「この町唯一の「狩人」、ウェーバー・ホーン。御歳78歳。毎年収穫を祝う祭りのために狩猟を行っている信心深い爺さんだ」
「狩人」とは? という己の問いに、一切の考える素振りをせずに即答するイワンはそう語る。
丁寧とは言えずとも視界を遮るであろう梢が落とされている雑木林をすたすたと歩む。道も雑草に侵食されているが、足元が見えないなんてこともない。
「そりゃもう有名でな。俺たちにとっちゃ、あの爺さんのがよっぽど妖精みたいなもんさ! 毎日森の見回りをして、こういった木々の手入れをして、そしてたまに町までやってきちゃぁ妖精様の好物だってんでクッキーだけ買って帰る。あの人が一番妖精に愛されてるなんて町民の誰もが言うだろうよ」
道理で歩きやすい道なわけだ。
それに美しい。自然の荒々しい美しさではなく、人と、それから自然の調和が見られる美しさだ。
感心している己をおいて、今度はイワンが「魔術師」の見分け方を尋ねてくる。
「むむむ……。そうだな。これは感覚的な話になるのだが、基本的に魔術師同士なら肌感でわかる。その点でいえば魔力を持たないものが確実に判断する方法は無い」
「魔術師特有のトレードマークみたいなものもねえ……よなぁ」
「そうだな。まずどこかの組織に所属してたり、職業軍人として起用されている魔術師は何かしらの紋章を身につけている。
今朝も見せたが、己はこのように首飾りと腕輪を嵌めている。ただこれも魔術師によって耳飾りだったり指輪だったりと千差万別だ。
よって見分けるのはほとんど不可能だろうよ」
「やっぱりそうか。確かに嬢ちゃんも特にこれといってつけちゃいなかったな」
「まあ魔術師だなんて言うが、その実、戦闘に転用して十全に機能する魔術を扱う物なんてそうはおらんよ。精々が物体操作かその応用で躓く」
とはいえそれだけでも一般人にとっては十分脅威となるのだが。
代わりと言っては何だがイワンに軽い戦いの心得をレクチャーしておく。
『ひとつ、魔術師を相手にするなら先に行動をすること』
『ふたつ、魔術の特性(あるいは得意そうな魔術)がわかるまで逃げに重きを置くこと』
『みっつ、そもそも魔術師と遭遇しないこと』
脳裏に蘇るは数週間前の記憶。
訳知り顔で1本1本指を立てて説明するガスパールの姿だ。
「てことはだ。結局俺はぼうず頼りで何も出来ねえってことじゃねえか」
「当たり前だ。魔術を犯罪に使うような魔術師は、その腰に持っている銃なら発砲を見てからでも防げる。当てたいなら超至近距離まで行かなきゃならないが、そもそもその前に嬲り殺されて終わりだ」
だからこそ世界的に活動している信理騎士団や国家に所属する魔術師集団が各国に存在するのだ。
「おめえさんもか?」
「なんだ、己はこう見えてそこそこ歳を食っているぞ? それに見た目なんてアテにしない方がいい。魔術に傾倒する存在など、その在りかたからして寿命が長くなるからな」
次第に差し込む光が減ってくる。その度に草木が繁茂し、人の手が介在していないものへと景色が移ろいで行く。
カラスの目と連結させていた右目が明滅する。それに合わせて見えていた町の風景がブレはじめ、ついには見えなくなってしまった。他の個体に切り替えてもみるが、やはり同じように歪んで見れなくなる。
「イワン、今ここがどこだかわかるか?」
「いや、まったくわからない。それどころかもうとっくに小屋にたどり着いてもおかしくない時間だ。おまえさんの魔術でどうにかできねえのか、クレイル」
「カラスとの接続が先程切れてからずっと何かに阻まれている。それにこの場は魔力が留まりすぎていて下手に使うと暴発してしまう。イワン、一度引き返したい」
「……おいおいおい、見てみろクレイル。いつの間にか周りがヘビイチゴに囲まれてやがる。俺も引き返したいが、この森でヘビイチゴなんて見たこともねぇ。俺たちゃ一体どこから来たんだ? さっきまでこんなのなかっただろ。明らかになにかおかしいぞ!」
先程まで見えていた青空は、既に木の葉の屋根に覆い隠された。足元のヘビイチゴはなにかを暗示するように円陣を組んでいる。
何処にいるのか完全に見失った今、やみくもに小屋を探し続けるのは悪手でしかない。
