■
「な……ナユタのことを、ご存知なのですか?」
「知ってるも何も……っ、ば、バカにしてるのかあ!?」
ナユタが渡した問いかけにムメイは驚いたように問い返していた。
先程までの余裕を含んだ表情は、既に見る影もない。それどころか彼女の顔には完全な怯えの色に切り替わっており、傘を両手で構え直しながら、一歩その場から後ずさるような始末だった。
この世界に九つしか存在しない依代が一つ、海洋の依代、『幻想』の座。
そんな存在が、こうも怯えているというのは……。
「なんだこのチビ、いきなり出てきて勝手に怯え始めたぞ。何しにきたんだ?」
「な、ナユタ……? この依代の、こと……知ってる、の?」
「い、いえ。少なくともナユタの記憶にはございません。このようなお綺麗なお方に出会ったならば、忘れるはずもありませんし……ムメイさまが一方的にナユタのことをご存知だとしか……」
「うう、や、やめろっ! ムメイさまって言うな! いろいろ思い出しちゃうだろ!」
唇を震わせたムメイは周囲に浮かぶクラゲの一匹を掴み寄せると、それを盾にするようにして身構える。盾にされたクラゲも、やめてほしそうに触手を左右へ機敏に振らしていた。
「今回はぼく、まだ何もしてないぞ! いやまあ何か企んでいたのは事実だが、まだ実行には移していない! それとも、まだ何もしてないぼくに対して、刀を抜こうっていうのかい!?」
「あ、あの……ムメイさま、いったい何を仰って……?」
「ムメイ、聞きたいのですが……ナユタとは、どういう関係だったのですか?」
「ば、ばかっ! こんな大勢の前で言えるわけないだろう! あんなことや、こんなこと……ぼ、ぼくを辱めるつもりかい!? きみ、顔が地味なくせにいい趣味してるじゃないか!」
何なんだよ本当に…………!
「おい、ムメイ。お前……ナユタと顔見知りだったのか?」
「な、なんだよ。悪いかい!?」
「そういうわけではないが……向こうはお前のことを忘れているみたいだぞ」
「…………本当かい?」
カザミがそう言ったところで、ようやくムメイも落ち着きを取り戻したらしい。彼女は恐る恐るといった様子でこちらに歩みを進め、道を開けた俺とイスカの間を通り、ナユタの前に立った。
「………………」
「あ、あの……ムメイさま?」
そうしてムメイはしばらく観察したのち、何の前触れもなくナユタの頬をつねり始めた。
「うりゃ」
「あう……?」
「ほーれ、ほーれ、よーく伸びる」
「むぎゅう……」
「やーいこのチビ、食いしん坊のおまぬけナユタ~」
「あうぅ……ど、どうしてそんなひどいことを……」
ひとしきりナユタの頬で遊んだ(?)あと、ぱちん、とムメイが指を離す。
だが、その顔には戦慄めいた表情が浮かんでおり、
「う、うわあ!? まさか、こいつ……記憶なくしてる!?」
…………なに?
『エ、ナユタチャン、自分ノ記憶ナイノ?』
「そ……それは、その……ええとですねぇ……」
アーロンの問いかけに、ナユタはもごもごと言い淀んでいた。
つねられた頬に手を当てながら、気まずそうに眼を逸らすだけ。おそらく、本当に隠しているつもりはなかったのだろう。そこに深刻さはなく、ただ俺たちに対する後ろめたさが見えた。
「しめたぞカザミ! こいつ、ぼくの知ってるナユタじゃない!」
「……だったらどうする。今ここで、奴等を仕留めるか?」
「なんて末恐ろしいことを言うんだ! 彼女が記憶を取り戻さないうちに、逃げるんだよ!」
「は?」
困惑するカザミに答えるように、ムメイが手に持った唐笠をふわりと頭上へ投げた。その瞬間、周囲に浮かぶクラゲたちが渦を巻くように動き出し、二人を取り囲むように集まっていく。
風圧はない。だが、肌の上を迸る奇妙な違和感に、思わず腕を構えてしまう。
「おい、結局何なんじゃお前ァ! ナユタがどうこう言っとったくせに、逃げる気か!」
「当たり前だ! 事情が変わったんだよ! ぼくたちは退散させてもらう!」
「あ、あんた、ナユタと知り合いじゃない……の!? ナユタが、心配じゃない、のっ!?」
「何言ってるんだ、ぼくが心配する必要ないくらい強いだろそいつ!」
ムメイの発言で思い出したのは、俺たちがクオンと初めて邂逅した時のことだった。
現代の第四階梯魔術師であるイスカ、メギストスの尾を顕現させていた俺、そしてヘリオルトの赫爪を頭から生やしていたクオン。この世界を創世した三柱の龍の力を宿した人間たちの戦い、その中でナユタはそれに追随するどころか、クオンと拮抗するほどの実力を見せていた。
あの時はメノウに来て間もないため、これがメノウの人間なのかと素直に受け入れてしまった。
冷静に考えれば、そんなはずがない。空中で原理不明の加速が出来る時点で気づくべきだった。
「……クオン。お前もこっちに来い」
クラゲの群れに身体が包まれる中で、ふとカザミがクオンへと言葉を渡す。
「おいカザミ、貴様この私を今まで放っておいて、今更一緒に来いと言うのか?」
「ああ。俺が都合のいい人間だということは、お前もよく知ってるだろう」
「謝罪の言葉もなしに、私がノコノコついていくような軽い女だと思っとるのか?」
「……悪かった。だが、もうお前を裏切ることはないと、誓う」
「………………うむ」
やがてクオンは、カザミとムメイの方へ向けて、一歩を踏み出した。
「おい、く、クオン……! 待て、止まれ!」
「ええいうるさいわ! カザミが来いと言っとるんだぞ! 行かない理由がないわ!」
