一般通過シシ神転生者 作:ヤックルたんペロペロ
中トトロにどんぐりの貢ぎ物をされ続け、見事にリバウンドをした吾輩である。
はじめはジブリの顔でもあるトトロを見つけてテンションが上がったが、太ってしまったのは微妙な心境だった。
だが、あのまん丸な目をキラキラさせながら渡されてしまうと、食べないわけにもいかない。食べたら食べたでニッコニコで喜ぶものだから、吾輩の推しに中トトロが加わってしまった。
まあ太った一番の原因は、中トトロを真似てコダマたちが大量にどんぐりを持ってくるせいだった。
やがてあの中トトロは吾輩の知るデカトトロになるのだろうか?
将来、吾輩のこともネコバスに乗せてくれたら嬉しいものである。
それからまたダイエットをしつつ、月の満ち欠けを繰り返す。その間に中トトロの生活圏から離れた。
痩せた吾輩はまた人間社会に紛れ込むようになった。やはり変化はどうしても苦手で、時折正体がバレてしまう。その際はシシ神パワーで記憶を消している。原理は割と単純で、対象の夢の中に入る力を応用すればいい。
夢の中に入るということは、言い換えれば『頭の中に入る』ということ。
その要領で対象者の頭に少し刺激を与えて消すのだ。
ただ記憶を消す前に、問答無用で化生の類だと殺されかける場合もある。
吾輩の──シシ神の肉体の強度はそもそも並だ。ご存知のとおり、銃で首を撃たれたら簡単に吹き飛ぶ。言ってしまえば吾輩は水の上を歩けたり植物を操れたり、そして生物の生死を左右できるだけの鹿もどき。
ゆえにか、人間に化けたところで肉体の強度が上がることもなく、耐久性はふつうの人間と同等になっている。
体内構造も人間であるため、不覚を取って死んでしまうこともあった。
今回も少々失敗して、気づいたら川に流されていた。体は縄で手足を拘束されている。植物を生やそうとしたが場所は水中。しかも上流に近いせいか流れが早い。さっさと元の姿に戻ろうとしたところで、何かの声が聞こえた。水の音ではない。
流されるまま、体が水の中に浸かる。目を凝らし、音の方へ視線を向けた。
(白い────ッ)
白い……白い龍。
自分の肌にブワッと鳥肌が立つのがわかる。このような、人間に不覚を取った後で出会ってしまうのか? シシ神ながら情けない。
白龍がどんどん迫り来る。この身はすでに人から昼の姿へと戻りつつあった。
まさかッ、まさかこんなところで300億の男に…!!
『あっはっはっは!』
………龍は龍でも、
河の主に助けられた吾輩は、彼と友人になった。
河の神は
何気にコダマ以外ではじめて吾輩の言葉を理解できる者と出会った。(中トトロは理解しているんだか、理解していないんだか、曖昧な反応ばかりとるので正確にはわからない)
吾輩はその後、河の神に乗せてもらって友人の龍……友龍? のところへ向かった。その途中で夜になり、河の神を潰しそうになった。
さすがにデイダラボッチの身では乗れぬため、ヌッシヌッシと歩く。
見れば見るほど翁の面が不気味だ。
そう言うと、河の神から「お前もな(笑)」と言われた。
もしかしたら友龍がニギニギコハクンチョスかもしれないと思ったが、白い龍ではあれどニギニギコハクンチョスではなかった。
友龍には吾輩の言葉がわからぬようなので、河の神に通訳してもらう。
友龍は吾輩を見るなり「はえぇ……おっきいですぅ…」と驚いた。確かに山の大きさな吾輩からしても、河の神より小さい友龍はミミズ並に小さかった。
三柱で夜を楽しんだ後は、酒を飲む。吾輩はサイズの問題で飲めないので、隅で体育座りをしていた。コダマたちがわらわらと集まってくる。
河の神の話題で、最近妙に河が豊かになったとの話が出た。
