御幸引退後の沢村とのあれこれストーリー   作:片桐秋

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第10話 遠い将来、そして過去

 夕闇迫る東京の郊外の道を、二人は手をつないで歩き続けた。

 

「俺、そのうち御幸と一緒に暮らしたいんだ」

 

 不意に沢村が言った。

 

「そうだな、俺も…」

 

 御幸は、何かを言いかけてやめた。

 

「何だよ、御幸は親父さんと一緒に暮らしたいのか? だったら、俺が入り婿してやる。親父さんさえよければ、たけど」

 

「入り婿…か」

 

 御幸は少し笑う。その言い回しが面白かったのだろう。

 

「そうそう。御幸の親父さんと一緒に暮らしていいからさ、婿いびりしないでくれって、親父さんに言ってくれよ」

 

 沢村は冗談半分、しかし半ばは真面目に言った。

 

「ハハハハ」

 

 御幸は笑った。

 

「婿いびりか。さて、どうかな」

 

「おいおい、御幸。冗談じゃねえぞ。御幸が親父さんと暮らしたいなら、俺の方は、仲良く三人で暮らしたいからさ。『あなたが一生懸命育てた一人息子を、俺のものにしてしまいました。申し訳ありません!』て報告したら、後は許されて仲良くしたいんだ」

 

 御幸はさらに笑った。爆笑に近い笑い方だった。沢村も冗談半分に言っている。それが分かっているからだが。

 

「そうだな。三人で暮らせるといいな」

 

 沢村も笑った。屈託のない笑みだった。

 

「まだまだ先の話だけどさ、もしプロを引退する時が来たら、そん時は俺の田舎に来てくれてもいいよ。野球で稼いだ金で農業やる会社創ってさ、細かい運営とか経理とかは人にやってもらう。全部事業にぶっこむんじゃなくて、数千万は安全な貯蓄にしておいてさ」

 

 沢村は、そう言って目を輝かせた。彼はここではない遠くを見ているようで、それでいで地に足のついた堅実さや確実性も、しっかりと感じさせたのだ。

 

「農業やる会社に創ったら、うちや近所の空いた農地も効率よく活用するんだ。俺は地元で野球続けて、傍(かたわ)らで農業やるよ。うちの実家でやってるように、キャベツとかニンジンとかじゃが芋とか大麦とかりんごとか育てるんだ。水田を作って米もな。鶏も飼いてえな。他にも、小麦、白菜、大根、ぶどう、いろいろ」

 

「ああ、食い物は大事だもんな」

 

 御幸は、少しまぶしそうに相棒を、人生のパートナーを見た。沢村の意外な一面を見た気がした。

 

──いや、こいつは元からこんな奴だった。ちゃんと、離れてきた故郷の事も考えてたんだ。もちろん、野球に青春掛けてたのも事実だけど。それだけじゃない。

 

「花を育てるのもいいな! うちでは作ってないけど、長野では、花の栽培も盛んなんだぜ。トルコキキョウとかカーネーションだ。御幸にも、きれいな花畑見せてやりたいな。それからさ、農業会社の野球チームも作るんだ。社会人野球で、地元だけでなく全国との野球交流するんだ。アメリカともな! 御幸が東京代表で、アメリカと親善試合やったみたいにさ。ヘヘっ」

 

「すごいな。もうそんな先の事も考えてるのか」

 

「何となくだよ。数千万だの億だのって金をさ、どう使うかなんて分かんねえし。で、うちの村のこと調べてたらさ、法人、つまりまあ会社みたいなもんだ、そんなのに農業やらせたいってあってさ。その方が人を集めやすいし、効率の良い運営がしやすいんだってさ。まあ税金の事とかは複雑で大変みたいだけど、それは分かる人にやってもらう」

 

「そうか…俺は、そこまでは考えてなかった」

 

「ま、実際プロになってみねえと分かんねえからな。今の段階じゃ取らぬ狸の皮算用だ。もし稼げたら、そして引退する時が来たら、そん時はそうしたいって話さ。だけどまずは目の前の野球の事、青道の三年生エースとして、やるべき事をまずはやらなきゃな」

 

 御幸は柔らかく微笑んだ。柔らかで優しくて、そしてどこか寂しげな微笑みだった。

 

「できるさ。それだけ明確で熱意のある目標があるなら。きっとできる。それにしても、お前は古里(ふるさと)思いなんだな。感心したよ」

 

──俺の知らないお前を見るようで、少し寂しい気もする。お前の故郷の事や、お前が長野でどう過ごしていたかは、俺は実際にこの目で見たことはないんだからな。

 

「なあ御幸、俺の故郷の事は、今でも大好きだし感謝してるよ。でも、これは俺がやりたいからやるんだ。誰かのためじゃなく、結果として誰かや何かのためになるんだ。野球と一緒さ。まず自分のやりたい事が先にあってさ、自分のやりたい事一生懸命してると、周りにも良いことができるんだ」

 

「そうだな。俺も、親父のためじゃなく、自分が野球好きだからやりたかった。でも、親父のためにも金を稼ぎたい。それも嘘じゃない」

 

 誰かのために。それは尊い動機かも知れない。しかしもし、それが報われなかったら。感謝されなかったら。それでも、その人のためだったから良いって言えるのか。後悔したり、相手を恨んだりしないのか。

 

 沢村は、御幸と手をつなぎながら、真っ直ぐ前を向いて言った。

 

