なので後半戦まで付き合ってくれると嬉しいです。
千束がたきなの背中を追って辿り着いたのは、DA寮の中央に設えられた噴水だった。
照明に照らされた水面は、淡く光を反射しながら静かに揺れている。昼間なら、任務の合間に集まったリコリスたちの笑い声や、他愛もない愚痴が飛び交う場所だ。だが今は聞こえるのは、水が落ちる単調な音だけだった。
「……やっぱり、ここだと思った」
千束は息を整えながら、少し距離を取って声をかける。噴水の縁に立つたきなの背中は、やけに小さく見えた。
「リコリス、みんな好きだよね。ここ」
たきなは振り返らない。ただ、水面を見つめたまま、拳をぎゅっと握りしめている。その指先は白くなり、肩は微かに震えていた。
「……この寮で暮らすことは」
掠れた声が、水音に溶けていく。
「DAに拾われた私たち全員の……憧れでした」
噴水の水が、規則正しく落ちる。その音が、言葉の合間に不自然な沈黙を作る。
「この制服に袖を通したときも……思ったんです」
たきなの声は遠く、過去をなぞるようだった。
「ようやく、ここまで来たって」
千束は黙っていた。いつもなら、軽口の一つや二つ挟んで場を和ませているはずだ。だが今は、ただ聞く。茶化すことも、遮ることもせず、たきなの言葉が尽きるまで待っていた。
「ここが……目標だった……!」
突然、声が強くなる。
「ここに立つために、命令にも、訓練にも、全部耐えてきた……!」
噴水の縁に置かれた手が、ぎり、と音を立てそうなほど強く握られる。
「それなのに……!」
息が詰まるような間。
「それを……私は、奪われた……!」
堰を切ったように、感情が溢れ出す。
「どうして……どうして、こんな……!」
叫びは寮内に反響し、夜の静寂を引き裂いた。抑えきれなくなった涙が頬を伝い、噴水の水面へと落ちる。雫はすぐに波紋に溶け、どこへ消えたのかも分からなくなった。
千束は、一歩だけ近づいた。それでも、すぐには触れない。泣き崩れるたきなの背中は、戦場で見たどんな姿よりも、脆く、守るべきものに見えた。噴水は変わらず、水を落とし続ける。まるで、ここで何が起きようと関係ないとでも言うかのように。千束はその音の中で、ただ静かに立ち続けた。たきなの慟哭が、完全に吐き出されるその瞬間を待つように。
「……たきなを必要としてる人、街にはたくさんいるよ」
水音に紛れるように、千束は静かに口を開いた。
「ここじゃなくたって……」
それは、慰めの言葉のはずだった。だが、たきなにはそうは聞こえなかった。
「あなたは!」
鋭く振り返った声が、夜気を裂く。
「あなたはDAに必要とされてるからいいですよね!!!」
それは怒鳴り声というより、切羽詰まった悲鳴だった。千束は問題児、異端児、好き放題言われてきた。それでも処分されない理由を、たきなは知っている。
――歴代最強。
その称号ひとつで、組織は目をつぶる。結果を出す者は守られる。それがDAの、揺るがない現実だった。
「私には……」
たきなの声が、急に弱くなる。
「私の……居場所は……もう、ここには……ない……」
噴水の縁に立ったまま、視線を落とす。水面に映る自分の顔は、ひどく情けなく、頼りなかった。
少しの沈黙のあと、たきなは唇を噛みしめる。
「……ごめんなさい。わかってます」
絞り出すような声。
「全部……自分のせい……」
千束はすぐには答えなかった。冗談も、笑顔もない。ただ、まっすぐにたきなを見据え、ゆっくりと言葉を選ぶ。
「あのとき、たきなは仲間を救いたかった」
たきなの肩が、ぴくりと揺れる。
「それは命令じゃない。組織の
噴水の水音だけが、二人の間を満たす。
「それにね」
千束は続ける。
「たきなは、命令違反してない」
