投稿遅れてしまい申し訳ございません。楽しみにしてくださっている方お待たせ致しました。
今週はこの一話になる可能性が高いです。
翌日の練習後、一度帰宅した悠月は徒歩で京都でも富裕層から庶民層まで幅広い客層に人気のある随一の老舗呉服店へ足を運んでいた。実はこの呉服店、奏の母方の家系が代々経営してきた呉服屋らしい。
『私の実家、と言ってもすぐ近くなんですが呉服屋を経営しているんです。折角ですし、浴衣で揃えませんか。お母さん、悠月先輩と会いたがってますし、OKもらえますよ』
昨日の夜帰ってから電話した際にされたその提案に悠月は一度断ったのだが、レンタルもできるという言葉と『駄目、ですか……?』という目を潤ませながら小首を傾げて上目遣いで見られるという駄目押しによってあえなくその提案を受けることとなった。
初めは仮にも商売道具なのだからと言ったのだが、レンタルなら貸出前提のため遠慮は要らないと言われてしまってはこちらとしても断りがたい。
そんな電話があり悠月は奏の母方のご実家が経営しているという呉服屋───自宅から思ったより近かったことに驚いた───に訪れたのだが、悠月は今着せ替え人形にされていた。
事の経緯は約半刻前に遡る。
◇◆◇
「いらっしゃい……あ!もしかして貴方が悠月君?」
悠月は友人の家にお邪魔する時のような少しの気まずさを感じながら、恐らく正絹素材なのだろう豪華な刺繍がなされた本振袖がショーウィンドウの中にシンボルのように飾られた呉服屋に入ると、自身のことを知っている口振りの言葉が悠月の耳に届いた。
目を店内の奥に向けると、奏によく似た綺麗な黒髪を後頭部で纏め着物を綺麗に着こなした美麗な女性がこちらを見ていた。
「あ、そうです。僕のことご存知なんですね」
「ふふ。おかしなこと聞くわねぇ。娘から話はよく聞いています。奏の母です。お義母さんって呼んでくれていいわよ」
「……久石さんのお母様でしたか」
「そんなに改まらなくてもいいのに〜。貴方には娘がよくお世話になっているのだし。ありがとう。おかげで奏、学校がとても楽しそうなの」
見た目は姉妹のように似ているのに性格とか気質が奏と真反対だ。なんというか、とても緩い。この親からあれだけしっかりした子が生まれたことに驚きすら感じる。
「いえ、僕の方こそ彼女には本当に支えて貰いましたから。僕の方こそ彼女には感謝が絶えません」
「そう言ってくれると奏も喜ぶわ〜」
謙遜混じりに社交辞令のような会話をしていると、不意に奏の母は笑みを深めた。そして、「さて、」と何やらノートをぱたんと閉じて立ち上がった。
「話は聞いてるから、まずは、採寸からしましょうか〜」
「採寸ですか?」
「そうよ〜。まずは貴方に合うサイズを探さないとでしょう?」
「確かにそうですね。では、よろしくお願いします」
「流れに身を任せてくれていいからね。腕によりをかけるわ」
「…………?」
悠月はこの時の奏の母の言い回しに違和感を覚えたが、呉服に関して知識の浅い悠月はこれが普通なのだろうと深く考えることをせず流した。
これがいけなかった。ここから、奏の母の暴走が始まってしまった。
◇◆◇
そんなことがあり、現在に至る。
「お義母さん。これ、完全にレンタルでしないことですよね……?」
「ん〜?なんの事かしら?」
こ、この人以外と強情だな。と悠月は頬をひくつかせた。まさか、お義母さん呼びを半ば強制されることになるとも思わなかった───「お義母さん呼びしないと質問を受け付けません」なんて脅迫をされるとは思いもしなかった───し、仕方なくお義母さん呼びで質問を投げてもものすごく朗らかな笑顔で「んふふ〜」なんて言葉尻に音符がつきそうなテンションで無視され続けるとも思わなかった。