「こいつ……っ! そ、それでいいの、あんた……!」
「いいに決まっとるだろうが! おいカザミ、私も行く! 連れていけ!」
このままでは、カルトロードの元にクオンが渡されてしまう。
それを察知したイスカも、即席の魔術式を展開。振動波を発生させるが、それが彼女の身体へ届く寸前、ムメイとカザミの周囲を旋回するクラゲの一匹が二人の間に割って入った。
そしてクラゲが振動波を受け止めた次の瞬間、魔力が宙に霧散し、跡形もなく消える。
クラゲは何事もなかったかのように、手を伸ばすムメイの傍へ控えるように戻った。
「これでいいのかい、カザミ」
「ああ。これで揃った……。少し早くなったが、始めることにする」
「そうか、ならよし! おいクラゲのチビ、何をするか分からんが、さっさと始めんか!」
「髪を引っ張るんじゃない! ぼくは依代だぞ!? ちょっとは敬いたまえ!」
「……カザミ! お前、いったい何を……!」
俺の問いかけに、カザミは静かに視線をこちらへ向けてから、
「シラキジの中心部……コハクの都の、降龍院。そこに、カルトロードはいる」
「っ……!」
「俺はそこに行く。奴を探しているなら、お前もそこに来い」
言葉を残したカザミは、そのままクラゲの渦の中に姿を隠す。
「カザミ……お前、いったい……!」
やがて渦は解き放たれるように霧散し、三人の姿は既にこの場から消えていた。
イスカの方に視線を向けるが、彼女は目を伏せながら首を左右に振るだけ。
……逃げられた。あろうことか、クオンを引き連れたまま。
「……ま、まさか、依代を連れてるなんて……。ご、ごめん……逃がし、ちゃった」
「お前は悪くない。……依代が出てくるのは、俺も想定外だ」
言葉を落としたその瞬間、身体から緊張が抜け、その場に腰を下ろしてしまった。
前々から予想はしていたが、やはりカザミはカルトロードと深い関係にあった。
だが、それなら何故、俺たちにカルトロードの居場所を教えるような真似をした?
それに海洋の依代、”幻想”の座はどうしてカザミの味方をしている?
彼は何をするために、このメノウに……。
「ローレンスさま、イスカさま……それに、アーロンさま」
背後からの声に振り返ると、そこには萎縮するように両指を重ねるナユタの姿があった。
「ナユタ?」
「……申し訳ございません。ナユタのせいで、混乱を招いてしまい……」
「な、ナユタ……こっち、向いて」
さめざめと頭を下げるナユタに、しかしイスカは淡々とそう告げた。顔を上げたナユタの前には、片目を押さえつけながらも、その瞳でナユタを見据えるイスカの姿があった。
天空の龍、”極穹を覆う蒼翼”、セレニア・ストラトスフィア。その象徴たる、蒼白の翼。
イスカの瞳に植え付けられたそれは、無窮の視界を拓き、万物を俯瞰する権能を授けるもの。
ハルモニアやシュヴァリエを依代だと看破したのも、この瞳の力だった。
だが。
「よ、依代……じゃ、ない……。な、なに、これ……?」
視界を通してナユタを観測したイスカは、困惑の声を漏らしていた。
「か、海洋の依代と、深い関係にある、なら……あんたも、依代だと思った、けど」
「……イスカ?」
「空っぽ……。器だけが、ある? 元の生命体が、見えない……?」
俺のメギストスの尾が安定性に特化したものならば、イスカのセレニアの翼は出力を極限まで高めるよう設計されたもの。そのため、安定性や本人の保全などは完全に度外視されている。
長年、イスカはこの器官と向き合い、理解を深めることで、一部の権能であれば無条件で行使することが可能になった。一部と言っても、その出力は俺の尾の最大出力よりも遥かに高い。
……故に、無窮の視界を通して観測したものは、絶対的な事実としてイスカの目に映る。
だが、その視界を以てしても、ナユタの正体はイスカの理解の及ばないものだった。
「ナユタ、お前は……いったい、誰なんだ?」
俺の渡した問いかけに、ナユタはただただ頭を下げ、申し訳なそうな顔をするだけだった。
「……ナユタは、ナユタでございます」
彼女がそう答えるしかないことは分かっていた。
ナユタは自らを証明する答えを持たない。自分が何者かを知らないのだから。
かといって、俺たちが声をかけることは何か違う気がした。推測や憶測を走らせたところで、ナユタが誰なのかという答えなど得られるはずもない。それはナユタ自身が決めることだ。
気遣いと言うにはあまりにも曖昧な、重く粘るような沈黙が広がっていく。
そして次に口を開いたのは、俺でもイスカでも、ナユタでもなく。
『ソレジャア一旦、ナユタチャンハ、ナユタチャントイウコトデネ』
アーロンはふわりとナユタの前に浮かぶと、そんなあまりにも責任のないことを口走る。
一瞬、呆気にとられた俺は、思わず眉間を抑えながらアーロンに口を出した。
「お前、そんな簡単に……」
『デモネ、アーロンモソンナ感ジヨ?』
それからアーロンは、ふわりとナユタの周囲を回りながら、
「アーロンさま……?」
『イヤー、ゴーレムッテ実際、カナリ記憶喪失ミタイナモンナンデネ。最低限ノ対話ガデキル人格ダケ備エツケラレテ、イキナリ世界ニ放リダサレテルノ、カナリ記憶喪失ヨ、マジデ』
「あ……アーロン、あんた……そ、そんなこと、考えてた、の?」
『マア、オ年頃ナンデー。アレコレ考エル、多感ナ時期ッテイウコトデネ』
……まさか、アーロンの自己がここまで成長しているとは思わなかった。
