一年間ぶっ続けでこの毒でしかない小説を……?
■
メノウの刀匠の”境地”。それは自らの鍛冶場を持つこと。
謂わばそれは、赫爪によって創生されたこの大地へ、己の存在を刻みつけること。
それは矮小な人の身でありながら、世界を創世した龍の領域に、立ち入る行為。
故に、”境地”。
ミヤシロの鍛冶場の現当主、宮代友平。
彼はかつてこのメノウに存在した、大地の姫巫女の血を継ぐ人間だった。カルトロードの指示でメノウに入国した俺は彼に従事し、鍛造や精錬の技術、そしてメノウの人間の在り方を学んだ。
この世は『均衡』の定めにあり、万物は総て大地より生じ、また万物はいずれ大地へと還る。
我々は時代を巡る『繁栄』の一端に過ぎず、いずれ後に続く時代のためにこの世を去る。
だからこそ、酒や花を愛し、月や星海に思いを馳せる刹那に、『生命』の実感を得るのだと。
姫巫女の血を狙う俺を知ってか否か、彼は俺に”境地”とは何かを説いた。
「”境地”とは決まった一つの答えを持つものじゃない。この鍛冶場だって、当時のメノウの人間が考えた”境地”の一つに過ぎない。であれば、”境地”を定めるのは何か? それは時代と、そこに生きる人間の在り方によって、無限に変わるものだと俺は思っている」
「なら、親父……いや。あなたにとって、境地とは……何なんだ?」
「己を知り、己を鍛え、己を摩耗させ、そしてようやく至る場所。それが”境地”となる」
俺はメノウの人間ではない。フィールトラッセの降龍院で生まれ育った孤児だ。
メノウに縁も所縁もなかった俺には、やはり満足のいくような刀を打つことはできなかった。
イオリやナユタも俺の刀を褒めてはくれたが、俺の心の中にはどうしても空白が残る。
……己を知り、己を鍛え、己を摩耗させ、そしてようやく至る場所。
その答えに必要だったのは、一人の女だった。
「貴様がカザミだな? 腕のいい刀匠だと聞いたぞ。私の刀を打て」
「……誰だお前」
「我が名は桃花久遠! このメノウに再び蘇った、幽囚鬼神とは私のことだ!」
この国に古くから伝わる忌憚、幽囚鬼神の数歌。
その語り手である幽囚鬼神の生き写しかと思えるほどに、鋭く、白い髪の持つ女。
俺は彼女に、いずれ至るべき”境地”を垣間見た。
このメノウの大地に生まれながらにして、メノウの国から忌み嫌われた者。
であれば、彼女が握るべきは、どのような刀か?
孤独のまま生きてきた彼女に渡すべき刀。それは孤独のまま生きてきた俺が打つべき刀だと。
それに気づいた時、ようやく
”境地”とは一つの答えを持つものではない。時代や人間によって、その在り方は無間に変わる。
であれば天空の国に生まれ落ちた俺にとっての、人と龍との境界は何か。
それは、すなわち
――ここを我が”境地”とする。
”境地”でありながら、この大地に根差すことのない、俺という存在を顕す場所。
大地に己を刻むのではなく、空に祈りを捧げることで拓けた、俺の内に広がる領域。
それは虚空を錬成し、やがて悠久へと至る
故に、”異境”。
我が肉を鉄に、我が骨を槌に。我が魂を炉と為し、そこへ我が祈りを焚べる。
色を空と為し、空を色と為す。万物総て虚空へと還り、万象総て虚空より生ず。
――――異境・虚錬久途。
■
塗り替えられた現実の先に広がっていたのは、どこまでも続く夕暮れの空だった。
「っ……!?」
全身を襲う強烈な浮遊感と、頬を荒々しく撫でつける風。
この場が虚構ではなく完全に基底現実とは別の現実であることは、感覚と直感で理解できた。
だが、その思考を過らせている間にも、俺の身体はこの空間を垂直に落下し続けている。
……地面がない。ただただ落下を続けていくだけ――
「ほぎゃぁぁぁぁああああああ!!!」
『イ”ヤ”ー”ー”ー”ー”ー”ー”!!!!』
見下ろした視界では、足場の存在しない空間を落下するナユタとアーロンの姿があった。
「なんでアーロンまで落下してる……! あいつ浮けるだろうが……!」
「ローレンス、っ……! つ、捕まえた、っ!」
背後から伸びるイスカの腕が俺の襟首を掴み、落下の勢いを止めてくれる。
普段から使っている浮遊の術式で、なんとかこの場での落下を免れたのだろう。
そこで俺は、改めてこの空間の全貌を目の当たりにした。
「これ、は……!!」
どこまでも続く、夕暮れの空。終わりのない空と、紫に染まる薄い雲だけが在る、空虚。
