想いを音色に乗せて   作:猫柳/nekoyanagi

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第016曲  プロフェッショナル

 

 

 

 北宇治高校吹奏楽部は関西大会への切符を手に入れた。十数年ぶりの快挙となるこの結果に、北宇治高校吹奏楽部は歓喜と笑顔に包まれていた。

 

 悠月の想定では立華、洛秋は当確でそのあとに北宇治が食い込めるか否か、というものだった。周囲の北宇治の演奏を聞いていたのだろう観客、特に十数年前の北宇治が強豪であった時代を知っているであろう大人たちからは「古豪の復活かぁ」「立華洛秋に匹敵するんじゃないか今年の北宇治」などなど嬉しい評価が聞こえる一方、競争相手であった高校の生徒達からは様々な声が聞こえてきた。

 

 こう言うとあまり良いようには聞こえないだろうが、これは通過点だ。これからは京都の代表として関西大会に向けてさらに磨きをかけていかなければならない。そして、関西大会までの時間はそれほど残されてはいない。

 

 見据える先が関西へと向きつつある中、悠月は青空を泳ぐように進む飛行機を眺めながら「あれ関空行きかな」などと関係ないことを思っていると、後ろから急にかかる体重に「うわ」と声を漏らしつつ前にふらついた身体を力を入れて踏ん張る。そして、後ろを見ようと振り向こうとして、聞き慣れた声が耳元で聞こえてきた。

 

「なぁにぼうっとしてんだよ。悠月。集合だってよ。ミーティングするって」

 

 後ろから肩を組んできたのは秀一だった。満面の笑みを浮かべる秀一につられるように表情を綻ばせた悠月は、秀一を引き剥がしつつ口を開いた。

 

「分かった。ありがとう」

 

 先ほど、集合はしたもののあとで再度ミーティングをするということで一度解散とし、自由行動となっていた。秀一はわざわざ呼びに来てくれたようだ。秀一を引きはがしつつ感謝を口にした悠月は何とも形容しがたい表情を浮かべている秀一が目に入り、首を傾げた。

 

「なに?」

「あんま喜んでない?」

「いや?ちゃんと嬉しいよ。ただ、関西までの期間を考えたらそううかうかしてられないしな」

「もう次見てんのかよ。真面目だなぁ」

「まだ見てないけど、関西で争うことになるだろう学校と比べると今の北宇治の地力が足りないのは確実だしね。京都の三校と関西の三校じゃ難易度が全く違うのは関西三強の音聞いてたらよく分かる」

 

 関西は全国レベルの魔境だ。地力で劣っている北宇治は吹奏楽に時間をかけることのできる夏休みがかなり重要となる。三出制度───正式名称「三年連続出場制度」。制度の概要としては、吹奏楽コンクールにおいて三年連続で全国大会に出場した団体は、翌年のコンクールに出場できなくなるというものだ。───があった頃なら全国大会に出場するという目的を達成するだけなら幾分か楽だったのだろうが、その制度が撤廃された今は大阪東照や秀塔大学附属といった高校と真正面から競争しなければならない。しかし、逆境ともいえるこの状況を楽しみたいと思っている自分がいることを悠月は感じ取っていた。

 

「その割には楽しそうじゃん」

「そうかな。そうかもね」

「すかすなって」

「すかしてないって。つか、暑いっ……!」

「なにしてるの?これからミーティングなんだけど」

 

 悠月の様子を見て感情の機微を捉えたのだろう秀一がそう言ってにやりと笑いながら再び肩を組んで来ようとする秀一を悠月は拒んでいると、呆れたような声色が聞こえてきて、悠月と秀一は取っ組み合った体勢のまま静止した。そして、そちらを見ると、呆れているのが表情によく表れている高坂と意外そうにこちらを見る黄前がいた。

 

「秀一と明瀬君って仲良かったんだ……意外」

 

 意外そうな表情でぽろりと零した黄前がうっかりしたように口を手で覆うが、悠月ははは、と小さく笑って応えた。

 

「確かにそんなに一緒にいることないね。登校の時くらい?」

「そんな意外かって思ったけどそうかもな。学校でも一緒なことあんまないか」

「パートもクラスも違うしね」

 

