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その週の土曜日がやってきた。週に一度の休養の日である。朝食の時間ギリギリになるまで寝ている者もいるが、沢村はいつものように六時に起床した。
「今日は、御幸の親父さんに『御幸一也さんを、俺の人生のパートナーにさせてください!』って挨拶(あいさつ)しに行く日だ!」
大きな声ではないが、しっかりした口調で言い放つ。同室の後輩、浅田を起こさないように、慎重に二段ベッドの上の段から下りていく。
「今日は、体を休めよう。でもグラウンドに出て、ストレッチだけは念入りにやっておくか。ストレッチするとリラックスするもんな。御幸の親父さんに会うのは、やっぱり緊張するからな」
御幸からは、午前八時頃に車で迎えに来てくれると聞いている。朝食を食べ終わって、しばらく経った頃合いだ。
沢村は、グラウンドに出た。ストレッチを始める。沢村以外は誰もグラウンドにいなかった。
「御幸が作ってくれた飯食えるんだ。俺は幸せ者だぜ」
──御幸一也は、俺の嫁だあ!
そう大声で叫びたかったが、さすがにそれはやめておいた。
「今日は曇り空だな。雨は降るのかな」
スマートフォンを部屋に置いてきて、天気の確認はしていなかった。もし雨が降るようなら、折りたたみ傘を持っていこうと沢村は思った。
「少し肌寒くなってきたよな」
十一月上旬も終わり頃に差し掛かっている。早朝の空気はやや冷たい。
──御幸が作ってくれる豚汁食えるんだよな。具だくさんの豚汁と麦ごはんと浅漬けだけだ、って御幸は言ってたけど、それで充分だ。御幸の親父さんも、久しぶりの御幸の手料理食えるんだよな!
楽しみで思わずニヤニヤ笑いが浮かんでしまう。沢村は何とか表情を引き締めた。
念入りにストレッチをしているうちに朝食の時間になった。朝の七時半だ。グラウンドには、今朝も沢村と同じようにグラウンドに出ている者がいる。各自、素振りをしたりランニングをしたりしていたが、七時半近くになって食堂に向かい始めた。
「おはよう、春っち、降谷」
と、沢村はにこやかに声を掛ける。
「おはよう、栄純くん」
「おはよう、栄純」
トレイには山盛りのご飯に、焼いたシャケに大根おろしが皿一枚に、ごぼうのきんぴらの小鉢、それにネギと豆腐の味噌汁が乗っていた。
「いただきます!」
元気よく、例によって食堂中に響くような大きな声で言うと、沢村は勢いよく食べ始めた。青道高校に入った当初は、たくさんの食事を食べ切ることはなかなか難しかった。今では平気である。
──たくさん食わねえと、運動量が多すぎて体がやせ細っちまうからな。
「栄純くん、今日は朝から御幸先輩の家に行くんだよね?」
「そうだよ、春っち。俺は、俺は! ついに御幸先輩にプロポーズを!」
「はい、声が大きいよ」
「久々の春っちのツッコミ聞いた!」
その春っちは、こう答えた。
「栄純くん、ここのところはしっかり者になってきたからね、ツッコミなんて入れるスキはなかったんだよね。でもやっぱり、栄純くんは栄純くんだなあ、と今日は思ったよ」
「春っち! そんな言い方はないだろ?」
ここで降谷が、
「御幸先輩、苦労しなきゃいいよね」
と、ポツリとつぶやく。
「おいおい、苦労なんかさせるわけねえだろ」
「そうだといいけど」
「そうなんだよ!」
そんな事を話しつつ、朝食を食べてゆく。沢村は、今日はご飯のおかわりをしないことにした。休みの日だから運動量は少ないし、それに昼には御幸の手料理が待っている!
