教師として日常を送る梓川咲太。
担当する生徒・佐倉の「大人になりたくない」という言葉をきっかけに、教室に不思議な現象が起こる。
それは咲太がかつて経験した「思春期症候群」と呼ばれる不可思議な出来事だった。

生徒の心の闇と向き合いながら、咲太は双葉や麻衣と共にその謎に迫っていく。
彼が導き出す答えとは――。


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ご覧いただきありがとうございます。
本作は「青春ブタ野郎」シリーズの二次創作で、オリジナルのスピンオフとして書いたものです。
「もしも咲太が教師になったら」という仮定から始まるお話になります。

原作の雰囲気を大切にしつつ、自分なりに想像した展開を楽しんでいただければ幸いです。


止まった時間

放課後の教室。

窓から差し込む夕陽に、机の列が長い影を落としていた。

ざわめいていた生徒たちもすでに帰路につき、今は静けさだけが漂っている。

 

そんな中、ひとりだけ席に残っている生徒がいた。

佐倉さん――咲太の担当するクラスの女子生徒だ。

頬を机に押しつけ、視線を動かそうとしない。

 

咲太は、軽くノックするように黒板を指先で叩きながら声をかけた。

 

「佐倉さん、何かあった?」

 

その言葉に、彼女は小さく肩を震わせ、ゆっくり顔を上げた。

目の下にはわずかに涙の跡が見える。

 

「……梓川先生、大人になんてなりたくないです」

 

切実な吐息のような声。

その目には、子どものままでいたいと願う痛切な光が宿っていた。

 

咲太は少しだけ間を取り、黒板のチョークを手に取ってくるくる回しながら冗談めかして言った。

 

「テストの点が良すぎて、もう小学生に戻りたいとか?」

 

「……そんなわけないです」

佐倉さんはかすかに笑みを浮かべかけて、すぐに消した。

 

その瞬間、机の上に置かれたシャーペンがふいにぴたりと止まった。

落ちるはずの鉛筆が空中で静止し、音が失われたように静寂が降りる。

夕陽の赤も止まって見えるほど、教室の空気が固まっていた。

 

咲太の目に、見覚えのある異変が映る。

 

――これは、思春期症候群。

 

――――

 

翌日、咲太は理科準備室を訪ねた。

そこにはパソコンに向かっている双葉の姿があった。

 

「梓川、また女子生徒にちょっかい出してるの? さすがブタ野郎」

「いやいや、真面目に相談受けてるだけだって」

「ふーん……“相談”ね。梓川が女子から相談されるなんて、世も末だわ」

「失礼だなあ。僕だって一応教師やってるんだから」

「自覚があるなら少しはマシね」

 

双葉はため息をつき、椅子を回転させて咲太の方を向いた。

 

「で、その相談ってやつは?」

 

咲太が佐倉さんの言葉と、時間が止まった現象を話すと、双葉は腕を組み、顎に指を添えて考え込む。

 

「……大人になりたくない気持ちが、物理現象に投影される。あり得ないけど、思春期症候群なら説明はつくわね」

「やっぱり思春期症候群か」

「そう。心の抵抗が強すぎて、時間そのものを止めるって形で表れたんでしょう。心理的ストレスが物理現象に変換される……相変わらず理屈じゃ理解できないけど」

「科学者としては認めたくない感じ?」

「認めざるを得ない現象よ。少なくとも、梓川が関わると大体そういう方向に落ち着く」

 

双葉はジト目で咲太を見やり、口元だけで笑った。

 

「結局ね、解決できるかどうかは梓川次第。梓川、いつもみたいに無駄に首突っ込んで、最後はちゃんとなんとかするんでしょ」

「……信用されてるのか、バカにされてるのか」

「両方よ」

 

――――

 

その夜。

帰宅した咲太は、リビングで台本を手にしていた麻衣に向き合った。

 

「麻衣さん、ちょっと相談があるんだけど」

「咲太が改まるなんて珍しいじゃない」

 

麻衣はソファに腰を下ろしたまま、台本を閉じて視線を向けてくる。

その真剣な眼差しに、咲太は一瞬だけ言葉を選ぶように沈黙した。

 

「実は……佐倉さんって生徒がいて。大人になりたくないって言うんです」

「へえ」

麻衣は足を組み直しながら、小さく頷く。

 

「それだけならよくある悩みかもしれないけど……彼女の周りで、時間が止まったみたいな現象が起きてて」

「……思春期症候群ね」

「はい。僕は見覚えがあるから理解できますけど、彼女自身は混乱していて」

 

咲太は苦笑しつつ、頭をかいた。

 

「正直、どう声をかけていいのかわからなくて」

「教師らしい悩みね」

麻衣は少し口元を緩め、それからゆっくり言葉を続けた。

 

「大人になるのが怖い子って、案外多いわよ。責任とか現実とか、背負わなきゃいけないことばかりだもの」

「そうですね……」

 

