凱旋門賞の栄光を引っ提げた子犬   作:haku sen

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14話 模擬レース後半

 

『さあさあ、始まったぜ先頭争い! 飛び出したのはメジロパーマー! だがしかーし! お隣にはマルゼンスキー! さらに後ろからカツラギエース! おいおいおい、開幕早々三つ巴かよ! いいねぇ、ゴルシちゃんこういうの大好き! もっと派手にやっちまえーっ!』

『パーマー、大丈夫かしら。無理をしていなければいいのですけれど……』

『……マックちゃん、親戚のおばちゃんみてーになってんぞ?』

 

 そんな実況が響く中、四番手を走るヤエノムテキは、前を行く三人の動きを注意深く見据えていた。

 

 先頭を走るメジロパーマー。

 そのすぐ隣にはマルゼンスキー。そして、二人の後ろにカツラギエースが続いている。

 

 中でも目を引くのは、やはりマルゼンスキーだ。

 

 パーマーが懸命に芝を蹴っているのに対し、その走りにはまだ余裕が感じられる。

 伸びやかなストライドを刻みながら、まるで相手の出方を確かめているかのようだ。

 

 その時、マルゼンスキーの足取りが変わる。

 それまでパーマーに合わせるように刻んでいたストライドが、僅かに大きくなり──少し先へ。

 それだけで、二人の間に差が生まれた。

 

「っ……!?」

 

 パーマーも負けじと踏み込む。

 しかし、マルゼンスキーは何事もなかったかのように滑らかに加速し、あっという間に先頭へと躍り出た。

 

『おおっと、マルゼンスキーが動いたァ! パーマーをかわして先頭へ! さすがはスーパーカー! おーい、誰かあの暴走車両を止めろーっ!』

『……見事ですわね。あれだけ滑らかに加速しながら、まだ余裕すら感じられます。さすがはマルゼンスキーさん、といったところでしょうか』

 

 パーマーは、なおも懸命に脚を伸ばす。

 しかし、一度開いた差は容易には縮まらない。

 

 さらに、その後ろからカツラギエースが迫ってきた。

 マルゼンスキーの加速を見逃さず、力強く地面を蹴る。

 

「えっ、ちょっ……!?」

 

 パーマーが反応する間もなく、その横を駆け抜けていった。

 必死に食らいつこうとするパーマーだったが、前を行く二人との差は開いていくばかりだ。

 それどころか、序盤から飛ばしてきた影響か、徐々に脚にも余裕がなくなり始めている。

 

 やがて、その背後から新たな足音が近づいて。

 

「……っ!?」

 

 振り返る間もなく、ヤエノムテキが横へと並びかけて、その後ろにはスーパークリークの姿もある。

 先ほどまで先頭を争っていたはずが、いつの間にか二人との差を詰められていた。

 

 パーマーは歯を食いしばり、どうにかその位置を保とうとする。

 

 だが、前方ではマルゼンスキーとカツラギエースが、なおも激しい先頭争いを繰り広げていた。

 

 そして、そのさらに後方。

 

 六番手にはシリウスシンボリ。

 その後ろをタマモクロスが追い、最後方にはミスターシービーが続いている。

 

 もっとも、タマモクロスの意識は、すでに目の前の一人へと向けられていた。

 

「(なんや、思うたより大人しい走りやな)」

 

 その視線の先にいるのは、シリウスシンボリ。

 

 凱旋門賞を勝ち、キングジョージまで制したウマ娘だ。

 どれほど凄まじい走りを見せてくれるのかと期待していたが、実際には思いのほか堅実な走りをしていた。

 無闇に前へ出ようともせず、周囲の動きにも惑わされない。

 

 だが、一つだけ気になることがあった。

 

「(……にしても、なんでこんな後ろにおるんや?)」

 

 タマモクロスの知る限り、シリウスは先行策を好むウマ娘だったはずだ。

 

 それが今は、先頭から離れた六番手。

 模擬レースだからこそ、何か試しているのかもしれない。

 だが、それならば何を考えているのか。

 

「(……ちょいと確かめてみるか)」

 

