17 プロローグ
■
アーネルガルムから帰宅して、しばらく経ったある日。
『アヴヴヴヴヴヴヴヴ』
その日は部屋の外から聞こえる奇妙な音で、かなり不快な目覚めになった。
いったい何事だと疑問半分、苛立ち半分の気持ちになりながら、軽く身支度を整える。
どうやら異音の発生源は、普段イスカが引きこもっている研究室からのようだった。
まだ冴えていない頭を動かしながら、向かった先の扉を開けると、そこには。
「あ、アーロンっ……落ち着いて、っ……!」
『アヴヴヴヴヴヴヴヴ』
天地が逆になった胴体で身体を支えながら、足を高速回転させるアーロンの姿があった。
「何をして……いや、本当に何をしてる?」
「ろ、ローレンス……っ! あ、アーロンが、す、拗ねちゃった……」
「拗ねてる? ……? なんで?」
「あたしたちが、アーロンに留守番ばっかりさせてる、から……って」
「……それでこの仕上がりか?」
確かに、ここ数日は研究所の警備と留守番を指示していた。
それに対して、アーロンが苦言を呈していたことも認識しているが。
「随分と癖のある拗ね方をしてるな……」
『アヴヴヴヴヴヴヴヴ』
「あ、アーロン……! 危ないから、やめよう……?」
イスカの言葉にも聞く耳を持たず、アーロンは足を高速回転させ続けている。
この惨状を見ていると、ゴーレムとはいえ、情操教育の必要性を改めて感じた。
思えばこいつは産まれてこの方、外の世界というものを知らないわけだ。当然、俺やイスカを始めとする他者との関わりも限られており、歪な感性が発達しているのも仕方がない気もする。
……とはいえ、さすがにこんなことになるとは思わなかった。
というより、今まで作成したアーロンにこんな挙動は見られなかった。
「おい、アーロン」
『アヴー』
しゃがみこんで目線を合わせてやると、アーロンがぴたりと足の回転を止める。
どうやらこちらの意見を聞く気は、一応ながらあるらしい。
「何が不満なんだ」
『最近ネー、留守番多クナイッスカ』
「お前なあ……。前にも言ったと思うが、お前の製造目的はこの研究所の警備と資料保管庫の整理だ。のちのち役割は増えるかもしれないが、現時点ではそれがお前の主な役割になる」
『ソウハ言イマスケドモネ、実際ヤッパ気ニシチャウワケヨ』
「……前々から思っていたが、お前たちは一体どこからそんな人間的な思考を持ってきてるんだ」
『パパノ設計ノ問題ジャナイノ』
なんだとこの野郎……。
……そもそも現存する論理機能は、ほとんど過去にエルネスタが設計したものを流用している。
彼女が書き上げた論理機能の原本――正式名称、「シミュラクラム・クラウンの難題」は、未だに完全な解明が果たされておらず、特に思考や感情の部分については全くの未解明だった。
そのためゴーレムの製造というのは、言い換えればエルネスタの技術を模倣しているに過ぎない。アーロンをはじめとする既存のゴーレムは全て、エルネスタの設計した論理機能やその他の魔術式を組み合わせ、そこから独自に改良と最適化を行い、派生させているだけのものだ。
つまり何が言いたいのかというと、アーロンがこうして人間的な振る舞いをしているのは、決して俺の問題ではなく、どちらかというとエルネスタの問題だということで。
「あんまり生意気なことを言うなら、お前をキッチンに埋め込んだっていい」
『イヤーヨッ』
そっぽを向きそうな口ぶりだったが、胴体が動かないのでアーロンは俺を見つめたままだった。
相変わらず間抜けなのも、エルネスタが書き上げた論理機能のせいなのだろうか。
一刻も早いシミュラクラム・クラウンの難題の解読が待たれる。
「う、うーん……じゃあ、お、お散歩でも、してみる……?」
『ダイブ行キタイッスネ』
「……じゃあ、アーロンとイスカで行ってきたらどうだ? 俺は朝食を作っておく」
「え……? ろ、ローレンスは行かない……の?」
「当たり前だ」
少しの間とはいえ、第四階梯の使用する研究所を留守にするわけにはいかない。
考えすぎだと思われるかもしれないが、それで丁度いいくらいだろう。
