想いを音色に乗せて   作:猫柳/nekoyanagi

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第007曲  変化

 開けられた窓から入ってくる京都特有の熱気を微かに含んだ風に夏の訪れを感じながら、悠月は帰りのホームルームにて諸連絡を口にする担任に耳を傾けつつ意識の大半をスケジュール帳に向けていた。

 

 今日が四月第四週の金曜日。明日から五月二週目の火曜日までがゴールデンウィーク休み期間となる。そして、高校最初の聴衆に演奏を聞いてもらう機会であるサンフェスは来週の日曜日、五月第二週の日曜日だ。

 

 その先にも目を向ければ、休み期間が明けて少し経てばついに高校最初の定期考査だ。悠月が在籍するクラスは進学クラスのため普通科より進行ペースが早い。だが、特別心配することはないだろう。やるべきことはしっかりしている。ただ、憂鬱なのは中間考査までのおおよそ二週間、丸々学校での部活動ができないことだ。それに関してはとやかく言っても仕方の無いことだが。

 

 バイト、練習予定、行事のみで構成されたカレンダーは実に淡白だ。普通の高校生ならここに友人との遊びや恋人とのデートの予定なんかも入るのだろう、と思いながらペンを回す。この辺りは悠月に時間を作れる余裕がないということ、それと同年代で趣味が一致する相手がいないことが影響しているのだが。

 

 あっという間の一ヶ月だった。悠月としてはそんな感想を抱いていた。より具体的に言うなら、環境の変化への適応に奔走する一ヶ月だった。特に変わったのはやはり、部活動だろう。

 

 あの二回目の合奏での成功体験から、空気が一変した。変化の度合いで言えば、中学の頃よりも振れ幅が大きい。これによって悠月自身の忙しさは跳ね上がったが、どこか心地よい。もしかしたら、社畜の才能があるのかもしれない。そんな才能要らないが。

 

 見返りがあれば頑張る、成果が出たら今度もと頑張れるというのは中々現金で単純なものだとも思うが、なんにせよ、変化は変化だ。そして、個人の思いはさておいて全国を目指すうえでは良い変化と言える。

 

(ただ……)

「よし。じゃあ気をつけて帰れよ。ゴールデンウィークだからって羽目を外しすぎないようにな~」

 

 思考に耽っていた悠月は、担任のその言葉に顔を上げる。先の思考の続きもまた、滝には話しておいて方がいいかもしれない。いや、これは松本の方がいいだろうか。人生経験でも教師の経験年数でも松本の方が上なのだしデリケートな問題は松本の方がいいかもしれない。

 

 正直な話。教育者としては悠月は滝を信用していないのだ。とん、とスケジュール帳を閉じて立ち上がる。

 

 そして、隣にいた高坂に声をかけた。悠月と高坂がいるこのクラスは、総勢30人のクラスであり、縦5列、横6列で座席が割り振られている。そして、席替えはまだしておらず出席番号順であるため、悠月の後には井上、上林、榎本、大崎と続いて高坂となるため席が隣なのだ。

 

 ちなみに最前列だ。寝るもしくは内職はできようはずがなかった。

 

「僕この後松本先生のところ行くから、先行っててくれ」

「分かった。先輩にも伝えとく」

「ありがとう。助かるよ」

 

 

 

 

 

 

 それから、荷物を纏めて悠月は目的の人物の下と進路指導室で対面していた。

 

「お前から私の下へ来るとは思わなかったぞ。明瀬」

「少し、お願いしたいことがありまして」

「ほう。言ってみろ」

 

 松本美知恵。一年三組の担任で担当教科は滝と同じく音楽。吹奏楽部の副顧問でもある。実は滝を顧問に据えたのはこの人だったりする。常に規律を重んじる毅然とした性格の持ち主で、生徒たちの間では「軍曹先生」として恐れられている。

 

 そんな人物だが、悠月は結構この先生に対して好印象を持っている。滝を顧問に据えたのだって少し考えれば経験を積んでもらうためだろう。そして、松本なら部員に強制力を持って指導することだってできたはずなのにそれをしなかったのもそれでは本人たちのためにならないと生徒のことを思ってのことだろうと推察できる。

