想いを音色に乗せて   作:猫柳/nekoyanagi

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第009曲  分岐

 夏の暑さに適応するように北宇治では、男子はジャケットを脱いで白のシャツを露わにして涼し気な格好を取り、女子は夏服のセーラー服を着てクールビズの生徒が多くなっていた。

 

 そんな中、北宇治高校吹奏楽部は前哨戦となるサンライズフェスティバルを良いスタートで終え、ゴールデンウィークが明け悠月たちはコンクールに向けていざ始動、するかと思いきや、高校生である悠月たちは避けては通れぬものが壁として立ちはだかっていた。

 

 そう。定期考査である。北宇治高校では、定期考査一週間前から定期考査が終えるまでは部活動が禁止となる学習期間に入る。一部の、特に強豪の部を抱えている私立なんかは『強化指定クラブ』と称して制限がある中で部活をしているところもあると聞いている。

 

 関西支部で例を挙げるなら京都の立華高校や大阪の関西三強と名高い高校のうち二つ、秀塔大学附属高等学校と大阪東照高等学校なんかはこういった期間でも練習をしているらしい。

 

 こういったところで時間の差が生まれてしまうのはただでさえやるべきことが多く時間の足りない北宇治にとってはかなりの痛手だ。だが、ルールで決められている以上従うしかないし勉強はできておいた方が将来的に損はない。得を作れるかは本人次第だが。

 

 麗奈など、あのレベルくらいの実力があれば音楽を仕事として生きていくことも選択肢だろうが、あいにく、全員が全員そうではない。

 

 というわけで、悠月も例に漏れず勉強をしていた。気分転換に『Blue Palette』で、一見ロックにしか見えないウーロン茶をカウンターにおきながら。

 

 実はこのジャズバー『Blue Palette』は日がまだ明るい内から入口の扉に掛けてあるパレット型の小さな看板をオープンにしている。そのため、学校が終わってそこまで時間が経っていないこの時間帯は客もそこまで多くなくその清閑な雰囲気は勉強など作業をするには持ってこいなのだ。

 

 それに、今日は日が暮れてからシフトが入っている。それなら、真っ直ぐこっちに来た方が何かと効率がいい。勉強の方はこの分ならいつも通りだろうし、定期考査でつまづく訳にもいかない。

 

 勉強を始めて二時間くらいだろうか。集中していたからか気づかなかった座りっぱなしの疲労を感じて休憩がてら両手を後ろに組んで胸を前に出して伸びをする。その拍子にバキバキ、と鳴った音に叔父がこちらを見て言った。

 

「休憩か?」

「うん」

「テスト期間くらい休んでもいいんだぞ?」

 

 その気遣いの言葉に、悠月は感謝を前置きしつつ首を振った。

 

「今の勉強時間でも試験に影響はないから大丈夫だよ。自分のやりたいこともちゃんとやれてるから。あ、ちょっとタブレット借りていい?」

「それは構わないが、どうするんだ?」

「今年の課題曲の音源と譜面の確認だよ。考査明けからはいよいよコンクールに向けて本腰入れるだろうから」

「そういえば、全国目指すんだっけか」

「そ。だから、今からできることはしておきたい」

 

 悠月はそう言ってタブレットを操作し、動画配信サービスのアプリを開いたタイミングで叔父からの視線を感じて首を傾げて問い掛けた。

 

「……」

「なに?」

「ああ、いや。高校生らしく青春してるようで安心したよ」

「……!」

 

 その極めて優しげな声色と温かい眼差しに目を瞬かせて、ふい、と顔を背けた。子ども扱いされているようで気恥ずかしかったのだ。

 

「……もう子どもじゃないんだから」

「俺から見れば悠月も子どもだよ。で、俺の息子だ」

「~~~!イヤホンつける!」

「はいはい」

 