「で、でも……あたしと、ろ、ローレンスは、夫婦なんだし……。あ、アーロンのためにも、できるだけ二人でいてあげた方が、教育にもいいんじゃ、ない……?」
「まず俺とお前は夫婦じゃないし、アーロンは俺たちの子供ではない」
『マタ二人デイチャツイテルヨオ』
聞き捨てならない言葉が飛んできたので、アーロンを睨みつける。
『コレッテ育児放棄ジャナイノ?』
「お前はどちらかというと家具に近い存在だから、それは適用されない」
『アヴヴヴヴヴヴヴヴ』
ああ、また足を……。
『オ出カケシターイ、ノッ』
「ろ、ローレンス……。どうして、あげたらいい……かな?」
「……まあ、できるだけ要求を呑んでやりたい気持ちはある」
こんな意味不明な挙動をされるくらいなら、好きにさせてやった方がマシだ。
それにアーロンの創造主として、少しくらいは望みを聞いてやるのも務めだろう。
だが、この研究所が留守になるのは出来る限り避けたい。イスカが譲歩してくれれば簡単に済む話だが、この女に譲歩という選択肢を期待するだけ無駄なので考えないことにする。
悩んでいるうちに一つ考えが浮かだので、そのままアーロンへ向けて話を始めた。
「なら、子機でも作ってみるか?」
『コドモ?』
「ふ、二人目……? ろ、ローレンスったら、気が早いんだか……ら♡」
頬に手を当てるイスカを無視して話を進める。
「子機に記録した視覚情報を読み込めば、お前も外出の疑似体験ができる」
『フーン』
「問題は、お前自身を外に出してやれるわけじゃないことだ。処理的には外部情報をただ読み込むだけだからな。分かりやすく言えば、本や書類を読むのと同じような感覚になるんだが……」
『ソレジャアネエ』
「だよな」
俺としても、それでアーロンが納得してくれるとは思っていない。
となると、遠隔の子機から情報を即時伝達するか、あるいは同時に二つの身体と論理機能を同期させるかの二択になる。だが、前者は情報を伝達できる距離に限界があること、後者は術式が複雑すぎて俺では設計できないことが課題となり、どちらも現実的とは言い難い。
そもそも、一つのゴーレムにここまで多機能な性能を求めること自体が過剰だ。
今のアーロンの要求に、俺の能力では応えきることができない。
「アナトリアに相談すれば、改善案を出してくれるかもしれないが」
「だ、だめっ……! あいつに、あたしたちの子供なんて……ぜ、ぜったい触らせない……っ!」
『オーヨチヨチ』
憤慨するイスカを見て、アーロンが逆さまになった足で彼女の頭を撫でる。
どちらが親なのか分からないその光景に顔をしかめていると、ふとイスカが。
「ね、ローレンス……あたしが、子機、つ、作ってみても、いい?」
「それ自体は別に構わないし、俺も協力するが……何か案があるのか?」
「う、うん。も、もしかしたら、時間遡行の研究が、応用できるかも、しれない……」
「そうなのか?」
この間抜けなゴーレムと第四階梯の研究がどう関連づくのかは疑問だが、第四階梯であるイスカ本人がそう言うのなら、この二つの事柄にも何かしら共通する部分があるのだろう。
「なら、お前の主導で頼む。手伝ってほしいことがあれば、遠慮なく言ってくれ」
「あ、ありがとう……。アーロンも、それで、いい……?」
『マア一旦オ任セシマス』
「ならとっとと普通の姿勢に戻れ」
『アイ!』
そのまま足をかちゃかちゃと動かすアーロンを見守る事、しばらく。
『起コシテー』
「自分で元に戻れないような拗ね方するんじゃない」
『アヴヴヴヴヴヴヴヴ』
再び足を回転させるアーロンを放置し、ひとまず朝食の準備を始めることにした。
■
それから朝食を摂り、簡単な家事を片付けたあと。
資料保管庫に集まった俺たちは、アーロンの子機の基盤となる媒体を選定していた。
この部屋もアーロンによって整理が進められているが、相変わらず足の踏み場は少ない。とはいえ俺が攫われた時より遥かに片付いてはいるので、一応こいつの努力は実を結んでいるのだろう。
その結んだ実を片っ端からもぎ取っていく女が、目の前にいるわけだが。
「これは……違う……。これ、も……うーん。い、一旦保留、かな……」