というか、なんで母娘揃って甘え上手なんだ。奏が処世術だとか自分をよく見せる為の行動とか理解して行動できてるのはこの母が居たからかと納得させられた。これぞまさにこの親にしてこの子ありと言うやつなのだろう。
物の見事に一杯食わされたと思いつつ、これはもうどうしようもないと「これも似合うわねぇ」「あら、こっちの方がいいかしら」なんて独り言を言う奏の母に着せ替え人形として好き放題されていると、正面出入口の自動ドアが作動し丁度帰ってきたばかりなのだろう奏が制服姿で現れた。
彼女は、こちらの姿に気づくやいなやぱあっと表情を明るくしてぱたぱたとこちらに駆け寄ってきた。
「あ!悠月先輩!もう来てらしたんですね」
「あ、ああ」
それに悠月は数秒の間は頬を緩ませたが、現状を思い出して奏に問い詰めるように質問をした。
「それより奏、お義母さんになんて説明したんだ?レンタルのつもりできたんだけど」
「あ、ちょっとお母さん。悠月先輩にいつもの発揮しないでよ」
「だってこんなにいい素材があるのよ?レンタルしてはいおしまいは勿体ないじゃない」
「……」
なんというか、いろいろ言いたいことがあった悠月だったが、この人にとっての普通の日常なのだろうと思うと留飲を下げるしかないなと喉元まで出かかっていた言葉を飲み込んだ。それを奏も察したのだろう、申し訳なさそうに眉を下げて悠月を見た。
「もう……少女趣味というか浪漫趣味というか、すみません。お母さん、呉服を着こなせるいい素材、もとい格好良い男性や綺麗な女性のお客が来たらいつもこうなんです」
「へ、へぇ」
それはまたなんというか、悠月もしても拒みづらいなと思ったのだが、まさかの奏の母がそれを否定した。
「それだけじゃないわよ~」
「そうなの?お母さん」
「悠月君が来たときに思いついたの。悠月君宣伝のモデルになってくれないかなぁって」
「……はい?」
もでる、モデル、と悠月はその単語を反芻しているうちにその言葉の意図を理解して、驚きと拒否の声を上げようとしてそれを奏の母が遮った。
「今回のレンタル代プラス今見繕ってる三枚分の料金をチャラにするって条件でどうかしら」
「……!」
悠月にとっては喉から手が出るほど欲しい条件だ。しかし、冷静に考えなければならない。悠月は言葉を絞り出した。
「……その分の利益は何処で回収するんですか」
「貴方がモデルになったことによる宣伝効果から見込まれる増加利益からでしょうねぇ」
「楽観的なのでは……?」
「先行投資と思えば安いものよ~」
この人、経営手腕もちゃんとあるのか。と悠月は意外そうに思っていると奏が豆知識を挟んできた。
「お母さんこんなでも一橋経営出身みたいなのでそのあたりの経営手腕はちゃんとありますよ。意外ですよね。こんな感じなのに」
「意外って何よ~」
その手のことには疎いのではという偏見があった。最後に付け加えられた一言に奏の母は頬を膨らませている。年齢は存じ上げないが、なんで中学三年生の子を持っている人がそれだけ似合ってるのか不思議である。
「悠月君何か失礼なこと考えてない?」
「いえ。そんなことは決して」
悟り妖怪かこの人は、と悠月は内心で冷や汗をかく。
話を戻すが、その利益はしっかり回収できるだろうと悠月は思っていた。
先ほどから視界に映っていた壁に貼られたポスターにちらりと目をやった。オーダーメイドは相場何十万で最高は百万を超えているものもあるし、庶民でも手を出しやすい価格帯のものやレンタルまで手広くやっている。そのうえ、この呉服屋は奏の言葉では長く続いている老舗だ。それに、他のポスターにも目をやれば、ちゃんとSNS運用やインターネット販売も行っている。