 やはり父親には敵わないのか。悠月はそれを察知して半ば逃げるように悠月はイヤホンを耳に差し、課題曲の音源と譜面の確認を始めた。

 

 今年の課題曲は、課題曲Ⅰが新聞社作曲賞受賞作品の石原勇太朗作曲『天空の旅-吹奏楽の譚詩-』、課題曲Ⅱが佐藤邦宏作曲『マーチ「春の道を歩こう」』、課題曲Ⅲが連盟委託作品の西村朗作曲『秘儀III-旋回舞踊のためのヘテロフォニー』、課題曲Ⅳが田坂直樹作曲『マーチ「プロヴァンスの風」』、課題曲Ⅴが全日本吹奏楽連盟作曲コンクール台1位受賞作品の朴守賢作曲『暗闇の宴』の五曲となっている。

 

 やはり、いい曲ばかりでどれも演奏してみたいが、現状の北宇治の総合力では課題曲Ⅲと課題曲Ⅴは難しいだろう。Ⅲは無秩序な秩序という矛盾を不協和音にならないように演奏しきらないといけないし、Ⅴは単純に技術の難度があまりに高い。この二つは今の北宇治では事故が起きたらもれなく大惨事になる可能性がある。滝もこの二つからは選ばないだろう。というか、今年このどちらかに挑む高校はいるのだろうか。

 

 となれば消去法という形にはなるが課題曲Ⅰ、Ⅱ、Ⅳから選ぶことになるのだが、北宇治の強みを最大限引き出すなら選ぶのはこの曲だろうと悠月はその曲を流す。

 

(課題曲Ⅳ、『マーチ「プロヴァンスの風」』かな)

 

 この曲の特徴は、なんといってもその音楽的な構成と曲名にもある通り風が旅をするかのような情景描写にあるだろう。そして、音楽的な構成の面では、吹奏楽の多種多様な楽器の音色を活かし、それぞれが持つ特徴を最大限に引き出しているといえる。ただ、この曲の転調の部分はかなりかなりうまくやらないといけないだろう。トランペットが大事になってくるが、練習を積み重ねればできるだろう。麗奈は言わずもがな、中世古や吉川も練習を数こなせば問題ない、と思う。

 

 音楽の指導という面で突出している滝ならどの曲が最適かは分かっているだろうし、これ以上は譜面が来てからでいいだろう。悠月はもはや癖となっていた、ポイントごとの書き取りを止めてカウンターに広がったノートやルーズリーフを鞄に仕舞って立ち上がる。

 

「よし。じゃあ準備してくる」

「おう。今日もよろしく頼む」

「はい」

 

 

 

 

 

 

 五月も中旬に差し掛かり、高校最初の定期考査は無事学年主席かつ全教科満点という形で終了した。悠月は返ってきた解答用紙と配られた模範解答を見比べて回答への思考の道筋に差異がないことを確認してファイルに挟んで鞄に入れ込み、教室を出る。

 

「おめでとう。学年一位」

「ありがとう。で、なんで知ってんの?」

「職員室の先生方が全教科満点だって話してた」

「……へぇ~」

 

 個人情報の保護はどうした、と言いたいが、テストの点数くらいで目くじらを立てるほど悠月も狭量ではない。勉強自慢なんぞしていても面白くないため、悠月は高坂にある質問を投げた。それは、今年の課題曲に関してのもの。

 

「今年の課題曲。高坂さんはもう聞いた?」

「一通り。まだ決まってないから詰めてはないけど」

「滝先生。何選ぶと思う?ちなみに僕は課題曲Ⅳ『マーチ「プロヴァンスの風」』だと思ってる。北宇治のトランペットは総合力が一番高いから」

「同意見。私も今年の北宇治なら課題曲Ⅳが一番実力を引き出せると思う」

 

 お、と思うがこの辺りの見極めというか各パートの実力の把握を間違えないのは流石と言ったところだろう。そして、自分の音にしか興味がなさそうというのは誤解だったようだ。より正確には、音楽の上達にしか興味がないと言ったところだろうか。

