【完結】PERSONA3 Re;venger   作:清良 要

98 / 504
第九十八話 少女発見

12月8日(金)

午後――ルーマニア・クラヨバ

 

 一ヶ月ほど前にイランのチャールースにいたアイギスは、現在は約二五〇〇キロ離れたルーマニアの都市に来ていた。

 前は一週間でほぼ同じ距離を移動することが出来たのだが、ヨーロッパの方に近付くほど湊の事件の影響から、警察や軍が慌ただしく動いていることもあり、怪しまれぬよう身を隠しつつ進んだことでこんなにも時間が掛かってしまった。

 最初期の目的地であったトルコにもしっかりと立ち寄ったが、残念ながらそちらでは大した情報は得られず。そもそも、湊の出没地域はもっとヨーロッパに近い場所であった事で、アイギスはほとんど通り過ぎる形でトルコでの活動を済ませている。

 長距離トラックのヒッチハイクも、やはり湊の件で知らない人間を警戒しているのか上手くいかず、最近の移動はもっぱら徒歩である。

 そうして訪れた街の中を進むアイギスはというと、集音マイク機能で人々の会話に耳を傾け情報収集を行っていた。

 

(なるほど、最近の事件はこの国よりも西の方へ集中しているのですね。しかし、EP社の本社を襲っていないことを考えると、八雲さんは一体何をしようとしているか疑問が残ります)

 

 湊がEP社幹部殺しの犯人であるならば、復讐の対象は当然EP社に関わる者なのだろう。

 けれど、全ての社員が殺されている訳ではなく、もっと言えば本社ビルがそのまま無事に残っていることで、本当に湊の狙いはEP社の者なのだろうかと不思議に思うのも無理はない。

 歩きながら顎に手を当てアイギスは考え込むが、彼女が持っている情報はエリザベスから教えて貰った、湊が仮面舞踏会の小狼という名で裏の仕事をしていることと、偶然テレビを見て知ったEP社幹部殺しの犯人が湊であるということのみだ。

 殺された湊の大切な人がどのような人物であったのかも知らなければ、現在の湊がどれだけの実力を持っているかも分からない。

 耐久力に関しては、RPG7の弾が直撃しても常人を超えた速度で移動していたため、自身と同じ対シャドウ特別制圧兵装シリーズすらも超えているのではと考える。

 流石の鋼鉄のボディも対戦車用に使われる弾頭をまともに受ければ甚大なダメージを負う。仮に対ショック性の防護服を着ていたとしても、衝撃を完全に殺しきることは不可能なので、自分が同じ場面に出くわせば無様に地面を転がっていたはずだと、人間では考えられない耐久力にアイギスは素直に感心していた。

 

(あの黒いマントにも秘密がありそうです。わたしも同じ物を頂けないか出会ったときに訊いてみましょう。もしも、あの耐久力がマントのおかげならば、わたしも装備すれば戦力が三十パーセント向上します。防御が如何に大切か分かる数値でありますね)

 

 正しくはフード付きのコートと呼ぶべきなのだが、確かに湊はマントのようにはためかせてもいたので、アイギスがあれをマントと思ってしまっても無理はない。

 そして、彼女の推測通り、湊の耐久力の約半分は外套のおかげであった。

 負った怪我は湊の生命力を使ってファルロスが治してくれるが、名切りの身体は頑丈であるだけで限度を超えれば怪我は負うのだ。

 それをあの外套は圧力と言い換えても良い衝撃以外は全て防ぎ。爆発の炎も弾丸の貫通力も全て防いで衝撃もいくらかは軽減させるため、湊はただ歯を食いしばって耐えるだけで良いレベルまでダメージを抑えられている。

 外に出ている掌や顔は守りきることは出来ないが、そちらも身体を捻る事で湊は上手くやり過ごしているため、外套のガードを抜くには物理的な力で押し切る他なかった。

 兵器類の情報を多数インストールされているアイギスだからこそ、それらの情報を元に湊の装備の機能もおおよそ予想出来た訳だが、そんな事を考えながら街を歩き続けていた彼女の頭の中に突如声が響いてきた。

