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三人は、台所のそばの食卓で、御幸が淹れたほうじ茶を飲んだ。
「久々に、息子が淹れてくれたお茶は美味しいなあ」
と、親父さん。
「大げさだな、親父。家にあった安い茶葉、急須に入れただけだぜ」
「いや、やっぱりお前が淹れてくれたお茶は美味しいよ」
「御幸、いや一也先輩のお茶、とてもとても美味しいです…」
と、沢村も心底感嘆したように言う。
「お前も大げさだな」
「へへ。ここへ来れてよかった。一也先輩とこんなひと時を過ごせて、親父さんにもあいさつできたしさ」
親父さんは、それを聞いて、
「この後どうする? ドライブにでも行くか? それとも将棋でもやるか? 沢村君は将棋打てるんだろう?」
と、沢村に訊(き)いた。
「はい、打てます。祖父に習いましたから。そんなに強くはないですけど」
「一也には俺が教えたんだよ。どうだい、一局やってみるかい?」
「はい、よろしくお願いします!」
御幸はニヤニヤ笑った。
「ハンデ無しじゃ親父には勝てないぜ。沢村は、哲さんと同じくらいの腕だからな」
そのニヤニヤ笑いを見て沢村は、
「若大将、いや、結城先輩と同じなら大したもんだろ!」
と、抗議する。沢村の抗議に、御幸はさらに声を立てて笑った。
「いやいや、あの人、野球はすごいけど将棋はさっぱりだったからな。それでも、ハンデ無しでよく勝負させられたけどさ」
「むぐー!」
沢村は不満そうにふくれた。もちろん、本気で怒っているのではない。
「ハンデ付けるかい?」
親父さんの声に、
「いいえ! 無しでお願いします!」
と、勢いよく答える。
「やめとけ、やめとけ。親父は強えぞ」
「で、でも!」
「親父も、すぐに勝負が付くんじゃ面白くねえからな」
沢村は御幸のニヤニヤ笑いを見つつも、親父さんにつまらない思いはさせたくないと思った。
「じゃ、少しだけ…」
親父さんは、
「よし、四枚落ちくらいでいいか。それじゃリビングに移ってくれ。将棋盤と駒を持ってくるよ」
と言って、仏壇のある和室へと入っていった。
「じゃあ、俺はそばで見守るぜ。親父とお前の勝負をな。はは」
御幸は、あらためて急須の茶葉を入れ替えて大きな魔法瓶から湯を注ぎ、湯呑み三つと急須をおぼんに乗せた。
「さ、リビングへ移動するぜ」
「うん」
ちょうど親父さんが、和室から将棋盤と駒の入った箱を持ってきていた。リビングのテーブルの上に置き、駒を定位置に並べている。
そして沢村は、直(ただ)ちに御幸の親父さんの強さを思い知ることになる。
──うはあ、四枚落ちでも厳しいや。親父さん、強いなあ。
御幸はもう、ニヤニヤ笑いはしていなかった。穏やかな表情で二人の勝負を見守っている。それでも沢村は、苦戦している様子を見られたくないと思った。
──でも、苦戦するよ…。親父さん、強いよ…。
沢村は、何とかあきらめずに難局を切り抜けようとした。
──あー、無理だ。詰みだあ。
詰みとは、どうあがいても勝ち目のない状態に追い込まれたことを指す、将棋特有の用語である。
そこから一般にも、『詰み』とは、もうどうしょうもない状態、どうやっても解決のめどが立たないような状態を指す言葉として使われるようになった。
「俺の負けです!」
「よし、投了か。なかなか良い勝負だったよ」
と、親父さんは、にこやかに言った。
「ま、お前にしちゃよくやったじゃねえか」
と、御幸。またニヤニヤ笑いが復活していた。
沢村は、
「うーん。でも親父さんには良い勝負って言ってもらえたし! まあこんなもんだろ」
と、御幸に。
「親父さん、ありがとうございました!」
と、いつものクセの大きな声で、頭を深々と下げつつ礼を言った。
リビングの壁掛け時計の針は、三時を指していた。親父さんの背後のテレビの上にある。親父さんは振り返らずに、ズボンのポケットの懐中時計を見た。
この懐中時計は、親父さんが高専を出て父親が経営する町工場で働き始める時に、父親から贈られた物である。もう三十年近くが経っていた。
仕事中は作業の邪魔になるので腕時計はできない。そのために懐中時計にしてくれたのだ。
「まだ時間はあるな。門限は七時半だったね?」
息子はうなずいた。
「うん。余裕見て六時にここを出るよ。親父、車頼むな」
「ああ、そうしよう。遅れたら大変だからね」
御幸は沢村のほうを見て、
「遅れたら野球の練習無しで、ひたすらグラウンドを走るだけの刑だぜ。それに一ヶ月外出禁止。俺はもう引退したけど、一ヶ月外出禁止の刑はある。ま、校内に購買部と自販機はあるけどさ」
と、ニヤニヤ笑いをした。
「俺は門限破りしたことはないぞ!」
「あわてて駆け込んだことは何回かあるだろ。はは、危うく数秒違いで三ヶ月外出禁止だったな。お前はベンチ入りメンバーだからさ、野球の練習や試合をやらせないわけにはいかねえ。だからって特別扱いも駄目だ。なんで、三ヶ月、なんだよな、はは」
「いくら野球好きの俺でも、三ヶ月はきつい! たまには外に出たいんだ!」
「ははは、そうだよな。お前も降谷も外出禁止にはならなかったな。ま、お前のことは、大丈夫かな? と思ってたけどな! はは」
御幸は、声を立てて笑う。本当におかしそうだった。
「降谷は? あいつはちゃんとやるって、思ってたのか?」
と、沢村は少し不満げに唇を尖らせる。
「降谷のことも心配してたさ、はは。でも二人とも大丈夫だったな、はは。でも、これからも油断するなよ。今はまだ二年生だが、もうチーム内では最上級生なんだからな。門限破りで外出禁止じゃ、下級生に示しがつかないぜ」
「うん、分かってるよ」
沢村は笑顔になった。御幸にも他の引退していった先輩たちにも、心配は掛けたくなかった。
「沢村君も、かなり成長したと聞いたよ。これからが楽しみだね」
「あ、ありがとうございます!」
と、和やかに話していると。
「ああ、誰か来たな」
親父さんは、玄関に歩いていった。
続く
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