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秋季大会が終わった。11月初旬、秋はより一層深まってゆく。沢村は今、寮の自室で床に寝転がっていた。浅田はいない。風呂に入りに行ったのだ。すでに九時半である。もうじき戻ってくるだろうと、沢村は思った。
沢村のほうは、夕食前に風呂を済ませていた。試合が終わってからは、食事と風呂以外は、寮で休んでいたのだ。
「今週の土曜、御幸の親父さんに会いに行くんだよな……。結局、優勝は逃した。神宮大会には出られないし、春のセンバツも…きっと出られない」
準優勝だ。勝負には運もある。だが、これが今の青道の実力なのだろう。
「エース向井投手を擁する帝東相手に、よくやった、惜しかったとは言われたけどさ」
でも、負けは負けだ。沢村は思った。
「御幸、ごめんな。俺は勝てなかったよ」
沢村は仰向けに寝転がりながら、天井をぼんやりと眺めていた。バッテリーを組む相手が御幸なら勝てたんだろうか。そう思う。
──そんな考えじゃ駄目だ。帝東だって、兄の乾さんはもういなくて、弟が正捕手になったのに。
沢村は、深々とため息をついた。誰かが見ていたなら、沢村らしくないと言ったことだろう。
──奥村はよくやってくれている。由井も。御幸の後に、キャッチャーとしてベンチ入りしたんだ。二人ともプレッシャーもあるよな。俺がエースとして、最上級生の二年生として、ちゃんとチームを引っ張っていかなきゃ駄目なんだ。いつまでも、御幸のことが頭にちらつくようじゃ駄目なんだ。
と、その時。ドアをノックする音が聞こえた。
「はぁい!? どなたですかあ?!」
沢村は、わざと元気いっぱいの声を出す。訪ねてきたのが誰であれ、へこんでいると、思われたくはなかった。
「俺だよ」
御幸の声だった。
「御幸?!」
「なんだよ、そこまで驚くことないだろ」
沢村は、それを聞いてホッとした。未だに御幸を心のどこかで頼りにしている自分にも気がついてしまった。
「御幸…。情けない亭主で済まない」
「ははは。おいおい、負けてへこんでるのか? なあ、入っていいか?」
「ああ、いいよ」
ドアが開いた。私服姿の御幸が、ニヤニヤ笑いをして立っていた。
「じゃあ、失礼して、と」
「浅田はいないよ。風呂に行ってる」
「よし、ちょっとここに居させてもらうからな」
沢村は、御幸が部屋に入ってくると、起き上がって床の上にあぐらをかいて座り直した。御幸もその向かい合わせに座り込む。
「ジュース、持ってきてやったぜ。たまには飲めよ」
御幸は、小さめのブルーのショッピングバッグから、水筒を取り出した。500ミリリットル入りくらいの大きさだ。
「ありがとう、御幸…」
「俺の料理はまだ食わせてやれないけどな、これは果汁百パーセントのジュース各種をブレンドしてりんご酢を加えた、俺の特製ジュースだ。これ飲んで元気出せよ」
「御幸が作ってくれたのか?!」
「そうだよ。冷たくて美味いぜ」
沢村は、大きな目を見開いて、御幸と御幸からわたされた白い水筒を見た。
「ありがとう。嬉しいよ、俺」
沢村は微笑む御幸の前で、水筒のフタを開けて、一口飲んだ。
「美味しい!」
沢村は、元気になった気がした。それを見て御幸はまた、優しげな微笑みから、余裕ありげなニヤニヤ笑いに変わる。
「ま、負けたもんは仕方ねえ。これを次に活かすことだな。俺はもう、当分お前とバッテリーは組んでやれないけど、たまに相談に乗るくらいならできるからさ、何でも言えよ。俺もキャプテンになったばかりの頃に、哲さんに相談に載ってもらえたからさ。それでキャプテンを続けられたようなもんだ。だからお前も遠慮なく言え。俺で分かることなら、何でも答えるからさ」
「御幸…ありがとう」
「落ち込んでる暇はないぜ。お前たちが負かしてきたチームも、次に向かって練習しているはずだ。お前も前見て進め。弱点と強みを分析、次に備えて練習。やることはそれだけだろ」
「ああ、そうだ。だけど御幸の親父さんに、優勝チームのエースとして挨拶(あいさつ)しに行きたかったんだ。それはもう、できなくなった」
御幸は、沢村の左太ももの上に置かれた左手に、そっと自分の右手を重ねた。
「それは気にすんな。親父が気にするのは、失敗や敗北からいかに立ち上がれるかだ。だから、いつまでもそんな顔してんじゃねえぞ。元気だせ」
「そうだな、頭切り替えねえと」
その時、部屋の入り口のドアが開いた。
「あ…申し訳ありません……」
浅田は、いかにも気弱そうな声で謝ってきた。
「いやいや、別に謝ることはないぞ、浅田少年。ここはお前の部屋でもある。堂々と入ってきていい」
と、沢村はわざと大きな声で言った。
「いえ、でも、お邪魔みたいですから…外で待っています」
「かまうことはねえよ。全然、邪魔じゃねえさ。むしろ引退したのにこっちの寮に来たのは、俺のほうなんだからな。沢村、外のベンチで話すか」
「ああ、御幸。上着取ってくるよ。そうだ、浅田少年、お前はこの部屋でゆっくりしていいぞ。湯冷めしないようにしろよ」
「あ、はい…」
二人が出ていくまで、浅田は中に入ろうとはしなかった。
「ごゆっくり…」
浅田は小さな声で、二人の背に呼び掛けた。呼び掛けはちゃんと聞こえていた。沢村は、ああ行ってくるぞ、と言い、御幸は、邪魔したな、と声を掛け返した。
寮とグラウンドの境い目にある、少し古ぼけたベンチまで歩いた。二人で座る。グラウンドと寮は、照明で照らされている。まだ練習をしている選手の姿もある。ベンチ入りできなかった選手の姿も見えた。
「俺は、負けたくらいでへこんでる暇なんかねぇな」
「ああ、エースであるお前の姿は、この青道野球部百人全員に見られているんだからな」
御幸は、沢村の背中を軽く叩いた。
「ありがとう、御幸。手作りジュース美味しいよ。俺はまだ負けないよ。向井投手はすごい奴だけど、でも俺は負けない」
御幸は、かつてバッテリーを組んだ女房役はうなずいた。
二人の間に、暖かい沈黙が流れた。
続く
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