ウマ娘×鋼の錬金術師 作:パラケル
翌朝、寮内は騒然としていた。
「ちょっと! なんで水が出ないのよ!? 髪がセットできないじゃない!」
洗面台の前でダイワスカーレットが声を張り上げる。
蛇口を何度ひねっても、水は一滴も落ちてこない。
「おーいスカーレット、そんなことでギャーギャー言うなよ」
「テキトーに整えれば十分だろ?」
ウオッカが欠伸を噛み殺しながら呟くも、スカーレットは頬を膨らませぷんすか怒っていた。
別の部屋では、ビワハヤヒデが顎に手を当てて静かに観察している。
「水道管の凍結……季節外れにしては妙だ。寮長に確認すべきかもしれないな」
日常の朝の騒ぎ。
だが、その“不便”は単なるトラブルではなかった。
レース場の近くにて。
銀髪が風に揺れる中、ニコラは屋上の縁に腰掛けて足をぶらぶら揺らしていた。
「退屈〜。壊したら楽しいかなぁ?」
彼女の瞳は、レース場を駆けるウマ娘達をじっと追う。
「夢も錬金術と同じ。代償が必要……誰かが傷つくこともある」
ヘルメスの冷たい声が、鋭く響く。
「代償が必要……?」
ニコラは首を傾げる。
「彼女らは走ることに魂を燃やしている。ならば燃え尽きることもまた自然の摂理だ」
ヘルメスは淡々と答え、掌の欠片をひねる。
虹色の光が、空に淡く滲んで消えた。
「ヘルメス。次は……誰の夢、壊す?」
「選ぶのは私ではない。“欠片”だ――」
放課後、校舎裏。
ライスシャワーは立ち尽くしていた。
――観客の声が、まだ耳に残っている。
「勝ってほしかったのは、ライスじゃない」
「ライスが走ると、誰かが泣く」
校舎から伸びる影が、彼女の小さな背中を覆い隠す。
「ライス、いつも誰かを不幸にする……」
そう呟くと同時に、影が重なった。
「その悩み、終わらせてやろう」
ライスが振り返ると、ヘルメスが背後に立っていた。
「これは救済の鍵。“真の三女神”の加護が込められた“夢を守るお守り”だ」
欠片が虹色に光り、ライスの頬を照らす。
「お前が持てば、大切な者を傷つけずに済む」
「ほんとに? ライスが……不幸にしないで済むの……?」
ヘルメスの声には感情はない。
だがその冷たさの奥に確かな力の重みがあった。
「君が力を得れば、大切な『お兄様』も守れる」
心が吸い寄せられ、指先が欠片に触れそうになる。
「レースも錬金術と同じ。代償が必要……誰かが傷つくこともある」
ライスの肩が震え、呪いのように言われた言葉が脳裏を蘇る。
「さぁ、ライスシャワー……その欠片を手に」
その瞬間――
「ライス!」
パシッ!
横から腕を掴まれ、振り返るとミホノブルボンが立っていた。
「否定します。ライスさんは誰も不幸にしていません」
揺るぎない炎のような眼差しがヘルメスを射抜く。
「ブルボンさん……」
ライスは胸を震わせ、ほっと息を漏らす。
「小娘が戯言を……」
ヘルメスの低い声が、荒ぶる空気に響いた。
「寄り道したが、欠片は予定通り撒き終えた」
そう言うと、ヘルメスは二人の前から姿を消した。
その日の夜。トレセン学園の喧噪から遠く離れた、街外れの廃教会。
崩れた天井から月光が斜めに差し込み、石造りの床を鈍く照らしていた。
そこには、禍々しい円環を幾重にも重ねた錬成陣が広がっている。
燭台の炎がゆらりと揺れ、黒衣の男が影から歩み出た。
細身の体を覆う黒いコート、左目には煌めくモノクル。
整えられた黒髪に、白い手袋が異様な清潔さを漂わせる。
その端正な顔立ちには薄い笑みが浮かんでいたが、瞳の奥には冷え切った狂気が潜んでいた。
壁には世界地図が描かれ、要所ごとに赤い印がつけられている。
男-ケーオスはワイングラスを揺らしながら窓の外を眺める。
「おや、お出かけかい?」
背後から現れたウマ娘の無造作な髪が月光に照らされる。
「えぇ、偶には、実際に観測してフレッシュなデータを取らないと」
彼女は冷ややかに笑う。
「そうか。こちらでお膳立てしておいたから行ってくるといいよ……アルケミア」
赤いワインをグラスの中で揺らす。
「――ウマ娘の夢も私の前では等しく素材だ」
去っていくアルケミアの背を見送りながら、ケーオスは低く呟く。
机の上に広げられた羊皮紙に描かれている錬成陣の上に置かれていたのは――小さな蹄鉄型の駒。
男-ケーオスは一つを摘み上げ、羊皮紙の円環の上に静かに落とす。
「……スペシャルウィーク」
カチリ、と乾いた音が響く。
「トウカイテイオー」
「キタサンブラック」
「ナリタトップロード」
「ジャングルポケット」
駒が増えるたび、羊皮紙の上で赤黒い光がかすかに走り、錬成陣の輪郭が強調されていく。
最後に、彼は冷たく笑んだ。
「――オグリキャップ。君も、見込みありだ」
ケーオスの指先から駒が滑り落ちると同時に、石室の空気がざわめいた。
あたかも、まだ名もなき「扉」がこちらを覗いたかのように。
「強い想いを背負い走る者達、扉の鍵………」
机の端には、虹色の欠片がいくつも散らばっていた。