世の中には、振りと呼ばれるものが存在している。
何度も何度もしつこく注意を行う事によって、暗にそれとは真逆の事を行え、と相手に伝える高等技術。
念押ししたにも関わらず、注意に反した行動を行った際に発生する笑いは膨大。一瞬で、周囲を笑いの渦に変える事が出来てしまう。
「……とまあ、そんな説明を踏まえてもう一度聞きたい。玲君。これは果たして、周囲の皆に笑いを届ける事が出来るのか」
「それは……その、違うと、思う」
場所は近所の酒場。
常日頃から、沢山の客で賑わっている、迷宮都市内でも人気の酒場。おまけにメニューの値段も安い為、客が居ないなんて状況は起こらない。
そんな、人気のある店内には徹達を除き、誰も客がいなかった。
当然だ。
突如として出現したカードショップに全員がビビり、全員が逃げてしまったのだから。
おまけに、天井に穴が空き床が陥没し椅子や机が破壊されている。カードショップが存在していなければ、何者かからの襲撃。或いは客同士の殴り合いが起こったのか? と勘違いしてもおかしくはない。
「本当に、すみませんでした! 俺がちゃんと止めていれば!」
徹は酒場の店主である、女将さんに頭を下げる。
隣では、玲も頭を下げている。
カードショップの出現によって、阿鼻叫喚の事態に陥ってしまった酒場ではあるものの、女将さんだけは全く動じることなく、洗い終わったグラスを拭いていた。
恐らくは、経験してきた修羅場の数が違うのだろう。
徹の予想が正しければ、元々は凄腕の冒険者だった筈だ。
「気にしてないから、頭を上げなさい。それはまあ、お客さんがいなくなってしまった事でウチの利益が少しは減ってしまう訳だけど……こういう事、案外珍しくはないからね」
改めて、女将の顔を見る。
怒ってはいない。
寧ろ、また起きてしまったのか、と何処か楽しんでいる風に思えた。
「酷い時は、店の半分が消し飛んでしまう、なんて事も珍しくはなかったけれど、今回は天井や床に穴が開いたり、床や机が壊されてしまった程度だからね。他のに比べれば、全然マシな部類だよ」
「こんな大事を、まだマシって片付けちゃいますか。女将さん」
ケラケラと笑う女将。
幸運だったのは、玲が呼び出したカードショップが予想よりも小さかった事だろう。
呼び出されたのは、近所の人々に親しまれていそうなお店。
建物自体が古く、設置されているポスターも日に当たりすぎてしまい色褪せてしまっている。チェーン展開されているカードショップと比べれば雲泥の差なのかもしれないが、それでも何処か「入ってみたい」と思わせる魅力を放つ。
状況が状況で無ければ、店に入って店内を見て回ったかもしれない。
尤も、今はそれよりも大事な話がある。
「弁償します。壊れてしまった店の内装や、椅子やテーブル。それ以外にも、壊れてしまったものがあれば全部弁償します」
「ま、当然だね。子供のした事だから、アタシとして許したい所ではあるが流石にこの惨状じゃぁねぇ。弁償金額も、それなりに高くなるけど、大丈夫なのかい?」
「はい。大丈夫です。利子とかが無ければ、大丈夫です。……多分」
「アハハハハ! そりゃぁ、金貸しとかは自分に利があってなんぼだからねぇ! 安心しなよ。利子なんて付ける程、アタシも怒っちゃいないよ。但し、弁償金額は800万ガレア。壊した店の修繕費や、新しく揃える為の道具代。後、暫くは店も閉じなくちゃいけなくなるから、その分の儲けも減ってしまう。そういうのを加味したら、そこら辺が妥当かねぇ? ああ、勿論コレはあくまでもアタシの予想さ。詳細な金額によっては、金額は減るかもしれないから、気を強く持ちな!」
800万ガレア。
駆け出しの冒険者として、日々活動している徹達にとっては大金だ。
今日、何とか生きていけるだけのお金を稼ぐのでやっとだというのに、ここにきて弁償代という名の負債を抱えてしまう。
まるで、頭部をトンカチで思い切り殴られたかの様な衝撃を受けるが、呆けている暇など無い。今、この瞬間から、徹達は800万ガレアという大金を稼ぐ為の方法を模索しなければいけないのだ。
浮かない表情をする徹に対して、女将は背を強く叩く。
「分かりました。取り敢えず、頑張って800万ガレアを稼いできます。今日は、迷惑をかけてしまい申し訳ありませんでした」
「何。気にしないでよ! 酒場が直ったら、またご飯でも食べに来なさい!」
女将に見送られつつ、徹達は酒場を後にする。
尚、呼び出されたカードショップは消しておく。
酒場から出ると、空は真っ暗だ。夜空に瞬く無数の星々が周囲を優しく照らしてくれるが、やや光量不足。
都市中に設置されている街灯の明かりが、その代わりを務めてくれる。
「……さて。俺達は一体、コレからどうすれば良いと思う?」
端的にいって、死刑判決でも食らったような気分だ。否、被害を被った女将は借金を返済するまで、気長に待ってくれる事だろう。だとすれば、死刑判決という表現は聊か不十分といえるかもしれない。