 

《アイギス……アイギス、聞こえる?》

「っ!? これは直接わたしに通信を繋いでいるのですか?」

 

 突然聞こえてきた少女の声に困惑するアイギス。

 桐条との通信機能は完全にカットしているため、今の自分に直接通信してくることなど出来ないはずだが、通信が繋がっているのは事実なので自分も知らない秘匿回線が残っていたのかと、ここまで来て桐条グループに居場所を捕捉されたことに思わず歯噛みする。

 どうにかこの回線を維持している回路への電力供給を絶てないか、自分のボディに関するデータをアイギスが検索していると、先ほどの少女の声が再び聞こえてきた。

 

《良かった、繋がった。お願いアイギス、八雲さんを助けるために貴女の力を貸して欲しいの》

「八雲さんを? すみません、貴女は一体誰ですか?」

《私は水智恵。あの日、八雲さんの叫びを聞いた一人よ。それと、この回線はプライベートラインだから桐条グループは貴女の居場所を感知してないの。だから安心して》

 

 携帯電話すら持たずに一人で話しをしていると周囲の人々が怪訝な顔をして見てくる。

 目立つのは避けたいアイギスは、少し早歩きで路地の方へ向かい再び相手に問いかけた。

 

「貴女も八雲さんの声を聞いたのは分かりましたが、貴女と八雲さんの御関係は? あの声はコミュニティと呼ばれる繋がりを持つ者だけが聞くことが出来ると、以前お話ししたエリザベスさんが仰っていました。このような秘匿回線を持つ桐条に関わる方と八雲さんの繋がりが想像出来ないのですが?」

《関係っていうと難しいけど、八雲さんは私の病気を治してくれた恩人なの。あと、これは秘密にしておいて欲しいんだけど、八雲さんは元々桐条家とも付き合いのあった旧家の御出身みたいなの。だから、その関係で桐条英恵様も八雲さんに個人的に味方しているわ》

 

 桐条英恵が現桐条グループ総帥夫人だという情報はアイギスにも入っている。

 影時間の自然適合者である時点で只者ではないと思っていたが、大切に思っている少年がやんごとなき身分でもあったことに流石だとアイギスは敬服の念を抱く。

 

「なるほど、では桐条グループも実質八雲さんの物であるということでありますね」

《え? いや、それは違うけど》

「しかし、夫は妻に勝てぬとは昔からの常識だとデータにもあります。そして、グループ総帥の奥方が八雲さんの味方ならば、間接的に八雲さんがグループを牛耳る事も可能ではないのですか?」

《えっと、個人的な才能とか能力の話しなら企業運営も出来るでしょうけど、八雲さんは桐条グループを恨んでいるから牛耳る前に潰してしまうと思う。貴女が眠っていた間も八雲さんには色々とあったみたいだから》

 

 その言葉を聞いてアイギスはハッとする。

 彼はあくまで桐条グループの被害者だ。戦闘に巻き込まれたのは不運としか言いようがないが、彼の両親を死に追いやったのは間違いなく桐条グループである。

 そしてさらに、自分は彼の両親が死ぬ直接の原因を作った張本人。意気揚々と救うなどと口にしていたが、相手を不幸にした者がそんな事を言うのは非常におこがましいのではと思ってしまう。

 なにより、人をシャドウの脅威から守るために生み出された自分が、救う前に人を殺めてしまっている事実がある以上、本来ならば機能停止している内に廃棄されるべきである。

 故に、自分に与えられた任務すら満足にこなせない自分は、彼に会わせる顔がないと暗い表情をしながら、アイギスは己の胸の内に湧いた不安を相手に打ち明けた。

 

「では、わたしも八雲さんに恨まれているのでしょうか。彼を助けたいなどと思って出てきましたが、あの方のご両親を殺したのはわたしです。そんなわたしに八雲さんを助ける資格など……」

《それは大丈夫。八雲さんはアイギスのことをずっと心配していたもん。貴女が屋久島の研究所で眠っていると聞いて、未だに修理も出来ない人間に預けていて良いのかって怒っていたし。攫いに行くべきかとも言っていたんだから》

