想いを音色に乗せて   作:猫柳/nekoyanagi

3 / 18
僭越ながら多くの方に読んでいただき、評価、お気に入り登録、感想をいただいております。
本当にありがとうございます。
これからも頑張ってまいりますのでどうぞよろしくお願いいたします。





第002曲  入部

 

 

 

 四月に入って二週間が経った。桜の木は桜が散り新緑に染まっていた。そして、春の心地よい暖かさには夏の陽射しが重なり嫌な暑さとなってきていた。

 

 学校は平々凡々な授業の日々が続くが、おっかなびっくりしながら親睦を計っていた新入生の姿はもうなかった。良くも悪くも慣れが生まれ、各々がグループを形成し始めていた。大体は部活が一緒の人と固まっているか、出身が同じ人と固まっている。

 

 そんなある日の放課後。今日は、新入生の楽器決め及び全学年交えた最初の全体ミーティングの日である。

 

「この後女バスとカラオケ行くんだけど、明瀬どうする?」

「この後部活なんだ。ごめん」

「あー、じゃあしゃーない。また誘うな」

「ありがとう」

 

 バスケ部に所属している彼からの誘いに断りを入れて、悠月は学生鞄を肩に、楽器ケースを手に持ち足早に廊下へと出る。理由は単純で。

 

「もしかして待ってくれてた?」

「違う。」

「はいはい」

 

 少なからず二週間も経てば関係にも多少変化があるだろう。ただのクラスメイトから友人にといったように。だが、こと悠月と高坂の関係においては驚くほど関係が進展しなかった。ちょっとこの子孤高がすぎる。というかぼっちである。悠月もどちらかと言えば一人の方が好きなぼっち気質だが高坂はそれ以上だ。

 

「相変わらず人気ね。明瀬君」

「有難いことにね。集まってくれるから」

 

 高坂の褒め言葉としてではなくどちらかと言えば皮肉で言ったのであろうそれに、悠月は肩を竦めながら心にも思っていないことを口にする。

 

「それにしてはあまり嬉しくならそうだけれど?」

「あ、分かっちゃう?実はめっちゃ面倒」

「ちょ、ちょっと。こんな場所でそんなことぶっちゃけないでよ」

「ははは」

「はははじゃない!……ったく」

 

 高坂には申し訳ないと思うが、ここ最近まともに気を抜けていないのだ。だから多少のストレス発散と意地悪くらいしてもいいだろう。というか、この流れを作った発端は高坂だ。それくらい許して欲しい。

 

「明瀬君。貴方のトランペットってドイツのブランドよね?しかもハンドメイドでミュンヘンフィル首席奏者も愛用してる。どうやって入手したの?そこの工房の人、認めた人にしか作らない頑固親父みたいな人でお父さんも入手できなくて苦労してて、この間お亡くなりになったから最期まで手に入れられなかったって嘆いてたし」

「お、詳しいね。流石音楽家の娘」

「……どうして知ってるの?」

「京都宇治出身、苗字が高坂、娘がトランペットやってて、プロの高坂さんに近い癖がある。これだけの要素があれば推測は立てれる。確信を得たのは今の君の反応」

 

 変質者を見るような目でこっちを見るな見るな。ストーカー行為はしてないぞ、という意味も込めて首を振ると高坂は小さく嘆息した。

 

「……探偵がお似合いなんじゃない?明瀬君」

「はっは。嬉しくねー。ドロドロの人間関係の調査なんて趣味じゃないし…………その話は置いといて、父さんから譲り受けたものなんだ、これ。なんでも、父さんが命の危機だったその工房の主人を救っただとかで作ってもらったって言ってたな」

 

 逸れた話題を無理やり戻して元の麗奈の質問に答える。そして、悠月はケースを胸の前に持ってきてそっと慈しむようにそっと手を触れる。父がヨーロッパ───主にドイツとスイス───で心臓外科医として勤務していた時に担当したのがその工房の主人だった。その感謝としてなんとしてでも贈りたいということで断りきれず、それなら悠月の為に作ってもらったと聞いている。父曰く、『これまでの人生で一番の傑作ができた』と仰っていたらしい。

