアイギスも、相手の姿が見えなくなると運転手に貰った周辺地域の地図をリュックから取り出し行き先を考え始める。

 先ほどは情報収集をすると答えたが、今話題の事件だけあって人に話しを聞くよりもニュースや新聞を見た方が早いのだ。

 ならば、直接湊を目指して追いつけないなどという結果になるよりも、騒ぎの地域に接近するだけ接近してから、未だに襲われていない幹部のいる場所へ向かい待った方が出会える可能性は高い。

 

(トルコを目指すのは良いのですが、八雲さんはトルコにはほとんど行っておられないようであります。ドイツやハンガリー、ルーマニアにロシアなど範囲が広過ぎて絞り込めません。EP社の幹部がいるのはほぼヨーロッパ圏ですが、裏のお仕事をされている方に尋ねるには情報料が発生すると聞きます。無一文のわたしには使えない手段ですね)

 

 これまでテレビや新聞、ラジオなどで集めた情報をまとめるため、アイギスは地図に印をつけてゆく。

 その印は湊が襲ったEP社幹部のいた場所であり、表のニュースになっているものだけだが、それでも三十ヶ所ではきかなかった。

 これがただの事件であれば犯人の潜伏場所を割り出す重要な情報になるのだが、湊は単純に敵の元へ向かって騒ぎを起こしているだけなので、付けた印の箇所へはもう訪れないと考えていい。

 となると、いよいよ裏の仕事屋たちから情報を集めなくてはいけないのだが、道具は無断で拝借してきても金銭には手を触れないできたアイギスに、情報をくれた者に支払うだけの所持金などありはしなかった。

 

(桐条グループの追手も気になります。わたしを探していないはずはありませんが、ここまでそれらしき人物も見てない事を考えると、わたしを捕まえるために目標の八雲さんをマークしている可能性もありそうです)

 

 アイギス自身は八雲の情報など一言たりとも漏らしていない。

 しかし、シャドウとの戦闘後にメモリを解析されていたとすれば、桐条グループに自分が湊に一種の執着を覚えている事を知られている可能性がある。

 グループが現在も湊の事を捕捉し続けているかは不明ではあるものの、仮に捕捉し続け待ち構えているのなら、アイギスは戦闘に突入する事は避けられないと踏んでいる。

 少年の両親を奪ったのは自分だ。ペルソナの発現を促したのも自分だ。少年を自分と同じ戦場に立たせたのも自分なのだ。

 ならば、その少年を戦場から救い出すのは自分に科された使命である。それを邪魔するというのなら、例え自らを作り出した開発者であったとしても、倒して湊の元を目指すとアイギスは決めていた。

 

「桐条グループがどう動いているにせよ。現状で有効な作戦がないのなら、このままトルコを目指す方針でゆくことにしましょう。イスタンブールまでは残り約二千キロ。上手くいけば一週間で着くことも可能であります」

 

 地図を確認してトルコまでのルートを大方決めたアイギスは地図をリュックへと片付ける。

 ヒッチハイクにも慣れてきたので、上手くいけば彼女の言った通り一週間ほどで到着する事も可能であった。

 もっとも、それには上手く長距離移動する車に出会わなければいけないのだが、しばらくは歩いて進むつもりの彼女は気にせず市場の駐車場を出てゆこうとする。

 だが、出てゆく途中でアイギスは自分と似たような戦闘服を身に付けている一団を発見した。二台の大型車の近くで十人弱の男たちが通信機と双眼鏡を持って話しをしている。

 この地域はどちらかと言えば長閑な場所なので、特定の軍や民間軍事会社は存在せず駐留していることはまずない。

 何か事件があったのかとも考えたが、先ほどの運転手の話しではここらには湊も現れていないため、警察ならともかくわざわざ兵士が来るほどの事態はあり得ないと判断した。

 

(怪しい一団であります。胸のエンブレムは蠍座を模した物でしょうか? とりあえず、関わらないに越したことはないと判断し、すぐにこの場を離れます)

 

 普段ならば近付いて何者か尋ねているところだが、急いでいる今、訳の分からない物には近付かない事にしている。

 故に、ナタリアがアイギス捜索のためヨーロッパ周辺にも派遣した部隊の者らを、その探されている本人は怪しい者たちと判断し、見つかって絡まれないよう物影を通って離れて行ってしまった。

 事情を知らないからこその不幸だが、アイギスと湊の再会はまだまだ遠い。

 

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。