Fate/reversible   作:俺、抹茶オレ

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phase1 黄金の兆し 前編

 その日、少女は死んだ。

 パリの華やかな街並みを一歩踏み込んだ先、およそ美麗な景観にはそぐわぬであろう濁った路地裏。饐えた臭いが充満し、ゴミを漁る溝鼠が這い回る。石畳を叩く雨はどこまでも冷たく、存在する物全てを凍えさせる。そこに少女は打ち棄てられていた。

 時折上げる、ひゅうひゅうという声にも成らぬ息遣い以外に、少女から生を感じることは出来ない。身じろぎ一つしない。糸の切れたマリオネットのように、ただそこに惨めにも倒れ伏している。しかし、それも仕方の無い事かもしれない。よく見れば、少女は体のあちこちが欠損していた。右足の小指、左手の薬指、耳たぶ、目蓋、鼻、髪、脇腹、乳房。ありとあらゆる箇所が無造作に刈り取られ、生々しい血を浮かべていた。

 ただただ苦しい。少女はそう思った。裸体を打つ雨の滴は容赦無く命を吸い取っていく。すぐ傍で死神が囁いているような気がした。迎えはとうに来ていると。

 視界はただひたすらに赤い。その深紅の中に、少女は己の生涯を描いた。いつになっても現れない死に際のパノラマがいい加減焦れったく感じ始めたのだ。もはや虫の息ではあったが、それぐらいの自由は効くようだった。

 思えば酷い人生であった。人並みに生きるのが辛いことだと表するのであれば、少女のこれまでの生活は家畜以下であり、感情は無で支配されていた。思考を停止しなければ生きてはいられなかった。

 物心が付く前に捨てられ、拾われた先は修道院とは名ばかりの牢獄。ただ殺されもせず、されど生かされもせず、痛めつけられては働かされた。爪の間に通される針の恐怖にも慣れた頃、犯されるようになった。昼も夜も関係は無かった。気を失っては男共の噎せ返るような臭い息で起こされた。

 いつの頃だったか、少女は売られた。気が付けば自らが主人だと名乗る恰幅の良い男の屋敷で働くようになった。そこでも状況が変わることは無かった。しかし、温かいスープに毎日ありつけるようになったし、ごく希にではあるが風呂に入れることもあった。男は決して少女を殴ることはなかったし、どことも知れぬ暗闇に閉じ込められることもなかった。ある意味では、少女が一番幸せだった時かも知れない。しかし、それも長くは続かない。偽りの幸福は、ただ餌として与えられているだけであった。

 ある日少女は、か細い声を聞いて目を覚ました。朧気な意識をはっきりとさせて耳を澄ませると、それは何か悲鳴のように聞き取れた。

 いつもなら男が部屋に来るまでベッドを降りることはない。しかし、何かが少女を動かした。扉を開ける。普段よりも底冷えの厳しく感じる廊下をずっと歩いて行く。直感めいたものがあった。少女が呼ばれているのだと。

 廊下の突き当たり、影のように佇む、一度も入ったことがない部屋の扉。躊躇せずにそれを押した。中に一歩入った瞬間、そう遠くない所で何かが蠢いた。導かれたかのように近づいていく。徐々に、暗闇に慣れ始めた目を凝らす。

 そこに浮かび上がってきたのは鉄格子、鎖。そして、人。いや、これは本当に人なのか。もっと理解を越えた、違う存在なのではないか。更に近づく。声を掛けようとしたとき、後ろで扉が開いた。

 振り返る。醜悪に口端を吊り上げた男は、ゆっくりと、呟くように何かを唱えた。ぐらりと世界が混濁した。それを押しとどめる力を少女は持ち合わせていなかった。そして、この生活は最早これまでなのだと、頭の隅でそう思った。

