メンヘラヤンデレキショすぎ幼馴染魔術師   作:宇宮 祐樹

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15 大地の龍、ヘリオルト・リソスフィア(下)

 

 幼い頃、俺と父を乗せた漁船が事故に遭った。

 その日は何ということもない、至って普通の海模様だった。漁師の父どころか、その見習いに過ぎない俺でさえも、今日は何も起こることはないと確信できるほどの天候だった。

 ただ、唯一変わったことといえば、波の音がいつもより鮮明に聞こえるくらいだった。

 

 沖合に出てしばらくすると、急に波の具合が変わった。

 事故に遭遇した最中のことは、正直あまり覚えていない。揺れる船体と転がり回る道具の数々、何より波の音が耳の奥から響くようで、俺はそれらから逃げるために、必死に耳を塞いでいた。

 最後に見えたのは、俺たちを呑み込まんとする、とてつもなく高い波だった。

 

 次に目を覚ましたのは、海洋の降龍院のベッドの上だった。

 船の残骸に紛れて浅瀬に打ち上げられていた俺を、偶然そこを通りがかった降龍院の人間が回収したらしい。結局、乗っていた他の数名と父親は死亡し、生き延びたのは俺だけだった。

 目を閉じると、耳の奥で波の音がまだかすかに鳴っていたことを覚えている。

 

 母は俺を産んでから早くに亡くなっていた。身体の弱い人だった、と父からは聞いていた。

 そうして身寄りのなくなった俺は、そのまま海洋の降龍院に引き取られることになった。

 ……いや。正確には、奴の研究施設に実験体として回収されることになった。

 

「この子が例の事故の生き残り?」

「ええ。運が良かったですね。この子も、私も」

「へえ……。じゃあ、この子にも何か特別な兆候が?」

「それを明らかにし、形として残すのが私たちの仕事ですよ」

 

 白衣に袖を通した奴の言葉の意味を、当時の俺には理解できなかった。

 

「ローレンス、あなたに会わせたい子がいます」

 

 降龍院に引き取られてから数日後、俺は奴にそう言われた。

 潮の香りと薬品の匂いが入り混じる廊下を通って連れ出されたそこは、降龍院の中庭だった。

 そこにはメギストスを模った像と、その傍に蹲る一人の少女の姿があった。

 彼女は俺たちがやってきたことに気づいたかと思うと、立ち上がってこちらに振り返る。

 その両腕には、セレニアの蒼翼を思わせるような、青く染まる花が抱えられていた。

 ラグディシアの花。俺の故郷にも咲いている、冬の終わりを告げる花だった。

 

「だあれ?」

 

 はじめ、彼女の視線は俺の隣に立つ奴へと向けられていた。

 

「あなたと同じく、ここで暮らすことになった子です」

 

 その言葉で彼女は、初めて俺の方へと向き直った。

 背中のあたりまで伸びている銀色の髪と、その隙間から覗く深い青色の瞳。

 そこに灯っているのは、好奇心とも不安とも取れるような、曖昧な色だった。

 一歩、また一歩と踏み出すごとに、彼女の腕からラグディシアの花弁が零れ落ちる。

 やがて俺の眼前に立った少女は、初めて俺と言葉を交わした。

 

「きみ、名前はなんていうの?」

 

 草笛のように透き通る、高い声だった。

 

「……ローレンス」

 

 その姿に見惚れてしまった俺は、ただ名前だけを口にした。

 すると彼女は、こてん、と首を傾げて、

 

「ろ、れんす……ろー、れんす? ローレンス!」

 

 両腕に抱きしめた花よりも明るく咲き誇る、満面の笑みを見せてくれた。

 

「あたし、イスカ! イスカ・フィルレンシア! これからよろしくね、ローレンス!」

 

 

「太陽と鋏の紋章――俺の知る限り、それは黎明の解剖学者と呼ばれる組織のものだ」

 

 数年ぶりに顕現させたメギストスの尾は、しかし存外に落ち着いている様子だった。

 翡翠の鱗に包まれたそれを優しく撫でてやりながら、ナクアへと話を続ける。

 

「奴らはこの世界の真理を探究するために集まった連中だ。様々な分野へ介入し、己の好奇心の赴くままに研究を続けている。連中にとって、倫理や道徳は自らの研究を妨げる障害でしかない」

