「お、沙保里さーん!」
千束は護衛対象の篠原沙保里に手を振り、満面の笑みで駆け寄った。
「なるほど、この写真をSNSに上げてから狙われるようになったと」
「そうなのよ、警察も動いてくれないし……」
沙保里が差し出したスマホには、普通のカップルが記念に撮るような一枚。けれど、二人がそろって狙われている以上、単なるラブリーショットで済む話ではなかった。
「すみません、このビルは?」
「そうそう、ガス爆発事件のあったビルよ。撮ったのは、その三時間くらい前かな」
その説明に、たきなが画面を指先で拡大した。視線が一瞬で鋭くなる。
「……これは」
写真の奥には雑居ビルの影で、まるで映画のワンシーンのように銃取引が行われていた。
「ぷっ──ゴホッゴホッ!」
千束は飲んでいたコーヒーを盛大に吹き出した。
「な、何かわかったの?」
沙保里が首を傾げる中、千束はタオルで口元を拭いながら必死に笑顔を作る。
「えっと、この写真、貰えます?」
すぐにたきなの耳元へ身を寄せ、小声で囁く。
「見て見て、取引の現場!大当たりだよ!」
声は弾んでいる。まるで宝くじを当てた子供のように。つまり、沙保里が狙われているのは偶然ではなく、この取引写真をSNSに上げてしまったから。敵は写真を確認し、尾行で彼女の行動パターンを探ったに違いなかった。
***
「今日はありがとう、話を聞いてくれて」
帰ろうとする沙保里に、千束は軽く手を振った──が、すぐに顔を近づけて尋ねた。
「あ、沙保里さん。今日は家に泊まりに行っても良いですか?」
「え?ええ、もちろん。ぜひ来て頂戴」
「やったぁ!」
千束はその場で小さくガッツポーズ。
「親睦も兼ねてパジャマパーティーなんてどうです?」
「いいわね」
にこやかに頷く沙保里を背に、千束はくるりと踵を返す。
「じゃあ、たきな、よろしくね!私はお泊まりセット取ってくるから!」
次の瞬間、風を切る音が残像を伴って消えた。爆速で街を駆け抜ける千束の姿に、通行人は思わず振り返る。
***
リコリコの扉を突き破る勢いで帰還した千束は、棚からお気に入りのパジャマセットを引っ掴んだ。そのとき、カウンターから顔を出したミズキが声をかける。
「ちょっと千束、本当に大丈夫?たきな一人に任せて……あの子、命令無視して転属になったんだからね?」
「えっ、いやいや、たきなはそんなこと──」
千束は即座に否定しようとした。
だが脳裏に蘇る映像。──人質が並ぶ中、機関銃をためらいなくぶっ放す、かつてのたきなの姿。
「……」
冷や汗が背中をつたう。
「すぐに向かう!!」
叫ぶや否や、お泊まりセットを片手にまた爆速で走り出す。後ろでミズキが、ため息を交えながらシフト表に赤丸をつけた。
「結局、夜のシフトは私の担当か……」
午後のカフェには、ミズキの重いため息がよく響いた。
千束がどうにか息を整えながら戻ってくると、視界に一台の車が飛び込んできた。
しかしその車は無惨な姿をさらしていた。フロントガラスは粉々、タイヤも見事にペシャンコ。
「……あちゃー、事故現場かと思ったら」
千束の目が鋭くなる。サプレッサー付きの銃を構える人影。その正体は――やっぱりたきなだった。
千束は思わず小声で突っ込みながら、裏道をこそこそと回り込み、気づかれぬように背後から接近。次の瞬間がしっと、たきなを捕まえて引っ張り下げた。
「何してんの!」
「尾行されていたので誘き出しました。彼らが銃の所在を知っているはずです」
堂々とした返答に、千束は目を丸くした。
「ちょっと待って、沙保里さんは!?」
「車の中です」
「護衛対象を囮にしたの!?」
あちゃ〜と千束の顔が一気に歪む。手で額を押さえながら、呆れと焦りが混じった声が飛んだ。
「彼らの目的はスマホの画像データです。沙保里さんを殺す意図はないと思います」
淡々と説明するたきな。その理屈は確かに筋が通っているのかもしれない。……が。
「沙保里さんが口封じに撃たれるかもしれないでしょ!それに.....護衛対象を囮にして敵を誘き寄せるボディーガードがいてたまるかぁ!!」
千束の渾身のツッコミが炸裂した。声の勢いに、たきなは思わず瞬きを繰り返す。その姿は、イタズラをして親に叱られている子供そのもの。
「……ですが、最も合理的な手段を選択しました」
「その合理的で沙保里さんが泣いてたらどうすんの!」
「……励まします」
「フォローで済ませるなぁ!」
路地裏には、銃声よりも賑やかな千束のツッコミが響き渡っていた。
「あなたが止めていなければ、もう終わっていました」
不服そうにたきなが口を尖らせる。
「沙保里さんに当たっちゃうでしょうが!」
「そんなヘマしませんよ」
「ヘマもヘチマもありません!」
千束がまるでイタズラをした子供を叱る母親のように言う。その表情は真剣だが、どこか呆れが混じっている。
「この距離からでも射殺できます」
「『いのち大事に』だってば!……射撃に自信あるなら、七時方向のドローンを撃ってよ。音はちゃんと出してね」
たきなが眉をひそめながらも指示通り銃を構える。千束の言った通りの位置に、黄色いボディのカメラ付きドローンが4つのプロペラを唸らせていた。
パンッ!
