■
「あ、め、メルティナ……久しぶり……」
「はい。イスカお姉様も、お変わりないご様子で何よりです」
振り返った先に立っていたのは、黒いローブを纏う女性の魔術師だった。
深い紫の髪は背中まで伸ばされており、瞳には琥珀色の柔らかい光が灯っている。背丈はイスカやリナよりも高く、顔立ちも大人びているせいか、全体的に貞淑とした雰囲気を纏う女性だった。
ただ気がかりなのは、彼女がどこか恍惚とした笑みを、イスカに向け続けていることで。
「イスカお姉様のご尊顔を拝見する幸運に巡り合えたこと、心より嬉しく思いますわ」
「うん、あたしも……。げ、元気そうで何より、だね」
「もちろんです。この度、イスカお姉様がいらっしゃるとエンデルガスト様よりお聞きしてからずっと、心の昂ぶりが収まりませんでしたの。お待ちしておりました、イスカお姉様……」
やたら粘度のある声色や、うっとりとした表情など、言及したい部分が既にいくつかある。
だが、イスカとの会話の内容から察するに、どうやら彼女が話に出ていた後輩らしい。
「イスカ、彼女が前から言っていた……」
「う、うん。あ、あたしの後輩……。ほ、ほら、メルティナ。自己紹介して、あげて……」
「ご紹介ありがとうございます、イスカお姉様」
そこでようやく彼女が、イスカから目を離して俺たちへと視線を向ける。
「古代魔術学派所属、第二階梯魔術師のメルティナ・オーランドと申します。本日は評定会に参加するべく、フィールトラッセより参りました。以後、お見知りおきを」
メルティナが丁寧な仕草で膝を折り、こちらへ頭を下げる。
その所作は実に恭しく、深い品性を感じさせるものだった。まだ知り合って本当に間もないが、先ほどイスカと会話をしていた彼女と同一人物だったのかと疑ってしまう。
そうして呆気に取られていた俺たちをよそに、メルティナが再びイスカへと向き合った。
「申し訳ありません、イスカお姉様。そちらのお二方は……?」
「えっと、こっちはローレンス。あ、あたしの幼馴染、だよ」
「……紹介に預かりました、ローレンス・エルマークです。現在、イスカの助手を務めています」
「まあ! 貴方がローレンス様でございましたか! ええ、ええ。イスカお姉様の行使した、第四階梯の権利に記載があったので、お名前は存じ上げておりますわ。お会いできて光栄です」
また嫌な覚え方をされてるな……。
「そ、それと……この子は、リナ。魔術大学の学生さん、で……階梯評定会の見学に来た、の」
「リナです! ノールドベルトの魔術大学の一回生です!」
「なるほど、そういうことでしたのね。今回の評定会では私も発表いたしますので、その際はぜひ耳を傾けていただければと思います。改めてお二人とも、よろしくお願いいたしますね」
先程のやり取りで多少身構えていたが、意外にもメルティナの応対は誠実なものだった。イスカに対してのそれとは違い、俺たちには物腰柔らかで、礼儀正しく接してくれている。
それを踏まえると、やはりイスカへの態度には言葉で表せない異質さが感じられる。
……確かに本人から懐かれていると聞かされてはいたが、まさかここまでとは思わなかった。
「そ、それとね……こ、この子は、アーロン。あ、あたしとローレンスの、子供……なの♡」
『バブデス』
「あら、なんてかわいらしい♡ 特にこの小柄な体型なんて、イスカお姉様にそっくりですわ♡」
『ソウデショ』
どこがだ。
「やっぱヤバい人の近くにはヤバい人が集まってくるんですね!」
「お前のとこの店主も同じような反応してただろうが」
というより、その理論だと。
「……まさか、俺のこともヤバい奴だと思ってないだろうな?」
「え!?」
こいつ……。
「そ、そうだ、メルティナ。エンデルが今どこにいるか……知らない?」
「エンデルガスト様ですか? おそらく、もうしばらくすればいらっしゃると思いますが……」
メルティナがそう口にした矢先、廊下から急ぐような足音が聞こえてくる。そちらに目を向けると、そこには彼女と同じ黒いローブに袖を通した男性がこちらへ歩いて来るのが見えた。
後ろで纏めている青みのかかった髪に、高潔さを内包するような金色の瞳。背丈は俺と同じくらいだが、醸し出される誠実な雰囲気から、見かけ以上の凛とした存在感を与えてくる。