「……お兄ちゃんも、その人たちに拾われたの?」

「ああ。お前と同じで、俺もイスカも連中の実験対象にされていた」

 

 違うのは、彼女が引き取られた降龍院には、奴の息がかかっていなかったことくらいか。

 

「だが数年前、とある実験の事故によって組織は壊滅した。騎士団の記録にも残っているはずだ。施設の八割以上が再建不可能なほどの被害を受け、実験設備と研究記録の全てが灰になった。組織の構成員の殆どが事故に巻き込まれ、確認された生存者はいない、と」

「でも、お兄ちゃんたちは生きてるよ?」

「……そうだ。俺とイスカ、そして奴だけが、あの事故から生き残った」

 

 ハルモニアによってナクアが連れ出されたのは、もしかすると幸運かもしれなかった。

 シュヴァリエ(騎士団の連中)にこの話を聞かれるのは、俺たちにとって都合が悪い。

 彼らからすれば、俺たちは生きているはずのない亡霊のようなものなのだから。

 

「理由はわかるはずだ。俺もお前も、人の身には過ぎた力を植え付けられたからな」

 

 その言葉と同時に、メギストスの尾は何かを主張するよう、ひとりでに宙を漂い始めた。

 海洋の龍、”爛濤を謳う翠尾”、メギストス・アビスフィア――その象徴たる、翡翠の尾。

 正確には海洋の龍の模造品を、疑似的かつ局所的に顕現させたものだ。その出力は本来のものには到底及ばないが、それでも人の身に宿すには有り余る代物であることに変わりはない。

 なので、こうも落ち着いた形で顕現しているのは、俺からしてもかなり珍しいことだった。

 ……久しぶりに起こしたから、まだ寝ぼけているのか?

 

「それ……なーちゃんと同じヤツ?」

「お前のものほど便利な力じゃない。簡単に言えば、こいつには俺とは別の意思が宿っている」

「……生きてるの?」

「少なくとも、死んではいない。だが、俺の意思はある程度反映される」

 

 ナクアに示すように、メギストスの尾を右へ振ってみせる。

 

「うにゃーっ! なにこれ! 楽しい! 待て、この、うにゃうにゃうにゃーっ!!」

 

 じゃれついてくるハルモニアから逃げるように、尻尾がひとりでに左へと振れる。

 

「ろ、ローレンスの……尻尾っ! ひ、久しぶりの尻尾……っ、な、なでなでさせてっ!」

 

 …………………………。

 

「ねえ、あの、お姉ちゃんたちが……」

「続けるぞ」

 

 尻尾を顕現させてからというものの、その動きに夢中になっているハルモニアには既に期待していない。また、イスカに関してはもともと論外なので、そのまま二人を無視して話を進める。

 

「俺とイスカ以外にも生き残りが居たと言ったな」

「うん。それが、なーちゃんとお兄ちゃんの身体をいじった人、なんだよね?」

「そうだ。俺の前だと、奴はカルトロードと名乗っていた」

「あれ? なーちゃんが会ったのは、レムナンティスって人だったよ?」

「……おそらく偽名だろうな」

 

 奴が生き延びた経緯を考えれば、偽名を使っているのは別段おかしいことじゃない。

 むしろ、俺の知っているカルトロードという名前でさえ、本来の名前ではない可能性すらある。

 だが、カルトロードとレムナンティスが同一人物なのは確かなはずだ。

 ナクアの記憶にある太陽と鋏の紋章が、何よりの証拠になる。

 

「改めて、先日の騎士団での話の続きだ。お前の逃げ出してきた施設について聞かせてくれ」

「……うん」

 

 自らの記憶を辿るべく、ナクアが瞼を閉じて思考する。

 

「ちょ、っと……め、メス猫……っ! あ、あんた、ローレンスの尻尾で、遊ばないで、っ!」

「しょーがないじゃんこんなに楽しそうなモン見せられたらさあ! うにゃっ、うにゃうにゃ!」

「や……、やっぱあんた、けだものだっ! 躾のなってない、薄汚いメス猫め……っ!」

「いや~! まさかメギストス様の尻尾で、こんな遊べる日が来るなんて思いもしなかったよ!」

 

 未だに俺の尾を弄ぼうとする二人へ、ナクアの邪魔にならないよう注意しようとしたところで。

 

「いい加減にしろ、っ、この……メス猫っ!」

「ゔにゃっ!?」

 