俺もゴーレムに関しての知識はある程度つけているし、この九号機以外にも何体かゴーレムを設計したことはあるが、こんなに人間めいた哲学を語る挙動をするゴーレムは初めて見た。
シミュラクラム・クラウン。エルネスタが人類に残した難題群のひとつ。
現代においても二割しか解明できていないその術式に、エルネスタはいったい何を……。
『ナユタチャンモネ、自分ガ元々何ダッタトカ、アンマ気ニシナイ方ガイイヨ? 自分ガドウイウ存在ダッタカヨリモ、コレカラ何ヲスル存在ナノカガ重要ダトハ思イマス、ハイ』
「……これから、何を」
『アーロンダッテ元々、タダノ石コロト術式ダッタシ? デモ、パパトママガ、アーロンヲ可愛イ可愛イシテクレタノデネー。ダカラ今後モ、オ二人ノ子供トシテ、ヤッテクツモリヨ』
ネ? とアーロンはそこで、俺とイスカに蒼鱗石を向ける。
「……そう。あ、アーロンは……あたしと、ローレンスの、子供……だもん、ね」
『ソウイウコトー。現状、特ニ不満モナイノデ、コレカラモ子供ヤッテイキマスノデ、ハイ』
「お、おいで、アーロン……」
『バブ』
アーロンはそのままイスカの方にふわりと飛んでいくと、そのまま彼女の腕に抱かれるように納まった。イスカの顔を見つめる蒼鱗石が、何度か淡い光を灯す。
「ありがとうございます、アーロンさま」
やがてアーロンの言葉を経て、ナユタはゆっくりと顔を上げる。
その表情に先程までの震えは無く、代わりに晴れやかな笑みが映っていた。
「ナユタは、気づいた時からナユタでした。サギ島の降龍院の前で、ナユタはこの身のまま、このメノウの大地に立っておりました。今のナユタになる前、つまり過去のナユタが一体、何者だったのか……。残念ながら、それは今のナユタに知る由はありません」
「……ナユタ」
「ですが、ナユタがこれから何をするべきかは、分かる気がします。ナユタはカザミさまやイオリさま、ミヤシロのおじさまに、たいそう世話になりました。過去も失い、放浪するだけのナユタを、皆さまは暖かく迎え入れてくださいました。この恩義を忘れるわけがありません」
そうして語るナユタが、腰から下げた刀に視線を落とす。
「ですから、ナユタは……カザミさまに、恩返しがしたく思います」
かちん、という金属音と共に、ナユタが鞘からわずかに刀身を覗かせる。
素人目に見ても、何の変哲もない刀だ。黒い鋼で造られた刀身に、ナユタが目を馳せる。
「ナユタが何者だったのか。それは二の次で構いません。今のナユタは、ただカザミ様に会いたく思います。会って、話をして、この恩をお返ししたい。それが今のナユタを動かしております」
「恩返し……つ、つまり、カザミの味方をする、って……こと?」
「……わかりません。カザミさまが何をお考えになっているのかは、未だ見当もつきません。ですが、だからこそナユタは、話を聞きたく思います。カザミさまのお力になるのか、あるいは……。それをはっきりさせるためにも、ナユタはカザミさまを追うべきだと思っております」
「………………」
ナユタの言葉は曖昧だったが、それでも目的だけは確かだった。
カザミを追い、話を聞き、彼に恩を返すこと。
だが、もし仮に彼が、カルトロードに協力しているしたら、ナユタは……。
……いや。その答えを今、ここで聞くべきではない。
自分が何をするべき存在なのか、それを決める権利を持つのはナユタだけだ。
彼女のこれからを決める選択に、俺たちが口を挟む余地はないだろう。
『パパー』
「なんだ」
『アーロン達モ、アノカザミッテ人ヲ、追イカケルノヨネ』
「……そうだな」
カザミ。このメノウに到着してから、幾度となく聞いた名前。
彼はカルトロードの居場所を俺たちに残し、この場から姿を消した。
……ここまでされて、追わない理由がない。もうすぐ奴に会えるかもしれないんだ。
『ジャア、ナユタチャントハ、マダマダ一緒ニイラレルネ』
「はい! ナユタは変わらず、お三方のお力になりましょう!」
アーロンからの言葉に、ナユタは両の拳を胸の前に運びながら、明るい声で答えた。
■
同日、メノウ国、シラキジ島中心部、コハクの都、北東部にて。
「コハクの都は、メノウの中でも由緒ある歴史を持つ都でございます」
アーロンの中にある”博闢の門”のレプリカは、一定の範囲内に存在する、既に敷設された”博闢の門”と接続し、そこに転移することができる。この運用方法は以前から認知していたが、しかしオルトライズ商会の商圏に無許可で使用する行為であるため、これまで使うことは避けていた。
だが、今回は事情が事情だ。権利や規約の話をしている場合ではない。
「かつて大地の依代を迎え入れたこの地は、メノウの歴史の中心とも呼べる場所です。都の中心にある降龍院には、依代が残した刀の原型となる秘宝が、未だに奉納されているとのことです」
”博闢の門”を抜けた先に広がっていたのは、カラスバとはまた違う街並みだった。
あちらが商業的な都市の展開をしているのであれば、こちらは歴史的な都市の構造をそのまま残したような街並みだった。建物は歴史を感じさせるような木造のものが多く、街道も土砂をそのまま均したような、素朴と言えば聞こえのいい道が続いている。
都市自体は方眼紙のような格子状の区画整理がなされており、実際に歩くと街並みの変化が少ないことが分かる。おそらく景観よりも都市の機能性を重視した造りなのだろう。
だが。
「……やっぱり人が少ないな。これも流行り病の影響か?」