 

「実は、三年生との個人面談を松本先生にお願いしたいんです。特に進路、というより受験に関して。これに関しては、一介の生徒が口出しすることではないので」

 

 それに対して、松本はこちらを見据えたまま黙っている。

 

「今の部の空気は高まっています。良くも悪くも部の状況は変わりました。まずは目先のサンフェスに向けて、そしてその先の全国大会出場に向けて見る先が纏まりました」

 

 空気というのは恐ろしいもので、あれだけ堕落していた空気が、たった一つの成功体験と味わった興奮と高揚感によって「これを味わえるのか」と見据える先が統一され一体になった。しかし。

 

「ただ、今はその空気に流されていても、いずれ否応にも現実を見ることになると思うんです。特に三年は」

「受験、だな」

「はい。全国大会に行ったら三年生の引退は十月中旬まで伸びます。これは一般受験を見据えた三年にとってはかなり厳しいでしょう。しかも、センター試験が一月上旬に控えてますから。そうなれば受験への猶予は二ヶ月程になる上、コンクールが近づいていけば今以上に部活動に時間を使うことになり勉強時間は取れなくなります。そうなれば、退部を見据える生徒が今から出てきたとしても不思議ではないです」

「……経験則か?」

 

 松本からのその鋭い問いかけに、悠月は自嘲を浮かべた笑みで返す。

 

「……ええ。それはまあ、痛い目を見ましたよ。僕はそういった部員は退部してもらって構わないと思ってたんです。部活動はどれだけ高尚な目標を掲げようとも部活動の域をでませんから。しかし、どうも吹奏楽部という組織に置いて誰かが欠けるというのは想像以上に残る誰かに影響が大きいみたいで」

「……そうだな。吹奏楽部というのは、ある意味どの部活よりも不思議な空間だ。私でも、まだ掴み切れないことも多い」

 

 どうやら、松本も同様の考えを持っていたようだ。同意するように悠月も頷く。

 

「いい勉強になったみたいだな?どうしたんだ。そのあとは」

 

 すると、にやっという擬音が付きそうな笑みを浮かべる松本に悠月は苦笑を浮かべた。そして、肩を竦めながら自身の不甲斐なさを口にした。

 

「当時の副部長と大口論に発展しまして。最終的に、籍を置いてもらったまま、受験勉強を優先してもらってました。ただ、こちらとしても三年という経験者が抜けるのは痛いと判断し、勉強の合間合間にオーディションに落ちたメンバーのフォローと指導をしてもらえないかとお願いすることで落ち着きました」

「随分丸い収め方をできたんだな」

「副部長様々ですね」

 

 どうも、副部長曰く、悠月は去るもの追わずが過ぎるようだ。この辺りが、機械的で人を見ていないように見えると、音しか見えていないんじゃないかと感じてしまうと言われてしまった。そして、もう少し人を見てあげてほしいとも。

 

 その反省を二度も繰り返すわけにはいかないし、人を見ることがすなわち音に直結することも痛感してしまってはもうやることは決まっている。

 

 悠月は会話を本題に戻すために真剣な表情を浮かべ、再度頼み事を口にした。

 

「それとなくでいいので、受験に対する意識を聞いてほしいんです。その上で、コンクールに向けて忙しくなるという旨を伝えていただき、その際迷っている生徒がいれば松本先生から選択肢を与えていただきたいと思っています」 

 

 悠月は、言い方は悪いが一年を唆した立場として、他パートにも顔を出して一年の様子を見てきた。その時、特別気にして見ようとはしていなくても目に映るものがあった。それは、心の底から今の状況を楽しめていないような、複雑そうな表情。去年の出来事も後を引いていたりもするのだろう。

 