『アーア、オ片付ケシタノニ』
床に資料や報告書、果てには奇妙なガラクタを撒き散らしながら、イスカはアーロンの子機に使う媒体を探していた。もぞもぞと動く背中を思わず引っぱたきたくなる衝動に駆られたが、こと魔術に関する彼女の思考を邪魔するのは憚られたので、振り上げた手をしぶしぶ下ろす。
というより。
「さっき見つけたやつじゃ駄目なのか?」
「うー、ん……。だ、駄目ってわけじゃない、けど……一応、探しておこうかな、って」
アーロンの子機に使う媒体の候補は、既にいくつか見繕ってある。
だが、どれもイスカにとっては妥協案らしく、最終決定には至っていない。
……並んでいる媒体は、どれも一般に流通していないような、高い容量を誇るものだが。
「こいつらで妥協するなんて、いったい何を積むつもりなんだ」
「そ、それは……えっと……」
少し悩んだあと、イスカは手を動かしながら話を始めた。
「あ、あたしの時間遡行にはね……。リノンの研究を、応用しようと、思ってて」
「そういえば、そんなことを言っていたな」
ハルモニアの潜伏場所へと向かう前日、エンデルガストと話していたことを思い出す。
関連する要素があるので、今後手を出すつもりだと言っていたはずだ。
「リノンは、ね……魂による、自己同一性の保持について実験してた、みたい。言い換えると……同一時間軸上に、全く同じ形をした魂が存在すると、どうなるんだろうね……っていう、話」
「……同じ魂が? それは現実に起こりうることなのか?」
「う、ううん。あんまり、現実的じゃない……」
そもそも魂というのは顔や声と同じように、よく似ているものはあっても、全く同じものは存在しない。これを定義したのはリノン本人で、それは現代においても定説として広まっていた。
だが、イスカが言ったリノンの実験は、彼女が唱えた定義とは反する前提になっている。
あまり現実的ではない、というイスカの言葉には同意せざるを得なかった。
「実験の動機は、今もまだ不明なん、だけど……その結果として、全く同じ形をした魂……せ、正確には、極限まで術式で再現した、疑似的な魂なんだけど、ね。そ、それを使って、同一時間軸上に同じ魂が存在する状況を再現した、ら……魂の統合が起きる、っていうことを、発見したの」
「統合……まさか、記憶や経験が二つの魂を介して同期されるのか?」
「うん。肉体が混ざることはないんだけ、ど……片方の経験や記憶が、もう片方の魂に伝わっちゃって……何もしてないのに、経験や記憶がどんどん蓄積されていっちゃう、の」
「……感覚的に分かりにくい話だな」
自分の領域外で、かつ現実的には起こり得ないような話なので、あまり理解は進まない。
だが、アーロンの要求に応えるのであれば、これ以上ない理論だとは思う。
「つまり、その原理を利用すれば、アーロンの子機と親機を同期させられるのか」
「そ、そう。今回はわざと、親機と子機に疑似的な魂を載せて、経験や記憶を同期させる……」
『エッデモソレサア、ダイブ危険ジャナイ?』
俺たちの会話を聞いていたアーロンが、不安そうな言葉を漏らす。
このまま理論通りに魂を統合させた場合、アーロンの自己同一性が瓦解してしまうはずだ。
おそらくだが身体と魂の経験に誤差が生じ、自己認識に混線が生まれてしまう。
『コワイヨネ』
「だ、だいじょうぶ……組み込むのは、魂そのものじゃなくて、不完全で人工的なもので……同期できる段階を、ある程度はこっちで、操作できるの。だから、子機から伝わってくる情報を、あたしやアーロン自身で、制限すれば……アーロンの自己同一性は保持される、よ」
『ソーオ?』
「そ、それに……リノンはその実験のあと、自己同一性を保持する術式も、同時に開発してたの。ぐ、具体的には、片方の魂に、経験や記憶が流れていくのを防ぐものなんだけど……それも、緊急時の安全装置として子機に搭載してあげるし、心配しなくて、いいよ……?」
『ジャアコワクナーイ』
「リノンはそんなものまで開発してたのか」