……思えば、通話用の魔導器越しにでなく会うのはこれが初めてか。
「お疲れ様です、エンデルガスト」
「ありがとうございます、ローレンスさん。……確か、顔を合わせるのはこれが初めてですね?」
「自分も全く同じことを思っていたところです」
いつの間にか彼に対して親近感を覚えていたが、それはどうやら向こうも同じらしい。
その原因はエンデルガストに対して、むすっとした表情を向けていた。
「え、エンデル……。お、遅い……んだけ、ど」
「すみません。評定会の準備が想定よりも滞っていましてね」
ため息とともに呟くエンデルガストの表情には、隠しきれない疲労感が滲み出ている。
やつれた瞳のまま、彼は一度、この場をぐるりと見渡したかと思うと。
「ところで私の想定よりも二人と一台、人員が多いようですが?」
「イスカお姉様のいらっしゃるところに私あり、ですので」
「貴女に関しては諦めているので言及するつもりはありませんよ、メルティナ」
頬に手を添えながらのメルティナの言葉を、エンデルガストが一蹴する。
慣れたようなそのやり取りで、二人の関係性はそれとなく察せられた。
「そちらの学生は?」
「ノールドベルトの魔術大学の一回生です。諸事情で見学させることになりました」
「リナって言います! よろしくお願いします!」
「ええ、よろしくお願いします。必要な手続きを済ませたのなら、言うことは何もありません」
じきにバレるだろうが、受付でのやり取りは絶対に口にしないことに決めた。
「それで、イスカさんが抱いているそのゴーレムは」
「あ、アーロンって、言うの。あ、あたしたちの子供で……か、かわいいでしょ?」
「はあ……子供? ゴーレムですよね?」
『オンギャ』
イスカの言葉に首を傾げるエンデルガストだったが、それ以上の言及はしなかった。
考えるだけ無駄だと悟ったのだろう、非常にマトモな判断だと言える。
「それではローレンスさん、先日お伝えした報告書の件に関してですが……」
「こちらの鞄の中にあります。そのままお渡ししますので、後ほどご確認を」
「……そうですね。早急にお受け取りしたいところですが」
そこで言葉を切ると、一度エンデルガストはメルティナの方に視線を向けて、
「メルティナ。評定会が始まるまで、リナさんの付き添いをお願いできますか?」
「あら、私にも発表の準備がありますのに」
「貴女なら問題ないでしょう。それにどうせ、私がいなければ評定会も始まりませんよ」
「ふふ……そうですわね。それではリナ様、僭越ながら、私とご一緒していただけますか?」
「はーい!」
元気に声を上げたリナを連れて、メルティナが遺物館を後にする。
先程のイスカとのやり取りを目の当たりにした後、リナを彼女と二人きりにさせるのは少し心配だったが、当の本人は何ら気にしていないようだった。とはいえイスカを抜きにすればメルティナも穏やかな人物なのは分かったので、そこまで気にするようなこともないだろう。
やがて彼女たちの背中が見えなくなったところで、改めてエンデルガストが口を開く。
「立ち話も何ですし、場所を移しましょうか」
「話……ですか?」
「ええ。付き合ってくださいますよね、イスカさん?」
俺ではなく、イスカへ渡されたその言葉に、彼女が眉を顰めた。
「……なんの、つもり?」
「ここで詳しくはお話できませんが、少々厄介な問題に直面してしまいましてね。私の力ではどうにも解決する見込みがなく……是非とも、第四階梯のお力を借りたいところでして」
「あ……あたしに作った貸しを、今返せって……こと?」
「本来はもう少し、何でもない機会に返して頂くつもりでしたが……」
エンデルガストの表情には、うっすらと焦燥の色が浮かんでいた。おそらく彼も本意ではなかったのだろう。その様子を見て、彼が直面している事態の深刻さを改めて認知した。
ともすれば俺たちがエストレア支部に訪れたのは、彼にとって運がよかったのかもしれない。
「とにかく、まずは場所を変えましょう。できるだけ内密にしたいので」
「分かりました」
そうして彼の先導のもと、俺とイスカも遺物館を後にする。
『タイヘンソウネエ』
「だ……大丈夫だから、ね? よしよし……」
……………………。
「……今更ですが、アーロンは同席してよかったんですか?」