 メギストスの尾に夢中になっているハルモニアの尻尾を、イスカが片手で掴み上げる。

 

「あ、あたしは、元々あんたの股を、引き裂いてやるために、ここまで来たんだっ……! ろ、ローレンスに、いやらしい視線を向ける、発情期のメス猫めっ……!」

「ちょっ、だから別にアタシはそんなんじゃないって! 勘違いにも程があるでしょ!?」

「う、うるさい、っ! 今更言い訳したって、無駄だから……! あ、あんたがもう、二度と子供が産めないように……せ、生殖器を、ズタズタに引き裂いて、やる……っ!」

 

 そのままイスカがハルモニアの尻尾を掴んだまま、もう片方の手で魔術式を起動させる。

 ほどなくして施設の壁に大きな穴が空き、断層から吹き上がる外気が部屋に流れ込んできた。

 

「あ、アンタまさか、本気でアタシのこと……!」

「っ、この……! お、表に出ろっ、淫乱っ!」

「ぎにゃああああぁぁぁぁぁぁぁ!!!」

 

 ……………………。

 

「ナクア、続けてくれ」

「え、いいの!?」

 

 視界の端に映るメギストスの尾も一瞬、驚いたような挙動を見せていた。

 だが、うるさい二人が勝手に外に出て行ってくれたのは、こちらとしても都合がいい。

 困惑するナクアは、しかししばらく思考を逡巡したあとに、一つずつ語ってくれた。

 

「あのね、なーちゃんが連れて行かれたのはね、大地の降龍院からあんまり離れてなかったところなの。なーちゃんが元々いたのは、アーネルガルムにある降龍院だったんだけど……歩いて朝に出ても、夕方になる前にはそこに着いたんだ。だから、降龍院との距離はそこまでなかったと思う」

 

 アーネルガルム。ノールドベルトからずっと東にある、山岳地帯に位置する国家だったはずだ。比較的規模の小さな国だが、そこの特産品には有名なものが多いので名前だけは記憶している。

 ナクアの話の通りなら、奴の拠点もアーネルガルム内部にある可能性が高い。

 

「施設の正確な場所は分かるか?」

「うーん……あんまりパっとしないとこだったから、覚えてないや。でもね、風車があったのは覚えてるよ。アーネルガルムだと珍しいから、それを探せばすぐに見つかるんじゃないかな?」

「珍しい? アーネルガルムに他の風車はないのか?」

「そうだよ。だって、風車みたいなおっきい建物立てたら、動物さんたちの邪魔になるし……それに、いっつもぐるぐる回ってたら、鳥さんたちも巻き込まれちゃうもん。危ないよ」

「ああ……なるほど」

 

 漁村育ちの俺にはない視点だったので、素直に納得した。

 アーネルガルムの現地民からすれば、その場所を特定するには充分すぎる情報らしい。あまりそのあたりの地理には明るくないが、風車のような陸標があれば探すのにも苦労しないはずだ。

 とにかく、ここからは実際に現地に行って調査するほかないだろう。

 それを踏まえて、アーネルガルムへの通行手段を簡単に考えていたところで、ふと。

 

「……ナクア。単純な疑問だが、どうやってここまで逃げてきた? ノールドベルトとアーネルガルムはかなりの距離があるだろ。いくらお前でも、生身でこの距離を移動できるとは思えない」

「それはねー……ネコちゃんになったんだよ」

「猫……。ハルモニアの能力を行使したのか?」

「うん。なーちゃん、ネコちゃんになると、どんな場所にも入れるんだ。だからネコちゃんになって、研究所にある荷物の中に隠れてたの。そしたら、なーちゃんの隠れてる荷物が勝手に運ばれて……気づいたら、アーネルガルムからずっと離れたノールドベルトに着いてたんだ」

「つまり、"博闢の門"の流通に紛れて逃げたのか」

 

 ナクアの魔術的器官の性能が低いことは、ある程度こちらでも考察はしていた。

 なので最初、アーネルガルムからノールドベルトまでの移動には疑問があったが、そういうことなら納得できた。むしろ商会の流通網に身を隠すのは、判断として最適解かもしれない。

 ……『均衡』の座の能力について不明なところはあるが、今聞くようなことでもない。

 