 

 そんなことをしているうちにほぼ丸々二週間ぶりとなる部活動のために音楽室へとやってきていた。そこには既に部員がほとんど集まっていた。考査の出来が良かったのか悪かったのかはっきりと明暗が分かれている面々に内心で苦笑しつつ、いつもの定位置へと移動した。ちなみに、今日から部活動を再開していいのだが、今日は吹奏楽部の練習は一応オフだ。全体ミーティングを行った後、各自解散か自主練習という形になる。

 

 ほどなくして滝が音楽室へと入ってきた。滝から配られた月間スケジュールに目を通せば、昨月とは異なり余白が多かった。これはもう書かなくてもあなた達はするでしょうというメッセージなのだろう。

 

 事前説明では、今日はコンクールの曲と発表と今後の部の動きの説明が行われると聞いている。前者も大事だが、後者は部の今後に関わる分岐点になるかもしれない。

 

「皆さん定期考査お疲れ様でした。色々な先生から耳にタコができるくらいには言われているでしょうが、学生は学業が本分ですから、疎かにしないようお願いします。万が一補習にでもなれば目も当てられないので。それと、これからのスケジュールに関しては先ほど配布したプリントを要確認しておいてください」

 

 本当に耳にタコができそうなのだろう、チラホラとうんざりした表情を浮かべている部員がいる。確かに、仮にコンクールメンバーが補習で練習に出れませんとなればその本人にも遅れが出るし、全体にとってもマイナスだ。なるべく、というよりコンクールメンバーになったのならその辺りの責任もしっかり自覚してほしいものだ。

 

 そんな観察もそこそこに、悠月は「さて、」と前置きをして再び話し出そうとした滝へと視線を送った。

 

「コンクールの曲を今までどう決めていたのかは分かりませんが、今年は私と松本先生で課題曲と自由曲の両方を決めさせていただきました。希望があった方は申し訳ありません」

 

 ちっとも申し訳なさを感じない声で謝罪を口にしているが、これに関しては誰も気にした様子はなく指導者二人で決めたことにすんなり納得しているようだった。さて、滝の選曲やいかに、と悠月は滝へマイクを寄せるように期待をする。

 

「では、今年のコンクールでの演奏曲ですが、課題曲はⅣ番『マーチ「プロヴァンスの風」』、自由曲は堀川奈美恵作曲『三日月の舞』とします」

 

課題曲は、想像通り。おそらくは選曲した理由も悠月が思っていることと同じだろう。そして、自由曲の『三日月の舞』。これまたいい選曲だ。音だけを見据えるなら、だが。これから次第では問題が噴出すること間違いなしの譜面でもある。

 

 周囲を見渡すと、ピンと来ていないのかなんとなくそうなんだくらいにしか思っていない部員が多そうだが、その中でも異彩を放っている三年生がいた。そう。田中だ。

 

「『三日月の舞』ですか!先生分かってますねぇ!堀川奈美恵氏と言えば京都出身で、京都府立芸術大学の作曲科に入学し同大学院を卒業したあとは、オーケストラ作品や管弦楽、吹奏楽と幅広い舞台で活躍している新進気鋭の若き女性作曲家ですよね。彼女の作品の魅力はやはり繊細なメロディーとダイナミックな構成ですね。特に───」

「田中さん。気に入っていただけたようで何よりです」

 

 田中の流れるように移行した演説を滝は躊躇いなくぶった切る。これに付き合っていると時間がなくなるという判断だろう。実際、あのペースで語りだしたら高校の50分一コマでは足りないような演説をできるのではないだろうか。田中のあの音楽に関する知識量の多さ、造詣の深さは尊敬しかない。一度、好奇心で時間があるときに話させてみてもいいかもしれない。と悠月は思った。巨人が出てくる某漫画の巨人狂いと同じくらい話せそうだ。あれは徹夜していたが。

