一般通過シシ神転生者 作:ヤックルたんペロペロ
吾輩は人間社会で活動する際は基本的にひとつの人物像を設定している。
ふつうの人間と同じように歳を取らせ、そろそろ老衰で死ぬ年齢になったらまた新しい人物像を設定する。
まあ、大名行列で暴れた馬に蹴られて死んだり、人間のままだったことを忘れ、毒キノコを食べてポックリ逝って*1しまうこともある。
老衰で自然死した回数はほとんどない。理由は前述したとおり、吾輩が結構な
一番くだらない死因は餅を喉に詰まらせて死んだことかもしれない。
ちなみにこの「死ぬ」の定義は、人間に模している吾輩の
吾輩自身は死んでいない。殺すならば、昼から夜──または夜から昼へ移行する変身時に首を飛ばす必要がある。
人間としては死んでいて、
…ああ、吾輩のポンコツさは重々承知だろうが、さすがに首を飛ばされるようなヘマはしたことがない。
して、死んだ場合は土葬された後にこっそりと抜け出して復活する。きっと熊も、吾輩の死んでいる演技を見たらオスカー像を持って賞賛の雨を降らせるだろう。
これまでに何度も名乗る名前は変えているが、現在は『
この名前でタツオ殿とも会っていた。
ん? タツオって誰じゃい? と思われた人間たちに説明すると、タツオ殿はサツキとメイの父親だ。
高身長もさることながら、高学歴で容姿も良く、美人薄命を体現するかのような妻と元気な娘を二人も持っている。完全に人生の勝ち組である。
(子ども……子どもか)
今更だが、吾輩は生殖を行えない。頑張ればできるかも…といった具合だが、
吾輩という自我が全面に押し出ていると言っても、
つまり……吾輩は吾輩であるが、吾輩はサツキやメイでもあり、トトロでもあるということだ。
『命』という
『命そのもの』たるシシ神
でもヤックルたんとイチャコラできるんだったら、喜んでタブーを破っていたと思う。というか破っていた。
そしたら今頃は生態系が変わって、鹿の角を生やした女の子が教室の扉をぶち破って登場していたかもしれない。
ヤックルたん………君をママにしたかったよ。
◇
大人の境界線はどこにあるのだろうかと、草壁サツキは考える。
中学生になってからはもうとんと見えなくなってしまったトトロ。
小学生になった妹のメイはまだ見えているようで、時折「白いトトロがねぇ」と話してくる。
大人にはトトロは見えない。実際、父親のタツオや母親の靖子にはトトロの姿が見えていなかった。
トトロが見えなくなったということは、もう自分が大人になったということなのだろうか?
しかし、例えば同じ学校に通うかんたと喧嘩した時、夕飯の際に母親に愚痴を言うと、靖子は微笑ましそうに笑って「サツキはまだまだ子どもねぇ」と言う。
ムゥと頬を膨らませた彼女はちゃぶ台を叩いて、ドスドスと足を立てて自分の部屋に行くのだ。それに対して妹が「怪獣みたい!」と言うものだから、余計に怒りの虫が腹の中で暴れる。
(第一、
かんたが
その一瞬の後に目をそらしたかんたは、「受けるつもりなんてねぇ!」と手紙を破った。
それを見ていた女子の一人が泣き出し、サツキが鬼の形相でかんたを平手打ちして…─。
とまぁそんな具合で、言い争いになった後からはひと言もかんたと言葉を交わしていない。目が合ってもすぐにプイッとそらされる。
そっちがその気ならこっちこそ! が続いてもう1か月。サツキの気分は憂鬱だった。
時は流れ、夏が来た。
この頃、母の靖子は肺の病気とは違う病で少し前から入院していた。といっても病状は軽いもので、夏休みが終わる前には退院できる見通しだった。
「おねえちゃん、私お友だちの家に遊びにいってくるね!」
「気をつけて行くのよ!」
「はあい!!」
メイは相変わらず元気いっぱいだ。玄関から勢いよく走って行った。
家にはサツキの一人だけ。父親は仕事の都合で今日は家を出ている。
「宿題を進めるかぁ…」
自分の部屋に行く前に、麦茶をお供にしようと台所に向かった。
その時、玄関の方でガタッと音がした。
メイが忘れ物でもしたのだろうと思ったサツキは、麦茶を一口飲んでから玄関に向かう。
「何忘れたの? メ………」
思わず彼女はその場で立ちすくむ。
開いた戸の前に立っていたのは見知らぬ男性。
全体的に細身で、腕までまくったシャツからのぞく腕は色白だ。頭にはカンカン帽をかぶっており、脇には
突然の来訪者に未だ動けぬサツキ。しかして地蔵になったのは別の理由もある。
(か、かっこいい……!)
