御幸引退後の沢村とのあれこれストーリー   作:片桐秋

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第22話 沢村の日課

 そうしているうちに、夜も更(ふ)けてゆく。夜の九時半である。十時までには、風呂を上がらなければならない。

 

「そろそろ風呂入りに行くぜ。名残惜しいけど、さ」

 

 御幸は、そっと優しく笑って沢村に言った。

 

「うん、御幸、湯冷めしないように布団に入れよ」

 

 それは、もう自分のためにここに戻ってこなくていい、とする意味である。

 

「ああ、お前もな」

 

 御幸はベンチから立ち上がり、沢村を背を向けて歩き出した。途中、一度振り返り、沢村に軽く手を振る。沢村も振り返した。

 

 大浴場に向かう御幸の背中を見送りながら、沢村も立ち上がった。

 

「俺も風呂入るか。カラスの行水はやめるぜ。御幸が心配してたよな」

 

 その時には素直になれず、カラスの行水で何が悪いのか、などと反抗してしまったものだ。

 

──御幸が好きで、でも俺はなかなかエースになれなくて、素直になれなかったんだ…。

 

 とは言え、今から風呂に入ると、御幸も沢村も十分(じゅっぷん)ほどしか湯船に浸かれないだろう、と思われた。

 

「いいや、十分入っていられれば充分だ」

 

 沢村は大浴場に向かった。寮のすぐ近く、食堂とミーティングルーム、更衣室のある建物の中に、大浴場もある。

 

「よし、走るぜ」

 

 肩掛けかばんに降谷から渡された大きなビニール袋二つを下げたまま、沢村は走って行った。

 

 いったんは寮の部屋に戻り、荷物を置いて、タオルや石鹸などを取ってこなくてはならない。

 

 沢村は、頭から爪先まで、昭和の時代からある昔ながらの白い石鹸で丸洗いしていた。

 

 寮の部屋に戻ると一年生の浅田がいた。すでに引退した三年生の倉持はここにいない。

 

──チーターは、一般生徒用の寮で、御幸とゾノ先輩と同室になったって聞いたけど。

 

「あ、おかえりなさい」

 

と、浅田が礼儀正しく真面目に、先輩の沢村を迎えた。相変わらず、腰の低さと気弱さが感じられる。

 

──しかしコイツも、来年の春からは二年生で先輩になるからな。もうちょい、堂々とした態度をだな…。ま、いいか、後輩が入ってきたら何とかなるだろ。

 

「ああ、まだこれから風呂だけどな。お前は入ったか?」

 

「はい、今日は九時十五分前ごろに入りました」

 

 九時十五分前は八時四十五分である。八時半が、ちょうど夕食後の寮の大浴場が開く時間であった。

 

 夕飯が七時半、食事に二十分ほど掛かるとして、食後三十分以上は時間を置くようにと、そんな配慮からである。

 

 百人もの大人数を抱える大世帯だ。自宅から通いで来る部員もいるとはいえ、一度にそんなにたくさんの人数は入れない。

 

 そのため、夕食前にも大浴場は開いており、それは四時から七時までである。

 

 ただ、ベンチ入りメンバーになる様な者は遅くまで練習をすることが多く、夕食後の入浴が常(つね)となる。

 

──浅田も、今日も練習してたのか?

 

 今の一年生が入ってきた時、大量の飯を食うのに苦労していた浅田におせっかいを焼き、やはり新一年生だった奥村に叱られたことを思い出した。

 

──こいつ、後輩のくせに、生意気だ!