 

 興奮冷めやらぬ様子で隣にいる中世古に話し続けている田中はさておき、滝は今後の方針についての話を続けた。

 

「それでですね。これからが重要な話なのですが、今年はオーディションを実施の上、コンクールメンバーを決定することに決めました」

 

 来た。と悠月は思った。全国を目指すうえで絶対的に必要となってくる手段。上を目指すならより洗練された演奏でなくてはならない。そのための音と表現を出せる奏者の選別。おそらく、滝は慈悲も容赦も関係なく選ぶだろう。

 

 それが分かっているからこそ、音楽室には驚きと困惑の声が広がっていく。その声は主に上級生から。とりあえずは、必要なルール変更なのだと理解させないと話が進まないだろう、と悠月は静観する。

 

 去年までがどうだったかなど興味はないが、集団退部の原因はここだったと聞いている。なら変えないといけないだろう。二度目を引き起こさないためにも。そして、全国へ進むためにも。

 

 ある一人の上級生が立ち上がり先生へと反論を口にする。

 

「先生。私たちは今まで学年順で出場メンバーを決めてきました。順当に考えたら、一年生の経験者がB編成へ行くのが当然ではないのですか」

 

 滝は表情を崩さない。ある程度想像はできていたのだろう。そして、悠月はこの意見もまたひとつのやり方だと肯定する。だが、決定的なところで見逃していることがある。北宇治は全国を目指して練習に取り組んでいかなければならないということ。そして、そのためには前提としてある程度実力順で選ばなければならず、当然、上級生よりも下級生の方が実力が上なのであればそちらを選んでしかるべきだ。

 

 そして、吹奏楽コンクールの部門は何も一つだけではない。北宇治では全国への道はないもののB編成でのコンクールも行うのだからそちらで頑張ればいいのだ。自分がコンクールに出れないかもしれないといってここで過去の慣例を持ち出して保身に走るのは卑怯ではないだろうか、と悠月は思う。

 

 これには滝も同意見なのだろう。同じことを口にした。

 

「しかし、それは不公平というものではないですか?一年生だって努力している生徒がほとんどです。実力が上級生に引けを取らない生徒もいます。彼らの努力や実力を見ずに年功序列でコンクールメンバーを決めるのは乱暴だと思いますが。昨年までならともかく、今の顧問は私で、皆さんは全国を目指しているんです」

 

 誰も反論しないのをみて、滝はもう見慣れた笑みを浮かべて告げた。

 

「そんなに難しく考えなくて大丈夫ですよ。三年生が一年生より上手であれば、何の問題もないのですから。尤も、皆さんの中に一年生より実力は劣るが大会には出たい、という上級生がいれば話は別ですが」

 

 嫌な言い方をする、と悠月が思うと同時に場に沈黙が訪れた。これで、オーディションの実施は認めざるを得なくなっただろう。ここで食い下がるようなことがあれば、自分は下級生より実力で劣っていると言っているようなものだからだ。

 

「付け加えると、A部門の人数制限は55人以下ですが、私がオーディションの結果を踏まえてA部門に編成するレベルではないと判断し、結果としてA部門が55人を割っていることもあると思いますが、そうならないよう、皆さん頑張ってくださいね」

 

 滝はそう言うが、悠月としては本番には55人上限の編成で行くだろうと見ている。というのも、ただ楽観的に見ているというわけではなく、今年の北宇治の部員は一年生が23人、二年生が14人、三年生が28人の合計65人となっている。そして、一年の初心者と二年の初心者の域を抜けていない者は大凡10人。

 

 ということは、だ。三年生は余程オーディション本番でやらかすことなく滝が求めるレベルにまで到達していれば競争することなくほぼ当確なのだ。というか、演奏に置いて音量というのも重要な要素のため、滝が求めるレベルに到達している人数が55人を割っていたら中々厳しい。

 

