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「おや、早かったですね」
悠月の姿を捉えるやいなや、先程の凍りつくような笑顔とは打って変わって柔和な笑みを携えていた。この辺りの切り替えは流石大人だなと思わざるを得ない。
悠月は、その笑みに釣られるように表情を崩した。
「呼ばれたので。それで、何の用でしょうか」
「そう急がないでください。まずは、昨年の全国での演奏。素晴らしいものでした。金賞、おめでとうございます」
「……ありがとうございます」
早速本題に踏み切った悠月に対して、滝ははぐらかすように過去の栄光を讃えてきた。しかし、悠月は素直に受け取ることはできなかった。なんでこのタイミングで、という思いがあったからだ。そして、どことなく胡散臭さを感じ怪訝な色を目に含ませる。
しかし、そこは流石教師と言える。悠月が疑念を感じているのを悟ったようだ。
「素直な賛辞ですよ。裏はありません」
「そうですか」
「一聴衆としての感想ですが。貴方が織り成した音は昨今よく聞く『〜〜サウンド』というその学校の色がよく現れたものではなく、その対極。基礎をしっかりと仕上げた上で譜面に忠実に、そしてその背景を素直に解釈しその曲の魅力を音色に昇華させるものでした。まるで、お手本です」
それは一つの方針だった。咲いたらそこで世話は終わりだろうか。否だ。枯れるまで面倒を見るのが悠月の理念だ。
色を染めない。音楽に忠実であること。これはどこへ行っても共通している事だ。だから、どこへ行っても通用、適応できるよう育てることを心がけた。そして、進んだ先でも咲いていられるために。そのためにはその学校にしか出せない音、というのは枷でしかない。勿論、魅力的ではある。その学校にしか出せない音というのも。
悠月としてはここに関しては逆転の発想と言うべきかは分からないが、『何色でもない』というのも一つの個性だと思っている。それは即ち、曲だけを映すことができると考えているからだ。
「その演奏はいい意味で個性を排除し、奏者全員で意識共有した上での統一した解釈のもと作曲者の意図を汲み取って曲の情景を表現するという、どちらかと言うとプロの演奏に近いものでした。知り合いのプロの方も絶賛していましたよ。『あれは日本の学生吹奏楽に新たな革新をもたらすんじゃないか』と」
大絶賛じゃないか。プロにそこまで言われると嬉しいではなく恐縮してしまう気持ちの方が大きいのだが。
「お褒めいただき恐縮です」
「しかし、貴方の出身の小倉西中学校の吹奏楽部は、貴方が率いるまではよくて府大会金賞でしたよね。どうして全国を目指そうと?」
何故か、言い表し様のない不快さが心を蝕んだ。まるで、そこは容易に踏み込んでいい場所ではないと叫んでいるようだった。
だから、悠月は明確に滝との間に壁を作り、ありふれた理由を口にした。
「最後の一年くらい、目一杯やって後悔なく満足して終わりたいじゃないですか。それに、いい土壌と育てば綺麗に咲く花が多くあったのに咲いた光景を見ないなんて勿体ないでしょう?」
前者は、建前半分、本音半分。後者は、割と本音。いい土壌というのは『頑張る』という土台。そして、育てば輝く各世代にポテンシャルを秘めた奏者が多かった。
元副部長の相方は元から音大を目指しているらしいから仕上がっていたが。ユーフォニアム奏者の生意気な後輩───今は副部長を務めている───や現部長のフルート奏者など育てば美しく咲くだろうと思わせる光るものを持った者が同世代含めいたのを見て「これなら」と思った。
「いい素材なのに、非効率な練習をしているせいで中々成長しない。だから、支え木と羅針盤の役割を買って出たんです。その結果、花は咲きましたし皆の努力が最も報われる形で終わりました」
いやあ、いい景色を見れました、と悠月は続けた。そこまで言って、納得したようにこちらを見る滝に気がついた。
「確かに、それは勿体ないですね。しかし、納得しました」
「何がです?」
「なぜ、たった一年で全国金賞まで導くことができたのかが、です。吹奏楽雑誌にも載っていましたが、如何せん情報が少なくて」
