想いを音色に乗せて   作:猫柳/nekoyanagi

7 / 18
 誤字報告ありがとうございます。





第006曲  始動

 明くる日、悠月は担任の男教師と向かい合わせに合わせた机を挟んで対面していた。

 

「さて、三者面談なわけだが、うん。特に言うことは無いな」

「……はい?」

 

 あっさりと告げられたそれに、悠月は拍子抜けしてしまう。この担任、生徒を受け持っている自覚はあるのだろうか。高校一年の初めとはいえ、聞くことはあるだろう。

 

「そんな目をするな。仕方ないだろう。生活態度は問題ないし、学校生活は自ら生徒会学年代表を買って出てくれたし、部活動にも精力的だ。聞いてるぞ。全国大会出場。本気なんだってな。応援してる」

「……ありがとうございます」

 

 その応援の言葉には、少し驚いた。今の北宇治の吹奏楽部の悲惨さを知らないわけではないだろう。その上で応援してくれると言っているのだ。この担任は。頑張らない訳にはいかないな、と悠月は気を引き締め直した。

 

 なんというか、悠月が関わる教師、というより大人は本当に真っ直ぐ見てくれる人が多い。本当に恵まれている。

 

「それに、こないだの校内テストも学年一位、しかも全教科満点だった。進路もその先の将来もはっきりしてるし、こっちから言うことが全くない」

「そうですか」

「強いて言うなら、アルバイトだが、家庭環境聞くに辞めろとも言えん。明瀬も苦労してるだろうからな」

「……」

 

 そこに関して、今まで余計な善意と正義でとやかく言って来る教師が多かったが、そこにも一定の理解を示してくれるらしい。

 

「だから、言うことは特にない。部活あるんだろ。早く行きな。明瀬、まとめ役なんだろ。一年の」

「げ。どこからそんな話を」

「お前こないだ滝先生と職員室で話してたろ。そりゃ聞こえる」

 

 あー、と悠月は納得して、そのあと、一言二言ほど会話をして面談は終わるのだった。

 

 

 

 

 

 

 三者面談───なお、悠月と担任のみのため実質二者面談。なお、担任に諸々の事情は伝わっていた。バイトに関しては苦言を呈されたが。特に問題もなかった。───を終えた悠月はいつものようにパート練習の為にトランペットパートの教室へ向かっていた。そのなかで、いつもと異なる点があるとすれば、普段は一つ二つだったトランペットの音が今日は全員分聞こえてきたことだろう。

 

 そういえば、一年がミーティングをしている間にどうやら滝先生も動いていたようで、実はあのミーティングのあと、滝が出した練習指示を出したメニューを部員全員で行った。

 

 その内容は、ずばり、グラウンド周回ダッシュである。は?、と疑問が生まれた人もいるかもしれないが、これが実は肺活量の増加という点で理にかなっている。他にも風船やペットボトルを用いた方法もあるが、演奏にも体力を消耗するため基礎体力の増加という面でも効率的かつ一石二鳥だ。

 

 早速目に見えて起きている変化にいい兆候だ、と内心で喜んで扉を開けると、そこには顧問である滝の姿があった。

 

 悠月は反射で挨拶と謝罪を口にする。

 

「こんにちは。すみません。遅れました」

「こんにちは。構いませんよ。三者面談お疲れ様でした」

 

 滝の言葉を受け、悠月は待たせているパートメンバーに早く合流するためにそそくさと準備を終えて麗奈の隣に立つ。

 

「あ、そうそう。高坂さんたちにも同様の質問をしたのですが、中学の頃と高校、つまり今ですが、練習時間に違いはありますか?」

 

 なんだその質問。答えようによっては幾らでも敵を作れるではないか。そこまで至って、はっとしたようにチラリと横を見た。

 

「高坂さんはなんと?」

「今の部活は中学の頃の半分。だそうです」

 

 こいつ、本当に集団の中で生きるのに向いてねぇ、と、とことん遠慮なしの姿にドン引きする。将来的に確実に胃痛の種になるのが悠月の中で確定していて既に頭が痛い。頭を抱えたい思いだ。少しは部のことも顧みてもらえると助かるのだが、難しいのだろうと思う。

 

 部のためにはそれの対策ないしフォローもせにゃならんのかと億劫になりながら、手遅れかもしてないが一応のフォローを入れる。

 