銃声とともにドローンは火花を散らして墜落。敵はその音に過敏に反応し、自分たちが撃たれたと錯覚した。
「よしよし、その調子」
「……最初からそう言えばよかったのでは?」
「言ったでしょ! 言う前に撃とうとしたでしょ!」
千束は開けっぱなしの車のドアを盾にして身を隠すと、敵の視界からスッと姿を消し、次の瞬間――。
「やぁ、取引したいんだって……」
「うわぁ!?」
敵の一人の目の前に千束が現れる。驚いた男は慌てて引き金を引いた。銃弾は千束の赤い髪を掠めただけで、壁に無惨な穴を開ける。
「危ないなぁ……」
むっとしながらも、千束は反撃の二発を放つ。弾丸は非殺傷弾――しかし当たれば“死ぬほど痛い”。案の定、男は白目を剥いて気絶した。
「一人目、はいダウン」
千束は残弾を確認しつつ、車の後ろに隠れている残りの男二人へと接近。
「お兄さん、遊び相手にどう?」
挑発するように笑みを浮かべて飛び出した千束に、二人は慌てて銃を構えた。しかし先に動いたのは千束。乾いた銃声が響き、一人が呻き声を上げて崩れ落ちる。
「……っ!」
残った一人は弾を受けながらも、気合いで引き金を引いた。数発の銃弾が千束を襲う――が、彼女は舞うような動きで全てを回避。髪先をかすめる銃弾にさえ、ひょいと身を傾けてかわしていく。
「もう、スカート破れたらどうしてくれるのさ!」
「戦闘中に気にすることですか?」
冷静に突っ込むたきな。その横顔は、なんだか呆れを通り越して慣れ始めていた。
銃声の余韻がまだ耳に残る中、たきなの瞳がふと細まる。敵の胸に命中した弾が、赤い煙をぶわっと巻き上げて消散していくのを見て、思わず声を上げた。
「……非殺傷弾?」
驚きの一言に、千束はくるりと振り返ってニカッと笑う。
「そうそう!私の要望で先生が作ってくれたんだ。命中すると血煙っぽくなる仕様。演出バッチリでしょ?」
「演出……」
たきなは呆れつつも、内心「よくこんな物を開発したな」とミカの技術力に舌を巻く。
「たきな、沙保里さんを!」
千束がひらりと身をかわしながら叫ぶと、たきなは即座に護衛対象へと走り寄る。
「大丈夫ですか?」
沙保里を抱き起こすようにしながら、たきなは冷静に声をかける。その一方で、千束はというと倒れた敵にしゃがみ込んでいた。
「こ、殺さないでくれ!」
非殺傷弾で胸を押さえ、悶絶している男が情けない声を漏らす。千束はにこやかに、けれど妙に軽い調子で手を振る。
「大丈夫大丈夫!死なない死なない!痛いだけだから!」
「……『いのち大事に』って、敵もですか?」
沙保里を支えながら、たきなが半眼になって問いかける。
「そう、敵も!」
胸を張って即答する千束。その様子はまるで「当たり前でしょ?」と言わんばかり。
倒れている敵は、痛みでのたうちながらも「……痛すぎる……」と呻いていた。その姿を見て、たきなは本当に大丈夫なのか……?と冷静に突っ込みを飲み込むしかなかった。
「ふぅー……はい終了!ね、たきな。護衛対象は囮にするもんじゃないってわかったでしょ?」
「……合理的ではありました」
「まだ言うか!?」
翌日。開店前のリコリコは、いつもより少し――いや、かなり騒がしかった。もっとも、原因は言うまでもなく千束である。彼女が関わると、なぜか世界はちょっとだけ平和から遠ざかるのだ。
「イチャついた写真をひけらかすから、こんなことになるのよ〜」
