無題   作:祐。

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救いの女神

 菜子が目を覚ますと、箱の中を思わせる無機質な部屋に閉じ込められている状況を悟った。

 

 手足をロープでイスに固定され、付近には拷問器具を乗せたワゴンが用意されている。意識を取り戻すと同時に視界に入ったのは、着崩した黒服の男達3人が今か今かと菜子が目覚めるのを待ち遠しく佇む姿だった。内の2人は人間であり、1人は黒色の体毛を持つライオンのような獣人だ。

 

 菜子が目覚めたことに気付くと、男達は寄ってたかって会話をし始める。

 

「お、眠りのお姫様が目覚めたようだ」

 

「じゃあ早速はじめますか。情報によると、こいつの肉体を食べると異能力が使えるようになるらしい」

 

「条件として、本体の意識がある時の肉体じゃないと効果が無いとかだったか?」

 

「そんな限定的な条件とか本当にあんのかって話だが、これで異能力が使えるようになるんなら何だってするぜ」

 

「切断する道具、チェーンソーぐらいしかなかったけどいいよな?」

 

「どうせ全員で分け合うんだ。せっかくだからウマそうなところから食べたいもんだが」

 

 男の1人は菜子の太ももを見つめながら涎を垂らし、もう1人は半信半疑といった具合の眼差しを向けている。そして最後の1人はワゴンの下に置いてあったチェーンソーを持ち上げると、それのエンジンを起動して豪快な音を鳴らし始めた。

 

 固定された体は動かず、菜子は悲鳴を上げることしかできなかった。まずは脚からと迫る刃に恐怖を覚え、菜子は大粒の涙を流しながら絶叫して助けを求める。

 

 だが、菜子の切望は誰に届くこともなかった。そう思われた刹那――

 

 菜子の正面、男達の背後にあたる場所から扉の壊される音が響き渡った。蹴り破られた扉は凹みながら男達の足元まで吹き飛んでいく。突然の出来事に男達は振り返ると、そこには1人の女性が右脚を蹴り上げた姿勢で存在していた。

 

 腰辺りまで伸ばした乳白色の長髪を分厚く束ねたポニーテール。黒色のライダースジャケットに、胸元のボタンを外してタックインした赤色のシャツ、黒色のバイクパンツに膝丈まである黒色のロングブーツ。菜子はその美女に見覚えがあり、絶句しながら見開いた目で彼女を凝視する。

 

 ユノだ。大手便利屋事務所『ワールズアパート』に所属する何でも屋。彼女がどうしてこの場に現れたのかは分からない。だが今の菜子にとって救世主となり得る人物であることもまた確かだ。

 

 男達の内、中央にいる男が拳銃を取り出してユノに発砲した。数発と放たれたそれを彼女は視認すると、即座に床を蹴り出してジグザグに接近し始める。その速度は音速と呼ぶに等しく、常人には彼女の残像すら捉えることもできなかった。

 

 拳銃を構える男の体感時間がスローモーションになる。もう、既に目の前へと迫っていたブーツの靴底が自身の顎を捉えていた。次の瞬間にも、ユノによる上半身を捻じり踵から蹴り上げた高速の一撃によって、その男は勢いのまま天井に突き刺さってピクリとも動かなくなった。

 

 垂直の直線を描いて天井に刺さった男の状況を、周囲の2人が認知することはなかった。恐れ戦いたその直後にもユノは動き出し、右手に居た獣人の男へと飛び掛かるなり空中で数発の蹴りを浴びせてみせたからだ。そしてユノは吹き飛ぶ獣人の男を足場にして逆サイドの男へ飛び掛かると、水平に飛ぶ音速の直進と共に鋭く突き出した右脚の一撃を男の腹部に食らわせた。

 

 ほぼ同時のタイミングで、左右へと吹き飛んだ2人の男達。目の前で繰り広げられた圧倒的な戦闘に菜子は言葉を失いながら見守り続ける。直にも床に着地したユノが振り向くと、凛とした様相で足早と少女の下に歩み寄った。

 

 手足のロープを平然と引き千切るユノ。自由の身となり窮地を脱した菜子は自然と涙を流し始めると、その体は無意識にユノへと吸い込まれて抱き付いていた。ユノはそれを拒否することなく受け止め、菜子の頭を優しく撫でながら言葉を掛けていく。

 

「救出が遅れてしまってごめんなさい。私の不手際で、貴女に怖い思いをさせてしまった」

 