「練習時間って個人の練習の仕方によると思うので、長時間することが普通とは思いませんが、僕はパート練と全体合奏練以外ではあまり個人練に時間は割かなかったのでそれほど長時間はしてないですね。集中が切れたら止めてました」

 

 上手くなりたいという気持ちも勿論あるが非効率なやり方───例えば、ガムシャラにやたらめったら吹き続けるみたいな練習───はやりたくなかった。ものにしてる気がしなかったからだ。

 

 練習は効果的なものを効率的に集中力が続くまで。これをルールとしていた。集中力が続く限りは一瞬一音に拘って最善を目指している。無駄な努力は存在しないが、非効率な努力は存在するというのが悠月の考えだからだ。とはいえ、集中が続く限り、時間が許す限りは吹いていた。

 

 集中が切れても吹きたい気分の時は狂ったように吹き続けていたが、練習という括りで見るならそれほど長くは吹いていない。悠月にとってトランペットはあくまで好きなことだから、楽しく吹きたい。義務感に囚われてまではやりたくないというのが悠月の本音だった。

 

 勿論、集中力が長く続く努力は今でも継続しているし、オーディション前やコンクール前は個人練習の時間も増やしていたが。

 

「そうですか。ありがとうございます。では、練習を始めましょうか。先程皆さんにしていただくのは腹式呼吸を含めた基礎練習を正しく行うことです」

 

 滝は続けて口を開く。曰く、どのパートもそうだが、そもそも練習時間が少ない。そして、まともに指導できる人がいない中で正しい基礎練習の方法が身についているわけがなく、事実できていない部員が多い。だからこそ、土台から作り替える。ということのようだ。

 

 これに関しては、悠月も同意見。だからこそ、変な癖が着いてしまう前に吉沢には悠月が0から教えたのだ。一度着いてしまった癖を矯正することはかなり時間を要してしまうから。

 

 滝は指を一つ一つ折りながら、練習メニューを口に出していった。そして、悠月はそれを念のためメモに残す。

 

「まずはマウスピースバズィング練習」

 

 これは、息が勝手に唇を振動させ音になる感覚を正確に持ってもらうこと。これは、唇の自然な振動によって美しい音を出すための大前提となる。

 

 そして、この時、『息』も重要なポイントだ。各音域によって、息を吹き込むイメージも異なってくるから。そして、この『息』を正しくするためには、腹式呼吸を習熟しておく必要がある。

 

「二つ目、ロングトーン」

 

 これは、音の出だしの発音で印象が決まる。そして、その後も正しいピッチで安定して鳴らし続けなければならない。

 

「三つ目、タンギング」

 

 これは、息の流れを区切り音をはっきりと分けて演奏する技術だ。このタンギングと呼ばれる技術を、ロングトーンの音色を崩さず、どんなテンポやダブルタンギングになっても響きを保てるようにならなければならない。

 

「四つ目はリップスラー」

 

 金管楽器にとってこれができるとできないでは、音の柔軟性に大きく違いが生まれる。だから、金管の道に進んだのなら避けては通れない道となる。

 

 滝が今口にした技術は最優先事項。そのあとにウォームアップとスケール練習のやり方を伝えて、滝は不意に悠月のほうを見た。

 

「明瀬君のほうから、こういった練習、または工夫をした方がいいという意見ありますか?」

 

 唐突な前振りに悠月は書き記していた線が歪む。「そうですね。」と悠月は頭を整理しつつ、無意識に顎にペンを当て口を開いた。

 

「まずは、自分の音の振り返り。ですね。できれば、自分の記憶は当てにしないで、スマホやカメラなんかで録画したものを聞く方法でするのがいいかな、と」

 

 これは、悠月自身今でも続けているもので、振り返りは必ず録音したものを聞くようにしている。理由としては記憶の中にある音を客観的に振り返るのはまず無理だ。その時その時を正確に記憶した上で一切のバイアスをかけることなく頭に保存するなんて人間には無理難題だ。

 

 だから、外部記憶装置に頼る。そうしたら、違和感によく気付くはずだ。「あれ?私/俺ってこんな音だったの?」という感じで。とにかく客観的に聞くということが大事なのだ。反省点の洗い出しと改善策の提示。これをルーティンワークにしてしまえば、何ができていないで一人で悩むことは減るだろう。いざとなれば人に聞けばいい。