太陽は俺たちの直上に存在するが、何故かそれは茜色に染まっていた。
地面も無ければ果ても存在せず、ただただ空だけが無間に続いているだけ。
振り返って見上げた彼女の顔には、俺が初めて見るほどの焦燥が表れていた。
「イスカ……どうなってる!?」
「わかんないっ! な、なにこれ……!? どうなってる……の……?」
見開いた目で周囲の空間を見渡すイスカに、しかし俺も何も答えることができない。第四階梯である彼女が理解できないのならば、おそらく現代にこの術式を解析できる者はいないだろう。
……いや。
「驚きました。ここまでの規模と現実強度を維持した空間が、現代の魔術水準で生成できるとは」
声のする方へ視線を向けると、そこには小さな足場に姿を変えたマリウスの上に腰を下ろすカルトロードの姿があった。おそらくこの空間に飲み込まれる直前に、周囲の素材を集めたのだろう。
彼の表情には、この空間に巻き込まれた焦りよりも、感心と驚嘆のようなものが浮かんでいた。
「か、カルトロード……あんた、これ、わかる……の?」
「いえ全く。ただ、ここが彼の魔術によって生成されたものである、ということは確かです」
「……ま、まさか……異相、現実? あ、あれって、まだ、理論上の産物……だよ、ね?」
「司書連合がこれを知ったら、あらゆる手段を使ってでもこの空間の記録を収集するでしょうね」
そうやって二人が言葉を交わした直後、鉄を打つような、甲高い音が空間全域に鳴り響く。
発生源は俺たちの直上。視線を送ると、そこにはこちらへ飛来する刀の嵐が見えた。
「……っ、あ、あぶない、っ!」
「尻尾!」
「マリウス!」
声が重なり、イスカの起動する魔術式、俺の背中から顕現したメギストスの尾、カルトロードを乗せたマリウスがそれぞれ飛来する刀を相殺。果たして刀の波が晴れたあと、俺たちの落下する先に見えたのは、こちらに身体を向ける三人の姿だった。
「ふふ……君はすごいな、カザミ。ここまでの領域に達していたのか」
「なんじゃこりゃ!? おいカザミ、どうなっとる!?」
傘を刺したまま落下するムメイに、困惑しつつも刀を構えるクオン。
そして――槌を掲げるカザミ。
「行け」
カザミが槌を垂直に振り降ろすと、再び空間全域に甲高い金属音が鳴り響く。それと同時、彼の周囲から無数の刀が生じ、今度は意思を持つ魚群めいた動きで、多角的にこちらへと飛来する。
「まだ来ますよ」
「わかってるっ!」
尻尾とマリウスで防御する俺とカルトロードに対し、イスカが術式で刀を防ぎつつその一振りを握り、そのままカザミへと投げ返した。振動の術式を付与されて威力を増したその刀は、しかしカザミが槌を振るうことによってその場から消失する。
「……刀を自在に出現、消失させられる、のか?」
「おそらくは。あの槌はそれを制御するものでしょうね。実際にその機能があるのか、あるいは本人にとっての合図になっているだけかは不明ですが、彼にとって重要なものなのは確かです」
「だったら、アレを取り上げる、っ!」
「おい、イスカ……!?」
俺を掴んだままイスカは加速し、そのままカザミへ向けて急上昇を始める。それに反応した三度目のカザミからの刀は、尻尾に指示を送ることで防ぐ。その勢いで彼の握る槌へ向けて尻尾を送り出すが、しかしそれは視界の端から伸びる赫爪によって軌道を逸らされてしまった。
赫爪の元を辿ると、そこには握った拳の先から爪を生やしたクオンの姿が見える。
「っ……クオン! ここに来てまでカザミに協力するのか!」
「当たり前だ! カザミは私と一緒に逃げると言った! これほどまでに魅力的な逢瀬の誘い、女として断るわけがなかろうが! なあカザミ、私たち一緒に逃げて二人で静かに暮らすぞ!」
「だんだんこっちを向くな……! 戦いの最中だぞ……!」
焦りなのか呆れなのか分からないが、彼女の言葉を振り払うようにカザミが槌を掲げる。
次に刀が現れたのは、俺の眼前、刃の先が眼球を貫く寸前だった。
「イスカ、離せ!」
「っ……!」
そう叫んだ直後、イスカが俺の身体を振動の術式によって真下へと弾き出す。
頭上を過ぎていく刀の嵐を見送りながら、着地のために尻尾へと指示を送る。
俺の意図をくみ取った尻尾は、真下に浮かぶマリウスへとその尾先を突き刺した
『イ タ イ ヨ』
「っ……!」
尻尾に体を引かれながら、転がるようにマリウスの土台へと身体を着地させる。