線の細さもあって、儚げな印象を匂わせる。母親にも病弱がゆえの儚さはあるが、根っこにはサツキと同じ雑草魂がある。
一方でこちらは、一度風に吹かれれば消えてしまいそうなろうそくの如き印象だった。
男は画架を脇に挟んだまま、ノートに何かを書く。それをサツキに見せた。
“タツオさんはいらっしゃいますか? ”
「……い、いえ、父のタツオは今日、仕事で遠出をしておりまして…」
青年はぽりぽりと頬をかく。表情が作りもののように変わらない。不思議な男性だった。
「えっと……父の知り合いの方ですか? 何か用件がございましたら、私の方で後で伝えておきます」
“いえ、構いません”
「……もしかして、絵を描かれに?」
持ち物からしてそうだろうかと思ったが、青年は首を縦に振る。
サツキはしばらく考えた後、「いいですよ」と言った。
「わざわざ訪ねて来られたってことは、多分うちの庭で何かを描きたいってことですよね?」
青年は頷く。
「なら、お好きに描いてください」
サツキは笑った。内心では心臓の高鳴りがそのまま外へ飛び出ないように気をつけながら。
青年の名は『
田舎の風景を描くのが
サツキの父、タツオとはその流れで知り会ったそうだ。
“タツオさんから『
「そうだったんですか…」
“これはおみやげ”
「あっ、ありがとうございます!」
サツキは風呂敷から出された丸々と太ったスイカを受け取った。その重さに思わず前へつんのめったところで肩に手を置かれ、すぐさまズササッと引き下がる。
「私スイカを冷やしてきます!!」
サツキは井戸の方へ駆けて行った。
彼女が戻って来る頃には、鹿山は絵を描く準備を終えていた。立てられた画架に、白いカンバス。側にある画材道具に……鹿山が身につけている渋い色のアトリエコート。その立ち姿は絵になっている。
「その…飲み物持ってきますね」
サツキは向こうが何か書いて見せる前に麦茶の用意に向かった。
差し出された麦茶に鹿山は頭を下げ、コップを口に運ぶ。サツキは一連の動きを熱にうかされたように見つめていた。
この青年と比べたら、かんたがそこらへんの芋に見えてきてしまう。それくらい顔の造形が違った。
「あの……もしよければ、描いている様子を見ていてもいいですか?」
“いいけど、腕は保証しないよ? ”
「下手ってことですか?」
“形から入るタイプなんだ”
それでもいいならということで、サツキは青年から少し離れた場所に座り込む。横目でそれを見ていた鹿山は荷物を入れていた鞄をさつきに差し出した。サツキは首を傾げる。
“汚れちゃうだろうから、使って”
「いえっ、そんな…!」
“いいから
流されるまま、サツキは渋々鞄を尻に敷いた。最初は若干腰を浮かせていたが、鹿山から少し困った空気を感じ取り、ええいままよと座り込んだ。
それから、静かな時間が続く。
風が吹いて、木々が生き物のようにうごめく。蝉たちがいたるところで合唱していた。
サツキは鹿山の後ろ姿をじっと見つめてはカンバスに目を移す。
絵のタッチは繊細そうな見た目の割に豪快で、意外だった。絵の良し悪しはわからなかったが、サツキ的には好ましい絵だった。
「鹿山さんは都会の方から来られたんですか?」
“うん。まぁ、ここからすれば都会の方から”
「都会…。私も数年前は都会の方に住んでいて、お母さん……あ、お父さんから聞いてるかもしれないですけど、お母さんの病気の都合でこっちの方に引っ越して来たんです」
“靖子さん、お体の方は大丈夫かい? ”
「ええ、大丈夫です。今回のは軽いもので、念のためをとって少し長く入院しているだけなので」
“そう。ならよかったよ”
先ほどよりも大きな風が吹いた。
鹿山はカンバスの方から視線をそらし、近くの茂みの方を見る。
(あっ)
その一瞬、口元が上がった。その先から上は揺れる前髪のせいで見えなかったが、確かに笑っている。
サツキは心臓の前で握り拳を作る。顔が熱かった。
“森の主のこと、今でも見えるのかい? ”
「……えっ? あ、トトロが…ですか?」
サァサァと森の音が聞こえる。もしかしたら今この場所にトトロはいるのだろうか?