 

「あとは、これはうまくなるっていう本筋からは外れるんですが、一般的に初歩とされている曲を合奏すること、ですね。初心者の内で単調で地味な基礎練習ばっかりなので成長しているのかは分からないし、いずれどうしても飽きが来ちゃってモチベーションを維持することが難しいと思うので。『成長している』、『できている』っていう実感を持ってもらうことは大事かなと」

 

 悠月はそこで一度滝から視線を外し、少し前傾姿勢をとって吉沢に視線を向けた。

 

「吉沢さんも、ちょっと違うことやってみたりしたくなってたでしょ?たまに楽器室の初歩の楽譜持ってきて吹いてるし」

「うっ……」

「悪いことじゃないよ。むしろどんどんしてほしい」

 

 そこまで言って、あ、と悠月は付け加える。

 

「あ、それと関連してなのですが、譜面を見るときに何となく譜面を追うだけの思考停止の演奏はしないでほしいんです。どうしてその譜面になったのか、その背景に至るまで普段から考えてほしいんですよね。あくまで習慣づけることが目的なので軽くでいいです。もちろんコンクールの楽曲だったり観客に聴いてもらう楽曲は細部までイメージして表現を音色に乗せてほしいですが。ね、滝先生」

「そうですね。そこまで皆さんができるようになれば、全国常連の演奏に近づけるでしょうね」

 

 その悠月の言葉には要領を得なかったのか、部員は一様に疑問符を浮かべている。悠月は一つの例を出して関連性を持たせるよう試みる。

 

「舞台とかで役者が台本の読み込みをすることによって演技の表現の解像度が上げて演技力向上に繋げるって聞いたことないですか?」

「あ~。聞いたことあるかも。台本を読み込むことで演じる役のキャラクターや深層心理やバックグラウンドについて考えて理解を深めて演技に落とし込むってやつだよね?こないだテレビで舞台俳優の人が言ってた」

「そうですそうです」

 

 その言葉に反応したのは、意外なことに三年の笠野だった。笠野の満点回答に悠月は笑みを浮かべて頷く。会話に参加してくれるのは正直言ってありがたい。なまじ一年だから先輩にどう思われているのかは気がかりだったのだ。

 

「でも、それがどう関係あるんだ?」

 

 それに、まだいまいち理解できていない様子の二年の滝野が疑問をぶつけてきた。ただの質問だが、悠月は内心で手ごたえを感じていた。疑問をそのままにしない。それは興味関心を寄せていないとできない行為だと悠月は考えているから。

 

 それに答えようと悠月が口を開きかけたとき、それに被せるように滝が滝野に話しかけた。

 

「滝野君。今の明瀬君の話の共通点をよく考えてみましょう」

「考えろったって、共通してんのって、読み込むことと背景を考えることですよね。これがなんの……あ、ああ!なるほど」

 

 お、と悠月はかすかに口を丸める。そして同時に滝のやり方に対して「うまいな」と思った。答えを提供するのではなく、考える時間を与えることで自分で答えにたどり着かせる。これだと思考力も向上できる。なるほど。その人のことを考えるなら、こちらの方法のほうがよほど効果的だ。

 

「表現ですか。明瀬はその言葉を譜面の背景を考えることを習慣化することで表現の精度?を上げる、みたいな……?」

 

 頭にあるぼんやりとしたものを掬い上げるように紡ぐ滝野に滝は満足そうに頷いて悠月へと向き直った。

 

「どうですか?明瀬君」

「満点です。滝野先輩流石です」

「へへ」

「要は、譜面を追うことだけなら機械にもできます。ただ、その譜面から読み取れた背景を鮮明に思い浮かべて表現することは機械にはできません」

 

 機械はそれっぽいを高精度で完成させることはできるが、人にあるものを機械は持ち合わせていない。

 

「心を持つ人だからこそできることです。だから、譜面を読み込む・読み解く力、背景を想像する力、表現を音色に落とし込む力を普段から習慣付けることでそれら三つをひっくるめた表現力の向上に繋げてほしいです」

 

 悠月はそこまで言って、いつの間にか上がっていたテンションを下げるように深呼吸して、滝を向き合った。

 

「僕から言えることはこのくらいですかね。期待に添えましたかね。滝先生」

「流石、といったところですね」

「一年の言葉に耳を傾けてくださりありがとうございました」

 