そうして蹲る俺の元に、カルトロードが近づいて言葉を投げてきた。
「手を貸しましょうか」
「うるせえ……」
「ですが、我々の目的は現段階においては一致しているはずです。この空間にいたままでは、お互いやりたいこともできないでしょう。何とかして脱出の方法を探るべきです」
「………………」
前々から不遜なヤツだとは思っていたが、ここまでだとは思わなかった。
だが、確かにカルトロードの言う通り、俺たちの目的は一致している。カザミによって巻き込まれたこの空間から脱出しなくては、こいつを罰することすら不可能だろう。
「………何か案でもあるのか」
「まだ思いついていません」
「分かった。何か思いつくまで黙ってろ」
「言葉を交わさなければ、新しい発想は出てこないと思いますが?」
「死ね……」
屁理屈をこねるカルトロードにそう吐き捨て、改めて真上を見上げる。
そこではいつの間にか、イスカとクオンがもみくちゃになりながらの戦闘を続けていた。
「く、クオン……っ! どけっ、どけ! あんた邪魔なんだよっ、邪魔しかしてないっ!」
「うるさいわドチビ! 私はカザミと添い遂げるのだ! うっすらローレンスに距離を置かれているような貴様とは違い、私は直々にカザミから手を取られたのだ! 貴様のような! 胸も背も器も小さい!! ろくな性格もしてないような女とは!!! 違うのだ!!!!」
「う、っ…………うぅぅっぅぅううううう”う”う”う”!”!”!”!”」
口論でも負けていれば、イスカはクオンの赫爪に翻弄され、攻めあぐねているようだった。術式はクオンには聞かず、対してクオンの赫爪はイスカの展開する術式を搔い潜って彼女を追い詰めている。空中を無尽に駆け巡りながら術式と赫爪の応酬を繰り広げる二人は、ちょうどカルトロード俺、カザミとムメイの間に挟まるようにごちゃごちゃと跳びまわっていた。
「カザミ。君の奥さんは相変わらずだね」
「静かにしていろ……」
呆れたようにムメイと言葉を交わしながら、カザミが再び槌を掲げる。
俺たちの直下から、間抜けな合成音声が聞こえてきたのは、それとほとんど同時だった。
『ンギギギギギギギ!!』
「あ、アーロンさま! ご無理はなさらず!」
『重タイノネー!!』
マリウスの足場の端から見下ろせば、そこにはナユタの服をひっかけながらこちらへ上昇して来るアーロンの姿が見える。どうやら、ようやく自分が浮遊できることを思い出したらしい。
「アーロンさま、もう大丈夫です! ナユタ、参ります!」
『イッテラー!』
アーロンから解放され、自由落下するナユタが、そのまま腰に吊った刀を構える。
そして次の瞬間、明らかに空中であるにも関わらず、ナユタは地面を蹴るように何度も跳躍を繰り返し、この何もない空間を自在に駆け巡っていた。彼女は一瞬で俺たちのいる位置を通り過ぎたかと思うと、そのまま上空で小競り合いを続けるイスカとクオンの方へと向かっていく。
遅れて聞こえてきたのは、ぶぅん、という虫の翅が羽ばたくような周波音。
「あいつ何なんだ……!」
「おそらく、宙を踏んで跳躍しているのでしょう」
「それは分かってる! 原理を聞いてるんだ!」
ナユタが宙を踏んで加速できることは、初めてクオンと相対した時にも見せたことだが、その原理自体は未だに理解できていない。この基底現実とは異なる空間でもそれが行使できるあたり、完全に本人に由来した能力なのだろう。
「うわうわうわ! ナユタがこっち来た!!」
「ナユタ、貴様も私とカザミを邪魔するのか!」
「違います! ナユタは、カザミさまとお話がしたいだけです!」
相対するクオンへと向けてナユタが抜刀し、そのままクオンの赫爪へと刀を打ちつける。一度目の衝突に、しかしナユタは競り負けてしまうが、すぐに宙を踏み締めることで体勢を立て直す。腕を振り抜いたクオンからの追撃を、ナユタは真上に跳躍することで回避。
クオンの頭上を取るような形になったナユタは、彼女の背中へと両脚を添える。
「な、ッ……貴様!」
「申し訳ありません、クオンさま! 今しばらく!」
「んぐッはーーー!!!」
あの跳躍を成立させる脚力でナユタがクオンの背中を蹴りつけ、その勢いで更に空中を舞う。蹴られたクオンは叫び声を上げながら、俺たちの真隣を通り抜けるように墜落していった。