「おそらくは。今、メノウを取り巻く流行り病の発生源は、このコハクの都でございますゆえ」
改めて零した俺の言葉に、ナユタが続けて言った。
「そ、そう……なの?」
「はい。先日、フォルストさまとギルドのメノウ支部へ伺った際、流行り病についての話も伺いました。はじめに感染したのは三か月前、それから次第に感染者はとめどなく増え続け……そのため、現在コハクの都には外出制限の令が無期限に敷かれております」
ナユタの話を聞いて納得がいった。メノウ全土に蔓延する流行り病、その発生源ともなる都市となれば、外出制限を行うのは当然だろう。この閑散とした街並みについても理解できる。
「結局、その流行り病は今どうなってるんだ?」
「なんとも言えませんね……。感染者の増加はようやく落ち着きを見せましたが、既に感染した患者たちの大半は、今も隔離されたままです。メノウ国としても、これを国家規模の非常事態と捉え、ついに先日、学会や司書連合、汎大陸巡徒同盟に救援を依頼したとのことです」
「あ……あのメノウが、そんな外の国に頼ることになるなんて、ね」
エンデルガストと話した際にも聞いたが、メノウは諸外国との国交にあまり積極的ではない。大陸随一の武器輸出国としての側面はあるが、逆に言えばそれ以外に関しては閉鎖的な国家と言わざるを得ない。そのメノウが他国や組織に助けを求めるとなると、事の重大さが伺える。
「……で、でも、ローレンス……」
「どうした?」
「あ、あたし、たち……メノウに来て、から、何ともない……よね?」
イスカからそんな言葉をかけられて、俺も頷いた。
「今のところ、体調に異常は感じない。ナユタは?」
「ナユタも……みなさまと同じく、身体はすこぶる健康ですよ?」
「………………」
きょとんと首を傾げるナユタの隣で、イスカが顎に手を当てながら考えていた。
「は、流行り病って言うくらいなら、何かしら、感染の初期症状があっても、おかしくない気が、するけど……で、でも……実際、あたしたちが、メノウに来てからまだ、そこまで時間も経ってないし……。うん……ま、まだ結論を出すには、早い……かな」
「どちらにせよ、俺もイスカも、ナユタも無事なのはいいことだ」
確かに俺たちのうち、一人くらい流行り病の症例が出てもおかしくはない。
だが、それを今考えても仕方ないだろう。少なくとも俺たちに何ともないのは確かだ。
であれば今は、カザミの示した場所へ行くことを優先するべきだろう。
「あ、あれです。あれがコハクの都の中心、大地の龍の降龍院になります」
やがてナユタが示した先には、目的地であるコハクの都の降龍院が見えた。
風貌は他国やサギ島にあったものと違い、見上げるほど巨大な木造建築の尖塔が中央に、それの周囲には城壁のように長く続く回廊が設けられているのが分かる。規模も大きく、チェスのボードのように正方形に分けられたコハクの都の区画を、丸ごとひとつ占領するような大きさだった。
コハクの都の中心、という枕詞にも頷ける。
「……それで、どうやって中に入る?」
降龍院の入り口は、木で組まれた門の前に、二人の警備員が置かれている。
通常であれば降龍院に入るのに許可など必要ないが、こと外出制限が国単位で設けられている以上、正面から入っても騒ぎになりかねない。かといって裏口から入ろうにも、こちらは降龍院の構造を把握できていない。このコハクの都の降龍院の構造が特殊なのも足かせになっている。
「な、ナユタがお話してきましょうか……? 入れてくださいと、お願いをして……」
「いや……あんたに任せるくらいなら、あたしが、全員、ぶっ飛ばす……」
「お前らに聞いた俺が悪かった」
このチビ共に期待するだけ無駄だ。
「……とにかく、一度あの警備達に掛け合ってみる。アーロン」
『ハイー』
アーロンを引き連れた俺を先頭に、イスカとナユタが俺の背後をついてくる。
降龍院の入り口まで近づくと、目の前にいた二人の警備が、こちらに視線を送ってくる。見える限り、装備は腰に吊った刀だけ。メノウに来てから嫌と言うほど目にした装備だった。
「こんにちは。メノウの方では……ありませんね。観光に来られた方でしょうか?」
「はい。他国から来た旅行者です。降龍院の内部を見て回りたいのですが……ここは閉館しているのでしょうか? つい先日、ある方から案内を受けてこちらを訪ねた次第です」
「それは……申し訳ありません。現在、降龍院は感染症の拡大防止のため、閉館を余儀なくされております。いわゆる国難事態ですので、ご理解いただけると幸いなのですが……」
やはり、正面からの交渉は無意味らしい。
「ですが、ある方からの案内というと……降龍院の職員でしょうか?」
「……カザミという名前の男です」
「カザミ……? こちらにそのような者は……」
「あ、いや、待て。あいつじゃないか?」
そこで俺と話している警備に割り込むように、もう一人の警備が口を開く。
「ほら、あの医者先生がたまに連れくる患者だよ。確かそんな名前だった」
「……医者先生?」
「ああ。このメノウで長いこと医者やってる先生でな。今は降龍院で、流行り病の対応で色々と動いてくれてるんだ。今もあの塔で、書類に追われながら仕事してるよ」
「その医者の名前は、まさか……」
俺の問いかけに、警備の人間は即座に答えた。
「ヒイラギっていう医者先生だが、元々は他所の国の人間でな」
「ああ。確かそのカザミってやつが、カルトロード、とか呼んでたかな」
なに……?
