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──御幸、今ごろ何食ってるかな?
沢村は思った。この食堂と同じ回鍋肉(ホイコーロー)であるかも知れないが、違うかも知れなかった。
「今晩は、御幸先輩とたっぷり話したいんだ」
春市は、それを聞いてにっこりと笑った。微笑ましいものを見ているような、そんな表情だ。
「いいよ、ゆっくり話してきなよ。栄純くんも降谷くんも、御幸先輩のおかげでピッチャーとして成長できたもんね。名残惜しい気持ちは分かるよ。まだ卒業は先だけど」
沢村はうなずく。回鍋肉に付け合せの、玉子とわかめの中華スープの入ったカップを手に取って、一口飲んだ。
「今のバッテリーにも満足してるよ。いや、こんな言い方は良くないな。満足しちゃ駄目だ。俺たちは、まだまだ、もっともっと成長できるんだ。だけどさ、長野から出てきてすぐの、まだまだピッチャーとして未熟だった俺の一年生の頃からずっと、御幸に球を受けてもらってたわけだしさ」
と、そこで降谷が口を出した。
「栄純は、御幸先輩からノートもらってないよね?」
「ノートって、野球のか?」
「いいや、学校の勉強の。御幸先輩のノート分かりやすいんだ。御幸先輩が僕にくれたんだよ」
沢村は、御幸から聞いたことを思い出した。
「ああ、もらってないよ…。勉強の事は金丸に聞いてたしさ。俺の勉強見てやってくれって、クリス先輩に頼まれてたって後で言ってたけど。御幸…先輩には、勉強の事は聞かなかったからな」
「一年生の時だよね。僕は金丸キャプテンとは別のクラスだったからさ。あの頃は、クラスメイトの春市にも上手く質問できなかった。だけど御幸先輩に尋ねたら、ノートくれたんだ。僕が赤点取って撃沈したの、知ってたからさ」
「…いいな」
「よかったら、あげるよ。全部じゃないけど。コピー取った分はあげる。御幸先輩も、喜んでくれるよ」
沢村は、それを聞いて思わず椅子から立ち上がりそうになった。が、自制した。
「いいのか?!」
「全部じゃないけど」
「いや、全部じゃなくていいさ! いやー、ありがとな、降谷」
春市は、そんな二人の様子を見て、またも微笑ましいものを見るように笑った。
──二人とも、いい感じに仲良くなってきたよね。これで、秋季大会も最後まで切り抜けられるといいな。
「春っちは、勉強は?」
「うんまあ、誰かさんと違って授業中寝たりはしないからね。ちゃんと教科書に目を通して予習して、分からない点をざっと調べるか、ノートにメモしておく。授業中、分からなかったところをちゃんと注意して聞く。だいたいそれで、分からないところは無くなる。中間や期末テストはこれで充分。後は教科書とノートを見直すだけ。あ、タブレットじゃなくて、紙のノートなんだよ。大学受験は、これだけじゃ駄目だろうけど」
「そっか。真面目だな」
──いや、ひょっとして、勉強に対して不真面目なのは俺と降谷だけなのか…? ひょっとして。
沢村はそう思い、向かい側の席に座る、降谷と小湊春市の顔を交互に見た。
「ちゃんと予習すればいいんだよ。あらかじめ、教科書に目を通しておくだけで、だいぶ違うからね。そして、授業中は寝ないでちゃんと聞く。それだけ。テスト前には教科書とノートを見直す。教科書の問題をやり直す。赤点を取らないようにするだけなら、それで充分だよ」
「金丸にも、そう言われたな」
「エースは栄純くんだけど、降谷くんとの二本柱なんだから、二人とも赤点はやめてよね」
「大丈夫だ…赤点は…ない」
「ないよ」
降谷がやけに自信ありげに言い切ったので、沢村は、今も怪物と言われている控え投手の顔をまじまじと見た。
「御幸先輩のノートあったら大丈夫だから。まるで家庭教師がそばにいて教えてくれてるみたいに、分かりやすいよ」
「そ、そうなのか!」
「うん、空いてる時間に目を通すといいよ。予習も復習も、これだけでいい」
「御幸先輩! 御幸先輩、ありがとう、ありがとう!」