そう言って、ミズキが眉を吊り上げる。テーブルの上には、千束がスマホで開いた画像。沙保里さんと彼氏が腕を組んで笑っている、きわめて平和なツーショットだ。
「僻まないのミズキ」
「僻みじゃねぇよ! SNSの無自覚な投稿がトラブルを引き起こすって言ってんのよ!」
「いやいや、どう見ても僻みでしょ? 認めなよ〜ミズキ〜?」
「僻んでねぇって言ってるだろ!」
……その言い方と顔が完全に僻んでいる。いや、実際僻んでいるから当然だ。カウンターの奥では、ミカが静かにその画像を覗き込みながら尋ねた。
「どこだ?」
「ん〜? ここ、ここ」
千束がスマホの画面を指差す。
「このビル。あの日だな」
「3時間前だって。楠木さん、偽の取引時間を掴まされたんじゃない?」
「その女を襲った連中は?」
「クリーナーが持ってった」
「アンタ、またクリーナー使ったの!? 高いのよ!」
「だってDAに渡したら殺されちゃうでしょ?」
「ったく!」
ミズキは深いため息をついた。経費と正義の板挟みは、今日も変わらず彼女の胃を痛める。
「DAもその連中追ってるでしょ? 私たちが先に見つければ、たきなの復帰も叶うんじゃない……そう思わない、たきな?」
「やります!」
その声と同時に、更衣室の扉が開いた。そこから現れたのは、リコリコの制服姿に身を包んだたきな。髪をツインテールに結び、青を基調とした制服がよく似合っている。
「うぉっほ〜! かわいい!!」
千束は即座にスマホを構え、全員の姿をパシャリ。
「早速お店のSNSにアップしたわ!」
「君はさっきの私の話を聞いていたのかね?無自覚な投稿はトラブルを――」
「だーいじょうぶ。ここには向かいのビルもないよ」
するとリコリコのと扉が開かれる。そしていつものように接客が始まる。
「いらっしゃいませ!」
風が吹く夜、彼女は影の縁に立ち、呼吸を整えもしないまま、視線だけで周囲をなぞった。風向き、床の反射、遠くで軋む金属音。必要な情報はそれで足りる。
無線が短く鳴る指示は簡潔だった。侵入し制圧、証拠確保。了解の返答は、喉を通らなかった。必要ないと判断したからだ。彼女は動く。走らず、急がず、だが一切の無駄もない。足音は自分でも認識できないほど小さく、次の瞬間には位置が変わっている。
最初の接触は三秒後。角を曲がった先、銃を構えきれていない男が一人。
彼女はためらわない。照準は自然に胸の中心へ落ち、引き金は「引く」という意識すら伴わずに動いた。反動は想定通り。弾道は修正不要。男は声を上げる前に崩れ落ちた。
彼女は
通路の奥に複数の気配。足並みが揃っていない、訓練不足だろう。だが数はある。遮蔽物に身体を預け、角度を計算する。壁、床、照明。跳弾の可能性を即座に排除し、最短で“終わる”軌道を選ぶ。
一発
二発
銃声は短く乾いていた。彼女の手の中で、銃は道具以上でも以下でもない。馴染みすぎて、違和感を覚える余地なども無い。
応戦の弾が飛ぶが彼女は撃たれない。
それは幸運ではなかった。弾道が「見えている」わけでもない。ただ、そこに弾が来ない位置を、最初から選んでいるだけだ。最後の一人が倒れ、通路に沈黙が戻る。
彼女は立ち止まり、呼吸を一つだけ深くした。心拍は安定している。
「異常なし」
目的物を回収し、合図を送る。撤退経路も、既に頭の中にある。その場を去る直前、彼女は一瞬だけ自分の手元を見る。指先は震えていない。汚れも、躊躇もない。
「任務完了」
無線にそう告げ、彼女は闇に紛れた。