 ――――――雨が耳朶を強く打ち、回想は終わりを告げる。体は麻痺して冷たさを感じない。ただ、ひたすらに気怠い重さがのし掛かる。

 記憶の隅にあるのは、暗闇に揺れる蝋燭の灯火。痛みはなかったが、己の体から様々な要素を抜き取られるのは、はっきりと知覚出来た。気付けば、少女はここに横たわっていた。

 運が悪かったのだろうか。けれど、あの娼館紛いの牢獄で、ただ虚ろに生きるだけよりは幸運なことかもしれない。人並みな人生ではなかっただろう。しかし、死は誰にでも平等に訪れる。裕福な者が暖かいベッドで家族に看取られながら逝くのと、今の少女の状況は大差ない。死に優劣はないのだ。

 薄暗い、寂れた聖堂の隅で願ったことを思い出す。痛みを感じずに、ただ自覚無く、眠るように死にたいと。今の状況は、正にそれを寸分の違いなく叶えようとしている。皮肉ではあるが、それで初めて神は居たのかも知れないと思った。

 意識が歪む。闇の淵に落ちていくのを感じる。ああ、これでこの世界ともおさらばだ。ただ願うは、己のような存在が少しでも居なくなるようにと――――――ふと、声が聞こえた。

「ほう、これはまた愉快だ」

 歌うように、誰かが言った。勿論、そちらを見ることも、何か言葉を返すことも出来ない。

「趣向を変えてこのような所に来てみたが、なるほど、これは面白い。よもや、場末の路地裏で猛獣が息絶えかけているとはな」

 理解できない言葉が、ただ投げかけられる。場所も場所だ、気を違えた者が居たっておかしくはない。だが、これから死ぬというのに、一体なんだというのだ。少女は細い意識に掴まりながら、そう思った。

「まあ、そう怒ることはない。君のポテンシャルは十分。おまけに、この魔力の残滓。大半が抜き取られたようだが、目を見張る物がある。つい摘まみ食いをしてしまった奴の気持ちも分かるというものだ」

 声の主は、カツカツと石畳を鳴らしながら近寄ってくる。見えなくとも分かる。強烈な気配は人ではない。人の形を模した何かだ。

「どうだ、君が望むならば、真っ当に生かしてやってもいいぞ」

 体に触れられる。麻痺しきった体がなぜそれを理解できたのか分からない。その部分だけ、熱湯を掛けられたような熱さが残る。

「なんと、未練はないか。確かに、ただ漫然と生きるだけが人の最善ではない。死もまた救いであるかもしれないな」

 そこで、更にその気配が増した。感じるはずもない、ピリピリと焼け付くような痛さを体全体が覚える。

「――――――ならば死ね」

 首筋に電撃が走った。叫びを上げることも、身悶えることもできず、ただそれを受け止める。それはすぐに体を行き渡り、痺れさせる。

 そして、今度こそ落ちる。地の無い奈落へ。暗闇の向こうで何かが呟いた。

「運が良ければまた会えるだろう。君ならば戻る可能性は高いな」

 深く深く。濁った空間に救いはない。底なしの穴は否応なしに開く。

「その時には受け入れよう。喜べ、君は私の従徒と成るのだ」

 

 

 

 

 

▼ ▼ ▼ ▼

 

 

 

 

 

 御島恭一郎は跳ね起きた。

 慌てて周囲を見渡す。アウトドア用のパイプチェア、粗末な木製のテーブル、その上に乗った小型のノートパソコン。奥の部屋からは、テレビであろう、慣れない異国の言葉がくぐもって聞こえてくる。うだるような熱風に揺れるカーテンに、ミシリと音を立てる寝台。見れば見る程、現在の生活拠点。三ヶ月前から借りているアパートの一室。

 恭一郎は溜め息一つ吐いて、前髪を掻き上げた。ここの床は石畳ではない。雨を避ける屋根もあるし、何より体のどこにも痛みを感じない。

 夢である。そう理解するに時間はさほどと必要なかったが、それでも、強烈に残った映像の残滓は影を引いて視界にチラつく。

 首筋に手をやる。勿論、傷などない。額にびっしりと掻いた汗を拭って、恭一郎はベッドを降りた。申し訳程度に設えられたキッチンの隅、最低限の収容能力しかない小さな冷蔵庫を開き、ミネラルウォーターを取り出す。それをグビリと音を立てて飲み干し、ぞんざいにゴミ箱へと放る。