「これ以上、彼女を刺激したくはないので……」
諦めたように首を振るエンデルガストは、とても見ていられなかった。
■
同日、エストレア支部四階、第二応接室。
「……なるほど。確かに受け取りました」
「お役に立てて何よりです」
報告書の入った鞄を渡した俺、そして報告書を確認したエンデルガストが同時に息を吐く。
引き渡しに関する手続きも滞りなく終了し、今回の俺たちの目的は達成したといっていい。
だが、先のエンデルガストの話から察するに、そう簡単に解放してはくれないだろう。
「それで……何が、あったの?」
机を挟んで顔を合わせる俺たちをよそに、ちょこんとソファーに座ったイスカが問いかける。膝の上のアーロンも彼女と同じ方向を向いていて、その先にいるエンデルガストは少しだけ思考したかと思うと、軽く息を吐いてから切り出した。
「お二人には以前から、我々がリノンの関連施設を捜査しているとお伝えしましたよね」
「はい。その節は情報提供をしてくださり、ありがとうございました」
ハルモニアの潜伏場所を捜索する際の会話を思い出す。
確かこちらとは別件で、何やらよからぬ事を企てている連中がいたと聞いた。
先日の会話で、その件も一応の一区切りがついたとは伝えられていたが。
「な、何か……見つかった、の?」
「はい」
イスカの問いかけに首肯したエンデルガストは、そのまま続けて、
「先日、とある研究施設で”魂の帰路”を使用した痕跡が確認されました」
「は、っ……、はあ!?」
『ハアー!?』
何よりも驚いたのは、イスカが珍しく目を見開いたまま声を荒げていたところだった。
その光景に、思わず彼女の膝の上に乗ったアーロンも叫んでいる。
「……すまない、イスカ。”魂の帰路”っていうのは?」
「し、死んだ人間を蘇らせる、いわゆる蘇生術、で……特別封印術式の、うちの……ひとつ……」
「ええ。かつてその術式を発明したリノン本人が、第四階梯の権利を行使して封印した術式です。その詳細は現代においても不明のまま。情報も秘匿されており、実現が不可能とされていますね」
「そんなものが……」
『ヤバ』
特別封印術式。現代において、行使や利用の一切が禁止されている術式群だ。
それらは全て学会による厳重な情報統制が敷かれており、一介の研究者である俺には、その正式な数を把握することすら不可能だった。管理は全て学会の中枢と『司書連合』の上層部、及び一部の第三階梯が協働で担っていると聞いたが、それが正しい情報なのかも判然としていない。
だが、エンデルガストが言及したというのは、つまりそういうことなのだろう。
「そ、そもそも……誰を、蘇らせたの?」
「分かりません。なにしろ現代に情報が一切残っていない術式ですからね。第三階梯である私にも、術式を分析することが難しく……現場に残っていたのは、”魂の帰路”の痕跡だけでした」
「なぜ、その痕跡が”魂の帰路”のものだと?」
「リノンは聡明な人間でしたね。”魂の帰路”が行使された際は、必ずその痕跡が残るよう術式に細工を施していたみたいです。もっとも、我々には”魂の帰路”が行使された、という情報しか得られませんでしたが……しかし、その情報は確かなものだと思ってもらって結構です」
「……安全、装置? いや……どっちかというと、警告……かな?」
「どちらにせよ、この術式に対するリノンの姿勢は見て取れますね」
イスカの考察に対して、エンデルガストが頷きながら肯定する。
善人と謳われたリノンのことだ。この術式が悪用されることを危惧し、完成後に第四階梯の権限でこの術式を封印、万が一術式が行使されても、確実に跡が残るよう細工したのだろう。
そこまで話を聞いたところで、また別の疑問が浮かんでくる。
「”魂の帰路”を利用した人間は?」
「こちらが研究施設に突入した時点で、既に何人かの魔術師が意識不明の状態で発見されました。現在、彼らは『司書連合』の医療班が保護していますが……目を覚ます気配はありませんね」
「それは……”魂の帰路”の、影響?」
「いえ、おそらく外部要因でしょう。端的に言えば、誰かによって操られていたのではと」
『コワイネ』