「や……やっぱり、ここにいるんだ……カルトロード……!」
はじめに言葉を落としたのはイスカだった。その表情には驚きと困惑、そして僅かな期待が入り混じっているような気がした。そんな彼女の瞳に、警備の男たちも怪訝そうに首を傾げる。
「なんだ、お嬢ちゃん。あんたも先生の世話になった口か?」
「……通して」
「え?」
「いいか、ら……はやく、そこ、どいて……カルトロードに、会わせて……!」
……まずい。
「イスカさま……?」
「落ち着け、イスカ。今ここでは――」
「カルトロード、っ!」
俺が制止しようとした次の瞬間、イスカの身体が空中に舞い上がる。普段の浮遊感のあるものではなく、直線的な軌道で飛行を始めた彼女は、そのまま加速しながら塔の方へと飛行していった。
直後、加速による衝撃波が、周囲を大きく揺らす。
「おいおいおいおい!」
「なんだあのお嬢ちゃん!?」
「すいません、止めてきます! 申し訳ありません!」
困惑する警備にそう謝罪しながら、降龍院正面の門をくぐる。
隣に並ぶナユタは、切迫した表情で降龍院の塔を仰いでいた。
「い、イスカさま……! なんて強硬手段を……!」
「いつものことだ!」
『基本アンナ感ジナンデ』
怯えるナユタに続いたのは、塔の方から聞こえてくる破壊音と男女の入り混じった悲鳴。
俺としても、まさかイスカがあそこまで突っ走るとは思わなかった。騒ぎを聞いたカルトロードが逃げ出すとは思わなかったのだろうか。時代を象徴する天才なんだからそれくらい思考を……。
……いや、この際、もう突っ走るしかない。アレを制御できると思っていた俺が馬鹿だった。
「とにかく俺たちも向かうぞ!」
「は、はい!」
『アイー』
方々から聞こえる破壊音を背景に、俺とナユタは降龍院の塔を目指して走り出した。
■
「カルトロード、っっ! どこにいる! 出てこい! 出てこいっ!!」
階段を上るにつれて、階上からイスカのそんな金切り声が聞こえてくる。
俺たちは現在、降龍院の塔の三階付近に辿り着いていた。塔の内部は、中央に巨大な螺旋状の階段が昇りと下りで交差するように伸び、その外周を囲むようにしていくつもの小部屋や広間が置かれた設計になっている。つまり階段はまるごと吹き抜けになっており、そこからはイスカの破壊した瓦礫や飛び散った書類などが未だに雨のように落ちてきていた。
「何の騒ぎだ!」
「なんか空飛ぶチビが塔の内部を縦横無尽に暴れまわってます!」
「おい、この大変な時期になんなんだ一体……!」
「どこだ……ど、どこにいる……っ! あ、あたしだぞっ! イスカ・フィルレンシアだっ!!」
「まずいっ! 全員逃げろ、第四階梯だ! 学会のヤバい奴だぞアレ!」
「なんで第四階梯がメノウにいるんだよ!?」
「頼む、帰ってくれ……!」
塔に入る人間は全員、狂乱する第四階梯から逃げ惑っている最中だった。
さすがに人的被害を出すつもりはないらしく、途中で人が倒れていたり、出血したりしている気配はなかった。そもそもイスカの狙いはカルトロードだ。他の人間など構う理由もないのだろう。
連続する爆発音が上階で聞こえてくるのを後目に、急いで階段を上る。
「カルトロード、っ……! ここか!?」
やがて俺たちがイスカの姿を捉えたのは、塔の最上層だった。
七階に位置するそこには、固く閉ざされた巨大な扉が一つあった。その扉の前に立つイスカに追いついた俺たちは、息を切らしながら彼女の隣へと並ぶ。
「お前……! こんな勝手に、しかも派手に暴れやがって……!」
「でもっ、カルトロードが、ここにいる……! ほ、他の階層は全部、あたしが見てきた……! まだ調べてないのは、ここだけ、っ……つまり、ここに……カルトロードが、いる!」
誇らし気に言うな……!
「開けろっ、カルトロード!」
明らかに引いて開ける類のメノウでよく見られるその扉を、イスカは強引に蹴り破った。
果たして破壊された扉の向こうに広がっていたのは、広大な書庫だった。無数に立ち並ぶ書架は天井にまで達するほどの大きさを誇っており、その棚には様々な書籍が収められている。
それは一見すれば単なる書庫に見えるが、その光景を目の当たりにした瞬間、違和感を覚えた。
……空間の規模が、一致していない。これだけの空間が、塔の最上層に収まるはずがない。
「ここ、は……一体……」
ナユタの呟いた言葉に、奥に続く薄暗い闇から言葉が返ってくる。
「私の書斎ですよ」
その声を聴いた俺とイスカは、互いに顔を見合わせ、無言で足を進めていた。
「私はいずれかの国に拠点を構える時、必ず書斎を設けることにしているんです。閉鎖した空間は落ち着きを与え、紙の香りは集中力を高めてくれる……。まあ、定期的な換気は必要ですが」
並ぶ書架をいくつも超えたところで、ふと。
ここにある書架の側面、その全てに蒼鱗石が埋められていることに気が付いた。
……まさか、書架ゴーレム? ここにある書架、全てが?