何方にしても、負債を抱えているという事実を覆す事は出来ないが。
「真面目に働いて返す、以外無いんじゃないの? 現状、私たちは働いてるけど、稼ぎとしては微妙。多少の蓄えはあるにしても、負債を返済するには到底足りない。だったら、もっと働いて蓄えを増やすしかないと思うよ」
正論すぎるサードの意見。
納得しかない。
現状において、それくらいしかお金を払える手段はない。一応、冒険者が受ける依頼によっては超高額な報酬を得る事が出来る依頼も存在しているが、未だに駆け出しの冒険者である徹達にとっては、縁のない話だ。
他にも様々な意見が出て来る。
しかし、どれもこれも不確定要素が多すぎる。さながら、ギャンブルや宝くじと変わらない。逆に失敗してしまった際、とんでもない代償を払わなければいけないというリスクだって付きまとう。
「他に、誰か意見はあったりするか? サードの意見は正しいが、勿論それだけが正しいって言う訳じゃない」
「…………あ、じ、じゃぁ……わ、私、が」
恐る恐る手を挙げたのは、暗殺者である『梟』。基、本名をパレット。
彼女は全体的に黒いという事もあってなのか、中々に気付かれにくい見た目をしている。街灯があるから彼女の姿もはっきり見えているが、もしも何も無ければ彼女の存在にすら気付かなかったかもしれない。
「なにか、名案でも思い付いたのか?」
「は、はい! た、た、多分! 皆さんにも、気に入って貰えるような! す、素晴らしい方法です!」
前髪で隠れた黒色の瞳はキラキラと輝いており、自分の考えに対して絶対的な自信を持っているのが見て取れる。
が、この上無く不安だった。
しかし「やっぱり言わなくても大丈夫だよ」などと言おうものなら、パレットはその場で崩れ落ちてしまう事だろう。
続きを促す。
「わ、私が提案す、するのはァ! ずばり、皆さんも私と同じように、暗殺者になること、でぇす! さ、最初は難しいかもし、しれませんが! 私が丁寧にお、教えます! きっと、皆さんも私と同じように素晴らしい……」
「却下で」
「…………え?」
残念ながら、予想通りの結果になってしまった。
無情にも切り捨てられ、その場で崩れ落ちるパレット。
可哀そうだと思ったのか、イーナが慰める。
皆に相談したものの、やっぱりすべき事は決まっていた。もしかしたら、楽に稼げる方法があるのではないか? とも思ったが、現実はそこまで甘くはない。
今日はもう遅い。
明日からはより一層気を引き締めて頑張らなければいけない。
安宿に戻ろうとした時、今まで口を閉ざしていた玲が口を開く。
「……どうして、皆は俺を責めないんだよ」
玲は帽子を深く被って、目元を隠している。
その表情を伺う事は出来ない。
それでも、自分の手を強く握っており、体は小刻みに震えている。
反省しているのか。或いは、自分の軽はずみな行動に対して怒りを覚えているのか。何方なのか分からない。
「俺があんな事をしなければ、皆がここまで悩む必要もなかったんだぜ! なのに、どうして! 皆は俺を責めたりせずに、納得してるんだよ! 俺なら、絶対に納得しないのに! 納得なんて、絶対に出来ないのに!」
一見すると、皆を責めている風に聞こえる。
けれど、違う。
玲はお願いしているのだ。どうか、自分を叱って欲しい、と。怒って欲しい。呆れて欲しい。憎んで欲しい。何故なら、こうなってしまった元凶は自分なのだから、と。
「お前、馬鹿だな」
顔を伏せている玲に対して、徹はチョップを見舞う。
余り力を込めていない。
それでも痛かったのか、頭を手で押さえながら、キッ! と徹を睨みつける。ここでようやく、玲と目を合わせる事が出来た。
「俺はさっき、言った筈だぞ? お前は仲間だって。なあ、玲。お前はさ、仲間が困っている時に、見捨てたりするのか? 何やってるんだよ、って馬鹿にしたりするのか? 違うだろ。それと同じだ。大切に思ってるからこそ、力になりたいって心の底から思う。悲しんで欲しくないから、責めたりなんてしない。単に、それだけの話だ」
「……もしかして兄ちゃんって、馬鹿だったりする?」
「否定はしない。他の奴がどうなのか知らないが、俺はこういう奴ってだけの話だ。……まあ、本当にヤバイ状況だったら、どうするかは分からないけど」
カッコイイ話だったのに、最後の最後でしまらない。
悲しそうな顔から一転。玲の表情に笑顔が戻る。「本当に、馬鹿だな! 兄ちゃんは!」と笑いながら。
「という訳で、明日からは更に気合いを入れて頑張ろう。800万という大金、稼げる訳がねぇだろうがぁ! ってツッコミを入れたくなってしまうけど、多分、きっと、何とかなる筈だから頑張ろう!」
これにて親睦会は終わり。
明日からは、金策を行う日々が始まる。
そう、思っていた。
「すみません、ご主人様。もしかしたら近い内に返せるかもしれません。800万ガレアを。私に一つ考えがあるんです」
手を挙げるシス。
橙色に染まる髪を僅かに揺らしつつ、彼女はなんて事もないように、そう言うのだった。