それだけでは留まらない。確実に後手に回っている。ナニカが既に起きている。
嫌な汗が滴るのを感じた。
「イワン、なんとかして森を突っ切るz」
「そろそろ猶予時間は終わりでいいかい?」
「ッ」
後ろを振り向きながら飛び跳ねる。
そこにはイワンの代わりに、豊かな白髪を後ろになでつけた年老いた男が立っていた。大きなゴーグルをつけているため精細な顔立ちは分からない。緑色の上着は周囲に擬態するためか、やけに光を吸い込んでいる。
太く短い首を毛玉の着いたマフラーにうずめながらコチラを凝視しているが、相手の真意がいまいち掴めまい。
それにこの場所の魔力が濃すぎて魔術師かどうかの判断もつかない。
睨み合いが続くが、それも男がゆっくりと左肩から銃を持ち直し、己の心臓へと銃口を向けてきたことで終わりを告げる。
「それじゃあフェアになったみたいだし、狩りを始めようか」
「ハッ、何がフェアだ。丁寧に銃の照準をあわせておきながら。……イワンをどこにやった」
「うーん。僕は今君に「狩り」だって伝えただろう。獲物が銃を持ってたらおかしいじゃないか。それとイワンは弾き出しておいた。あちらは君の後だ」
即座に対応できるように片腕を伸ばしておく。
視界の端が赤い火花を、聴覚がカチリとパーツが噛み合った音を捕らえた。
一切のタイムラグを起こさずに魔力を練り上げる。
彼我の間に空気の塊が支点から中心に向かうように、鱗をもした盾を形成する。
が、すぐさま練り上げた魔力の
「クソ、やはりか!」
脳に伝う情報よりも早く、力いっぱい飛び跳ねて茂みへと倒れこむ。
無理な体制から体を動かしたからなのか、右足首が熱い。
悪態をつくことしかできないが、この場にとどまっている暇などないと体に活を入れ右足を摺る。
魔力が練れなかった。正確にはカタチを持たせたそばから消費された。こうなれば己は体躯の小さな子供でしかない。
「(奇襲を仕掛け一息で仕留めるか。あるいは先の感触的に一瞬なら効果を期待できるか?)」
考えなければ行けないことはまだまだある。
イワンはどこに連れ去られたのか。なぜ魔力が練れないのか。あの男は誰なのか。どんな魔術を使っているのか。襲撃の目的はなにか。
「ヤツは「狩り」と称していた。自分自身を上に見て、此方を下に見ているのだろう」
わざと声を出し、己を奮い立たせる。
降っては湧いてくる疑問を1度振り払い、現状判明している情報だけを頼りに戦略を組み立てる。
「待っていろイワン、すぐに見つけてやる」
しかし次の瞬間、激しい爆発音が響いたあと、顔横の木の幹に鉄の塊が打ち込まれた。視界では捉えることが出来なかった。聴覚では反応ができたが、どの方向かまでは分からなかった。
足音も気配もなくあの男がこちらに近づいて来ていたのだ。
「まさか視界から一瞬逃しただけで、ここまで気配が希薄になっているとはな!」
己は地を這うハツカネズミのようにその場を後にするしかなかった。
■■■■■
「クレイル、返事をしろクレイル!」
目の前で草花に攫われるように姿が掻き消えやがった! いや、クレイルさえ生きていれば、まだ事件の解決はできる。
なら現状で一番マズイのは……俺が人質となること、か。
イワンは目の前にいたはずのクレイルが消えたことに非常に焦っていた。
ヘビイチゴに視線を奪われ、かがんだのがいけなかった。顔を上げた時にはすでにクレイルは消えて今の状態になっていた。
とにもかくにも動かなければ。希望的観測に過ぎないが、もしかしたらクレイルとてどこかをさまよっている可能性だってあるのだ。
イワンはいつでも拳銃を発砲できるように持ち直し、すぐさま一直線に走り出した。
「なんだってんだ、ここはよぉッ!」
しかしどれだけ走り回っても景色が一向に変わらない。それに草木がやけに足に絡まり着いて体力が奪われる。昨日撃たれた箇所もじんわりと痛みが広がってきたように感じてきた。
「はぁ……はぁ……クソジジイ、俺らを騙してたってのかよ」
気がつくと茨が肌を撫でるように伸びてきている。あちこちかすり傷だらけで確実に削られている。随分と世話になった老人ははたしてこのような思いをしながら森の手入れをしていたのだろうか。