「八雲さんが……わたしを?」

 

 実際の修理はほぼ完璧に行われており、目覚めていなかったのは湊に言われた2009年に再起動の時期を設定していたからだ。

 シャドウとの戦いがなければ自分は不要。だからこそ、アイギスは自分を必要なとき以外は封じておく意味も込めて再起動まで外部からの干渉をシャットアウトする設定を自らに行った。

 もっとも、それらの設定を上回るほど強固な繋がりによって湊の危機を察知し目覚めた訳だが、親を殺した犯人の自分を少年がそんな風に想ってくれることが信じられず、アイギスはやや動揺を見せながら返す。

 

「し、しかし、あの方の人生を歪めたのはわたしです。あの日の事がなければこんな事にだってならなかったはずであります」

《そうかも知れないけど、八雲さんは貴女に会えた事には感謝してたよ。自分は貴女に救われたから、自分も貴女のためになることをしてあげるんだって。多分、どれだけ復讐に囚われようとその想いだけは無くしてないと思う》

 

 相手の言葉を通じて湊の想いに触れたアイギスは、先ほどまで感じていた不安が全て晴れるほどの喜びに胸が詰まりそうになる。

 相手に救われたのは自分の方だ。いまここに自分がいるのは、少年が共にシャドウと戦ってくれたから。

 彼がいなければシャドウを倒すことは出来なかった。戦いの記憶はほとんど失われているが、そのことだけは自信を持って断言できる。

 にも拘らず、少年は己が救われた側だと思い込んで、人々を守るために戦うだけの機械の自分にその優しさを分けてくれた。

 ならば、今度こそ本当に自分は相手にその恩を返さなければならない。義務や使命ではなく、自分自身の意思で彼女はそれを選ぶ。

 そうして、アイギスは瞳に強い光と想いを宿して顔を上げた。

 

「あの方に恨まれることを想像すると、何と言えばいいのでしょうか。その、怖い……です。しかし、それでもわたしはあの方を助けたい。その気持ちがどんどん強くなってゆくんです。ですから、どうすればあの方に会えるのか教えてください」

《わかった。まず、現状について伝えるね。いま、八雲さんは“久遠の安寧”って組織と彼らが懸けた懸賞金によって世界中の仕事屋の人たちに狙われてるんだって》

「久遠の安寧? EP社ではないのですか?」

《そのEP社の裏の顔が久遠の安寧って組織らしいの。アイギスがEP社の件を知ってるのはちょっと驚いたけど、全てのEP社の社員が殺されている訳ではない理由は、八雲さんの狙いはあくまで久遠の安寧の構成員だからなんだって》

 

 アイギスがEP社幹部殺しの犯人は湊だと気付いたのは偶然だ。恵がそれについて驚いても不思議ではない。

 しかし、彼女の説明を聞いたことで、アイギスもずっと疑問に思っていたことのいくつかが解消され、一見不可解な湊の行動にも納得が出来た。

 

「なるほど、表の企業だけに勤めている方は対象外ということでありますね。ですが、世界中が敵となると敵の元まで辿り着くことすら難しいのでは?」

《それ以前に相手の本拠地が不明だから、八雲さんはそれを探りながら幹部を殺しまわっていると見られているの。八雲さん救出チームの方でもそれを探しているんだけど、どういう訳か全然尻尾が掴めてないのが現状ね》

 

 久遠の安寧の本拠地は国一つを隠れ蓑に使っている。それを知っているのは本国にいる幹部くらいなものなので、映画やドラマでよく見るような怪しい物流の動きを追ったところで彼らの本拠地を見つけるのは難しい。

 こればっかりは物流のスペシャリストを頼らなければ、運を味方に付けて虱潰しに各国のそれらしい場所を探ってゆくしかない。

 だが、湊救出チームにそんな優秀なカードはないため、出来ない事を悔やむよりも何が出来るかを把握した方が賢明であるとアイギスは質問を続ける。

 

「その救出チームはわたしの他にも海外へ来ているのですか?」

《日本から出ているのは三人、さらに中東の民間軍事会社も捜索に協力してくれているの。あ、私や八雲さんと日本で暮らしている方たちは今も日本にいるけど。桐条グループが貴女と八雲さんを捜索してるから気を付けてね》