インタビュー内容を削られすぎた弊害がこんな所に、と悠月は苦笑を漏らした。そして、何となく、滝がこの話題を出した理由が分かった気がした。
悠月は滝に質問をし返した。
「本気で、全国大会出場のために指導なさるおつもりで?」
「貴方は、どう思いましたか」
分からない、は逃げだろう。だが、この一週間、部を見ている限りは部員次第としか言えない。
「まずは意識改革から、ですかね。できないはないです。まだ始まってもないですから。ただ、遠くて高いです」
全国大会出場が山の頂上だとするならば、未だ見ているだけ。準備すらしておらず、山の上の方は雲が架かっている。
果てしない道のりだ。しかも、険しい。だが、不可能ではない。
「顧問として、教師として、大人として情けない限りですが、協力していただきたいのです」
これが本題か、と思ったし、滝の言う通りで大人が子どもに頼むことではない。一年の立場の弱さをどう考えているのか。
だが、悠月としても断る理由はないし、心のどこかで「面白そう」という興味が生まれていた。結局は利己的で自分の欲に忠実な人間なのだ、悠月自身も。自分の目的の達成のためなら周りを巻き込み最善の手を取り最良の結果を引き出せるように動く。
そして、まだ悠月も子どもだった。大の大人が馬鹿真面目に夢を追おうとしているのに面白くないわけがない。走りきった先に何があるのか見てみたいに決まってる。
口角が緩やかに上がっているのは悠月も自覚していることだった。
「僕の経験を貸してくれってことですか」
「引き受けますが、地獄ですよ。今の部は」
「分かっています」
「ならいいんですが、意識改革はお願いします。僕が動かせるとしたら一年だけですから。あと僕は表立っては動きませんから」
「ええ」
滝がこの先何年ここに留まるかは分からないが、悠月は確実に三年で居なくなる。だから、実権は滝に置いておかないと悠月が引退したあとに部が揺らぐ可能性がある。
「では、これからよろしくお願いします。明瀬君」
「こちらこそ、ご指導ご鞭撻の程よろしくお願いします」
座ったまま頭を下げる滝に、同じようにしかし滝よりも深い角度のお辞儀をする。そして、それから軽く会話を交わしてその日は解散となった。
そして、翌日。
「まさかのボイコットとは。恐れ入るな」
音楽室へ行ってみれば、そこにいたのは中世古と小笠原の姿のみ。二人の話によれば、一部の生徒が先生の先生の方針に対してパートリーダー会議でどうするべきかを決めるまでは練習しないと言い出したらしい。
この時点で阿呆かと思った訳だが。そんな無駄な会議を開いている時間があるのなら練習して技術向上に努めればいい。滝は絶対にサンフェスに出さないと言った訳ではないのだから。
ちっぽけなプライドを立派に掲げているようだが、そのような何の役にも立たないプライドなんぞ捨ててしまえばいいのだ。
だが、ここで時間が空いたのは僥倖だった。当日の急なアポイントメントだったのに快く快諾してくれたことに感謝しつつ悠月は電話の相手がいる場所へ向かうために校舎を出る。目的地までは遠くない。急げば四時には間に合う。
そんなことを考えながら足早に校舎を後にすると、何処かからか、綺麗なトランペットの音が聞こえてきた。夕焼け空に溶け込むようなその音色に悠月は足を止める。曲は。
(ドヴォルザーク、『新世界より』か)
正式には、ドヴォルザーク交響曲第9番「新世界より」。作曲者のドヴォルザークは故郷のボヘミアへの想いをメッセージに乗せたが、これはどんな想いを音色に乗せているんだろうか。
ただ、たった一つ確かなのは、この音色、この旋律は確かに悠月の心に響いたということ。
「よし。行くか。」
再び足を動かす頃には、かすかに重かった体は軽くなっていた。
◇◆◇
「珍しいね。先生が全体ミーティング来れないなんて」
「そだね。来客の対応って言ってたし、私たちで先に始めよっか」
「そうしよっか。じゃあ、今日もよろしくね。奏」
「よろしく。気楽にやってこう」
「お。今の明瀬部長っぽい」
「うそっ」
「ほんと」
◇◆◇
懐かしいな。訪れた母校を見て、悠月はそんな感想を抱いた。時間で言えば、ちょうど一か月くらいだが、随分と久しぶりな感じがする。