 というか、意外というなら高坂と黄前のコンビもなかなか意外ではなかろうか。高坂が上昇志向を抱いており、コンクールやトランペット、音楽に強い拘りがあることは悠月も知っていることだが、黄前は悠月の印象にはなってしまうがどちらかというとマイペース。高坂とは反対に位置する人間だと思っていた。

 

「俺からしたら高坂と久美子がいつの間にか仲良くなってることの方が意外なんだけどな」

 

 確かにな、と悠月も思う。この二人と秀一が同中出身だということは知っていたが、今ほど深まった仲ではなかったと記憶している。それに、高坂は傍から見ると割かし関わりずらい雰囲気を纏っている。事実悠月は普段教室で高坂が誰かと事務連絡以外で仲良く話している姿を見たことがない。

 

「そうかなぁ?」

「意外って程じゃないでしょ。何?嫉妬?」

「違うわ!」

 

 高坂の秀一に向けて告げたからかうような一言に悠月は思わず吹きかける。秀一の反応を楽しむように薄らと笑みを浮かべている高坂の表情を見るに、もしかして秀一の気持ちに気づいているのかもしれない。

 

 しかし、それを寸の所で止めた悠月は何時までも話している時間はないと、ちらりと集まり始めていた北宇治の部員たちへと視線を送ってから三人を見る。

 

「話すのもいいけど一旦戻ろう。皆集まり始めてる」

「あ、ホントだ」

「え?マジじゃん」

「……遊んでた人に言われたくないんだけど」

 

 手厳しい、と思いつつ肩を竦めていると「あ!あの!」という呼びかけに悠月はそちらを向くと、顔を赤らめて緊張した面持ちでこちらを見る洛秋の女子生徒とその後ろで「頑張れ~!」と小さな声で応援を送っている同校の三人の女子生徒がいた。

 

「明瀬悠月さんですよね!」

「そうだよ。何か用かな」

 

 悠月は秀一たちに先行ってて、と目配せをしてそれに秀一が頷いたのを見てから女子生徒の問いかけに答える。他校の生徒が自分に何の用だろうかと思っていると、その女子生徒は興奮を隠せない様子で前のめりになって言ってきた。

 

「今日のトランペットソロ感動しました!それと、北宇治の演奏も!関西も楽しみにしてます!」

「あ、ありがとう。洛秋も関西決まってたよね。頑張ってね」

「は、はい!じゃあ、失礼します。お話し中ごめんなさい!」

 

 そう捲し立てるよう言いたいことを言った女子生徒は満足したのか後ろで待っていた女子生徒たちと退散していった。それを見送った悠月は、早足で北宇治が集まっているところへと向かう。そして、秀一の隣へ立つと秀一から問い掛けられた。

 

「何だった?」

「北宇治の演奏感動したってさ。あと、ソロも良かったって言ってくれたよ」

「なんだ。悠月のファンかと思ったわ」

 

 秀一と無駄話を交わしているうちに、カメラマンの指示のもと写真撮影が始められるのだった。

 

 

 

 

 

 

 集合写真の撮影を終えた北宇治は再度ミーティングを行うために滝を囲んでいた。

 

「えー、何分こういうのが初めてのため何と言えばいいのか分からないのですが、とりあえず皆さん。おめでとうございます。それと、一旦はお疲れ様でした」

「いえ!むしろ感謝させてください。先生のおかげで関西大会に行くことができたんですから!皆、せーのっ!!」

 

 滝の言葉に掌を滝に向けて謙遜を口にする小笠原が、悠月たち部員へ視線を送り号令をかけた後、「ありがとうございました!」という威勢のいい声が空気を震わせる。これだけを切り取るとこれで終わり感が凄まじいが、まだ始まったばかり、ここからが正念場だろう。

 

「あ、はい。ありがとうございます」

 

 滝の反応は実に淡白なものだった。部員たちからの感謝を受け取った滝は、続けて口を開いた。

 

「私たちは今日、この瞬間から京都府代表です。それに恥じないよう研鑽を重ねさらに演奏に磨きをかけていかなければなりません。皆さん、その覚悟を持ってくださいね」

 