奏の母の頭の中にはその利益の見込みをしっかりと計算できているのだろう。そして、追い打ちをかけるように奏の母は続けた。
「なんなら、その利益で今回チャラにした分を完全に回収できたのならそれ以降の利益から月毎の契約更新での起用料を払うことも条件に加えてもいいわねぇ。どこかの企業のタレントに頼むと起用料が跳ねるのよねぇ。受けてくれたらうちとしても助かるのだけれど」
ごくり、と生唾を飲み込む。悠月の頭の中は今休む暇なく思考が駆け巡っていたが、悠月は瞑目してから口を開いた。
「お話、受けさせてください」
「やった。よろしくね、悠月君」
「……はい」
断る理由も特になく、広告塔となるだけで得られるものが大きすぎる。悠月の選択肢は「はい」か「イエス」しか用意されてなかった。
「すみません。強引な提案に乗っていただいてありがとうございます」
「いや、いいよ。僕としてもいいお話をいただけたから受けただけのことだしね」
申し訳なさげな声と表情の奏に悠月はうっすら笑みを浮かべて告げる。すると、奏の母が話し出した。
「悠月君がこの話に乗ってくれて嬉しいわ。うちの顧客層って女性がほとんどなの。だから、悠月君をきっかけに男性にも興味を持ってほしいの。最終的にうちの商品を手に取っていただけたら万々歳ね~」
「なるほど」
「振袖だったり袴だったり、確かに女性のイメージが強いっていう顧客心理も分かるのだけれどね、そうじゃないのよ。男性だって着るものなんだって言うのを伝えるためのきっかけになってほしいのよね。それに、元々呉服は普段着として使えるものなのよ。呉服の持つ魅力と美しさを皆に知ってもらう機会にしたいの。まあ、シャツに短パン一枚が楽なのは分かるんだけどね。奏もそうだし」
「ちょ!お母さんっ!私を引き合いに出さないで」
唐突に槍を投げられた奏が奏の母に抗議している。それをよそに、今奏の母が言ったことに悠月は軽く感動していた。奏の母の言葉の節々から呉服に対する愛情と熱い思いが伝わってきたからだ。
お互いにウィンウィンだし、と受けたものが積極的に協力したい悠月はそもそもここに来た目的を思い出し、本題を口にした。
「あの、そろそろ今日の本題に戻りたいのですが」
「あ、そうだったわね~。すっかり忘れてたわ~」
先ほどの熱い色を乗せた目は何だったのかと思わされるほどの切り替えに悠月は驚いたが、奏の母が立ち上がったのを見て悠月も姿勢を正した。
「じゃあ、あなたに合う、似合うものを持ってくるわね。ほら、奏も準備してらっしゃいな」
「あ、うん。分かった。じゃあ、悠月先輩。少し待っててください」
「分かった」
悠月にそう声をかけて店の裏に姿を消した奏を見送ると、それと入れ違いで奏の母が戻ってきた。
「本当は奏の隣に立つ人なのだからもっとあなたに合ったいいものを準備したかったのだけれど、今はこれにするわね」
「ありがとうございます」
そういって奏の母が抱えて持ってきた浴衣の色を見て悠月は奏の母に話しかけた。
「その色、サンドル・ブルーですか?」
「お、知ってるのね~。和名は千草色って言うのよ。藍染による浅葱色と花色の間の色調で、重ね染の下地色としてよく使われていたとされているの~」
「へぇ。勉強になります」
「着付けの仕方も覚えて帰ってね」
「分かりました」
その後、奏の母の実演を交えながらの説明に相槌を打ちながら記憶しようとフル稼働させ、着付けが終わった。
そして、今は奏を待つために店内の商品を見ながらうろついているとおそらく下駄とフローリングがぶつかるカツ、カツという音が店の裏から規則正しい足音に悠月は奏が来たのだろうとその音の方向を向いて、一瞬、息を忘れた。