「もしかすると……お前が研究所から逃げてきて、まだひと月と経っていないな?」

「うん。門で運ばれたのも一日の中の出来事だったし、ほんとに二週間くらい?」

「それなら、まだアーネルガルムに奴がいる可能性はあるな」

 

 二週間。奴がナクアの捜索を続けているか、それとも彼女のことを諦めて場所を移しているか微妙な期間だが、何にせよアーネルガルムへ向かう価値は確かにある。

 

「話は終わりだ。長々と、しかも場所を移してまで続けて悪かったな」

「……お兄ちゃんのお役に立てたかな?」

「充分すぎるくらいにはな。ありがとう、ナクア」

 

 期待するような目のナクアの頭を撫でてやると、彼女は年相応の奔放な笑顔を浮かべていた。

 ……イスカもこれくらいの頃はこんな風に笑っていた。花が咲いたように笑うやつだった。

 今となってはもう、見る影もないが。

 

「そういえばお姉ちゃんたち、どうなってるんだろ?」

「ロクでもないぞ多分」

 

 俺の苦言もそのままに、ナクアが先程イスカの空けた壁の穴へと駆け寄っていく。

 その後を追うと、ちょうどイスカとハルモニアの戦闘は佳境を迎えていた。

 

「こ、の……メス猫、っ! あ、暴れまわるなっ! さっさと股、開け……っ!」

「ぎにゃーっ!? ちょっと何してんのさアンタ、なんてカッコさせてるわけ!?」

「こんなものついてるから、いけないんだっ! こ、このまま、踏み潰してやる、っ!」

「痛い痛い痛い痛い! マジ潰れる! イカれるってこの強さは!!」

 

 本当に見る影もないな……。

 

「す、すごい……! 二人とも、とんでもない体勢になってるよ!」

「あんなもの見なくていい」

 

 俺が意思を出すよりも先に、メギストスの尾がひとりでにナクアの視線を遮った。

 

「うにゃっ! この! やめろって言ってるじゃん!」

「あ、っ……に、逃げるな、っ!」

 

 俺が失望している間に、いつの間にかハルモニアは拘束から抜け出し、イスカと距離を取っていた。だがイスカもすぐに体勢を立て直し、ハルモニアへ向けて複数の魔術式を同時に起動する。

 放たれた無数の振動波は、しかしハルモニアが手を振り抜くことで宙へ霧散していった。

 

「……やはり、力の原理がまるで分からないな。何をどうしたらああなる?」

「ネコちゃんだもん。なーちゃんも似たようなことできるよ」

「そうなのか?」

 

 ナクアへそう問いかけると同時、イスカが自らの身体を宙へと浮遊させる。

 そのまま魔術式を展開すると、地中から巨大な土の塊を無数に生成し、それをハルモニアへと連続して叩きつけた。だが、その攻撃すらも彼女には届かないようで、生成された土の塊はハルモニアの手前でただの土砂へと変わっていく。

 ……今のは分かる。土の塊を覆う魔力の供給が切れたような挙動だ。

 だが、ハルモニア本人が魔力を操作したような動きをしたようには見えない。

 

「っ、こ、この……! い、いい加減それ、やめろっ!」

「やめるわけないでしょ!? 言っとくけどコレ、アタシじゃなかったら死んでるからね!?」

「うるさい……っ! いいから、とっとと潰れろ! 潰れろ、っ!」

「あぶなっ!?」

 

 土の塊での攻撃は効力が薄いと悟ったイスカが、急造の魔力障壁をハルモニアの頭上へ生成し、そのまま彼女を押し潰そうとする。それに対しハルモニアには、先日みせた物体を通り抜ける能力を利用して、障壁の真上へ逃げる動きを見せていた。

 

「やはり物体を通り抜けられるんだな」

「だってネコちゃんだもん。ネコちゃんはね、どこでもすり抜けられるんだよ?」

「……すり抜けるというよりは、存在を別の場所に移動させてるような挙動だったな。転移能力……では、ないな。魔力の霧散と物体の保存の説明ができない。ひとつの能力を応用させてはいるんだろうが、ここまで広範な使い方は……まさか、概念自体にまで影響が及んでいるのか?」

「えへへ~。どうだろうね?」

 

 逡巡させる思考をそのまま口漏らす俺のことを、ナクアがにやにやと笑いながら見上げてくる。

 依代の力を宿す彼女からすれば、言葉にせずともその能力は把握できるのだろう。

 