 その言葉に、皆の表情が引き締まるのを感じた。無論、それは悠月も例外ではなかった。道中にも見た涙を忘れてはならない。彼ら彼女らの夢も背負い、コンクールに臨むことが次に進むことが許された者の使命なのだから。

 

 それから、帰りのバスへと皆が乗り込んだあと、それぞれが思い思いの行動を取っていた。まだ興奮冷めやらぬと言った様子で会話を交わす者達や疲労からかぼうっとしている者や寝ている者もいる。かくいう悠月は体力には自信があったために疲れもあまりなかったために、空の半分以上が濃藍に染められ忙しなく移り行く建物群が映る窓の外を眺めていた。

 

 ぼうっとしたまま何をするでもなく時間の流れに身を任せているうちに、皆を乗せたバスは北宇治へと到着し、楽器の運搬など諸々を済ませて解散となった。

 

 それから悠月は、一度帰宅した後バイト先に足を運んでいた。

 

「おはようございます」

「お!悠月じゃーん!関西おめでと~!パパから聞いたよー」

「久しぶり。悠月君。関西出場おめでとう。」

「琴葉さんに琴音さん。来てたんですね。ありがとうございます」

 

 今、悠月が名を呼んだ二人の女性は叔父の娘の姉妹だ。姉の琴葉は兵庫の国立大学に在籍する医学部生であり、妹の琴音は東京の信濃町にあるキャンパスで姉と同じく医学に励んでいる。普段はそれぞれ琴葉は神戸、琴音は東京に住んでいるため顔を合わせるのは長期休暇が多い。

 

「二人とも帰省ですか?」

「まぁね~。お祝いがしたかったのもあるけど久しぶりに悠月の手料理を食べたいなぁと思ってさ」

「私も同じ理由。だけど、私は明日には東京戻るよ。練習もあるからね」

「悠月。久しぶりで会話盛り上がりたいのは分かるけど手伝ってくれ~」

 

 義姉たちと会話から近況報告を交換し合っていると叔父から声がかかったことで悠月は叔父に「分かった」と返す。

 

「じゃあ、準備してくる」

 

 それから悠月たちは会話を切り上げて、一度バックヤードへと入り制服へと着替えてから再びホールへと戻る。すると、義姉たちはステージで演奏をしているのを視界にとらえた。料理は演奏が終わってからでいいかと脳内で動きを考えつつ、視線をカウンターに移すと、先ほどまではいなかったカウンター席に座って叔父と談笑している一人の男の姿が目に留まる。

 

 割かしカジュアルフォーマルやオフィスカジュアルな服装の客がほとんどな中、その男は派手な色合いのアロハシャツに身を包んだ短く刈り上げた頭髪に肌を浅黒く焼きその顔に浮かべた笑顔は親しみやすい雰囲気を漂わせている。正直に言ってしまえば、かなり浮いてしまっている。だが、この店にはドレスコーデなんてものは一切ないため問題はない。

 

 悠月もその姿に独特な服のセンスをしているななどと思いながらキッチンへと立ってちらりとその男の顔を見て「あれ?」と思った。

 

(……この人。どっかで見たような?)

 

 そんな既視感に首を傾げていると、視線に気づいたのかその男がこちらを見た。そして、その目が悠月の目線とぶつかったとき、その男は「おっ」という表情をして片手をひらりとこちらに向けて振った。

 

「明瀬君じゃん。コンクールのトランペットソロ。ウチにスカウトしたいくらい素晴らしかったよ。君らしい音色だった」

「あ、ありがとうございます……?」

 

 コンクールを聴きに来てくれていた方のようだ。ただ、「君らしい」とはなんだろうか。以前にも何処かで自身の音を聞いてもらったことがあるのだろうか。それよりも初対面のはずなのにどこかで見たことがあるようなこの既視感は何なのだろうという疑問を抱きながらも戸惑いが乗った感謝を口にすると、彼の方から素性を告げられた。

 

「ボクは橋本真博。元はアメリカの楽団に籍を置いてパーカッションをしてたんだけど、今は東京の楽団に籍を置きながら全国の高校の指導に携わってる。よろしくね」

「よろしくお願いします」

 