 

 余談だが、普通に頼めばあっちの価格で五桁はくだらないと聞いた時は今までにない速度で脳内にユーロから日本円への為替レートの数字が流れた。ユーロで五桁ということは日本円で軽く……まで考えて楽器を放しかけたのは今となってはいい思い出だ。

 

 といったように、事細かに今でも思い出せるくらいには、この楽器は。このトランペットは。

 

「これは、俺の命だから」

「……いいね。それ」

 

 これで吹いている間は、繋がっているのではないかと思うことができるし嫌なことをすべて忘れられ、純粋に音楽を、トランペットを好きでいられるのだ。それが伝わったのかは分からないが、高坂はそんな言葉を贈ってくれた。

 

「そういえば、聞きそびれてたんだけど」

「ん?」

「小学三年の時に一度だけコンクールに出たことがあったでしょ?」

 

 その高坂の質問に、首を傾げてすぐにあっ、と声を出した。大きな会場の広いホールで、すべてのスポットライトは自分だけに向けられ、伴奏のピアノさえも自分の音を引き立たせるためだけにある。そんな高揚感を、思い出した。

 

「あったなそんなこと。これを大きな場所で吹きたくて仕方なかったから無理言って出させて貰ったんだよ」

 

 その結果、文部科学大臣賞と交響楽団との公演という予想もしていなかった栄誉に面食らった記憶が残っている。せっかく吹くならとびきりでかい舞台で、と言ったら物理的にも権威的にもでかい場所で吹くことになったのは失敗だった。音楽の道に進むならまだしも、悠月はあいにく将来何になりたいかは決めている。だが、物理的にでかい場所でとなればそういうコンクールに出るのが一番手っ取り早かったのだろう。

 

「なんで知ってんの?」

「……私、そのコンクール出てたから。二位だった」

 

 やばい。冷や汗が伝う。頬が引き攣る。過去の自分あまりにリスペクトがなさすぎる。今のは捉えようによっては「お前のこと眼中になかったわ」と言っているのと同義だ。今更ながら自身の生意気さによって他人様の気分を害していたことに頭の下がる思いだった。

 

「本当、ごめん。あの時は自分の音にしか意識を向けてなかった。確かに、今思えばあの場は自分の演奏を競い合う場だった。だったら当然、周りの奏者にもリスペクトは払うべきだった」

「いいって。自分の実力不足で他人を怒ったりなんかしない。ていうか、そもそも他の人の演奏聞いてたの?」

「いや?速攻帰ったけど。演奏が主目的だったわけだし。悪く言えば他人の演奏に興味がなかった……あれ」

 

 他人の演奏に興味がなかった。そこまで言って、悠月は自分の過去の行動の矛盾を視た。それは、ならなぜ中学三年の時は仲間の音を自分の音と同じくらい注意深く聞けていたのだろうというもの。全国に行きたいからというのはそれができていた理由とは少しズレているような気がしないでもない。そもそもこの全国にいきたいという突発的な欲求にしてもそれを抱いた動機はあるはずなのだ。思えば、こういったはっきりしない事ばかりだ。

 

(おいおいもう認知症か……?)