こんな現実的ではない話に、そこまで的確な安全策を用意していたのかは疑問に残る。だが、これ以上聞いたところで、納得できるような答えが返ってくるとも思えなかった。
そこまで考えをまとめ、いよいよ子機に搭載する術式を纏めたところで、ふと。
「疑問なんだが、この研究が時間遡行にどう関係するんだ?」
「そ、それは……ね? ちょっと考えてみれば、すぐに浮かぶ問題なんだ、けど……」
おそらく無意識なのだろうが、胃が痛くなるような返答から、話が始まる。
「た、たとえば、ローレンスが一週間前に時間遡行をしたと、したら……その時間軸には、一週間前と、一週間後の……ふたりのローレンスが、いることに、なるよね……?」
「ああ……確かに、そういうことか。その場合も、魂の統合は起こりうるんだよな?」
「たぶん、そう、だと思う。実証実験を行ってないから、まだ確実にとは、言えないし……統合以上のことが起きるかも、しれない。だ、だから……一旦の安全装置として、研究をしてた、の」
イスカの言葉通り、時間遡行という行為について考察すれば自然と辿り着く疑問だ。
過去に行くということは当然、過去に存在していた自分と相対する可能性も存在する。それがどんな問題を引き起こすのかは、イスカの言い方からしてもまだ漠然としたままなのだろう。
そうした問題を対処するため解析していた術式を、今回は子機に流用する形になるらしい。
「それで、話を戻すが……つまりアーロンの子機には、魂を疑似的に再現する術式と、自己同一性を保持する術式の二つを載せるつもりか。だから、できるだけ容量のある媒体が欲しいと」
「う、うん……今のアーロンの核ほど、ってわけじゃない、けど……」
「当てはあるのか?」
「い、一応……。確か、まだ捨ててな……っ、あ! あ、あった!」
そこまで言ったところで、イスカが何かを見つけたらしく、声を上げる。
果たして彼女がガラクタの中から持ち上げたのは、中程度のサイズの媒体だった。アーロンの核に用いているほど巨大なものではないが、それでも目を見張るほどの大きさを持つ蒼鱗石だ。
「それは?」
「あ、アーロンに使ってる、本来は時間遡行の魔術式を刻む予定だった、媒体の……予備! し、司書連合のろくでなし共からパクって、そのまま放置してたけど……や、やっぱり残ってた……」
『今パクッタトカ言ワナカッタ?』
「触れるな」
イスカが司書連合すらをも敵に回してることが判明したが、今は口を挟まないでおく。
ひとまず見つけた子機の媒体を、イスカは部屋の中心に置いて容量を確かめていた。
「う、ん……。これなら、大丈夫、かも」
「なら、論理機能だけ書き出すか」
『オウ』
とはいえ、考えることはあまり多くない。というよりは、イスカが言っていた二つの術式が今回の本質になるため、俺の仕事は論理機能を書き込むだけ、と言った方が正しい。
そして論理機能はアーロンと同じものを使うことにした。魂の同期がどのような作用を及ぼすか不明なため、出来る限り親機と同一のもの用意した方が、想定外の不備も少なくなるだろう。
「外出用として目的にするなら、浮遊型にした方がいいよな」
「う、うん……そうしよ……。あ、あと、発声機能も、ね?」
「ああ。外出できたとしても、会話ができないとアーロンも寂しいだろうし」
『ソウデスヨ』
設計としては、発声機能を持つ浮遊型のゴーレムになる。
手頃な紙に図案を記していくと、思いのほか簡単に設計が纏まった。
……浮遊型を作成した経験は少ないが、確かに外部部品が少なくなるのは利点だな。
まあ、安定性の面からして、俺はあまり信頼していないが。
「基礎設計は終わった。あとはリノンの術式と、仮の魂となる術式をどう組み込むかだが」
「こ、ここからはあたしがやる……よ。む、難しい術式だ、し……」
「まあ、俺が手伝えるようなことはないか」
第四階梯をして難しいと言わせる当たり、俺なんかでは到底及ばない領域なのだろう。
下手に手伝いを持ちかけるよりも、イスカに任せる方が得策だと判断した。
媒体を手にしたイスカが、俺の記述した論理機能を瞬時に書き込んでいく。相変わらずの速度に驚いていると、いつの間にかリノンの術式を記述する段階に入っていることに気が付いた。