 

 アイギスが絶対に出会う必要があるのは五代たちの探索チームだ。彼らと出会いチドリからの贈り物を受け取った上で、英恵から話しを聞いた桜に名切りの情報を聞かねばならない。

 また、その後にはチドリも現在の湊の情報を話すつもりなので、会って何が起こるか分からない以上は、より多くの情報を得て対処法を考えておいた方が良いだろう。

 

「お気遣い感謝するであります。それで、わたしはそのチームと合流すべきなのでしょうか? 無一文なのでこちらから連絡することは出来ないのですが」

《私が中継してあげるから大丈夫。とりあえず、最寄りの街にいる人と合流して、そこから本隊に合流することになると思う。八雲さんを助けるには貴女に知って貰う事があるらしいから、絶対に合流して話しを聞いてね》

「知って貰うこと? 何の話しかは分かりませんが了解であります。それでは、最初のナビゲートをお願いするであります」

 

 元気よくしっかりと答えたアイギスは、その後、恵の指示に従って蠍の心臓の隊員のいる街へと向かい隊員との合流を果たした。

 脳波リンクでアイギスと通信を行っていた恵は英恵に桜たちと中継してもらい。その桜もロゼッタに五代たちと蠍の心臓の両者へ中継して貰うというかなり面倒なやり取りをしていたのだが、この情報伝達方によって湊救出チーム全体にほぼリアルタイムでアイギス発見と合流の報せが届いた。

 五代たちはナタリアと直接連絡を取る事ができるため、蠍の心臓が桐条グループよりも先にアイギスを確保した以上、ほぼ確実に合流は可能となった。

 そして、アイギス・五代・ナタリアのそれぞれのチームは合流場所を改めて決めると、救出作戦に向けて合流場所へと集まるのだった。

 

 

影時間――オーストリア・郊外の森

 

 今日もまた武装した兵に守られた久遠の安寧の幹部を殺し、追ってくる仕事屋たちの攻撃が市民を傷付けぬよう注意しながら逃げていた湊は、影時間に入り追手が消えたことで、身体を休めるため街のはずれにある森へと移動していた。

 外套には血と火薬の匂いが染み込み、嗅覚も優れている湊にとってはキツイはずだが、当の本人はそんな事に構っている余裕もないのか、一歩一歩ゆっくり進んでいたかと思うと突然地面に倒れ込んだ。

 倒れたまま起き上がる様子もなく荒い呼吸を繰り返している少年を気遣い、彼に宿るシャドウの王が霊体に近い状態で出てくる。

 

《湊君、一度しっかり休もう。教会を出てから睡眠も食事もろくに取ってないじゃないか。このままでは敵の元へ辿り着く前に死んでしまうよ》

 

 教会にいたときはシスターが湊に食事を与えていたが、それ以降、湊は敵を殺すためだけに動き続け、ファルロスの言う通り食事も睡眠もまともにとっていなかった。

 そんな状態でも一月以上活動出来るのだから大したものだが、それも今まで摂っていた食事の栄養を名切りの身体が自然に蓄えていたからこそ、少しずつ消費することで続けられているに過ぎない。

 

《僕の蘇生効果が落ちてきているのは理解しているんでしょ。エネルギー源として使っている君の生命力は、食事や睡眠によって回復するんだ。このままだと蘇生どころか傷の治療すら出来なくなるよ?》

 

 最初は超速再生が可能だったファルロスの回復補助も、今では生命力の減少によって傷の完治に数分から数十分を要するようになっている。

 完全に枯渇して死んでは困るので、一定値よりも少なくなればファルロスも補助その物を停止するつもりでいるが、今度は怪我の治療もしないまま戦闘を続ける事が懸念されるため、ファルロスは根本的な問題の解決を提案していた。

 ただまともな食事と睡眠をとれば良い。実に簡単な解決法であり、これで作業効率があがるのであれば湊にとってもプラスになるはず。

 しかし、倒れたままでいた少年はフードの端から蒼い瞳を覗かせ、傍らにしゃがみこんでいた相手へ言葉を返してきた。

 

