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二十分ほどは黙って手をつないだまま歩いた。歩道の幅はやや広い。車道には、車が次々と走り去ってゆく。郊外と言えど、車通りは多いのだ。
反対に人通りは比較的少ない。時折、自転車がゆっくりと走り抜けてゆくくらいだ。
法改正後、歩道を走る自転車は減ったが、車が猛スピードで走る車道の隅(すみ)を走るのは怖いのだろう、今でも歩道を走りゆく自転車もあるにはある。
街路樹と、歩道沿いにある建物の生け垣や花壇などが、緑と自然、そして季節の花々をアスファルトの道に添えている。
大きな街路樹には小鳥がたくさんいるのだろう、さえずりの声が聴こえて、耳に心地良い。
生活には割と便利なのに、緑と自然と、そして場所や季節によっては花々も豊かで、小鳥の声も聴こえ、姿も見える。それが東京の郊外である。
「親父の町工場も、こんなふうに敷地内の建物周辺に低木を植えてるよ。他の町工場や倉庫も、そんなふうにしているところが多い。敷地に余裕がある大きなところでは、街路樹みたいに背の高い木を植えているのもある。皆、あんまり殺伐とした中で働きたくないもんな」
御幸は、あたりの建物を、空いている方の手で示しながら言った。建物は、大型の工場か倉庫が多いようだった。そして道路沿いの様々な店─衣料品の店やドラッグストア、ホームセンター、飲食店。多くが資本を掛けたチェーン店で、個人経営と思われるものはほとんどない。
「うーん、でもやっぱり、青道に来た時、ここは東京だなって思ったんだよな。車は多いし、どこもアスファルトの道路がずっと続いてて、あぜ道みたいなところを自転車で走ったりしないだろ? 店ってチェーン店ばかりでさ。俺の実家の地元から、バスか車で一時間行くと、ちょっとした街に出るんだよ。そこは昔ながらの個人経営の店が多い。ショッピングモールが出来たから、どうなるかなって心配してる人もいたけど」
「昔ながらの個人経営の店に、あぜ道か。全く無いわけじゃないだろうけど、確かにあまり見ないな」
個人経営の店は近ごろとても少なくなった、そう親父も言ってたな、と御幸は付け加える。
「俺はさ、田んぼや畑の周りにある、舗装されてないあぜ道を自転車で走って、友達んちに行ったり、学校通ったりしたんだぜ。小鳥だけでなく、いろんな虫がいて、カエルとかキジとかもいて、時々シカやイノシシも出てさ」
沢村は懐かしそうに故郷の事を語り始めた。御幸はその顔を見、声を聞いて、ホームシックになっているのではないと思い、ホッとした。
「近くの山や空き地で、キノコや野草を採(と)って食べるんだよ。まあ俺は、採ったもんそのまま食うなって言われたけど。おふくろやじいちゃんに見せてさ。これは食えるから大丈夫、って言われたら、キノコや野草を、肉や魚と一緒に炒めたり蒸したりして食うんだよ」
「へぇ、そりゃいいな。とても美味しそうだ」
「そうなんだよ、御幸! 採れたてで美味いんだ。川で魚を釣って食うなんて日常茶飯事だしさ。キジやシカやイノシシも、誰かが仕留めると肉分けてくれるんだよ。そしたら俺達の畑からも、キャベツやニンジンをおすそ分けするんだ。りんごの木もあるから、りんごを渡す時もあるな。あ、実家の本業は農家じゃないけどさ、食べ物は自家栽培と交換で割と手に入るんだ。よそで飼っている鶏の玉子も。ショッピングモールや街にも、いろいろ買いに行くけどさ」
「そうか、いいな」
「東京へ来るとさ、食べ物はただでは手に入らないのが当たり前なんだなって、まずそこがカルチャーショックだったんだよな。青道の校庭の隅(すみ)の野草やキノコもさ、『これ、食えんのかな?』って俺が言ったら、先輩たちにすごい顔されてさ。『そんなもん、絶対に食うな!』て、チーターには怒鳴られるし」
沢村は思い出したのか、チクショウという顔をした。御幸は思わず吹き出してしまう。
「はは! でもそれは倉持の言う通りだぜ。長野ののどかな田舎と違って、郊外とは言え水も空気もそんなにきれいじゃないしな。それに、毒キノコかどうかの見分けも、あんまり付かないんだろ? だったらやめとけ。ははは」
沢村は、まあそうだけどさ、としぶしぶ同意する態度を見せた。さらに話を続ける。
「それに魚はともかく、キジとかシカなんかを殺して食べる話はタブーになってるし。うっかり話せない感じだ。ああ、そうか、ここでは皆、コンビニとかスーパーでしか食い物を手に入れられないんだな、生き物が肉になるところ、みんな見た事ないんだなって、そう思ったんだ」
「そうだなぁ、釣りや山野草採りをする人もいないわけじゃないだろうけどな」
「でもそれは趣味でやるんだろ? 生活のためじゃない。でもさ、生活ぶりが大きく違っても、野球のルールは共通だ。野球の話をしたら、そんな育ってきた環境の違いはどうでも良くなる! だからスポーツはいい。特に俺にとっては野球がいい! 野球は最高だよ!」
「ああ、そうだな。俺も、お前と出会えたしな」
「そうだ! 野球は長野でもできたけど、ここに来なきゃ御幸とは出会えたかった。来てよかったよ。ホームシックにはならないから、安心してろよ」
御幸はそれを聞いて、はは、と笑う。
「お前も故郷に手紙出せよ。漫画のファンレターばかりじゃなくてさ」
「あ、そうだな! じゃあ、ハガキ出すか。今度の土曜日までに書くよ。明日の日曜も、午前中か午後の早い時間で練習は終わるけど。手紙はゆっくり書く」
「うん。きっと喜ぶよ。できれば向こうからも手紙が欲しいよな」
「へへ、年賀状くらいは来るけどな。御幸ももらったろ? 親父さんから」
御幸はそう聞かれて、少し気恥しそうにした。
「ああ。決まりきった新年の祝いの言葉以外にも、親父らしく、不器用な私信が書かれてた。ちょっと照れくさかった」
沢村は興味津々となり、目を大きく見開いた。
「へぇ! なんて書いてあったんだよ?」
「お前の出る試合は、いつも欠かさず録画して見ているよ、てさ」
「へぇ! よかったな、御幸」
「…うん」
二人は、そのまま手をつないで歩き続ける。
「今日はネックレスをありがとな。大事にするよ」
御幸は自分の胸元を見下ろして言った。『True Love』のペンダントヘッドが、街灯の明かりにきらめいている。
「うん。御幸のためのお守りなんだ。今の俺の、精いっぱいのプレゼントだ」
「とても嬉しいよ。無理しなくていいのに、とも思ったけど」
「無理してない! そんなに金使わないよ。二月(ふたつき)に一回だけコミック買って、毎週マガジャン買うだろ、他には月に二回だけジュース買う。それくらいだからな」
「うん。まあでも無理すんな。たまには息抜きもしろよ」
「大丈夫だって。亭主を信頼しろよ。心配するよりも、さ」
「はは、そうだな」
西の方(かた)の夕焼け空も、徐々に暗い青になってゆく。青道野球部の寮、青心寮まではまだ距離があった。
続く
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