……一度書面に記さず、そのまま直に術式を書き込み始めるあたり、第四階梯としての才能を改めて実感させられる。おそらく彼女は技術や理論ではなく、感覚で魔術を捉えているのだろう。
「うー……、ん。……えっ、と。……?」
今のイスカには周囲の景色も目に映っていないのだろう、ぶつぶつと独り言をつぶやきながら、術式を記述しては消してを繰り返し、何度も検証を行っていた。
そんな彼女の横顔を眺めながら、できるだけ驚かさないような声量で言葉をかける。
「一人で集中したいだろうし、席を外す。家事をしてるから、困ったらいつでも呼んでくれ」
「う、うん……。ありがと、ローレンス……」
「アーロンも、困ったら話し相手になってやってくれ」
『アイヨー』
こちらに視線すらも向けず、集中するイスカを残して資料保管庫を去る。
……今日の昼食は、片手間で食べられるようなやつにしてやろう。
■
その日の午後、イスカに昼食のサンドイッチを届けに行ったあと。
「――以上が、今回提出予定の報告書になります」
『なるほど。ありがとうございます、ローレンスさん』
ついでに資料保管庫から拝借した通話用魔導器で、俺はエンデルガストと通話を繋いでいた。
内容はハルモニアの件で協力を仰いだ際、話題に上がった報告書の提出に関するものだった。結果として彼はイスカに貸しを作ることで協力してもらったが、とはいえ報告書の提出が遅れに遅れているのは事実なので、こうして直々に連絡した次第だった。
『しかし、本当に報告書の提出を図ってくださるとは思いませんでした』
「破ったところで、特にこちらが得をするような約束でもありませんので。それに、イスカの信頼をこれ以上失う……いえ、もう失うほど残っているのかも分かりませんが……とにかく、あれでも昔馴染みです。自分が出来る限りで、第四階梯の力になれればと思っています」
『あなたは……本当に、心優しい人ですね』
「心中お察しします」
普段からイスカの悪逆非道を真正面から受け止めている人間だ。その苦労は計り知れない。
俺が申し出た報告書の提出を疑うことも、仕方のないことだと思えた。
「それで、報告書はどちらに提出すればよろしいでしょうか?」
『そうですね……曲りなりにも第四階梯の研究資料です。私としても、できるだけ厳重に受け渡しをしたいとは思っているのですが。生憎、ここ最近はやたらと多忙で』
「……リノンの研究施設の件ですか?」
『ええ。具体的な事情は伏せますが、一区切りがついたところでして』
やはり情報を開示するつもりはないのだろう、言葉を濁すエンデルガストだったが、俺もその件に関しては深入りをするつもりはないので、そのまま会話を続ける。
「でしたら、イスカも連れて学会の方に伺いましょうか?」
『いえ、その場合は学会の職員や研究員を避難させないといけないので、どうかご遠慮ください。指定術式による封印も行う必要がありますし、私の仕事が増えるだけです』
あれは本気で言ってたのか……。
『ですが……そうですね。学会本部ではなく、エストレア支部にお越しください』
「エストレア支部? ……なぜ?」
『今期の階梯評定会は、そちらで開催される予定でして』
「……あー……」
その言葉を聞いて初めに思い出したのは、アナトリアの悲鳴だった。
そうか、もうそんな時期か。となるとアナトリアもまたピリピリしているのだろう。
『今回は私も出席することになっているので、そこで直接お渡しいただければと』
「それは構いませんが……おそらくイスカも一緒になります。避難の方はいいんですか?」
『最悪エストレア支部くらいなら明け渡しましょう』
いいのかそれで。
『一応、イスカさんにもお伺いしたいのですが、代わることは可能ですか?』
「それは……難しいかもしれません。彼女は今、こちらの研究所で作成したゴーレムに改良を施しているところで。なんでも、リノンの開発した術式を積み込んでいるらしく、集中しています」
『ゴーレムに? リノンの術式を? ……何がどうなったら、そんなことに?』
「うちのゴーレムは少し我儘なので」