 なんというか、いい意味でプロ奏者らしくない人だな、と悠月は素直にそう思った。これまでもプロの奏者と顔を合わせることも話すことも会話を交わすことも合ったが、彼ら彼女らは自身の音楽にしっかりとした考えと矜持を持っている人だった。しかし、目の前の男はいい意味で等身大で上下というよりも横並びな空気を感じさせる。

 

 おそらく、この人も指導の時にはプロ奏者としての姿を見られるのだろうが、橋本真博の為人を隠そうとしないこの感じはこの人本来の姿で悠月と同じ年代の少年少女を教えてきたからこそ出せる食う期間なのだろうと思わされた。

 

「明瀬悠月です。こちらこそよろしくお願いします。あの、質問させていただいてもよろしいですか?」

「お、いいよ。それと、もう少しラフにしていいよ。かたっ苦しいのはお互い肩凝るでしょ」

 

 橋本のにっと屈託のない笑顔とこちらを気遣う言葉に悠月は肩を楽にして、口を開いた。

 

「橋本さん。もしかして以前にも僕の演奏聞いてくれたことあったりします?」

 

 最初の質問は、先ほどの橋本の言葉が初見であればまず出てこない者であったから。これに対して、橋本は「あぁ、そのことね」と誰に向けるでもなく呟いて話し出した。

 

「最初は君が幼い頃にコンクール出たときかな。凄い子がでてきたぞってんで界隈で話題になったんだよ。それでボクも聞いて、驚いた。それはもうド派手にひっくり返るくらい」

 

 多分、というか確定で高坂も出ていたものだろう。というか、悠月のソロのコンクール出場歴はあれしかない。

 

「それほどですか?プロから高い評価いただけるほどのクオリティであったとは思っていないのですが」

「過ぎた謙遜は時に嫌味だよ〜?素直にもらっておきな……で、次が一気に飛んで去年の君たちの演奏だよ。いや、あれは本当に驚いた。君の音もより上達していたことは勿論、アマ、それも中学生であれほど音楽性に富んだ演奏ができるのかと思った。君、滝君から中学の頃の演奏を評価した人の言葉を伝えられなかったかい?」

「……」

 

その問いかけに、過去を逡巡する。そして、思い出した。

 

───あれは日本の学生吹奏楽に新たな革新をもたらすんじゃないか。

 

「……『学生吹奏楽に新たな革新をもたらす』」

 

 悠月が漏らした言葉に橋本は口角を上げて指を鳴らした。

 

「それそれ。本当にそう思ったんだ。珍しい音の作り方をしていたからさ。今の学生吹奏楽は学校ごとの色がよく出てるよね。なんたらサウンドって言われてるやつ。勿論いい事だと思う。オンリーワンの音は魅力的だからね。そこに価値を見出す人も当然いる」

 

 橋本はそこで一度話すのを止めて一口酒を呷る。

 

「ただ、君たちの音はそうじゃなかった。大袈裟に聞こえるかもしれないけどね。究極の表現者だってボクは思った。あくまで譜面に忠実。一切の個性を排して一つの音楽を作ろうとした君たちの音は学生吹奏楽の新たな転換期の先駆けになるんじゃないかって、本気で思った。質問に質問で返すようで悪いけど、君はどうしてあの音を作ろうと思ったんだい?」

 

 問いかけに、悠月は動かしていた手を緩めて、思考に集中する。全国を目指した理由ではなく、コンクールに挑む上でなんであの音を作ろうとしたのか。改めて考えてみると、あの音を創る上でちゃんと考えたことはなかったような気がする。ただ漠然と、こういう音を創りたいと思ったからだが、それがどうしてなのかはあまりはっきりはしていない。

 

 そして、思考を纏めつつ、言語化を図った。

 

「そう、ですね……音楽にハマるきっかけになってほしい。そんな理由だと思います」

 

 橋本は沈黙を保っている。まるで、悠月の考えを引き出すように。

 