懐かしさを覚えるのもほどほどに、悠月は小さく礼をして門をくぐる。そして、見慣れた校舎へと入って真っ直ぐ職員室へ向かう。
「失礼します。北宇治高校の明瀬悠月です」
「お!来たな。明瀬」
ドアをノックしてドアを開ける。すると、手前に配置された職員机に座る男が立ち上がってこちらへ歩み寄ってきた。
「お久しぶりです。先生。今年は三年の担任ですか?」
悠月の母校である小倉西中学校の職員室は出入り口から見て一番手前が三年、中央に二年、奥の窓際が一年ということになっている。先生が座っていたのは一番手前だったから、今年は三年の受け持ちなのだろう。
「お、よく気づいたな。そうだぞー。今年は学年主任も兼任してる」
「おめでとうございます。出世ですね」
「おかげですげぇ忙しいけどな。今年のクラスは久石と詩音、他にも吹部が多いんだよ。明瀬はどうだ?高校、楽しめそうか?」
先生のこういうさりげない気配りと気遣いが見た目とその雰囲気に反してしっかりしているところが本当に尊敬できる。子どもをよく見ているのが分かる。
「まだ判断しかねてます」
先生の問いかけに悠月は答えを濁した。そして、事の経緯を説明すると、気難しそうな顔を浮かべて先生は言った。
「中学生と同じように高校生も難しい時期だからなぁ。でも、どうにかできそうだからここに来たんだろ?」
「一年だけなら、まだ。上級生は一旦放置ですね」
「……」
「なんですか……?」
お前が?意外だわ、とでも言いたげな顔で黙ってこちらを驚いた表情で見る先生に悠月はむっとした表情で先生を見る。それに先生は悠月に両手を見せて告げた。
「中学の頃は演奏に必要ないと判断したら即見切りつけてたのに、一旦、を言えるようになったのは成長したなと思ってさ。凛の影響か?」
「……少なからず影響を受けていることは否定しませんが、今年全国を目指すとなればキーになるのは二三年、特に三年です。一二年の中には完全に初心者とほとんど初心者みたいな部員がそれなりにいるので、そこに今から成長を期待するよりは一二年のそのレベルよりは期待できる二三年に伸びてもらった方が期待値が高いです」
悠月はそう言うが、先生は「そうじゃなくて、」と首を左右に振って真っ直ぐこちらを見据えた。
「『本命は自分たちが三年になった時、今年と来年は捨て』くらい言うもんだと思ってたよ。事実、お前中学の一二年はそう思ってた節があったろ」
「……」
否定できない。事実、下級生のうちはどれだけ意見を述べようと軽くみられるから同期と後輩に伸びてもらおうと思っていたことは否定しない。だから、上級生にはほどほどにいい顔をして同級生と下級生とは信頼関係を築いた上で最後の年に重要なポジションに立てるように行動していたわけだし。
といっても、この行動。ある後輩に見破られたわけだが。この時ばかりは本当に肝が冷えた。従順に従ってくれて本当に良かったと思っている。
「……先生。仮にも自分の教え子にそんなこと言っていいんですか」
「いいんだよ。ばれなきゃな……あ、いや。でも全国を目指すようになったのは
「……本当によく見てますね。先生。教師止めて探偵になったらどうです?」
「いやだよ。何が好きでドロドロの人間関係の調査なんぞしなきゃならないんだ」
「職業差別ですか?」
「ヤメロ。ちげぇよ」
いつぞやのやり取りを逆転したような会話にデジャヴを感じた。
「ま、世間話もここまでにするか。俺も練習見に行かないといけないしな。明瀬もどうだ?あいつらも喜ぶぞ?」
先生は時計を見て話を切り上げたあと、そんな提案をしてきた。悠月はその提案に少しの間、逡巡してから、首を横に振った。本当は見に行きたいが、優先すべきは今、小倉西中学校吹奏楽部で頑張る彼ら彼女らだ。過去所属していたからと既に引退している云わば部外者が行く必要はないだろう。行くとしても最後だ。
「いえ。行きません。だから、先生には僕が来ることは口外しないようお願いしたわけですし。頑張りはコンクールで聞きますよ。それに、
「……やっぱお前。すげぇ教え子だわ」
何を今更、と肩を竦めてから今日の用事を伝えた。
「中三の時使ってた教本借りたいというかコピーしたいんですけど、まだ置いてます?」