『……お忙しいようでしたら邪魔はしません。私もなるべく彼女と会話するのは避けたいので』
俺もそこまでこの話題を掘り下げるわけではないので、そこそこに話を流す。
「では……次に会うのは、エストレア支部になるでしょうか」
『はい。評定会の日時は公表されていますが、一応こちらからも連絡しましょう』
「助かります。では、また後日」
『ええ。ありがとうございました』
エンデルガストとの会話はそこで終わり、通話用魔導器の音声が途切れる。
階梯評定会はその名の通り、階梯を決定するための研究発表会のようなものだった。前年から今年にかけての研究結果を互いに報告しあう場であり、それによって今後の階梯が考慮される。
もっとも、大量の魔術師を抱える学会にとって、全員の階梯を査定するのはとても現実的ではない。そのため基本的には毎年、学会内の各派閥ごとで運営を持ちまわしており、参加する魔術師もその派閥に属する、あるいは近い研究を行っている者達が集まっていた。
ただし例外として、第三階梯以上の魔術師に推薦された魔術師、また一定年数評定会に参加していない魔術師は、本人の意図に関係なく強制的に評定会への参加を命じられる。
前年の運営はアナトリアも属する魔術的生命体学派だったが、今年は運営する学派が変わっているので、彼女は第三階梯からの推薦がなければ評定会に参加することができない。
……まあ、元より信頼と実績があり、高い階梯を目指すことに意欲的な彼女のことだ。評定会への参加資格を確保することにも、そこまで苦労はしないだろう。
「で、できたよ、ローレンス……!」
イスカの声が聞こえたのは、ちょうど魔導器を資料保管庫へと戻そうとした時だった。
どうやら子機が完成したらしく、とたとたと急ぎながらこちらへ向かう足音が聞こえてくる。
「早いな、もう完成したのか」
「うん……! た、大変だった、けど……あ、あたし、頑張っ……た♡」
姿を見せたイスカは、なぜか頬を紅潮させているが、それは一旦無視する。
だがそれよりも、浮遊型にしたはずの子機が見当たらないのが気にかかった。
設計の段階ではそこまで大きくなかったはずだ。ここに連れてきてもおかしくはない。
その代わりと言っては何だが、イスカの腕の中には白い布の塊が抱かれていた。
「ほ、ほらっ。ろ、ローレンス、見て……♡」
それが何かを問い質す前に、彼女が布の中を覗くように促してくる。
若干の嫌な予感を覚えながらも、大人しく顔を寄せると、そこには。
『バブー』
うわっ……。
「ど、どう……? か、可愛い、でしょ……♡」
果たしてイスカの腕の中に納まっていたのは、予想通りアーロンの子機だった。
小さな一つ目と折り畳まれた浮遊用の羽根も相まって、
「……確か、子機は浮遊できるんじゃなかったのか?」
「で、できるけど、ね? ……で、でも……♡」
するとイスカはうっとりとした瞳のまま、腕の中で抱かれている子機を優しく撫でた。
「あ、あたし……ね? 赤ちゃん抱っこするの、あ、憧れだった、の……っ♡」
「……そうか」
もはや何も言うまい。
ゴーレムを俺との子供に見立て、愛おしそうに撫でている幼馴染に渡せる言葉などない。
というか、多分あったとしても向こうには聞き入れるつもりがない。
『モットナデナデシテー』
「う、うんっ! よ、よしよし……ふ、ふふっ……あたしたちの、二人目の、子供……っ♡」
『ママー』
「こ、これなら……ローレンスも、アーロンのこと……子供って認知してくれる……よね?」
『ニンチシテヨー』
「子機があるなら、いよいよ親機のほうはキッチンに埋め込んでもいいな?」
『ヤメテネ』
嬉しそうに子機を抱きしめるイスカに、俺は諦めを込めた息を吐くことしかできなかった。
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新章冒頭の日常回ということでね
とりあえず今年もぼちぼちやっていきます
そういえば前回のアンケート、「もっと長くたっていい」が半数くらいあってびっくりしました
歴戦の猛者すぎるやろあなたたち