「……そんな、余裕はないって、言ってるだろ」

《たった一日だ。それだけ休養に当てれば君の回復力なら六割は回復する。僕の力も十分使えるようになるし。目的を叶えるには必要なことだよ》

「もう、時間がないんだよ」

 

 言いながら少年は地面に手を突いてゆっくり身体を起こす。

 戦闘時の姿からは想像出来ないような弱り具合だが、なんとか立ち上がったことで湊は背を預けて座れそうな近くの木を目指し歩き出した。

 その隣にはまだ霊体状態のファルロスがいるが、湊の身体の変化の詳しい理由を知らない相手は、心配そうにするばかりで詳しく尋ねられずにいる。

 すると、木の幹に背中を預けて腰を下ろした湊の左側に同じく半顕現状態で霊体化した鈴鹿御前が姿を現し、一切の遊びのない真剣な表情で口を開いてきた。

 

《八雲、あとどれだけ残っている?》

「……とりあえず、両親の顔は思い出せないよ」

 

 今はまだ歩くのも厳しいのか、顔を俯かせて体力の回復を待っている湊が吐いた言葉を聞いたとき、鈴鹿御前は苦々しげに表情を歪め瞳に怒りを宿す。

 彼女がどうしてその様な表情を作ったのか分からないファルロスは、直前の問いの意味も含めて彼女に尋ねていた。

 

《残っているって、どういう意味だい?》

《……今の八雲はペルソナの行使に適性値を一切消費しておらぬ。その代わりに此奴は己の人格、いや、記憶を消費しておるのじゃ。忌々しい亡霊共のせいでな》

 

 ふんと鼻を鳴らす様に吐き捨てる鈴鹿御前。

 全身から怒りと嫌悪感を出し。彼女は本気でその“亡者共”を嫌っていることがはっきりと伝わってくる。

 けれど、話しを聞いていたファルロスにすれば、彼女もその亡者の一人に他ならず。これまで湊の精神世界で言葉を交わしたことがなかったにしろ、同じ名切りならば彼女も茨木童子らと同じ考えを持っているとしか思えない。

 故に、湊がこんな状態になっているのは自分たちのせいではないかと、視線を険しい物にして言葉をぶつけた。

 

《記憶を消費してるって、その原因が過去の名切りたちにあるのなら、君たちが湊君をこんな目に遭わせているんじゃないかっ》

《たわけ。妾を他の下衆共と一緒にするな。殺人衝動の植え付けも、此度の神降ろしも妾は一切関与しておらぬ。妾は八雲に次ぐ力を持つ名切りじゃぞ? 他の亡霊共の精神干渉など全て撥ね退けられるわ》

 

 相手が言葉を荒げてきても、鈴鹿御前は不遜な態度を崩さず。むしろ、相手を冷ややかな目で見ながらその発言を切って捨てる。

 名切りは血に過去の者たちが宿り、そこから知識や技術を引き出す関係上、力を引き出す側は過去の名切りらの意思に精神を引き摺られるようになっている。

 だが、湊の母親である菖蒲のように力をほとんど引き出せていない者や、鈴鹿御前のように強い力を持っている者は、前者はそもそもほとんど干渉しておらず、後者は他の意識を捻じ伏せる事で引き摺られることを避けていた。

 そんな精神の在り様は血に宿るようになってからも継続され、今も鈴鹿御前は名切りの総意からは外れて行動する事が出来ている。

 もっとも、多くの力を引き出しておきながら、始祖である茨木童子が束ねた名切りの総意を撥ね退けられるだけの精神力を持った者など、数千年にも及ぶ名切りの歴史上、たった二人しか確認されていない。

 その一人が、歴代最強の当主にして最も完全なるモノに近付いた存在と呼ばれた、生前名“百鬼 紫乃(なぎり しの)”こと鈴鹿御前であり。もう一人が、今代百鬼家当主にして完全なるモノへと至る事の出来る鬼龍の混血児“百鬼 八雲”である。