 時計を見ると、既に正午を回っていた。恭一郎はヒヤリとした。まさか、と玄関まで歩いて行く。壁掛けのキーフックを見ると、予感は当たる。やはり無い。

「悪夢だ……」

 恭一郎は頭を抱えた。いや、悪いのは自分なのである。確かに約束した。交通量が少ない早朝の内に練習をしようと言ったのは間違いなく恭一郎だった。しかし、だからと言って。

「あいつ、わざと俺を起こさなかったな」

 口うるさい教官が居なくて、さぞ快適なこったろう。そう恭一郎は毒づいて、また一段と大きな溜め息を吐いた。

 まあ、これが初めての練習ではない。あいつもかなり上達しているし、サイドブレーキを掛けたまま発進だなんて初歩的なミスはもうしないだろう。幸い天気も良い。これが土砂降りの雨だったりすれば、すぐにでも呼び戻すところではあるが。まあ、今日だけは見逃してやっても良いだろう。

 恭一郎は頭を掻きながら奥の部屋へ行き、ぼうっとテレビを見る。この国には二十四時間ひたすらニュースを流し続けるという放送局がある。聞き取れないのだから、特にそれを見てどう思うということもないのだが、映像だけでも最低限の暇つぶしにはなる。

 気付けば、頬を汗が伝った。本当に暑い。この中東の国に三ヶ月滞在しての感想を簡潔に述べるならば、それ以外にない。発展途上の雑多な街並みとか、エスニックが美味いだとか、なるほど、上げようと思えば気に入ったところはそこそこにある。それでも、それらを無に返す勢いで、連日、猛烈な日差しが大地を焦がしている。こればかりは、もうどうしようもない事実だ。

 恭一郎は窓の外を見た。時偶、軽トラックが土埃を盛大に巻き上げて走り抜けていく他、目に映るのはターバンを巻いた老人がとぼとぼと歩いている姿くらいだ。再度吹き込んできた熱風に顔を顰め――――――恭一郎は違和感に気付いた。

「……熱風?」

 暑いのは当り前、カラカラに乾ききった風も吹くだろう。しかし、それは『外』に限ってだ。

 そうだ、なぜすぐに気が付かなかった。ここに越してきたとき、いの一番に結界を張り始めたのはあいつだった。この国の風には耐えられないと、熱を取り除くフィルターを作ってやると不機嫌も露わに言っていた。そして見事にそれを成し遂げ、確かにアパート内は快適だったはずだ。つい、昨日までは。それが効力を失っているという事がどういうことか。

 恭一郎は直ぐさまノートパソコンに飛びつくと、USBメモリーを抜き取った。それを胸ポケットに突っ込むと、躊躇わずにパソコンを床に叩きつけた。無残に砕け散るモニターの残骸を避け、チェストの引き出しを開いてベレッタを取り出す。

 玄関扉の向こう、多数の足音が聞こえたかと思うと、すぐに止んだ。恭一郎は銃口をそちらに向けながら、ジリジリと後ずさる。相手の姿は勿論見えないが、殺意は明確に感じる。

 荒ぶる呼吸を押さえつけ、耳を澄ませる。ベランダの扉に手を掛ける。

 ノックの音が聞こえるのと、恭一郎が扉を開け放ったのは同時であった。そのまま手すりを乗り越えて飛び降りる。高さは十メートルほど。ぐっと息の詰まるような恐怖感があったがそれも一瞬の事。駐車されていたミニバンのルーフ上に着地すると、不格好に転がりながら地面へ。 降りてきた頭上を見る。立て続けに響く雷鳴のような銃声に、ガラスの破砕音。間一髪であった。しかし、助かったというわけではない。