それを見送る俺の隣に、息を切らしたイスカがふわりと着地し、アーロンも合流した。
「あ、あいつ……本当に、嫌い、っ……!」
『ヤバイノネー』
「イスカ、無事か!?」
膝をついたイスカの方に手を添えながら、俺は自身の真上へと広がる夕暮れへ目を向ける。
「カザミさま……っ!」
「……ナユタ」
カザミの懐に潜り込んだナユタを、しかし彼は手にした槌で受け止めていた。
「なぜですか! なぜ、カザミさまは……あのような、メノウを混乱に陥れた者に!」
「元々だ。お前と出会う前から、俺と奴は繋がっていた。それも、今この瞬間で終わりだが」
「カザミさま……あなたは、どこへ向かうのですか!」
「さあな。俺にも分からぬ。だが、もうメノウに戻ることはないだろう。俺はクオンと人生を添い遂げる。あの女に埋め込まれた龍の因子を取り除き、どこぞの国で静かに暮らせればそれでいい」
「……このメノウは、カザミさまに優しくはありませんでしたか?」
「そんなことはない。親父も、イオリも……お前だって、俺を大切にしてくれただろう」
「では、なぜ!」
鍔迫り合いの末、カザミが槌を振るってナユタを弾く。
そのまま甲高い金属音が鳴り響いたかと思うと、ナユタを包み込むようにして無数の刀が出現。同時に迫る刀はまるで檻のようで、しかしナユタは迷いなく自らの刀を振り抜いた。放たれた斬撃は刀の檻にわずかな隙間を生み、そこへ向けてナユタが跳躍。
再び宙に舞うナユタの背後を、放たれたままの刀が襲う。
「……お前は、俺の味方ではなかったのか?」
「もちろん味方です! カザミさまは、ナユタに刀を打ってくださいましたから!」
「ならば、なぜ俺の邪魔をする。カルトロードと袂を分かち、この場から去ろうとする、俺を!」
「カザミさまがいなくなるのは、嫌だからです!」
「なんだその理由は……! 自分のためか!」
「いいえ! カザミさまを知る、全てのお方のためです!」
迫りくる刀をナユタは自身の刀で次々と弾き飛ばしながら、カザミの周囲を跳躍しながら旋回。槌によって顕現する刀をいなしながら、カザミへとまた言葉を放った。
「カザミさま、あなたは寡黙な方です! それはもう、意図をくみ取るのが困難なほど!」
「うるさい……!」
「ですが、それはカザミさまが優しいお方だからです! 多くの人を不幸にさせまいと、不必要に言葉を伝えなかったのでしょう!? しかし、一人で抱え込むのはもうおやめください! ナユタたちがお力になります! ナユタたちはみな、カザミさまのことが大好きなのですから!」
「そんなのは、お前の勝手な思い違いだ! 俺は優しくなど……」
「であれば、クオンさまなど置いて、一人で逃げおおせればよろしい! あのような全身から爪を生やすような気味悪い女も、このメノウという国も、全てを捨て逃げてしまえばいい!」
「…………っ!」
「一人の方を愛し、人生を添い遂げたいと仰る方が、優しくないはずがありません!」
刀と言葉による攻防は、どちらもナユタが押しているようだった。カザミが生み出す刀は、しかしナユタの跳躍と刀での迎撃によって防がれている。とはいえ、ナユタも決定的な手は持ち合わせていない。今の状態では、受け流すのが手一杯のようだった。
「あのナユタに、ここまで……。やっぱり君は面白いね、カザミ」
「っ、黙れ! 貴様は手を出すな!」
「言われなくてもね。自分で何とかしたまえ。ナユタなんか相手にしたくないし」
「小物が……!」
ムメイは依然として傍観者の姿勢を貫いているようで、傘をさしたままナユタとカザミの攻防をただただ眺めるだけに留まっている。そんな拮抗した状況を眺めていたイスカが、ふらふらとした様子で立ち上がった。
「こ、この異相現実から、はやく抜け出さないと……。ここに留まったら、どうなるか、あ、あたしにもわからない……カザミが、あたしたちを、閉じ込めちゃうことだって……」
「その点は私もローレンスも意見は同じですよ。先程、協力する意志も見せましたからね」
「案の一つも提示できないくせにか?」
俺の言葉に、カルトロードは目を伏せたまま肩を竦めるだけだった。
「”博闢の門”は使えないのか?」
「あ、あれは基本的に、同じ現実同士で使うもの……。異相現実と基底現実は繋げない、かも」
『ソウナン?』
「いえ、正確には既存の研究が追いついていないだけです。この空間のように、基底現実内で新たな現実を創造する魔術は、この空間に我々が巻き込まれるまでは机上の空論でしたからね」