 悠月は、じっと聞いていてくれたパートメンバーの面々に頭を下げる。滝は悠月が頭を上げたのを見計らって、手を合わせていった。

 

「では、基礎合奏に入りましょうか」

 

 まずはバズィングから、と滝は手を叩いた。その合図に悠月たちはトランペットを構えた。

 

 基礎は、すべての礎で、一番大切なもの。しかし、どのような分野でもそうだが、基礎というのは最初はつまらないものだ。しかし、積み重ねていけば、いずれは自分を支える大きなものとなる。

 

 それから、約一時間弱。基礎練習は続いて、滝は教室から出て行った。なんでも次のパートの指導に行くらしい。残った面々もそれぞれ自身の浮き彫りとなった課題と真剣に向き合ってトランペットを構えて吹き鳴らしている。

 

 悠月としては、今日はまだまだ吹き足りない気分だったために気分転換も兼ねて場所を変えつつ、他パートの同期の様子を見に行こうと、中世古へ個人練習へ行く旨を伝えて教室を後にした。

 

 それから各パートを覗いてから、ここでいいやと南館と体育館の間にある休憩スペースで薫風を肌で感じながら理想の音色を追い求めてトランペットを吹き鳴らすのだった。

 

 それから、夢中になってトランペットを吹いているうちに、空は紅に染まり、肌に感じる風も少し涼しくなってきたところで、悠月はトランペットをケースに置き、休憩スペースの椅子に普段ならしないだろうどさっという感じで腰を下ろした。そして、そのまま後ろへと倒れこんだ。

 

 すると、頭の上から拍手の音が降ってきた。悠月はぼうっとした頭でそちらを見ると、そこには記憶に新しい、全体ミーティングの時に顔を合わせた男子生徒、塚本秀一がそこに立っていた。

 

「やっぱすげぇな。悠月のトランペット。高坂もすげぇけど、悠月もすごいわ」

「よっ……と。ありがとう。秀一。で、どうしたん?」

 

 悠月は足を振り上げ、振り下ろす反動で身体を起こし立ち上がる。そして、秀一にここへ来た理由を聞く。

 

「下校時間だぞってのを伝えに来たのと。一緒に帰らね?っていう提案をしに」

「いいよ」

「家どっち?」

「小倉だよ」

「お、近い。俺宇治なんだ」

「へぇ。隣」

 

 小倉。JR小倉駅から徒歩で北に少し行けば、花札を製造販売をしながらコンピュータゲーム機を発売している老舗企業の某ミュージアムがあり、そこを過ぎて少ししたところに悠月が最早常連となっている茶葉や茶菓子を販売している老舗がある。その近くに建っている両親が遺した一人で住むには些か広すぎる邸宅に悠月は住んでいる。

 

 そして、宇治。駅から出て宇治橋の手前には宇治神社と宇治上神社があり、そばには紫式部作の源氏物語をコンセプトにしたミュージアムが、山のほうまで足を運べば宇治市を一望できる大吉山展望台がある。そして、宇治橋を渡れば左手には趣を感じられる昔ながらの建築様式の茶菓子店が建ち並び、宇治川に沿って少し歩けば平等院があるという非常に古都らしい雰囲気を感じることのできる町だ。

 

「なら方向一緒だな。電車?」

「いや、自転車」

「ロードバイク?」

「いや、クロス。なんで?」

「なんとなく。っぽいなと思ってさ」

「はは。なんだそれ」

 

 気が合うというか波長が合うというか。気楽だ。秀一の雰囲気はどこか緩い。悪い意味ではなく、どことなくそばにいる人の強張っている気を解してくれるようなそんな感じだった。

 

 端的で適当な会話をしつつ、悠月は帰り支度を整える。ここに来るのに荷物は纏めてきていたから、もう帰り支度は完了だ。

 

「自転車とってくる」

「りょーかい。校門で待ってるわ」

 

 秀一が校門で待っている間に押して持ってきた悠月の姿に開口一番言ってきた。

 

「俺も自転車通学しようかな」

「夏地獄だけど」

「電車も駅から学校まで歩くんだよなぁ。しかも、坂あるし」

「あー。それに歩く時間含めたら自転車と大体時間一緒だもんな。確か」

「そうなんだよ……」

 