「なんだってんだよ! クソッタレ!!」

 恭一郎は立ち上がると、裸足なのも構わず走り出した。唖然とこちらを見つめる通行人の間をすり抜けて路地裏へ。

飲食店の油臭い排気を突き抜け、ゴミ箱をひっくり返した所で一度振り返る。市街地でまさか、という恭一郎の甘い想像は、頬先を掠めた風切り音で打ち切られた。顔を前へ向け直し、とにかくがむしゃらに走り抜ける。後ろから砂を弾くような乾いた炸裂音が追いかけてくる。

「教会の野良犬が、なんだってこんな日に!」

 路地裏を抜けた先、すぐ右に見えた民家の階段を駆け上がり、息を切らしながら屋上へ出る。一段と強い風が砂を巻き上げ、視界を濁らせた。額に手をかざしながら路地裏を見下ろすと、追っ手は三人のようだった。やるしかない、恭一郎は銃把を握り直し、銃口をそちらへと向けた。

 マガジンは装填されている一つのみ。つまりは十五発。無駄遣いは出来ない。

「こんな状態でも視覚の強化ぐらいは……」

 ふっと息を短く吐き、神経を張る。やれる、そう判断した瞬間、恭一郎は引き金を引いた。

 飛び出した弾丸は、目標の頭を過たずに貫く。一人、そして二人目。そこでようやく残りの一人がこちらに気付いた。仲間をやられた激情に駆られてか、狙いもへったくれもない乱れ撃ちが飛んでくる。当たるはずがない。だがしかし、時として、そういうものが命取りになる。経験則に従い、恭一郎は後ろへ下がった。この高低差だ。これならこちらを狙えない。機を待とう。しかし、息つく間もなく、ヒヤリとした殺気が背筋を撫でる。

 恭一郎は振り返りざまに一発放つ。だが、その狙いよりも下、ナイフを低く構えた男が突っ込んできた。いつの間に、そんな思考が追いつくよりも早く、鈍く光る切っ先が恭一郎の胸に突き立てられようとして――――――水が弾けた。風船が破裂するような音と共に起きた、小さい衝撃波はナイフを吹き飛ばす。

 何が起きたかよりも、次の状況判断。唖然とする男の突き出された空拳を掴んで後ろへ流すと、右足を支点にして体を捻る。一回転した遠心力でもって、飛び上がりながら強烈な蹴りを繰り出した。烈風の如き一撃は、振り向こうとした男の顔面を綺麗に打ち据える。ぐっと、くぐもるような声を上げて転ぶ男に、恭一郎は躊躇せずに引き金を引いた。一発、二発。腹と頭。

 硝煙が風に流れて掻き消えた頃、男が完全に動かなくなったのを確認し、恭一郎はようやく銃口を下ろした。

 忘れていたかのように押し殺していた息を荒げる。灼熱の直下に晒された体は、汗まみれである。砂混じりの唾を吐き出すと、恭一郎は倒れ伏した男に近寄った。

 頭部のターバンにディスダーシャと呼ばれる、中東周辺国によく見られる白い民族衣装。聖堂教会の連中ではないだろうが、その連中に雇われたチンピラというところだろう。まかり間違っても聖堂教会の構成員が銃で武装するなどはあり得ない。これは魔術協会にも言えることだが、彼らの思想は前時代的、ともすれば古代的とも取れる。科学とは一線を置く節があって、とにかく文明の利器を遠ざける。こと聖堂教会においては、それも少しはマシなのだろう。だが、武装した戦闘信徒――――――代行者と呼ばれる彼らの主武装は黒鍵と名付けられた投擲武器だ。故に、彼らが直接手を下しに来たわけではなかった。