 菜子は無言で首を横に振る。ユノはポケットから黒色のハンカチを取り出し、菜子の顔面を拭いながら言葉を続けた。

 

「貴女を助けに来たわ。もう大丈夫よ、私と共に帰りましょう」

 

「帰るって……どこに……?」

 

「貴女が戻るべき場所よ」

 

「もう……無くなっちゃったよ……っ。アタシ、売られたから……っ」

 

「非常に酷な現実と直面して、絶望に打ちひしがれる気持ちも理解できるわ。だからこそ、今はここから脱出しましょう。貴女が再び日常を取り戻すことができる、安寧の地を求めて」

 

 独特な喋りを展開するユノは、菜子を励ましながら手を繋いだ。ここから脱出する。ユノの意図を汲んだ菜子は頷いていくと、ユノによる先導と共に駆け出したものだった。

 

 

 

 

 

 ユノと菜子が通路を駆け抜けていく間にも、菜子は戦闘の痕跡を何度も目撃した。部屋は荒廃した工業所を思わせる殺風景が広がっており、錆びや砂埃が散見される室内には倒れている黒服達の姿が見受けられる。所々と弾痕やひび割れ、瓦礫などが見受けられ、古びた蛍光灯の範囲外である暗がりの様子から時刻が夜であることも予測できる。

 

 部屋と通路を通り抜け、直にも破壊された壁の穴を通り抜ける。そこには夜空が広がる廃れた工業地帯の囲われた空所が展開されており、ユノと菜子が飛び出すと共に頭上からは複数ものサーチライトが向けられた。

 

 敷地内には、銃器を携えた黒服達が戦闘態勢で彼女達を囲っている。ユノは菜子を庇うように立ち位置を変えていくと、直にも黒服達による掃射が行われた。

 

 菜子をも巻き込んだ、無差別的な排除。ライフルやマシンガンといった殺傷力の雨で横殴りの銃弾を一気に浴びせてきたものだが、ユノは力尽くで右脚を地面に埋めていくと、次にもそれを持ち上げると同時に地面を引っぺがすようにして土の防壁を前方に作り上げた。

 

 抉り取られた地面は自立し、前方からの弾丸を防いでいく。あまりにも規格外なそれを菜子が驚愕と共に見上げていると、刹那、ユノは音速でその場から飛び出して周囲の黒服達へと攻撃を仕掛け始めた。

 

 敷地の外側から遠回りして黒服達を片付け始めたユノに対し、他の黒服達はそちらへ注意を向けていく。逸れた弾丸に安心した菜子だったが、眼前の防壁が崩れるにつれてその全身は再び晒された。一部の黒服達がそれに気付いて菜子へと接近し始めると、菜子は恐怖のあまりに身動きが取れなくなり、1人の男に掴み掛かられそうになった。

 

 もうダメだ、捕まる。菜子が目を閉ざして視線を逸らしたその瞬間、ふと遮るような気配が現れる。感覚的に巡ってきた異変に菜子は恐る恐ると目を開いて確認すると、そこには見慣れない“青年”の背中が映し出されていた。

 

 水縹(みはなだ)色の右腕からドーム状のバリアを展開する青年は、押し出すように黒服の男を退けてから一歩踏み込んで渾身の右アッパーを繰り出していく。雄叫びと共に振り抜いた拳で黒服の男をカチ上げると、青年は咄嗟に振り返って菜子の安全を確認してきた。

 

 175cmの背丈であり、群青色(ぐんじょういろ)の無難なショートヘアーが真面目さを伺わせる。際立った点はないが爽やかな顔つきであり、黒色の瞳は誠実な印象を与えてきた。服装は膨らむようなシルエットで厚手の水色フード付き前開きパーカーと、タックインした黒色のシャツ、黒色のスラックスに焦茶のレザーシューズという格好をしていた。

 

 振り返った青年は、菜子の安全を確認するなり安堵した様相を見せてきた。だが、今も前方から迫る黒服達に気が付くと、次にも両腕に水縹色のオーラを纏ったガントレットを瞬時に装着し、襲い掛かる黒服達を数発の拳で撃退しながら菜子へと声を掛けていった。

 

「君の安全は俺とユノさんが守る!! この命に代えても、君を守り通してみせる!!」

 

 青年の力強い発言に、菜子は一種の高揚感を覚えた。直にも青年は菜子の下へと駆け寄って保護しながら会話を交わしていく。

 