「楽器室に新しく棚置いてそこに収納スペース作ってるよ。ただ、あまりに大人気で皆持ち出してるから今はほとんど出払ってるぞ」
「あー、そうか。家でできる人は持って帰ってやるよなぁ」
思わず頭に手を持っていく。困った。割とすぐ必要としているのだが。北宇治でまさか必要になると思わず、餞別として全て明け渡してしまったのが今になって響いてしまっている。
バックアップも取っていないしどうしようか、と悩んでいると宙を舞う何かがこちらに向かってくるのを視界に捕らえ、反射的に右手でキャッチする。
固く小さなそれは、どうやらUSBメモリだったようだ。悠月は、こんなもの投げるなという意味で強い視線を向けつつ、それを投げたであろう先生に聞いた。
「なんです?これ」
「明瀬が後輩に託した全部が入ってる。元々は紛失とかで消失した時用のバックアップなんだけど、パソコンにも残ってるし予備もあるからそれやるよ。俺からの餞別だ。祝福の言葉しかやれなかったからな」
悠月は驚きで目を見開く。すぐに出てきたのは、悠月はこれを必要として訪れると確信していたからだ。
本当にこの先生は生徒のことをよく見ているしちゃんと理解している。こういう所は敵わないと心底思う。
悠月は手に収めたそれを大事に握り締めて先生と向き合った。
「有難く頂戴します。ありがとうございます」
「おう。教師だからな。そのくらいは当然だろ……コピー機使ってくか?」
「学校の備品でしょうが。使えませんよ。先生の責任になりますし」
「はっはっは!それもそうだな!流石優等生。しっかりしてんな」
「では、僕はこれで……」
そこまで口にして、失礼します、という言葉が続かなかった。魔が差した、と言うべきだろうか。欲が、寂しさが少しの甘えを生まれさせた。
「やっぱり、楽器室寄ってもいいですか?」
「おう。場所は変わってない。あと20分は基礎合奏だから、その間はゆっくりしてけ。バレるんじゃないぞ〜。あ、あと、帰りの挨拶は要らないからな。そん時には俺も音楽室に合流してるだろうし」
ああ、やっぱりこの人には敵わない。
そして、ヘラリとした笑みを浮かべてひらひらと手を振って背を向けて去っていく恩師の姿を見て、この人は本当に何処までも尊敬させてくれる人だな、と悠月は再認識した。
変わらないな、ここも。
たった一ヶ月来なかっただけのこの思い出深い一室に、悠月は郷愁にかられた。
「掃除が行き届いてる。流石あの二人だな。凡事徹底してる」
棚や使われていない楽器ケースを見ながらそんなことを口にする。埃っぽさが感じられないのは、それだけ丁寧に掃除がなされているということ。これは今の部長と副部長の性格がよく現れているなと思う。悠月たちの代が掃除を疎かにしていたとかそういう訳ではないが、むしろ、文化として根付いているようで安心した。
「あ、これ」
奥まで歩いて、目の前にある貼付された大きな紙に目が吸い寄せられた。中央には、『全国大会金賞!!』とデカデカと黒い文字が陣取り、その周りには赤、青、黄、緑などなど、様々な色で記された意気込みの数々。その中には悠月が最も信頼を置いて後の部を託した後輩の名もあった。
そこに、悠月の名と、同期の名はなかった。新体制になって、作成されたものなのだろう。分かってはいたが、こうして目に見える形で自分がいないと、ここはもう悠月がいた頃の小倉西中学校吹奏楽部ではないのだということを実感させられた。
換気のためか外から舞い込んだ薫風によって、その紙の下の隅がひらりと踊った。悠月は紙の裏に見えたものに目を瞬かせた。そして、一度気になったものに抗うことはできず、悠月は紙の角を人差し指と中指でつまみ、捲り上げて顔を覗かせる。
目に飛び込んだものに悠月は思わずふっ、と表情を緩ませた。
「……はは。ちゃんと残ってんじゃん」
それは、悠月たちが確かにそこにいたのだという痕跡。過去、悠月たちも行った目標の数々が、確かに残っていた。
不意に胸にじんわりと広がる暖かい感情。
「そっか。不安だったのか。俺」
もし、完全になくなっていたらどうしようと潜在的なところで思っていたのかもしれない。だが、後輩たちは新たな仲間を引き入れた上で、悠月たちからしっかりと受け継いでいたのだ。