 今のは数字上の空論だが、実際悠月が各パートの一年の下に行った際に聞いた上級生の音を聞く限り今年に限っては上級生はほとんどオーディションまでには滝が求めるレベルには間に合うだろう。この点に関しては二年生の経験者がごっそり退部したのが三年の首を皮一枚で繋ぎ止めていると言える。

 

 皆多分オーディションという選別を必要以上に恐れているだけなのだ。少し考えれば、よほどのことがない限りコンクールメンバーから漏れることはないことは分かる。ソロパートとなれば話は別だが、考え始めると頭が痛くなるから考えない。

 

 そして、悠月としてはこれを外に漏らすつもりはない。これを言うことによってこの緊張感が緩む方がまずい。しばらくはこのサバイバルゲームを楽しんでもらおう、と悠月は思考を切った。

 

 それでは、各自解散してください。という言葉と共に、滝は全体ミーティングを終了としやや動揺が残りながらもミーティングは終了となった。

 

 

 

 

 

 

 ミーティング終了後、悠月たちトランペットパートは中世古の提案で集まれる面子で先程滝から伝えられた課題曲と自由曲の音源と譜面の確認をしようということで集まっていた。

 

 流石中世古と言ったところか、全員がいつものパート練習の場所に集まっていたのだが、皆の顔はどことなく固さを感じさせた。それもそうだろう。この二曲の選曲は、明らかにトランペットがうちの強さですと滝が言っているようなものだからだ。

 

 そしてそれは、トランペットパートの悠月たちへのメッセージと言えた。仕上げてください、という。

 

「明確に、滝先生はトランペットを強みだとしてますね」

「失敗したら、目も当てられないね」

 

 悠月の言葉に頷いた中世古は、苦笑いを浮かべて弱気とも言えることを口にした。それもそうなのだが、乗り切るしかないだろう。ライバルとなってくる高校は仕上げてくるわけだから。

 

 高坂は相変わらず会話に参加することはなく、音は出さずに譜面を確認しながら運指を確かめている。あの指の動きを見るに、見ている所は───。

 

(───ソロパート、だよな。ここだよなぁ。演奏と関係ないところで面倒事が起きるのは避けたいんだけど。高坂さんはそんなの知ったことじゃなさそうだし、)

 

 そこで、悠月は視線を高坂からデカリボンが特徴的な吉川へと移した。

 

(吉川先輩だよなぁ。あれだけ包み隠さず中世古信仰を見せられると僕か高坂さんがソロに選ばれたときどんな行動を取るか……)

 

 信仰、と言えば聞こえはいいが、あれが狂信や盲信の類になった時絶対に面倒事になる。悠月は非常に不本意だが最悪譲ることも視野に入れて動くが、高坂はあの性格と協調性のなさから正論ではあるが失言とも取れる発言をしかねない。

 

 力技だが、問題を延焼させず鎮火するには悠月がソロになった上で上手く立ち回るしかないだろう。面倒くさい、非常に、非常に面倒くさいが、これをしておかないと全国大会出場は夢物語で終わってしまう。

 

「……ままならないな」

 

 自嘲気味に悠月はそう空気に溶け込みそうなほど小さな声で呟いて、譜面台に課題曲である『マーチ「プロヴァンスの風」』の譜面を置く。そして、軽くトランペットに息を吹き込んでから、チューニングを始める。

 

「もう吹けるの?明瀬君」

「ああ、うん。課題曲はこれになるだろうなと思ってたから」

「予想してたの?!これになるって……?」

 

 悠月の様子を見ていたのだろう吉沢がそんな質問をしてきたので悠月は特に何か考えるでもなく応えると、驚愕を表情と声音に乗せて声を上げた。その声は周囲にいたパートメンバーへの耳へと届き、同じように質問を悠月へとぶつけた。

 

「吉沢さんが言ったの本当?明瀬君」

「ええ。まあ」

 