「なら、できるのか?」
「ここに充分な研究のための環境と時間を用意してくれれば、あるいは」
「できないならできないって言え……! 回りくどい言い方しやがって!」
「できないという言葉はあまり使いたくないんですよ。諦めるのは私のやり方ではありませんから。それに……」
そこでふと、カルトロードがイスカへと視線を向ける。
「私の最高傑作がここにいるのです。諦める理由にはなりません。」
「……な、なに……」
「イスカ。あなたのセレニアの翼、あれからどの程度、制御できるようになりましたか」
「おい!」
思わずイスカとカルトロードの間に割って入り、奴の胸倉を掴み上げる。俺の意志に反応したのか、メギストスの尾も彼の眼球へその尾先を向けていた。
「二度とそんなこと口にするな……今度はお前ごと焼き払われたいのか!」
「ですがあれだけの出力があれば、この異相現実の破壊は可能でしょう。それに」
カルトロードがそう言葉を落とした直後、俺たちの立つ
「この場には繁栄の刀もありますからね」
「クオン!」
「うぉぉぉおおおお!! ようやく刺さったぞぉぉおおお!!」
ロープを手繰り寄せる要領に近いのだろう、突き刺した赫爪を辿ってこちらに向かうクオンは、そのまま足場へと這い上がってくる。しかしこちらへ攻撃する気力は残っていないらしく、ぜえはあと息を切らす彼女の腰には、確かに繁栄の刀が差されているのが見えた。
「はーっ、はー……っ……! え、永遠に落ち続けるかと思った……!」
「あなたには驚かされるばかりです。これほどまで龍の因子に適応した人間は、そうはいません」
「うるさいぞジジイ! それよりも、私はカザミの元へと戻らなくては!」
「いえ、それを許すわけにはいきません」
「っ、カルトロード!」
俺が制すよりも前に、カルトロードが即座に術式を展開。
無数に展開された魔術式から放たれる振動波が、クオンの身体を足場へと押し付ける。
「ぐぎぎぎぎぎ!」
「返してもらいましょうか。その刀」
地面に伏せるクオンの腰から、カルトロードは無造作に刀を抜き取った。
そして。
「イスカ。セレニアの翼を宿すあなたにも、この刀は抜けるはずです」
「…………」
「繁栄の刀の権能は、その名が示す通り万物の繁栄。これを使って、あなたに埋め込まれた龍の因子を繁栄させるのです。六年前、私の拠点を破壊し尽くした、あの時のように」
「それ、は……」
繁栄の刀を差しだしながらのカルトロードの言葉に、イスカはじっと口を結んだままだった。
……セレニアの翼を起動すれば、たとえ異相現実であろうが、乖離はできるだろう。
その威力は俺も六年前、身をもって実感することになったのだから。
「この異相現実を破壊しない事には、先に進めませんよ。どうしますか?」
「…………カルトロード……」
だが。
「……え? ロー、レンス?」
思考するよりも先に、俺の手は奴の差し出した繁栄の刀を握っていた。
「ローレンス? あなたには頼んでいませんよ」
「だが、龍の因子は俺にも埋め込まれている。だったら俺にもこの刀は抜けるはずだ」
「っ、で、でも……! そんなことしたら、ローレンス、が……」
「それでもお前よりはマシな結果になる」
イスカの瞳に埋め込まれたセレニアの翼は、出力を極限まで高められた、危険な代物だ。
六年が経っても、ようやくその権能の一端を意図的に使用できるようになっただけ。そこに更に繁栄の刀による出力の向上を重ねれば、イスカの身体がどうなるか分かったものではない。
これ以上、イスカの身体に負担をかけさせたくない。その一心だった。
「よこせ」
「……ローレンス、あなたにできるのですか?」
「最善は尽くすつもりだ。ここから脱出し、お前を捕らえないといけないからな」
半ばカルトロードから奪い取った繁栄の刀を、正面に据えて握り直す。
その外見はメノウで一般的に流通しているものと変わらない、至って普通のものだ。黒い鞘と金色の鍔、柄には若草のような緑の細い糸が、滑り止めのために巻かれている。
依代が残したものとは思えないほど、簡素な造りなそれは、しかし確かに力を宿している。
メギストスの尾は心配するように俺の視界に入り込み、その刀身を警戒していた。
「……イスカ。何かあったら、頼んだ」
「うん……。あ、あたしが……ローレンスを、守る……から」
