本編に入れたかったけど、テンポが悪くなりそうと悩んだ末に番外編に入れました
透明な私は、誰にもぶつからないはずだった。
東京の夏は、湿気が肌にまとわりつく。
私はいつものように透明化して、街を歩いていた。
透明でいる限り、誰にも見られない。
誰にも触れられない。
誰にも気づかれない。
それは少し寂しいけれど、
だってこの世界では、女子は
男子は希少で、女子は常に彼らの視線を浴び、評価され、比較され、時には選ばれる側として扱われる。
私は――その視線がずっと苦手だった。
だから透明化は、私にとって逃げ場だった。
「葉隠ってずるいよね」
「透明なら男子に見られなくて安心じゃん」
「私たちは見られるのに、あんたは隠れられるんだ」
でも同時に、透明化は周囲からこう言われる理由にもなった。
(・・・ずるいなんて、そんなわけないのに)
透明でいると、 誰も私を見てくれない。
誰も私を覚えてくれない。
誰も私を女の子として扱ってくれない。
透明でいることは、
――そのはずだった。
「きゃっ・・・!」
突然、衝撃が走った。
透明な私が、誰かにぶつかった。
(え・・・?なんで・・・?)
混乱する私の体を、誰かの腕がそっと支えた。
その腕は、優しくて、温かくて――
私を“ちゃんと”受け止めてくれた。
「ごめんね、前見てなかったって――おお男の子ぉ!?」
自分の声が裏返った。
だって、だって――
目の前にいたのは、麦わら帽子の小さな男の子。
男の子。
この世界で最も希少で、最も大切にされる存在。
その男の子が、透明な私にぶつかって、私を支えてくれた。
(な、なにこれ・・・夢・・・?)
頭が真っ白になった。
「界離! ほら、行くよ!」
お姉さんらしき人が、男の子の腕を掴んで引っ張った。
かいりと呼ばれた男の子の体が、私から離れていく。
(あ・・・行っちゃう・・・このまま・・・?“ありがとう”も言えないまま・・・?)
胸がぎゅっと痛んだ。
「ちょっと待って姉ちゃん!」
かいりくんは、ぐいっと腕を振りほどいた。
その動きは迷いがなくて、まっすぐで、私の方へ向けられていた。
(・・・え?なんで・・・? なんで戻ってくるの・・・?)
透明な心臓が跳ねた。
界離くんはポケットから何かを取り出した。
「ぶつかってごめん。これ、あげる」
差し出されたのは――パピコ(ピーチ味)。
「えっ・・・あ、あ・・・ありがと・・・」
受け取った瞬間、胸の奥がぎゅっと締めつけられた。
(な、なにこれ・・・優しい・・・。優しすぎる・・・こんなの・・・こんなの・・・)
私はパピコを貪るように吸っていた。
自分でも驚くくらい必死に。
だって、手が震えて止まらなかったから。
だって、心臓がうるさくて仕方なかったから。
だって――
(桃の味・・・桃の花言葉って・・・『私はあなたのとりこ』・・・!?)
そんなの、意識するに決まってる。
「ほら界離、行くよ!」
「うん。またね」
かいりくんは軽く手を振って、今度こそ姉に連れて行かれた。
私は――
その場に立ち尽くしたまま、動けなかった。
(・・・“またね”って・・・そんな・・・そんなの・・・)
透明な頬が熱くなる。
(・・・こんなの・・・好きになるに決まってるじゃん・・・)
~~~~
九月一日。
夏休みが終わり、教室には久しぶりのざわめきが戻ってきた。
私はいつものように席に向かった。
(・・・あれ?)
隣の席が、ぽっかり空いていた。
先日まで誰かが座っていたはずなのに。
机も椅子も、まるで
(席替え・・・じゃないよね?でも、なんで空席・・・?)
胸の奥に、言葉にならないざわつきが生まれた。
「えー、皆さん。二学期から新しい仲間が増えます。転校生が来ましたので、入ってきてくださーい」
(・・・転校生?じゃあ、さっきの空席って・・・)
胸がどくんと跳ねた。
扉が開く。
「結城界離です。よろしくお願いします」
(・・・・・・え?)
頭が真っ白になった。
(なんで・・・ なんでここに・・・? 東京って広いのに・・・なんで“同じ学校”で・・・なんで“同じクラス”で・・・なんで“私の隣の席”なの・・・!?)
透明化が一瞬解けかけるほど動揺した。
「じゃあ結城くんは・・・葉隠さんの隣の席ね」
(やっぱり・・・!)
結城くんが、私の隣に座った。
「この前はごめんね。改めてよろしく」
(む、無理・・・そんな笑顔向けられたら・・・心臓が・・・死ぬ・・・)
私は透明化を保つのに必死だった。
休み時間になると、結城くんはクラスの女子たちに囲まれた。
「どこから来たの?」
「好きな食べ物は?」
「東京どう?」
「家どこなの?」
普通なら嫌な顔をするはずなのに、結城くんは一つひとつ丁寧に、落ち着いて答えていた。
(・・・すごい。全然嫌そうじゃない・・・むしろ、ちゃんと相手を見て話してる・・・)
私は透明化を維持しながら、その声を必死に耳で追った。
そして――
「家? あそこのマンションだよ。学校から歩いて十分くらいの」
(・・・・・・え?)