苛立ち紛れに払いのけたシダの奥から、まるで人の頭かと見間違うほど大きなアケビの実が落ちてくる。いよいよ持ってイワンは喉の奥から微かな悲鳴を漏らしそうになった。
「やめときなって君。そろそろ体力もキッついでしょ? 君だけじゃ此処から出られないんだしさ。まあゆっくりしてきなよ」
「おいおい、幻聴まで聴こえだしてきやがった」
あれからどれくらいの時間が経ったのか、一向に襲撃者は現れない。その事実が後ろでくすぶっている種火のようにイワンの背中をチリチリと焦がす。
「(もう10回は森の中を突っ切ったぞ。まじで出られねえ……。いや、諦めるな。クレイルもまだどこかで諦めちゃいないだろうが!!)」
クレイルによほど手を焼いているのか、それともハナから襲撃者なんてものは存在せずにこうして閉じ込めて餓死するのを狙っているのか……。
「ッックソ! またここに帰ってきやがった! いい加減にしろ、来るなら来やがれってんだ。こちとら心構えはとうの昔にできてんだ!!」
「そういう空元気もさ。うるさいだけだって。君だけでやれることなんてないんだって」
そして何度も同じヘビイチゴの場に帰ってくる現状。ストレスが頂点に達したからなのか、様々な方向から脳を揺らすように声が聞こえてくる。男のような、若ヨモギを思わせる爽やかな声が。
事ここに至ってようやく気が付く。ありえないことだと目をそらしていたが、自分の魔術に対する理解の浅さが指摘されているようでいやに体が暑い。
「(この声は幻聴なんかじゃねぇ!)」
「ああ、向こうもそろそろ終わるみたいだね。『その子、起死回生を狙ってるから油断しちゃダメだよ』。
……お、ようやく
君からしたらはじめましてになるのかな。
夏の残り火、草木の守り人、
クレイルをさらったような草木が目の前に集まったかと思うと、次第に人の形に組変わりはじめる。
罅割れた古巨木の断片を思わす肌、自分より少し大きい程度の体躯と、それを支えるにはあまりにも細い根のような足。左右で長さの違う腕と、それから伸びる三本の指。目に見える洞からは昏い炎を光がチロチロと零れていた。
「あ、なん。はぁ?」
「その様子だとやっぱりはじめましてだ。困るよ君、あんな異物を招いてもらったらさ。こうしてわざわざ姿を晒す羽目になっちゃったじゃないか。
お、そっちもおつかれウェーバー。今回はなかなかに手こずったみたいだね」
「いえいえ、ご忠告ありがとうございました。まさか2段構えの奇襲とは思いもよりませんでしたが……。貴方様の知恵のおかげで何とかなりました」
森の奥から猟銃と、口から血を流すクレイルを担いだ老人がやってくる。
いつも通りにしゃっきりと伸ばした背筋は記憶に違わず綺麗で。
遥か昔、狩りに行く際には絶対に持っていくと言っていたゴーグルを首からかけ、妻の手作りだという緑のマフラーを首に巻いた、あのころの記憶と違わぬ姿で。
「ッッッウェイバァアア、ホォォオオオン!!」
「やあイワン。すこし見ない間に随分といい歳を取ったようだね」
■■■■■
およそ三十分前。
このまま逃げ回っていてもジリ貧だ。既に此処は相手の領域に引き込まれている。おそらく脱出は不可能。そして術者はあの狩人……ではない。
ならば一か八かの賭けに出るしかない。
血の小瓶は3つ。この場に停滞している魔力をはじいているため、体内の魔力はそこそこ。とはいえこの後のことを思うともうあまり長くは使えない。
相手は今己を見失い息を殺しながら歩いている。飛びかかりやすい後頭部を晒したら決行だ。
1発1発が己の命を奪うに足る凶弾を掻い潜りながら、何とか樹上まで逃げたクレイルは、決して遠くない場所を歩いている狩人を想起して覚悟を決める。
呼吸をなるべく止め、木と一体化したんだと自己暗示をかける。
なんという幸運か、己の隠れている樹木のすぐ近くで足跡を確認するようにしゃがみこんだではないか
「(今しかない! このタイミングが最も体重をかけた一撃が入る瞬間)」
確信をへて宙を舞う。
ところが狩人の男は散歩の合間に行う休憩のように此方に照準を合わせてきた。
「君、そういうの初めてだろう。ここいらの地面だけ少し固かったよ」
「クソッ!」
もう重力に囚われた。樹上には引き返せない!