「……降参だ。ナクア、ハルモニアの力のことを教えてくれるか?」

「いいよ。なーちゃんも説明するのは難しいんだけど……」

 

 しばらく考える素振りを見せたナクアが、俺に向き直って話を始める。

 

「ネコちゃんはね、バランス取るのが上手なんだよ」

「バランス?」

「うん。いろんなバランス。魔力もそうだし、今起きてることとか、ほんとになんでも。分かりやすかったのは、ネコのお姉ちゃんのお部屋がいつまでも散らからなかったことかな?」

「……どういうことだ?」

「お部屋が散らからなかったの。たぶん、散らからないようバランス取ってるんじゃないかなあ。そんな感じで、この世界にあるぜんぶのバランスを自由に調整できるんだよ」

「なるほど……」

 

 つまり、事象の発散と収束に直接干渉できるということなんだろうか。

 仮にそれが事実であれば、これまでのハルモニアが起こした現象にも説明がつく。

 壁をすり抜けたのも、この研究施設の状態を保存していたのも、イスカの攻撃のほとんどが無力化されたのも、全て彼女が事象における発散、あるいは収束状態に偏りを与えたからなのだろう。

 ナクアの例えは分かりやすい。放っておけばどんどん散らかっていくはずのものを、彼女はそのままの状態に維持できる。逆に、固まったはずの土の塊をそれ以前の状態に戻すこともできる。

 大地の依代、『均衡』の座、ハルモニア――改めてその名前を頭の中で反芻した。

 

「待て、っ、この……! に、逃げるなぁっ!! メス猫ぉ!」

「ぎにゃあ!! 尻尾掴むなって!!」

 

 なら、そんな相手に張り合うどころか、優位に立っているイスカは何なんだ?

 

「……そろそろ終わりそうだな。行くか」

「そうだね」

 

 頷いたナクアと共に、再び筆舌しがたい体勢になっている二人の元へ歩いて行った。

 

 

「イスカ、もういいだろ」

 

 ハルモニアの両足を持ち上げるように無理やり開くイスカに、そう呼びかける。

 

「だ、だめっ……! こ、こいつ、まだ反省の色が見えない……!」

「こういうやつは何をしても反省しないから、いくら叩いても無駄だぞ」

「ちょ……ローレンス!? さっきから思ってたけどアンタ、アタシのことナメてるでしょ!?」

「先に顔面を舐めてきたのはそちらです」

 

 いくら元の生命体が猫だとはいえ、冷静に考えて不衛生すぎる。

 イスカがうるさくなることを抜きにしても、個人的に極めて不快な行為だった。

 

「それに、ナクアとの用事も終わった。もうここにいる意味はない」

「で、でも……!」

「……分かった。帰ったら、少しだけ尻尾を触らせてやる。それでいいか?」

「っ……! わ、わかった……!」

 

 すぐに俺の言葉に頷いたイスカは、しかし最後に一撃だけハルモニアへ蹴りを見舞ってから、こちらへと駆け寄ってくる。そのままの勢いでイスカは尻尾へと飛びついたが、メギストスの尾はひとりでに彼女の身体を避け、ふよふよと彼女の手の届かないところまで浮かんでいった。

 

「し、尻尾っ! ローレンスの……っ、尻尾、尻尾っ……!」 

 

 ぴょんぴょんとその場で小さく跳ねるイスカを置いて、腰を突き出しながら地面に横たわるハルモニアの顔を覗き込む。地面に頬を擦りつける彼女の視線だけがこちらを向いた。

 

「ハルモニア、大丈夫ですか?」

「アンタはコレが大丈夫に見えるワケ……?」

「頑丈だなとは思いますが」

 

 イスカとあれだけ戦闘行為を続けていたにも関わらず、目に見える損傷もなくただ疲労しているだけで済んでいるのを見るに、依代の生体強度の高さを実感する。

 

「ナクアとの話は終わりました。情報も充分に集まったので、お返しします」

「ならさっさと帰れって……!」

「その前に。貴女に二つほど質問があります」

「んもぅ……! 何? さっさとしてほしいんだけど」

「……ナクア、こっちへ来い」

 

 改めてその場に座り直すハルモニアから、ナクアの方へと視線を向ける。

 俺の言葉にすぐ反応してくれた彼女は、そのまま俺の隣へと駆け寄ってきた。

 