つまり、現場で発見された魔術師たちは、何者かによって仕向けられた駒だということ。そう考えると、おそらく”魂の帰路”の術式を入手したのも、彼らを操っていた人物と見ていいだろう。
そうなると当然、次の懸念点は。
「まさ、か……学会の中に、”魂の帰路”の情報を……流出させた人間が、いる?」
「学会だけでなく、『司書連合』の構成員という可能性もありますね」
「……”魂の帰路”の魔術式そのものは、現在どこに保管を?」
「機密事項のため詳しくはお伝えできませんが、一定の権限を持つ魔術学会、及び『司書連合』の構成員のみ閲覧できる領域にあります。更に言えば、私はその権限を持つうちの一人です」
『ヘーエ』
この話をされている時点で、彼が”魂の帰路”の関係者であることはある程度予想していた
学会の主席魔術師という立場を考えれば、その権限を持っているのも納得がいく。
「それ、で……あ、あたしに、何をさせる……つもり?」
「”魂の帰路”の痕跡を分析していただきたいのです。リノンと同じ、第四階梯である貴女に」
エンデルガストからの話は、確かに納得できるものだった。
第四階梯が開発した術式の解析を、同じ第四階梯に頼むのは筋が通っているように思う。
もっとも、それが可能なのかどうかは、本人にしか分からないが。
「どうでしょうか、イスカさん」
「うー……ん……。あ、あんまり期待しないで、ほしい……かも。まだ、全貌も見てないから、言えることも少ない、けど。でも、だ、第四階梯の術式で……そのうえ研究もあんまり進んでない、リノンの開発した術式、ってなる、と……あ、あたしでも、難しいと、思う」
「……イスカでも難しいのか」
珍しく自信がなさそうに、言葉を連ねながらイスカが言った。
他の術式ならまだしも、自分と同格である第四階梯の術式は、やはり手に余るらしい。
思えば、彼女が以前から研究を続けている”博闢の門”についても、その原本を欲しがっていた。
やはり第四階梯が考案した術式となると、外部情報だけでは解析が難しいのだろう。
それを鑑みれば、柄でもなく弱気になっているイスカの態度にも納得がいった。
「で、でも……いちおう、見てあげても、いい。リノンの研究は、時間遡行にも応用しようと、思ってるし……な、何より、特別封印術式に触れられる機会なんて、あんまりないから……」
「私欲に基づいた申し出なのが些か不安ですが……ありがとうございます、イスカさん」
『イイッテコトヨ』
「あなたには言っていませんよ」
……発声機能を一時的に遮断する装置も組み込んだほうがいいか?
「こ……痕跡の、詳細は? 現場の、空間? それとも……魔導器?」
「魔導器です。本日中にこちらの支部へ届けるよう、『ギルド』へ運搬を手配しました」
「『ギルド』に? 特別封印術式の関わる魔導器を外部組織に預けたんですか?」
「組織内の人間に疑いがある以上、外部の人間に頼る方が得策だと思いましてね。
それは大胆というか、何と言うか。
「また、『ギルド』経由で魂の研究に詳しい人間が見つかったので、解析の協力も兼ねて依頼しました。本人曰く、『リノン先輩のことなら任せなって!』という言葉をいただきましたが……」
「……………………」
「……………………」
「何かありましたか?」
『ナンデモナイデース』
どこかで聞いたことがあるような話に、思わず俺もイスカも口を噤んだ。
とにかく、本日中に件の魔導器が、もしかするとよく知る人物から届くかもしれない。
リノンと縁のある彼女であれば、”魂の帰路”の解析にも協力してくれるだろう。
「到着時刻は?」
「おそらく夜になるかと。本日分の評定会が終わり次第、私も受け取りに立ち会います」
「……なら、その時まであたしたち、は……評定会の見学でもしてれば、いい?」
「お好きに過ごしてください。とりあえず、本日中の拠点はこちらで用意します」
暫くエストレアに留まることになるだろうか。明日以降の予定は白紙で考えるべきだろう。
評定会の開催期間に合わせ、数日間は家を空ける方向で予定を組んでいたのは都合がよかった。
リナもそれに合わせて予定を調整したと言っていたが、こうなると話が変わってくる。
グレンに連絡した上で、改めて日程を調整するよう話をしておこう。
「あ、アーロンを、お出かけできるように、しておいて……よかった、ね」
『スゴイ拗ネカタシテタネ多分ネ』