「選択肢は?」

「松本先生に任せます。僕が聞くわけではないこともありますし、こちらが選択肢を絞ってどれかを選べというのは卑怯だと思うので、なるべく背中を押してあげるような選択肢の与え方をしていただけると部にとっても本人にとっても助かりますしありがたいです。特に、今の三年は去年のしがらみがありますし特殊な悩みを抱えている人もいるでしょうから。お願いいたします」

「…………明瀬」

 

 悠月が深く頭を下げて数秒。松本はやや低い声音で悠月の名を呼んだ。断られるだろうか。一生徒がそこまで口出しをするんじゃないと叱られるだろうか。ぎゅっと目を瞑った悠月だったが、返ってきた答えは、悠月が思いもせぬ言葉だった。

 

「それは教師として当たり前の責務だ。たった十数年生きただけの子どもに頼まれる筋合いはないぞ。言われずとも子どもを支え導き、背中を押すのが大人であり、教育者だからな」

「……すみません。出しゃばりました」

 

 悠月は松本の叱りながらも諭すような言葉に頭を下げる。

 

 ただ長生きなだけの木偶はそこそこいるが、この人は凄い人だ。そして、見えているものが多い。言い方も悠月に最大限気を配ったもので、尊重する言い方をしてくれている。やはり、人生経験の長い大人は凄い。

 

「だが、提案はありがたく頂戴する。こちらから三年生と機会を設けて聞くことにする」

「……ありがとうございます」

 

 悠月は提案を聞き入れてくれた松本に感謝を告げて頭を下げた。

 

「今日も練習だろう。早く行け。本番まで時間がないのだからな」

「はい!失礼します」

 

 なるべく、全国大会出場への障壁は取り除きたい。それに、一つ、布石も打てた。これが通ったのは大きい。悠月は扉を閉めながらそう考えるのだった。

 

 

 

   ◇◆◇

 

 

 

「げ。」

 

 部活を終え、帰路についていた悠月は、顔をしかめて自転車から降りる。何かをタイヤが弾いた感覚と共に耳に嫌に空気が抜ける音が聞こえてきたことに嫌な予感を覚えた。

 

 端に寄って前輪を指で挟めば、普通ならあり得ないほど反発がなく押し込めることに悠月は深くため息をついた。嫌な予感は当たっていた。

 

「どうすっかな」

 

 時刻はもう19時を過ぎていた。今から最寄りの自転車屋へは徒歩でも三十分は余裕で超える。ただ、幸いなのは学校を出たばかりということだろう。こうなると、今日は一旦学校に置いて電車で帰り、中間考査辺りの部活のない時期に修理に行く方がいいかもしれない。

 

「……はあ」

 

 立ち呆けているわけにもいかないため、決断と共に深くため息をついて、悠月は来た道を引き返し、自転車置き場へと戻った。

 

 そして、自転車を置いた悠月は再び校門を出て今度は北宇治の最寄りであるネガティブな思考に陥らないようにするために、先日、滝から配られたサンフェスで演奏する曲について考えていた。

 

 曲は、『ライディーン』。イエロー・マジック・オーケストラの二枚目のシングル曲で、その名は半ばノリのような発言で『ライディーン』になったと記憶している。確か、アメリカのアニメの名前がそんなだったとかなんとかだった気がする。

 

 マーチングで選曲されることからも分かる通り、金管と打楽器が目立つ曲で、トランペットを吹いている悠月としてはおいしい選曲だった。ただ、座奏とマーチングは難しさのベクトルがまた異なるため、苦労する人は出てきそうだ。

 

 確か、今回は楽器構成の面からも初心者にはポンポンやカラーガードを持って行進する役割を与えられると聞いている。その中で、北宇治の名物らしいステップがあるのだが、「謎ステップ」と呼ばれるらしい。

 

 そんなことを考えながら、あまり褒められたものではないがブルートゥースイヤホンを携帯に繋ぎ件の『ライディーン』を流しながら歩いていると少し先を歩く女子三人組が視界に映った。

 

 低音の一年だ。黄前久美子、加藤葉月、川島緑輝(サファイア)───呼称、みどり───だと記憶している。いつも一緒にいるな、あの三人などとぼうっと眺めていると、何を話していたのかは分からないが、加藤がその活発さを体現するかのようにくるりと反転した拍子に、ばっちり目が合った。