咲太はしばらく黙り込み、やがて小さく息をついた。

 

「……昔、翔子さんに言われたんです。人は優しくなるために生きてるって」

 

その言葉に、麻衣は驚いたように目を瞬き、そして柔らかく微笑んだ。

 

「咲太がその言葉を覚えていて、誰かに伝えようとしてる。それだけで十分だと思うわ」

「……そうですかね」

「そうよ」

 

麻衣は穏やかにそう言って、咲太の手に自分の手を重ねた。

温もりに、咲太は少し肩の力を抜いた。

 

――――

 

翌週の放課後。

咲太が教室を覗くと、そこにはまた佐倉さんの姿があった。

窓の外の夕陽は赤々と燃えているのに、時計の針はぴたりと止まっている。

 

「……またか」

咲太は苦笑を浮かべながら、教室に足を踏み入れる。

 

机に突っ伏していた佐倉さんは顔を上げ、怯えた瞳で咲太を見た。

「どうして……止まっちゃうんですか。私、何もしたくないのに」

 

その瞬間、空気が震えるように重くなった。

外の校庭で跳ねていたボールが宙に浮いたまま止まり、グラウンドの鳥も翼を広げたまま静止している。

――教室だけじゃない。学校全体、いや町全体が時間から切り離されたように、完全な無音の世界になっていた。

 

咲太は一歩、彼女に近づく。

「怖いんだよな。大人になるのが」

 

佐倉さんの唇が震え、言葉が零れる。

「……だって、大人になったら、責任とか、失敗とか……全部、自分で背負わなきゃいけなくなるじゃないですか。私には……無理です」

 

咲太は机に手を置き、彼女の目線に合わせて腰を下ろした。

少しだけ自嘲するように笑ってから、静かに言う。

 

「僕もそういう時期があったよ。

でも周りの人に支えられて、今の僕がある」

 

佐倉さんは目を見開いた。

咲太の声は、重い静寂の中にまっすぐ響いていく。

 

「でも――誰かに優しくしたいって思ったとき、少しだけ前に進めたんだ。

ある人が僕に言ってくれたんだ。人は優しくなるために生きてるんだって」

 

その言葉に、佐倉さんの涙が堰を切ったようにあふれ出す。

「……私だって、本当は……前に進みたい。けど、どうしたらいいかわからなくて……」

 

咲太はためらわず、彼女の肩にそっと手を置いた。

「わからないなら、探せばいい。止まらなければ、いつか見つかる」

 

途端に、教室に温かな風が吹き抜けた。

宙に浮いていたボールが落ち、鳥が羽ばたき、時計の針が再び進み出す。

夕陽が差し込む窓辺に、音と色彩が一気に戻ってきた。

 

佐倉さんは涙で濡れた顔のまま、少しだけ笑った。

「……大人になるのも、ちょっとだけ悪くないかもしれませんね」

 

咲太は肩の力を抜き、苦笑を返す。

「お、成長早いな。僕より先に立派な大人になるんじゃないか?」

 

「そんなわけないです」

彼女は首を振りながらも、確かに前より明るい声を出していた。

 

――――

 

数日後。

咲太は学校から帰宅すると、リビングのソファに横になっている麻衣の姿があった。

撮影がひと段落したのか、台本を胸に乗せて目を閉じている。

 

「お疲れさまです、麻衣さん」

「ん……咲太? おかえり」

 

麻衣は目を細めてこちらを見上げ、少し照れくさそうに笑った。

 

「佐倉さんのこと、もう大丈夫なの?」

「はい。……なんとか落ち着いたみたいです」

「ふふ、やっぱり咲太は頼りになる先生ね」

「いや、僕はただ少し言葉を借りただけですよ」

 

咲太が苦笑すると、麻衣はからかうように小さく肩をすくめた。

そして、少し真面目な眼差しに戻り――彼の手にそっと触れた。

 

「でも、本当にお疲れさま。きっとあの子も救われたわ」

「……麻衣さんがいてくれたからですよ」

 

咲太が照れくさそうに言うと、麻衣はにやりと口角を上げた。

 

「じゃあ……相談のご褒美は?」

「……やっぱりそれ言います?」

「当たり前でしょ。期待してるんだから」

 

軽口を交わしながらも、二人の間には穏やかな空気が流れていた。

問題は解決し、日常は戻ってくる。

だがその日常が、かけがえのないものだと咲太は改めて感じていた。




ここまで読んでくださってありがとうございます。
咲太が教師になったら……というIFストーリーを、自分なりに楽しんで書いてみました。

「人は優しくなるために生きてる」という言葉は、作品全体を通して大切にされているテーマだと思います。
少しでもその雰囲気を感じていただけたなら、とても嬉しいです。

感想や意見などいただけたら、次に書くときの励みになります!

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