この胸に広がる安堵に、悠月は心に灯る炎を感じた。
「……同じ舞台で、吹きたいな」
意志を口にしたことで、灯った小さな炎が揺らぎ、大きくなった。
いつまでも停滞している訳にはいかない。後輩たちがもう前に進んでいる。悠月も進まなければならない。やりたいことは全てやればいい。悠月は元来、単純で欲張りで我儘なのだ。そして。
「やりたいこと最優先じゃなきゃ、俺じゃない」
そうなれば、時間はどれだけあっても足らない。
学生鞄から大きな付箋を取り出して、ペンを走らせる。目に見える場所に貼るのは気が引けるから、いつか気づけばいいと新たに設置されていた棚に収納されている悠月が残した教本───といっても、ルーズリーフを挟んだノートだが───の中から適当に選んだものを取り出す。
『初心者必見!ユーフォニアム基礎大全』と記されたそれの表紙を捲った所に貼って、元に戻す。
悠月は学生鞄を肩にかけ、楽器室の扉付近で一度立ち止まる。
そして、深く、頭を下げる。
「お邪魔しました」
頭を上げた悠月の目には、既に前しか映っていなかった。
◇◆◇
「奏。ユーフォの一年生。基礎やりたいって」
「分かった。こっちおいで」
「基本楽器室のこの棚に教本を置いてるから、ここから自分の楽器の教本を取ってね」
「…………」
「あれ?どうしたの?奏」
「……こ、れ」
「ん?……うそ。この字、もしかして……?」
「うん。本当に……人を奮い立たせるのがうまいなぁ」
「こんなこと言われると、もっと頑張れちゃうね」
【後輩たちへ
今年、十月。名古屋で。
前部長より】
◇◆◇
母校へ訪れた次の日。悠月は朝から早速動き回っていた。
HR前には。
「失礼します。北宇治高校1年7組、明瀬悠月です。吹奏楽部顧問の滝先生はいらっしゃいますか?」
「ああ、滝先生ね。滝先生!」
それから待つこと少し。
「お待たせしました。明瀬君。何か用ですか?」
コーヒーの香りがするマグカップ片手に姿を現した滝に挨拶をしたあと、本題を話す。
「今日の放課後。一年生ミーティングを行いたいんですがよろしいですか?」
「……なるほど。構いませんよ。一応、理由を伺っても?」
「建前は、親睦を深めるため、です。傍から見れば入部早々ボイコットに巻き込まれてしまった哀れな一年生ですから。パート内は見知っているでしょうが、他のパートの人の事は全く知らないなんてことがあるかもしれません」
口実の為の承諾を貰ったところで投げかけられた問いかけに、悠月は建前、と前置きをして答える。
「本音は?」
「経験者か、初心者か。経験者ならばどの程度の実力なのか。熱量はさておきやる気があって入ったのかそうじゃないのか。担当楽器の把握です」
「分かりました。では……こちら、名簿です。上手く使ってください」
軽々しく個人情報の塊を渡すなよとも思ったが、これで余計な時間を使わないで済むから有難く頂戴し、職員室を後にする。
そして、昼休み。
「すみません。小笠原晴香部長いますか?」
「吹部の子?一年?」
「はい」
「晴香ー。後輩君呼んでるよ」
はーい。今行くー。と口に含ませたままの声が聞こえて内心ですみませんと謝罪をしつつ待って、少し。
「どうしたの?えっと、明瀬君、?」
「はい。明瀬悠月です。昼食中に来てしまってすみません」
「ああ、気にしないで」
「あの、今日の練習って?」
「ごめんね。今日もないの」
前提はクリアした。別に嬉しくはないが。悠月は本題を話した。
「実は、一年生ミーティングをしたくて。まだ、皆お互いに把握できてないから親睦を深めるのも兼ねて。どうですか?パートリーダー会議が終わる頃には終わらせるので」
「それなら全然いいよ。むしろごめんね。気を使わせちゃって。私、は行かない方がいいよね。余計な気を使わせちゃうし」
「余計ではありませんよ。お気遣いありがとうございます。小笠原部長はパートリーダー会議に出席なさってください。では、失礼します」
また、各授業間の休み時間に校舎の端から端へ往復する勢いで吹奏楽部所属の一年に放課後集まるように指示を出し、ついに放課後。
悠月はある教室へ入室した。そこには、事前に声を掛けたほとんどの吹奏楽部部員が既に集まっていた。事前の通り、一年生だけが。