 タマモクロスは僅かに姿勢を低くすると、それまで一定に保っていた歩調を少しずつ速め、前を行くシリウスとの距離を詰めていく。

 

 一歩、また一歩。

 その背中が、徐々に大きくなっていった。

 

 タマモクロスはシリウスのすぐ後ろまで迫ると、その脚運びを注意深く見据えながら、速度を合わせていく。

 

 だが、そこで妙なことに気づいた。

 

 それまで一定の間隔を保っていたシリウスの背中が、不意に遠ざかる。

 かと思えば、次の瞬間には勢いが緩み、再び距離が縮まった。

 

 しかも、それが一度や二度ではない。

 

「(なんや、ウチをおちょくっとんのか?)」

 

 タマモクロスは眉をひそめた。

 相手は世界を獲ったウマ娘だ。こんな不安定な走りをするとは思えない。

 ならば、わざと速度を変えて挑発しているのか。

 

「(……ええ度胸やないか)」

 

 タマモクロスは、ぐっと姿勢を低くする。

 だが、そんな彼女の思惑など、前を走るシリウスは知る由もなかった。

 

「……チッ」

 

 思わず舌打ちが漏れる。

 先ほどから、どうにも走りが噛み合わない。

 

 脚の動きに問題はない。

 身体が重いわけでも、速度が出ないわけでもない。

 

 むしろ、その逆。

 

 ほんの少し踏み込みを強めただけで、身体が思っていた以上に前へと押し出される。

 ならばと力を緩めれば、今度は物足りない。

 ストライドを縮め、踏み込む強さを変え、何度も感覚を確かめてみる。

 

 だが、どうにも思い描いた走りにならなかった。

 

「(……ハッ。子犬(トレーナー)がうるさく言うわけだ)」

 

 ここ数日の調整では、ここまでの違和感はなかった。

 

 もちろん、多少のずれは感じてはいた。

 だが、走ること自体に支障はなく、意識すれば十分に修正できる程度のもの。

 

 しかし、今は違う。

 

 前を行くウマ娘たちの速度に合わせ、位置取りを考え、そのうえで自分の走りを組み立てなければならない。

 

 しかも、相手は揃いも揃って一筋縄ではいかない連中ばかり。

 たった数日ではあるが、その時の調整なら気にならなかった僅かなずれが、こうして競い合う中では、思いのほか大きく響いてくる。

 

 欧州の重い芝に合わせて磨き上げてきた踏み込みも、日本の芝では勝手が違う。

 

 力を込めれば、想定以上に加速する。

 抑えれば、今度は思ったほど前へ進まない。

 

 速さが失われたわけではない。

 ただ、その速さを思い通りに引き出せない。

 それが想像以上に。

 

「(──厄介だな)」

 

 シリウスは小さく眉をひそめるが、同時に、口元には微かに笑みが浮かんでいた。

 

「(アイツの方がよく分かってたってわけか……)」

 

 思えば、あのトレーナーは自分が欧州にいる間も、ずっと日本でウマ娘たちの走りを見てきたのだ。

 メジロパーマーの指導を通じて、欧州の芝に慣れきった今の自分が、日本の芝でどう走るべきか。その問題に、いち早く気づいていたのかもしれない。

 

 そう考えると、帰国してからの慎重な態度にも納得がいく。

 

 もっとも、その理由が分かったところで、今すぐどうにかなるものでもない。

 

 シリウスはひとまず考えを切り上げ、前方へと意識を戻した。

 その間にも、レースは着実に進んでいた。

 

 先頭では、マルゼンスキーとカツラギエースが激しい競り合いを続けている。

 その後ろ、ヤエノムテキとスーパークリークが機を窺い、メジロパーマーは先頭の二人の速度についていけず、徐々に順位を落とし始めていた。

 

 そして、ウマ娘たちはいよいよ最終コーナーへと差しかかろうとしていた。

 

『さあさあ、いよいよ勝負どころだァ! 先頭はマルゼンスキー! カツラギエースもぴったり食らいついている! さあ、ここから誰が飛び出す!?』

 

「(……そろそろか)」

 

 いつまでも自分の走りを確かめている場合ではない。

 シリウスは前方との距離を測りながら、僅かに姿勢を低くした。

 