 

 こっちを指さして何かを言っているようだったからイヤホンを外したが、そう人を指で指すなと心の中で呟いておく。悠月は気にすることはないが、そういう仕草はふとした瞬間に出るものだと思う。目上の人相手にやってしまったら特に気にする人なんかはもうカンカンだろう。

 

「あんれぇ?明瀬君じゃん!自転車じゃないの?!」

 

 練習終わりでも元気溌剌でよろしい事だが、もう晩御飯時だしこの付近は住宅街だ。近所迷惑にならないように、悠月は小走りで近寄ってから加藤の質問に答えた。

 

「学校出てちょっとしたところでパンクしたから学校置いてきた」

「あらら。それは災難でしたね。帰り、大丈夫ですか」

「交通費は持ってるし、電車で帰れるよ。大丈夫」

「なら安心ですね。お家はどちらなんですか?」

「小倉だよ。宇治の隣」

 

 一見小動物のように小柄な少女でありながらコントラバスを担当している川島とそんなやり取りをしていると、ぼそりと呟かれた「……近くだ」という声に悠月はそちらを向く。

 

「そうなんですか?」

「あ、いや」

 

 思ったことが口に出てしまったのだろう、川島の質問と視線が集まったことにあわあわという感じで取り乱していたが「あ、そうだ!」という加藤の声に今度は加藤に意識と視線が移る。

 

「明瀬君について教えてよ!プロフィール的なさ。こないだの自己紹介の時も名前だけしか言ってなかったし。帰り道一緒だしさ。どうだろ」

 

 そうだっけ、と思ったが、確かにそうだ、と思い直す。そういえば、悠月は自分のことに関してほとんど何も言ってなかった。断る理由もないし、と悠月は頷く。

 

「いいよ。何から聞きたい?」

「う~ん……」

「考えてなかったんだ……」

 

 考えてなかったんかい、という心の声と黄前から漏れ出たその声が一致した。ゆっくりでいいよ、と悠月は声をかけた後すぐ、最初の質問が飛んできた。

 

「そのトランペット。マイ楽器なの?」

「そうだよ」

 

 悠月は頷きながら、背中に背負っていたリュック型の楽器ケースを胸の前に持ってくる。すると、小首を傾げながらまじまじと楽器ケースを見つめてとある質問をぶつけてきた。

 

「そういえば、明瀬君のトランペットのメーカーの刻印、見たことないのですが外国のメーカーなんですか?」

「そうだよ。ドイツの楽器工房で作成されたものなんだ」

「へぇ~。楽器にもいろんなメーカーがあるんだなぁ」

「明瀬君はそのトランペットにお名前って付けてるんですか?」

「名前、名前か……」

 

 確か、このトランペットにも名前が付けられている。悠月が自分でつけたわけではなく、これを作成した工房の主人が命名したものだったはず。昔、父からこれを贈られたときに教えられたその名は。

 

「『シャーロット』。これを作った工房の人がそう名付けたって聞いてから、ずっとこの名前のままだよ」

「シャ、シャーロット?」

「女性名ですよね?確か、元は男性名の『シャルル』から派生された名前でしたっけ」

「良く知ってるね。そうだよ」

「由来はなんなの?」

 

 悠月もその名前を聞いた後すぐ、パソコンで色々調べた。英語圏やフランス圏で広く使われており、その由来や意味には深い歴史があるとされている。また、文学や芸術に関心のある家庭で人気、と悠月が見た文献では書かれていた。

 

 この『シャーロット 』という名には、優雅さや知性、そして品位が込められているとされ多くの人々に愛され続けている。そして、男性名の『シャルル』には、「自由な人」や「強い人」という意味が、女性名の『シャーロット』には二つの意味があると父から教えてもらった。

 

「「自由を愛する者」、「強い意志を持つ者」。そんな意味が込められてるって聞いた」

 