「僕にとって音楽は始めた後は終わりがないものだと考えてるんです。それが、この部活動での経験が音楽に触れるきっかけになってほしいという願望になりました。これは、ここで働きながらいろんな人と関わることで自分の中に漠然と浮かんできたものです」

 

 悠月の働いているジャズバーは、プロからアマまで、老若男女と多種多様な人達があのステージの上で音楽を演奏する。そして、その全員が楽しそうに音を奏でているのを悠月は数え切れないほど見て聴いてきた。そして、そうしているうちに感じたのだ。

 

 ああ、音楽って何時までも続いてるんだな、と。

 

「ふんふん。それで?」

「橋本さんは学生吹奏楽において、金賞を目指して頑張るコンクール至上主義の風潮をよく思っていない声があることは知っていますよね。僕としては音楽に触れる形の一つとしてそれがあるのは肯定派なんですが、まあ、それはそれとして、そういったコンクール至上主義が空気として形成された環境に身を置いて、それから離れたとき、燃え尽きたのかなんなのか、楽器からすっぱり離れる人がいることも聞いたことはあると思います。」

「まあ聞くね。そういった声は」

「僕個人としてはそれもいいと思ってます。学生吹奏楽はあくまで部活動。離れたいときに離れられる軽さは大事ですから」

 

 まあ、その環境に身を置いている時の濃さは所属している場所によっては全然軽くないと思うが。それはさておき。

 

 これは、悠月の音楽観とも呼べるものだ。矛盾していると思うだろう。悠月もそう思う。だが、コンクールを頑張りたいと思ったきっかけと悠月の持つ音楽観は共存し合えるものだと思うのだ。音楽を頑張る理由が自身の音楽観と必ずしも一致していなればならないとは、悠月は思わない。

 

 だが、だがである。

 

「ただ、それは勿体ないと思ったんです。頑張って頑張ってその果てにあるものが楽器を手放したり吹奏楽から手を引くことであるのが。勿論経済的な理由であれば一度は手放すことはあると思います。ただ、それっきりになることは僕は勿体ないと思いました。だから、僕は楽器の楽しさを、吹奏楽の面白さを、音楽の奥深さを伝えることでこれからの人生で楽器や吹奏楽、音楽が身近なものであったらいいと思いました。そのために何をしたらいいかと思って辿り着いたのが、色を染めない音楽を純粋に触れられるやり方でした。これなら、音楽というものに広い面で触れられると思ったんです」

 

 まあ、悠月にとってはそのやり方でしかできないからというのもあるが、それなら、他の楽団に限らず、変な癖に悩まされることなく音楽を学べるし順応できると思ったのだ。

 

 うまく伝えられた自信はない。ただ、本質は、音楽を続けてほしいという一点のためにどうするか、だ。あとは、人が熱中していた何かしらに対して冷めてしまう瞬間は、努力が報われなかった時と夢もしくは目標にしていたものを達成した時だと悠月は思っている。

 

「……想像以上にしっかりした考えでボクびっくりだよ……だけど、そうだなぁ」

「?」

「君は考え方がプロフェッショナルだね。大人と言ってもいい。音楽に対する姿勢がさ。寛容で解釈が広い。良い悪いどうこうじゃなく、君にはそのままでいてほしいと切に思ったよ。まあ、もう少し子どもっぽく無邪気さを持っていてもいいと思うけどね。子どもなんだから」

「……精進します」

 

 プロの奏者からそのままでいいと言われるとなんだか自分を肯定されたようで悪い気はしないなと思う悠月に、橋本は「さて、」と手を鳴らして叔父へと話しかけた。

 

「真面目な話はおしまい!マスター。同じやつもう一杯頂戴」

「分かりました」

「明日うち来ていただけるんですよね。飲んでて大丈夫ですか?」

「大丈夫大丈夫。ボク、お酒には強いから。あ、そうだ。マスターから聞いたよ。ここは君の料理が目当てで来る人もいるくらい絶品揃いだって聞いたよ。何か一つ頼めるかな。これに合うやつで一品作ってくれない?」

 

 先ほどまで何処か真剣な目をしていた橋本はすっかり飲兵衛という印象を与えそうな雰囲気で悠月へとそう言った。

 