上級生は一旦放置、という言葉の通り、悠月は一年だけに焦点を当てていた。
「じゃあ、一年生ミーティング始めます」
その声に、大きかったざわめきは少しずつ収まっていく。中には、注意を促されて前を向く者も。
「まず、貴重な時間を割いて集まっていただきご協力ありがとうございます。少しの間、僕に時間を頂戴させて下さい。入学式で目立つ役割を賜ったので知っている方が多いかと思いますが、改めて。明瀬悠月です。どうぞよろしく」
教壇から一歩ずれて、お辞儀をする。教室に、まばらな拍手が響く。鳴り止んでから、悠月は頭をあげる。
「今日、皆さんには滝先生と小笠原部長の許可のもと集まって頂いています。早速ですが本題に入る、その前に親睦を深める意味合いも兼ねて皆さんの名前と担当楽器、経験者か初心者か自己紹介をしましょうか。お互いにまだ顔と名前が一致してないでしょうから」
それから、まずは悠月から始め、自己紹介は行われていく。
全員の自己紹介が終了し、悠月は話題を移していく。
「慣れない方もいたでしょうが、自己紹介、ありがとうございました。僕も顔と名前が一致しました。では、本題に入るのですが、今から皆さんには、各担当楽器に合わせて冊子を配ります。簡単に言えば、教本ですね。初心者だけど、音楽ないし吹奏楽に本気で取り組みたいけど練習方法が分からないといった声や経験者でここの譜面が上手くいかないと言った声を解消してくれるだろうものとなってます」
まるで悪徳通販をしているみたいだ。だが、それと違う点があるとすれば。
「これは昨年全国大会金賞を果たした小倉西中学校吹奏楽部で使用したものと同様のものとなっています。分かりやすさ、納得のしやすさは保証しますし、初心者の子でもコンクールメンバーになった実績もあります。そして、これを作ったのが当時小倉中吹部のメンバーだった僕と僕の同期です」
あとは無料。そんなことはさておき。
小さなざわめきが起こるが、悠月はそれを無視してそれぞれの担当の楽器の教本を渡していく。そして、配り終えて、悠月は教壇に戻って再び口を開いた。
「それを渡させていただいたのは、なにも「練習をしろ!」と強制するためではありません。僕の思いとしては、音楽の、吹奏楽の、楽器の楽しさを知ってもらいたいからです。これは僕個人の考えですが、人数分楽器があって個人に楽器が貸し与えられている。自由に楽器を吹ける場所がある。環境としては『最高』の一言です。何が言いたいかと言うと、やらなきゃ損です。絶対楽しくなります。楽しくないは、是非触れて、吹いてから判断していただきたいのです。その上で、楽しくないなと思ったのならその時はその時です。個人の価値観ですから」
そこで、悠月は一度一呼吸入れる。そして、それに、と続ける。
「生々しい話というか、やらしい話ですから本来あんまり堂々と言うべき内容ではないですが、部活動を一生懸命頑張ったという経験、事実は必ず財産になります。努力を続ける継続力は一生物です。これは、一般受験を受けるなら話は別ですが、推薦入試などの方式の大学受験ではこの経験はアピールポイントになります。そして、約一週間前に掲げた『全国大会出場』を果たしたら、それは他の人にはない強みになります。他にも、就職活動でもこの経験はアピールポイントとなります。そういった面もあると知った上で、是非音楽に、吹奏楽に、楽器に、一生懸命になっていただけると僕個人としては嬉しいです。まあ、皆さんの目の前にモテたいという不純な動機でピアノを始めたやつがいるので説得力ないですね?」
ちらほらと笑いが起きる。それでいい。堅苦しい雰囲気で話す演説じゃないのだ。気楽にいこう。
もう一度、呼吸を入れる。
「最後にもう一度になりますが、是非音楽に触れてみてください。その上で僕の願いを言うのなら好きになって欲しい。音楽な好きな仲間が増えて、同じ志を持てるのは───」
そして、自分にできる最上の笑顔を携えて綴る。
───僕にとっては何にも代えることのできない至上の喜びだから。
これで、一年生ミーティングは終了とします。各々、解散してください。
悠月は最後にそう締めてミーティングを閉じるのだった。
ありがとうございます。