「そうならなくてよかった、本当に」
「話を続けてもいいですか」
呆れたような声を漏らすエンデルガストへ向き直る。
「今回の件で一つ、お二人に注意していただきたいことがあります」
「注意?」
「はい。まだ私個人が懸念していることですので、断言することはできませんが」
そこで一度、エンデルガストが言葉を切ってから、少し声量を落としつつ続けた。
「おそらく今回の評定会に、”魂の帰路”を流出させた人物が紛れ込んでいる可能性があります」
「そう……なの?」
「あくまで可能性の話ですが……私は今回の首謀者が古代魔術学派、あるいはその周囲の人間だと睨んでいましてね。今回の評定会に紛れて、閲覧権限を持つ私に接触してもおかしくありません。おそらく彼らも、我々と同様に蘇生術の詳しい解析を行いたいでしょうし」
「……つまりエンデルガスト、あなたは彼らに狙われていると?」
「概ねその認識で結構ですよ」
しかし本人に焦っている様子はなく、疲れたような溜息と共に答えた。
「候補となる人物は既にこちらで纏めてあります。諸々の捜査、及び主犯と判明した際の確保は我々の方で行うので、お二人に関しては念のため警戒していただくようお願いします」
「すみません、一つだけ。単純な疑問ですが、なぜ今回の犯人が古代魔術学派の人間だと?」
俺の質問にエンデルガストは、ああ、と声を漏らしてから。
「リノンは元々、古代魔術学派の人間だったんですよ」
■
「あ、ローレンスさん! イスカさん! こっち! こっちですよー!」
エンデルガストとの会話を終えた後、評定会の会場に着くとすぐにリナとメルティナの二人と出会うことが出来た。彼女らは支部の中央に建てられた講堂、その玄関口で俺たちを待っていたようで、講堂へ入っていく他の魔術師たちとは反対にこちらへと向かってくる。
「り、リナのこと……ありがとね、メルティナ……」
「お構いなく。エンデルガスト様とのお話はどうなりましたか?」
「うー……ん……。ちょ、ちょっと面倒なことに、なっちゃった……かも?」
「あらま。もしかして結構大変ですか?」
「そのことでリナ、お前にも話がある」
ひとまず特別封印術式のことは伏せ、俺たちがしばらくエストレアに留まるかもしれないこと、半ば保護者の立場であるグレンに連絡を取る必要があること、そして万が一の場合は俺たちと行動を別にして、一人でノールドベルトへ帰ってもらうかもしれないことを、簡単に伝える。
そうして返ってきたリナの答えは。
「あ、私一人じゃてんちょーとは連絡が取れませんよ! 私、通話用の魔導器も使えないので! あと、一人でノールドベルトへ帰るのも無理です! 多分どっかで遭難して野垂れ死にます!」
「お前よく今まで生きて来られたな……」
事前に話は聞いていたが、どうやら本当に魔導器を起動させられないらしい。
……まあ、いい。件の魔導器とあの猫娘が到着するまでには、まだ半日ほど時間がある。その間のどこかで俺かイスカ、あるいはエンデルガストを同伴させればグレンと連絡は取れるだろう。
最悪、降って湧いた大地の依代、『均衡』の座に任せるでもいい。
「そ、そうだ、メルティナ。ちょっと聞きたいことが、ある……」
「はい、いかがなさいましたか? イスカお姉様の質問であれば、何でもお答えいたしますわ」
「えっと、ね……こ、今回の評定会で発表する人のこと、ちょっと知りたくて……」
「承りました。でしたら一度、会場の方に参りましょうか。今回の参加者のお顔も拝見できると思いますので、そちらをご覧になりながら私の話に耳を傾けて頂ければと」
「ありがとうございます」
それとなく質問したイスカに応えるメルティナに連れられて、俺たちも会場へ足を踏み入れる。
俺たちが入ったのは二階席で、会場の様子がそこから俯瞰できる位置にいた。
広い講堂の中には既に多くの魔術師が席に着いており、手元の書類に目を通している者や、一方で暇を持て余しているのか談笑している者も見られる。会場全体も騒然とした雰囲気で、やはり粛々とした会合というよりは、どこか祭事めいた賑やかさを感じられた。
例年通りであれば、確か当日の発表者は前の席に集まっていると思われるが……。
『ア! アナトリア、イルヨ!』
「本当だ……」