 

 当時はそう思ったものの、今にして思うと浅田なりの頑張りを認めず、先輩づらして上から目線なのも良くなかったのだろうとも思う。

 

──浅田も頑張ってんだよな、こいつなりに。

 

「よし、俺も風呂行ってくるぞ」

 

 沢村は、にこやかに元気に声を掛けて、タオルと着替え、石鹸箱の入った洗面器を持った。

 

「はい、いってらっしゃい」

 

「あ、そうだ! ノートのコピーありがとうな! 自販機のお茶かジュースでもおごるぜ。好きなもん、言えよ」

 

「いえ、いいんですよ」

 

「遠慮すんな。じゃあ、後でな」

 

 沢村はそう言って、さっさと部屋を出ていった。

 

 

 ■

 

 

 沢村は、風呂を済ませて寮の部屋に戻った。自分に割り当てられた荷物置き場の棚に置いた荷物を、改めて見る。

 

 降谷が渡してくれた白い大きな手提げのビニール袋二つには、御幸のノート三冊と、ノートのコピーの束がいくつもあった。

 

「こいつは、机の上の棚に置いておこう。明日、購買部でファイル買って、コピーを綴(と)じないとな」

 

 浅田はすでに布団に入っていた。ただ、まだ眠ってはいないようである。部屋の灯(あか)りも点(つ)いたままだ。

 

 消灯は夜の十時半である。あと二十分ほどは余裕があった。

 

「軽くストレッチしてから寝るぜ。お前もストレッチしたか?」

 

「はい、少し」

 

「そうか、寝る前のストレッチはいいぞ」

 

 沢村は十分(じゅっぷん)ほどストレッチして、さっさと着替えた。歯はここに戻る前に、下の洗面所で磨いてきた。

 

「よし、寝るぞ、おやすみ!」

 

「はい、おやすみなさい」

 

 沢村は、すぐに眠りに入った。浅田のほうは、なかなかそうはいかなかったが、そのうち寝息を立て始めた。

 

 青心寮の夜は更けていった。

 

──御幸、御幸、愛してるよ、御幸。今日は、盛大に結婚式だぜ。俺の家族と友人、青道のチームメイトや先輩たち、監督たちも呼んだよ。御幸の親父さんも来てくれた。俺たち二人で、モーニング着て結婚式を挙げるんだよ。御幸、愛してるよ……

 

 沢村は幸せな夢を見ていた。

 

 あくる朝。

 

「よし! 今朝も良い目覚めだ! 昨晩は幸せな夢を見た。きっと正夢だ!」

 

 と、目覚めるやいなや、沢村は大声を出した。朝の六時。起床の時間の三十分前だ。10月の末頃の朝、すでにカーテンからは、薄明るい朝の光が差し込んできていた。

 

 沢村は、起き上がり、二段ベッドの下に下りていった。そんな時に、寝ぼけて足を踏み外さないよう、気をつけねばならない。

 

 先ほどは良い夢を見過ぎて思わず大声を出してしまったが、浅田は「うーん」と声をあげながら寝返りを打っていた。目覚めてはいないらしい、と沢村は見て取る。

 

 今度は後輩を起こさないように気をつけながら、沢村は服を着替えて出ていった。

 

「よし、今日も良い朝、良い天気だ」

 

 昨日の土曜日は休みの日だった。自主練習をしている選手は多く、沢村も午前と、昼食一時間をはさんで午後の二時までは練習をした。

 

 今日は日曜日、今日は練習があるが、七時に朝食、八時から昼食一時間をはさんで、午後四時頃で終わりだ。

 

 その午後四時から就寝の十時半まではフリータイムである。門限が、夕飯の始まる七時半までなのは変わらない。

 

「飯前に、ちょっと練習してえんだよな。これが本物の朝飯前だぜ!」

 

 グラウンドに出た沢村は、ストレッチをしてから走り出した。起床時間の六時半より三十分早く起きたが、それでもきっちり七時間半は寝ている。

 

 沢村は寝付きがよく、朝もすっきり目が覚める体質なのだ。

 

「へへ、今日も良い天気だぜ。御幸、見てろ。お前がいなくなっても、俺たちはやっていく!」

 

 沢村は、ほんの少しの切なさを抱えながら、グラウンドを走り続けた。

 

続く

 

 






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