 その時。

 

「──なんや、まだ遊んどるつもりかいな!」

 

 タマモクロスだ。

 いつの間にか距離を詰め、シリウスと肩を並べている。

 その目には、先ほどまでの苛立ちに代わって、鋭い闘志が宿っていた。

 

「せっかく胸借りに来たんや。もうちょい本気出してもらわな困るで!」

「……ハッ。言ってくれるじゃねぇか」

 

 タマモクロスの言い分はもっともだ。模擬とはいえレースはレース。ちゃんと準備をしてこなかったこちらが悪い。

 それに──真正面から勝負を挑まれて、黙って引き下がる性分でもない。

 

「だったら、見せてやるよッ……!」

 

 それを聞いたタマモクロスも、不敵な笑みを返す。

 互いに視線を前へ戻した。

 

 最終コーナーの出口が近づいている。

 

 先頭との差は、まだ十分に詰められる。

 だが、仕掛けるならば、そろそろ動かなければならない。

 

 シリウスは僅かにストライドを伸ばし、コーナーの出口へ向けて徐々に速度を引き上げた。

 

 だが、タマモクロスも遅れない。

 シリウスの動きに合わせてピッチを上げ、ぴたりと横へ並び続ける。

 

 シリウスが半歩前へ出れば、タマモクロスもすぐさま追いつく。

 逆にタマモクロスが先へ出ようとすれば、シリウスは踏み込みを強め、その動きを許さない。

 

 互いに相手の脚運びを窺いながら、少しずつ速度を引き上げていく。

 だが、ここで無理に加速すれば、コーナーの出口で膨らみかねない。

 

 シリウスは踏み込みを抑え、直線へ向けて重心を整えた。

 タマモクロスもそれを見逃さず、僅かに姿勢を低くする。

 

 どちらも、相手に先を譲るつもりはない。

 

 そして、最終コーナーを抜けようとした、その瞬間。

 

「──あれ、二人とも。まだ行かないの?」

 

 すぐ後ろから、楽しげな声が聞こえた。

 振り返る間もなく、一つの影が二人の間を駆け抜けていく。

 

「なっ……!?」

「テメッ……!」

 

 慌てて注意を向ける。

 だが、すでに遅かった。

 シービーは最終コーナーを抜けると同時に、ぐん、と速度を上げる。

 

『うおおっ!? シービーが来たァ! おいおい、ちょっと待て! どっから湧いて出たんだオマエ!? しかも速ぇ!? やっぱスゲェな、ミスターシービー!』

 

 シービーの勢いは止まらない。

 

 前を走るスーパークリークに迫り、その横を抜ける。

 さらにヤエノムテキにも並びかけると、あっという間に前へと出た。

 

「なっ……!?」

 

 ヤエノムテキが思わず目を見開く。

 

 つい先ほどまで最後方にいたはずのシービーが、瞬く間に自分たちを追い抜いていったのだ。

 

「(なんという末脚……! これが、シービーさんの走り……!)」

 

 驚きとともに、胸の奥が熱くなる。

 

 だが、感嘆している場合ではない。

 すでに最終コーナーを抜け、目の前には最後の直線が広がっている。

 

「(ならば、私も……!)」

 

 ヤエノムテキはすぐさま前方へ視線を戻し、力強く地面を蹴った。

 ここまで温存してきた脚を使い、一気に速度を引き上げていく。

 

 そのすぐ後ろでは、スーパークリークも動いていた。

 シービーの進出を見逃さず、僅かに姿勢を低くすると、滑らかに加速を始める。

 

 二人とも、ここが勝負どころだと判断したのだ。

 

 前方は、マルゼンスキーとカツラギエースが激しく競り合い、その二人を追いかけるように、シービーがぐんぐん距離を詰めている。

 そして、ヤエノムテキとスーパークリークもまた、最後の勝負に出ていた。

 

 誰もが残された力を振り絞り、ゴールを目指して駆けていく。

 

 

 ──フゥ……。

 

 

 ふと、誰かが静かに息を吐く音が聞こえたような気がした。

 

「……っ?」

 

 ヤエノムテキの背筋に、ぞくりと悪寒が走る。

 