話を聞いていたコダマたちが揺れ出して、吾輩のことを指してくる。まるでコイツが犯人ですと言わんばかりの指差し具合だ。
河の神がジッと吾輩を見つめる。やはり翁の面が不気味だ。
まあ犯人は間違いなく吾輩なので頷いた。
すると河の神は大声で笑い、こう言う。
『良きかな』
いきなり聞けた名言に吾輩は目を丸くした。無い目をどうやって丸くしたかって? 目は目でも心の目というやつだ。
河の神は首を何度か縦に振り、酒をあおる。
夜はこうして更けて行った。
朝日が昇る頃には、吾輩の姿は昼の姿へと戻った。
友龍は吾輩の姿を見て後ずさる。怖がっているのは雰囲気で分かった。
河の神は至極上機嫌だった時とは違う笑みで吾輩を見ていた。
吾輩の姿はそんなに怖いのだろうか? 自分ではぷりてぃだと自負しているのだが。
『あっはっは! では、さらば!』
河の神が上空へ舞い上がり瞬く間に空に溶け込むように小さくなって、消えていく。
吾輩もまた友龍に角を下げて川に降り、その上を歩き始める。
(そういえば、友龍の名前をまだ聞いていなかった)
そう思い友龍を振り返ると、奴は「!!?」な顔をしていた。
◇
古くから、人間の文明の側には雄大で、広大な河があった。
それはすべてを包み込み、時としてすべてを呑み込む。
畏れられ、敬われる。
かつては神々が存在した。その神々もまた『理』によって縛られる。
彼らにも命がある。命があるということは、生き、そして死ぬということ。
生と死はもっとも普遍的である。誰も死からは逃れることができず、生と死のプロセスの中で生きている。
しかし同時に生を体感している自我はあなただけのものであり、他人が共有することはできない。そして普遍的な終わりである死も、生きている人間は経験することができない。その者が死ぬ時に自我は死という、誰も知り得ない体験をはじめてする。
『生と死』はもっとも普遍的で、特異であるからこそ、命は特別でありながら特別ではない、矛盾した性質を抱えている。
神は死にゆく。乙事主やモロのように。
だが神であるからこそ、進化を経て生と死のプロセスから脱却した者たちは、彼ら自身がこの世の『理』となり、存在しながらも存在しないものとして息づいている。根付いている。
河の神もまた、古来より生きる神である。
彼はひょんなことから拾い神をした。川に人や獣が流れてくるのは、長いこと生きている河の神からすればよくあることだった。
ただ神が流れてくるのは珍しい。拾ったその神がこの世でもっとも『
話を聞くうちに、シシ神が理を守りながら人の世へ歩み寄っていることも知った。
なぜ人間に歩み寄るのか、河の神は疑問に思った。
あるいは生と死を繰り返す存在だからこそ、人間に好奇心を抱いたのではないかと考えた。
神が減っていくのに対し、人間は増えている。わずかな時の中で大きく変化していく人間という存在を、シシ神は特別に感じたのかもしれない。
以降、シシ神どんぶらこっこ事件で出会った二柱は、時折交流するようになった。
シシ神は河の神から「湯屋に行かね?」と誘われると、あの絶妙に笑っている顔をズイズイと近づけてきて、首を縦に振った。あやうく
シシ神は河の神のように己よりも上位の神々が存在した時代から生きているようだが、まだ湯屋には行ったことがないそうだ。
いやそもそも、湯屋自体が二柱の感覚からすると最近できたのだが。
ただ、シシ神はある重大なことに気づく。
湯屋の運営は夜からである。ということはつまり、彼は夜の姿で行かねばならない。
山のように巨大な彼が入れる湯釜はないだろうし、そもそも中に入れない。
行くとすれば昼の姿になる。しかしその時間帯は営業していない。
シシ神はスッと頭を下げると、手当たり次第に周辺の草をやけ食いし始めた。