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裏門の守衛さんに挨拶をして、二人は門をくぐり青道に戻ってきた。
沢村は、裏門の近くにある、フェンス沿いに植えられた大きな木の影に御幸を連れて行った。
そこは裏門に取り付けられた灯りからも、校庭を照らすナイター照明からも、少し影になっている。
「御幸、大好きだよ」
沢村は御幸を抱きしめた。背伸びして唇にキスをする。軽い、ついばむようなキスだった。
「俺もだよ、沢村」
御幸の方は、沢村の両肩に手を掛ける。
「沢村、今日は楽しかったよ。秋季大会、頑張れよ。応援しているからな。決勝戦まで勝ち進んだら見に行くよ。予定では、来週の土曜だろ」
「そうだよ。来週の木曜日は準決勝、市大三高との試合だ。天久さんはいなくなったけど、今でもさすがは強豪って感じの試合をしてくるよ」
「負けられないよな」
「ああ、負けられない」
沢村は、しっかりとした力強いまなざしで御幸を見つめ返す。
「そして来週の土曜日は決勝戦の日だ。おそらくは帝東が、向井投手が来る。日曜は、御幸の親父さんに挨拶しに行く日。秋季大会優勝チームのエースとして、会いに行きたい…!」
「ああ、一緒に来てくれ」
──勝っても負けても、きっと親父はお前を認めてくれる。だけど結果が出るまでは、気をゆるめずにやれ。結果には執着せず、けれど一生懸命に勝利を目指し、何よりもその時その時の野球を思う存分楽しむ。それが、ここ青道で、俺達が学んだ事だ。
「御幸、大好きだよ」
「俺もだよ」
「なあ、まだ夕飯までには時間がある。一時間半ほどもあるよ。図書室、まだ空いてるから寄って行かねえか?」
「ああ、いいよ」
青道の図書室は校舎から渡り廊下でつながれた離れにあり、図書室というより小さな図書館といった趣きだ。
「そこで農業の本を見つけたんだ。うちの地元の話も少し載ってた」
「へぇ」
「俺の中学さ、赤城中学だけど、俺の卒業後は統廃合でなくなっちまった。もう母校はない。新しい中学に母校の思い出となるような品は残しているだろうけどさ、もう校舎はないんだよ。そんなふうに、十代二〇代がいなくなって、これからどうなるか? みたいな話だ」
「そうか…」
「ま、さっき言った農業会社はさ、まだ今は絵に描いた餅だからな。まずは野球を頑張らねえと。仮に農業会社を創っても、俺は細かい事は分からねえから人に任せる。それより社会人野球チーム立ち上げて地元の宣伝するんだ。そのためにも、今ここで野球を頑張らないといけない」
「よし、頑張れ。俺も応援するよ」
「ありがとう、御幸。都会育ちの御幸が分かってくれるかな、て思ってたけど、分かってくれて嬉しいよ!」
「都会じゃねえって言ってんだろ」
「いや、都会だよ。この青道のある場所だって、俺には今でも都会に見えるからな」
「郊外の人間は、都心部、まあ二十三区内あたりだ、そこを『都内』て言うことがある。それだけ、東京に住んでいるって意識が低い。行政区画としては間違いなく、ここも東京都ではあるんだがな」
東京の西側は、戦後に、経済成長と東京の人口増加と共に開発が進み、住民が増えていった経緯がある。
もちろん、古くから住んでいる人達もいるが、東京の東側、二十三区あたりとは違い、昔は東京といった扱いではなく、人口密度もかなり低かったのである。
東京の東側は、さらに昔は江戸と呼ばれる地域であった。郊外の西側は、歴史的に江戸であったことはなく、東京扱いされるのも歴史が浅い。
必然的に、東側に暮らす人々とは意識が異なってくる。
「帝東は東京の東側にある。その中でも特に地元のつながりの強い下町あたりだ。だからだろうな、向井投手は、東京の選手としての意識がとても強い。地方から寮に入って、東京の高校生としてプレイする者の多い青道をライバル視するのは、そんなところにも理由があるのかもな」
向井投手が一年生の時の秋季大会で帝東が青道に敗北を喫してからは、極端な排他的意識はなくなったようだ。
それでもなお、今も「我ら帝東こそ、真の東京代表たる強豪校である」そんなライバル意識は垣間見える。
「ふうん、そうなのか。東京もいろいろなんだな。でも御幸は東京に実家があるだろ?」
「ま、そうだが。三代住んだら江戸っ子、なんて言葉もあるが、一応東京に実家があれば東京の選手なのかな」
御幸は笑った。東京の下町や都心部よりも、埼玉や山梨に近い郊外の人間としては、向井の強い地元意識が多少羨(うらや)ましくもあった。
「でも俺はさ、東京に来られてよかったんだよ。御幸に出会えたし、他のチームメイトにも先輩たちにもボスにも会えた。青道で鍛えられなきゃ、俺は成長できなかった。地元の選手だけでチーム作らないと地元代表の意味がないって、それも分かるけどさ…。でも俺は、やっぱり青道に来てよかったし、青道の選手として精一杯やるしかないんだよ!」
それでも向井には、本当の意味で相手を心底から見下すようなところはなかった。自分の考えだけが正しいと思い込むようなところも。
沢村が初めて帝東と対戦した時から──その時は降谷が先発で、雨の中、苦戦を強いられたものだったが──その点は変わらない、と沢村は何となく思う。
御幸は沢村に対し、まあいいじゃねえかと、そんな顔をしてみせた。
「沢村、いいんだよ、人それぞれの考えがあるんだ。俺たちの正解は他の人の正解ではないかも知れない。でもやるしかない。幸い、野球の事は野球で勝負が付けられる。だからやるしかねえだろ」
「そうだ、やるしかねえ」
沢村は力強くうなずく。
「まずは市大三高に勝たねえとな。御幸、頼もしくなった亭主の勇姿を見てくれよ」
「見てるよ。大したもんだよ。他のキャッチャーと、特に奥村とバッテリーを組んでいて、もう俺はそこに入れないのは、少し寂しい気もするが…いや、そんな事を言ってちゃ駄目だな。頑張れ。今の二年生の時が終わって、次の一年生が入ってきたらお前は最上級生だ。今のバッテリーで切り抜けるんだよ。俺がいなくてもやれるよな?」
まだ二人は木陰で立ったままだった。御幸の表情は、影になって見えにくい。けれどその、どこか寂しげでありながらもしっかりとした声音は、沢村の耳に確かに届いたのだ。
「ああ、やれるよ。御幸のことは愛してる。絶対に浮気したりしない! でも御幸に心配掛けたくはない。それに俺も御幸に頼りぱなしは嫌だ。だから、御幸無しでもやっていく。やれるところを、御幸の親父さんにも御幸にも、他のチームメイトにも監督(ボス)にも見せる!」
「はは、その意気だ。安心したよ」
二人は並んで木陰から出た。図書室のある離れへと向かう。通いで来ている生徒は、土曜日の部活動があったとしても、もう帰った頃だろう。
今ここにいるのは、寮生ばかりだ。
つないできた手を離す。
少しだけ距離を空けて、二人並んで歩いていった。
続く
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