 ただし、鈴鹿御前の時代と湊の時代では名切りの業の規模が異なっているので、仮に鈴鹿御前が現在の規模の業を撥ね退けようとしても呑み込まれる可能性が高い。

 それだけに、血に目覚めるまで殺人衝動を植え付けられながらも普段は抑えこみ、現在も度々ペルソナを使わせようとしてくる茨木童子の意見を拒否し続けている湊の精神の強さを、鈴鹿御前は素直に大した物だと感服していた。

 

《やれやれ、随分な言われようだ。名切りの全てを継ぐと言うのは、即ち“完全なるモノ”に為るということだぞ?》

 

 そんな風に霊体状態の二人が言葉を交わしていると、そこにまた新たな参加者が姿を現した。頭に鬼の土面を被った隻腕の鬼、名切りの始祖である茨木童子だ。

 彼女も他の二人と同じく半顕現状態で現れると、湊の正面にしゃがんで子どもの様子を確かめながら、他の二人へ言葉を続ける。

 

《八雲の望んだ平和な世界とやらは、この神降ろしが達成されれば成就する。我ら一族の悲願と八雲の願いが叶うのだ。何も問題あるまい》

《戯言を抜かすな山姥め。貴様ら何ぞに八雲はやらん》

《やるも何も八雲は初めから私の子どもだ》

《貴様の血よりも妾の血の成分の方が多い。八雲の剣戟の才は妾が一代で築いたものだぞ? 一方で、貴様は八雲に何の才を残したのだかな。ああ、見た目か? まぁ、其方は九頭龍の血でもあると思うがな》

 

 相手が現れた途端に嫌そうな顔をした鈴鹿御前は、元の身長差と履き物で相手よりも顔半分ほど高くなった目線から、立ち上がってきた茨木童子を見下して嘲りの表情を作る。

 実を言えば、名切りは全員が優れた才を持って生まれた訳ではない。血に目覚めてもろくに過去の名切りの力を使えず、ただ子に名切りの血を継がせるだけの存在となった者も中にはいた。

 鈴鹿御前はそんな者もいる中で特に優れた才を持ち、名切りの武芸の才はほとんど彼女一人で完成させたと言っても過言ではなかった。

 もっとも、彼女よりも後の時代の名切りは彼女の才を血から引き出そうとしたが、当主でありながら名切りの一族を嫌っていた彼女は、深い層に潜り誰にも自分の才を分け与えずにいたため、後世の名切りたちは他の名切りの力を引き継ぎ自分たちでその高みを目指すことになったという裏話もある。

 にも拘らず、鈴鹿御前は生まれた当初から湊を個人的に気に入っていたようで、彼には自分の才を分け与えており。下位互換でしかなかった約七百年分の名切りたちの武術の結晶を上書き保存してしまった。

 血に目覚めた現在ならば、その七百年分の記憶も全て湊は引き出せるが、湊自身の武術の基礎は鈴鹿御前から贈られたものだ。

 それがあったから生き延びられた場面も一度や二度ではないため、先祖を敬わない不遜な態度を続ける彼女に、茨木童子は小さく嘆息しながら言葉を返す。

 

《はぁ……自らを血に宿らせ、子孫らはその宿った力を引き出せるよう術をかけたのは私だぞ。人を超えた耐久度と回復力を誇る肉体もそうだ。まぁ、それらは全て私の母上が神族の龍人種だったが故の恩恵だが》

《己が半神として生まれたならば、その時点で諦めれば良かったものを。意地汚く神の位なんぞ求めおって》

《子により良き物をと望んで何が悪い。人を超え鬼となり、鬼は畏怖の念を抱かれ神の位へと至る。そうして、漸く願いが成就するときがきたのだ》

 

 話す彼女の顔には来たるべき願いの成就の時を思う歓喜しか無い。

 自分たちの願いが叶い、愛子(まなご)は人を超えた上位存在である神へと至る。これを喜ばずにいられようか、という彼女の考えは心を読める湊でなくとも容易に想像がついた。

