前二話は「いつかのお話」ですので少し先の未来となっております。
時系列がわかりづらかったら申し訳ありません。
朝日、夢見し
たとひ三百歳の齢を保ち、楽しみ身に余ると云ふとも、未来永劫の果しなき楽しみに比ぶれば、夢幻のごとし。
Guia do Pecador
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こんな夢を見た。
黒く固まった水面(潮の香りがしないのでおそらくは川だろう)を横目に盛り上がったあぜ道をあるいていた。
まとわりつくような空気を振り払いながら藹々としたあぜ道を歩いていると、子供の落書きのようにぐしゅぐしゅと線の書かれた人間が己に話しかけてくるのだ。
「
もう一度よく見るとそれは確かに私の兄であった。水面に浮きあがった魚のような昏い眼。それを瞬きもさせずに淡々と己にぶつけてくる。
数年前に逝去したアレとは最後まで言葉をまともに交わした記憶がないものの、その眼を見るのが途端に恐ろしくなった。
景色が流れるように進んでいくと、あの下手な落書きに見つかった。見上げるほどに大きいそいつは何かをぶつぶつと垂れ流しながら己の方に歩み寄って来る。
今度は速足で横を通り抜けようと考え、なるべく地面を睨みつけながら躱して歩く。
けれどやはりと言うべきか、逃れることは能わず、すれ違いざまに両肩に手を置かれた。
体温を奪っていくその手に気を取られていると、ハッとするような声で「
今度も己は我慢ができなくなり、勢いよく振り向く。
するとそこには何を考えているのかよくわからぬ母親がいた。正確には真っ黒い髪を肩の高さに切りそろえた、凹凸のないのっぺりとした素面をもったナニカであったのだが。
それは確かに母親であった。
胸の奥底に押し込んだ恐怖が這い出してくる。とにかくその場から離れたかった。そうして己はあぜ道から転がり落ちて傷だらけになるも、それすら気にせずにがむしゃらに走り出した。
どれくらい走っただろう、その頃にはどこに行こうとも落書きはそこら中にいて、様々な言葉を繰り返すだけの壊れた蓄音機のようになっていた。
数人、本当に数人だけは大きく怒鳴り声をあげていた気がするが、既に耳をふさぎ目を瞑った己には関係のないことだった。
高低大小さまざまなそれらの声は次第になりをひそめ、代わりに幼い子供の喉をつぶしたような鳴き声が響いていた。
限界を迎えた己は、その幼子の顔を見る間もなく、その子の首をこの手で──。
これは質の低い夢なのだと気が付いた己は、地に向けた顔と重い腰を上げ、今度こそ最奥にある山に向け一歩を踏み出した。
中腹までは何も無く進めたのだが、参道の途中からは崩れ落ちていた。目の先にあるのは暗いくらい黄泉路のような大穴。
恐怖は既に鳴りを潜めていた。
ひとつため息をこぼし、心のざわつきを押さえ込む。
それから己はこんな夢は二度とごめんだなと思いながら、重力を思い出した夢遊病罹患者のように地の底へと吸い込まれていった。
──ただし最後。ひたすらに堕ち続けた己を、地獄より深い地の底で待っていたのは。そこに居たのは親でなく、友でなく、そして己自身でもなく──。
どこかに色を忘れてきたかのような彼女。きりりとした眦、すっと伸びた鼻、夕闇にとらわれたかのような着物と白い肌。
人並み外れた容姿を持った彼女が己に手を伸ばしてくる。それは一切の抵抗を許さずに己を包んだかと思ったら、大切に大切に折りたたまれて、仕舞われて、箱の中に詰め込まれる。
嗚呼、己はそれになぜだか掬われた気がした。
■■■■■〈朝日、夢見し〉 ■■■■■
蒲団の隙間から薄ぼんやりとした光が肌をつつく。
粗方の呪詛を内界で吐き出したあと、毛布を蹴り上げ己の殻を壊す。そして丁寧にたたみ静かに座布団などを積み上げる。
(腹、減ったな)
寝起きだというのに長い旅路を終えた碩学のような清々しい気分と、恋人を喪った長者が心に抱えているであろう胸を締め付ける感覚とに支配されながら簡素な朝食を摂取する。
朝食であるライ麦の塩パンを噛むほどだんだんと目が覚めてくる。もう一切れ、もう一切れと食べているうちに籠の中は空っぽになってしまった。
ナニカ物足りない気持ちがあるものの、思考がだんだんと巡る程度には満たされた腹に手を当てゆっくりと立ち上がる。
神棚に柏手を打ち、ガス管や水道のもとをひねる。ほこりが積もるのは仕方のないことだろうと思う。虫が湧くのは嫌だな、とも思う。とはいえこればっかりは防げない。
何はともあれ今日でこの村を去ることになったのだ。しっかりと施錠をして家を出る。
不思議と次はいつ帰れるのだろうか、とは考えなかった。
「よかったのかい、少年。もっとゆっくりしてってもよかったんだぜ」
上等な白シャツにしわ一つないズボン。
スジモノかと一瞬穿ってしまいそうな厚手の黒ジャケット、そして椅子代わりにしている、蓋をしばりつけるようにして茨がからみついている柩。
上から下まで大雑把に見ても明らかにこの田園美しい風景とは似つかわしくない、どころかこんなものを往来で引きずっているような世界で1人だけの変人を観察する。
「いや、結構。それにもう日は上がりきっている。こんな時間までゆっくりしているとアッという間に太陽が沈んでしまうぞ」
「あっそう。ところでここいらにはレストランはないのかい、腹がへった。いやそれどころか限界だね。一昨日の夜からこっちは働きづめなんだ。いい加減休憩の一つでも取らないと俺みたいな一流でもやっていけない」