 加藤の質問に悠月がそう答えると、加藤と黄前は「ほえ~」という気の抜けた返事をしているのを見て、まあそんな反応になるよなと苦笑を漏らしたが、川島から不意に声がかかった。

 

「なんというか、明瀬君の相棒にふさわしい名前ですね!」

「そうかな」

「そうですよ!だから中学三年の時に全国金賞を獲れたんだと私は思いますし、今だって率先して全国大会出場のために行動しています。それは、強い意志を持ってるからできることです!」

 

 目を輝かせながら凄い剣幕で言う川島に悠月は押されつつも、初めて言われたことに悠月は何処か新しい何かを見つけた時のような高揚感に見舞われた。

 

「でもさぁ。じゃあ「自由を愛する者」って何なわけ?」

 

 加藤のその質問に対して、悠月はある程度自分の答えを出していた。

 

「あぁ、それは多分、音楽を自由に楽しんで吹けって意味で僕は解釈してるよ」

「案外単純?」

「そうかもね。そのくらい単純でいいんだと思う。ま、解釈なんて人それぞれだから、僕はそう思うってだけだよ」

 

 

 悠月がそう締めた後も、質問攻め───主に加藤と川島からの───にあいながら帰路を辿っているうちに、川島は駅の時点で別れ、加藤は黄檗で降り、黄前とも他愛ない世間話をしてその日は終わるのだった。

 

 

 

   ◇◆◇

 

 

 

 そして、翌日。今日はサンフェスで着る衣装が届いたため、そのサイズ決めだ。とは言っても、男子は人数も少なく大して時間もかからないためすぐに終わり、微妙な暑さを感じさせられる廊下で待ちぼうけていた。音楽室を女子が使用していたため男子は追い出されたからだ。吹奏楽部において、男子のヒエラルキーは余程のことがない限り下だ。そして、それに慣れていたため悠月としてもそれに不満はないのだが。

 

「なあ。こんなに女子がいて男子がハーレムにならないのはおかしくないか?」

 

 譜面を見ながら、指だけを動かしていた悠月の耳にそんな呆れるようなしょうもない文言が届いた。暑さで脳がやられてしまったのだろう。かわいそうに。と悠月は聞き流しながら、その会話を聞いていた。

 

 総勢、八十人を超える北宇治高校吹奏楽部に所属している男子の人数は一割にも満たない。今悠月と同じトランペットパートの二年の滝野が言ったようなことを理想に入ったなら厳しく冷遇される現実にその理想はすぐさま儚くも無残に散ることだろう。そして、滝野はモテたい願望が強い。哀れだ。その夢は叶わないだろう。

 

 男の、というより他人の色恋なんぞに興味はないため、BGMとして右から左へ聞き流していると、唐突に白羽の矢が悠月に向いた。

 

「明瀬はどうなんだよ。入学早々中世古先輩と噂立ってただろ」

 

 悠月は収束していたその噂を掘り返されたことに内心辟易としながら、それは表に出さずバッサリと言い切った。

 

「何もないです。噂が出て以降なにも音沙汰ないことが証明してるでしょう。それにあれ自体、元から何もなかったのに勘違いした誰かさんが言いふらしたデマです」

「じゃあ彼女は?俺知ってんだからな。お前が付き合いたい男子ランキング一位にいるの」

「非公式のファンクラブもありますよ。明瀬、見た目良し頭良し運動神経良し愛想良し面倒見良しの五拍子揃ってますからね」

 

 なんだそのろくでもないランキングは。そして、なんだその非公式ファンクラブとやらは。悠月は聞いたこともないのだが。

 

「彼女もいませんし、恋愛にも今は興味ないです。強いていうなら、トランペットが恋人ですよ」

「あーやだやだ。彼女持ちとイケメンは言うことに余裕がありますなぁ。羨ましいですなぁ」

 

 悠月に対して、これ以上出てくるものはないと判断したのだろう。標的が悠月から悠月と同じように変なこと言ってらこの人たちという目で見ていた秀一へと変わった。

 

「塚本はどうなんだ?」

「おっ、俺ですか?」

 