 

 勘弁して欲しいものである。忘れていることが全て瑣末なことだと言われればそうなのだが、覚えていたいことも忘れていそうで少し恐怖を感じる。ただまあ、そのどれも木でいう幹から幾多に枝分かれしたものの内の一つだから大した問題では無いだろうしきっかけがあれば思い出せるだろう。

 

「なに。どうしたの?」

「いや。なんでもない」

「……ふぅん。あ、そ」

 

 興味なさそうな返事だな、と苦笑を浮かべるが、その反応に悠月としても何か思うこともない。多分悠月でもそんな返事をするだろうし。いずれ、思い出すときが来るだろう、と悠月は思考を放棄するのだった。

 

 

 

 

 

 

 音楽室に到着すると、そこは既に新入生でごった返していた。悠月と高坂が在籍する進学クラスは音楽室から一番遠い場所に教室があるため必然的に来るのは最後の方となっていた。中央付近に目測で大体二十人と少しくらいだろうか。二三年生の上級生たちは壁際に沿って並んでいたが、三年が三十人弱、二年は三年の半分くらいだろうか。

 

(さてはて、一体この中の一年のうちどれだけが経験者でどれだけが楽そうっていうイメージで入ったのかねぇ)

 

 五分五分、いや4対6だったらいい方だろう。勿論少ない方が経験者だ。吹奏楽部は割かしスポ根なところがある。そして、吹奏楽を本気でやりたいという志を持つ子達はほとんどが京都府内なら洛秋か立華に、近畿全域に足を伸ばすなら大阪東照や秀大附属、明静工科に吸収されていくのが常だ。そして、小倉西中の悠月の代から吹奏楽部目的でここ北宇治に来た者はただの一人もいない。

 

 そう、何が言いたいかといえば、ぼっちなのである。知り合いが誰一人としていないのだ。元がぼっち気質の悠月に中央に寄るだけの興味がある訳でもないので、静かに端の方に陣取る。

 

(いいねぇ。仲良しの友人がいるのは。感心感心。早々に皆で揃って見切りをつけない限りは周りに空気に合わせて練習自体には顔出すだろうし)

 

 それが果たして日本の部活動の定義に沿うのかという点からは目を逸らすが。

 

 そんなくだらないことを考えながらぼうっとしているうちに、ミーティングの予定時刻となっていた。すると、部長なのだろう左右に二つのお下げを作った三年生が手を打ち鳴らしながらピアノの隣へと立った。

 

「はーい。これ以上はもう来なさそうなので、楽器の振り分けに移ります。私は部長の小笠原晴香です。担当はバリサクでサックスパートの人達は関わる機会は多いと思います。じゃあ、まずは、初心者の子もいると思うので楽器の紹介から始めます」

 

 熟れた様子でトランペット、トロンボーン、ホルン、フルート、などなどどんどん楽器の紹介は進んでいった。流石に低音パートのユーフォニアムの先輩が某ウィキを音読するくらいの勢いで紹介を始めたときは小笠原が止めに入っていたが、それによって新入生の間に微かに漂っていた緊張は霧散されたようだった。

 

「では、この後、各々希望の楽器の場所へ移動してください。あと、マイ楽器を持っている子、あるいは楽器経験者の子は事前に先輩に申告してくださいね。では、解散」

 

 手を合わせると同時に告げられた解散の一言に、蜘蛛の子を散らすように、とはまた違うがぞろぞろとそれぞれの希望の楽器の場所へと移動をし始めた。

 

 悠月も移動を始めようとトランペットを担当している場所を先ずは探そうとした時、ばち、と先程トランペットの紹介をしていた先輩───名前は中世古香織と言うらしい───と目があった。何もせず無視するのは印象が悪いし目的の場所にいる先輩だったこともあり小さく会釈をしてそちらに歩み寄った。まずは自己紹介からだろうと口を開きかけた時、それに被せるように微笑みを悠月に向けてきた。

 

「明瀬悠月君だよね。西中出身の。よろしくね?」

「……あ、よろしくお願いします。中世古先輩、僕のこと知ってるんですね」

「勿論だよ。『小倉西中学校吹奏楽部の奇跡』の記事。雑誌で見たから。演奏も見に行ったんだよ?定期演奏会。すっかりファンになっちゃった」

「……ありがとうございます。わざわざ聞きに来ていただいて。後輩たちも喜びます」

 

 面と向かってファンであると言われた経験がなく、思わず目を丸くして黙ってしまったが小さなお辞儀と共に感謝を告げる。

 