ここにいない御幸に向かって礼を言った。大きな声なので、食堂にいる他の選手が、何事かと沢村のほうを見る。
「あ、何でもない、何でもないからな!」
──だけど御幸、御幸は降谷にだけノート渡してさ。そりゃ、勉強の事は御幸には聞かなかったけどさ…。
「食事が終わったら、僕の部屋にノート取りに来てよ。ノート渡せない分は、コピーを渡すから」
「ああ、助かったぜ、降谷」
そうして、食事の時間は終わった。流しの前に列を作って並び、自分の食器を洗って布巾(ふきん)でふき、皿置き場に置く。
「よし、今日も美味い飯だった!」
と、沢村。料理を作ってくれる調理師のおじさんやおばさんたちには心から感謝だ。
──時々は、故郷の鹿肉やイノシシの肉が恋しくなるけどな、それに川の魚! イワナ、ヤマメ、マス! もっと中流のほう行くと、フナやウグイもいたりしてさ。
沢村は、故郷の長野の村を思い出す。
──フナは、少し味や匂いに癖があるから、塩焼きではなく甘露煮にして骨まで柔らかくして食べる! 熱々の麦ごはんに乗せて食べると美味え! それに、取り立ての野草やキノコ!
「どうしたの、栄純くん。ニコニコして」
「ああ。まだ早い話だけど、年末年始にはさ、御幸と俺の故郷に帰るからさ…。そしたら、東京の飯とは違う、長野の村の美味いもん、食わしてやれるなって思ってさ」
「そうなんだ。楽しみだね。僕も年末年始には実家に帰るよ。久々に兄さんと長話するかな」
こうして、食堂の中で三人の立ち話が始まった。流しや皿置き場を離れ、テーブルの近くに寄るが、椅子には座らなかった。
「畑のキャベツとかにんじんも、取り立ての新鮮なのはすげえ美味(うめ)えんだ。もうな、鍋で蒸して柔らかくして、塩だけでいいんだよ。それだけでも美味えんだ、新鮮な野菜ってのは。御幸にも食わせてやりてえ」
思わず、春市と降谷の前で、御幸を呼び捨てにしてしまった。
「ま、今はまだ、故郷の飯は我慢だ。ここの寮の飯も美味いし!」
「御幸先輩も、年末年始に栄純の故郷に行くんだ」
「うん。お前は北海道に帰らねえのか?」
「東京にいるおじいちゃんのところに行くよ。北海道の家族も正月には来るって。雪のない暖かい冬の東京に来たいんだよ。それに、北海道って言っても、僕は地方都市の、中心から少し離れたところに住んでたからね…。雪以外は正直、そこまでここと変わらないんだよね」
「そうか…」
沢村は、降谷の北海道での寂しい生活を少しは聞いて知っていた。母親からあまりかまってもらえず、チームでも彼の球を受けられる捕手がいなかったために、仲間はずれにされていた。
──こいつも、青道に来て変わったんだよな。俺たちは、本当に、青道に来てよかった。
長野も雪は降るが、日本海側に近い北のほう──こちらは新潟県や石川県に近い──と、太平洋側に近い南のほう──こちらは山梨県や静岡県に近い──ではだいぶ違う。
長野県は南北に長く海のない県で、南東のあたりならば、山梨県だけでなく、神奈川や東京からもそう遠くない。沢村の故郷も、だいたいその位置にあった。東京へは、少し山梨県の端を通って行く位置関係だ。
「長野県の南西は名古屋にも近いな。仕事などでそっちに出ていく人もいる」
「名古屋には言ったことないな。長野の南のほうや箱根のあたりは、日帰りバスで行ったことあるよ。高校になってからは、そんな暇なくなったけどね」
と、春市。そんな春市は神奈川に実家がある。
「長野に行ったことあるんだな! あ、またその話は今度。御幸…先輩に話があるんだ。お前らとは野球部で一緒だからな。また今度に」
「うん、いいよ。行っておいで」
「行ってらっしゃい、栄純。後でノート取りに来てよ」
「分かってる!」
沢村は、そのまま食堂を出て足早に、御幸が来ると言った、野球部の寮の近くのベンチに向かった。
続く
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