 すぐ隣を走るスーパークリークも、何かを感じ取ったのか、僅かに表情を引き締めている。

 

 何かが、おかしい。

 

 そう思った瞬間、ヤエノムテキは反射的に視線を動かし──。

 

 ──ふっと、周囲の音が遠のいた。

 

 観客の歓声も、実況の声も。

 すぐ隣を走るスーパークリークの足音さえ、どこか遠くに感じられる。

 

 そして、視界の端に、一つの影が映った。

 それは、ほんの一瞬のことだった。

 

「──っ!?」

 

 次の瞬間、その影がヤエノムテキの横を駆け抜ける。

 思わず顔を向けるが、すでに影は通り過ぎていた。

 

 つい先ほどまで後方にいたはずの彼女──シリウスが、今や自分たちの前へと躍り出ていたのだ。

 

「なっ……!?」

 

 ヤエノムテキが息を呑む。

 隣のスーパークリークも、思わず目を見開いていた。

 

 速い。

 あまりにも、ただ、速い。

 

 その加速は、先ほどのシービーとも、前を行くマルゼンスキーたちとも違う。

 一歩ごとに地面を強く蹴り、凄まじい勢いで前へと突き進んでいく。

 

 まるで、周囲の景色だけが取り残されていくかのようだった。

 

「(これが……世界を制した走り……!)」

 

 ヤエノムテキは、遠ざかっていく背中を見据えた。

 圧倒的な速さを前に、思わず息を呑む。

 だが、その胸に湧き上がってきたのは、恐れだけではなかった。

 

「(……なんと、素晴らしい!)」

 

 全身の血が滾る。

 

 あれほどの強者と、今まさに同じコースを走っている。

 それだけで、胸の奥から熱いものが込み上げてくるようだった。

 

「(まだまだ……私も、負けてはいられません!)」

 

 ヤエノムテキは歯を食いしばり、さらに強く地面を蹴る。

 その隣では、スーパークリークもまた、遠ざかるシリウスの背中を見据えていた。

 

「……すごいですねぇ」

 

 思わず零れた声は、いつものように穏やかではあるが、その眼差しには、鋭さが宿っている。

 スーパークリークもまた、何かを掴もうと……自分が変わるきっかけを得ようと藻掻いた。

 

『おおおおっ!? 今度はシリウスだァ! なんだなんだ、急にスイッチ入ったぞ!? おいおいおい、速ぇって! 世界帰りは加減ってモンを知らねーのかよォ!』

 

 実況の声が響き渡る中、シリウスは凄まじい勢いで前方との差を詰めていた。

 

 一歩、また一歩。

 

 そのたびに、前を行くウマ娘たちの背中が大きくなっていく。

 

 だが、その後方。

 シリウスを追いかけるもう一人のウマ娘がいた。

 

「……っ、ははっ!!」

 

 先ほどまでの苛立ちは、すっかり消え失せている。

 

 代わりに浮かんでいたのは、抑えきれない興奮。

 目の前を駆けるシリウスの背中を見据えながら、タマモクロスはにっと口角を吊り上げた。

 

「──上等や! そうこなくっちゃおもろないわッ!!」

 

 その瞬間、タマモクロスの周囲で、バチッ、と青白い火花が弾ける。

 強く踏み込む度にバチバチッ、と稲妻のような光が足元を走り、小柄な白い身体が一段と加速した。

 

 シリウスが開いた距離を、猛然と追いかけていく。

 

『おおっと、白い稲妻も黙っちゃいねぇ! シリウスを追って猛ダッシュ! いいぞタマ! そのまま世界のケツに噛みついてやれーっ!』

 

 シリウスの凄まじい加速に、タマモクロスも食らいついた。

 その前方では、マルゼンスキーとカツラギエースが激しい競り合いを続けていた。

 

 だが、そこへ大外からシービーが迫る。

 最後方から一気に追い上げてきたその勢いは、なおも衰える気配がない。

 

 ──残り200m。

 

 先頭を争う二人の横へ、シービーが並びかけた。

 カツラギエースも負けじと踏み込むが、シービーはその勢いのまま前へ出る。

 