『アー、マスター、オ客サン来テマース』
「認知しています。私が誰に向かって話していると思っているんですか。独り言だとでも?」
『ゴメンナサイ』『スイマセン……』『オコンナイデネ』
「……あの天才、エルネスタから産まれたあなたたちは、なぜこうも間抜けなんでしょうね」
書架ゴーレム。司書連合の各支部で標準運用されている、書類整理と運搬に特化したゴーレム。
奴の言う”書斎”を進む俺たちを、書架ゴーレムたちは動かずに見守っていた。
「外ではずいぶん暴れましたね、イスカ。ですが安心してください。私はどこにも行きません」
「……っ!」
「来るなら早く来てください。ローレンス、あなたも私を追っていたのでしょう?」
招くような声に導かれ、やがて書斎の最奥に辿り着く。
そこには一つの机が置かれた、ある程度の広さを持つ空間があった。
そして。
「六年ぶりですか。随分と時間が経ちましたね、二人とも」
立ったまま机にペンを走らせ、こちらに一瞥すら向けない男が一人。
年は四十を超えたあたりだろうか。背は高く、短く切りそろえられた金髪はくすんだ色合いをしていた。服装は黒いズボンと深い緑のシャツ、その上から年季の入った白衣に袖を通している。
細いフレームの眼鏡をかけたその横顔は、どこか疲れ切ったような雰囲気を醸し出していた。
一見すればどこにでもいる研究員の男だ。人込みに混ざれば数秒で見失うような、そんな。
だが。
「カルト、ロード……」
イスカが声を漏らしたことで、ようやく奴――カルトロードは、こちらに振り向いた。
「メノウではヒイラギと名乗っています。この国に現生する樹木でしてね。建築や日用品と、様々な用途で使用される、国を象徴する樹木です。よく耳にしたのでそう名乗ることに――」
「尻尾」
奴の言葉が終わるよりも前に、尻尾を顕現させて、奴に刺突させるよう指示。
だが、その尾先が彼に届くよりも前、不意に視界の外から白い影が現れ、俺の尻尾を遮った。
かぎん、という金属音が書斎に響き渡る。
いつの間にか奴の隣には、白い髪を揺らし、頭部から爪を生やす人影が傍についていた。
「クオン……?」
「…………おい、カザミ。なんで私にこんな偏屈そうなジジイを守らせる」
「ジジイ……?」
「お前、俺が龍の器官を備えた奴とマトモに戦えると思ってるのか……」
呆れたように呟きながら、書架ゴーレムの隙間から姿を現すカザミ。
その隣にはやはり、傘をさしてこちらに視線を送るムメイの姿もあった。
「どうも。さっきぶりだね、お三方」
「ムメイさま……」
「あ、言っておくけど、ぼくはナユタについては手を引くからね? アレと戦えって言われても断るからね? ぼくだと能力的にも性格的にも相性悪いんだ。勘弁してくれよ?」
「……勝手にしろ」
怯えながらカザミの影に隠れるムメイに、彼は呆れたように呟くだけだった。
「でも、これで役者は揃ったみたいだね?」
ムメイがそう言葉を落とし、そのまま視線をカルトロードの方へと向ける。
奴は机に腰掛けながら、ペンを走らせていたが、その言葉に応じるように顔を上げた。
「クオン……彼女に備えられたヘリオルトの爪、あれは成長性に特化したものです。イスカやローレンス、あなたたちのものとは違い、彼女には発芽する前の胚しか植え付けていません。故にメギストスの尾のような安定性も、セレニアの翼のような出力も望めませんが……大地に根差したあの爪は、その土壌に適応した成長を見せる。要するに、龍の器官の中で最も人間に馴染みやすいものです。クオンという人間は、このメノウにおいて最も適した土壌だったというわけですね」
「……自白したな。やっぱりお前か。クオンにヘリオルトの爪を植え付けたのは」
「当たり前です。こんなことができるのは歴史上、私くらいしかいないんですから」
ペンを片手でくるくる回したまま、カルトロードはそう答えた。
「カルトロード……あん、た……何をする、つもり、なの?」
メギストスの尾を構えながら、奴に尋ねる。
おそらくそれは、俺の人生において、最も追い求めていたものだった。
イスカにセレニアの翼を、俺にメギストスの尾を、そしてクオンにヘリオルトの爪を。
人の身に龍の器官を植え付けること。それに何の意味があるのか。
俺はずっと知りたかった。
「神話の再現です。龍の力は人の手で再現できるのか。世界が未曽有の危機に瀕したときに備え、龍の力を解剖し、分析し、知識と技術により人類の歴史に落とし込む。それだけですよ」
やがてカルトロードから返ってきたのは、そんな言葉だった。
……神話の再現。エストレアでアッシュレインを捕えた際にも、その言葉を耳にした。
彼女の予想は当たっていた。奴は本当に、龍種の力を自身のモノにしようとしている。
「よく、依代であるぼくの前でそんなことを言えるね?」
「冒涜に当たりますか?」
「……さあね。少なくとも、あのウナギもどきのメギストスさまは感心しそうだけど」
ムメイの興味はもうそこで失せたのだろう。傘をくるくる回しながらそう答えた。
「その神話の再現のために……俺とイスカの人生を弄んで、それでお前は満足か?」
「いいえ、まだ満足はしていませんよ。もっと充分な研究が必要です」
「お前いい加減に……!」
再び仕向けたメギストスの尾は、しかしクオンが振り抜いた刀に遮られてしまう。
「クオン……! お前も被害者だろ! なんでそんな奴に構う!」
「カザミが言うとったのでな! 正直言えばこんなジジイ野垂れ死んでも一向に構わんのだが、カザミと約束したのだ! 悪いがローレンス、しつこいぐらい邪魔させてもらうぞ!」
「……あなたも律儀な人ですね」
そこでカルトロードは、クオンの隣に立ちながら、
「彼女は三か月前、ヘリオルトの因子に高い適合率を見せた、この実験の最初にして一番の被験者です。私としても予想外でした。まさか実験の初期段階で、こんな適合率の高い被験者が出てくるとは思いもしませんでしたから……」
「……三か月前……? まさか……この、メノウの流行り病は……」
ナユタが恐る恐るといった様子で、その疑問を口にする。
その先を想像するのは容易で、カルトロードは笑みを浮かべながら答えた。
「メノウを取り巻く流行り病、あれは龍の因子に適合する個体を見つけるための実験です。私はこのメノウに、ごく微量ではありますがヘリオルトの因子を散布しました。今現在、メノウで病に伏せている人間たちは全員、ヘリオルトの因子を保有する宿主となっている状態です」
「…………は?」
流行り病にこいつが関連していることは、薄々察していた。
だが、その内容がまさか、龍の因子を撒き散らすことだったなんて……。
おそらくカザミもそれは知っていたのだろう。奴に視線を向けながら続けた。
「……それで適応したのが、クオンだったというわけだな」
「ええ。私としても予想外でした。まさか実験の初期段階で、こんなにも適応する個体が出てくるとは思いませんでした。様々な予定が前倒しです。クオン、結局あなたは誰なんですか?」
「何を言うか、私はただの桃花久遠だ。それ以外の名前など持ち合わせておらん」
「…………」
カルトロードは珍しく、疲れたような表情を浮かべながら、無言で眉間を抑えていた。
おそらく彼女については完全な想定外だったと分かる。
「……それにしても、ナユタ。あなたもここにいるのですね」
そこでカルトロードは、初めてナユタに目を向けた。
「ですがなぜ、あなたはまだ生きているんですか?」
「っ……ナ、ナユタのことをご存知なのですか?」
「ええ。あなたもこの実験の重要な要素でしたからね」
「ナユタ、が……?」
カルトロードの言葉に、ナユタは困惑したまま首をかしげていた。
……もういい。これ以上、こいつに喋らせる必要はない。無駄な混乱を招くだけだ。
「お前の実験を止める。台無しにしてやる」
「ずいぶん愚直になりましたね。昔のあなたはもう少し思慮深い人間でしたよ、ローレンス」
「父親ヅラするな。俺の親父は一人しかいない」
「そうでしたね。あなたはイスカと長い間一緒にいたので、つい」
そこでカルトロードがイスカへと視線を向ける。
彼女も透明にも思える無の表情を浮かべながら、カルトロードのことを睨みつけていた。
「あんた、とは……一度、話が、したかった……けど」
「そんな暇はないみたいですね。お互いに」
「なら……あんたを、ぶっ潰してから……聞く」
「やってみなさい」
術式の発動は同時だった。
イスカは即座に術式を展開し、高速で振動する空気をそのままカルトロードへ向けて射出。
だが、対してカルトロードは自身の足元に術式を展開。直後、カルトロードの正面の床がせり上がり、それが盾となって振動波を防ぐ。まるで地盤そのものが持ち上がったように現れたその壁は、側面に青く輝く蒼鱗石の輝きを灯していた。
……まさか、ゴーレム?