 悩んでいる秀一を横目に捉えながら自転車を握る手を開いたり閉じたりしていると、秀一が声を上げた。

 

「よし。決めた。定期切れたら自転車にするわ。一緒に行こうぜ」

「いいけど。僕朝早いよ。朝練出るから」

「大丈夫だろ。なら、宇治橋合流にするか」

「おーけー」

 

 そんな他愛もない会話の中で口約束を交わしながら、話題は部活、より正確に言うなら滝の話になっていった。

 

「悠月はさぁ。滝センセどう思う?」

「指導者としてみるなら、全国に連れていける力量と知識はある。ただ、部を受け持つ教育者としてみるなら、あまり。音楽指導特化って感じがするかな。人の感情の機微には致命的に疎いと思ってる。サンフェスでなくていい発言で数日とはいえボイコットまで起きたんだし。あと、軌道修正力と臨機応変さも足らない」

「ほぉん……」

「なんだ「ほぉん」って」

 

 秀一の本当に頭に入ってるのかと疑問を抱くほど気の抜けた返事に悠月は気を悪くすることなく突っ込む。それに秀一は頭に手を当てながら答えた。

 

「いやさ、色々考えてんだなぁって。俺そこまで考えてなかったから。本当に実力あんのかくらいにしか考えてなかったから」

「そんなものじゃないかな。僕が結構考え込むタイプだから。あと、仮にも一年生纏める役を買って出たんだから色々、ね。考えないといいけないこともあるから」

「よくあの部の状況で一年生をまとめようと思ったよな。俺なら上級生が怖くてできないわ」

「滝先生と小笠原部長には許可とったからね。一年だけでミーティングやるっていう。後ろ盾作ってしまえば何でもないただの三年は口出しできないよ」

 

 そこまで言って、「あ、そうだ」と悠月が今度は秀一に問い返した。

 

「秀一から見て今どう?みんなのやる気とかの状態は」

「まあ、音は聞こえるようになったよな。滝先生の指導に文句がある人は多そうだけど。フルートの先輩とか泣いてたし」

 

 悠月もそれは聞き及んでいる。だが、泣くほどなら最初からやっておけばよかったのだ。経験者であの程度となれば、悠月が滝先生の立場でもそう言うだろう。正論しか言っていないのだ。滝は。納得できるかはさておくが。

 

「みんな、今はただ反骨心というか、滝センセを見返すっていう感じで練習してるように感じたかな」

「一年は?」

「それこそ悠月のほうが詳しいだろ」

「僕はほら、やってみなよって言った側だからどうしても本人たちは言いづらいと思うから。他の人の生の意見を聞いてみたくて」

 

 やってみた結果、やっぱりあまり楽しくなかったのであれば悠月は理解も納得も示すが、本人はやはり気を遣ってしまうだろう。

 

「ほかのパートはよく知らねえけど、少なくともトロンボーンの一年は皆やる気だと思うけどな。悠月の渡した教本ずっと開いてやってるし。もちろん、ちゃんと合奏練習もしてるけど」

 

 なら、よかったと胸をなでおろす悠月はだったが、不意に秀一の目線がある一点に固定されていることに気づいた。その視線を辿ると、その先にはコンビニエンスストアがあったが、どうやら秀一はそれではなく、その前で並んでいる北宇治吹部の低音の一年生三人組の真ん中の女の子に向けられていた。

 

 確か、名前は黄前久美子。担当楽器はユーフォニアムで経験者だったはずだ。そういえば、自己紹介の時に大吉山北中学校出身といっていたはずだ。なるほど、同中の出身で知り合いらしい。

 

「知り合い?」

「幼馴染だよ」

 

 秀一の彼女へとむける目線がほかの女子へとむけるものと種類が違うことに悠月は気づいた。悠月は心の内で疼いた悪戯心に従って、秀一に声をかけた。

 

「先帰ろうか?」

「そんなんじゃない。けど、悪い。俺から頼んだのに、いいか?」

「いいよ。じゃあ、また明日。学校で」

「おう。じゃあな」

 

 そういってコンビニの方へと向かっていく秀一にひらりと手を振って、悠月は自転車に乗り漕ぎ出すのだった。

 

 

 

   ◇◆◇

 

 

 

