「予定と違ってすまない。ウォールナットだ」
ハンドルを握る着ぐるみから、機械じみた声が飛んでくる。見た目はどう見ても、ずんぐりとした動物。緊張感という概念を置き忘れてきたような姿だった。
「はーい、千束でーす。で、こっちがたきな」
千束は片手を上げて軽く自己紹介したが、声に覇気がない。スーパーカーに乗れなかったショックが、まだ尾を引いているらしい。
「……なんか、イメージしてたハッカさんとは違いますね」
「底意地の悪い痩せた眼鏡小僧とでも?だとしたら映画の見過ぎだな」
「ほら、やっぱり」
「ぐぬぬぬ……」
千束が特急の中で語っていた「ハッカー像」を、たきなが否定したときとまったく同じ流れだった。
「いやいやいや、だとしても着ぐるみはないでしょ」
「ハッカーは顔を隠した方が長生きできる。それだけさ」
「JKの殺し屋の方が異常だよ、リコリス」
「クマのハッカーよりは合理的ですよ」
淡々と返したたきなに対し、千束はじっと着ぐるみを見つめたあと、確信をもって言った。
「たきな。イヌだよ」
「……リスだ」
その瞬間、車内に微妙な沈黙が流れ込んだ。
「で?どこが合理的なんだ?」
問いかけに応じて、千束の説明が始まる。
「つまり、日本で一番警戒されない姿ってことですよ、これ」
千束は胸を張る。
「JKの制服は、都会の迷彩服というわけか……」
ウォールナットが妙に納得したように呟く。その横で、たきなは助手席脇に固定されたスーツケースへと視線を向けた。
「……中身は何ですか?」
「ボクのすべて」
「国外逃亡には、身軽な方がいいだろ?」
「いや、あんたの姿が一番身軽じゃないですけどね」
千束の即ツッコミに、ウォールナットは無言でハンドルを握り直した。
「でも、いいなぁ……」
千束はそう言いながら、シートに体を預けた。
「……私も海外、行ってみたいなぁ」
「一緒に行くかい?」
それは冗談とも本気とも取れる提案だったが、千束は小さく首を振った。
「私たち、戸籍ないから。パスポート作れないんですよ」
リコリスは、戸籍に存在しないからこそ成立する存在。存在しない者が消えても、社会は何も失わない。
「ウォールナットさん、ここへ向かってください」
「了解」
着ぐるみの太い指が、意外なほど器用にダッシュボードのマップへ目的地を入力する。そのときだった。
「……ん?」
ハンドルを握る着ぐるみの様子が、明らかに変わった。
「どうしたんですか?」
たきなの問いに答えるように、ウォールナットはゆっくりと両手をハンドルから離す。アクセルペダルも離すが車は減速しない。
それどころか、速度は増していた。本来なら高速へ向かうはずの進路を無視し、一般道を突き進んでいる。
「あれ?ハッカさん!?」
「……車を、乗っ取られたか」
その一言で、車内の空気が一変した。
「……ロボ太の奴、腕を上げたな」
感心したように呟くリスの着ぐるみ。その余裕に、車内の重心が一気に傾いた。
「感心してる場合じゃないでしょー!?」
シートベルトに引っ張られ、ひっくり返りかけた千束が抗議の声を上げる。
「これ、どこに向かってるの?」
「このまま行けば、海だな」
即答だった。たきなは一瞬で状況を把握し、短く告げる。
「回線の切断を」
「無駄だ。制御を取り戻しても、すぐにロボ太に上書きされる」
「えー!?じゃあ、どうすれば……」
「こちらの作業完了と同時に、ネットを物理的に切断できれば理想だが」
「そんなこと言われても、ルーターどこよ?」
「知らん。ボクの車じゃない」
そのとき、たきなが千束の肩を軽く叩いた。
「千束、あれを」
「ははぁん……あいつか」
車体後方。一定距離を保ちながら追尾してくる一機のドローン。車両制御を奪っている元凶は、どう見てもそれだった。
「気づかれると逃げます。なので……」
「たきな」
呼ばれて振り向いたたきなは、いつになく真剣な表情をしていた。その目を見て、たきなは一瞬だけ身構える。射線の確認か、役割分担か、あるいは大胆な作戦の提案か――。
「たきなの銃貸して♡」
可愛らしい声だった。