「俺は“柏島(かしわじま)歓喜(かんき)”。ユノさんと同じく便利屋事務所『ワールズアパート』の一員として活動している者だ」

 

「ま、守ってくれてありがとう……」

 

「まだ気が抜けない状況だ。でも、これで反撃の準備が整った!」

 

 歓喜と名乗る青年は、今も向こう側で黒服達を蹴散らすユノへと言葉を投げ掛けていく。

 

「ユノさん! 菜子ちゃんの身柄を保護しました! あとは存分にやっちゃってください!」

 

 歓喜の言葉を皮切りにして、ユノはその場で天高く跳躍した。

 

 聳え立つ煙突の、その天辺に降り立った彼女。地平線まで伸びる無限なる夜空を背景に佇んだ人物は、“その姿を変えて”地上を見下ろしていた。

 

 深紅のコートを身に纏い、両腕にメカニカルなガントレットを装着した姿。乳白色の分厚いポニーテールを靡かせた“彼女”は、ジャック・オー・ランタンを想起させる黒色の仮面を身に着けて、目と口には不気味な紅色の光を宿している。堂々たる佇まいは破壊の権化とも呼べる殺意の威厳に満ち溢れ、紅の瞳は死神の如く地上の獲物を視界に捉えておぞましく佇立(ちょりつ)していたものだ。

 

 (みなぎ)る力を滾らせるように両手を開いていく。今にも厄災が降り掛からんとする一種の予感が巡ったのだろうか、黒服の男達は“彼女”に強大な畏怖を抱きながら銃器を構えて警戒していた。その隙に歓喜は菜子をお姫様抱っこの要領で持ち上げると、菜子の「わっ!」という驚きの声と共に跳躍して建物の屋上へと移動する。

 

 これより、災いがもたらされる。菜子が不吉な予感を抱くと同時にして、ユノだった“それ”は天高く跳んで開けた空所へと着地した。

 

 着地と共に拳を地面に打ち込みながら――

 

 

 

 

 

 それは大災害だった。地面には隕石が落下したかのようなクレーターが発生し、大地を地盤から揺るがしていく。その一撃は衝撃となって周囲の人間や建物を吹き飛ばし、瞬く間に周辺全てを無に帰した。

 

 建物の屋上に避難していた歓喜は、衝撃によって崩れた足場に気を取られながらも菜子を抱え込んで一層と遠くに移動する。その間にも厄災の化身である“彼女”は体を起こすと、増援として現れた黒服の一団に独りで応戦した。

 

 ガントレットを装着した両腕を振り抜く度に、その衝撃波は透明の砲丸となって辺り一帯を吹き飛ばす。降り掛かる銃弾の雨すらも拳の一撃で振り払い、接近してきた黒服達に対しても容赦のない拳を振るって悉く返り討ちにする。直にも黒服の一員と思しきゴリラのような巨人が無数と飛び掛かるが、“彼女”は鮮やかな動作で攻撃を回避しながら、前方からの攻撃を力で押し返し、隙を見て懐へ飛び込み、一撃必殺の拳を浴びせ、片っ端から吹き飛ばしていく。

 

 “彼女”を中心とした敷地内は更地に近い殺風景と化していた。もはや地獄絵図である状況を受けて黒服達は心の底から絶望すると、中には逃げ出す者さえも現れ始めた。向こうの士気は皆無に等しかった。降り掛かった災厄と相対して命を取らないよう懇願する者すら現れた戦況から、勝敗は言うまでもなかったことだろう。

 

 全てを圧倒的な力で捻じ伏せた“彼女”は、滾らせたパワーのままに佇んだ。ジャック・オー・ランタンのような仮面を着けた“彼女”に言葉は宿らない。死を連想させる沈黙は相手に一層の恐怖心を植え付け、気付けば“彼女”に攻撃を仕掛ける者は誰ひとりとして居なくなった。

 

 敵陣営の全員が降伏した。破壊の化身が如き“彼女”に、凡夫はひれ伏す他なかった。

 

 

 

 

 

 工業所の火災が明かりとなり、焔の朱色が周囲を照らしている。遠くの高台に避難していた菜子がうずくまりながらその景色を眺めていると、歩み寄る音と共にユノが現れた。変化前のライダースジャケットを着用した素顔の姿であり、彼女は菜子の付近で佇んでいた歓喜へと言葉を掛けていく。

 

「彼女の保護に貴方が名乗り出てくれたことを、心から感謝しているわ」

 