薄く施されたメイクは可憐な容貌を更に引き立たせ、淡い桜色を基調として梅の刺繍がなされた浴衣を身に纏い白の作り帯を巻いたその姿は、座ってはいないが立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花と言うに相応しい優美さと可憐さを併せ持っていた。
時を忘れてしまうほどの魅力に思わず息も忘れ見惚れていると、ほんの少し頬を染めた奏が気恥ずかしそうにそっぽを向いてリップによって桜色の彩りを纏った唇を動かした。
「いつまで黙って見てるんですか……?精一杯おめかしした後輩に何かないですか」
「っ、ごめん」
その言葉に、悠月ははっとして奏と目を合わせる。そして、あらゆる誉め言葉を引き出そうと思考を加速させる。
「……凄い似合ってる。今まで見てきた何よりも綺麗だよ」
「~~ッ!ありがとうございますっ」
頭を最大限稼働させて出てきた表現がありふれた言葉とは悠月は頭を抱えたくなるほど自分が情けなく思った。だが、花が咲くように満面の笑みで感謝を口にした奏を目にして、悠月は頬を緩ませた。
「じゃあ、行こうか」
「はい」
その言葉と共に自然と出ていた手を、小さくひんやりとした手が重ねられた。
それから数分。手は繋がったまま、まったりと歩いているうちに二人は露店が色々出ている通りまでやってきた。通りはとても多くの人で賑わっており、空腹感を誘う香ばしい匂いが鼻孔をくすぐらせた。
「人多いですね。やっぱり」
「そうだね」
「そういえば、悠月先輩って人混みダメなんでしたっけ。大丈夫ですか?」
「大丈夫だよ」
思い出したようにはっとした表情を浮かべてからしゅんとした表情へと変わる奏に、せっかく楽しんでくれているのだから楽しんだまま終わって欲しいしいい思い出として残してほしいという願望から悠月はそう返し空気を変えようと話題を変える。
「奏は何か食べたいのある?」
「ん~。悠月先輩晩御飯まだならいろいろ買ってシェアしませんか?」
「いいね。そうしよっか」
それから、あれやこれやと買っているうちに、両手がふさがっていた。悠月は両手に抱えて祭りの喧騒から少し離れた場所へと足を運んで丁度空いていたベンチへと腰を下ろした。人の密集によって発生した熱から離れたからか、心做しか涼しさを悠月は感じていた。
ちなみに代金は悠月持ちだ。元々浴衣のレンタル代込みで予算を財布に入れていたから予想していたよりも出費は少なかった。
「ありがとうございます。代金出してもらったうえ荷物持ちまでしていただいて」
「気にしないで。僕はある程度自由に使えるけど奏はそうじゃないだろうし。それにお義母さんの計らいで元の出費よりはかなり少ないから」
「お母さん、迷惑じゃなかったですか?」
「全然。むしろ呉服好きなんだろうなってのがよく伝わったよ。何かを一途に愛してるところに親近感湧いた」
「呉服好きというか呉服狂いというか……悠月先輩もトランペット好きですもんね」
「勿論」
実際、迷惑でも何でもなかった。むしろ、ありがたいお話をいただけたと思っている。どうして悠月にそんな話を持ってきてくれたのか不思議ではあるが、奏の母にも色々事情があったのだろう。「事務所所属のタレントは~」なんて言ってたくらいだしなにかしらしがらみでもあるのだろう。
「でも、よかったんですか?顔広まっちゃうことになると思うんですけど」
「まあ、そのあたりはどうにかできるさ」
そんな楽観的な言葉の後、「温かいうちに食べようか」という悠月の言葉と共に二人は祭りの雰囲気を楽しみながら料理に手を伸ばした。
空いたプラスチックの箱をビニール袋に入れ、捨てるために悠月が一度離れ戻ってくると心配していたことが案の定起きてきて深くため息をついた。離れたのなんてほんの数分なのになんでこうなるのか。というのも。