 相手のそんな顔を鈴鹿御前は忌々しいとばかりに睨み、ファルロスは以前精神世界でも感じた狂気の先にある願いの一端を理解したことで、彼女たちが今ここにいる湊を生贄とするつもりなのだという事実に表情を暗くしていた。

 

「……本人の前でごちゃごちゃと五月蝿い」

《八雲っ、だが、お主は此奴らのくだらぬ願いを叶える、哀れな生贄にされようとしておるのだぞ》

「茨木童子たちが何を願っているのかは詳しくは知らない。けど、俺の記憶は簡単には奪わせない」

 

 ペルソナとシャドウがそのような会話をしていると、先ほどまで弱り切っていた姿を見せていた少年が突然立ち上がり、光の宿った蒼眼で三者を射ぬいた。

 座っていた時間は十五分にも満たないはずだが、それでも呼吸が整うだけの体力は回復したようで、湊は支えもなく真っ直ぐ立っている。

 自らの記憶を奪わせないと凄絶な色の瞳で吐いた相手を、誰が直前まで死に体だったと思うだろうか。

 

《奪っている……という表現は正しくないが、確かに古い記憶から消えてゆくと言うのに、ある事柄に対する記憶というか感情だけはまだ失っていないようだな》

 

 人格の初期化は最初から“そういう仕様”になっているだけだ。鬼と龍が再び一つになれば姉妹に分けて与えられた力も一つに戻るようにと組み込まれたプログラムに過ぎない。

 失うのは一般的に“思い出”と呼ばれるエピソード記憶のみで、意味記憶と手続き記憶に関しては保持したままとなる。

 仮に、既に失った記憶の中で出会っていた者と遭遇しても、湊はエピソード記憶の他に人物の情報をプロフィールのように意味記憶としても保持していたため、相手との思い出話は語れないが名前や自分及び知り合いとの関係性についてだけは覚えているので対応は出来た。

 だが、茨木童子は赫夜比売と同じように他者の記憶を覗くこと出来るのか、湊の中である物に関わる想いだけ失われていないことに気付き、不敵に口元を歪めて言葉を続ける。

 

《なるほど、記憶に基づく感情の保持に力を削がれているが故の余計な体調の悪化か。そうまでして守るとは、その想いだけは余程忘れたくないと見える》

《……七式アイギスと吉野千鳥か》

《流石に解るか。尤も、それらに関わる想いか精神の均衡を失えば、水の低きに就くが如し、時間を置かずして八雲は阿眞根(あまね)と為るだろう》

 

 自分の体調が悪化しようと湊が守る想いなど、大切な二人の少女に関わる物以外にないと鈴鹿御前たちもすぐに気付く。

 話していた彼女自身も二人に隠すつもりなど欠片もなかったようで、探査能力を利用し目を閉じて周辺の地形を探っている少年に関する事を容易く暴露した。

 ただし、隠すつもりがなかった理由は、どれだけ湊が抵抗しようと時間の問題だと思っているからのようだが、地形を把握しながらも話しを聞いていたはずの当人はその事に一切触れず口を開いた。

 

「北西へ向かう。あいつらの上層部が守るよう伝えていた拠点の一つがそこにあると言っていた。規模は分からないが、重要拠点であれば守りにも人数を割く筈。一気に狩るには丁度良い」

 

 言い終わるなり少年は三人をその場に置いて一人歩き出す。

 今日会った敵たちは、上層部からドイツにある研究施設へ行かせるなと命令を受けていた。ドイツはここオーストリアの隣にあるので、すぐ近い拠点に来るのを防げと上層部も命令したに違いない。

 そう考えた湊は、場所の詳細はまだ分からないがおおよその場所は敵の記憶から読み取っているため、移動の手間を省けることもあってその場を目指すことにした。

 しかし、時間経過で記憶が失われようとファルロスの言う通り休むことで、思考の余裕を取り戻せていれば気付けていただろう。湊の読心能力を理解している敵がそんな拠点の場所をばらすような命令の仕方をする訳がないと。

 けれど、イリスの復讐と少女たちの平穏を目指し続ける少年は、それに固執するが故に己の視野が狭まっていることに気付かず、自ら己を窮地に陥らせてゆくのだった。

 

 

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。