「しっかし、ここまで追いかけて来るかねぇ……」

 ここは魔術とは縁もゆかりもない砂の国だ。聖堂教会や魔術教会にとってすれば、目の届きにくい抜け穴だと思ってばかりいたが、考えを改める必要があるのかもしれない。

 そこでふと、銃撃が止んでいるのに気が付いた。ベレッタを構え直して路地裏を見ると、そこには頭を打ち抜かれた二つの死体だけ。もう一人は逃げたのか、いや、応援を呼びにいったとみて間違いないだろう。アパート襲撃した別働隊は、今頃家捜しの途中と予想できる。あの連射音を聞く限り、自動拳銃ということはないだろう。もしライフルを持つ敵がいるのなら、ベレッタだけでは対処しきれない。

 恭一郎は階段を駆け下りて、さらに走る。どこか身を隠せる場所へいかなければならない。それと同時に、ポケットから携帯電話を取り出した。ワンプッシュで相手を呼び出す。先程の衝撃波は彼女の使い魔が変形し爆散したものだ。ともなれば、既に状況を理解している筈。

『ハロー、マイダーリン』

 気の抜けた声がコールに応じた。

「マチルダ、てめぇ、どこほっつき歩いてやがる」

『あら失礼な言い方ね。エスコート役が寝ぼすけじゃなければ、今頃は帰還できているんじゃないかしら』

「お前が起こせば、それで済む話だろうが!」

 恭一郎は民家の庭へ入った。幸運にも、積み重ねられた廃材が点々と置いてある。その影に溶け込むようにして身を隠す。

『あのね、私はダーリンのマミーじゃないのよ』

「ああ、ああそうかよ! だったら、『特別』な食事の回数は週に一回だ! いいな!」

 声を潜めながらも怒る恭一郎に対して、マチルダと呼ばれた通話相手からは、ふーんという素っ気ない返答。

『そういう言い方するのね。だったらダーリン以外から摂取するだけの話になるわ。しかも、すこーしばかり人間という形から外れちゃう魔法をかけてね』

 その言葉に、さらに怒声で返そうとして、恭一郎は息を呑み込んだ。少し取り乱している。今は口喧嘩をしている場合ではない。落ち着くべきだ。

『ダーリン、状況は分かってるわ。だったら素直に助けて、と言うべきよ』

「……ああ、すまなかった。助けが要る。今どこだ」

 電話口からあからさまな溜め息が聞こえた。

『あなたね……まあ、いいわ。今は市場の北になるのかしら。右に前行った薄汚いバーが見えるわね』

 遠くはない。恭一郎は胸を撫で下ろした。

「よし分かった。良く聞いてくれ。次の角を右に曲がれ。それから――――――」

 トントンと肩を叩かれた。振り向いた恭一郎から声を奪ったのは、額に突き付けられた冷たい銃口とギラリと光った男の眼光。濃厚な死の気配に体が固まる。

 電話口からは恭一郎を呼ぶマチルダの声。男は銃を突き付けながら、ニヤリと笑って携帯電話を取り上げ、通話を切った。

「ここまでだな、飼い主さんよ」

 男が喋ったのは現地の言葉ではない。流暢な英語だった。

 よく見れば、ターバンや民族衣装と見飽きた格好だが、男の顔はこの国出身と言えるものではなかった。白色に近い皮膚、碧眼。アングロサクソン系と言う他ない。

「銃を置け」

 恭一郎は素直に従った。ポケットからベレッタを取り出し、地面に置く。それを手にとった男は、ほう、と呟いた。

「92エリートIAか。とても魔術師が持つような銃とは思えねぇ。どこで手に入れた?」

「フィレンツェでマフィアと揉めたときにちょっくら拝借してね。それ以降は相棒さ」

 そりゃあいい、と笑う男。それを見て、プロではないなと恭一郎は判断した。一流ならば、問答せずに引き金を引く。もし殺しが目的でないのだとしても、あまりにも無駄が多い。優越感に浸りたいだけの、お喋り好きな馬鹿だ。それならば。そう思い、視線を下げた恭一郎だったが、すぐに銃口で押し上げられた。