『イ タ イ ヨ』
「我慢しなさい」
カルトロードが手を翳すと、蒼鱗石が彼の手に向かって弾けるように飛び、その瞬間に壁も崩れていく。それを見届ける間もなくカルトロードが壁面に蒼鱗石を投擲。一瞬だけ術式の構築が見えた次の瞬間、壁にはめ込まれた蒼鱗石が意志を宿し、青く光り輝き始めた。
「ま、まさか……この、書斎を、まるごと、ゴーレム……に!?」
『ハ ー イ』
ずしん、という振動音。その直後、俺たちの直上から無数の柱が迫る。
「ローレンスさまっ!」
回避ルートを予測する俺の前にナユタが現れ、腰に吊った刀を振り抜いた。
その斬撃は一瞬で柱を二つに分かち、ナユタが俺を庇うように刀を構える。
「あのお方はこのメノウを混乱に陥れた張本人! このナユタも、容赦は致しません!」
「か、カルトロード、ぉぉぉおっ!!!」
イスカも声を上げてその場から飛翔し、再び複数の振動波をカルトロードに向けて射出。
だが、カルトロードを守るようにせり出す壁や床が振動波を遮る。どうやらこの空間は、あのゴーレムの体内のような環境になっているらしい。壁で光る蒼鱗石は、未だに俺たちに向けて青い光を灯していた。
『指 示 オ ネ ガ イ ネ』
「マリウス、あの三人を足止めしてください。私にはやるべきことがあります」
『ア イ ー』
マリウスと呼ばれたそのゴーレムが、再び壁や床、天井を不規則に変形させ、俺たちの動きを阻害して来る。その変形に巻き込まれた書架ゴーレムたちも、先ほどまでの大人しい様子とは一転し、自身の巨体で俺たちを追い詰めるように動き出していた。
『ダメヨー』『ジットシテテネ』『図書館デハオ静カニ!』
「うるさいっっ!!」
『イ”ヤ”ーーーー!!!』
「どいてください!」
『ア、踏マントイテ!』
イスカが書架ゴーレムを吹き飛ばすことで、ナユタは書架ゴーレムを足場にすることで、それぞれがカルトロードと距離を詰めようと試みる。しかしマリウスがすぐにその経路上の床や壁面を変形させることで、なかなか思うように動けていない。
「アーロン、門!」
『エ、今ァ!?』
「カルトロードの目の前だ! 小さいのでいい!」
『ハイー!』
アーロンが”博闢の門”を開くのを確認したと同時、俺も腰から銃を引き抜く。
弾倉は既に、ミヤシロの工房で最大数装填されている。六発。奴を仕留めるなら充分だろう。
開いた門の先で、カルトロードと視線が交錯する。
躊躇いはなかった。俺は奴の脳天に照準を合わせ、そのまま引き金を引いた。
そうして”博闢の門”を通り抜けた弾丸は、奴の眼前に迫ったところで――。
「おっと。……いいオモチャを持っていますね、ローレンス」
「は?」
あいつ今、銃弾を素手で……!?