 先輩、中世古が口にした『小倉西中学校吹奏楽部の奇跡』というアオリ。これは地元の小さな音楽雑誌の本当に小さなスペースに書かれた記事の見出しだ。

 

 全国大会のすぐあとにその雑誌の編集者からぜひ取材をと言われあまりの熱量から受けたのだが、いざ出版されたものを見たときは最初「載ってなくね?」と眉を顰めた。二週目に入ってようやく見つけたのだが、まさかの見開き、ではあったのだが片隅の小さなスペースでなおかつ他は全て立華高校吹奏楽部が取り上げられているという、ほとんどの目はそちらに誘導されよっぽどの吹奏楽マニア以外は見ないであろう構成に思わず「なにこれちっさ」と口に出てしまうほどだった。

 

 これに関してその編集者からは簡潔に要約すると「マジすまん。もっといいページに乗せたかったんだが」というものだった。削られに削られた上に隅に追いやられたらしい。扱いは酷いものだったが、演奏に注目し載せていただけるだけでも価値のあるものだったと判断し「全く問題なし」と答えてこの件は終わった。

 

 それからもう数ヶ月が経ち、まさか知っている人がいて、しかも内容を読んでくれている人がファンだと言ってくれたのは驚きもあった。だが、そういった声があるのは悠月としても頑張った甲斐があるし、元仲間の同期や今頑張っている後輩たちも喜ぶだろう。

 

「え?」

「ん?」

 

 と、思ったのだが中世古は何やら「違うんだけど」と言いたげな疑問符を浮かべ、悠月としても「あれ。なにか違ったのか?」と疑問符を浮かべる。

 

 なんだろうこのすれ違ったような感覚は。中世古はうーんなんかズレてるけど、まあいいかみたいな視線の彷徨わせ方をしてこちらに微笑みを向けるし、悠月としては変なすれ違いが起きたとしか思えずすっきりしない。しかし、それを聞き返すことをする暇もなくデカリボンが特徴的な二年の女子の中世古を呼ぶ声が耳に届いた。

 

 そちらを向けば何やらこちらにやたら厳しい目線を向けてきているが、なんだろう、と疑問を抱いて、あ、と思った。この先輩。中世古の用心棒か何かだろうか。先ほどからやたらその視線が中世古へと向いていたし。悪い虫───イコール悠月───が近づいているくらいに思われていそうな気がする。仮にそうじゃなくても吹奏楽部のそのあたりのどろどろとした人間関係に巻き込まれるのは御免蒙りたいのだけれど。

 

「香織せんぱーい。後ろつっかえてます」

「あっ、ほんとだ。じゃあ、明瀬君だけ特別扱いもできないからワンフレーズだけ吹いてもらってもいいかな?」

「分かりました。なんでもいいですか?」

「うん」

「そうですか」

 

 中世古の首肯を見てから、悠月はテキパキと準備を始め銀メッキが光を反射して輝いているトランペットと胸の目に持ってきて、中世古を一瞥してからトランペットを構えた。そして。

 

 これからよろしくお願いします、という想いも込めて『明瀬悠月』を体現する音色を出すために命ともいえる愛器に息を吹き込んだ。

 

 

 

   ◇◆◇

 

 

 

 音楽室の空気がその最初の一音によって、豹変した。スポットライトが充てられているわけでも意識誘導されているわけでもないのに、それが必然とでもいうかのようにこの空間にいた生徒全ての意識が音の発生源へと誘われた。

 

 伸びやかな高音、丁寧で洗練された演奏技術、短いフレーズでもただ吹くだけになっておらず一つ一つを大切にしていて譜面の魅力を最大限生かした作曲者に対するリスペクトが伝わる表現技法。学生のレベルからははるかに逸脱した非凡な実力を持っていることは、この場にいる全員の共通認識となっていた。

 