「おおっと、妙なことは考えんでくれよ。お前には聞きたいことがあるだけなんだ。それを言えばすぐに楽にしてやるからよ」

「……ああ、わかった。けどよ、冥土の土産に、こちらも一つ聞かせてくれ。お前らの雇い主は聖堂教会か」

 男は相も変わらず笑いながら、口を開く。

「その通りだ。仕事を持ってきたのは、まあ、不気味な男だよ。だが羽振りはいい。前金をもらった以上は仕事をこなすだけってもんだ」

 恭一郎の予想は当たっていた。やはり聖堂教会。狙われる心当たりは十分にある。

「さっき俺のことを飼い主と言ったな。それはなぜだ」

「ああ、あの不気味な野郎がよ、そう言ってやがったんだよ。男と、そのペットの女を殺せってな」

 それを聞いて、恭一郎は大笑いしたい気分であった。アレが愛玩動物ならどんなに良かったか。

 男は重ねて口を開く。

「気になったのは、その女だ。俺も魔術師崩れだ。興味がある。そいつが唯のセックスフレンドだなんて思っちゃいない。聖堂教会がそこまで追うってことは、なにか重要な研究対象。禁忌を施したものなんじゃねぇかってな」

 恭一郎はなるほどと思った。男がそう訝しむのも無理はない。異端は許されず、神秘は正しく管理されるべきである、という理念に基づいて行動するのが聖堂教会だ。その教会が躍起になるとは、どういうことか、男は正しく理解している。

 だが、今度は笑いを堪えられなかった。それを見て、男は胡乱な目つきとなる。

「……おい。なにが可笑しいってんだ」

「いやあ、愉快なことを言うもんだと思ってな。この国でジョークを聞くのは初めてだ」

 その言葉に、男は何か不穏なものを感じ取ったか、銃口をさらに押す。それを受けて、恭一郎はようやく笑みを消した。

「……オーケー。答えてやるよ。あいつはこう表すに相応しい」

 轟々と風を切る音が聞こえる。一拍おいて、言う。

「――――――悪魔、とな」

 その瞬間、けたたましいクラクションと共に、恭一郎のすぐ右横、煉瓦造りの塀が崩壊した。砂塵を上げながら、そこから現れたのは赤塗りの自動車だった。

 男は声を出す間もなく、ただ突如とした状況変化に固まる。それとは逆に、恭一郎が抱いたのは強烈な怒りであった。単純である。なんて運転しやがる、と。

 自動車は幸運にも廃材に突っ込む寸前で停止。勢いよく運転手席のドアが開くと、緩慢な動作で降りてきたのは少女であった。

 肩まで伸びた、陽光に輝く金糸のような髪、およそ人間らしくはない白磁のような肌、華奢な体軀には不釣り合いなジャケットとスラックスという出で立ち。それらの非現実的な容姿に、さらに怪しさを際立たせるようなウエリントン型サングラス。