「……え?」
たきなは思わず顔を上げた。
「あの時、通信障害があったって話になってるけど、違う。ハッキングだよ」
千束の声は淡々としていた。事実を、事実として並べるように。
「ラジアータがハックされた。だから、偽の取引時間を掴まされた」
「……」
「でもさ……そんな報告、お偉いさんにできると思う?」
たきなは言葉を失う。
「自分たちの管理ミスです、なんて。言えるわけない」
千束は小さく息を吐いた。
「だから……一番楽なところに、責任を押しつけた」
「……私に……」
「うん」
その瞬間、たきなは走り出そうとした。
「理不尽です!」
噴水を離れ、寮の奥へ向かおうとする。
「司令に話を――!」
「どこ行くの?」
千束の声が、背中に刺さる。
「司令室です!」
「無駄だよ」
即答だった。
「組織に不都合な話をしても、シラ切られるのがオチ」
たきなは反論しようとして、言葉を失った。その瞬間、脳裏に浮かんだのは、千束と出会ったばかりの頃の言葉。
『事件は事故に。悲劇は美談に……そういうふうに作り変えられる』
旧電波塔事件。千束を除くファーストリコリス三人を、自分たちの判断で失った事実。それが表に出れば、上層部の面子は完全に潰れる。だから最初から――千束以外はいなかったことにされた。思い出して、胸が痛んだ。理解してしまった自分が、さらに苦しかった。
それでも、たきなは立ち止まったまま、震える声で叫ぶ。
「……なら……どうすれば……!」
その問いに、すぐ答えは返ってこなかった。だが、その重さは確かに千束の胸にも落ちていた。
「でもさ」
千束は、ふっと表情を緩める。
「たきながそうしなきゃ、私たちは出会わなかった」
一歩踏み出し、たきなを抱き上げるようにしてくるりと回す。
「私はね、君に会えて嬉しいよ?」
突然の行動に、たきなは声も出ない。
「誰かの期待に応えるために悲しくなるなんて、つまんないって!」
そう言って千束は、たきなの肩をぽん、と軽く叩いた。
「居場所はあるよ。お店のみんなとの時間、ちょっと試してみない?」
あっけらかんとした口調だったが、その言葉は不思議と軽くなかった。
「それでも、ここが良ければ戻ってきたらいいんだし」
指を一本立てる。
「チャンスはある。その時に――」
「……したいことを……選べばいい」
たきなは、その言葉を噛みしめるように繰り返す。
「私はやりたいこと最・優・先!」
「……」
「まぁ、そのせいで失敗も多いんだけど……ははっ」
一瞬、空気が和らいだ。だが次の瞬間。
「今は、たきなに酷いこと言ったアイツらをブチのめしたいのでぇ」
急に拳を握る千束。
「ちょっと行ってきますよ」
「えっ」
たきなが目を瞬かせる。
「千束!」
呼び止めると、千束は振り返り、にこっと笑った。
「大丈夫だって。待ってるから」
その顔は、どこまでも安心しきっていた。だが、たきなは冷静に付け足す。
「……銃、メンテナンスに出してませんでしたか?」
「…………」
千束の笑顔が、ぴしっと固まる。
「……え?」
次の瞬間、封印していたはずの記憶がフラッシュバックする。
――受付。
――鞄。
――「メンテナンス部にお願い」。
――満面の笑顔。
「………………」
額から汗がだらだらと流れ始めた。
「やっば」
顔が青ざめる。
「ちょっと行ってくる!!」
叫ぶや否や、千束は全力疾走。噴水広場を飛び出し、廊下を駆け、曲がり角をドリフト気味に曲がりながら、メンテナンス部の方向へ猛ダッシュしていった。取り残されたたきなは、ぽかんとその背中を見送り――
「……自由すぎませんか、あの人」
小さくため息をついた。
噴水の水音だけが、何事もなかったかのように、平和に響き続けていた。