 まるで当たり屋である。滝野が次々に誰も幸せにならないであろうものを振りまいている。かわいそうに秀一と思いながら、助け舟を出すために立ち上がって対象を全員にして問いかけた。

 

「飲み物買ってきましょうか?この後、グラウンドで練習ですし、水分は補充しておいた方がいいでしょう?」

 

 悠月はペットボトルを口に運ぶ仕草をしながら言うと、各々の返事が返ってきた。

 

「いや、いい。ありがとう」

「はいはい!俺ポカリ!」

「俺は水で。ミネラルウォーター!」

 

 上から順に後藤、滝野、滝川の順だ。実に性格が表れた返事だなと思いつつ、あとで建て替えてくださいね、と一声かけて、秀一に視線を送った。

 

「荷物持ち、手伝ってくれ」

「お、あいよ」

 

 それから、男子の集団から悠月と秀一の姿が見えなくなったタイミングで、秀一から感謝を告げられた。

 

「ありがとう。悠月。助かったよ」

「どういたしまして。あの感じだと容赦なく根掘り葉掘り聞かれそうだったしな。見てるだけもかわいそうに思えたから」

 

 それに、と悠月はこの間のことを思い出しながらいたずらっ子のような笑みを薄っすらと浮かべて続けた。

 

「いるもんな。お前。気になってる人」

「は、はぁ?!」

「黄前だろ。ユーフォの。こないだの秀一が黄前さんを見る目が他の女子を見る目と明らかに違ったよ」

「……言うなよ」

「言わないよ」

「悠月、意外とSだろ」

「そんなことないよ」

 

 いじけたようにこちらをジトっと見ながら言う秀一に軽く笑いながら頷いて、悠月は一声かけた。イイ性格してるとは言われるけど、と内心で呟く。

 

「頑張りなよ」

「……分かってる」

 

 

 

 

 

 

 この日は、まだ本格的な夏場の暑さではないものの、それでも汗がにじむ中、グラウンドでマーチングの練習を行っていた。中心となって纏めているのは、マーチングリーダーの田中あすか。マーチングリーダーとは、座奏でいう指揮者であり、中心的存在だ。

 

 役職的な部長は小笠原だが、小笠原では収集がつけられなくなったときは田中が纏めていたのを何度か目にしたため、実力と適性はあるのだろうと悠月は思っていると、田中が大きく声を張った。

 

「じゃあ、練習始めます!!事前に説明した通り、まず一年生と初心者は部長の下でステップ練習、上級生は私の下で楽器を持たずに行進練習を行います。全体の動きが揃っていないと不格好に見えてしまうので、足が揃うまでとにかく歩きます。勝手に足を止めないように!」

 

 はい!とその田中の声に部員全員が大きく返す。完全に悠月が教室の窓から見る体育会系の部活と同じことをしている。吹奏楽部が実は体育会系と呼ばれる所以はこの辺りにあるのだろう。

 

 そして、的確な指示の飛ばし方に、悠月は後輩ながら感心する。マーチングにおいて、需要な要素は、音楽と身体の一体感、チームワーク、視覚的要素だ。突き詰めていけば、フォーメーションなど奥が深いのだが、まだまだ基礎の段階である北宇治には、初歩の初歩、行進を揃えるところからだ。

 

 この行進練習に置いて、何気に難しいのが周りを見ることだと思っている。前をちゃんと見つつ周りと合わせるためには、横目で合わせる必要があるのだ。実際、既に「前ちゃんと見て」との声が田中からなされている。

 

 注意、修正、注意、修正を繰り返していくうちに、ある程度形になってきたのを確認し、少しの休憩となったが、いくら体育会系と言われようが中身は文化部だ。当然、体力のない部員もいる。そういう部員は大抵。

 

「し、死ぬ」

「あかん……あかん……」

「足取れそう……」

 

 屍となってそこら中に倒れるか腰を下ろすかしている。最近、熱中症が出たという報道もされているから、水分は注意して飲んでほしいものである。この景色自体は少し面白いが。

