ウマ娘×鋼の錬金術師 作:パラケル
翌日、多目的室にて。
ソファーに腰掛けたエドワードは部屋を見回しながら、ぼんやりと考えていた。
(本当に……異世界なんだな)
昨日から目まぐるしい展開ばかりで、まだ現実感が薄い。
ルドルフとの対話で、錬金術がこの世界では“御伽噺”として認知されていることを知った。
朝の陽射しが東の空から差し込み、ガラス張りの校舎をやわらかく染め上げて芝生を渡る風に小鳥たちの囀りが溶ける。
校舎の大窓からは朝練に励むウマ娘の姿が見え、芝を蹴る音が規則正しく響いていた。
(……この世界には錬金術は存在しない)
等価交換の法則も当然存在しないはずならば、何故錬金術が使えたのか?
思考の海に沈みかけたエドワードをアルフォンスの声が引き上げる。
「兄さん、これからどうする?」
その声音には微かな緊張があった。
思い出しているのだ、つい先日の生徒会室での邂逅を。
シンボリルドルフ――皇帝と呼ばれる少女。
静かながら威厳に満ちたその眼差しは、彼らの素性を射抜くかのようだった。
あの紫の瞳を思い出したエドワードの背筋にひやりとした感覚が蘇る。
「……あいつ、本当にただの学生かよ」
校舎やグラウンドなどの位置関係を確認するため、エドワードは視線の先にあった“学園見取り図”を見る。
(……ん?)
“図書室”という文字に目が留まった時、脳裏に閃くものがあった。
何か手掛かりになるかもしれない――。
エドワードは立ち上がり、アルフォンスに向き直る。
その瞳には強い意志が宿っていた。
校舎の片隅に位置する図書室の扉を開くと、紙やインクの香りがふわりと漂った。
中は広く書架の間に設けられた読書スペースでは何人かの生徒が思い思いに本を読み耽っており、時折ページを捲る音が微かに響く。
エドワードは興味深い文献や資料に目を通していく。
アルフォンスも興味深そうにそれらを眺める。
壁一面を埋め尽くす本棚、天井まで届く梯子。
古びた羊皮紙から最新の研究誌まで、幾世代もの知が折り重なる。
アルフォンスは思わず息を呑む。
「学園って……走ることだけじゃなく、こんなに調べているんだね」
「調べるからこそ、走れるってことか」
エドワードは淡々と答えながら、指で背表紙をなぞっていく。
『走法力学』『ウマ娘史大系』『蹄跡伝承』……どの本も「走る」という一点に重点を置いていた。
その時――埃を被った一冊が、エドワードの視線を捕えた。
『錬金術と賢者の石』。
二人は思わず顔を見合わせ、黙って頁を開く。
『賢者の石――それは万物を変換する万能の器。
かつて錬金術師たちは、不老不死を夢見て探究を重ねた』
「……違う」
低い声が漏れる。エドワードの金の瞳が険しく光る。
「俺達の知ってる“石”は……こんな綺麗なものじゃねぇ」
アルフォンスは頁を見つめ、胸の奥に小さな温もりを感じていた。
「でも……“違う可能性”を信じてた人もいたんだね」
――カタン。
不意に背後で音がする。
振り返ると、制服の上に白衣を羽織ったウマ娘が栗毛の髪を揺らし、口角を鋭く吊り上げて立っていた。
「やぁやぁ、異世界から来たって噂の錬金術師というのは君達かい?」
「……誰だ、お前」
エドワードが眉をひそめると、彼女は愉快そうに笑った。
「私はアグネスタキオンだ」
タキオンは両手を広げながら話を続ける。
「この学園で最も“知”に近い存在――と自称している者さ」
「さて、異界の錬金術師達。君らの知識、ぜひ私の研究に役立ててくれないか?」
「おい、勝手に決めつけるなよ」
エドワードは苛立ちを隠さず言い放つ。
「……でも、話を聞くだけなら」
アルフォンスが静かに制した。
兄の肩越しに、タキオンが携えている分厚いファイルが目に入る。
「フフ、物分かりがいいねぇ」
「ついて来てくれたまえ、退屈はさせないさ!」
導かれるまま足を踏み入れた研究室は、棚にびっしりと試験管とフラスコ、机のビーカーからは奇妙な液体が泡を吹き、壁際には見慣れぬ装置が唸りを上げていた。
「なんだこのカオス……」
「私の日々の研究だよ!」
タキオンは胸を張り、次の瞬間にはアルフォンスに目を奪われていた。
「鎧の少年……中身は空っぽ。神経も筋肉もないのに、魂だけで存在してる……!」
ぞくりと背筋を走らせるような笑みを浮かべる。
「素晴らしい! 研究材料にぴったりだ!」
「おい! 弟を材料扱いすんな!」
エドワードが噛みつくも、タキオンは構わずアルフォンスの全身をスキャンするように観察し、数値をメモ帳に走らせた。
「お前、ほんっと変わってんな……」
「最高の褒め言葉だよ!」
そこに静かな声が差し込む。
「……タキオンさん、その辺にしてください」
振り向くと、マンハッタンカフェが入口に立っていた。
月のような瞳がアルフォンスを見つめ、細い指先が鎧に触れる。
「きれいな魂。透明で、優しい光……」
「あ……ありがとうございます」
アルフォンスの声は、少しだけ照れを帯びていた。
カフェの穏やかな言葉が、研究者の狂気をほんのわずか和らげる。
「やっぱり面白いねぇ、カフェは」
タキオンが笑った直後、勢いよくドアが開いた。
「おーいタキオン! また妙な実験してんだろ!」
駆け込んできたのはジャングルポケットは頭を抱えて兄弟へ申し訳なさそうに頭を下げる。
「会長にバレたら面倒だからやめろ! 悪いな、こいつ好奇心の塊だから。怖がらせてねぇか?」
「まぁ……な」
エドワードは肩をすくめ、アルフォンスは小さく笑った。
賑やかな学園の一日を終え、エドワードとアルフォンスは中庭のベンチに並んで腰を下ろした。
夜風は涼しく、遠くで虫の声が聞こえる。
「兄さん……みんな、いい人たちだね」
「ああ。だが――目的は忘れるなよ」
エドワードの瞳は夜空を映し、硬い決意を帯びる。
「……早くケーオスの奴を見つけねぇと。そして元の世界に帰る」
「うん……」
――その頃、府中の裏路地。
湿った夜気に包まれ、街灯すら届かぬ暗がりを右脚を引きずり、震える手でシューズを抱きしめながら一人のウマ娘が歩いていた。
「レースなんて、もういい……」
彼女がシューズを投げ捨てようとした瞬間、闇の中から声がした。
「君は夢を失ったのだね」
影の中から現れたのは、フードを被ったヘルメス。
その瞳孔は蛇のように縦長で妖しく光り、手には虹色に輝く欠片を握っていた。
「これは救済の鍵。“真の三女神”の加護で再び走れるだろう」
「走れるの……? 私……」
震える瞳が欠片に吸い寄せられ、涙が頬を伝う。
ウマ娘は欠片を抱きしめ、虚ろな笑みを浮かべて去っていった。
「ふふっ、また一人救われたわね」
路地裏の壁に腰掛けていたニコラが、無邪気に笑う。
「もっと集めたい……走れなくなったウマ娘達を」
その笑みは純粋で、同時に残酷だった。
「焦るな獣。今は教団を隠れ蓑に使う」
「はあーい」
二つの影は、夜の路地で不気味に微笑んでいた。