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御幸は会計を済ませて書店から出た。沢村もついてゆく。
「御幸の親父さんのための菓子折りを買おう。食品コーナーは一階だ。金券ショップも」
「よし、下りるか」
二人は、ショッピングモールのちょうど真ん中にある中央エスカレーターで一階へ下りた。
アパレルショップが並ぶ中央エスカレーター付近から、食品コーナーのあるモールの端(はじ)の方へと向かう。
向かって手前側に食品を扱う専門店が並び、さらに 奥にはスーパーがある。スーパーには食品だけでなく、薬局や園芸コーナーもあった。
「パンとか、シュークリームとかの甘い物売ってるな。でも日持ちするもんじゃないとな」
沢村は左右を見渡して、何か良い物がないかと探していた。
専門店とスーパーの境い目に横道があり、そこの奥に金券ショップがあった。あまり中央路からは目立たないように配置されているようだ。
「さあ、先に金券ショップだ。記念切手、あるといいな」
と、沢村。
幸いなことに、記念切手はあった。着物を着た女性を描いた、上品な日本画の切手で、シートではなく五枚が袋に入って売られていた。
「やった! あったぞ、記念切手。俺達はツイているな」
「よし、これを買うよ。こんな切手なら、親父も気にいると思う」
「御幸、官製はがきも買っておくか?」
そう聞かれて、御幸は少し恥ずかしそうな顔をした。
「いや、それはいいよ。あのな、親父への手紙の文面はさ、やっぱりちょっと人に見られたら気恥ずかしいしな。封筒に入れたほうがいいんだ」
沢村は、それを聞いてニヤリと笑う。だが、からかうのはやめておいた。御幸の心の、柔らかで繊細な部分なのだと思った。そしてそんな一面を、自分には安心して見せてくれるのが嬉しかった。
「分かった。じゃあ、親父さんには封筒な。俺は五枚ほど、ファンレター用にハガキを買っておく」
「例の野球漫画への応援か?」
「そうだよ。現役高校球児として、精いっぱい応援しないとな」
「はは、お前その漫画大好きなんだな」
二人は金券ショップを離れた。
「なあ御幸、菓子折り、どんなもんがいいと思う?」
「そんなに高い物じゃないほうが、かえっていいな。箱に入って包装紙が巻かれていればそれでいいから」
「あんまり甘くないほうがいいか?」
「甘くてもいいけど、そんなにたくさんじゃないほうがいい」
「よし、分かった。一緒に探してくれ」
専門店の並びとスーパーの食品コーナーの境い目あたりに、ケーキ屋があった。そこには、マドレーヌなどの焼き菓子を個別包装にして紙の箱に入れた物がいくつも並べられていた。
「おお、これでいいか? 包装紙にもくるんであるぞ。賞味期限は、来年の二月だ。今は十月だから保(も)つよな」
「うん、それの一番安いのでいいよ。六個入りの税込み五百八十三円。お前もけっこう金使ったろ?」
「うん、大丈夫だ。まだかなり残ってるし、また野球に集中するんだから、あまり金は使わないしな。御幸は?」
「同じく、だよ。引退してからも筋トレとか走り込みとか素振りとかの自主トレしてるしな。近くの公園や川べりの広場で。川上(ノリ)もシャドーピッチングしてるし」
さすがに硬式野球ができるグラウンド以外で、硬式ボールを使うわけにはいかなかった。
おやつは今でも、一般生徒用の食堂で特に運動部の生徒には出されるのだが、おにぎりとバナナのみで、外部からのゼリー飲料やプロテインドリンクなどの差し入れはほぼ無いと、沢村は聞いていた。
「もう部活でスポーツドリンクもらえないからさ、麺つゆに砂糖とお酢を少し入れて、それを水に溶いて飲んでる。そのほうが安い」
その麺つゆと酢は、寮生用の大型業務用冷蔵庫に保存してある、と御幸は言った。
「やはり引退して不便になりましたよね。なんだかんだと野球部は優遇されてたんだな。川上(ノリ)先輩は大学に行くんですよね。やっぱり野球続けるんですね」
と、なぜかここで沢村は敬語になる。