 それから、悠月は簡潔に思考の開示を行った。課題曲のⅢとⅤは難易度が高く明静工科などの名門でないと手に負えないだろうこと、ともすればⅠ、Ⅱ、Ⅳから選ぶことになるのだがその中で北宇治の長所を遺憾無く発揮できるのがⅣだったことを口にした。

 

「課題曲の発表自体はもっと早くにされてましたから、北宇治ならどれが一番いいかなと思って考察してたんです」

 

 悠月はそこで一度一呼吸置いて、まあ、と続ける。

 

「この曲も転調など要所が各楽器でありますし、中でもトランペットはかなり重要でしょうが、トランペットは大丈夫でしょう。皆さん上手ですし乗り越えれますよ」

 

 悠月はそう締めて、感心した様子のパートメンバーを他所に譜面を見据えて、その譜面に込められた情景を思い起こしながらトランペットに息を吹き込むのだった。

 

 その音色は、悠月の懸念など知らないとばかりに真っ直ぐで透き通っていて、その懸念を吹き飛ばすようなものだった。

 

 

 

   ◇◆◇

 

 

 

「そういや悠月さ。発表された当日に吹けるようになってんのどういうことだよ。知ってたのか?」

「知ってた訳じゃないけど、なんとなくⅣだろうなって」

 

 帰り道、生温い風に吹かれながら悠月は、秀一と共に京阪宇治駅、「茶畑」をイメージしたデザインらしい独創的な駅舎の階段を降りながら雑な会話を繰り広げていた。

 

「んじゃ、俺こっちだから。また明日な」

「ん。また明日」

 

 秀一と別れてか悠月はのんべんだらりと宇治橋の上を渡りながら車道を走る車の喧騒を右耳で捉えながら宇治川を見下ろしていると、そこそこ優秀な夜目が遠くの街灯によって照らされたベンチに腰を下ろす見覚えのある姿を捉えた。

 

 目を細めてかすかに鮮明になったその姿に、悠月は眉を顰めてその名を呟いた。

 

「……斎藤先輩?」

 

 こんな時間にあそこで何してるんだという疑問はあったが、自分とは無関係だろうとは思いつつも心配が勝り悠月は歩くペースを早め彼女の元へも向かう。

 

 途中でアスファルトで舗装された道から外れ、土の道を歩いて行く。そして、とうとう斎藤の座るベンチを照らす街灯の光の幕の中へと入ると彼女もこちらに気づいたようだ。

 

「こんばんは。斎藤先輩」

「君はトランペットの、明瀬君、だよね……どうしたの?」

「宇治橋からこの川を眺めてたら貴女の姿が見えたものですから。何か思い詰めた表情をしているように見えますが、何かお悩み事なら聞きましょうか?少しは楽になるかもしれません」

 

 踏み込みすぎては行けないのだろうが、こうも思い詰めた表情を見かける度に見ていると心配が勝る。いくら他人に興味関心がないと言われたことのある悠月でも全く他人に目を向けないわけではない。

 

 しかし、同じ学校、同じ部活の三年と一年とは言え、他人は他人だ。斎藤は不信な色を隠せていない目と取り繕っているのが見え見えの笑みを貼り付けて明確な一線を引いて悠月を拒んだ。

 

「……君には関係ないことだよ」

「そうですか。ですが、自分も男子ですから、女子高生を一人にする訳にもいきませんね。ちょくちょくストーカー被害も聞きますから」

 

 今更そんなことでは気を害さないが女子をこんな時間に一人にして見て見ぬふりして帰るというのは男の沽券に関わる。それに、ここで素直に引き下がって斎藤の身に何かあればこちらとしても気分が悪い。

 

「それに、純粋に心配が勝ります。サンフェス以降、斎藤先輩ずっと思い詰めた表情してますから」

「……私、後輩に心配されるくらい酷い顔してたんだ」

「…………」

 