「妹にはまだ見えてるみたいですけど、私には、もう……」
“そっか。会えないのは寂しい? ”
「…はい。寂しくないって言ったら、嘘になります。メイが羨ましいなって思う時もあります。………その、鹿山さん。私って大人に見えますか? お母さんは「子どもっぽい」って言うけど、お父さんは「大人びてる」って言ってくるし……」
メイのような子どもではないけれど、だからといって自分が大人の仲間だとは思えない。
サツキはその間で両手を投げ出して宙にさまよっている。私という生き物はいったい何なのだろうかと。
鹿山は「じゃあ」と紙に書く。
“君は『大人子ども』だ”
サツキは目をパチクリさせた。
「大人……子ども?」
“大人でもあり、子どもでもある特別な時期だよ。大小の異なる二足の草鞋を履いて、一生懸命に前に進もうとしたら転んでしまうんだ”
「……何ですか、ソレ」
“わからなくていい、今はね。将来大人になったら、サツキちゃんは『大人子ども』だった時代を思い出して、きっと赤くなったり青くなったりするよ”
「ふぅーん…」
鹿山は立ち上がり大きく伸びをした。
話をしているうちにだいぶ時間が過ぎたようで、庭に差し込む影の傾きが30度ほど変わっている。
サツキは新しい麦茶を注ごうとコップを受け取る。
その直前で視界に紙がズイッと向けられた。
“暑さで倒れたら大変だから、中に入っていなさい”
「大丈夫ですよ。あたりは森だから夏でもかなり涼しいし」
“完成したら見せたいんだ”
「………わかりました。でも、替えの麦茶を持ってきてからでいいですよね?」
鹿山は頷く。サツキは鞄を返して家の中に入った。
途中だった絵には、あざやかな森が描かれていた。
「────ちゃん」
「……んう?」
「おねえちゃん!」
よだれを垂らしながら起きたサツキは、視界いっぱいに映る妹の顔を見て、思わず後ろに転がった。その拍子に頭を柱にぶつける。
机代わりにしていたちゃぶ台にはノートやコップがあり、妹のメイはそのちゃぶ台に片膝を乗せていた。
「おねえちゃん、こっち来て!」
「何よ………あっ!!」
サツキは夕暮れになっている空を見て、時計を見て………そして、宿題を始めた後で寝てしまった事実に気づく。
彼女が慌てて外に出ると、すでに鹿山の姿はなかった。
「おねえちゃん! 外じゃなくてこっち!!」
妹に急かされるまま玄関に戻ると、隅にカンバスが立てかけてあった。
鹿山のものだと理解したサツキはそのカンバスを手に取る。しかし夕陽の入り加減で逆光となってしまい絵がよく見れない。
サツキは素足のまま外に出て、メイとともにカンバスを見た。
「これって……」
「トトロだよ!!」
大中小のトトロがその絵には描かれていた。
一番大きいトトロは口に枝を咥えて画面の真ん中に座っており、
対して中と小のトトロは大トトロの腹の上で気持ちよさそうに眠っていた。
「これ、おねえちゃんが描いたの?」
「……ううん、私じゃない」
絵の中のトトロは随分とリラックスしていた。
サツキがあの青年と話していた時も、トトロはいたのだ。彼女の目には見えなかったが、モデルになっている途中で遊び始めて……なんて光景が思い浮かぶようで、サツキはカンバスを抱きしめる。
「……大丈夫? おねえちゃん」
「…うん、大丈夫」
トトロはもう見えなくなった。
子どもだったサツキは大人子どもになり、やがて大人になる。まるで小・中・大トトロのように。
大人になるのは怖いだろうか?(ああ、もちろん怖いとも。何せ大人の世界は彼女にとって未知に溢れているのだから)
それでも時には好きな人と喧嘩をしながら、サツキは大人になっていく。
子どもの頃の輝かしい思い出を抱いて、彼女が大トトロになる日が来るのだ。
風が吹く。開きっぱなしの玄関から夏の匂いが吹き込む。
森の上では、四匹が二人の姉妹を見つめていた。
裏話
女中奉公に出ていたかんたのばあちゃんの初恋を奪う一般通過系シシ神転生者。