 マルゼンスキーもすかさず反応した。

 ストライドを伸ばし、先頭を譲るまいと加速する。

 

 だが、シービーは止まらない。

 

 僅かに前へ出たその背中を、マルゼンスキーが懸命に追いかける。

 そして、さらに後方からはシリウスが猛然と迫っていた。

 

 ──残り100m。

 

 シービーが先頭を駆ける。

 そのすぐ後ろにはマルゼンスキー。

 だが、さらに外から迫るシリウスの勢いは、なおも増していた。

 カツラギエースを抜き去り、マルゼンスキーとの差を一気に詰めていく。

 

 あと少し。

 もう一歩。

 

 ついに、その肩へと並びかける。

 しかし、マルゼンスキーも譲らない。

 

 最後の力を振り絞り、シリウスの猛追に食らいつく。

 その前方では、シービーがゴールへと飛び込もうとしていた。

 

 そして──。

 

『ゴォォォォールッ!! 勝ったのはミスターシービー! 最後方から全部まとめて持っていきやがったァ! おいおい、ゴルシちゃんの見せ場まで持ってくんじゃねーよ!』

 

 その瞬間、観客席から割れんばかりの歓声が沸き起こった。

 

 最後方からの鮮やかな追い込み。

 誰もが息を呑んだその結末に、会場は興奮の渦に包まれていた。

 

 そんな歓声を背に、シービーは気持ちよさそうに両腕を広げた。

 

「あはっ! 気持ちよかったぁ!」

 

 頬を撫でる風を楽しむように目を細め、その口元には満足げな笑みが浮かんでいた。

 

『さあ、2着はマルゼンスキー! 3着にはシリウスシンボリ! いやぁ、最後まで何が起こるかわかんねーな! ゴルシちゃん大満足!』

 

 その後ろでは、タマモクロスが4着でゴールを駆け抜ける。

 さらにカツラギエースが5着、ヤエノムテキが6着、スーパークリークが7着と続く。

 

「ふふっ、でも最後はちょっと危なかったね。もう少しで追いつかれるところだったよ」

 

 シービーが振り返ると、そこにはマルゼンスキーとシリウス、エースの三人の姿があった。

 

「あははっ! それはこっちの台詞よ、シービーちゃん♪ まさかあんなところから飛んでくるなんて!」

「……チッ」

 

 マルゼンスキーが楽しげに笑う一方で、シリウスは不機嫌そうに舌打ちした。

 

「でも、やっぱり一緒に走ると楽しいわね。次はそう簡単に抜かせてあげないんだから♪」

「いやぁ、参った参った! 最後はすっかり持ってかれちまったな!」

 

 そう言いながらも、エースのその顔には悔しさより楽しさが滲んでいる。

 

「ったく、シービー! あんなところから一気に来るなんて、相変わらず無茶苦茶な走りしやがって!」

「あはは、エースも楽しそうだったね」

「おう! そりゃ楽しかったさ! ……ま、負けたのは悔しいけどな!」

 

 エースはそう言って、からりと笑った。

 

「そういえばさ、シリウス。途中、どうしたの?」

 

 ふと思い出したように、シービーが首を傾げた。

 

「……あ?」

「なんだか、いつものシリウスらしくなかったから。何か気になることでもあった?」

 

 その問いに、シリウスの眉が僅かに動いた。

 すると、答えるよりも先に、横から威勢のいい声が飛んでくる。

 

「せや! ウチもそれ聞きたかってん!」

 

 そう言いながら、タマモクロスがシリウスの隣へとやってきた。

 

「アンタ、途中で妙に速なったり遅なったりしとったやろ? 最初はウチをおちょくっとんのか思うたで」

 

 その口調には多少の不満が滲んでいたものの、責め立てるほどの険しさはない。

 その言葉に、マルゼンスキーたちもシリウスへと目を向けた。

 

「そういえば、いつもより随分と後ろにいたわね。何か試してたのかしら?」

「……まあ、そんなところだ」

 

 そう言って、シリウスは小さく肩をすくめる。

 

「思ってたより、勝手が違ってな」

 

 それだけ言うと、視線を足元へ落とす。

 