「そう。スポーツ推薦で決まってるから。受験勉強はないからな。もちろん、赤点は取れないけど、その点ノリは(お前らと違って)真面目だから大丈夫。時には市内の公営グラウンドまで自転車で行って、バッティングの練習もするぞ。守備の練習もな」
「ノリ先輩も? 大変ですね。部の設備が使えなくなったから」
「ノリだけじゃない。そん時は前園(ゾノ)や白洲も一緒だ。それにしても、硬式野球のできるグラウンドは料金が高いんだよな。後は、二週間に一回はバッティングセンターに行って打ち込みだ。これも自転車で行ける距離にある」
プロ入りする選手や大学野球に進む選手には、引退後も学校の設備を使う事が許された。ある程度は、だ。現役野球部員が授業を受けている日中に、である。
高卒でプロに進むと確定した生徒には、特別に授業を大幅に休ませる配慮がなされる。その時間で自主トレーニングをやるのだ。
大学野球へ進む場合はそれほどではないが、やはり進路指導の一環として、それなりの練習時間は与えられるものだ。
とはいえ、野球部の設備は基本的には現役の野球部員のものであり、そちらが優先されるのは当然だ。
御幸はまだ、ドラフト後の球団との交渉前であり、プロ入りが確定したとは言い切れない状態であるが。
ちなみに、寮に暮らしていて三年生になり就職活動をする者には、八月以降は、月に五千円を上限としたお小遣い以外に仕送りの増額が認められていた。
面接や説明会に行く交通費や、その他の就職準備の資金にするためである。その場合も、ひと月あたりの増額分が一万円までと決まっている。
いわゆるUターン就職をする者もいた。そのためにも資金は必要だ。
「あんまり親父に負担かけたくはないけど、俺はキャッチャーだけど打つ方も期待されてるからな。それにしても、バッティングセンターも、本格的な練習ができるところは少ないし高価(たか)い。俺は、交渉が済んで球団と本契約ができたら、来年からは球団の設備使わせてもらえるんだけどな」
「そっか。引退した後も大変ですね。青道野球部の施設、あまり使えなくなるから本当に大変だなって思います」
ついつい敬語になるのは、ここにいない川上や前園や白洲の先輩たちを頭に思い浮かべたからである。
御幸は、大した事ないさ、と言わんばかりの顔をした。
「俺はプロへ行くし、大学でも野球続けたいなら、やるしかない。だけど青道のグラウンドや設備は、現役の野球部員のためのもんだからな。そこのルールは曲げられない。現役野球部員が授業受けてる間に、設備を借りて練習するのはできるけど。先人もそうしてきたんだ。そう聞いたな」
「先輩たち、俺達の練習中に来てくれたら嬉しいよ。いつまでも頼ってちゃ駄目なのは分かってるけどさ」
「そうそう。いつまでも頼るなよ。今度はお前らが最年長としてチームを引っ張っていくんだからな」
特に御幸は、プロ入りが確定した後は、アマチュアである野球部員とは練習などでは関われない。大学野球はアマチュアの範疇なので、そこは大丈夫なのではあるが。
「そうだよな」
三年生になったら、エースとしての重責はより重くのしかかるだろう。だが、自分が望んだ事だ。そう沢村は思った。
「ま、金丸をキャプテンにしたのは正解だった。皆、頑張ってくれてるが、キャプテンに向いてるのはあいつだ」
後で見に来て安心したよ、と御幸は付け加える。
沢村はうなずいた。新体制もなかなか上手くいっている。御幸世代とは違い、他にキャプテン候補がいなかったのも大きい。
「御幸の時は、倉持先輩と前園先輩がキャプテン候補だったんだよな。リーダーが御幸を押したことで、御幸に決まったって聞いた」
「そうなんだよ。二人は、キャプテンになりたがっていた。俺は違った。まあ、キャッチャーでキャプテンてのはよくある事だけどさ」
御幸はふぅーと、軽く息を吐き出した。
「あの時は大変だったよな、御幸」
「過ぎてしまえば良い思い出さ。哲さんに対しては正直『なぜ俺を?』という思いも、最初のうちはなくはなかったんだけどな」