「君かわいいね〜。俺らと遊ぼーよ」
「人を待ってるので、すみません」
「そんなこと言わずにさ〜。ね、名前なんて言うの」
ナンパである。なんでこう、あの手の下品な笑みを浮かべた輩共はナンパの時の台詞が似ているのか不思議でならない。脳が猿だから仕方のないのか、そんな少し頭に血が昇っている状態で過激な考えが頭を過ぎったが、まずは奏を引き離さなければなるまい。
そう考えて歩みを早め、奏を背に隠す形で間に割り込んで完全なる余所行きの笑みを浮かべて男共を見る。
「すみませんね。その辺にしておいて貰えますか?」
「誰?お前。野郎に興味ないんだけど」
「そうですか……それで、僕の連れに何か用か?」
こっちも興味ねぇよと思いつつ、下手に出たらつけ上がりやがったお山の大将やってるのだろうリーダー格の男の発言に沸々と沸いて出てくる苛立ちを腹の中に隠して笑みを浮かべこの場を乗り切るための台詞を告げると、どういう訳か男共は怯んだような目を悠月に向けてきた。
「……ちっ!行こうぜ」
リーダー格の男が最後に舌打ちをして去っていくのを見て心の中で舌打ちをし返していると袖がくいっと引っ張られた。
「ありがとうございます。守っていただいて」
「いや、ごめん。一人にすべきじゃなかった。何もされなかったか?」
「はい。悠月先輩が早く戻ってきてくれたので、この通り無事ですよ」
その言葉にほっとして、悠月は苦笑いを口元にうかべて謝った。
「ごめん。嫌な思いさせちゃって」
「気にしないでください。駄目ですよ?気にしすぎも」
「ありがとう」
悠月はそう感謝を口にすると、奏が可愛らしく小首を傾げて口元に手をやりながら小悪魔的な笑みを浮かべていた。
「かっこよかったですよ?」
「そう?ありがとう」
「……言われ慣れてますね」
「まあ、ねぇ。その手の褒め言葉はよく聞くからさ。別にだろって思うけど」
本当にその手合いの褒め言葉は言われすぎて最早価値を感じなくなってきた。勿論、褒め言葉に対して感謝はするが、何処か薄っぺらく感じてしまう。好きな人に言われたらまた違うのだろうか。人から恋愛感情を向けられることはそれなりにあるとは思うが、如何せん悠月から誰かに恋愛感情を持ったことがないから理解が及ばない。
「先輩って案外自分の容姿に関しては無頓着ですよね。お洒落はしてるのに」
「清潔感を心掛けて身なりを整えるのは最低限でしょ。お洒落は、困らない程度にしてるつもりはある」
印象は大事だ。そのための努力はしなければならないと悠月は考えているから、そこにはお金をかけている。とはいえ、何千何万もするハイブランドには手は出さないが。この情報社会、調べればいくらでも出てくるからそこから選べばいいのだ。
そこからも色々と話をしていると、話題が悠月のいる北宇治の話へと移った。
「そういえば、北宇治の吹奏楽部。凄い変化でした。サンフェスでの演奏には驚かされました。悠月先輩が何かしたんですよね」
デジャブだ。そんなことを感じた。サンフェスで同じような質問をされたことを覚えている。断定する言い方をした奏に信頼が厚すぎるなと思いながら苦笑して悠月は同じ返答を口にする。
「いや、僕は何もしてないよ。部を変えるきっかけになったのは間違いなく顧問が変わったからだね」
「顧問が変わっただけでそんなに変わります?北宇治って昨年までの演奏聞くに部内状況悲惨なのだと思ってたんですが」
「ははは……」
歯に衣着せぬその評価に悠月は乾いた笑いを上げる。奏の観察眼と洞察力には本当に驚かされる。
「でもそれ正解。どうにも新顧問の反骨心を煽ったのが上手くいったみたいだ。サンフェスの一週間くらい前からはそれ以前とは全く違う部だよ」