イスカの言葉に頷いた俺が、その刀身を抜き放つ。
そして。
■
次の瞬間、俺は一面に広がる麦畑の中に立っていた。
「…………は?」
見上げた空は夕暮れに染まっていて、眼前には刈り入れの前の、黄金に染まった麦帆が風に揺れているのが見える。頬を撫でる風に現実味はなく、身体もどこか夢の中のように覚束ない。
立っているのは俺だけだった。イスカも、クオンも、アーロンも誰もいない。カザミでさえも。
あの異相現実とは、また別の現実なのだろうか。
「繁栄の刀の、内部……? 一体、何が……」
そうして振り返った俺は、己の背後にある、巨大な何かに目を奪われた。
岩、だろうか? 見るだけで分かる硬い質感を持つ、見上げるほどに巨大な物体。
その上部には赤く染まった刀のような鋭利なものが、無数に伸びている。
……いや、違う。これは。
「赫爪……まさか……」
その岩が動き出したのは、俺がそう零した直後だった。
ばらばらと表面の硬質を崩し、無数の破片を飛び散らしながら、
岩だと思っていたのは鱗だった。刀だと思っていたのは、赫く染まる爪だった。
やがて鱗に包まれた赤い瞳が、俺の姿を捉える。縦に長い瞳孔を持つ、燃え盛るような瞳。
それは神話に伝えられた姿と、全く同じだった。
「ヘリオルト・リソスフィア……!?」
大地の龍。歴史の礎。メノウ建国の祖。
それは足元にたつ矮小な俺を見据えたまま、岩肌のような鱗に包まれた顎を開いて、
『あ? ローレンスじゃねえか。なんだお前。この時代にいねえだろ。何してんだこんなとこで』
………………は?
「なん、で……俺のことを、知って……」
『俺たちは別の次元に本体があるからな。基底現実の時間軸に依存しないんだよ。未来の俺が出会った奴は、過去の俺も覚えてるわけだ。つっても、さすがに記憶の再現の中にいる俺まで、お前のことを知ってるとは思わなかったが……これ以上は難しい話になるからやめとくか。な?』
「未来……? か、過去? いや……そもそも、出会ったって、どこで……!」
そこでヘリオルトはその首を
『さて、そろそろ来る頃だな』
「来るって……何、が?」
『俺のかわいいかわいい愛娘だよ』
ざわり、という空気の震えを感じたのは、彼がそう答えた直後だった。
気づけば茜色の空は翳りはじめ、俺たちの立つ麦畑にも陰が落ちていく。
見上げると、遠くに沈む夕日を遮るように広がる、黒く染まった何かが見えた。
それは次第に俺たちの方へと接近し、やがて急速に俺たちをまるごと呑み込んでいく。
「っ……!?」
その衝撃に思わず顔を腕で覆い隠す。嵐なのか、あるいは巨大な何かに飲み込まれたのか。腕で遮られたままの視界では、状況が掴めなかった。吹き荒れるようなその現象に、思わず膝をつく。
そうして大地に伏せる俺に、ヘリオルトが語り掛けた。
『あーあ。ま、しょうがねえな。あいつは俺でも手を焼くくらいなんだから』
「なんなんだ、一体……!」
『俺はこれから、あいつを可愛がってやらないといけないんだ。つっても、過去の出来事だがな』
「過去……?」
『短い間だったが、お前とはここでお別れだ。またな、ローレンス』
吹きすさぶ嵐に視界を奪われ、叩きつけられるような衝撃が意識を刈り取っていく。
それでも俺は最後の力を振り絞り、仰向けになってその嵐の全貌を目の当たりにした。
黒く蠢く、空を覆い尽くす嵐。その正体は。
「…………虫……?」
■
「うわぁぁぁあああっ!?」
次に視界を埋め尽くしたのは、マリウスの造り出した足場だった。
周囲はあの空間とは違う夕暮れ――カザミの造り出した、異相現実が映す果ての無い夕暮れ。
激しい動悸と荒くなった息遣いもそのままに、俺は自身の手元へと目を向ける。
そこには依然として鞘に納められたままの、繁栄の刀が握られていた。
「ろ、ローレンスっ!」
膝をついたままの俺の顔を、イスカが覗き込んでくる。
「だ、大丈夫っ!? どうした……の!?」
「ど、どれくらい時間が経った……ここ、は!? 俺は、どうなって……!」
「……一瞬でしたよ。あなたが刀を抜こうとした瞬間、倒れ込みました」
「一瞬? そんな、はずは……」
初めて見る深刻な表情を浮かべたカルトロードに、しかし俺の言葉は続かなかった。
「ふぎゅぅーー!!」
槌を叩きつけるような金属音に続いて聞こえた悲鳴に、反射的に頭上を見上げる。
