御幸引退後の沢村とのあれこれストーリー   作:片桐秋

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お待たせいたしました。どうぞご覧ください。




第31話 楽しい昼ごはん

 二十分ほどして、鍋が煮えた。台所にあるキッチンタイマーの音が鳴る。沸騰した湯に具材を入れてから、その後は弱火でじっくり煮込んだのだ。

 

「良い感じに、味がしみてるはずだぜ」

 

 御幸は椅子から立ち上がって火を止めた。

 

「すごく美味そうな匂いだ」

 

「美味いぜ、きっとな」

 

「御幸の愛情の匂いがする。御幸の愛情、いい匂いだ…」

 

 沢村は、鼻をヒクヒクさせた。その様子を見て御幸は、声を立てずに笑う。

 

「はは。親父に飯作るのも久しぶりだからな。去年の年末と今年の正月以来だぜ。お前に飯作るのは、もっと先になると思ってたけどな」

 

 沢村は、少しだけうつむいて、遠慮深そうな、同時に深く感じ入っているような、微妙な表情をした。

 

「うん…御幸の親父さんにも、まるで家族みたいに迎え入れてもらってさ。御幸の実家で御幸の飯も食わせてもらえる。本当にありがたいよなって、そう思うんだ」

 

「はは。親父の作戦にハマったな」

 

 御幸は笑ってみせた。沢村の気持ちを和らげようとする思いで、いつものクセのからかうようなニヤニヤ笑いではない。

 

「作戦って?」

 

「親父はお前を俺の人生のパートナーにするのは承知している。あとは…俺とお前には、ここで暮らして欲しいんだ。食器買って揃(そろ)えてさ、いつでもここに帰ってこれるようにってな」

 

「帰って…?」

 

「ああ。ここをお前の家だと思っていいってことさ」

 

「うはぁ! 親父さん、そこまで俺のことを!」

 

 沢村は、この際、プロ野球引退後の故郷での農業法人の事は言わずにおいた。どの道、今の沢村にとっても、まだまだ先の事過ぎて、そこまで実感は無いというのが正直なところである。

 

「うん。親父はこの地域のミニコミ誌と地元のケーブルテレビでお前のことも知ってたしな。ベンチに下げられても、奥に引っ込んでじっとしてしまうんじゃなくて、表に出て精一杯応援する。チームメイトを元気づけるのをいつだって忘れない」

 

「うん、でもそれはさ、俺がそうしたかったからだからな」

 

 御幸は、うなずいた。その顔には、しみじみとした思いが浮かんでいた。彼は今、中くらいの大きさの丼鉢に、作った豚肉の味噌鍋を盛り付けていた。

 

「そうだ。けど、言ったろ? 俺の親父が見ているのは成功した時よりも、失敗した時にどうするかだって。俺もちゃんとお前のこと伝えたぜ。くじけなかったお前のこと。いつも熱心に練習してたお前のこと。親父は俺の言うことを信じてくれた。俺の目で見たお前を信じてくれた。だからだよ、沢村」

 

「う、うん…。ありがとう! 御幸、そして親父さん!」

 

 その『親父さん』は、今は台所のとなりのリビングルームにいなかった。自室にいるから呼んでくるよと、御幸は行って、台所を出て行った。

 

 食卓には、ホカホカの麦ごはんと、豚肉と野菜の味噌鍋、それに浅漬けもある。

 

 余ったキャベツを、親父さんが買っておいた塩昆布で塩もみして、しんなりさせた浅漬けだ。麦ごはんは、早起きした親父さんが今朝炊いたのを、レンジで温め直したものだ。

 

 鍋が煮える間に、御幸はこれだけのことをやってのけた。鍋が煮える二十分の、最初の五分は座って休憩し、その後浅漬けに十分、レンジでご飯を温めるのに五分ほど使った。

 

「御幸、要領いいな」

 

 親父さんは、すぐにやってきた。 

 

「おお、美味しそうじゃないか!」

 

「へへ。まあ簡単な飯(メシ)だけどさ。親父と沢村のために作ったぜ」

 

 親父さんは椅子に座る

 

「うん、息子が丹精込めて作ってくれた飯を食べられるのは幸せだな」

 

「へへ」

 

 御幸は照れ笑いをする。

 

──御幸のこんな表情(かお)、初めて見た…。

 

 沢村は、じっと人生のパートナーの顔を見つめる。

 

「どうした? 早く食えよ。冷めちまうぞ」

 

「う、うん! いただきます!」

 

 沢村は、味噌鍋の具を一口、箸(はし)でつまんで食べた。

 

「美味い! うはぁ、ほっぺた落ちそうだ!」

 

 心底から感心した様子で、沢村は大きな声を上げた。声量は、それでもセーブしてある。

 

「へへ、そう言ってもらえて嬉しいぜ」

 

 御幸は嬉しそうだった。

 

「御幸、いや一也先輩、料理上手だあ!」

 

「はは、おかわりあるから食えよ」

 

「ありがとう、ありがとう!」

 

 沢村は、丼鉢を手に持ち、箸でかき込み始めた。

 

「美味い! 美味いよ、みゆ…一也先輩!」

 

 夢中になって食べる沢村を見て、親父も一言、

 

「ああ、美味いなあ。一也が作ってくれた飯は」

 

と、息子をねぎらう。

 

「へへ。ま、久しぶりだからな。親父には面倒掛けたしな」

 

「なあに、お前も青道の寮で成長したじゃないか。稲実だったら、こうはいかなかったかも知れん」

 

「うん…、俺は青道に行かせてもらえて本当によかったよ」

 

 御幸はそう言って、沢村を見つめた。

 

「お父様、いや親父さん、俺はあなたのおかげで一也先輩と出会えました。ありがとうございます」

 

 沢村は頭を下げる。

 

「ああ、一也を青道に行かせてよかったよ」

 

 親父さんは、そう言ってくれた。そこには様々な含みがある。

 

 沢村は、へへ、と笑った。半ばは照れ隠しでもある。

 

「あ、この麦ごはんも美味しい! 親父さんが土鍋で炊いたご飯、美味しいですよ」

 

「ああ、それくらいしか自分で作らないんだがね。米くらいは自分で炊こうと思ってね。レンジで温めるご飯パックは割高過ぎてね。米を炊くだけでも、食費は減るものだよ」

 

 と、親父さんは沢村の言葉に微笑んでいる。

 

「土鍋で炊くの、面倒じゃないですか?」

 

「炊飯機より作りが単純だから、私には手入れしやすくてね。火を見張っているだけだから、ラジオを聴きながらね。炊飯機もあるし、たまには使うけどね。まあ無洗米に押し麦入れるだけだから、そんなに面倒じゃないよ」

 

「そうですか。土鍋で炊いたご飯、とても美味しいです!」

 

 茶碗に山盛りの麦ごはんを箸でかき込む。御幸が作ってくれた浅漬けにも箸を伸ばした。

 

「この浅漬けも、美味え!」

 

「はは、まあ簡単なものばかりだよ」

 

 御幸は、やや控えめな口ぶりで。

 

「いや、美味いよ、御幸! いや一也先輩!」

 

「ははは」

 

 こうして、御幸親子と沢村の昼ごはんの時間は、平和にゆったりと過ぎていった。

 

 

続く

 






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