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二人は、グラウンドの周辺を歩き続けた。十月の末頃、まだ日も暮れたばかりで、肌寒いとまでは言えない。
「涼しくて良い気分だ。秋季大会は、こんな良い季節にやれるんだ。最高だよな」
「ああ、夏の大会は地獄だけどな。熱中症にだけはならないように、体調管理しっかりしろよ」
来年の夏は、沢村にとっても降谷にとっても高校野球の最後となる夏は、まだまだ先だ。それでも御幸はつい、心配するような事を言ってしまうのだった。
「ああ、分かってる。いつだってベストを尽くすためには、体調管理が大事だもんな」
グラウンドの隅(すみ)、寮の建物の近くにあるベンチに二人は腰掛けた。グラウンドの周辺を半周して、また戻ってきたのだ。
「いい風だな」
微風が御幸の頬をなで、髪をそよがせた。
「うん。いい夜になってきた」
もっと長くショッピングモールにいてもよかったのかも知れないが、無駄にお金を使う誘惑からは離れたい気持ちもあったのだ。
それに寮は住み慣れた場所だ。御幸にとっても、二年半ほどを過ごした野球部の寮だ。その近くにいると落ち着いた。
「今の寮も、そんなにはここから離れてないけど、やっぱりここが俺にとってなじみの場所になったんだよな」
御幸は、どこか懐かしい物でも見るように、野球部の寮とその周辺を見渡した。
「同じ学校の寮だもんな。別々になったわけじゃない。なあ、そっちの寮に、たまに会いに行っていいよな?」
「ああ、寮の中には入れないけど、近くに来るんならいいぞ。あらかじめスマホで連絡しておいてくれよな」
「ああ、分かった。そうだ…まだ別々になったわけじゃない。まだ」
御幸は、沢村のその様子を見て、ふっと寂しげな笑みを見せた。ベンチの上に置かれた沢村の左手に、自分の右手をそっと重ねた。次に、軽く握る。
「なあ、御幸。御幸との高校生活は、俺にとって一生の思い出になるよ。一生忘れないよ。高校野球で、青道野球部で、御幸とバッテリーを組んだこと。共に戦い抜いて、甲子園まで行ったことも」
「ああ、春夏と甲子園に出られた。最後の夏、お前と共に甲子園に出られた。最高の夏だった」
御幸は、遠くを見るようなまなざしになった。思い出を噛みしめるように。じっくりと味わうように、ゆっくりとその言葉を口にした。
「へへっ、楽しい夏だったな。地獄のような炎天下だったけどな」
沢村は笑ってみせた。あまり深刻な雰囲気にしたくなかったのもある。御幸が卒業しても、御幸とはまた会う。プロになっても、またバッテリーを組む日も来るだろう。そう考えていたからだ。
「はは、そうだな。特にピッチャーのお前は大変だったよな」
御幸も笑ってみせた。無理に笑ったのではない。それでも、その笑みはどこか寂しげに沢村の目には見えた。
沢村は、御幸を目をじっと見つめた。
「御幸と離れ離れになっても、俺の御幸への気持ちは変わらない。別の捕手と、奥村とバッテリーを組んでも。あいつの事は信頼してるけど、御幸への思いとは別だ。御幸の事は愛してる。御幸は、俺の、野球だけでなく人生の女房役だ。俺は、グラウンドの外でも御幸の亭主をやるんだ。絶対に御幸を俺の嫁にするんだ。…そう、決めたんだ」
御幸は、少し恥ずかしそうに、淡い笑みを浮かべた。かすかにうつむく。
「俺はもう、お前の嫁だよ。初めて甲子園に行った今年の春、二人で結婚式を挙げたろ。みんなで祝福して、一つの部屋に二人きりにさせてもらってさ…。俺は…あれ以来ずっと、お前の嫁になった気でいるよ」
「御幸…」
でもさ、正式に親父さんに許しもらいたいし、パートナーシップ証明書も欲しいし。そう言いかけて、沢村は黙った。
今は、この甘い沈黙が愛おしかった。この沈黙を、破りたくはなかった。
沢村の左手側に、御幸は座っている。自分の左手に重ねられた御幸の右手に、沢村はさらに自分の右手を重ねた。腰をひねって、沢村が御幸のほうを向いた形だ。
「愛してるよ、大好きだよ、沢村」
俺もだよ、御幸。
そう答える代わりに、沢村は両手で御幸の右手をそっと握りしめた。
「御幸をこの場で押し倒してえ…」
「いや、それはやめとけ」
寮の周りには人通りも人目もある。幸い、沢村と御幸の二人を見かけても、みんな気を使って、二人だけにしてくれているが…。
「言ってみただけだよ。金が入ったら、二人でホテルに泊まりたいよな。ビジネスホテルでいいからさ」
本当は一緒に暮らしたいけど、と付け加える。
「ははっ。プロになっても俺たちは当分、寮生活だ。同じチームになれる確率は残念ながら低いしな。だが、たまの休みに、二人で日帰り旅行に行くくらいなら、イケるだろ」
「ああ、そうだな。御幸はどこに行きたいんだ?」
「うーん、そうだな。近くに大きな公園のあるビジネスホテルでいいな。良い天気なら、二人で公園で散歩して、ビジネスホテルで休む」
「いいな、御幸と一緒に行きたい」
「バーベキューやれる広場もいいな。俺が飯作ってやる。バーベキューじゃなくてもさ、鉄板持っていって、肉野菜炒め作ってやる。おにぎりも持っていってやるよ。中身は、口ん中がさっぱりするように、大きな梅干しだな」
「すげぇ。美味そうだ!」
沢村は、ぱっと顔を輝かせた。
「はは。楽しみにしてろ」
御幸は、笑った。今度は寂しげな笑みではなかった。将来を想像して、とても楽しそうに笑った。
続く
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