結果的にうまくいったのだだけだろうが、経緯はどうあれ滝は部員をその気にさせたのだから成功だろう。
「本気で全国目指せるよ。果てしなく遠いけど」
「なるほど。では、私たちだけが行くことになることにはならなさそうですね」
「それ発破かけてる?」
「さあ、どうでしょう」
しばらく悠月は奏を見つめ合っていると、段々と奏の顔に朱が差していくことに気づいた。
「どうかした?奏、顔赤いけど」
「い!いえ。多分、久しぶりに浴衣着るので、少し暑くて……っ」
「そう……?」
動揺した様子で手をパタパタと振る奏に悠月は眉を上げて不思議に思うが、確かに人混みから離れ熱気はマシになりもう日が落ちたとはいえもう六月、本格的な夏の暑さになっているのだ。
珍しく奏の動揺する姿が見れたことに何故か嬉しさのようなものを抱きつつ、奏に問いかける。
「この後、どうしようか。もう少し見て回る?」
「あ……すみません。私一応門限があって……」
「あ、門限か。忘れてたな。そういえば僕も浴衣返さないとだし、少し早い気もするけど帰ろうか」
これだけ祭りを誰かと楽しんだのは久しぶりだったからとても満喫できた。それこそ小学生以来だし、ここまで楽しめたのも一緒に来たのが奏だったことが一番大きい。
彼女が楽しんでくれたかは分からないが楽しんでくれていたら嬉しいなと思いながら、悠月は鞄から包装に包まれたあるものを取り出して奏へと差し出した。
おずおずと出てきた手のひらにおいて悠月は腕を引っ込めると奏が不思議そうな顔をしながら悠月と目を合わせた。
「これは?」
「開けていいよ。プレゼントみたいなものかな。何か形として思い出を残せたらと思ってさ」
「……これ、ストラップ……?ユーフォと、梅の花ですか?」
「今日偶然見つけてさ。奏にぴったりだなぁと思って」
女性に何かを贈るなんてお歳暮やお中元を除いてしてこなかったから、内心不安に駆られながら奏を様子見ていた。すると、きゅっと握りしめたストラップを胸元で大事そうに抱えてはにかむように微笑んだ。
「ありがとうございます。大事にしますね」
「ああ。どういたしまして……」
その笑顔を見れただけでも今日来てよかったなと思えた。
「また、ご一緒できますか?」
「君が望むなら、いくらでも」
この日はその後、一度服を取りに戻るのと借りた浴衣を返すために───本当は洗って返すのが礼儀なのだが、悠月はこういった呉服の洗濯の仕方を知らない───呉服屋へと一度戻り、解散となるのだった。
そして───。
「───では、オーディションを始めます。」
次の曲が、始まるのです。
◇◆◇
彼の浴衣姿を見た時、心臓が跳ねるのを感じた。そして、顔を耳に熱が集まるのも。
普段はノーセットの分けていた毛流れセンターパートの左側を耳にかけ、母が少し手直しをしたのだろう注視しないと気づかないくらいの薄いメイクを施した容貌、千草色の浴衣からちらりと露出させた日焼けの知らない白い肌と項からは妖しい色気を感じさせた。
常に押し付けがましくない程度の気遣いと気配りなど素で行っているのだろう行動と不意に見せる仕草は、とんでもない人たらしだと思った。これで本人は天然でしている上恋愛感情を持ったこともないというのだからこの人を好いた人は大変だろう。
もっとも、私にもそういった感情がないと言えば嘘になるが、今はまだ敬愛だと思っていたい。
しかし、手を繋ぐことになるとは思ってもみなかった。彼も自然と出してしまったのか一瞬戻そうとしていたが、そうはさせぬとその手に自身の手を重ねた。
私と彼の身長差は大体30cm弱。180に少し届かないくらいの彼とギリギリ150に届くくらいの私だ。その分手の大きさにも違いはあることを実感した。