 斎藤はどういう逡巡があったのかは分からないが少し座る位置を端に寄せて空いたスペースをポンと手を叩く。それに悠月は首を傾げると、斎藤から声がかかった。

 

「悩み、聞いてくれるんでしょ。聞いてってよ」

「……分かりました。では、失礼します」

 

 そう言って学生鞄を間に二つ挟んで悠月も腰を下ろす。

 

 こうして見て見て初めて知ったが、夜の水面に光が反射してまるで星空のように輝いて見える風景に悠月は素直に綺麗だ、という感想を抱いた。

 

 悠月が見とれている間に逡巡している様子だった斎藤が口を開いた。

 

「私さ、北宇治が第一志望じゃないんだ。本当は。だから、大学では第一志望に行きたいの」

「……なるほど。北宇治の今年の変化は斎藤先輩にとってはあまり嬉しくない変化かもしれないですね。だって、以前までの体制の方が勉強時間は取れる訳ですし」

「……ううん。そういう訳でもないの。今の一年や去年我慢した二年がちゃんと吹奏楽に取り組める環境になったのは喜ばしいことだと思う。それに、私の勉強時間が確保できないからってこの体制に文句を持つのは身勝手でしょ」

 

 そこまで聞いて、悠月は秀一のある言葉を思い出した。そして、色々と点と点が繋がっていく感覚を覚えた。

 

『優しい人』

 

 その人物評価は正しかったということだ。そして、今の斎藤の言葉に三年が出てこなかったことにも、彼女の優しさが出ているのだろう。

 

「もしかして、斎藤先輩は去年の騒動に対して自分たちの学年が何もできなかったことに申し訳なさや後悔、怒りみたいなものを持っているんですか?」

「どうして……?」

 

 悠月の推測も含んだ質問に対し、なぜ分かったのとでも言いたげな様子で斎藤は露骨に目を見開いてこちらを見て動揺を見せる。当たりだったか、と悠月は判断しつつ口を開いた。

 

「だって、今三年を出さなかったでしょう?それってつまりは今の三年がこの環境で吹奏楽をしていることにあまりいい思いを抱いてないのかなと思いまして」

「……そうだよ。私たち三年は去年、二年生の集団退部を引き止めることができなかった。その結果、二年生の大半が退部してしまった。私たちの中にも三年生を説得しようとした子もいたけど、大半が今の体制でいいという人ばかりだった」

 

 所詮部活動という意識で入部した生徒もいただろうし仕方ないのでは。最終的に辞める判断をしたのは二年なのだからそこに対して斎藤が申し訳なさだったりそういったものを感じる必要はないのでは。というか、他人の決定に対しそれが自分のせいでというのはそれは傲慢というやつでは。などと思う悠月だが、斎藤が求めているのはそんな言葉では無いだろう。

 

「つまり、斎藤先輩は吹奏楽をしたかったのに退部していった二年生のことを思えば三年の自分たちが今になって全国大会出場を目指して練習をするのは都合が良すぎる。そう言いたい訳ですか」

「そういうこと、になるね。だってそうじゃない?自分たちは去年退部していった子達に何もしなかった、何もできなかったのに今このタイミングで自分たちは頑張りますなんて、そんなのうのうとする権利なんてあっていいはずがない」

 

 しかし、そうか。つまり、斎藤は受験が忙しいというのも本音ではあるが本質的には自分たちのした罪に対して、斎藤はその真面目さから何かしらの罰を受けたかったのだろうと、悠月は思った。

 

「だから、これから練習で拘束時間も増えること、過去のことを踏まえて、色々考えれば退部した方が良いのかなって思うようになっていった」

 

 真面目な人だ、と思うと同時に勿体ない、と悠月は思った。そして、こうも思った。斎藤の言い分は悪く言えば、自分が楽になりたいだけの自己満足でしかない。だが、ここで言うべき台詞はこの心優しき先輩を追い詰める言葉ではないだろう。