そこにはカザミの産み出す刀に翻弄され、ついにこちらへ落下して来るナユタの姿が見えた。
「ぶふべら!」
「ナユタ!」
なんとも間抜けな悲鳴を上げたナユタは、しかしその視線を上空のカザミに向けたままで。
「もう、いい……! 俺を惑わすのはやめろ! これ以上の言葉は、無意味だ!」
「カザミ、あなたは……!」
「黙れ、ローレンス! 余所者の貴様が話に入ってくるな!」
俺の言葉を遮るように、カザミが槌を振るった。直後に俺たちを取り囲むように無数の刀が出現し、嵐のように四方から迫ってくる。咄嗟に尻尾で防御をしようとした寸前、一振りの刀が俺の頬を掠めるように過り――そのままクオンの襟首を貫き、彼女の身体を持ち上げた。
クオンを捉えた刀は上昇していき、槌を掲げるカザミの元へと戻っていく。
「うおびっくりした!? 間一髪だったぞ、カザミ!」
「俺がお前を傷物にすると思うのか?」
「……うむ! それもそうだな! さすがだぞ、カザミ!」
「きみたち、相変わらずだね……」
納得した様子で頷くクオンの隣で、ムメイは呆れたように呟いていた。
「終わらせる……ここで、全て……俺という因果の全てを絶つ……!」
そこでカザミは、槌を振るって一振りの刀を握る。
かと思うと、彼はその刀身を自身の右腕へと添えはじめた。
「おい、カザミ!? 何をしとる!?」
「カザミさま!? いけません!」
クオンとナユタの焦りを含んだ声は、しかしカザミの行為を止めることは叶わなかった。
そのままカザミは左腕を振り抜き、自身の右腕を斬り落とした――はずだった。
「……あれは……?」
腕は確かに分断されている。だが、カザミの残された上腕部からは、血の一滴も流れてはいなかった。何より、切断されたはずの右腕が、今もなお宙に留まり続けていた。
カザミは再び槌を握り直すと、その左手に掲げた槌を何度も虚空へと打ち付ける。
甲高い音が鳴り響くたび、周囲に無数の刀が生まれ、それらが渦を巻くようにしてカザミの元へと収束していく。やがてそれらは中に浮かぶ右腕へと収束し、赤熱するような光を宿し始めた。
「そして、この腕を代償に……俺の、新たな途を……ここに、拓こう!」
カザミが槌を打ち付けるたびに、赫く輝くその球体は、だんだんと形を造り出していく。
白い縄の巻かれた柄から、炎の意匠が施された鍔、そして剥き出しになった刀身の形――。
そうして顕現したのは、天に届きそうなほどに巨大な、一振りの刀だった。
「さらばだ、カルトロード! 貴様より授かったこの腕を以て、手向けとする!」
カザミの最後の一振りが、この空間に金属音を響かせる。
そしてそれに答えるように、巨大な刀が俺たちの元へと振り下ろされた。
「あの質量……このままでは、マリウスごと破壊されてしまいますね」
『イ ヤ ー ン』
「おい、何かないのか! お前のことだから、何か緊急用の策を残してるんじゃ……!」
「残念ながら、この空間に巻き込まれた時点で私の想定をはるかに超えています」
「使えねえジジイめ……!」
「な、ナユタが受け止め……っ!」
言い合いを続ける俺たちの前に、ナユタが刀を構えながら一歩踏み出した、その時だった。
「あ、あたしが、やる!」
「イスカ!?」
俺が声を荒げるよりも早く、弾かれるようにイスカが俺たちの前へと飛び出していく。
その手には、いつの間にか鞘に納められたままの、繁栄の刀が握られていた。
「待て、イスカ! それは……!」
「わ、わかってる……! でも、あたしが、やるしかない……!」
そこで彼女は一瞬だけ、俺の方を振り返ってから、
「あたしは、結局……全部、壊すことしか……できない、から」
迫りくる巨大な刀身の前で、イスカが両手で繁栄の刀を構える。
小さな背中とかすかに震える肩は、六年前のあの日と何も変わらなかった。
黎明の解剖学者の本拠地で、俺の前で背を向けて立ち上がった、あの時と同じように。
そして。
「っ……起きろ、セレニア! あんたの、力……あたしに、寄越せっ!」
イスカが繁栄の刀を抜き放ったその瞬間、彼女を中心に蒼白色の奔流が溢れ始めた。
その衝撃は凄まじく、足場となっていたマリウスの身体が一瞬にして崩れ落ちる。
『ア” ア” ー ! ?』
「ぐっ……!」
「ふぎゅぅ!?」
吹き飛ばされた俺たちの身体も、底の見えない夕焼けの景色へ向けて落下を始めていた。
そうして落ちていくまま見上げた空の中心、そこには。