心臓が跳ねた。
(あそこ・・・私の家からも近い・・・ほぼ“ご近所”・・・)
胸の奥が熱くなる。
(・・・毎日、同じ道を歩くのかな・・・)
その想像だけで、透明な頬が熱くなった。
翌朝。
家を出て学校へ向かうと、前方に見覚えのある背中が見えた。
(・・・結城くん?)
声をかけるべきか迷っていると、結城くんの方が先に気づいた。
「あ、葉隠さん。おはよう」
(お、おはよう・・・!?)
名前を呼ばれただけで、胸が跳ねて、透明化が揺らいだ。
(・・・なんでこんなに・・・)
そのまま自然と並んで歩くことになった。
透明化を解く勇気はまだなかったけれど、結城くんは気にせず話しかけてくれた。
「この道、葉隠さんも通るんだね」
(う、うん・・・)
声が震えた。
(・・・こんなの・・・毎日一緒に登校してるみたいじゃん・・・)
胸がじんわり熱くなった。
授業中、私の消しゴムが机から転がり落ちた。
拾おうとした瞬間――
「葉隠さん、これ」
結城くんが拾ってくれた。
(・・・っ)
透明な指先が震えた。
(名前・・・呼ばれた・・・しかも、自然に・・・)
胸の奥がじんわり温かくなる。
更に翌日。
結城くんは、もうクラスに完全に馴染んでいた。
女子たちに囲まれ、普通に話しかけられ、まるで一学期からずっとここにいたみたいに。
(・・・すごいなぁ・・・)
そう思った瞬間、胸の奥がちくりと痛んだ。
(・・・なんで・・・?)
その痛みの正体が分からなかった。
(結城くん・・・皆と楽しそう。なんか・・・取られたみたい・・・)
胸がざわざわした。
(・・・これ・・・なに・・・?)
まだその感情の名前を知らなかった。
四日目。
私はふと気づいた。
(・・・あれ?結城くんの隣にいる時・・・私、透明化・・・解いてる・・・?)
意識していないのに、結城くんの隣に座ると透明化が解けていた。
(なんで・・・?)
答えは、すぐに胸の奥から浮かんできた。
(・・・見てほしいからだ)
透明でいるのは楽だ。
でも――
(結城くんには・・・“見られたい”)
その気持ちが、透明化を無意識に解かせていた。
(・・・私・・・)
胸が熱くなる。
(・・・結城くんのこと・・・)
言葉にするのが怖かった。
でも、もう分かっていた。
結城くんは今日もクラスの中心にいた。
(・・・まただ)
胸の奥が、ちくりと痛んだ。
昨日も感じた痛み。
でも今日は、もっとはっきりしている。
(なんで・・・? なんでこんなに・・・苦しいの・・・?)
私は透明化を解いたまま、結城くんの横顔を見つめていた。
すると、隣の席の子が言った。
「結城くんって優しいよね。なんか安心する」
(・・・っ)
胸がぎゅっと締めつけられた。
(・・・ああ、これ・・・)
ようやく気づいた。
(・・・嫉妬、なんだ)
自分でも驚いた。
私が、こんな気持ちを抱くなんて。
(結城くんが誰かと仲良くしてるのが・・・嫌なんだ)
透明な指先が震えた。
(・・・私、こんなに・・・)
言葉にするのが怖かった。
休み時間。
結城くんが、クラスの子に質問されていた。
「愛知では友達いたの?」
「仲良かった子とかいる?」
結城くんは少し照れたように笑って言った。
「うん。梅雨ちゃんって子がいて・・・すごく大事な友達なんだ」
(・・・梅雨ちゃん)
その名前を聞いた瞬間、胸の奥がずきんと痛んだ。
(・・・大事な、友達・・・)
その言い方が、
結城くんの声が、どこか遠くを見ているように優しかった。
(・・・その子のこと、すごく大切なんだ)
私は透明化しそうになるのを必死で抑えた。
(・・・私なんかより、ずっと・・・)
胸が苦しくて、息が浅くなる。
(・・・負けたくない)
その言葉が、胸の奥から自然と浮かんできた。
(透明でも・・・見えなくても・・・私だって・・・)
梅雨ちゃんという“見えない影”が、私の恋心をはっきりと形にした。
三日前までは無意識だった。
でも今日は違う。
(・・・透明のままじゃ、ダメだ)
私は自分の意志で、ゆっくりと透明化を解いた。
姿が現れる瞬間、全身が震えた。
(見られるのは怖い。でも・・・)
結城くんがこちらを見た。
「葉隠さん、今日は姿見せてるんだね。なんか嬉しいな」
(・・・っ)
胸が一気に熱くなった。
(・・・嬉しいって・・・そんな・・・)
私は俯きながら、小さく答えた。
「・・・うん。今日は・・・見られてもいいかなって・・・」
自分でも驚くほど素直な声だった。
結城くんは、にこっと笑った。
「そっか。じゃあ、よろしくね」
(・・・ああ・・・)
その笑顔だけで、今日一日が幸せになった。
(・・・私、もう・・・)
透明でいることよりも、結城くんに“見られること”を選んでいた。
(・・・結城くんのこと・・・好きなんだ)
ようやく、その言葉を心の中で認めた。