「……へえ。こ、今回も出るん、だ……」
魔術的生命学派所属、第二階梯魔術師、アナトリア・フルールドリス。
彼女は本来古代魔術学派の所属ではないが、第三階梯からの推薦を勝ち取ったのだろう。
知人ということもあって、彼女がどんな発表をするのか個人的に気になるところだ。
「まあ。お二人とも、アナトリア様とお知り合いだったのですね」
「う、ん……。あたしの、同期で……この前もちょっと、色々してもらった……」
「自分はイスカの助手になる前、総魔研に勤めていたのですが、そこで世話になっていました」
「私もアナトリアさんは知ってますよ! この前うちの大学に来てたので!」
「やはり彼女は優秀なんだな」
第三階梯に最も近い第二階梯と言われるだけはある。
「それでイスカお姉様。お聞きしたい方というのは?」
「えっと、ね……。テオドールっていう、第三階梯の人は……?」
「テオドール様ですね。ちょうどアナトリア様の右隣に着席している、赤い髪の男性ですよ」
古代魔術学派所属、第三階梯魔術師、テオドール・ヴァーナレフ。
エンデルガストの話では、彼も容疑者の一人に挙げられていた。
「第三階梯ですか! すごいですね!」
「ええ。テオドール様はエンデルガスト様と肩を並べる、第三階梯魔術師でございますわ。現在、学会の主席魔術師はエンデルガスト様が務めておりますが、彼がいなければテオドール様がその位置についていたことでしょう。私としても、個人的に尊敬しているお方ですわ」
エンデルガストとは知己らしく、個人的な付き合いのある好敵手だとも聞いた。
魔術師としての実力も高く、何より第三階梯という立ち位置から顔は広い。
それゆえ、今回の事件を実行できる可能性が、容疑者の中では最も高い人物だとも。
しかし本人にその動機があるかは怪しく、彼の人となりを知るエンデルガストも「考えにくいですね」と言っていた。評価としては、やってもおかしくはない、という程度に落ち着くだろう。
「ラヴラス・ジュライセンという人物も、ここに?」
「ええ。ちょうどアナトリア様の左隣、テオドール様と対になる位置にいらっしゃる女性です」
魔導器構造学派所属、第二階梯魔術師、ラヴラス・ジュライセン。
彼女もエンデルガストが挙げた容疑者のうちの一人だ。
「確か、あの人って……古代魔術学派じゃない、よね」
「はい。本来は魔導器構造学派の所属ですが、彼女は今回、古代魔術学派所属の第三階梯……というより、テオドール様からの推薦をいただいたので。確かアナトリア様も、テオドール様からの推薦で今回の評定会に参加する運びとなったそうですわ」
「……なるほど」
これまで面識もなく、名前も初めて耳にしたので、彼女に対する印象は未知数だった。
しかし第三階梯からの推薦を受けているということは、優秀な魔術師なのだろう。
また、その推薦者がテオドールとなると、二人が裏で繋がっている可能性も否めない。彼に動機はなくとも、ラヴラス側に動機があれば充分にあり得る話だ。
肝心となる動機は、彼女が現在、リノンの術式を応用した医療用の魔導器を開発していること。今回の発表も、その魔導器に関するものを予定しているらしい。
その関連性から、エンデルガストは彼女を容疑者の第二候補に挙げた。
……二人の容疑者に挟まれているアナトリアが、少しかわいそうに思えてくる。
「それと、あの……アッシュレインって人、は?」
「ああ、アッシュレイン様はおそらく今、この場にはいらっしゃらないかと」
準元観測学派所属、第一階梯魔術師、”アッシュレイン”。
彼女もまた、エンデルガストが候補に挙げた一人であり……。
「確か彼女は、一度も評定会に参加していないと聞きましたが」
「はい。アッシュレイン様は今回、いわゆる強制参加枠での発表となりますわね」
「強制参加枠? それってなんですか?」
「学会に登録した魔術師は、最低でも七年に一度は評定会に参加する決まりがございます。アッシュレイン様は、学会に登録してから今年で八年目……つまり、参加を強制されたのです」
「え? その人、七年もあったのに何してたんですか?」
「リナ様、そのご質問は些か失礼になるかと……」
だが、リナの質問も尤もだと思う。