「お返しますよ」
「っ、は?! おい、待っ……!」
驚く俺を無視して、カルトロードが腕を振りかぶって銃弾をこちらへと投げ返す。俺は尻尾に指示する余裕すらなかった。投げ返された銃弾は、銃から放たれたものと変わらない威力で、俺の頬を掠めていく。背後で銃弾が壁にめり込む破裂音が聞こえた。
「……メノウに来てから、銃がマトモに効いた試しが無ぇ……!」
そうやって愚痴を零す俺の視線の先、カルトロードはクオンに近づいていた。
「クオン、あなたにお願いしたいことがあります」
「なんじゃワレ」
「なぜそんな喧嘩腰に……。いえ、あなたに抜いてほしい刀があるだけです」
「刀ァ?」
「マリウス、例のモノを」
『ハ イ ー』
そこでカルトロードが地面に手を翳すと、反応したマリウスが床の一部をせり上げる。
直方体のそれはカルトロードの胸当たりで上昇を止め、やがて面が四方に展開される。
果たしてそこに納められていたのは、謎の原理で空中に漂う、鞘に納められた刀だった。
……まさか。
「それが……このメノウに奉納された、依代が持っていた刀、か?」
「ええ。大地の依代、『繁栄』の座が残した秘宝――繁栄の刀です」
カザミの問いかけに、カルトロードは短く答えた。
「かつて依代が奉納したこれは、龍因子を持つものにしか抜けません。もっとも、こうして鞘に納められた状態でも力は溢れています。龍因子を散布できたのも、この秘宝があったからこそです」
「うむ? つまり?」
「この刀を抜けば、ヘリオルトの因子が活性化して……要するに、あなたはより強くなれます」
「ほう……それはそれは……!」
あろうことか、クオンは繁栄の刀を前に、目をきらきらと輝かせていた。
「く、クオンさま! いけません! 確実に悪い方向へ事態が進んでしまいます!」
「うっさいぞナユタ! 貴様はカザミに刀を打ってもらっただろうが! 贅沢言うな!」
「そ……そういう問題じゃ、ない、だろっ! あんたほんと、話が通じない……!」
「ええい、抜くぞ私は! 依代が残した刀を抜けるなど、滅多にない好機だしな!」
「待て、クオン……!」
俺たち三人の制止も聞かず、クオンが刀を手に取り、鞘と柄を構える。
そして。
「では参る! いざ、繁栄の刀――抜刀!」
すらりと抜かれたそれは、何の変哲もない、打たれた鋼鉄の刃を持つ刀だった。
クオンの身体に変化もない。周囲に何の変化も起こらず、俺とイスカ、ナユタも無事のまま。
だが、クオンはその刀身を眺めると、すぐに怪訝な顔を浮かべていた。
それもそのはずだろう。
「……おい、なんじゃこりゃ。この刀、逆刃ではないか!」
かつてメノウに訪れた依代――カルトロードの話によれば、大地の依代、『繁栄』の座――それが残したとされる、全ての刀の原本となる秘宝、繁栄の刀。
それは今クオンが手にしているように、刀身の背に刃を持つ、逆刃の刀だった。
「ジジイ、これどうなっとる? こんな不細工なのが刀の祖だと言うのか?」
「……申し訳ありません。私もこの事態は想定外でして……」
「お前、なんか賢そうな見た目しとるのに、抜けとるところあるのう」
「この世界はあなたのように、想定外のことが多すぎるんです」
そうしてカルトロードと言い合うクオンの方に、カザミの手がかけられた。
「クオン……」
「おう、どうしたカザミ」
「好機だ。ここから逃げるぞ」
は?
「……カザミ? どういうつもりです?」
「貴様のことはとうに見限っている。俺の目的はクオンの身体を元に戻すことだ。……時間はかかったが、必要なものはすべて手に入れた。もう、この場に留まる必要はない……」
「か……カザミ、さま?」
「ナユタ、貴様にも迷惑をかけたな。いずれ謝罪のため顔を出しに行く」
そこでカザミは、繁栄の刀を手にしたままのクオンを自らの方へ抱き寄せた。
「カザミ貴様、いきなり逃げると言い出しおってからに……他人を振り回しとる自覚はあるのか」
「お前にだけは言われたくないが……俺と逃げるのは、嫌か?」
「何を言うか! 前にも言っただろう。私は貴様の妻だ。どこにでもついていくぞ」
「……そうだな。それでいい」
どこか安堵したように頷いたカザミは、改めてカルトロードへと視線を向けた。
「カザミ、あなた……この状況で逃げられると、本気で思っているんですか?」
「どうだかな」
「ここには私以外にも、ローレンスにイスカ、ナユタもいます。彼らも何の説明も無しに逃げようとするあなたを放置はしないでしょう。それとも、彼らに協力を仰ぐつもりですか?」
「……いや」
俺とイスカ、ナユタが互いの顔を見合わせる。
少なくとも今、カザミがカルトロードから離反しようとしている。
だが彼の言葉からするに、どうやら俺たちに着く気もないらしい。
……カルトロードの言う通り、俺たちもこのままカザミを逃がすつもりはない。繁栄の刀、あれはこのメノウを取り巻く流行り病、つまり龍因子を散布させる力の源だとカルトロードは言っていた。ならば事態の鎮静化のためにも、繁栄の刀を取り戻さなくてはいけないだろう。
「ムメイ」
「はいはい。言っておくけど、ぼくは手伝わないよ?」
「……それでいい。見ていてくれ」
「もちろん。面白いものが見れるから、ぼくは君の味方をしてるのさ」
カザミに呼ばれたムメイは、興味深そうに彼の横顔を見上げていた。
「カザミさま、いったい……何を……」
ナユタの言葉に、カザミは一度だけ彼女に小さく笑みを向けて、それから。
「――この身はいずれ、境地へと至る」
カザミがそう呟いたその瞬間、彼の手に小さな槌が現れた。
振り下ろしたそれは空を叩き、突き抜けるような金属音を響かせる。
「我が肉を鉄に、我が骨を槌に。我が魂を炉と為し、そこへ我が祈りを焚べる」
短い言葉だった。しかし、明らかにこの空間における魔力が激しく揺らいだのが分かる。
魔術式の展開もなしに、こんな魔術的な現象を発現させるなんてこと、は……。
……いや。同じような現象は一度、つい直前に経験したことがある。
最初の魔術師、”万識を宿す純冠”、『魔女』アルバトラの――。
「色を空と為し、空を色と為す。万物総て虚空へと還り、万象総て虚空より生ず」
一定の間隔で打たれる金属音に、カザミの声が絡みつく。
「それは、読経……? ありえない。まさかあなた、自ら言語魔術の領域に……!」
カルトロードの言葉には、驚愕と感嘆の色が入り混じっていた。
眼鏡の奥にある瞳には、ある種の熱のようなものが宿っている。
そして。
「――異境・虚鍊久途」
最後に槌を打ち付けると同時、カザミが宣言した、次の瞬間。
この場の現実が即座に塗り替えられ――夕焼けの空に、俺たちの身体が投げ出されていた。
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