「……自分のがありますよね」
呆れを隠そうともしない返答が、即座に返ってくる。
「いやー、私が使う弾さぁ。精度良くないし〜それに、ここはお姉さんとして、ちょっといいとこ見せたいな〜、なんて」
千束の銃はデトニクス・コンバットマスター。使用する45口径の非殺傷弾は、人に当たっても命を奪わない代わりに、高価で、なおかつ集弾性能が良いとは言えない代物だった。だから彼女は、いつも距離を詰めて当てる。避け、確実に――それが彼女の戦い方だ。
「……状況を選んでください」
「どっちでもいいから、早く壊してくれれば助かる」
ウォールナットに急かされ、たきなは自分の拳銃を差し出した。たきなの手にはデトニクスが、千束の手には――たきなのM&P9が握られる。
たきなはすぐさま照準を窓ガラスへ立て続けに引き金を引く。乾いた銃声が車内に反響し、ガラスに無数のヒビが走った。一方、千束は慣れた手つきでスライドを引き、チャンバーに弾が入ったことを自身の目で確認する。
脆くなったガラスを、次の瞬間――体当たりで破壊した。砕け散るガラスと共に、千束の身体が車外へと躍り出る。
「よーし、いくぞぉー!」
その直後、車体が大きく揺れた。堤防の傾斜を登っていた車両が、勢いのまま下り坂へ飛び出したのだ。車体が傾くが、それでも彼女は、器用に姿勢を保ったまま、銀色の拳銃を構えた。
狙いは――車体後部をふわふわと飛行する、自己主張の強い緑色のドローン。
次の瞬間、千束はM&P9の引き金を、ためらいなく引いた。乾いた銃声がひとつ。放たれた弾丸は迷うことなく一直線に飛び、ドローンの中心を貫いたかと思うと、空中で小気味よく弾けるように爆発した。
「やりぃー!」
本人はノリノリである。たきなは、その光景を無言で見つめていた。精密射撃には自信がある。だが、速度も高度も不規則なドローンを、走行中の車内から撃ち抜くのは、簡単な話ではない。
やはり、歴代最強リコリスの名は伊達ではないらしい。
歓声とほぼ同時に、車体は制御を取り戻し始めた。だが勢い余って、白い車は進行方向に対して盛大に横滑りし――次の瞬間、半分ほどが堤防の外へと、文字通り投げ出されていた。
「いっつつ……みんな、無事?」
千束の軽い声に、
「はい……」
と、たきなが律儀に返す。それぞれが、そろそろと車外へ出ようとした、そのときだった。
「ス、スーツケースを~……!」
ウォールナットが両腕を上げ両膝を抱え込み、中々変な姿勢で訴えてきた。
「私が持ちます」
たきなが淡々と宣言し、ウォールナット、たきなと続いて車外へ。最後に千束が地面へ降りた直後
ドボン。
まるで用済みだとでも言わんばかりに、車は海へと沈んでいった。
「……ん?」
千束の視線が、ふと首都高の高架へと向く。交通量の少ないそこに、不自然に停まっている一台の車。そして、その周囲でこちらをじっと見下ろす複数の男たち。間違いなく敵だろう。
「場所を変えよ。たきな、スーツケースお願い!」
たきなは短く頷き、即座に移動を開始する。ついでに、借りていた銃もきっちり返却。
千束の手には、いつものデトニクス・コンバットマスターが戻る。マガジンを外して残弾を確認し、問題なしと判断して装填。逃げ込んだ先は、かつてスーパーだったと思しき建物の跡地だった。棚は倒れ、床にはガラスが散乱し、治安も景観もよろしくない。
「はい、そのスーパーに避難しています。三人とも、目立った怪我はありません」
しゃがみ込んだウォールナットの隣で、たきながインカムに手を当てて報告する。
『分かった。引き続き警戒を』
「付いて来てください」
千束がウォールナットに声をかけ、移動を開始する。通路を挟んだ陳列棚の影を進む。先頭は千束、殿はたきな。
そのときだった。
「いたぞ!」
野太い声が響き反射的に、たきなはスーツケースの陰へ身を伏せた。直後、店内に銃声が連続して響き、棚や床に銃弾が容赦なく叩き込まれる。
「三人を発見!銃を持ってる!!」
どうやら無線越しに仲間へ叫んでいるらしい。だが、その声がフロアに響いている間に――千束はもう動いていた。