魔術師が評定会に参加する機会は、平均して三年に一度。もちろん所属する学派や自身の研究にもよるが、基本的には三年のうちに所属する学派の運営、あるいは自身の研究に関連する学派の運営が回ってくるため、どの魔術師も三年に一度は評定会へ参加する機会が巡ってくる。
また、参加者は必ずしも登壇しなければいけないわけではない。協同研究や代理発表なども評定会は認めており、当然ながら階梯の評価基準は上がるものの、審査は正式に行われる。
以上の事柄を考慮して、七年も参加してないのはかなり異常な事態ではある。
七年もあって何をしていたんだというリナの発言も、あながち間違いではない。
「準元観測学派、は……あ、あたしが元々在籍してた、学派……なの」
「そして、私がイスカお姉様と初めてお会いした場所でもありますね。今でもその時のことは鮮明に覚えていますわ。因果律に関する書物を探していた際、お手を貸してくださいましたの……」
『ヘーエ』
準元観測学派は、空間や時間、因果律に関する研究を主にしている学派だった。そこでは基底現実の
問題は、その研究内容の一部が、特別封印術式”魂の帰路”と関連していること。
前述した異常性も含めて、エンデルガストは彼女を容疑者の一人に加えたようだった。
「お聞きしたい方は以上でしょうか?」
「う、ん。テオドールに、ラヴラス……あと、アッシュレイン……」
そして――。
「め、メルティナ。あんたの発表は……どう?」
「万全でございますわ。イスカお姉様からすれば、児戯にも等しい内容かもしれませんが」
古代魔術学派所属、第二階梯魔術師、メルティナ・オーランド。
彼女もエンデルガストが候補に挙げた一人だった。
「そういえば、メルティナさんはどんな研究してるんですか?」
「私は”予言”という魔術の研究に携わっておりますの」
”予言”。印象そのままで捉えるなら、口にした通りの未来が訪れるようになる魔術か。
それが自分の予言通りに事象を捻じ曲げるのか、あるいはただ未来を観測できるだけなのかは分からない。だが仮に前者のような魔術だった場合、極めて強力な魔術だと言える。
それこそ、”魂の帰路”の情報を手に入れることだって容易なはずだ。
エンデルガストが彼女を容疑者に置いたのも、それが理由だった。
「……そ、そろそろ始まる、かな?」
「みたいですわね。では皆さま、私はこれにて失礼させていただきますわ」
「ありがとうございました、メルティナ。発表の方も見学させていただきます」
「ファイトですよ、メルティナさん! 私も頑張ってメモ取りますから!」
『ガンバッテネ』
「ありがとうございます、皆さま。では、また後ほど」
最後に俺たちへ深く礼をすると、メルティナはこの場から去っていった。
会場全体もいよいよ本番という雰囲気になり、喧騒も徐々に落ち着いていく。
そんな中で、未だに発表者席へと視線を向けているイスカへ声をかけた。
「……イスカは、メルティナの”予言”について何か知ってるか?」
「因果律の観測と……研究がうまくいってれば、その因果を引き寄せることもできるはず。でも、動機があるかは、怪しい。あ、あの子は、そんなに悪いことをするような子じゃ、ない……」
「俺も彼女だとは考えにくいな。少なくとも俺たちに対して、彼女は誠実だった」
底が知れないという印象はあるが、彼女を犯人だと判定するには材料として薄い。
情報だけを見れば、個人的には怪しいと思うのは、第三階梯と繋がりのあるラヴラスか。
しかしその第三階梯であるテオドール、そしてこの場に姿を現していないアッシュレインにも、それぞれ疑う要素はある。いずれも決定打はなく、やはり情報だけで判断するのは早急だろう。
……まずはそれぞれの発表を聞いてから、個々に判断するべきだ。
「会場にご着席の皆様、大変長らくお待たせいたしました」
そうして考えを纏めたのと、その声が会場全体に響き渡ったのは、ほとんど同時だった。
壇上へと視線を向けると、そこには音響用の魔導器を手にしたエンデルガストの姿が見える。
彼はそこで会場全体を見渡したかと思うと、一瞬だけ俺たちのいる方向へと目を向けた。
それが安堵のものなのか、
「古代魔術学派所属、第三階梯魔術師、エンデルガスト・イリスシアの名において――
これより古代魔術学派主催、階梯評定会の開催を、ここに宣言します」
■