「とんでもありません、これも便利屋の務めですから。ユノさんは菜子ちゃんの傍に居てあげてください。俺は近くで待機しているヘリに迎えを要請してきます」

 

「えぇ、お願いするわ」

 

 歓喜はこの場をユノに任せ、胸ポケットから無線機を取り出しながら口元へあてがっていく。距離を置く彼の背を途中まで見送ったユノは、菜子へと近付きながら柔らかな声音で喋り掛けた。

 

「体調はどうかしら」

 

「自分でも不思議なくらい、どこも悪くないかな」

 

「何よりだわ。貴女の健康は、私の望みでもあるのですもの」

 

「……ちょっとだけ気に食わない。アタシの事なら何でも分かってますって感じが、なんかイヤだ」

 

 菜子は立ち上がり、ユノへと振り返った。その表情はどこか素直になれない複雑な心境を表している。

 

「でも助けられたのはホントのことだから、それはすごく有難いなって思ってる。……その、ありがと」

 

「貴女から感謝の言葉を賜れたこの喜びは、筆舌に尽くし難いわ」

 

「なにそれ、意味分かんない」

 

 困惑混じりに応える菜子と、右手を胸に当てて柔らかな笑みを浮かべるユノの構図。特にユノの真摯な様子を見た菜子は余計に眉をひそめていくと、途端にしょんぼりと俯きながらそれを呟いた。

 

「……アタシ、これからどうなっちゃうんだろ。預けられていた家に捨てられて、何もかも無くなっちゃった。オトナを信じるのも、もう無理そう」

 

「そこには、お姉さんと恋仲だった私も含まれるのかしら」

 

「まずそこが問題なの。大体、女同士じゃん」

 

「愛の形は、男女だけに限らないわ。私の場合は一方的な感情であったことも否めないけれども」

 

「うーん、よく分かんない。よく分かんないけど……ユノさんは、お姉ちゃんのことが好きだったんだよね?」

 

「えぇ、愛していたわ。それが一方通行の恋情だったのだとしても、この想いに嘘偽りはないと断言しましょう」

 

 ユノの言葉を聞き、菜子の方が気恥ずかしく思いながらも複雑な様相でそう答えていく。

 

「……じゃあ、ユノさんのことはちょっとだけ信じてみる。お姉ちゃんに目をつけたセンスの良さを評価してさ。あと、助けてくれたあのお兄さんのこともちょっとだけ信じることにする」

 

「ありがとう。貴女の寛容な心持ちに、私の心は救われたも同然よ」

 

「救われたって、大袈裟すぎ……。ユノさんの言ってること、アタシにはよく分かんないかも」

 

 この時になって初めて、菜子は微笑した。若干の照れ臭さも伺える菜子が頬をポリポリ掻いていると、要請を済ませた歓喜が無線機を胸ポケットにしまいながら会話に加わってくる。

 

「3分後にはここに迎えのヘリが到着します。ユノさん、その、菜子ちゃんについてはどのような話になりましたか?」

 

「彼女は私の下で保護するわ。所長にも後でその旨を伝えるつもりよ」

 

「分かりました。ひとまず詳しい話はヘリの中でしましょうか。まずは任務の方、お疲れ様でした」

 

「柏島くんもお疲れ様。貴方の活躍によって菜子ちゃんからの信頼を得られたと言っても過言ではないでしょう」

 

「俺は大層なことしてませんって! 全部ユノさんが片付けてくれましたから、ユノさん様様って感じですよ!」

 

「謙遜しないでちょうだい。貴方はもっと自己評価を高めるべきよ」

 

 軽く腕を組むように佇むユノは、フッと笑みを零した。菜子もそれに乗っかるように歓喜へと言葉を掛けていく。

 

「お兄さん、とってもカッコ良かったけどなー?」

 

「え!? いやそんなカッコいいとか別に……!」

 

「あ、めっちゃ動揺してる。オモシロ」

 

「や、やだなぁ菜子ちゃん。あまりからかわないで恥ずかしいから……」

 

「えー、だってホントにそうじゃん。ユノさんもそう思うでしょ?」

 

「そうね。今日の柏島くんは一段と輝いて見えたわ」

 

「そんなユノさんまで!!」

 

 迎えのヘリが到着するまでの間、3人の中で和気藹々とした空気が流れていた。心なしか菜子の声音は普段よりも明るくなり、笑顔を見せる時間も増えたように感じられたものだ。

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