 それから明くる日も明くる日も、吹奏楽部は練習に明け暮れ、悠月はバイトをしながら、部活では自分の練習と初心者───特に吉沢───への指導と他パートの一年への目配りをしながら、悠月が渡した教本のことで質問にきた子に返事を返すという忙しくも充実した日々を送っているうちに、とうとう、水曜日。二度目の合奏の日がやってきた。

 

 音楽室には、一度目の合奏と同様に全部員が集結していた。しかし、その空気はピンと張った緊張感に包まれ、皆一様に浮かべる表情は真剣そのものだ。一回目では見られなかったが、今はそれぞれの手がちゃんと楽器に向けられている。今からの合奏に懸ける思いがあるからだ。

 

「絶対文句なんて言わせない」

「これだけやってまたなんか言われたらマッピ投げるし」

「てゆーか、指揮棒使わないのなんで?わかりづらいんだけど」

 

 そして、口では何やら不穏なことを口走っている声も聞こえるが、彼らはこの一週間でそう言えるほど練習を重ねてきた。動機はサンフェスへの出場権を取り返すであったり、反骨心であったり、見返してぎゃふんといわせたいであったり、多々純粋に合奏がしたいなんて思う部員もいるだろう。動機なんてものはまっすぐ音楽に向かなくていいのだ。やることに意味がある。

 

 悠月としては、まだ部の空気に染まっていなかった一年はともかく、上級生がここまでの変化を見せたことに驚いていた。悠月としては滝先生の指導だと思っていたが、実は悠月の行動の影響も多分にあることはこの時の悠月はいまだ知らない。

 

 ガラガラという音が鳴るのと同時に、室内の緊張は一気に高まる。木の地面を打つ足音が静寂に包まれた室内で嫌に目立つ。そして、その足音は指揮者台に登ったことで鳴りやむ。その代わりに声が空気を震わせた。

 

「皆さん、揃っていますね。約束の日になりました。この一週間の練習の成果が楽しみです」

 

 その足音の正体、滝はにっこりと柔らかないかにも優しい男性という印象を与える笑みを浮かべて告げた。もう、この吹奏楽部の部員にその笑顔に騙される者はいないが。

 

 それに返事をするものはいない。その代わり、それぞれが真剣な表情を返す。それに滝は頷いて、いわゆるコンサートマスターと呼ばれる役割を持つ左最善列にいるクラリネットの三年に声をかけた。

 

「鳥塚さん。お願いします」

 

 その呼びかけから、間もなく。クラリネットからチューニングが始まった。これは野球で言うところのキャッチボールだ。もしくは準備運動。演奏前には欠かせないものでこれをすることによって、各々の楽器を調整する目的がある。楽器というのはどの楽器でも共通して環境の影響を受けてしまうからだ。

 

 チューニングにも、練度のようなものがある。入学式に訪れた時や一回目の合奏の時には何回も繰り返し行わなければ合わなかったものが今ではたったこの一度の調整でバッチリ合っている。

 

 そして、基礎ができていれば、このチューニングさえも音が美しく淀みのない澄んだ音になる。目を瞑って耳を澄ませて聞いていた滝もうっすらと口を緩ませている。それだけ、演奏も期待できる、そう予感させる音を今この段階で響かせていた。

 

「それでは、始めましょうか」

 

 滝が手を上げる。そして、「……3、4」という声とともに振り下ろされた手に合わせて各楽器の音が奏でられる。音の出はばっちり、揃っている。悠月は内心で笑みを浮かべる。今は自分の音と、周りの音、そして、滝の手に集中しよう。そう考えて、悠月はより深く集中するのだった。こういう深く集中できているときは、脳内に譜面が淡い光を纏って浮かんでくる。

 

 行進曲と呼ばれている通り、その勇ましさは聴くものに勇気を与え、思わず行進して今いたくなるような壮快さを抱かせてくれるメロディは音楽室を飛び越えどこまでも鳴り響くかのようだった。

 

 曲は、最後の小節をたった今、迎えた。最後の音が聞こえなくなって悠月は高揚感を胸に、トランペットを口から離す。やはり、楽しい。悠月はこの瞬間のために音楽をトランペットをしている。今の合奏は、間違いなく今できる最高のものだった。そして、そういう確信があるときは大抵───。

 

 

 パチパチ───。

 

 

 どこからともなく拍手が聞こえる。そして、それは伝播していく。その正体は、今回、合奏に参加せず見学という形でそれぞれのパートの場所で合奏を聴いていた初心者の一年。最初の一人は、トランペットの吉沢から。