「決して後悔しない奴、恨んだりしない奴もいるだろう。だけど、俺はみんなのためのヒーローにはなれない。このまま野球を続けて、多くの人に応援されたとしても。俺は、俺がやりたいからやるんだ。これを忘れる事はない」

 

「俺も、だよ。俺がやりたいからやるんだ。キャッチャーも、お前の人生の女房役になるのもな」

 

──昔からキャッチャーは女房役って言うだろう? 俺は、他のピッチャーと違って、沢村お前にだけは、お前の人生そのものでも女房役になってやる。

 

 あたりは薄暗くなりつつあった。夕暮れの美しい時間帯である。西の空には、夕日に照らし出された、オレンジ色とピンク色の雲が流れている。

 

 東には白い半月。空の薄青が、今は深く暗い青になりつつある。

 

「御幸、かわいいよ。俺の御幸」

 

 沢村は心底幸せそうに、ほんわりした顔をしていた。

 

 御幸はニヤリとした。

 

「沢村もかわいいよ。かわいい俺の後輩」

 

 沢村はそれを聞くと、少しだけムッとした顔をした。

 

「かわいいって言うなよ。頼りがいある亭主だって言ってくれ」

 

「もちろん、頼りがいあると思ってるさ。でも、かわいいんだよ。それに俺のことは、かわいいって言ったろ?」

 

「それは、御幸は俺の嫁、俺の人生の女房役だから」

 

「そうだ、俺はお前を亭主に選んだ。ま、ここまでいろいろあったな。なんでこんな奴に惚れちまったんだろうって、思ったこともあったけど」

 

「御幸、ひでえよ! なあ、御幸、俺が青道野球部に入った当時は、御幸は天才キャッチャーと雑誌で評価されててさ、誰もが認める堂々の正捕手だった。俺は、何とかベンチ入りできただけ。上には上がいる。同じ学年に、怪物と言われた降谷がいた」

 

 沢村は、ここで言葉を止めた。御幸の横顔を見る。ゆっくり歩いているので、多少よそ見しても大丈夫だと思っているが、完全に前方不注意になっているわけではない。

 

 降谷は今でも怪物と呼ばれている。エースナンバーを沢村にゆずり、控えのピッチャーになった今でもだ。

 

「ああ、降谷は最初から凄かったな」

 

「でも俺はずっとずっと、青道のエースになりたかった。お前が青道にいるうちに、エースになってバッテリーを組みたかった。俺はお前の背中を追い続けた。お前の背中は遠かった。ずっとずっと、先にあるように思えた。何度も何度も、自分の未熟さを思い知らされた。俺は、だけど前を向くのを忘れはしなかった」

 

「沢村…」

 

「俺はお前にふさわしい男になりたかった。俺は、自分の未熟さから逃げなかった。お前に釣り合わないことから逃げなかった。俺は、俺よりずっと優れた野球選手であるお前から逃げなかった。俺は…お前を愛してきた、今も」

 

 御幸は黙ったまま、何も言わなかった。ただ、つないでいる右の手を強く握りしめた。温かく、そして力強く握りしめた。

 

 沢村も握り返してきた。

 

「俺はお前が、世界に名を轟かせるような、そんなピッチャーになるって信じている。あの成宮鳴をさえも超える投手に、お前ならなれる」

 

 今度は沢村が黙り込んだ。少しだけうつむいて、また前を見据える。

 

「だけど俺は、お前が平凡なピッチャーのままで終わったとしても、それでもお前への気持ちは変わらない」

 

 ここで御幸は握りしめた手をゆるめ、沢村の手を振り解いて、自分の眼鏡に手を当てた。立ち止まる。

 

「御幸…?」

 

 御幸は眼鏡を外した。

 

 その目から雫(しずく)が流れ落ちた。

 

「御幸!」

 

「俺はさ、本当にお前と出会えてよかった。青道に来て、本当によかった」

 

 御幸は、目も頬もぬぐわずにそのまま立っていた。郊外の、駅から遠い歩道は、だいたいいつも人通りはとても少ない。

 

「御幸、あのさ…!」

 

 沢村はあわてて自分の、斜め掛けにした紺色のショルダーバッグの中を探った。ハンカチは無い。使わないままカバーも付けず、隅(すみ)の方に押し込まれていたポケットティッシュを見つけた。

 

「御幸、これ使って!」

 

「はは、大丈夫だよ。自分のハンカチがある」

 

 御幸は、カバンから藍色のタオルハンカチを取り出した。沢村と同じくショルダーバッグだが、色は淡いベージュだ。

 

「御幸」

 

 沢村は、御幸より少し背が低い。その事を気にしたことはなかった。でも今は、同じくらいの背丈ならよかったのにと思った。

 

 沢村は背伸びした。

 

 軽く、御幸のまだ少し濡れている目に、唇で触れる。

 

「沢村…」

 

「御幸、まだ寮の門限まで時間はある。座る場所は無いけどさ、道の端に寄って、少し休んでいこうぜ」

 

 町工場や事務所などビジネスの施設と、住宅の入り混じった場所に来ていた。駅からもショッピングモールからも離れた土地代の安い場所とて、都心部ではあまり見られないような、大きな敷地を持つ家もある。その塀のそばに立っていた。

 

「大丈夫だ、歩けるよ」

 

 御幸は再び右手を差し出した。沢村はその手を握る。今度は優しく、そっと触れるように。

 

 青道のエースと今は引退した正捕手は、また二人並んで道を歩き始めた。

 

続く






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