 その音色はまるで、シリウスのようだった。冬の乾いた寒さの中、透き通った夜空に浮かぶ冬の大三角形の一つとして我が身を焼き焦がさんとばかりに煌々と光り輝く一等星。

 

 そのひんやりとしたものを感じさせる音の中にも確かにある聞くすべての人を想う優しさと思い遣りが垣間見えた暖かさ。そんな冷たさと暖かさを内包した二つの矛盾と、自分の身を亡ぼしかねない破滅的な危うさが言い表せないような妖しさとして音色に乗っていた。

 

 なにより、トランペットに対する愛が確かにその音色からは感じられた。

 

 彼は、これが『明瀬悠月』の音なのだということをたったワンフレーズを以て証明したのだった。

 

 

 

   ◇◆◇

 

 

 

 なんなく形式的となってしまったとはいえ試験を合格した悠月は早々に手持ち沙汰になってしまったため人が集まっていない場所の壁際に再び陣取った。そして、偶然視界に入った動かすことがなかったのだろうガラスケースへと意識を向け、その中にある仕舞われたまま埃を被った過去の栄光の数々を眺めていることとした。

 

 そんなことをして暇を潰している間にも時間は過ぎ行き、悠月は今、音楽室ではなく、トランペットのパート練をしているという教室に来ていた。

 

「改めて、トランペットパートリーダー、三年の中世古香織です。よろしくね」

 

 よろしくお願いします、と悠月含め新入生は若干のずれもありながらも小さくお辞儀をする。中世古は胸の前で手を合わせて首とともに少し傾けてこの場にいる全員に微笑みかけた。

 

「じゃあ、自己紹介からしよっか」

「なら、三年の私からかな。笠野沙菜です。副パートリーダーをしてるから、香織がいない時は私を頼ってね。よろしくね〜」

 

 癖毛の長い髪を小笠原と同じように左右でお下げを作った笠野がひらひらと手を振る。

 

 三年生が先導して自己紹介を始めたおかげで上級生からする流れができ、続くように二年生が自己紹介を始めた。

 

「吉川優子よ。よろしく」

 

「滝野純一だ。数少ない男子が増えて嬉しい限りだよ。よろしくなー」

 

「加部友恵です。二年だけど何か困ったことあったら遠慮なく聞いてね。よろしくね」

 

 人の好さそうな先輩ばかりだな、というのが悠月の第一印象だった。滝野と加部の親切な人感はすごいし、悠月としては同性がいるのは何気に嬉しい。それに先ほどは厳しい目を向けてきていたが、視線の配り方とかを見ていればなんだかんだ面倒見は良さそうだ。中世古が関わると人が変わる信者だったりするのだろう。

 

 次は一年の番となり、わずかな空気読みが同期の間で行われた後、高坂が先陣を切った。レディファーストとはいうが、これは自分が最初に行くべきだったんじゃねと思わなくもない。

 

「高坂麗奈です。北中出身。よろしくお願いします」

 

 端的な自己紹介だった。何もわからん。あまりにつっけんどんが過ぎる。演奏ではそのままでいいからこういう人間関係の部分は協調性を持ってくれないだろうか。

 

 人間関係で黒いところが表面化するのはこういうところで摩擦が起きてそれがふとした瞬間に臨界点を迎えて噴出するのだ。それでその皺寄せを食らうのは大体その周囲だ。勘弁してほしいものである。

 

 でもって、そういうのは大体演奏のクオリティに響く。中学の時にそれは痛感したのだ。去る者追わずは吹奏楽部においてはデメリットが多いのだ。なまじ関係が深まるから余計にだ。

 

「吉沢秋子です。初心者です。右も左もわからないので教えてもらえると嬉しいです。どうぞよろしくお願いします」

 

 黒髪のショートヘアをサイドアップにしているのが特徴的な小柄な女子生徒。柔らかいというかどことなくほわっとしている雰囲気なのに話すとしっかりしているのがギャップを感じさせる。

 