 

 五分の休憩を挟んでから、今度は各パートに分かれて今度は楽器を持っての練習となる。

 

 これがまた難しい。楽器を吹く、足をしっかり上げて行進する、周囲と合わせる考えること、ドラムメジャーを見るなどなどやることが格段に増える。そして、普段しないようなミスにも気を遣うため、集中力と体力がガリガリと削れていく。すると、段々、最初は気にしてできていたことも視野が狭まっていき失敗が増えていく。

 

「加部さん、腿を上げて」

「高坂さん、ベルを下げない」

「全体的にもっと音出して」

 

 などなど、滝がパートを見に来た時には傍から見て注意を受けそこを改善したりしている間にも時間は経っていき、最後には全体で合わせる練習に入る。この時点で割と満身創痍な部員が多々いるが、当日はこの比ではない。こんなところで泣き言は言ってられないことは皆分かっていた。

 

「では、始めます!」

 

 ここからは、滝と松本に見てもらいながら目についたところを注意してもらい、部員は改善のための練習に入る。この作業を延々としながら皆が歩いた後でグラウンドに楕円の跡ができるほど練習を重ねた頃には、既に夕暮れ時となっていた。

 

 そして、疲れている時でもラスト一回となれば会心の一回というものは出るもので、その一回が終了した後予定表に記されていた全体練習は終わりを迎えた。全員が整列したその前に立った田中が告げた。

 

「皆、今日はお疲れ。ラスト一回の感覚を忘れず、残りの練習期間も集中してやっていきましょう」

 

 練習開始の時と同様、疲労はあっただろうが大きな返事を返す。この返事も見違えるように出るようになった。

 

 田中が部員の返事を聞いて、滝へと主導権と明け渡す。それを受け取った滝は腕時計をちらりと見やったあと、部員を見渡した。

 

「では、そろそろ時間ですね。今日はここまで。片づけに入りましょう」

「はい。じゃあそれぞれ片付けに入ってください」

 

 滝の言葉を受け、部長が改めて指示を飛ばした時、それに待ったをかける声が出た。部の空気が変わったことはこういうところにも顕著に変化が現れているのではないだろうか。

 

「あの、ちょっといいかな。明日からグラウンド使えないんでしょ?だったらもう少し合わせておかない?」

 

 こういう声が自主的に上がることは、二回目の演奏以前には見られなかった行動だ。良い変化、といえるだろう。部活動は、人間的な成長をする場でもあるのだ。この声を受けて、先生は再度時計を確認する。

 

「分かりました。では、三十分だけ延長します。ただ、帰らないといけない人は帰ってください。続ける人は携帯使って良いですから、家に連絡すること」

 

 自主練習が強制、みたいな雰囲気になっていないのは事情があり残れない部員からすれば助かるだろう。半強制的な自主練習などそれは自主練習とは呼ばない。

 

 三年生は受験生だから勉強を優先したいという人もいるだろうし、一年や二年の中にも塾などに通っている、バイトがあるなどの何らかの事情で残れない生徒も一定数いる。かくいう悠月も一応定められている最終下校時刻の19時には帰宅するようにしているのだが、その代わり朝練には誰よりも早く来ている。

 

「明瀬君。残るの?」

「うん?うん」

 

 麗奈のそんな問いかけに悠月は戸惑いながらも頷く。なんだったのだろうと思うが、多分、たいした意味はないのだろう。今日のバイトは遅くからだ。あとの三十分は全体練習に加わることとしよう。それに、士気が高まっている空間に身を置くのは楽しい。

 

 そんな中、皆が真剣な目をしながらも顔を上げている中で、ただ一人、何処か悩んでいるような何処か冷めたような仄暗い感情を顔に浮かべながら荷物を纏めてグラウンドを去っていく影に、悠月は微かに意識を向けた。あわよくば、いい方へ決断してくれるように、と願う。

 

 いい方向というのが部にとってなのか、彼女にとってなのかは深く考えないようにしながら。

 

 

 




ありがとうございます。


次回、本番です。


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