 

「斎藤先輩。僕の中学の頃の話なんですけどね」

「え……?うん」

「受験を控えたその同期が部を退部したいと言ったんです。その子。最終的にどうなったと思います?」

 

 藪から棒な質問に対し斎藤は困惑気味だったが、何とか答える。

 

「部を辞めたんじゃないの?受験だって控えてるんだし」

「その子。全国大会が終わって僕らが引退するまで部に顔だしてくれたんです。勿論、頻度は週に一回ほどで、それ以外は受験勉強に充てていました。オーディションは参加辞退の上で、メンバーから漏れた子達のフォローとその後の技術指導に協力してくれました」

 

 これが以前、松本と話した時にした話だ。勿論、その子は楽器を、吹奏楽を辞めることなく第一志望に合格していた。そして、今でも楽器が好きで吹奏楽部に入っている。

 

 何が言いたいのかと言うと。そう前置きをして、最終的には斎藤に選択肢を委ねる形で、悠月は斎藤に提案を投げかけた。

 

「そこで、です。罪だと思うそれに対する罰の受け方を、退部という形の断罪での罰ではなく、贖罪という形の罰で今いる僕たち下級生に貴女の経験とその実力を継承していただくことはできませんか」

 

 この提案は吹奏楽部のため。ひいては全国大会出場という利己的かつ部の目標達成のため。誰かが欠けるとその影響は大なり小なりあるものだから。

 

 つらつらと出ていく弁舌には悠月自身でも呆れ返る思いだ。どこまでも損得勘定が思考のどこかにくっついていることに悠月はろくでなしな自身に対して内心で自嘲の笑みを浮かべた。

 

 こちらをじっと見ている斎藤と目を合わせたまま、悠月は続ける。

 

「貴女のその優しさと真面目さ、責任の強さといった人柄はあまりに部から居なくなるには惜しい。それに、それだけでなくとも貴女という、『斎藤葵』という三年生に部にいて欲しいと慕っている人もいます。だから、ただ単に辞める辞めないの二極の選択ではなく第三の選択を持っていただきたいんです。勿論、受験も人生のかかる選択ですから、こちらから無理強いはしません」

「…………」

 

 一つの選択肢として、持っていただければ嬉しい。そう悠月は告げて、最後にもう一つだけ質問を繰り出した。

 

「斎藤先輩は、テナーサックス、吹奏楽は好きですか?」

「…………」

 

 目を伏せ、思い詰めた表情ではあるもののここに来た時とは違ったそれに悠月は一度に問い詰めすぎたかなと思いつつ、口を開いた。

 

「答えがもし見つかったら、今後については先生方に、最後の質問はいつか僕に言ってくれたらどんな答えでも聞きます。ただ、斎藤先輩が後悔しない選択肢を選ぶことを祈ります」

 

 そう言って、悠月は立ち上がって斎藤へ頭を下げた。

 

「すみませんでした。後輩が先輩の個人の事情に出しゃばっちゃって。あと、話を聞くといいながらこちらが話しちゃって」

 

 そう謝罪を口にして、悠月は楽器ケースを背負い学生鞄を肩に掛ける。すると、楽器ケースを引っ張られる感覚に後ろに仰け反った。

 

「女子高生を一人にしないんでしょ?近くまで送って。あと、さっきの二つの答え。前者は明日顧問の二人に伝えたあと、そのあと皆に伝える。後者は、まだ分からない。もしかしたら卒業までかかるかも」

「そうですか。そのくらい待ちます。ゆっくり考えてください」

 

 そして、じゃあ、帰ろっか。という斎藤の言葉によって二人は帰路を辿る。

 

「ありがとう」

「いえ」

 

 

 




部員の人数はアニメ準拠とさせていただきます。というわけで、一年生が23人(主人公込み)、二年生が14人、三年生が28人の合計65人です。


ありがとうございました。


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