「……ああ、ブレーキとアクセルを踏み間違えるクセ、どうにかしたいわね」

 開口一番そう言い、ポリポリと頭を掻きながら近寄ってくる少女に対して、男はようやく我に返り、口を開く。

「お前、何者だ」

 誰何に答えず、少女はブツブツと何やら呟きながら歩いてくる。

「それ以上近づくな!!」

 その怒声で、少女は顔を上げた。さも今気付いたと言わんばかりの反応で。

 立ち止まった少女は、ふむ、と形の良い顎に手をやる。

「これはアレかしら。修羅場かしら」

 少女の惚けたような、いまいち要領の得ない言葉に惑いながらも、男はすぐに思い立った。

「そうか、お前が例の女ってわけか。コイツの仲間、そうだろう?」

「例の、というのがよくわからないけど。まあ、ご明察かしら」

 その言葉にニヤリと笑みを浮かべた男は、恭一郎のベレッタと自らの銃、二丁を構えながら、ジリジリと後ろへ下がった。

「こんなガキがターゲットだったとは、とんだお笑い種だぜ! だがツイてた。これで取り分は全部俺のもんだ!」

 敵の武装を奪い、助太刀と現れた仲間は年端も行かぬ子供。圧倒的優位は自らにあると信じて疑わない男は哄笑を上げる。

 二人殺すだけで三万ドルという報酬。巨額すぎる大金が目の前に有る。こんなボロ儲けはめったにない。男は引き金に掛けた指の力を強めた。

「あ……なに……」

 しかし、銃口は光らず、血飛沫も上がらない。気付けば、鉛を詰め込まれたような重圧感が体を支配していた。口どころか、銃把を握る指一本たりとも満足に動かすことが出来ない。

 驚愕と見開かれた男の眼に映り込んだのは虹の光彩。いつの間にか、少女はサングラスを外していた。そして、現れた瞳は不可思議な色を放っている。透明なようでいて、どこか仄暗く。鮮やかなようでいて、錆び付いた鉄の色。万華鏡のように形を変えながら、さざめく光の渦は、男の意志に関わらず侵入を許し、脳を焼き尽くす。

 前後の見境など既に無い。ただ感情を埋め尽くすのは、猛烈な乾き。ぐにゃりと歪んだ視界から逃げられない。蹲ることすら許されず、男は辛うじて開いた口から呻きを上げる。

 少女は痙攣する男の手からベレッタを取り上げると、そのまま額に向けた。

「ふん、お笑い種にするなら、もう少しマシな台詞を並べなさいってものよ。今時、映画でもそこまで臭くないんじゃないのかしら」

 もはや、命乞いする余裕もない。立っていられるのがやっと、という体の男は、銃口から一ミリたりとも逃れることが出来ない。

 形勢逆転。後はトリガーを引けば片が付くといったところで、少女の腕を恭一郎が掴んだ。

「殺す必要はないだろう」

 その言葉に、少女はムッと口を引き結ぶ。

「お言葉だけれど。あなた、自分では散々殺しておいて、私だけに聖人を気取るのはやめにして頂戴」

「気取ってるんじゃない。大体、それは俺の不得意分野だっての。これは道徳の話だよ」

「あら、ダーリンはいつから牧師になったのかしらね」

「マチルダ」

 しばし無言が続き、マチルダと呼ばれた少女はサングラスを掛け直した。それから、一瞬悔しげに恭一郎を睨み、諦めたかのように大きな溜息を吐く。

「分かった、分かったわよ。過保護よね、全く」

 そう言って、マチルダはようやくベレッタの銃口を下げた。その代わりに、と空いている手の人差し指で男の顎を突く。そうすると、糸が切れたように男は倒れ伏した。

「余生を病院のベッドで光合成することしか出来ない体にしたけれど、いいわよね。といっても、もう治すことは不可能だけど」

 それを横見に、マチルダからベレッタを受け取ると、恭一郎は踵を返す。

「夢の中のお花畑でフェアリーとワルツを踊って暮らせるんだろう。死ぬよかマシだ」

「……あのねぇ、それって死ぬより酷だと思うけれど」

「そんなことないさ。大事なのはお前が殺さないこと……ああ、なんだ?」

 恭一郎は、マチルダが降りてきた赤塗りの車、自分の愛車であるアルファロメオ・ジュリエッタに向かおうとして足を止めた。遠目からでも分かる程に傷ついた車体を見たショックで、というわけではない。そもそも、運転の練習をするときには強化の術を掛けるよう言い聞かせている。それについては問題ない。

 去来した感覚。未来予知とまではいかないが、死の気配に対しては敏感といえる恭一郎が嗅ぎ取ったのは爆炎の煙。今、車に行くのは危ない気がする、そう思った瞬間、轟と風切り音が聞こえた。

