一般通過シシ神転生者 作:ヤックルたんペロペロ
吾輩はシシ神系テンセイシャである。
シシ神として転生してからそこそこの月日が経つが、普段森に引きこもっている吾輩はとある事情から京都に向かっていた。
コダマ
この身の性質上あまり行くべきではないのだが、どうしても行かねばならなかった。すべては行けばわかる。
ひとまず姿について、普通の鹿に模した。
吾輩の体はエボシに撃たれた後のシシ神様のように、一般的な鹿の姿に変わることができる。ただしこの姿はシシ神が
(吾輩の立派な角が小さくなってしまった…)
時折草を食みつつ、吾輩は目的の場所に到着した。警備がいるため、中に入るには骨が折れる。夜に侵入できれば暗闇に紛れて忍び込みやすいのだろうが、デイダラボッチになってしまう。
ゆえに忍びこむとしたら昼。まずは普通の鹿のふりをして──、
「何だァ? この鹿」
警備の人間よ、吾輩は田畑を荒らすようなわるい鹿さんではないのだ。だからちょっとこの横を通してね?
「失せろ! この害獣めが!!」
吾輩は抜かれた刀から逃げることになった。
(正面から出入りできぬなら……)
四方は高い塀で囲まれている。だが距離がかなりあるため、どこかしらには吾輩でも侵入できる穴があるはずだ。
普通の鹿のふりをしながら歩き回ることしばし。
(見つけたぞ!)
野良犬が入れそうなくらいの大きさだ。その穴に頭をねじこ……ねじ…………オラァ!!!
無事に中へ入ることができた。広がった穴は人間が直すから問題ない。
あとは目的の人間を見つけるだけだ。見ればすぐにわかるだろう。
「あれ? ……おいっ、鹿が入り込んでいるぞ!!」
吾輩と警備の人間たちの追いかけっこが始まった。
逃げ回っているうちにうっかり池の上を歩いてしまった吾輩は、化生の類だとさらに熱烈に追われる羽目になった。
刀を振り下ろされるどころか矢まで飛んでくる。吾輩は悪い鹿さんじゃないのにあんまりじゃなかろうか? ただ少し人間に会いに来ただけなのに。
(ん゛んんおおおおっ!!)
放たれた一本が尻に刺さる。あっ、ヤックルと同じ状況だ……。流れる液体は赤色じゃなくて透明な緑色だけど。
これ以上尻を掘られたら堪ったもんじゃないと、助走を付け大きく跳躍した。周囲から「おおっ!」と驚きの声が上がる。
逃げ込んだ先は塀の中の、さらに塀に囲まれた一角。走っていると回廊を歩いていた人間のメスが悲鳴を上げた。ただ、吾輩のケガを見るなり一転して心配の表情に変わる。
「あなた、もしかして迷い込んだ末に、矢で射られてしまったの?」
吾輩の尻には矢がぶっ刺さったままだった。透明な血の色にそのメスは目を丸くする。
「……神の、遣い?」
そのメスは呆けた面をしていた。あれ? 鹿って神の遣いとも称される生き物だったんだっけ? 前世の記憶でそんな話を聞いたことがあったような気が……いや、実際シシ神自体ほぼ鹿みたいなものだし、神聖な生き物なのだろう。
ひとまずこの矢を抜いてもらうため、ケツを向けながら人間のメスに近づいた。
彼女は戸惑っていたが、意図を察したのかおずおずと手を伸ばして矢に手をかける。よし、そのまま一思いに引き抜────ゆっくり抜かんといてェ!!!!
前脚で地面を蹴りつけたら人間のメスはビクッとした。絆創膏を剥がす時だってゆっくり剥がすほうが痛いって常識だからな覚えとけよ!!!