「何でも聞いてね」

「なんでも教えるよ」

 

 お、と思った。先輩、主に二年からの掴みがいい。程よく庇護欲というか、そういった何かを感じているのだろう。なんとなく、悠月も彼女の纏う雰囲気に気が緩みそうになった。

 

 最後は、悠月の番だ。

 

「小倉西中学出身、明瀬悠月です。漢字は明るい瀬に悠か(はるか)なる月と書いて明瀬悠月です。これからよろしくお願いします」

 

 悠月は自己紹介をしてから、あと、と続けて小さく頭を下げて言った。

 

「入学式では演奏ありがとうございました」

「え……」

 

 口が裂けても感動しただとか上手でしたとは言わないが演奏してくれたのは事実であり、それが慣習だったから仕方なくか純粋な善意からかはおいておいてしてもらった立場として感謝は人として必要だと悠月は思っている。

 

 おそらく感謝をされるとは思っていなかったのだろう。中世古は驚きで声を漏らしているし、吉川に至っては淑女としてどうなのかというほど口をぱくぱくさせている。そんなに驚くことだろうかと思っていると驚きから戻ってきた中世古が遠慮がちに聞いてきた。

 

「そんな変なこと言いました?」

「まさか感謝してもらえるとは思わなかったから」

「新鮮で良かったですよ?ピアノ伴奏かなって思ってましたから」

「そうじゃなくて、演奏の完成度の話だよ。あれで感謝してくれるのかって」

 

 この先輩思ったよりズバズバ切れ味鋭く切り込んでくるなと思いつつ、少し逡巡してから口を開いた。

 

「してもらった立場として、文句言う言わないは個人の自由だとして感謝はしておくべきだと思っただけですよ」

 

 これは、個人の考えとして、悠月自身がなりたい大人になるために必要だと思った。そして。

 

「演奏の完成度に関しては部活の内部状況もあるでしょうからその苦労も考えずに言うことはできません。中高の人間関係の難しさは僕も知るところですしね」

 

 中高生で素直に応援できる人ばかりなら吹奏楽部の人間関係は結構ドロドロしているなんて話はありふれたものだ。ここ、北宇治が凋落から再び朝日を昇らせることができないのは致命的なほどドロドロに腐りきっているからだろう。ここが崖から這い上がりもう一度山に登れるとしたら相当な奇跡がある場合に限ると思っている。

 

 加えて。

 

「プロとして依頼を受けたのならボランティアじゃない限りはお金が発生するので話は別ですが、高校の部活動ですから。そこをとやかく言っても仕方ないでしょう」

 

 これはあれだけ酷評した悠月自身の、スタンスの話。言い方は悪いが所詮部活だ。どこまでの完成度で満足するかは本人たち次第だ。この部の内部環境については西中のOB、OGから大まかな概要、というか愚痴は聞いている。確かにそのような環境であれば頑張れる環境を醸成するのは難しい。

 

 悠月が西中でそんな環境を作れたのは下地として「頑張る」があったからだ。人間関係については悠月は副部長とその腹心に任せた子にぶん投げていたからほとんど聞き及んでないが。悠月たちの代が全国金賞を取れたのは究極的に言えば、運がよかったのだ。全国金賞スターターパックが揃っていたと言える。

 

 頑張れる環境、表面化しない人間関係、頑張っていたのがほとんどだったからそこそこの実力を持つ者が多かった、子どもだけでは難しいところは受け持って、基本自由にさせることのできる人格者である教育者。あとは簡単に言葉に乗せられてくれる単純な同期。怒られる。手を出されるかもしれない。

 

「あんたが西中を全国金まで率いていけた理由が分かったわ。大人なのね、あんた」

 

 意外だ。あまりよく思われていないのかと思っていた吉川からそんなことを言われてしまった。悠月は首を振って吉川を見た。

 

「周りが優秀だったんですよ。僕は特別なことは何も」

「あんたがそういうならそれでいいわ」

 