「伏せろ!!」

 その声がマチルダに届くよりも早く、前方で衝撃。眩い爆光に視界を押しつぶされ、熱風が臓腑を揺らした。耐えきれず体を地に着ける。

 伏せた姿勢で数十秒待ち、恐る恐ると顔を上げる。周囲にはドス黒い煙が取り巻いていた。視界が悪い。後ろを向く。

「マチルダ!! 平気か!?」

 咳き込む音。ややあって、マチルダの掠れた声が聞こえた。

「……私はね。前をよく見てごらんなさい」

 もう一度、顔を前へ向ける。煙の晴れた先。そこには恭一郎のジュリエッタが見るも無惨な、スクラップ同然の姿で佇んでいた。

「おいベイビー。嘘だろ……」

 フロングリルが辛うじて残るのみ。変わり果てた愛車の姿に、恭一郎は愕然とする。近寄ろうとすると、後ろから腕を掴まれた。

「馬鹿な事考えないで。相手はRPGを持ってる。今度こそ殺されるわよ」

「クソクソクソったれが! ここはバカラ・マーケットじゃねぇんだぞ! ちっとは考えろってんだ!」

 手を振り払って激昂する恭一郎に、マチルダはどこか醒めた表情で口を開く。

「あのね、たかが車一台じゃない。それが命より大事だって言うの?」

「たかが!? たかがじゃねぇよあれは! そこら辺を走ってる改造トヨタとはワケが違うんだよ。ああ……この国であれを売ってくれるディーラーを探すのに、どれだけの苦労があったか……」

「ああ、分かった。分かったから。もうその話は後にするわよ。で、どうするの」

「冷静に、冷静に迅速にだ。まずは状況を把握しよう。こいつらは――――」

 恭一郎が続けようとすると、また衝撃。左の塀が爆風に煽られて吹き飛ぶ。

「……ああ、クソ! ヤツら尋常じゃない! もういい、マチルダ! ぶっ殺してこい!!」

「さっきと言ってることが違うのだけど……」

「なら半殺しだ! ブラッドバスに出来ないのが残念だがな!」

 ここに居続けるのは得策ではない。恭一郎はマチルダを伴って走り出した。庭を出ると、待ち伏せと思しき男が拳銃の銃口をこちらへ向けた。炙り出して始末する算段だったのだろう。しかし、相手が引き金を引くより早く、ベレッタが火を噴く。断末魔を上げて倒れる男を飛び越えながら、住宅街を走る。

「術の行使は身体強化と索敵のみ。今は日中だ、敵以外に術中の姿を見られるなよ!」

「ダーリンはどうするの」

「ベレッタは弾切れ。俺も身の程は弁えているからな。まあ、無茶はしないさ」

 後方を見る。今のところ追っ手は居ない。だが、油断はならなかった。見れど見れど似たような顔が歩いている。民間人なのか、それとも敵グループの構成員なのか。判別する材料はない。さっきの男のように白人ならば分かりやすいものではあるが。

 規模は不明だが、敵が組織であることは間違いなかった。ネットワークが張り巡らされている可能性が高い。昨今はテロリストも携帯端末片手に爆弾を作るのだ。

 前方に路地が見えた。恭一郎達は迷わずそこに飛び込む。この街の路地の多さに感謝したのはこれが初めてであった。息を落ち着けながら、口を開く。

「ここで二手に分かれよう。おそらく位置は割れているだろうから、ここからは俺が陽動として目立つように逃げる。マチルダは敵の殲滅を頼む」

「ダーリン、あなた丸腰じゃない。平気なの?」

「平気じゃあないが、逃げるのは得意だ。なんとかなるだろ」

 こくりと頷くマチルダを見て、頷き返す恭一郎。すると車の排気音と捲し立てるような異国語が聞こえてきた。一刻の猶予もないと恭一郎は路地を飛び出して走り出す。振り向いて言った。

「これが終わったらブレーキのかけ方を教えてやる!」

 

 

 

 

 

 

 

 




第1話から前後編構成です。書きすぎました。
中東で銃撃戦とか魔術の撃ち合いとかロマンですよね。
後編はその内投稿する……出来れば良いな……
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