 その切り替えの早さに悠月は目を瞬かせたが、客がそれを望むのならと悠月は笑みを浮かべた。

 

「ご期待に沿える一品を作りますので、しばしお待ちください」

 

 それから、悠月は手早く一品を作り橋本の眼前へと提供した。なお、橋本の胃はがっつり悠月に掴まれたものとする。

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 オーボエ。それは二枚のリードを使って音を出すダブルリードの楽器だ。詳しい説明は省くが、チューニングが難しい上に一番細い部分の内径が四ミリしかなく、息の調整に非常に高い技術を要するため一番難しい木管楽器とも呼ばれている。しかし、その音色は美しい女性の声とも形容されている。どうしてこんなことを考えているかと言えば。

 

(今日も早いな。鎧塚先輩。それでもって、今日も正確。機械的だけども)

 

 悠月は、基本的に朝練には自主的に参加しており毎日大体六時過ぎには学校へ到着し練習を始めている。そして、その度に耳にするのがこのオーボエの音。そして、この音を奏でているのが、ダブルリードパートでオーボエを担当する二年生の鎧塚みぞれだ。

 

 為人については、自分からは滅多に他人と話さない寡黙な性格をしている人だと把握している。ただ、トランペットパートの吉川とはよく話している姿を見かける。と言っても、吉川が話しているのを鎧塚が聞くという光景がほとんどだが。

 

 それにしても、鎧塚の奏でるこの音色に対し、悠月は何処を物足りないと思っているのだろう。機械的。すなわち感情が込められていないとも言えるのだが、以前、といっても一昨年の話だがコンクールで南中学校の自由曲で彼女のオーボエを聞いた時はもっと感情豊かだったはずだ。何かあったのだろうか。

 

 とはいえ、今それについて考えても仕方がない。思考を打ち切って階段へと意識を戻した悠月は階段を登り切り、「……ふぅ」と一度大きく深呼吸をして息を整えてから音楽室の扉を開けた。そして、いつもの場所でオーボエを構えている鎧塚に悠月は会釈と共に挨拶をした。

 

「おはようございます」

 

 悠月のその声で、オーボエの音が止む。それと同時に、どこかからか───多分連絡橋なのだろうが───トランペットとユーフォニアムの音が入れ替わるように聞こえてきた。僅かな静寂が音楽室に訪れたところで、鎧塚からも会釈を返される。そして、それで会話はおしまいといった様子で再びオーボエを構えて譜面と向き合った。

 

 朝練を始めて二時間弱が経ち八時に差し掛かったため音楽室へと戻ってきて部員が揃ってすぐ、音楽室に滝が入ってくる。これもいつもの変わらぬ光景だ。滝が指揮台に立ち皆を正面から見据えた時、部長が声を発した。

 

「起立」

 

 その言葉に皆が立ち上がり背筋を伸ばす。よろしくお願いします、小笠原が発した挨拶に悠月たちが繰り返す。それから、着席の指示の下、皆が座ると滝が一枚のプリントを配布した。そのプリントが悠月の元まで届き、一枚を手に取り残りを横へと渡してから視線を落とすとそこには今月のスケジュール表が印刷されていた。

 

 空白が多いのは滝ももう部員を信頼してくれているのだろう。何も書いていなくても、言われなくても自主的に練習するのが当たり前。夏休みの残りの期間も練習漬けの日々であることが容易に想像できた。

 

「さて、行き渡りましたね」

 

 全員にプリントが行き渡ったのを確認して、滝は黒板に数字を羅列した。黒板にチョークを滑らせる動作に不慣れさがなくなったのは滝も教師として馴染んできているのだろうと思える。

 

「まず、八月の十七、十八、十九の三日間。近くの施設を借りて合宿を行います。ご家族の方にはきちんと説明をしておいてください」

 

 叔父にちゃんと聞いておかないとな、と悠月はプリントの合宿と記された三行を赤のボールペンで囲む。その間に、前に座るホルンの三年が手を挙げて滝に質問をぶつける。

 

「その前の十五と十六が休みというのは……?」

「そのままの意味です」

 