 

 実は演奏前に悠月は吉沢にだけこうお願いしていた。

 

『本当にいい演奏だと思ったとき、感動したときは拍手してほしい』と。

 

 サクラではなくて、厳しい目で評価してくれと頼んだ。余計な忖度は要らないから、と。

 

 そして、吉沢は拍手をした。それは心が動かされ感動したということの何よりの証左だった。その顔には、興奮と、高揚感を募らせていて、目は輝いている。本音だということはその表情が雄弁に語っていた。

 

 演奏をしていた者たちの顔には、嬉しさと、自信と、不安を乗せて、滝を見つめた。中には、マウスピースに手を伸ばしている者がいる。やめとけ。悠月は心中で苦笑を浮かべる。

 

 滝は少しの間、目を伏せてから一つ頷いて、表情をほころばせた。

 

「いいでしょう」

 

 その一言に、音楽室の緊張はふっと緩み、そして、明るく、軽くなる。真剣な表情から笑顔を浮かべる者、ほっと息を吐く者、小さく手を握りしめる者もいた。

 

「細かいところを言い出すとまだまだ言えますが、何よりも皆さん。今、合奏をしていましたよ」

 

 拍手という賞賛をもらう。努力を認めてもらう。これは、大きな成功体験となる。そして、これは飢えとなるだろう。もっと、もっと、と。望むようになれば、相応の積み重ねをするようになる。そうなればいい、そうなってほしいと悠月は思った。

 

「では、小笠原さん。これを皆さんに配ってくれますか」

 

 滝のその言葉の後に、配られ、手元に届いた用紙には予定表と記されていた。平日は最終下校時刻の一時間前、つまり放課後すぐから18時まで。休日は9時から12時、一時間休憩を挟んで13時から最終下校時刻の一時間前の16時まで。最終下校時刻までは自主練習に充てる生徒はしてもかまわないということだろう。

 

 昨今、部活動の時間には厳しい目を向けられているようだからそのあたりにも気を配った練習時間といえる。しかし、どれだけの時間練習に費やすかは本人の自主性が問われるだろう。間もなくゴールデンウィークに突入するが、当然、その間もみっちり練習の予定が入っている。

 

 見慣れたものだ、と悠月は予定表から顔を上げて滝を見る。これを準備していたということは、だ。やはり、性格が悪い。そんな思いが透けていたのか滝と目が合って、悠月は肩をすくめる。

 

 どこかからか、曲は何か、と質問が飛ぶ。

 

「譜面は明日、配ります。残された日数は長くはありませんが、皆さんが普段若さにかまけてドブに捨ててる時間をかき集めればこのくらいの練習量は余裕で確保できるでしょう。サンフェスは楽しいお祭りですが、コンクール以外で有力校が一堂に集う貴重な機会です。この機会を利用して今年の北宇治はひと味違うと思わせるのです」

 

 冒頭の言い方がいいか悪いかはさておいて、コンクール前に有力校の演奏を聴けるのはプラス要素だ。超えるべき壁が明確なのだから。

 

 悠月はどう時間を捻出しようかということに思考を割いていると、小笠原から不安の声が出る。

 

「でも、今からじゃ……」

「できないと思いますか?」

 

 滝は即答して、周りを見回す。そして、告げた。自信に満ち溢れた声色で。奮い立たせるように。

 

「私はできると思っていますよ。なぜなら私たちは、全国を目指しているのですから」

 

 その滝の眼差しと表情で多くの部員は気付いただろう。この人は本気で自分達を全国へ連れていこうとしている、ということに。

 

 悠月は、滝のまるで覚悟を決めたかのような前しか見ていない目に、悠月も気を引き締めなおす。後輩にあんな置手紙をしたのだ。格好悪い姿は見せられない。

 

(……さあ)

 

 ここが、スタートラインだ。

 

 最後に、どこまで到達したか、どのような表情で終われているのか。それは、自分たち次第だ。あわよくば、笑顔で終われるように。

 

 北宇治高校吹奏楽部は、この瞬間を以て新しい姿で始動するのだった。

 

 

 




ありがとうございます。


200件お気に入りありがとうございますと言おうとしたらもう260件を超えておりました。本当にありがとうございます。これからも頑張ります。


  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。