ただひたすらに魔力をつぎ込み、奴が最初に狙った部分、すなわち頭蓋骨を覆うように障壁を展開する。
ガキン
「んなっ、むちゃ」
頭蓋骨を狙っていた一撃が固めた空気にはじかれる。
相手からしたらさぞ奇妙な光景に映ったろうな。奴の視界では意志をもったかのように空間が形を変えたのにちがいないのだから。
「っく! 我がことながら、やればできるものだ。
そして、形勢逆転、だ!! さんざエゾシカのように……ハァ……追い立ておってからに。
初の……ふぅ、任務前から、外套が……襤褸頭巾のようではないか」
相手に馬乗りになるようにしてのしかかり、銃を弾き飛ばす。
下からは地面と鈍い接触音を立てて倒れ込んだ襲撃犯の、低く空気が漏れたような呻き声が聞こえてくる。腰を打ったのか、辛そうに下腹部が上に反りかえっていた。
危なかった。一手間違えたら反対の結果だったのは想像にかたくない。高度な追尾技術、閉じられた空間、決して慢心してくれなかったスキのなさ、魔力が上手く使えない空間、そして閉じられた領域。
次にやり合ったら勝ち切れる自信など微塵もわかない。
だが。
「己の勝ちだ。イワンの場所を教えろ」
■■■■■
ああ、全く恐ろしい子供だ。
順調だと思っていた狩りが思わぬ事態になった。爪を持たぬ獣だと思っていたが、鋭い牙を研ぎ澄ませていたとは。
相手の勝負強さと運の引きには脱帽してあげたい気分だが。
「グ、ギィ……。……だけども、ここは1本」
腰の痛みで一瞬体が持ち上がる……ように見せかけ、尻ポケットの中に万一仕込んでいた閃光手榴弾のピンを引き抜く。
勝ちを確信していたであろう少年は片腕で咄嗟に目を庇うが、片腕だけで僕を押さえつけられるほど彼の体は大きくない。
少年の体を跳ね飛ばし、銃へと飛びつく。
照準をゆっくり定めているし暇なんてない。自身の経験を信じて、頭蓋骨目掛けて引き金を引引いた。
ダンッ!
いつもの聞きなれた発砲音と衝撃を感じると、目の前の少年が重力に逆らうことなく、地面に崩れる。
ああ、やっと倒れてくれた。安堵でへたり込んでしまいそうになる足腰に喝をいれ、弾の再度装填を行いゴーグルを外す、瞬間。
『その子起死回生を狙ってるから油断しちゃダメだよ』
脳内に妖精様のお声が響く。
ギョッとして少年の方を見るも四肢を放り出したままの姿がそこにある。
「(一応、いつでも心臓を打ち抜けるようにだけしておくか)」
靴の底で野草をすり潰すようにして歩く。
彼の足元まで歩くのがものすごく億劫に感じたものの、背中をなにかに押されているかのように死体に近づいてしまう。
瞬きの間に、少年が上半身を起こして僕に襲いかかってきていた。
ソレは紛れもない起死回生の一撃。
今の僕では。 否、最も精力的に動けていたあのころですら反応の難しい速度で腕を伸ばしてくる彼。もしかしたら引き返せるのはここまでだという最後通牒なのかもしれない。
「(まったく。末恐ろしい若者だ)」
どこか清々しいまでの敗北感とともに、今度こそ迷わぬよう何処までもいつも通りの引き金を引いた。
ダンッ! ダンッ!!