 吉川が引いたのと入れ替わるように、中世古が口を開いた。

 

「……君が、もう二年早くここに入学していたらもう少し変わっていたのかもしれないね」

「過大評価です。僕が好き勝手できたのは自分が最上級生だったからですので」

 

 口では謙遜を口にする。

 

 そのたらればの話をするなら人の人生を壊すという禁忌肢を選んでもいいのなら改善できるだろうと考える。あるOBから聞いた話だが、部費を私的利用していることが頻繁にあったと聞く。それを使えばどうとでもできると思うがそこまでするモチベーションが保てるかと言われれば答えはノーだ。

 

 というかここまで考えて気づいたが前任の顧問は無能なのかとも思う。大人が子どものいいようにされているのはいかがなものだろう。考えすぎてもいいことがなさすぎる。と、思考を断ち切る。

 

「湿っぽくなっちゃったね。ごめんなさい。じゃあ!これからについて話したら今日は解散にしよっか」

 

 それからはパート練習と言われたときはここを使うなどなど諸説明を中世古から受け、解散となった。

 

 

 

 

 

 

「明瀬くーん」

 

 帰り道、今日の晩御飯どうしようかなどと考えながら帰路についていると、後ろからそんな自分を呼ぶ声が聞こえてきた。そちらを向けば、ぱたぱたとスカートをはためかせながら早足でこちらに来る中世古と吉川の姿があった。

 

「どうしました?」

「音楽室でした話のことで訂正があってね」

 

 もしかして、変なすれ違いが起きたあれだろうか。

 

「君は西中のファンになってくれたことに感謝してたけど、実はそれともう一つあって」

 

 はい、と悠月は返事を返す。違うのだろうか。

 

「西中のサウンドのファンにももちろんなったけど、あの時は君の音のファンになったっていうニュアンスだったんだよ。君の音色が好きになったんだ」

「あれ、そうだったんですか?ありがとうございます」

 

 思ってもみない言葉に柄にもなく動揺して感謝を口にした。そういえば、こうやって面と向かって真っすぐ素直に音を褒められるのは大人以外では久しぶりな気がする。

 

「あんた。今日見てて思ったけど割と自分に対する評価には素直に受け取らないというか淡泊よね。もっと喜びなさいよ」

「そ、そうですか……?」

 

 そうだろうか、と思ったが、そうなのだろう。自分ではよく分からないものだ。というか、吉川は思ったより人を見ているらしい。中世古しか見えてないと思っていた。

 

「それだけだよ。引き止めちゃってごめんね」

「いえ、嬉しいです。そう言ってもらえると」

「ふふ。そっか。じゃあ、また明日ね」

「じゃね」

 

 そう言って二人は止まっていた悠月を追い越す。その時に掛けてもらった言葉にも個性が出てるなぁと他人事のように思う。ふいにくるりと振り返った中世古がさっきよりも大きなボリュームで告げた。

 

「今日は聞かせてくれてありがと!定演の時より凄くて感動した」

「……引退までほぼ毎日聞くことになりますよ!今日みたいにワンフレーズだけで毎回感動してると持ちませんよ!」

「あははっ!それもそうだね!」

 

 最後にそんな会話をして、悠月は中世古とそばにぴったりとついている吉川を横目に道を分かれるのだった。

 

 軽くなった足取りには気付かないまま歩を進ませながら、悠月はかすかに残った涼しさを感じながら黄昏時の朱に染まった空を見て、今日は少し奮発するかと献立を決めるのだった。

 

 口元には、遠くの濃藍の空に浮かぶ舟のように寝ている三日月と似た笑みを浮かべられていたが、気付くことはなかった。

 

 

 




 
 
 
ありがとうございます。

「ん?なんかすごい読んでいただけてる」と不思議に思っていたら日間ランキングに乗ってました。感謝感激雨あられ。
皆様のおかげです。本当にありがとうございます。
 
 
 
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。