「どうしたの?」

「お前の今後のことだ。ハルモニア、貴女はナクアをどうするつもりですか?」

 

 俺の渡した質問に答えが返ってくるのには、しばらくの時間が要った。

 難しい顔で考え込むハルモニアは、曖昧な声色のまま言葉を返してくる。

 

「別にどうするってこともないけどね。ただ、依代側で保護してあげようかなー、っては思ってるよ。だってナクアはもう、人間の中じゃ生きていけないでしょ」

「……そうでしょうか?」

「うん。いや、別に全く人間社会に順応できないとは思わないけどさ。ただ向こうにいたままだと、他人との違いがはっきりしちゃって、孤独感も強くなるんじゃない? だったら、自分と近い存在が傍にいてあげた方が、この子のためにもなるかなって思うし」

「確かにそうかもしれませんが……彼女の意思も尊重するべきではありませんか?」

「なら、猶更だね」

 

 そう返すと、ハルモニアがナクアへと視線を向ける。

 

「ねえナクア。アンタ、自分のいた国に帰りたい?」

「ううん! なーちゃん、ネコのお姉ちゃんといる方がいい!」

「ほら」

 

 答えるナクアの目に迷いは見られない。本心からの言葉だと確信できた。

 

「で、どうするの? 無理やりナクアを連れて帰る?」

「……いえ。ただ、個人的に気になっただけです。彼女は我々と境遇が似ているので、これから苦労するでしょうし。もしかすると力になれると思っての質問でしたが……貴女やシュヴァリエが力になってくださるのなら、これほど心強いことはありません」

「そうそう。初めから言ってたでしょ? アタシに任せてくれればいい、って」

「……まあ、このまま手ぶらで帰って、シュヴァリエにどう説明しようか悩んではいますが」

「ああ……そういうこと」

 

 黎明の解剖学者の件を伏せた上で、今回のことはシュヴァリエに報告するつもりだが、やはり多少の反感は買ってしまうだろう。彼女とはこれまでである程度の信頼関係を築いているので、それを無下にしたくはない。

 

「分かったよ。ナクアも含めて、シュヴァちゃんにはアタシの方から伝えとくからさ」

「ぜひお願いします。それで、もう一つの件ですが」

 

 自らの頬に手を伸ばしながら、そのまま続けて質問を渡す。

 

「ハルモニア、どうして貴女は私の顔を舐めるような真似を?」

「あー、それね」

 

 自分でも半分ほど忘れていたのか、彼女は手をぽんと叩いて声を上げた。

 俺も、彼女の口から何か意味のある言葉が出てきたのは覚えている。

 改めてハルモニアは俺の顔を見つめながら、口を開いた。

 

「似てるんだよね、アンタ。多分、同じところの産まれなんじゃないかな」

「……誰の話ですか?」

「リノン先輩の助手。アタシ以外のもう一人……監査委員会の人間だよ」

 

 そう語るハルモニアは、ここではないどこかを、しかし確かに見つめていた。

 彼女の瞳に映っているのは、おそらく俺ではなく、その監査委員会の人間なのだろう。

 

「確か、貴女はリノンの助手を務めていたと言いましたね」

「そうだよ。アンタと同じ。楽しかったね、あの三人で過ごしてた時は」

「……貴女の言う約束も、そこで交わしたものですか?」

「うん」

 

 騎士団の本部で、確かに彼女はリノンとの約束があると言っていた。

 その理由もあって、ナクアを自らのところへ連れてきたと。

 リノンが逝去してから五〇年も経った今でもなお、彼女はそれを守り続けていることになる。

 依代として長い時を生きながら、未だリノンとの繋がりを保っているのだ。

 

「ただの興味です。リノンとの約束とはいったい何ですか?」

 

 すぐに断られるつもりで渡した言葉に、しかしハルモニアは静かに口を開いて。

 

「リノン先輩とキースの魂は、まだこの世界のどこかに漂ってる」

 

 ……なに?