「と……取れましたわ」
人間のメスは汗を拭って矢を床に置いた。
「……!! 傷が塞がって…」
女は摩訶不思議な現象に耐えきれなくなったのか、そのまま倒れてしまった。
(………レロリンチョ)
人間のメスに付着していた吾輩の汁を舐めとる。
……一応言っておくが、シシ神汁を放置しておくと面倒そうなので舐めとっただけであって、決して人間のメスの手をペロペロしたかったからペロペロしたわけじゃない。断じて。吾輩のストライクゾーンに入りたいのだったら、まずは人間を辞めてからにして欲しい。
(さすがにここまで騒ぎになったら帰るしかないか……)
そうしてトボトボと帰っていた折である。
(ッ────!!)
偶然蹴鞠を蹴っていた67°の童と遭遇できたので、吾輩は思った。
ああ、神様っているんだなと。
◇
後宮という場所はドロドロした一面を持つ。
御門の妾の一人だった女は、自身が産んだ子を皇后の養子にすることになった。
それは皇后が子を
皇子は彼女が本当の母であることを知らない。
そのまま時間が流れ、彼女は病を患った。
(ああ、なんとこの我が身は儚いのでしょう…)
宮中入りし、それから過ごした短くも長い時間。この腕で皇子を抱くことは叶わなかった。
この世の儚さを憂いた彼女は、庭を眺めるのを日課にした。時折、遊んでいる皇子を眺めることができるその場所へ。
「………鹿?」
その途中のことである。彼女が尻に矢が刺さった鹿と出会したのは。
この宮中にペット以外の動物が紛れ込んでいるなど早々にない。それこそ鳥を除いて。
(可哀想に…)
きっと射られて訳もわからずここへ入り込んでしまったのだろうと考えた彼女は、鹿の矢を抜いてやることにした。
その鹿はしかし、奇妙であった。流れる血が人間や獣のように赤い色ではない。ほとんど透明で、うっすらと緑がかった色をしている。
ふと彼女は前に女房たちが話していた鹿の話を思い出した。
それは白き鹿が神を乗せ、神山に降臨したという逸話だ。
それもあり、一部の地域では鹿を神の遣いとして神聖視しているという。
その話を覚えていたからこそ、彼女はこの鹿が神の遣いなのではないかと思いいたった。
だとしたら、警備の者は神の遣いに対し不敬をなしたことになる。
彼女はフラリと倒れそうになったところを足で踏んばり、ここは自分がどうにかせねばと自刃の覚悟で鹿と相対した。どうせこの身は間もなく儚くなる。
幸い、神鹿の要求はすぐに分かった。
矢を抜くために力を入れようと固定した左手が神鹿の尻に触れる。その毛は思ったよりもふかふかしていた。
なるべく慎重に抜こうとしたのが裏目に出たようで、鹿の機嫌が悪くなる。
「ご、ごめんねさいねっ…」
彼女は何度も謝りながら矢を引き抜いた。
(………!!)
そうして目の当たりにしたのは傷が塞がっていく光景。
やはりこの鹿はただの鹿ではない。神の遣い。もしくは、神そのものなのかもしれない。
そこまで来て、彼女はとうとう倒れたのだった。
この神鹿との出会いが影響したのか、目覚めた後の彼女の体は洗髪したばかりのような清々しい気で満ちていた。
病もそれからすぐに治り、彼女はその世では異例なまでの長生きをすることになる。
さらに時は流れて皇后が亡くなり、新しい御門が生まれた。これを一つの契機として、彼女は仏門の道に入った。
「一度其方に聞きたかったことがある」
そして、御門の晩年のこと。彼女は一度だけ、彼から自分の出自について聞かれた。
「私は貴方様のご母堂では御座いませんよ」
彼女は首を横に振った。笑った御門はそれが嘘だと気づいていただろう。
──いや、もっと昔から彼は『真実』にたどり着いていたはずだ。
まだ御門が蹴鞠で無邪気に遊んでいた童だった頃から、きっと。
何せあまりにも、
御門が亡くなる前、彼女は請われるまま一度だけその身を抱きしめた。香と老いた体から発せられる匂いが混ざった独特な香りが鼻に伝わる。
それが人生で我が子を抱いた最初で最期の瞬間で。
なみだが、とめどなく溢れた。