軽快な口からはじき出される言葉の節々にはなるほど疲労の色が見え隠れしている。
おそらく周りの地形が変わるほどのナニカを行ったのはこの男なのだろう。此方としても茶屋の一つぐらい進めてやりたいところだが。
「知っていると思うがもうこの村には本当に何もないぞ。それにお前がどうやってこの村に入ったのか知らないが、元々がここは隠れ里みたいなものだからな。そも外部から客人が来ることを想定していない」
「まじか、なんだよ簡単な仕事だって言ったのに全然さぼれねえじゃねえか」
少しでも体力を温存するためか、それっきり会話らしい会話はなくなってしまった。何とも言い表せない空気に、ふむと景色を見やる。
そこかしこに土がえぐれた痕跡がある田畑、何か強い力で投げ飛ばされたのであろう大岩、壁が崩れ中の様子が遠めからでもわかる家屋、そして田畑の中央に残っているひどく何かが焦げた跡。
ここが一昨日まで自然に囲まれた牧歌的な農村だと言っても誰も信じないだろう。いいとこ野生動物の住処になっている廃村という印象しか感ぜられない。
「はぁ.よし行くか少年」
「己はクレイルだと言っているだろ。少年はやめてくれ」
歩く速度は酷く緩慢で、まるでこの景色を焼き付けておけと言われているように感じる。
しかし不思議と思い出は溢れてこなかった。
家屋が減り田畑も減り、まっすぐつづいていたあぜ道が終わりへと差し掛かる。正確にはあぜ道は村を覆うような、ゆるやかな円を描くような線で続いているのだが、村の外れという意味ではこの分かれ道が終わりといっていいだろう。
「ようやくか。来た時も思ったが明らかにここから聖域が見える距離と歩く距離がかみ合っちゃない」
あぜ道の先を塞ぐようにして埋まっている要石にペタペタと触りながら、男、ガスパールがつぶやいている。
何か回答を持ち合わせていたら己が答えるのだが、自分自身しっかりとした返答ができないので口をつぐんでおく。己よりも魔法に詳しいこの男でもわからないのだ。今ここで頭をひねっても解が出るわけもあるまい。
「これだな。術自体はだいぶん古いが余分な要素を一切込めてないから効果も相応に高い。それだけじゃない、おそらくこの村に住んでたやつらから少しずつ魔力を吸い取ってやがったな。そりゃあ強力になるわけだ。なんたって内部ですべてが循環してやがる。こりゃ一種の世界を構築してるようなもんだ」
「……よくわからないのだが己は結局外に出られるのか」
「余裕。なんたって俺は一流も一流、超一流の天才術師だぜ。会話の最中にだって解除できる。っと、ほらよ」
ガスパールがそういうと目の前の要石にバキリと罅が入る。子供らよりも少し高い程度といった己よりはるかに大きな男、それより二尺は大きいであろう岩が前触れもなく割れた。
柄にもなく胸の奥で熱い何かが込み上げてくる。どうやったのかガスパールに尋ねてみようかとしたところで、今度こそガスパールは柩に体を預けるようにして座り込んだ。
「あとは適当に待ってりゃじきに回収が来る。それまで俺は寝るからお前も適当にしてろ」
ほどなくして静かな吐息が聞こえてくる。本当に寝たのかと正気を疑うが、事実無反応になってしまったものは仕方がない。なれない日差しの暑さからのがれるように木陰に移動した己はさてどうしてこうなったのだろうかと思考の旅に出かけることにした。
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「起きてください。じゃないと呪いますよクレイル様」
「起きているぞフィー。君のソレは冗談じゃすまないことのほうが多いだろう、勘弁してくれ。
それに時計を見てみろ、時刻通りの起床時間だろう。それより、あまりにも長い時間車に揺られていたせいで腰が痛い。まあ何とか目的地にたどり着けたみたいで一安心だが」
「そうなのですか。フィーのパーフェクトボディは疲労なんて一切感じていませんが」
いつもの軽いやり取りをしながら窓から景色を眺めると立派な月が空に浮かんでいた。
しばらくして車が止まると、運転手に礼をすませ荷物を座席から降ろしてもらう。
体をほぐすように伸びをしながら、眼前に佇む古めかしくも随所に電気と機械を思わせる装飾をのぞかせる古城を眺める。
忘れていた息をホウと吐き出すと白くたなびいていき、思わずコートを締めなおす。
「ここが……」
「逆巻き城。今から300年ほど前にギャアランド伯爵の命によって建造された、当時における最新技術を至る所に使用した煉瓦造りの城ですね。随分と凝り性だったようで城の広さは外観だけでも相当のものなのに、地下にも坑道が広がっているとか」
あの日から長い時間が過ぎ去った。今日に至るまで何度か邂逅したが、あの男は今もどこかでふらふらと生きているのだろう。ことあるごとに超一流だと喧伝していた男だ。厄介事に巻き込まれる体質にみえたが、どうにか切り抜けているのだろう。
それよりも今は目の前の仕事に従事しなければならない。
「そして今回の仕事が城のどこかに隠されている財宝、とりわけその中にあるといわれている夜種の魔具の回収」
パチリと時刻確認のために出していた懐中時計を閉じるとともに、過去に飛んでいた思考を呼び戻す。
「時間だ」
さあ、存分に働くこととしよう。
長閑な昼下がり。
ガスパールと名乗るあの男と出会った出来事は、これから先、長く続く人生の始まりの一頁に過ぎなかった。
ガスパール…自称一流の魔術師。容姿はいいが、全く女っ気にないことから同性愛者ではと噂が流れている。