「楽しみだな、へへぇ〜」
「栄純、だらしない顔してる。やっぱり、御幸先輩を苦労させる顔だ」
「お前、何言ってんだよ! そんなにだらしない顔してるっていうのか?!」
「うん、だらしない顔してる」
「春っちまで!」
「ストレッチのしすぎで、リラックスしすぎたんじゃない?」
「春っち、見てたのか」
「僕は素振りをしてたんだけどね。栄純くんは気が付かなかったみたいだね」
「そうか、春っちも朝からやってたんだな」
「でも今日はこれで休むよ。栄純くんも、御幸先輩のお父さんに、いい挨拶ができるといいね」
「ああ。優勝できなかったのは悔しいけど、でもちゃんと報告しないとな」
「僕も、優勝できなかったのは、悔しい…」
と、降谷。
頭を切り替えて次へ。それは分かっているが、あと少しで優勝だったのに、そんな思いがぬぐえない。
「でも御幸先輩の親父さんも、あの試合をケーブルテレビで観てくれてる。良い試合だったって、そう言ってたって、御幸先輩から聞いたからな。次、また次に向けてやっていこうぜ」
「そうだね」と、春市。
「そうだよね」と、降谷が。
食事を終えて皿洗いを済ませると、各自寮の自室に戻っていった。今日は春市も降谷も、練習を休むと言っていた。
「俺は夕飯前には必ず戻るよ」
「門限までに戻らないと罰があるからね。御幸先輩が一緒なら、大丈夫だろうけど」
「春っち、俺だけじゃ信用ねえのか?!」
「ははは、でも楽しんできなよ。御幸先輩の実家に行くのは、緊張もするだろうけどね」
「ああ、御幸先輩の親父さんに、ちゃんと挨拶するよ」
「うん、応援してるよ」
「ありがとう、春っち」
「頑張って、栄純」
「ああ、お前も、ありがとな」
御幸先輩に苦労は掛けないぜ、と付け加える。
そこで沢村は寮の自室に向かい、自分の持っている一番良い服に急いで着替えた。
昨日のうちに、荷物の準備はしておいた。ショッピングモールで買った焼き菓子の箱が紙袋に入った物をショルダーバッグに入れ、ハンカチちり紙スマートフォン財布その他の持ち物の確認もしてある。
「よし! 大丈夫だ。これでいける」
沢村は、寮を飛び出し、御幸が待つ裏門の外側に向かって走っていった。
「よう、おはよう。よく眠れたか?」
「御幸! 大丈夫だ、緊張して眠れないなんてことはない!」
「はは、それなら良かったよ」
五分ほど待っていると、一台の白い車が来た。何の変哲もない国産車だ。特に豪華でも安物ぽくもなかった。
中年男性が一人降りてきた。沢村の脳裏に、職人気質の男という、御幸の言葉が浮かぶ。
──確かにそうだ。なんか真面目で物静かで、一徹そうだな。御幸とは、あんまり似てないや。
「親父! 久しぶり!」
「ああ、連絡アプリではよく話していたけどな。元気そうでよかったよ」
男は御幸一也とそう言い合うと、沢村の方を向いた。
「みっ、御幸一也先輩のお父様! お初にお目に掛かります! 沢村栄純と申します。この度はお迎えいただき、真(まこと)に感謝至極(しごく)。そして一也さんには、いつもお世話になっております。引退した後でも、です!」
と、沢村はかなり緊張した様子で、それでもいつもの元気の良い大きな声で、愛する人生の女房役の父親に、初めての挨拶をした。
「ああ、いつも一也から話は聞いています。一也は、君のおかげでキャプテンの重責に耐えられたと言っている。一也をいつも元気づけてくれてありがとう。君に出会えて、一也は本当に幸運だ」
「ほ、本当ですか?! お父様!」
「ああ、もちろんだ。俺は嘘は言わない。青道の活躍はいつも見ているし、君は一年生の頃からよくやっていた」
「あ、ありがとうございます!」
そこで御幸が横から、
「ありがとう、親父。俺の…選んだ奴なんだ。親父にも認めてほしい」
「ああ、いいよ。お前が選んだ相手だ。間違いない」
沢村は、それを聞いて、感激で倒れそうになった。
「お、お、お、お父様! あ、あ、ありがとうございます!」
「さあ、二人とも車に乗りなさい。後ろの座席に二人で乗るといい。ちゃんとシートベルトはしてくれよ」
「はいっ!」
こうして、一行は御幸の実家へ向かった。御幸の父親が経営する町工場と、その二階にある御幸親子の住まいだった場所へ、と。
続く
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