 滝の返答に音楽室にざわめきが広がる。こういったところにも、部の意識が変わっているというのを実感できる。滝は肩を竦めて再び説明のために口を開いた。

 

「練習したいのは山々なのですが、その期間は必ず休まなければいけないと学校で決まっているらしくて」

「自主練もダメなんですか?」

「学校を閉めるらしいんですよ。とにかく、残された時間はそう多くはありません。三年生は勿論、二年生、一年生も来年あるなどと思わず、このチャンスを必ずものにしましょう」

 

はい!という声が音楽室に響く。その声には、確かな意志が宿っていた。府大会進出を決めたことが、雲の上のような目標を、手の届く場所にあることを実感することができたから。

 

「では、練習に移りますが、その前に」

 

 滝が視線を背後の音楽室の扉へと持って行く。同時に、音楽室の扉が開かれ、入ってきたのは先日B編成でコンクールに出場し見事金賞を獲得したチームもなかの面々とそのサポートをしてくれていた斎藤の姿。皆の視線を集める中、滝と入れ替わるように正面に楽器を手に向き合うと、トランペットパートの一つ上の上級生の加部友恵が僅かな緊張を抱きつつ声を発した。

 

「えーと、皆さん。関西大会出場おめでとうございます」

 

 加部に続いて、低音パートのユーフォニアム担当である二年生、中川夏紀が引き継いだ。

 

「私たちチームもなかは、関西大会に向けて、これまでと同様、皆を支え、一緒に盛り上げていきたいと思っています」

 

 最後にアルトサックス担当の二年、森田しのぶが繋げた。

 

「おめでとうの気持ちを込めて演奏するので聞いてください」

 

 それから、中川の言葉のあとコンガの音に続いて入れ替わるように音が奏でられた。

 

 楽曲は「学園天国」。そのアップテンポでテンションの上がる音色に自然と手拍子が巻き起こる。悠月も例に漏れず手拍子を鳴らす。皆顔に笑顔を浮かべ、嬉しさが表情に現れている。

 

 最後の一音が終わり、僅かな静寂を挟んで拍手が沸き起こる。こういうと自分の手柄のようだが、今年から初めて楽器に触れた加藤や悠月が同パートということもあるが積極的に上達の術を聞きに来てくれる吉沢がここまで上達しているのを目の当たりにすると感慨深いものがある。来年再来年には共にコンクールという舞台で吹きたいと素直に思えた。

 

 号泣しつつも感謝をしたが感情の濁流にせき止めてきたものが決壊したのか言葉を続けられなくなった小笠原に変わって、副部長の田中が立ち上がった。

 

「も~。こういう時は景気の良い事言って締めないとだめでしょ~?はい。いくよー!」

 

 「北宇治ファイトー!」と音頭を取った田中に続いて、皆が一様に拳を振り上げて声を上げた。

 

 その日の練習は悠月に限らず、皆どこかいつも以上に熱が入っていたのは言うまでもないことだった。

 

 

 




 
 
 
 大変長らくお待たせいたしました。十一月の下旬から十二月の中旬にかけて大学の講義の合間にインターンやら企業説明会に参加しながら資格勉強に勤しんでいたらいつの間にか年の瀬に差し掛かっておりました。

 と言いましたが、空いた時間は趣味を楽しんでおりました。ユーフォの原作やアニメを見返したり、ヒーローを応援したり、友人から勧められた吸血鬼と死の線が見える少年の作品をプレイしたり、年明けから放送する呪術が存在する世界が舞台の漫画を読み始めたりしていたら二次創作の想像が止まらなくなって雑プロットを書き起こしてました。(もしかしたら他作品の二次創作も投稿するかもしれません。まずは本作品を完結させてから、とは思っていますが。)

 改めてになりますが、大変長らくお待たせしてしまい申し訳ございません。また、本作品は見切り発車でプロットらしいプロットも組んでいないので投稿ペースはまばらになると思われます。次の更新は来年になると思います。

 最後に、お待ちくださっていた皆様大変ありがとうございます。今後も執筆は続けてまいりますのでどうぞよろしくお願いいたします。よいお年をお迎えください。また来年もよろしくお願いいたします。


 メリークリスマス。

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