沢村は、ケーキ屋のレジで焼き菓子の入った菓子折りを買った。ラッピング済みの箱を、さらに紙袋に入れてもらう。渡す前に、ラッピングに傷や汚れが付かないようにするためである。
「よし、これで御幸の親父さんに会う準備が整った!」
ケーキ屋を離れて、元来た通路を戻る。沢村はデレデレした顔になった。
「俺がプロになって実績作ったらさ、御幸と結婚式挙げたいな。世の中の制度がどうでも、俺達は結婚式を挙げるんだ。きっと皆、祝福してくれると思う」
ここで言う『皆』とは、青道のチームメイトや、高校野球での活躍を見たり、プロになってからファンになってくれた人々のことである。先ほどサインを求めてきた小林さんのような人々だ。
むろん、世の中はそんな人々だけで成り立っているわけではないのを、沢村は知っている。
「俺もお前と結婚式を挙げたい。俺の親父も、お前の家族も呼んで。それに、お前の中学時代の軟式野球のチームメイトもか」
「俺の家族はもう知ってるからな、幼なじみも。チームメイトもだ! あいつらは御幸の味方だよ」
「うん」
「二人でモーニング着て結婚式してさ。世間の思い込みにカウンター食らわせるんだ」
モーニングとは、日中の男性の礼服の中では、最も格式が高いとされる礼服である。結婚式における新郎の服装とされる。
よく知られているタキシードは準礼服で、夜に開かれる正式なパーティや結婚式などのためのものだ。
モーニングは格式が高いが、簡素化が進む最近では、正式な冠婚葬祭の場でも、あまり着られることが少なくなってきたとも言われている。
結婚式の新郎の服装としてはタキシードがより一般的で、近頃では結婚式では昼夜を問わず着られることが多くなった。
「モーニングじゃなくて紋付き袴でもいいぞ。御幸と俺で二人で並んで、どっかのホテルのパーティ会場借りてさ」
「考えてみると同性婚が法制度としては無くても、結婚式を挙げるのは別に禁止されてないんだよな」
「そうそう。だから堂々とやろうぜ」
各自治体では、同性同士のパートナーシップ制度を認めるところが大半となった。同性婚と違い法的な効力は無い。
ただパートナーとして家族になった証明が、自治体レベルとは言え公式に発布されるため、行政や民間でそれなりの恩恵を受けられる場面も増えてきている。
「御幸の親父さんに許しをもらって俺が十八歳になったら、届け出を出してパートナーシップ証明書をもらおうよ。額に入れて部屋に飾っておこうぜ」
「はは、そうだな。それにしても…お前の家族は本当にいいのか?」
「御幸みたいな良い嫁もらえるんだから、もう絶対に逃がすなって言われてるよ。ま、今度の年末年始の休みにでも、長野に連れてこれないかって言われてるけど。実際に会って顔見たいんだってさ」
「ああ、行くよ。必ず行く」
「よし、決まりだな!」
二人はゆっくり歩きながら、そんな話をしていた。二人で手をつないで歩いていた。
ショッピングモールにはよくある、幅広い通路の真ん中にあるソファに二人で腰掛け、御幸は手紙を書くことにした。
「台になるもん、あるか?」
「いつも持ってる、これを使うよ」
それは革装丁の、様々な記録用紙を挟み込むファイルだった。ひと頃は、システム手帳として流行ったものだ。御幸のは大ぶりで、大学ノートと同じくらいのB5の大きさがある。
「これは親父が、アルバイトして買って高専時代に使っていた物をもらったんだ。いつもこれに記録してるからさ。野球の事、勉強の事、親父の事、プロ野球の事、将来の事、もちろん、お前の事も」
「俺の事、なんて書いてあるんだよ?」
「それは内緒だ」
「なんだよ、見せてくれたっていいだろ」
「内緒、内緒」
「えー」
「ま、とにかく手紙書くから」
「うん」
沢村は横を向いて、手紙を見ないようにした。きっと御幸は恥ずかしがると思ったからだった。
「御幸、大好きだ。いつか、一緒に暮らしたい」
そっとつぶやいた。そのつぶやきは小さく、御幸の耳には入らなかった。
続く
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