当然、歩幅も違えば歩くペースも違うのだが、彼が私側に合わせてくれているのがよく分かりその時は本当に気遣い上手な先輩だなぁと思った。
彼が見せる真剣な表情は本当にその目を向けられた者は一瞬で落ちてしまうのではないだろうか。今回は自分には向かなかったが、彼の本当に心配そうな表情が私に向いたので良しとする。
ナンパしてきた男の人に向けた、少し怖くも見える一切笑っていない鋭い目と笑っているのに笑っていないその表情は、いっそ恐ろしさすら感じるほど冷たいものだった。あれだけは向けて欲しくないからそういった行動はしないようにしなければならないなと思った。
だが、その後まるで別人かのようにこちらを心配するように眉尻を下げた表情には、思わず独占欲に駆られてしまった。あのギャップは凄い。破壊力が高すぎる。
ああ、これを見るだけで頬が勝手に緩んでしまう。ユーフォニアムと梅の花のストラップ。彼がもし、この梅の花の花言葉まで知っている上で贈ってくれたのなら、彼が私のことをどう思ってくれているのかがよく分かるというものだ。
梅の花の花言葉は「優美」、「気品」、「高潔」、「澄んだ心」などだが、梅の花の色によってもその意味は姿を変える。
小さなその梅の花の色は、『白』。
意味は、「気品」、「澄んだ心」、「清らかさ」だ。
そして、私、久石奏の誕生日、1月7日の誕生花でもある。
「───〜♪」
『嬉しそうだねぇ』
「───はっ!」
『あ、戻ってきた?も〜……でも、こんな時間に惚気話なんて奏もリフレッシュできたみたいでよかったよかった』
「ご、ごめんなさい……少し舞い上がっちゃってたみたい」
『鼻歌歌ってたくらいだもんねぇ。写真撮ったんでしょ?明日見せてね』
「分かった」
それを最後に、電話は切れる。
携帯の画面には、彼から貰ったストラップを顔に持ってきている私と、画面に入るよう中腰に屈んで柔らかい印象を与えるいつもの笑みではなく、どちらかと言うと白い歯を見せてにっ、と少年のような笑みを浮かべる悠月先輩の姿のツーショットが映されていた。
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奏の家庭に関してはオリジナル設定です。こういう設定にした理由は以下の通りです。
・趣味が演劇鑑賞であること、全日本吹奏楽コンクールのためにわざわざ名古屋に足を運んでいること、自作の料理のほか、上質でお洒落な食べ物にも敏感なことが原作から分かるため裕福な家庭であることは確実。主人公のようにアルバイトをしている場合は除くが恐らくしていない。
・教養に富んだ趣味(演劇鑑賞や料理関係)を持っていることから両親も教養人?それかそういった知識を得られるものが傍にある?(インターネットや本など)あとは両親の影響?
・処世術としての折り目正しい振る舞いと丁寧な言葉遣いを身につけているとあるが、これは必要に迫られたか、身内にこれらをする者がいるから自然と覚えたか、あるいはその両方のため、ある程度格式高い家系?それとも接客業を両親がしており近くでそれを見てきた?
・性格形成の中で狡猾さや苛烈な言動が見え隠れするのは腹の中を探り合うような環境にいたか、身内のそういった姿を見てきたかなので恐らく格式高い家系が有力、もしくはそういった家系と関わることのある仕事を両親がしている。
以上のことから、
・母親は富裕層から庶民層まで幅広い客層を獲得している京都の老舗呉服店を経営。
・父は監査法人勤めから独立した公認会計士
という設定にいたしました。
ありがとうございました。
改めて、お待たせしてしまい申し訳ありませんでした。
次回、オーディションです。