 

「アタシは、あの二人を蘇らせるんだよ」

 

 

 気が付けば夜の帳が降り、机の上にある照明だけが唯一の光源となっていた。

 淡い暖色の光に照らされた卓上には、アーネルガルムとその周辺の地図が広がっている。

 

「アーネルガルムまでの道のりは、商会の流通網を利用すればそこまで時間はかからない……。”博闢の門”に関しても、商会の人間と接触すれば利用できる。正式な手続きにこだわらなくても、最悪金さえ渡せば、荷台にでも乗せてくれる人間はいるはずだ」

 

 これまで纏めたアーネルガルムまでの遠征手段を呟きながら、椅子に深く座り直す。

 

「アーネルガルムへ到着した後は……降龍院へ聞き込みは避けるべきだな。ナクアに関しての情報を聞かれる恐れがある。あいつは今、やっとの思いで逃げ出したんだ。……独自に調べていくのがいい。それに、ナクアの話なら研究施設はすぐに見つかる。単独で行動するべきだ」

 

 可能な限りの予想を頭の中で整理しながら、机に肘をつく。

 ナクアから聞き出すことができた情報は、充分に有益なものだった。無論、奴が既にアーネルガルムを去った可能性もあるが、現状ではそれが最も有力な手掛かりなのは確かだ。

 あとは実際にアーネルガルムへ赴き、カルトロードを見つけることができるかどうか。

 

「……イスカ」

 

 考えも纏まったため、今後のことを伝えるべくイスカの方へと向き直る。

 

「え、えへっ……、えへへ、っ……♡ ろー、ローレンスの、尻尾……っ♡ すべすべ……♡」

 

 イスカは俺の尻尾に跨ったうえで、頬を擦りつけながら、口の端から涎を垂らしていた。

 心なしかメギストスの尾も小さく震えており、恐怖に怯えているような挙動を見せている。

 ……一応、尻尾とは鈍いが感覚の共有をしているので、彼女の肌の感触も確かに伝わってくる。

 この涎の生温かさを感じながら、よく思考が出来たものだと自分を褒めてやりたかった。

 

「この、まま……っ、このまま! 今日は、っ! ろ、ローレンスの、尻尾で……っ!!」

「イスカ」

 

 よからぬことを宣言する直前に、もう一度イスカを呼びつける。

 

「俺は明日、アーネルガルムへと向かう。お前はどうする?」

「……つ、ついてく、よ……。だ、だって、ローレンスのため、だもん……」

 

 質問を渡すと、イスカは尻尾を抱きしめたまま、視線をこちらへ向ける。

 だが、その言葉には自分のための選択肢が含まれていなかった。

 

「……カルトロードのことはどう思ってる?」

「……………………わかん、ない」

 

 俺の言葉に、イスカが尻尾を今一度強く抱きしめて、顔を伏せる。

 少なくとも彼女の心に、カルトロードへ対する憎しみの感情は、そこまで強くは根付いていないようだった。とはいえ、決して好意的な感情があるわけでもない。カルトロードに対する感情はとても複雑で、それこそ今になっても解くのが難しい、彼女自身で向き合うしかない問題だった。

 

「どうする? 俺に付き合う必要はない。ここに残ってもいい」

「そ、それは……やだ。ろ、ローレンスと一緒……が、いい。それに……」

「……それに?」

「あ、会える、なら……もう一度だけ、話が、してみ……たい……」

「わかった」

 

 語るイスカの瞳の奥には、曖昧に揺らいではいるが、確かに決意の意思が灯っていた。

 そう決めているなら、俺も止めるつもりはない。彼女が決断するための手助けをしてやりたい。

 この世界でたった二人の幼馴染だ。できるだけ力にはなってやりたいと思う。

 ……………………。

 もしかして今のイスカがこうなってるのは、それが原因か?

 

『ハイオ代ワリ』

「ありがとう、アーロン」

 

 一瞬だけ思考が揺らいだところで、アーロンが部屋に入ってくる。

 

『ママハナニシテンスカ』

「放置してていいぞ」

 

 話も終わり、再びメギストスの尻尾を堪能し始めたイスカには触れないでおく。

 手助けをしてやりたいと思う一方で、こいつが頭のおかしいちょっと手遅れなヤツだという認識は何ら変わらないので、そこの優先順位はかなりの頻度で入れ替わっている。

 本当にどうしようもない幼馴染だと、改めて思った。

 

「そうだ、アーロン」

『アイ!』

「お前は明日も留守番だ」

『イ”ヤ”ー”ー”!”!”』

 

 その場でグルグル回り始めるアーロンをよそに、もう一度明日の予定を確かめることにした。

 

 




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この小説読む分にはまじでなんもかわんないです ホント 一切なし何も
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