 芝を軽く踏みしめる。

 一度、二度……踏み込んだ足裏から伝わる感触を、改めて確かめるように。

 

 先ほどのレースでも、速度そのものが出なかったわけではない。

 むしろ、最後の直線では十分な手応えがあった。

 

 だが、そこへ至るまでが問題だった。

 

 加速しようとすれば、思った以上に前へ出る。

 抑えようとすれば、今度は感覚が噛み合わない。

 欧州で磨き上げた走りを、今度は日本の芝に合わせて昇華させる必要がある。

 

 どうやら、まだまだ改良の余地がありそうだ。

 

「…………」

 

 シリウスはもう一度、足元の芝を踏みしめる。

 そして、ふっと口元を吊り上げた。

 

「……なるほどな」

 

 小さく呟くと、顔を上げる。

 

「おい、オマエら」

 

 その口元には、先ほどまでとは違う、不敵な笑みが浮かんでいた。

 

「まだ走れるか?」

「おっ、なんだ? もう一勝負する気か?」

 

 カツラギエースが、面白そうに眉を上げる。

 

「ハッ。まさか、もう満足したなんて言わねぇよな?」

 

 シリウスが挑発するように笑うと、カツラギエースも負けじと口角を上げた。

 

「へへっ、いいぜ! あたしもちょうど、このままじゃ終われねえと思ってたところだ!」

「あら、いいわね♪ お姉さんも、もうひとっ走りしちゃおうかしら」

「ふふっ、いいね。次はどんな感じになるんだろ」

 

 シービーも楽しげに笑う。

 

「おいおい、ウチを忘れてもろたら困るで!」

 

 タマモクロスも負けじと声を上げた。

 

「へへっ……さっきのまま終われるかいな。次こそ、まとめてぶち抜いたるわ!」

 

 そう言って、獲物を前にした獣のように、にっと歯を見せて笑う。

 その瞳には、先ほどのレースで燃え上がった闘志が、未だ消えることなく宿っていた。

 

 こうして、一同は再び勝負の話で盛り上がり始める──が、少し離れたところで。

 

「──パーマーさん、大丈夫ですか!?」

「あらあら……すっかり伸びちゃいましたねぇ」

 

 ゴール板を過ぎた先で、メジロパーマーが大の字になって倒れていた。

 

「はぁ……はぁ……む、無理……もう限界ぃ……!」

 

 ヤエノムテキが傍らにしゃがみ込み、スーパークリークはその様子を穏やかに眺めている。

 

「お怪我はありませんか?」

「う、うん……大丈夫。ちょーっと、飛ばしすぎちゃっただけだから……あはは……」

「そうでしたか。それならば何よりです!」

 

 ヤエノムテキは安心したように頷いた。

 

「ふふっ。パーマーさん、最初から頑張りすぎちゃいましたね~」

「うぅ……いやぁ、ホントその通りで……返す言葉もないよぉ……」

 

 そんなパーマーの耳に、今の彼女にとっては何よりも聞きたくない、絶望的な言葉が届く。

 

「よーし! それじゃあ、もう一本行くか!」

「……は?」

 

 パーマーの耳がぴくりと跳ねた。

 聞き間違いであってほしい。そんな願いも虚しく、周囲からは次の勝負を楽しみにする声が聞こえてくる。

 

「むっ、もう一勝負ですか! それはぜひとも参加せねば!」

 

 そんな人物がここにも、もう一人。

 ヤエノムテキは勢いよく立ち上がると、早速皆のもとへ駆け寄ろうとする。

 

「ちょ、ちょっと待って!?」

「あらあら。ふふっ、皆さん元気ですねぇ」

 

 クリークまで楽しそうに笑っている。

 パーマーはしばらく二人を見つめていたが、やがて諦めたように再び芝の上へ倒れ込んだ。

 

「……うそでしょ。みんな元気すぎない……? 私だけ、もう走れないんですけどぉ……」

 

 そんなパーマーの嘆きも、次の勝負に胸を躍らせるウマ娘たちには届かない。

 結局、青空を見上げながら、こんな無茶苦茶な模擬レースに参加させたトレーナーを恨むのだった。

 




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