蒼白の光を纏うイスカが、振り下ろされる直前の巨大な刀と対峙しているのが見えて。
「素晴らしい……。イスカ、きっとあなたが……この世界を……」
カルトロードがそう言葉を零した、その直後。
天を覆い尽くす六対の翼が、まるで花が開くように、この異相現実へと顕現した。
■
「――――っ!?」
次の瞬間、俺の身体は堅い地面の上に横たわっていた。
気絶していたわけではない、と思う。意識は連続したままだ。次の瞬間には、ここにいた。
痛む頭を抱えながら、軋む体を起こす。衝撃によって霞んでいた視界が、やがて鮮明になる。
そうして俺は、目の前に広がる惨状を目の当たりにすることになった。
「あ……」
ばらばらに飛び散ったいくつもの本と、崩落した天井によって生み出された瓦礫の山。
書架ゴーレムたちは瓦礫の下敷きになったり、ひっくり返ってじたばたと藻掻いている。
その時点で、ここが降龍院の塔の最上層――基底現実に戻って来れたと気づくことができた。
崩落した天井の先に見えたのは、どこまでも突き抜けるような、雲一つない空。
そして。
「イス、カ……?」
空の真中に浮かぶ太陽を背負うように、それは空中に浮かんでいた。
鳥類を思わせるような、六対の翼。ラグディシアの花のような蒼白を宿す、
天を覆い尽くすかの如く広がるそれらは――すべて、イスカの眼孔にその根を下ろしていた。
翼を顕現させた彼女の身体は、人形のように力なく吊るされたまま。ぴくりとも動いていない。
だが、それに代わるように、六対の翼は何度も鼓動のような収縮と拡張を繰り返していた。
「イスカ……。イスカ! おい、イスカ……! 頼む、もう……!」
痛む体を引き摺りながら、何度も彼女の名前を叫ぶ。だが、翼に吊るされた彼女にその声が届くことはなかった。空の色を映す六対の翼が、ただただ天井から俺を見下ろすだけだった。
……ダメだ。あのイスカは、本当にダメだ。このままでは、メノウが跡形もなく消える。
今のイスカの翼は、
「これが……
その時、背後から聞こえてきた声に、俺は無言で尻尾へ意識を送る。
肉を裂く音。同時に尻尾が俺の前に運んできたのは、肩を貫かれたカルトロードだった。
「ロー、レンス……」
「……っ、黙れ!」
尻尾が俺の叫びに反応し、カルトロードの身体を瓦礫へと叩きつける。
奴がどうなったのかすらの確認も忘れ、俺は行き場を失った手を、空に浮くイスカへと伸ばす。
……手は届かない。触れることもできない。ただの人間の身体ではどうしたって辿り着けない。
最早、彼女は人間の域を超え、神話の存在へと墜ちてしまっていた。
「ローレンスさま……」
『パパ……』
やがて隣から聞こえてきたアーロンとナユタの声に、けれど俺は振り向けなかった。
あの六対の翼は今、イスカの身体を媒介として、俺の頭上で蒼白の輝きを放ち続けている。
その事実に、俺はただただ薄暗い無力感を噛み締めることしかできなかった。
「……イスカを、止めないと」
「そ、それは……でも、どのようにして……」
「どのように? ……なに、一度やったことあるんだ。また同じことをすればいい。そうだ、あいつは今、少し暴れてるだけなんだ。ほら、いつものことだろ? だから落ち着かせてやればいい。俺の顔を見れば、すぐにまた人目も気にせず、無遠慮に飛びついてくるはずだ」
『パパ……』
「そうだ、アーロン。お前、俺を吊って飛べるか? ナユタだって運んでただろ。あれみたいに、俺をイスカのところまで連れて行ってくれ。頼む、頼むから……俺を、あいつのところまで……」
「そんな、無茶です! ローレンスさまが無事では……!」
「うるさい! いいからやれ、アーロン! 俺を今すぐイスカのところまで連れていけ!」
『アワワワワ!』
宙に浮かぶアーロンの身体を掴み、強引に俺の指示へ従わせようとしたところで。
俺の視界が、急に赤色に染まり始めた。
「……あ?」
全身から力が抜けていくのを感じ、鈍い音とかすかな痛みが訪れたあと、視界が横たわる。
頭から出血しているのは理解できた。だが、それでも空を見上げるために仰向けに転がった。
だんだんと暗くなる視界の中、六対の翼が齎す蒼白の光だけが最後まで残り続けている。
「イスカ……」
届かないと分かっていても、俺はその手を伸ばしたままだった。
■
イスカ・フィルレンシア(暴走形態)
周年キャラすぎるか